2020年11月14日土曜日

2020.11.14 岸見一郎 『定年をどう生きるか』

書名 定年をどう生きるか
著者 岸見一郎
発行所 SB新書
発行年月日 2019.06.15
価格(税別) 830円

● 定年を絡ませる必要はなかったような気がする。無理に定年を持ち込んだために,文章がいったり来たりすることになってしまったような。冗長というか。
 著者にもサラリーマン経験はあるのだが,定年で辞めるサラリーマンの機微にはやや疎かったりするんだろうか。定年=やるべきことと人間関係の喪失=一気の老け込み,があてはまる定年退職者なんて,今どき,いてもごく少数派ではないか。そのごく少数派に向けて書いたのだと言われれば,そうでしたかと申しあげるほかはないが。
 アドラー理論の射程距離も無際限ではないのだろう。やや雑に流れたような印象を持ってしまった。


● とはいえ,以下に転載。
 これまでの人生のように上り坂を苦労して登らなくてよくなり,これからは自転車のペダルから足を外して坂を下るというふうに考えれば,むしろ老年は楽に生きられるというわけです。(p29)
 定年の前と後に価値的な優劣があるわけではありません。例えてみれば,冬が他の季節に比べて劣っているわけではないようにです。冬には冬のよさがあって,それは他の季節のよさと比べることはできません。(p30)
 私には,会社で働いている人が社会との接点を失った引きこもりの人のように見えることがあります。(p32)
 現実はこうなのだといってしまったら,そこから先には進めなくなります。現状はこうだが,そうであってはいけないと考えなければ現状を変えていくことはできないのです。(p40)
 人は「今ここ」を生きているのですから,未来のことを考えても意味がないということです。(中略)未来は「未だ来てない」のではなく,「ない」からです。(中略)不安は未来に関わる感情ですから,未来を手放せば不安から自由になることができます。(中略)今考えられることがあれば,それは未来ではなく,「今」する準備のことです。あるいは,このようにいうこともできます。今変われないのなら,未来にも変われない,と。(p53)
 過去も今できることをするための妨げになることがあります。今,変わるのであれば過去は手放さなければなりません。(p54)
 まず人間の価値を生産性で見ないということです。生きることそれ自体に意味があることを知らなければなりません。(p54)
 学校に行かなくなった子どもの親に私がよくいうのは,何の疑問もなく自動的に身体が学校に運ばれている子どもよりも,今は学校に行っていない子どもの方が,勉強することの意味や人生の意味などについて深く考えているということです。(p56)
 何かをしていなければ怠けているように思う人は,この何かをしなければならないという思いから脱却しなければなりません。人の価値を生産性で見ないという考えにつながっていきます。(p58)
 この趣味には何か意味があるかなどということを考えていれば趣味を楽しむことはできないでしょう。(p69)
 学校は英語ではschoolといいますが,その語源はギリシア語のschole,「暇」なのです。実用性から離れて時間をかけなければ学問とはいえないのです。(p70)
 何が与えられているかではなく,与えられたものをどう使うかが大切だとアドラーはいっています。(p71)
 カメラを買ったのにすぐに使わなくなってしまうというような失敗をしないためには,最初から何もかも揃えて始めるというのではなく,できることから少しずつ始めるのが賢明なのです。(p72)
 自分が経済的に優位であるということを,妻や他の家族よりも優位であるということの根拠にする男性がいます。(中略)このようなことは劣等感によるものです。(中略)本当に優れている人はそのようなことはしないで普通でいられるのです。(p74)
 エネルギーがあればそのエネルギーの向けどころを変えれば立ち直りは早いのですが,エネルギーがあまりなければ,まずそのエネルギーを出すところから始めなければなりません。(p80)
 仕事の場でも,評価は必ずしも正しいとは限りません。(中略)入社試験もそうです。本当は優秀な能力を持っている人でも会社がそれを正当に評価できず,試験に落ちるということはよくあります。(中略)評価と自分の価値や本質は何の関係もないのです。(p82)
 愛という感情があるから二人の関係がよくなりよいコミュニケーションができるわけではありません。よいコミュニケーションができていると思えた時に,この人を愛していると感じられるのです。(p86)
 若い人は就職活動の時,ワードもエクセルも使えますと自分の持っている知識を会社にアピールするのですが,そのことは(中略)自分は他の人と同じ知識を持っている,言い換えれば,他の人に取って代わられるくらいの能力しか持っていないということを会社にアピールしているに等しいのです。(p111)
 仕事は何のためにするのかといえば,私は他者貢献だと考えています。(中略)貢献感を持つことができれば自分に価値があると思え,対人関係の中に入っていけます。(中略)理想をいえば,そんなことすら忘れて自分が取り組んでいることに喜びを感じられることが望ましいと私は考えています。(p127)
 仕事中心の人生を送ってきた人は家事の多くを免除されてきました。いわばそれまでずっと甘やかされて生きてきた人は,定年後には甘やかされて生きることから脱却しなければなりません。(p154)
 他者(定年後にはそれが家族になりますが)が自分の期待を満たすために生きているのではないことを知らなければなりません。(p155)
 いつも一緒にいなければ満足できないというのであればおかしいのです。それは依存であって愛ではありません。一人で過ごすこともできるが二人でいる時の方がより楽しいというのが,本当の意味での自立といえます。(p161)
 人生設計をしてみても,その通りにはならないのは,若い時も定年後も同じです。(中略)人生設計をすることを勧めないのは,このように先が見えない,先のことは決められないからということもありますが,計画を立てると「今」が将来の準備期間になってしまうからです。何かを達成してもしなくても,人は今ここでしか生きることはできないのです。(p167)
 効率的に生きることに意味はありません。誰もが必ず死ぬのですから,効率的に生きるというのは,できるだけ早く死ぬということになってしまいます。(p168)
 人は幸福であることを願うことも,願わないこともできるのではなく,誰もが幸福を目指している,幸福でありたいと願っているというのが,ギリシア哲学の考え方です。(p174)
 お金があってもなくても,また会社で高い地位についていてもついていなくても,幸福に生きるためには,そのようなことにとらわれないことが大切です。(p176)
 持っていないものを失うことはできません。過去も未来も持つことはできません。「各人は今だけを生き,かつそれだけを失う」(p184)
 哲学者の鶴見俊輔はこういっています。「敗戦直後,食事をする気力もなくなった男は多くいた。しかし,夕食をととのえない女性がいただろうか」(p193)
 現実がどんなに苦しくても,本を読めばそこには現実とは違う世界が待っています。苦しさを忘れ,愉快な気持ちになれます。これは現実逃避ではありません。本を読んでいる「今」も現実だからです。(p196)
 問題は間違うことではなく,間違うことを恐れてしまうことです。(p199)
 何もしないうちから,この歳になると記憶力が衰えたというようなことをいって何かを学ぼうとしない人は多いですが,学生時代のように本気で学べば大抵のことはかなりの程度まで身につけることができます。(p200)
 ドイツの詩人であるリルケは,批評してもらうべく自作の詩を送ってきtカプスに,批評を求めるようなことは今後一切やめるように,そして,「書かずにはいられない」のであれば,詩を書くようにと助言しました。(p201)
 とにかく朝目が覚めたら,今日という日を今日という日のためだけに生きる。できるのはこれだけです。(p205)

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