2021年5月25日火曜日

2021.05.25 徳力基彦 『「普通」の人のためのSNSの教科書』

書名 「普通」の人のためのSNSの教科書
著者 徳力基彦
発行所 朝日新聞出版
発行年月日 2020.08.30
価格(税別) 1,400円

● 著者は「note」でプロデューサーを務めている人だから,ネット発信には積極的というか,ネット発信するように勧めるのが仕事だ。
 ということを踏まえて読むべきものだとは思うのだけども,いたってマトモな,正統派のネットへの勧誘が展開されている。

● Facebookは2年ほど捏ねくってしまったが,IDを削除した。やめて正解だった。スッキリした。無駄なことをしている感がなくなった。
 が,Facebookにも貢献点はある。ネットは匿名が常識だった日本社会に,ある程度ではあっても実名主義を定着させたことだ。これは特筆しておくべきところでしょう。

● 本書もまず実名でやることを説く。リアルとネットを切り分けないということでもある。リアルでの自分とネットでの自分を別々にしない。リアルの自分をネットにも置く。
 本書は読者対象をビジネスマンにしているのだが,そうすることによってネットとリアルがうねり出して,仕事にも跳ね返ってくる。

● 併せて,インフルエンサーに影響されるな,ネットで稼ごうとするな,という点も説かれる。バズることよりもコミュニケーションを目的にすべきだ,と。
 できもしないことをやろうとするな,という言い方はしていないけれども,まぁそういうことだろう。
 ハードルを下げて,自然体で継続することが一番大切だ。そうして,ネット発信せよと勧めるのだ。もちろん,そうすることのメリットも説かれている。
 
● 以下に転載。
 どんどん実名で発信していくべきだと思います。SNS発信は「リアルの延長線上」でつかってこそ,ビジネスで真価を発揮するからです。(中略)SNS発信に対して感じられる負のイメージは,リアルとは異なる匿名の別人格がたくさん存在しているからだと思うのです。(p9)
 実名による発信は,ネット上に自分の「分身」を置くのと同じです。「分身」はネット上に発信者の情報を蓄え,他者とのコミュニケーションを誘発してくれます。(p9)
 2020年,世界は新型コロナウイルスのパンデミックに直面しています。道のウイルスの前ではリアルのコミュニケーションは脆弱です。(中略)ネット上に発信の場所をもたなければ生活もビジネスも困難な状況に陥っているのです。(p15)
 自分がこれから書くものを「作品」「記事」「コラム」と思わないことです。(中略)「発信」という言葉を重く受け止めすぎないようにしましょう。(p41)
 プルのコミュニケーションにはプッシュのコミュニケーションにはないメリットがあります。それは,コミュニケーションコストが低く,あなたにも相手にも負担が少ないこと。そして,「ハプニング」を生み出してくれることです。(p48)
 メーリングリストのように相手に直接情報を送りつけたほうが一見,大勢が読んでくれそうに思いますが,実際は逆です。情報をネット上に置いておくほうが,心からその情報を求めている人が少しずつ増えていくのです。(p50)
 SNS発信には「蓄積効果」があります。ニュースメディアとは違い,ぼくらの発信できる情報は地味で小さなものかもしれません。しかし,小さな発信も継続すれば実績として蓄積され,可視化されていきます。ブログで発信しておけば,検索もかんたんにできます。発信を継続することによって,発信者側に対する安心感,信頼感が醸成されていきます。(中略)ネットの蓄積効果が,リアルに還流される現象が起こるのです。(p52)
 発信を続けることは「思考訓練」になります。(中略)インターネットが登場してから,世の中の情報量は爆発的に増えています。このような時代にあっては,もはやインプットに昔のような価値はありません。(中略)アウトプットを前提にしておくと,情報のインプットのしかたはおのずと変わります。(中略)このインプットからアウトプットまでの一連のプロセスを日々くりかえしていると,思考訓練になります。(p54)
 実名でSNS発信をしなければ,人とつながる機会がなくなります。対人関係が薄くなるため,刺激が少なく,成長を促進されることもない。(p63)
 リアルの世界には,おしゃべり好きな人とそうでない人がいると思います。SNSの世界にも向き不向きがあり,(中略)リアルの自分に近い,自然体でSNS発信をすることが継続のコツです。(p86)
 発信のハードルを上げないためのマインドセットがあります。それは,発信を「自分のためのメモ」だと考えることです。(中略)メモですから,フォロワー数を増やさなければ,PV数は10万以上でなければなどとプレッシャーに思う必要もありません。(p88)
 「メモなら何もブログに書かなくても」「パソコンに保存すればいいだけでは?」と思う人もいるかもしれません。しかし,この「自分のためのメモ」をあえて発信するのが,仕事に役立てるための大きなポイントになるのです。(中略)まず,自分の役に立ちます。(中略)ブログにアップしておくと(中略)Googleなどの検索エンジンでかんたんに探すことができます。(中略)「自分のためのメモ」は,じつは人の役にも立ちます。(p89)
 ブログの黎明期には,毎日書かなければ意味がないといわれたことがありました。(中略)(しかし)忙しい時期に無理する必要はありません。毎日でなくてもいいから,長く続けていくことが大事です。(p125)
 読んでほしい「特定の一人」をイメージすることで,あなたのメモが読まれる確率が上がるのもまた事実です。その人が興味をもちそうな切り口,表現を考え抜いて来たメモは,本人だけでなく,その人と似た属性の読者の興味も引きつけるからです。(p131)
 インフルエンサーの真似はしないようにしてください。(中略)いわゆるバズをねらう発信方法は,ビジネスパーソンには危険がありすぎます。(p134)
 ・おっさんは本質的に無駄な議論と説教するのが大好き。
 ・ヲタやギークは専門分野の知識をひけらしたがる。
 ・コミュニティには一定割合で揚げ足取りの好きな連中がいる。
 ということを上手く利用してやれば良いのです。(p135)
 面と向かって人に言わない,言えないようなことを発信しないようにしましょう。人への配慮が必要なのは,リアルもネットも同じです。(p136)
 自分のためのメモからコミュニケーションを生むコツは,発信の方法を人とは少しズラすことです。(中略)工夫といっても難しいことではありません。(中略)たとえば,名刺交換をしたら必ずメールを送る。(p144)
 流行りものや新しいもの,話題のものに飛びつくのは,コミュニケーションの量を増やす一つのセオリーです。(p153)
 大切にしてほしいのが「未来予測」の観点です。過去の事例をもとに他者や他人に批評を加えるより,未来予測に重点を置いたほうが新しいビジネスのアイデアにもつながります。(中略)発信するときは,関係者が読む前提でまとめましょう。ポジティブな内容のほうがシェアされたり反応をもらったりしやすくなります。(p154)
 マスに受ける話題を取り上げるより,ニッチな話題で発信するのもズラすコツの一つです。(p156)
 今のネットメディアは「深さ」より「広さ」を重視する方向に向かっているようにみえます。(中略)しかし,ぼくらは読者数やフォロワー数でなく,自分の仕事に役立てることが目的なので(中略)時には「深さ」で勝負していきましょう。(p157)
 「自分はこの程度の人間だ」と決めつけてしまうと,それを超える「ハプニングはなかなかやってきません。日々の行動でちょっと背伸びをする意識をもってみてください。(p164)
 あなたの発信を読んでくれた1PV,1フォロワーを,単なる数字を思わず,「一人」と出会ったと認識するようにしましょう。(中略)それだけですばらしいことではないでしょうか。(p167)
 こちらから火事場を見に行かなければ,他人の炎上に巻き込まれることはまずありません。「火事場のヤジ馬」にならないようにしてください。(p203)
 本当にあなたにスキや非があったのなら絶対に反撃してはいけません。あなたの印象が悪くなるだけでなく,さらに火を大きくされてしまうおそれがあります。(p204)
 ネット上の議論に勝つことはあり得ない。相手を変えることもできない。このことをまず認識しましょう。(中略)売られたケンカを買ってはいけません。逃げるが勝ち,なのです。(中略)相手が勘違いをしていたり間違った認識をしていた場合,正したくなるかもしれません。それでも,相手の意見を変えることはできないと割り切りましょう。(p204)
 ある意見には,必ず反対の意見が存在します。(中略)指摘されるのは嫌,人の意見は聞きたくないという人は発信をしないほうがいいでしょう。そもそも,個人が発信をすること自体が,ある種のエゴイズムを含む行為です。自分の話を聞いてほしい,宣伝したい,キャリアアップしたいというエゴがあるから発信しているのです。(中略)そのエゴがある以上,あなたのことをネガティブに受け取る人は必ずいます。(p209)

2021年5月15日土曜日

2021.05.15 茂木健一郎 『脳を活かす伝え方,聞き方』

書名 脳を活かす伝え方,聞き方
著者 茂木健一郎
発行所 PHP新書
発行年月日 2013.12.27
価格(税別) 760円

● 雑談や会話,コミュニケーションといったところでも,「脳科学的な」観点からいくつもの本を著者は出しているのだが,その嚆矢になったのが本書かもしれない(違うかもしれない)。
 雑談は高度に知的な作業であり,会話は脳にいい。アンチエイジングになる。大きくまとめてしまうと,そういうことが説かれている。

● 好きな曲を繰り返しで聴く人は,とどまろうとする人であり,若々しさや創造性から遠ざかりがちな人である,という。ぼくは典型的なとどまろうとする人だ。

● 以下に多すぎる転載。
 私の場合,三十歳から四十歳くらいの約十年間で,「友だちビッグバン」のようなことが起こったのです。その十年の間に交友関係が,まるで宇宙の始まりの時に起こった大爆発のような勢いで広がり,仕事の幅まで広がっていったのです。その間に何が起こったのかというと,自分と考え方や価値観が違った人に会っても,以前のように拒否するのではなく,他者と自分の違いを楽しめるようになったのです。(中略)欠点は私自身にもあるのだから,相手の欠点も大目に見よう,と思えるようになりました。(p11)
 素直に弱さを出せる人は,人に好感を持たれます。(p34)
 美術館を訪れた際,作品の横に書いてある説明書きばかりを読んでいる人をたまに見かけます。(中略)本当は,作品を観てそこから何を感じるかのほうが大事だと思うのですが・・・・・・。(p39)
 包み紙とは,人の場合でいえば,学歴や地位や名誉のことです。(中略)人の本質とは,包み紙で何重にも包装されたものを一枚一枚はがしていった後に現れるものです。だから,本当に自信がある人は,自分をそんなに飾り立てて宣伝する必要がありません。(中略)包み紙をはいだ後に,まったく何も残らない人間というのはいません。どんな人でも素の部分には面白いものがあるはずです。(p46)
 「私」を意識しすぎると,脳の機能が低下する(中略)コミュニケーションも,「私」を出してはいけない典型といえます。(中略)「私」を意識したコミュニケーションは,うまくいかないのです。(p47)
 話している時と,聞いている時とでは,使っている脳の回路は異なります。(中略)そのため,ひとりの人間が他者とコミュニケーションを取るためには,感覚系学習の回路を通じて相手の情報を取りこみ,次に運動系回路を通して相手に自分の意見を話す,という情報出力を行う必要があります。つまり,よいものを見たり聞いたりしたら,それを今度は人に話したり,日記やブログに書くなどの出力をしないと,いい会話をしたり,いい文章を書くなどのスキルは向上しないのです。(p50)
 人間の脳は,なんでも,その場ででっち上げることができるのです。(中略)これは悪いことだと思われがちなのですが,脳の仕組みからすると,コンファビュレーションが会話の本質であるといえるわけです。でっち上げを楽しむのが会話だと思うと,会話自体を楽しめると思いませんか。(p64)
 でっち上げとは,嘘ではなく,その場で何かをつくるということです。(中略)その場で即興でつくっていくのが会話なのです。(中略)ですから,会話の上級者が交わす会話というのは,ただのお喋りではなく,芸術になってしまうほどすごいものなのです。(p66)
 もし会話上手になりたいのであれば,寄席や落語会に行くことをお勧めします。最低,一〇回は通ってください。(中略)是非,生の落語を聴いていただきたい。生の現場は,迫力が違います。(中略)演者がつまらなければ,お客さんは平気でトイレに立ったり,何かを食べていて,ろくに聴いていないことだってあります。演者にとっては非常に厳しい現場なわけです。その厳しい現場に客として居合わせるだけでも,参考になります。つまらない話に対しては,本来,人は容赦がないのだということを,目の当たりにできるからです。(p73)
 古典落語を読んで会話術を学ぶ方法もあります。というのは,落語の多くが,会話を基本として構成されているからです。早稲田大学名誉教授で,落語研究家だった興津要さんが編集された『古典落語』と『古典落語(続)』(共に講談社学術文庫)は,とくにお勧めです。(中略)新米の落語家も読んで勉強するくらいですから,相当に読み応えがあります。会話術を上達させたいなら,五回は読んでほしいと思います(p74)
 それでも,日々努力を続けています。やはり,一生磨き続けようとしないと,会話術はどうしても衰えてきてしまうものですから。(p76)
 彼らに共通しているのは,自分を偉い人だと思っていないこと。ある出版社の編集者が言っていたことですが,サブカルチャーの人たちがすごいのは,偉ぶらないところだ,と。自分を偉いと思っている人の話は,だいたい面白くありません。(p77)
 人の話を真剣に聞く時に,一番大事なことは中心を外さないで聞くことです。(中略)相手の話に前のめりにもならず,かといって離れもしない。つかず離れずの距離を保ち,聞く姿勢はブレさせないという,まさに「聞く」ことの最上級の聞き方です。(p82)
 「相手の話を聞いていて,自分が苦しくなってくるのは,それだけ相手の病が重いということだ」と。(p85)
 会話をする態度としてよくないのは,非対称性ができてしまうことです。とくに大人と子どもの会話は,非対称性に陥りやすい典型といえます。(中略)そうではなく,大人だって子どもたちから教えてもらえることがたくさんあるのだという態度で会話をすべきです。そして実際に,子どもたちから教えてもらえることはたくさんあります。そのためには,「自分はそんなことに興味はないから」と興味の対象を限定しないことです。(中略)よい会話とは,相手の世界を自分の中に入れるためにあるものなのですから。(p94)
 謙虚さとは,年齢や社会的立場といったことに関係なく,「相手は自分の知らないことを知っているのだ」と敬意を払う態度のことです。(p95)
 今は,『まどか☆マギカ』と「オペラ」とがまったく同等な情報として扱われていい時代であると思います。むしろそう思えない人は,年齢や社会的立場を超えた会話を楽しめないのではないでしょうか。(p97)
 時には積極的に傷つくつもりで,他人にぶつかっていくことも必要です。会話力を上げることは,それくらい価値のあることです。会話力がアップすれば,それだけで生きていけるといっても過言ではありません。(p101)
 相手の話が終わってから質問を考えているようでは,もう遅いのです。話を聞いている時点で質問を考えていないと,思いつきだけで質問することになる場合が多いからです。(p104)
 いい質問とは,その質問をすることで周りの人の利益にもなる,という公共性を意識したものだと思います。また自分が聞きたいことをピンポイントで聞ける能力も重要です。(p105)
 相手についてあまり調べすぎるとうまくいきません。これは,司会など場を仕切る仕事を数多くこなしてきた実感から得たことです。(中略)下調べしたことに引きずられてしまって,今のその人をうまく引き出すことができなくなっていることに気がついたのです。(p109)
 重みのある質問とは,質問自体に切実さとか,苦しみとか,痛みといった身体感覚とつながったものが宿っているものです。(p112)
 私は問いの答えを見つける能力よりも,問い続ける能力のほうが,人間として大事な気がします。また,そういう人は,年を取りません。(中略)問い続けることで脳に空白が生まれ,そのことが脳にとってのアンチエイジングになっている,というわけです。(p114)
 人間関係において,ストレスが溜まるのは,相手に合わせすぎることが原因だと推測されます。(p120)
 人間にとっての理想のコミュニケーションの在り方は,自然体でいることだと思います。そして,それは可能なのです。(中略)そのほうが自分も楽だし,周りともうまくいくのです。(p123)
 セールスマンがセールスのために訪問した家で,相手の話に熱心に耳を傾けていただけなのに-つまり,積極的に商品をアピールするなどしなかったのに-「あなたは話が上手ね」と言われた,という有名なエピソードがあります。つまり聞き上手な人は,会話上手にも見えるということです。(p134)
 たとえば,「クラシック音楽には価値があるけれど,ポップスはくだらない」という考え方の人がいるとしましょう。こういう人の雑談力は高いとはいえないでしょう。(中略)雑談上手な人は,さまざまなものを愛することを知っている人だといえるでしょう。(p134)
 大きな成功も素晴らしいが,失敗すらもなんらかの糧になる,そういう価値観をもっている人はすべてを引き受けることができます。(p135)
 雑談は,相手に興味をもつことから始まります。相手がどんな人であれ,人間は何かしら面白いところをもっています。相手をよく観察すれば,必ず面白い面が見つかります。(p136)
 私も高校生くらいまでは,自分が興味のある話以外は,すべて無駄な話だと思っていました。だから,コミュニケーションが苦手だったわけですが・・・・・・。雑談を無駄なことだと思わずに,その時間をどれだけ楽しめるかが,その人のコミュニケーション能力の表れなのだと思います。話すことは無限にあり,世の中には自分の知らない面白いことがたくさんあると思っている人は,潜在的にコミュニケーション能力が高いのだと思います。(中略)世の中の多様性を楽しむこと,という表現が一番ふさわしいでしょうか。(中略)ひいては,それが生きることの多様性を楽しむことにもなります。(p137)
 情報の収集源は,いろいろあります。その中で一番大事なのは,自分自身の中にある「好奇心」をアンテナにして,そこに引っかかってくるものを収集することです。(中略)外部の情報源としては,最近ではツイッターの「トレンド」や「ヤフー・トピックス」などが使えます。(p134)
 「こんなことを聞いては,いけないんじゃないか?」というような引っこみ思案や羞恥心は,コミュニケーションを取る上では捨てたほうがいいでしょう。(p147)
 会話が脳にとってのアンチエイジングとなるのは,「好奇心」を満たすことが脳にとっての若さの源になるからです。したがって,会話をしない人の脳は,だんだん衰えていってしまうのです。(中略)会話から得られる情報は,テレビや新聞,インターネットなどのメディアが提供する情報とは脳の受け取り方が違います。会話から得られるのは,生身の人間がもたらす生きた情報なので,脳が本気になります。(p150)
 雑談とは,この後の会話の展開がどうなるのか,その場にいる誰にも予測できないという,「予測不可能生」に満ちています。(中略)予測できないことに対応するからこそ,脳が鍛えられるのです。(p158)
 雑談という言葉には「雑」という漢字が入っているため,雑多なもの,どうでもいいもの,というニュアンスが含まれて,軽視されがちなところがあります。(p160)
 人の話を聞いて学ぶことの生物としての意味は,「自分だったらどうするか?」,そこにしかないのです。それこそが,究極のシミュレーションなのです。(p171)
 自分の好きな音楽を繰り返し,繰り返し聴き続ける人は,そこにずっととどまろうとする性質をもっています。(中略)あるいは,クラシック音楽など,すでに評価が定まったものばかり聴く人も,とどまろうとするタイプの人です。(中略)新しい音楽や本を求めて,「次,次」といける人は,自分の中に子どもの部分を残している人です。(中略)それとは反対に,同じところにずっととどまろうとする人は若々しさから離れていきます。(p174)
 好奇心の割合が高い人は,新しいものを求める傾向が高いけれど,そこにはいいことばかりが待っているわけではない。新しいものは,評価が定まっていないので無駄なもの,よくないものも含まれている可能性が高い。それでも,無駄ではあるかもしれないけれど,果敢に新しいものを求めます。それが大人になっても若さを失わない人の特徴であり,創造的な人の特徴でもあります。(p176)
 人を縛る規範とは,社会のルールや人の目といっていいでしょう。犯罪に手を染めない,マナー違反はしない,などの基本的なルールは当然守るべきですが,それ以外のものは,人を不自由にさせます。(p180)
 安定と変化のバランスを取るためにはどうすればいいのか。それは,一〇〇%変化を求めて行動することです。人間は変わろうとして目一杯アクセルを踏んでも,そんなには変われない生き物です。だから,一〇〇%変わろうとするくらいでちょうどいいのです。(p184)
 厳しい言い方ですが,「人は変わらない」と思っている人は,変わることができません。「人は変わることができるのだ」と,分かっている人だけが買われるのです。(p185)
 男はこうでなければならない,女はこうでなければならない,私はこういう性格だ,と決めつけるから脳に抑制がかかる。その抑制をうまく外してあげれば,人は変わることができます。(p185)
 大人になるということは,社会のルールを身につけていくことなのですが,ルールを身につけた分,脳が学習する可能性は狭まります。子どもは,ルールがないところから学習していくから,学習する能力も高いのです。大人になっても,子どものように学習していく可能性を広げるには,賢くルールを緩めることが必要だと思います。(p187)
 会話もそれと同じで,全部言う必要はなく,自分が言いたいことの七割か八割にとどめておく。そのほうが,相手に考えさせる余韻を与えることができます。(p193)
 どんなことを話したか,そのテーマよりも,その会話が楽しかったかどうかのほうが重要なのです。(p205)
 本当に面白い雑談を一時間でも二時間でも続けられる人は,実は知性が高いということです。それはペーパーテストでよい点数を取るよりも,ずっと知的なことなのです。(p206)
 愚痴や悪口などを一方的に話す人は,たいてい周りが見えていません。しあがって,その人の話を聞いてあげようとするあなたの思いやりも見えていません。(p209)
 会話をするということは,相手を知るだけではなく,自分を知ることでもあります。自分がどういう人間であるか分からないからこそ,他者との会話を通して自分を知ろうとするのです。それは,自分が他者からどう見えるかを確認する作業でもあります。(p213)
 一匹一匹のアリは,独立して動いていますが,巣全体で見ると一つの意思をもっているかのような動きをします。同じように人間の社会も,一人ひとりの脳は別々でも,社会全体としてはある意思をもっているように見える時があるのです。(p216)

2021年5月8日土曜日

2021.05.08 三浦 展 『あなたの住まいの見つけ方』

書名 あなたの住まいの見つけ方
著者 三浦 展
発行所 ちくまプリマー新書
発行年月日 2014.03.10
価格(税別) 880円

● 戦後住宅事情史でもあり,リノベーションとシェアハウスの解説書でもあり,コミュニティや街づくりの提言書でもある。
 コロナ以後も基本的には変わらないと思うのだが,シェアハウスについてだけは強烈な向かい風になったのではないか。出かけないで家にいれば安心というのが,シェアハウスだと通用しない。実際には感染上の問題はないのかもしれないのだが,互いに縛らない,縛られないというのを貫徹するのは難しくなったのじゃないかなぁ。

● 以下に転載
 木造建築なので,木が湿気を吸い込む。だから祐天寺の時のようにカビが生えるということはありませんでした。日本の気候には木造が合うと思います。(p33)
 和室というのは,できるだけ何も置かないのが最も美しい使い方だと思います。(p34)
 なぜ本来は斜面かというと,眺めがいいからという理由もあるでしょうが,何と言っても水が出るからです。(中略)昔話で,おじいさんは山へ柴刈りに,おばあさんは川へ洗濯に行きますが,これは二人が斜面に住んでいることを意味します。おじいさんが行った山は里山ですね。そこは人が住む場所ではなかったのです。(p34)
 地主さんの住む地域には,ある特徴があります。(中略)その特徴とは,古そうな,少し曲がった細い道が交差する場所に,米屋,酒屋,たばこ屋,郵便局が固まっているということです。(中略)米屋は炭屋を兼ねていることもあります。つまり食料と燃料を売っているのです。(中略)水と食料と燃料を支配することが地主の役割だったはずです。(中略)お酒もほぼ生活必需品ですし,神社に供える御神酒も必要ですから,地域には酒屋が不可欠です。(中略)国が独占して製造販売したり,管理したりする米,酒,たばこ,塩,切手を売る店や郵便局は,まずは地域の代表である地主さんがつくったのだろうと思われます。(p35)
 1970年前後に建てられたマンションでは,風呂,トイレ,洗面が一緒のケースが多いです。一緒であることが,洋風で,かっこよいと思われたのでしょう。(中略)不思議なことですが,それほど当時の日本人が西洋的なライフスタイルにあこがれたということでしょう。
 ホテルは1950年代からそのスタイルを先取りしていた。その頃建てられたホテル,たとえば高輪プリンスは客室の改装をしていないようで,そのまま残っている。
 今となってはどうにもならない。リビングの調度と水回りのところがあまりにアンバランス。客室係も掃除が大変だろうな。
 1993年当時には,マンションを管理するという発想がまだ日本人には弱かったのです。(中略)60年代,70年代はまだマンションは高級品でした。つまり比較的裕福な人が買うものでした。一種のステイタスシンボルだったとも言えます。だから,長く大事に管理して使うというより,高級車を買うように,壊れたらまた買い換えればいいくらいの気持ちで買った人が多いのです。(p52)
 どうして多額の借金をしてまで家を買うのか,その理由はこの老後の安心がおそらく最大の理由です。(中略)国民の寿命が延びたから持ち家が必要になるという面もあります。(p59)
 当時(1973年)の日本では,木造賃貸住宅は基本的には若い一人暮らしのための広さと設備しかなかったが,64%が二人以上で住んでいたということです。(中略)ですから,子どもができれば,ぜひとも団地に住んだり,郊外の一戸建てに住んだりしたかったのです。(p64)
 家族四人で住める3LDKなどの比較的広いマンションが23区内で借りられるようになったのは1980年代以降だと思います。1970年代までにマンションを買った人が,部屋を貸しに出し始めたからです。(p66)
 団地はあまりに大量生産的で,画一的,非人間的であるという批判もされるようになりましたが,(中略)大都市の庶民の住宅事情はとてもひどかったのです。大量生産的で画一的であろうと,狭くて過密な住宅よりはよかったのです。(p73)
 戦後の日本人が住宅に求め続けてきたものは何だったのか,(中略)私はそれは「私生活の重視」だったと思います。(中略)その私生活重視の価値観の究極的な実現形態が郊外庭付き一戸建てだったと言ってよいでしょう。(中略)どうして戦後,人々は高額なローンを長期にわたって組んでまで,都心から遠く,通勤時間の長い郊外に家を買ったのか。(中略)新天地だからこそ何からも束縛されないと思ったという面も少なからずあったのです。(p87)
 家をリノベーションするときは物を捨てる人が多い気がします。不要な物を捨てて,リノベーションした部屋に合うものだけを残すのです。(p109)
 私も2007年に中古マンションを買ってリノベーションしてみました。こんなにおもしろいことはない!というのが私の感想です。この面白さは新築物件を買っても絶対に味わえません。(p110)
 消費者の新築信仰が薄まって,仕方なく中古から,中古でもいい,さらには中古がいい,というような意識の変化があるようです。(p119)
 インターネットは自分の好きなように,好きなだけたくさんの物件を見られるのが長所ですから,だからこそ常識的な検索はしないということが重要です。(中略)自分にとって最適なものを,たった1軒でも見つけるために使うのがインターネットの正しい使い方です。(p138)
 ゴミ捨て場に捨ててある物を集めるのも楽しみになりました。(中略)古い茶箱,座椅子,すだれ,鍋,茶筒などを拾いました。こうして拾った古道具がまた部屋に似合うのです。なので私は最近,物を買うとき,これはもしかしたら拾えるかもしれないと思うと買わないようになりました。古道具屋ですらあまり物を買わなくなってしまいました。(中略)そういう意味でリノベーションという行為は,単に部屋を改造するというだけではなく,自分にとって本当に重要なもの,本当に好きなものは何かと考えるきっかけになり,そのために自分の生活自体をリノベーションするという効果もあるような気がします。(p146)
 シェアハウスと家族の違いは婚姻届と血のつながり以外に実はあまりない気がします。(p152)
 若いときに,需要の高い地域に中古でも家を買っておくことが,その後の経済生活の選択肢を増やすことにつながることはたしかです。賃貸住宅のほうが好きなときに好きな地域の好きな家に住めるという自由さがあると思いがちですが,それはある程度の収入がずっとあるという前提があったのことです。また中古を買ったときの毎月の返済額のほうが家賃より安いことも多い。(p168)
 シェアハウスで他人と一緒に住めるのも,個人主義が浸透したからだと私は思います。つながりたいが,縛られたくないし,縛りたくもないという人間関係をお互いに尊重しているからこそ,他人でも一緒に住めるのだと思います。(p173)
 戦後,高度経済成長期以降,住まいとは寝たり食べたりするだけの場所という意味になってしまった。住まいにはコミュニティが必要であり,コミュニティの核として職があるということがわからなくなってしまったのです。(p177)
 賃貸物件の決まりごと,常識をちょっと変えてみる。それだけで部屋の可能性がすごく広がるんです。(p186)
 「住む」は「澄む」に通ずるという説もあるそうです。水は激しく流れれば濁ります。でもとどまりつづけると腐ります。止まっているようでありながら,実は静かに動いているとき,きっと水は最も澄んでいるのでしょう。(中略)住まいもそうなのかもしれません。(p189)