書名 作家の贅沢すぎる時間
著者 伊集院 静
発行所 双葉社
発行年月日 2020.09.20
価格(税別) 1,000円
粗野な田舎者が都を荒らすときの身の処理方について,京都とパリに共通性があるという話。
● 以下に転載。
私は店の味覚は覚えていないが,主人の顔と人となりは忘れない。行き着く処,味覚より人である。信頼する人がこしらえれば,それが一番なのである。(p33)
横浜の時代は,早朝から夜遅くまで働きっぱなしだった。(中略)早朝五時半に起きて,アメリカ軍専門の移動の車を運転し,夕刻まで荷積みから荷揚げまでをくり返し,夕刻からコックまがいのことを夜の十二時までやり,十二時からゴルフ練習場のボール拾いを深夜二時までやり,事務所の土間で休んだ。どこで睡眠を摂っていたのかわからないが,何も持たない人というのは,他人と同じことをしていてはどうにもならないのだろう。(p34)
私の基礎体力は中学,高校,大学と野球部のグラウンドでの日々の練習で培われたものではなく,むしろ学生の身分で社会に出て,日々,働いていた中で,(中略)本当の意味での “地の体力” がついたのではないかと思うことがある。(p42)
あれは絶品の鍋だった。競輪場でさんざん打ち負かされた後でも,笑顔になれたのだからたいした味である。(p45)
労務者風の客が多いのもどこか安心できる。(p47)
やがて少しずつ仕事が増えても,腹が満たされればそれでよかったから,特別な店もない。私に言わせれば,そんな若い時から,どこそこの何が喰いたい,と思う方がおかしい。(p53)
私はこの店の主人に,店に活けてある茶花,掛けもので,京都の大半を教わった。茶花だけで百種類近くを酔った目で眺め,三年間,四季を三度巡ることで覚えることができた。それは花器もともに覚えることで,陶器を学ぶことができた。(中略)しかし肝心は,京都には “奥のまた奥” があることを知ったのが何より役に立った。(p69)
京都人はなかなか本音を口にしないと言う。(中略)彼等は表面上で挨拶をしている時は,男も女もあのとおりのやわらかい物腰とはんなりとして聞こえる京都弁から伝わって来る印象は,まことにソフトである。しかしソフト,やわらないだけで京都人は千年も,この都で生きながらえるわけがない。(p76)
京都人は合理的なんですよ。そこが他の土地の人間と違ってるんです。(中略)さてこの合理性が癖者なのである。この合理性の源泉になっているのは徹底した個人主義なのである。どこかの街の人間に似ていないか? どう近代以降のフランス人に,パリの人々に似ている。パリもフランス革命以来,何度も戦場となった。しかしパリの人々は戦争の間はじっとしていたのである。(中略)ふたつのみやこびとに共通しているのは,どんなことがあろうと自分たちだけは生き抜く,という精神である。合理性,個人主義のバックボーンはそこにある。(p77)
京都は古い伝統を守っているかのように思えるが,それは違う。(中略)京都人ほど新しいもの,モダンなもの,異国にあるものを積極的に受け入れて来た街も珍しい。(中略)新しい店だからと言ってあなどらない方がイイ。むしろそういう店が狙い目のように思う。京都だから,京料理というのは観桜客と同じで間違っている。(p78)
それまで閑古鳥が鳴いていた店が,何名かの遊び人が,ここはと言いはじめるとたちどころに連日連夜,満杯になる。銀座の凄みのひとつだ。(p96)
鮨屋ってものは丁寧にやってさえすれば傾くことはないんです。そうですね。粗く見積っても利は八割を超える仕事です。(中略)しっかり修行して仕事さえ身に付ければ,それから先は,少しの運があればいいんです。(p114)
私は職人にも,店にも「美味い」とは言わない。どこかおべんちゃらを言ってるようで,こちらが金を払っているのだから,しかもそれなりの値段を取る。不味いじゃ,おかしいだろうという考えだ。(p122)
身体の大きな鮨職人は半分以上がおかしな味覚である。名人と呼ばれた人は小柄な人が多い。(p123)
私は,飲食店の主人は無口な方が良いと思っている。(p145)
神楽坂は,よくぞこれだけ,どこから出て来たんだ,という高齢者で満杯である。見ているだけで食欲がなくなる。(p150)
取材の折,私は小紙を数枚持っていくだけで,カメラやテープは持たない。自分の目で見て,それで記憶するだけである。撮影した写真で,あれこれというのは,いざ文章にする時にかえって邪魔になる。脳裏に刻まれないものを小説,文章にしても,それはどこか甘さがあるのではないかと思っている。(p162)
正直に言って海外の酒造メーカーは百年前の味覚を百年前と同じ製法で作って売っとるんだよ。企業努力をしないので呆れたよ。(p166)
何をやっても上手く行かない時はあるものだ。そういう時は一目散に,その場所から遁走するのが一番らしい。私も,その考え方に賛同する。(p169)
戦争は,国と国との喧嘩である。喧嘩の場合を考えれば,迎撃ミサイルで攻撃ミサイルが射ち落とせないのは子供にだってわかる。攻撃目標,つまり喧嘩相手にむかって突進して来た者を,気楽に受けて勝った喧嘩など,この世にひとつもない。(p171)
世間には昔から考えてもどうしようもないことがヤマほどある。答えが出ないことの方が,実は私たちが生きている社会にはあふれているのだ。(p175)
私は二十歳を過ぎたあたりから,休日を取ったことがない。いつも仕事か,何かに追い回されていた。(p188)
大勢の人が集まったり,群れる場所へついつい出かけるという行動は,あまりよろしくない。どこへ行ってもロクなことはない。(中略)人と同じ行動をしていると,疲れるだけである。(p190)
本屋へ行くもよし,旅に出るのもよし,ただし思い立ったらすぐに立ち上がるのが人間行動の初期の重要な点である。(p194)
それまでに自分でこしらえたフォームを崩さずに辛抱していると,やがてプラスの領域に自分が入りそうだという予感がして来る。(中略)その予感がすると,大半のケースがプラスになっている。(p209)
私は気取ったり,斜に構えることができないので,ひさしぶりに逢うと,「元気だったの? どうしたかね,仕事の件は?」と声をかけてしまう。それが結果として,百人余りの人のサインで,二時間を超えてしまう。(p215)
最初から,ストーリーも,構成も,最終シーンもできている小説は実際書いてみると,実につまらない作品になってしまうんです。(中略)これまで書いたどの小説も,不安というか,果たしてこの作品は最後まで書けるんだろうかと,ひと文字,ひと文節を手探りで進めて行った方が,何かとぶち当たることが多いのはたしかなんだ。ずっとその理由がわからなかったのだけど,もしかして,不安や恐れの中にしか核心は潜んでいなかったのかもしれないね・・・・・・(p217)
ギャンブルで勝つということは,麻雀なら百点差でいいのである。勝ちに,大勝も,僅差の勝利もないのである。(中略)大金をせしめるだけが目的なら,ギャンブルなんぞしない方がいい。(p219)
的中する時は,買い目が少ないものです(中略)買い目の点数を絞れるということは,その勝負への勘が鮮明なんだろうね。(p219)
麻雀でバラバラの配牌が来た時,どんな手牌も五巡目でテンパイできるのだから,その一見バラバラに見える牌の,どこにビクトリーロードがあるのかを,真剣に考えれば,まず大きなマイナスになることはない。(p220)
家族と言っても,家人と数匹の犬しかいないのだから,彼等がそう希望すれば言うことをきくしかない。(p221)
絵画でも,彫刻でもそうだが,どう鑑賞するかは個人個人で受け止めることで,イイ作品は見ればひと目でわかる。それが大人でも子供でもである。どんな時代に,どんな立場で,どう描いたかは,さして重要ではない。(p232)
ルネサンスの大パトロンであったメディチ家の礼拝堂を見た時,昔の金持ちはどれだけ悪いことをしたのだろうか,と昔も現代も金持ちのありようは変わらぬものだと思った。(p234)
クラブを手にして,目標を決めたら,考えずに,サーッと打つことだ。(p268)
物というものにいっさい興味が,或る時から失くしてしまった。その理由はここでは書かないが,ともかく物にいっさいこだわるということを三十代半ばでやめた。(p273)
皆が皆同じようなフォームでスイングしていたら,そりゃビックリするような新人は出て来ませんよ。(p281)




