2022年4月22日金曜日

2022.04.22 三浦雄一郎 『歩き続ける力』

書名 歩き続ける力
著者 三浦雄一郎
発行所 双葉社
発行年月日 2019.04.14
価格(税別) 1,000円

● 高齢者への絶賛応援歌。現在の日本は高齢者ばかりになっているのだから,高齢者をヨイショするものは売れる。本書にもそういう側面はある(と思う)。
 が,著者は盛りもせず妙な謙遜もせずに,自身の体験を語っているのでもある。

● どの分野でも一流の足跡を残す人には,いくつかの特長があるように思う。まず感情家だということ。喜怒哀楽の振り幅が大きい。涙もろく,感激屋である。斜に構えた冷静クン(ぼくはこのタイプ)はお呼びじゃない。
 次に,楽天家であること。慎重であることが知的だという思い込みに毒されていない。したがって,基本的には陽性の人だ。著者もそういうタイプの人なのだろう。

● 以下に転載。
 私の父・三浦敬三は,99歳のときにフランスのモンブランでスキー滑走を楽しみ,101歳まで生きた。首の骨を折ったことで命を縮めてしまったが,それがなければ110歳まで生きたのではないかと思う。(p15)
 今は75歳で後期高齢者扱いだが,75歳なら100歳まで25年もある。時間はたっぷりだ。仮に100歳まで生きられるのなら,100年間ギリギリいっぱい楽しく暮らしたい。(中略)そのための行動の源となるのが,“歩く” ことだ。(p15)
 人間は何歳になっても前に進んでいくべきだと私は考える。86歳でのアコンカグア登頂は叶わなかったが,次の目標に向かってまだまだ前進していくつもりである。「人生に,“もう遅い” はない」(中略)何歳だろうと,今からできること,これから始められることは何かある。(p17)
 70歳を過ぎて,世界の高峰に何度も挑んでいる私を,ストイックで自分に厳しい生活をおくっている,立派な人物だと買いかぶっている人がいるのだ。(中略)しかし,それはとんでもない誤解だ。三浦雄一郎は,どちらかというとズボラでナマケモノである。面倒なことは嫌いだし,我慢するのも,節制も苦手だ。(中略)トレーニングにしても,今日は寒いから,雨が降っているからと,サボってしまうことがよくある。(p24)
 血圧,血糖値,尿酸値,コレステロール値などの数値を下げることだけを目標にして,節制して運動するだけでは,なかなか続かないものだ。(中略)食事制限や継続した運動を続けていくには,何かその先の目標を設定するのがいい。そうすることで張り合いが生まれる。(p32)
 歩けること,言い方を変えれば自分の意思で自由に移動できることは,高齢者にとって,充実した老後を過ごすための強力な武器となる。(p50)
 早寝はともかく,早起きは高齢者にとっていいことばかりではない。(中略)65歳でトレーニングを再開してからは,早朝の運動を避けるようになった。(中略)運動は,太陽が昇り,自分の体温が温まり,起床時に一気に上がった血圧が安定した午後からでいいのだ。(p56)
 私が特に重視しているのが,科学的なものを取り入れる姿勢だ。(中略)そのひとつに,サプリメントがある。(p64)
 先生は,男性ホルモン「テストステロン」を注射することを提案した。(中略)私は提案を受け入れた。(p72)
 誰も自分が何歳まで生きられるかがわからない。だから私は,死ぬことよりも,生きることを考えたいと思っている。“就活” の類は一切していない。(p78)
 私は80歳でエベレストに挑む以前,骨盤を骨折して入院したことがあった。その時は,ベッドの上で身動きが取れず,身体をグルリと回転させることができなかったのだ。そんな状況では,「寝返りを打つ」というなんでもないことが,目の前の目標になった。それができたときは,なんとも言えぬ達成感に包まれた。(p81)
 まずはアンクルウェイトを入手したい。これは,ちょっとしたスポーツ店ならどこでも売っている。通販で買うこともできる。片足に1kgずつから始めよう。それからリュックサックだ。(中略)そこに5kgぐらいの重りを入れるのだ。(中略)1日1時間ぐらいが理想だが,まずは10分でも15分でも歩いてみることから初めてみよう。(p85)
 ヘビーウォーキングには,ちょっとしたご褒美がある。スキーをやっている人なら,たっぷり滑って,スキーブーツを脱いだときのなんともいえない足の開放感をご存知だろう。頑張って歩いてアンクルウェイトを外したときは,それに近い,まるで空を飛べるのではないかと勘違いするほと,足が軽くす~っとする。これがなかなか気持ちがいい。(p86)
 ヘビーウォーキングは平地限定のトレーニングだと考えて欲しい。山でやるのは危険だ。(p96)
 そもそも毎日やらなくたっていいと私は思う。オーバーワークになっていつまでも疲れが取れないなら,頻度を落とせばいい。無理をして,くたびれ果てて,「もううんざりだ」と止めてしまうくらいなら,時々サボるぐらいのほうがいい。(p97)
 三日坊主でもいいではないか。やらないよりはマシだ。ゼロと3では大違い。三日坊主も10回やれば,合計で1ヶ月やったことになる。(中略)まずは,始めることだ。(p108)
 アンチエイジングの権威である白澤先生によると,胃袋が満たされていない状態の人間を含む生き物は,種の保存のために生殖能力を維持し,若さを保とうとするのだそうだ。つまり,満足感,満腹感がない方が若さを維持できるということだ。だから,高齢者は腹八分目ではなく,七分目でいいという。その発言は「なるほど」と思えることばかりだ。だが,私はどうしても,先生の言うことを守ることができない。(p111)
 食に関して,私がもっとも重要だと思うのは,空腹になることだ。(p113)
 メタボで余命宣告を受けたのも,人生においてはかなりの失敗だし,雪崩に巻き込まれたこともあれば,心臓手術後のオーバーワークで再手術を受けたこともあった。これまで,生きながらえていることができた最大の理由は,「運が良かった」,これに尽きる。たまたまである。(中略)ただ,命を失うtこがなかった理由を一つ絞り出すとすれば,大きな目標のために事前になんども予行演習を重ね,小さな失敗を繰り返すことで,本番で失敗して命を失わないようにしている--ということだろう。(p124)
 ずっと調子が悪かったのに,なぜここまで復活したのか? 好きなこと,面白いと思えることをやったから。それ以外に考えられなかった。(p148)
 私も死を恐れるのではなく,次は何に生まれ変わるかを楽しみにしている。蟻になるかもしれないし,牛になるかもしれない。蟻には蟻の喜びや幸せがあるだろう。ともかく,そのぐらい常に前向きな気持ちでいたい。(p176)

2022.04.22 三浦雄一郎・三浦豪太 『「年寄り半日仕事」のすすめ』

書名 「年寄り半日仕事」のすすめ
著者 三浦雄一郎
   三浦豪太
発行所 廣済堂出版
発行年月日 2014.01.15
価格(税別) 1,400円

● 副題は「目標を持てば80歳でも夢は叶う!」。
 著者は怪物であって,普通人がロールモデルに選んでしまっていいのかどうか,大いに疑問ではある。若い頃から冒険家で鳴らして,80歳でエベレストに登ってしまうような人なのだから。

● しかし,怪物の話を聞いて,しばし爽快感を味わうのは決して悪いことではないだろう。著者と同じようにはできなくても,自分にも取り入れられるものがあるかもしれないと考える自由はある。

● 以下に転載。
 年を取れば,若いころのように体が動かなくなるのは当然のことです。若い者に負けてたまるかと無理をしたところで,それは所詮,年寄りの冷水でしかありません。年寄りは年寄りなりに,自分のペースで進めばいいのです。たとえ他人の倍の日数を費やしたとしても(中略)積み重なれば大きな成長です。(p16)
 これまで毎日続けてきたトレーニングも,する必要がなくなればやるわけもなく,気がつけば立派なメタボ体型になっていました。(p27)
 人は目標を失うと,衰える一方です。あれだけのトレーニングを積んでつくった肉体が,たった数年で生活習慣病の塊と化してしまうのですから。(p28)
 トレーニングを始めたばかりのころは,標高531mの札幌の藻岩山にも登れないような始末でした。かつては世界7大陸の最高峰を制覇した男が,小学生が遠足で登るような山でダウンするとは情けない・・・・・・。その日,私は誰にも気づかれないように帽子を深々と被って下山したのを覚えています。(p30)
 80歳でエベレストに登れたのだから,90歳でもまだ可能性が残されている。目標の達成は自分への自信につながり,さらなる挑戦への意欲を沸き立たせてくれました。生きがいは,人に想像以上のパワーを与えます。(p31)
 目標は具体的なほど,日々の取り組み方が変わってきます。(p32)
 作戦を立てるときは,まず自分の限界を知り,自分のペースを考えること。自分のペースで取りくむことの何が素晴らしいかといえば,楽しみながら目標達成を目指せることです。(p33)
 どんな状況下でも積極的におもしろがることも目標の達成を大いに後押ししてくれます。(中略)76歳のときにスキーで大腿骨を骨折し,絶望の淵に沈んだときも,最初は咳をするだけで大腿骨に針が1000本刺さったようなすさまじい痛みを覚え,このまま歩けなくなるかもしれないと病院のベッドの上で不安な日々を過ごしていましたが,日を追うごとに少しずつ痛みが治まり,気づいたらこんな天国のような場所はないとうれしくなっている自分がいました。エベレストでは寝ることすら大変なのに,ここでは毎日温かい毛布にくるまれて,エアコンもきいている。しかもナースコールを押せば,お姉さんたちが飛んできて至れり尽くせり,まるで王侯貴族のような手厚い介護をしてくれる,と。(p34)
 私はトレーニングジムには通っていません。どうも強制されるのが嫌いなのです。好きなときに,何かのついでに,気ままにトレーニングできる方がいい。(p37)
 高齢になってくると適度に運動をしていても体力は衰えていきます。(中略)実年齢よりも若く生きるためには,“守りの健康法” だけではちょっと物足りません。(p38)
 高血圧,高血糖の診断が下ってからというもの,私が毎朝食べ続けているのが,丼に納豆と生卵,すりおろした山芋を入れ,その上にたっぷりとバルサミコ酢をかけたスタミナ丼です。(p43)
 一般に登山家という生き物は,「あの山を1日で登った」とか「倍のスピードで登った」などと自慢したがるもので,「速さ」に価値を置くきらいがあります。(p54)
 ここで強調したいのは,「骨の貯金」も「筋肉の貯金」も,鍛えることで増やすことができ,いつから始めても手遅れではないということです。「貯金」と一緒で,早いに越したことはないけれど,遅くから始めても,ある程度のレベルまで貯めることは十分に可能なのです。(p79)
 大怪我をしたとき,僕ら家族は全員「これでエベレストは無理だろう」と思いました。(中略)ところが,父には,あきらめる気配がまったく見えませんでした。病院にダンベルを持ち込み,動かせる上半身だけでも鍛えようと懸命に腕を動かしているのです。できない理由より,できる理由を捜す。そして,できるようにするには,どうしたらいいかを考える。それが父の基本姿勢でしたが,最大の危機に直面しても,その信念が揺らぐことは微塵もありませんでした。(p80)
 骨盤がぱっくり割れたため腹筋はなくなり,大腿骨の付け根をやられたので,足を持ち上げる運動も難しい。(中略)そこで父が取り入れた新たなトレーニング方法,それが自転車でした。(中略)父がテーマとしていたのは,スピードではなく,長い時間乗ることでした。(p80)
 自転車のサドルは先端が鼻のように尖っています。そのためノーズサドルと呼ばれるのですが,これが前立腺を圧迫するのです。(中略)僕は,早速ノーズレスサドルを仕入れて父の自転車に取り付けました。(p82)

2022年4月16日土曜日

2022.04.16 野口悠紀雄 『「超」メモ革命』

書名 「超」メモ革命
著者 野口悠紀雄
発行所 中公新書ラクレ
発行年月日 2021.05.10
価格(税別) 880円

● 副題は「個人用クラウドで,仕事と生活を一変させる」。著者の言う超メモ,超アーカイブとは何なのか。じつはよくわからなかった。
 が,紙にペンで書くのではなく,パソコンやスマートフォンを使ってデジタル化しておくことと,それを端末のハードディスクやSSDに保存するのではなく,クラウドに置いておくこと。この2つを満たしているものを超メモと呼んでいいんだろうか。

● であれば,研究者や文章を書くことを職業にしている人は格別,普通の人ならSNSやnote,ブログにあげておけば自動的に超メモ,超アーカイブになるのではないか。すでにあるプラットフォームを使う方が簡便だと思うが。
 絶対に人目に触れさせてはいけないものは別の形にしておく必要があるが,そういうものはそんなに多くはないだろう。

● 以下に転載。
 頭の中で考えているだけでは,アイディアは成長しません。バラバラでとりとめもなく,体系もないからです。しかし,それを音声入力でテキスト化すれば,目に見える形になります。(p48)
 問題は,最終的なプロダクトに至るまでの,情報の加工過程なのです。この過程において,紙よりデジタルが圧倒的に優れているのは,論じるまでもなく明らかなことです。(p67)
 検索ができないのは,情報の処理手段としては致命的な欠陥です。検索ができるとできないとでは,情報の利用に大きな差が生じます。(p68)
 考えついたアイディアを保存しいつでも取り出せる態勢を作ることは,アイディアを考えつくのと同じように重要なことです。(p70)
 モノでも情報でも,「要らないモノを捨てる」ためのコストは,決してゼロではありません。(中略)そこで,「捨てるという努力をすること」を捨てることにします。データ保存料の成約がなくなったので,「要らないものを捨てる」という考えを捨て,「必要なものを後から見い出す」という考えに転換すべきなのです。すると,大きな可能性が開けます。(p81)
 頻繁に使うものについては,箱を作っておいてそれを固定し,その中身を変えていくようにしたほうがいいのです。(p118)
 押し出しファイリングは使い続けることによって機能する仕組みなのですが,「超」メモも同じです。逆に,使い続けていないと,錆びてしまいます。(中略)維持し続けるとは,使い続けることです。(p119)
 Googleドキュメントにはコメント機能があり,これをうまく利用すると,リンクの代用とすることができます。ファイル内の任意の文字列に対して,コメントを書き込むことができます。(中略)本文に関連して思いついたアイディアなどをそこに書き込んでおけばよいのです。(中略)このシステムは,断片的なメモを見失わないために便利です。(p131)
 自分が持っている資料やデータをクラウドに上げるということは,書斎や研究室そのものを常時持ち歩いているようなものです。これまで思いもよらなかったことができるようになっても,不思議はありません。(p208)
 一つの仕事は,完成するまでそれにかかりきりになるのが望ましい進め方です。途中で中断してしまうと,その仕事の細部に関する記憶が失われてしまうからです。(p225)
 「数日後の自分は別の人間なのだ」と自覚し,「別の人間である将来の自分」に,親切な引継ぎメモを作っておく必要があります。(p225)
 写真をいくら撮っても,ほとんど無料で,事実上いくらでも保存できるようになったのです。これは,写真に対する基本的条件の大転換です。(中略)いまや,メモを取るための最も簡単な方法は,「写真を撮る」ことになりました。新聞記事,紙に書いたメモ,紙で送られてきた通知などは,写真に撮って保存するのが最も簡単です。(p228)
 自分の頭の中にあることのメモであれば,最も簡単な方法は,音声入力です。(p229)
 新聞社が提供している新聞記事のデータベースでは,非常に大量のデータが手に入ります。しかし,あまりにも大量であるために,そこから必要なものを探し出すのが困難です。(中略)結局,自分用のデータベースを作らなければ役に立たないということになります。(p245)
 人類が他の動物とは違って進歩できたのは,すべてのことを覚えているのではなく,その大部分をメモや記録の形で脳の外に記録してきたからです。(p262)
 記録は紙のメモ用紙に書いただけ。どこにいったかわからない,といった状態では,AIといえども利用することはできません。最低限,情報がデジタル化されている必要があります。そして,次の段階として,クラウドに上がっている必要があります。(中略)ここで蓄積された情報は,将来の世界において,大きな価値を持つことになります。いま「超」アーカイブの形で個人情報を蓄積している人は,将来の世界において技術進歩の恩恵を享受することができるのです。(p268)

2022年4月14日木曜日

2022.04.14 堀江貴文 『時間革命』

書名 時間革命
著者 堀江貴文
発行所 朝日新聞出版
発行年月日 2019.09.30
価格(税別) 1,300円

● 副題は「1秒もムダに生きるな」。この本で一貫して説かれているのは,他人の時間を生きるなということだ。何よりも大切なのは時間だ。アルバイトはどんなに時給がよくても,他人の時間を生きることになるので割に合わない。
 ベーシックインカムを導入して,働きたくない人は働かなくてもすむようにするのがいい。働きたくない人を無理やり働かせても,かえって働きたくて働いている人の足を引っぱるだけだ。

● というようなわけで,もし声がかかればまた働いてもいいかなと思っていたんだけども,そんなことにならなくてよかったと思う方に傾いている。この年齢になってさらに他人の時間を生きてしまうところだった。
 幸い,食べていけるだけの年金はもらえているので,小さく生きればもう働く必要はない。誰にも縛られないで好きなことをやっているのがいいか。やりたくないことをやらないですむのは最高か。
 つまり,現状は今までの人生の中で最も望んでいた状態が実現しているということかもしれないな。

● 以下に多すぎる転載。
 いまの時代,お金がなくてもそれほど困ることはない。(中略)しかし,時間はそういうわけにはいかない。一度ムダになった時間,流れ去ってしまった時間は,もう戻ってこないからだ。(中略)時間がなくなるのは,お金がなくなるのとはわけが違うのである。(p3)
 ぼくたちの時間は,ぼくたちの人生そのものだ。時間の質を高めれば,人生の質も高くなる。(p4)
 仕事や会社,上司,家族など,「他人の時間」に振り回されている場合ではない。すべては「自分の時間」と起点にすべきなのだ。(p7)
 刑務所というのは,「他人時間の極致」のような場所だ。「時間を取り上げることが刑罰になる」という発想の背後には,すぐれた人間的洞察があると思う。(p20)
 「他人時間を生きる」というのは,監獄に入っている状態によく似ている。とはいえ不思議でならないのは,世の中の大半の人が,自分からその “監獄” に入ったくせに,そこから出てこようとしないことだ。扉に鍵などかかっていない。(p22)
 つらい状況はそれほど長く続かなかった。服役中にもぼくは,文章を手紙でやり取りしてメルマガ更新も休むことなく続け,少しずつ「自分時間」を増やす行動を起こしていったからだ。自分の興味がおもむくままに,1000冊以上の本を読破し,それまでの人生とは比べものにならないくらい多くの映画も観た。結局,時間を自分のために使えるかどうかは,あなたしだいだ。刑務所にいたぼくが言うのだから間違いない。(p22)
 暇を感じているとき,あなたは時間資産をドブに捨て続けているのに等しい。また,退屈な時間には,頭のなかに「ロクでもない考え」が湧いてくる。それがストレスを生み出したり,人をバカな行動へと駆り立てたりする。(p25)
 たくさんのオモチャが並べられた部屋に子どもを投げ込むと,彼らは次から次へと目まぐるしく遊びを変えながら,どれだけでも遊んでいようとする。しかし彼らは「忙しい」などとは感じない。ぼくもこういう子どもと大して変わらない。(p27)
 「多忙」な人というのは,ものすごく忙しいにもかかわらず,心のどこかでは「退屈」しきっている。膨大な仕事を次から次へと処理しながらも,どこかでそれを冷めきった目で見ていて,本当はそれに飽き飽きしている。(p28)
 余計なことを考える暇がないくらいに,自分の心が踊る予定だけで,時間をしっかりと埋め尽くし,無我夢中で動き回るのだ。(p28)
 なぜ多くの人は,「他人の期待を満たす生き方」をやめられないのか? 以前はこの理由がぼくにはずっとつかめなかった。しかし最近,ようやくわかってきたことがある。端的に言えば,人から嫌われるのが怖いのである。(中略)あなたを罵倒したり,見下したりして気分がよくなるなら,勝手にそうさせておけばいい。他人から嫌われようと,どう思われようと,それはあなたの人生には関係のないことなのだ。(p30)
 すべては「自分時間をどう増やすか」である。「相手が自分をどう思うか」なんてことを思い煩って,自分の人生をおざなりにするなど,本当にもったいない。(中略)なぜなら,人のことを恨んだり妬んだりするのも,やはり「他人のために時間を使っている」という点では変わりないからだ。過ぎたことや他人のことを考えて,負の感情を再燃させる--ぼくに言わせれば,こんな無益なことはないのだ。(p31)
 人生における最大のムダ,それは「悩み」の時間である。(中略)本当は「こうしたい」という自分なりの答えがあるのに,ロクでもない「プライド」や「自意識」が足を引っ張っている状態なのだ。(p37)
 自意識が描き出す「世間」は,心のなかの幻である。あなたが勝手に気に病んで,勝手につくり出しただけの妄想。そんなものは全部取っ払ってしまえばいい。(p39)
 ほとんどの人は,自分の本音すら見えなくなっている(p40)
 物事なんて複雑に考えるほうがラクなのだ。世の中はいくらでも複雑に考えられる。(中略)シンプルに考えるほうが,一定の「勇気」や「エネルギー」が必要になる。(p42)
 企業の経営者を見ていても,シンプルに考える能力がある人とない人がいる。(中略)ビジネスの最前線では,いつもスピードが命である。シンプルに本質をおさえた思考ができない人は,いつも「時間の勝負」で敗北することになる。(p43)
 世の中はトレードオフが原則だ。例外はない。これらの希望をすべて叶えることなどまずできないし,そんな虫のいい話があるとすれば,眉唾だと思ったほうがいい。「シンプルに考えて,自分時間に満たされた人生を生きる」とは,全部を思いどおりにして,「あれも,これも」をバランスよく手に入れるということではない。むしろ,本当に大切にしたいこと “以外” はすべて手放し,自分の根本的な欲求に向き合うことなのだ。(p44)
 すきま時間をうまく使うコツは,あらかじめ「そこでやる作業」を明確に決めてしまうことだ。(p48)
 すきま時間のいいところは「締め切り」があることだ。その後ろにはすぐに「別の予定」が控えているからこそ,「時間内に終わらせねば・・・・・・」というプレッシャーを生むことができる。(p48)
 ぼくが発行するメルマガでも,それぞれのコンテンツは「すきま時間にサクッと読める」ということを何よりも大切にしている。人々には「すきま時間を埋めたい」という思いがある。現代において「爆発的に売れるもの」には,多かれ少なかれ,すきま時間が絡んでいるのである。これは裏を返せば,ありとあらゆるビジネスが,あなたのすきま時間をお金に変えようとして,手ぐすねを引いているということ。(p49)
 現代のビジネスは,とくにモバイルデバイスを通じて「顧客の時間」をいかに獲得するかを競い合っている。よって,ちょっと油断していると,スマホに大量の時間を奪われることになる。そういう側面は間違いなくある。しかし他方で,すきま時間の有効活用を考える場合,やはりスマホを避けて通るわけにはいかない。スマホは,ちょっとした短い時間から,無限の価値を生み出すことにかけては,ほかのどんなツールにも負けない。(p52)
 ぼくはいま,すべての仕事をスマホでこなしている。以前ならいちいちPCを立ち上げてブラウザで見ていたようなニュースも,スマホのアプリがあれば十分だ。メールもほとんど使うことがなく,たいていのコミュニケーションはLINEで済ませている。フリック入力がタイピングの速度を上回ってからは,原稿だってスマホで書くようになった。すべてがスマホで完結するようになると,ムダなすきま時間がなくなる。(p52)
 スマホが使える時代に「空間」に縛られた働き方をしている人は,必ず「時間」をムダにしている。スマホを使えば簡単に手に入るすきま時間をみすみすドブに捨てているのだ。(中略)本当にすきま時間を有効活用したいなら,「いかにパソコンに触らないで済ませるか」「いかにデスクに近づかずに仕事を終わらせるか」「いかにスマホだけで作業を完結させるか」を真剣に考えたほうがいい。(p53)
 「現代人はスマホに依存している」などという批判もあるが,まったくバカげた話である。あなたが残りの一生のうち,すきま時間を有効活用できれば,どれくらい「寿命」が延びるか,考えてみてほしい。(p55)
 人生において何を優先するかについては「1つずつ,どっぷり集中」を心がけたほうがいい。逆にどうでもいいことについては,できるだけマルチタスキングでさっさと片づけるべきだ。一個一個を丁寧にやる意味がない。(p58)
 人に任せることをしないかぎり,実感として時間が増えることはまずない。「全部を自分でやろうとしない」というのは,時間術の核心である。(中略)ぼく以外でもできることは専門知識や適性がある人に任せて,ぼくは自分が得意なことに集中する。そもそも会社に赤の他人同士が寄り集まる意味は,そこにしかない。(p62)
 より多くの時間を手に入れられるのは,いつも「できません。代わりにやってください」と言える人だ。「はい,自分でかんばってみます」しか言えないプライドの高い人間は,どんどん時間貧乏になっていく。世の中はそうなっているのだ。(p65)
 くだらない悩みにとらわれたり,物事の優先順位を絞り込めなかったり,なんでも自分でやろうとしてしまう人には,1つの共通点がある。それは,物事を「全か無か」「ありかなしか」「勝つか負けるか」のように,両極端でしか見られないということだ。(中略)しかし,世の中のたいていのことはグラデーションになっている。(p67)
 世界は「AかBか」のように割りきれるものではない。それなのに「ゼロイチ」の発想に縛られている人は,「一度Aを選んだら,Aを継続しなければならない」と考えている。だからこそ,Aを選ぶことを重大に捉えてしまい,結果として動けなくなる。(中略)「継続は力なり」などという言葉を真に受けてはいけない。「続けられるかどうか」なんて考えずに,まずはじめればいい。ダメならほかに乗り換えるだけだ。(p69)
 短期目標こそが,人生をたのしむための秘訣だ。いつだって短期集中型でいい。(p70)
 既存の仕組みや制度を「あたりまえのもの」と受け止めた瞬間に,あなたの自分時間はものすごいスピードで手元からこぼれ落ちていくようになる。(中略)むしろ,一度学んでしまった常識をどれだけ “忘れる” ことができるかが大事なのだ。(p79)
 常識なんて,その時代や文化しだいでいくらでも変わる。よくよく振り返れば,「変わること」こそが自然の摂理なのだ。それなのに,変化の一部だけを切り取って,「不変の真理」であるかのように扱ってしまう--どうやら人間にはそういう勘違いのクセがあるらしい。(p80)
 行動力などという得体の知れないものが,フットワークの良し悪しを決めているわけではない。その人がどれだけの情報を持っているか,何をどれくらい知っているかによって,人間の行動量は規定されているのだ。だから,「動き続けられる人」になりたければ,情報量を増やしさえすればいい。(中略)「現代は情報過多の時代。情報が多すぎて逆に動けなくなる」などというのも,都市伝説の類だと思ったほうがいい。そういうことを言っている人にかぎって,大した情報を持っていない。(p85)
 ふつうの人と比べると,ぼくが浴びている情報シャワーの量は,桁が1つか2つ分くらいは違うと思う。これを続けていれば,この世には「変わらないもの」など存在せず,すべてが「無常」だと思わざるを得なくなる。(p86)
 NewsPicksのようなキュレーションメディアならば,いつも有益なニュースを取り上げてくれる人をフォローすることで,より効率的に情報を取ることができる。(p89)
 こうやって情報をかき集める習慣を身につけると,自分のなかにも一定のリズムが刻まれてくる。すると,自分のアウトプットにもリズムが生まれてきて,仕事をこなすのがグッとラクになる。(p90)
 1つの仕事をまとめてやろうとするのもNGだ。大きな仕事ほど,できるかぎり細切れにして,すきま時間を使いながら少しずつ進めていくべきである。(p92)
 現代では,食べるために働いている人など,ほとんどいないのだ。では何のために働いているか? 単純に言えば,「暇つぶし」である。本当はみんなわかっているはずだ。現代社会では,ほとんどの人は,もはや「趣味的な仕事」しかしていない。「次の仕事」をつくるために仕事をしているようなものであり,やらなくても誰も困らないようなものが大半を占めている。(p94)
 ぼくはこれからもずっと,「たのしい仕事」しかするつもりがない。なぜなら,すべての仕事は本来,「やらなくてもいいもの」だから。ごくあたりまえの話ではないだろうか。(p101)
 必要なのは,結果の差そのものを無くして,「悪しき平等」をつくることではない。現代の問題の本質はむしろ,「イヤな仕事をして,負けている人」がいることなのだ。誰もが「たのしい仕事」をするようになれば,たとえ結果がいまひとつであっても,そこには確固たる満足感が残るはずだ。(p102)
 だいたいみんな,幸せというものを,何か高尚なものだと思いすぎなのだ。(中略)グーッと我慢を重ねて,あるときポンッといきなり幸せに「なる」のではない。ぼくたちはいつでも幸せで「ある」ことができる。(p104)
 人間は幸福を最大化しようと躍起になるほど,じつは不幸になるようにできているのだ。では,「より多く」幸せになるために,何が必要なのだろうか? それは「食欲・性欲・睡眠欲を満たすこと」--これに尽きる。地球上に生きている人間は,1日サイクルで欲望がリセットされるようにできている。(中略)ぼくたちには,毎日つねに幸福を感じられるように,「食欲・性欲・睡眠欲」という最高のツールが用意されているわけである。幸せというのは本来,こういう手近なものだ。(p105)
 年齢なんて,脳が感じた幻想にすぎない。本人が「自分はもう年寄りだ」と思えば,その人は実際に老いていくだろうし,年齢に無自覚なまま,たのしいことに夢中になっていれば,老いなんてものを感じないですむ。(p109)
 いっさいが無常で,現れては消える「泡」のようなものであるにしても,「何をしてもムダ」とか「すべてを諦めたほうがいい」と思っているわけではない。忘れてはならないのは,ぼくたちは本質的に,そういう1個1個のくだらない「泡」に,幸せを感じられてしまう存在だということだ。所詮は「泡」なのだから,割れないように大事にしすぎても仕方がないし,たとえ消えてしまっても打ちひしがれる必要もない。ただ,次から次へと現れる「泡」をたのしめばいい。(p111)
 「この世には常なるものなど存在しない」と心から信じているからこそ,目の前の「たのしいこと」に集中できる。(p112)
 ぼくは「個人の努力」を信じていない。ぼくの頭のなかにあるのは,一本の大きな「川」だ。そこにプカプカと浮かびながら,流されているのがぼくたち人間である。(中略)だからぼくは,ムダな努力はしない。流されるがままだ。(中略)そうやってリラックスしていると,ときどき川のどこからか「果物」がこちらに流れてくる。手を伸ばしてかじってみると,とてつもなくうまい。(p121)
 この「川下り=人生」をたのしむうえで,大事なことは2つある。まず,自分から「果物」を探し求めたりはしないこと。(中略)そしてもう1つは,少しでもうまそうだと思ったら,選り好みせずに手を伸ばしてみることだ。(p122)
 人間に最も必要な能力をあえて1つあげるとすれば,それは「ハマる力」ではないかと思う。「これに何の意味があるのか」とか,そんなことはどうでもいい。目の前に現れたものに,徹底的にのめり込む--これが重要なのだ。(中略)どうせ人間の好き嫌いの感情なんて,慣れとか習慣の産物にすぎないのだ。だから,ハマりきってしまえば,たいていのものは「好き」になれる。(p128)
 とくにみっともないのは,ストレスを感じているのに,不平を垂れ流しながら,現状に甘んじている人だ。(中略)あなたは川に浮かびながら,誰かが食い荒らした「残飯」を手にして,「こんなマズい食べ物はない! なんだこれは!」と文句を言っている。だったら,そんなものは捨ててしまえばいいのに,それでもその「残飯」を後生大事に持っているのだ。(p132)
 長く感じる時間は,あなたにとってストレスの原因になると思ったほうがいいだろう。体感時間の長いものを人生から排除し,あっという間にすぎてしまうことばかりで,あなたのスケジュールを埋めよう。(p133)
 不快な人間がいたら,その人とは関係を絶ったほうがいい。(中略)わざわざ軌道修正してやる義理はないから,あとはスッパリ “切る” のがいちばんだ。(p134)
 「動こうにも不安で動けません」という人は少なくない。あたりまえだ。ある程度の見通しなんてものは,動くことでしか得られない。(中略)動かないでいる人には,それを得るための機会がやってこない。(p136)
 バーディーのチャンスにパーを狙ってしまうような人は,絶対にバーディーを取れない。バーディーを取るためには,手前で止まるような弱気のパットを打っていてはいけない。思いきりよくいかないとダメだ。当然,そうやって打ったボールが,カップを越えてしまうことはある。しかし,その「失敗」には大きな価値がある。その失敗によって,次にカップに戻るまでのラインが可視化されるからだ。リスクを取らない人間は,この軌道修正のチャンスを手に入れることができない。(p142)
 いちばんダメなのは,中途半端に経験から学んでいるやつだ。「小利口」はいちばん救いようがない。(中略)浅知恵が働く人間ほど,経験から学んでしまう。だから,本当に懸命であろうとするなら,そんな経験を忘れるべきだ。何度でもカップオーバーすればいい。(p143)
 お金というのは単なるツールにすぎない。それなのに,お金そのものに価値があるかのように思い込んでいるから,貴重な時間をお金に換えてしまう。(p146)
 世界的に見ても,日本人はお金に目がない。(中略)その裏では,揃いも揃って1億人が,二束三文で「時間」を売り払っている。だから社会全体に時間がない,忙しい--これが日本の現実だ。(p147)
 お金は価値交換のための単なるツールだ。(中略)お金とは,「信用」というあやふやな存在を,わかりやすく可視化するための道具にすぎない。大切なのは信用だ。会社で1カ月,杓子定規に仕事して得られる信用など,たかが知れているから,それによって得られる月給もたいした金額にはならない。(p148)
 頭のなかに架空の他人をつくりあげて,「ひょっとすると,あの人はこう思っているのではないか・・・・・・」とか「きっとこいつは,陰であんなことをしているに違いない!」などと,くだらない妄想を膨らませてしまう--よくあるパターンだ。この状態が続くと,心はどんどん消耗し,さらに貧しくなっていく。みんな他人のことを気にしすぎだ。この原因は「暇すぎる」ということに尽きると思う。(p152)
 他人のプライベートを詮索して喜ぶなんて,こんなにみっともないことはない。もっとたのしいことが世の中にはたくさんある。心のエネルギーを他人事に振り向けて浪費するのは,本当にバカげている。しかも,他人のことばかりに首を突っ込むクセは,巡り巡って自分の首を絞めることになる。(中略)他人の目が気になって,身動きが取れなくなっていく。(p153)
 「いま処理できることは,いま処理する」--これを基本にすれば,あなたの信用も上がっていく。(p157)
 日本人は他人のつくったルールに乗っかるのは得意だが,合理的に考えて自分なりのルールをつくるのは苦手だ。(中略)自分でルールを考えてみることは,たのしむうえでも重要だ。自分の頭でルールや仕組みを考えたものに対して,人間はのめり込みやすいからだ。(中略)逆に,他人がつくったゲームのうえで動いているかぎり,心底からハマるのはけっこう難しいのではないかと思う。(p157)
 「自分時間」を生きたいのならば,極力,ウソをつかないほうがいい。ウソをつくということは,相手の信じる現実にこちらが迎合する行為だから,ウソをつけばつくほど,その人は「他人時間」を生きなければならなくなる。(p184)
 少なくとも「自分に対するウソ」だけはつかないほうがいい。ストレスを溜め込みながら,本心に逆らって生きることに慣れていはいけない。(p186)
 ストレスの99%は「過去」か「未来」に由来したものである。(中略)「現在」のなかには,大したストレスは存在していないのである。(中略)では,過去や未来について考えないようにするには,どうすればいいのか? これも答えは簡単だ。極限まで予定を詰め込んで,忙しくするのである。あなたの意識が過去・未来のほうに彷徨い出てしまうのは,あなたの現在がスカスカで中身がないからだ。脳が「暇」をしているから,記憶や不安で意識を満たそうとしてしまうのである。暇はやはり悪だ。(p188)
 誰にでも「自分の時間」を生きる権利はあるが,「他人の時間」を奪う権利はない。そのラインを踏み越えてくる人間とは,徹底的に戦うか,完全に無視するかのどちらかしかない。(p193)
 「宇宙旅行なんて無理だ」なんて言う人はいまだにいるが,長いスパンで見れば,ぼくらの頭で発想できることは,たいていが実現すると思っておいたほうがいい。(p198)
 正直なところ,慈善の心とか思いやりといった言葉や価値観は,ぼくには理解できないし,好きにもなれない。(p210)
 意味があるのは,「短期的な目標」だけである。それを立てた1秒後には行動を起こさざるをえなくなるような目標でなければ,そもそも意味がない。(p213)
 いまだに「計画→実行→評価→改善」からなるPDCAの本がベストセラーになったりしているところを見ると,「将来の計画からはじめる」というのが,人々の思考のクセになり,行動を妨げてしまっているように思う。(p215)
 現実の世界,とくにビジネスの世界では,将棋の棋士のように何手も先を読んで行動するのはナンセンスだ。経営計画とか経営戦略なんてものも,コンサル屋たちが稼ぐためにつくった「絵に描いた餅」だと思ったほうがいい。(p216)
 何を学ぶべきかなんて,そのときになってみないとわからない。何かに “備える” ための勉強なんて,苦痛でしかないはずだ。(p217)
 ぼくは「どこに次なるビジネスチャンスがあるか」とか「どんな戦略で市場を支配していくか」というようなことは考えない。未来のことはわからないからだ。現時点で,「やりたい!」「ほしい!」と思えるか。それだけが基準だ。(p225)
 経営戦略の世界では,資本投下の「選択と集中」が語られたりするが,少なくとも個人に関しては,これを当てはめないほうがいい。(中略)おもしろいと思ったものには,全部首を突っ込んでいくべきだ。(p225)
 どうしてもノリのよさを身につけられない人,なかなかバカになって動けない人は,究極的には「自信」が足りていない。自信がないから,将来を心配するというムダをやめられない。そうやって時間をムダにしてしまうのだ。(中略)自信を持つのに「天賦のもの」はいらないのである。(中略)本当の自信とは,「自分の心に寄せる強固な信用」である。(中略)ぼくに自信があるように見えるとすれば,それはぼくが「自分の心だけはコントロールできる」と確信しているからだ。(中略)「過去」や「未来」に心を奪われず,いつでも目の前の「現在」に夢中になっていられるという手応え。それが「本物の自信」をつくる。(p229)
 ぼくはこれまでたくさんの経営者を見てきたが,経営者の多くは,仕事の能力的にはかなり低いというのが実情だ。会社の社長なんて,大したレベルの人間はいない。新入社員みたいな実務能力の人,ほとんどヤンキーみたいな人もゴロゴロしている。それでも彼らはやけに自信を持っていて,実際,ものすごい結果を出していたりする。(p230)

2022年4月11日月曜日

2022.04.10 伊集院 静 『読んで,旅する。 旅だから出逢えた言葉Ⅲ』

書名 読んで,旅する。 旅だから出逢えた言葉Ⅲ
著者 伊集院 静
発行所 小学館
発行年月日 2022.02.02
価格(税別) 1,700円

● 3部構成で第3部はヨーロッパ(主にはスペインとフランス)の美術館を巡ったときのアレやコレを使って文章を紡いでいる。
 美術館巡礼(?)の旅は10数年前に大部の2冊本になって刊行されている。スペイン編は読んだが,フランス編は未読。読んだのも10年も前のことだから,あらためて両方を読んでみようかと思った。

● 以下に転載。
 路地は都市の顔である。情緒のある路地がある都市はたいがい藝術が盛んだし,恋愛の場所を提供してくれている。パリを舞台の恋愛映画が多いのは絵になるからである。(p13)
 銀座もそうですかね。ブラタモリでも銀座の路地は強調されていたんじゃなかったっけ。銀座には何度も出かけているけれども,田舎者が行くと名前の付いた通りだけで手一杯になる。路地は歩いたことがないんだよねぇ。
 バルセロナとアドリードの路地にはどんなにちいさくとも名前が付いている。面白いのでは “幻滅通り” というのもある。こちらは娼婦街の中にある。どこにでもあるのは “親不孝通り” “酔いどれ通り” だ。(p14)
 これはたぶん世界共通。“親不孝通り” は日本にもどれだけあるだろうか。
 スペインが日本人に人気なのは,ひとつは国民気質がきさくな点と,背丈がアジア人と並んでもまぎれる感じで異邦人に見えない。次に彼等は大のマリア信仰を持つ。イエスよりもマリアを慕う。日本で言う,観音信仰に近いかもしれない。しかも親孝行である。(p15)
 ヨーロッパでの原発事故の報道は,日本では公開が自粛された原発の建物の水素爆発のシーンが何度も映され,おそらくメルトダウンをしているとほぼ確信を持って伝えられていた。(p20)
 旅をしていて,美しい都市というものはそれ自体が不思議な力を持っていると感じることがある。パリも京都もまさにその典型ではなかろうか。(p48)
 戦火の下でも,モランディは創作を続けていた。(p55)
 世の中は平和が続くと,必ずファシズムが台頭して来る。それは世の慣いのごとくである。(p55)
 (『サン・ピエトロのピエタ』は)完成直後,マリアが若すぎるとかイエスの身体が筋肉質に作られ違和感があると注文主(教会)から文句が出たという。しかしこの像を見た大衆はこぞって称讃した。それはそうだ。誰だって美しい方が良いに決っている。(p64)
 旅は独りで歩くことである。ましてや原作,脚本を構想するなら,主人公の街を歩く姿が湧いた方がいい。(p96)
 今こうして,去年の夏から秋にかけて散策した折の様子を書いたが,そのすべてが文章になるわけではない。むしろならないももの方が多い。それは調べた取材,資料も同じで,そういうものに依った作品は小説のもっとも大切な情緒,哀しみが希薄になると私は考えている。(p119)
 人の何倍も練習することは,正直,他のプロも実行している。それがプロの世界というものであり,それができない人間は,当初,才能や,幸運で勝つこともあるが,長続きはしない。その点は,私たちの仕事と共通している。(p125)
 基本はアマチュアが世界のゴルフを成立させている。なぜなら世界のゴルフ人口の九九パーセントはアマチュアであるからだ。その上,アマチュアゴルファーにはプロがどう太刀打ちしてもかなわないユーモアと,これが一番肝心なのだが,品格を持った人々がいるのである。(中略)ゴルフは上手いだけが価値ではないとこが,大半のプロにはわかるまい。(p128)
 考えて考え抜いて練習して,練習をやり抜いて,ようやく何かが出るのが,私たちの人生であり,たとえ結果が出ずとも,それをやり続けることにしか,生きる尊厳はないのだと思う。(p129)
 完璧を求める人は,完璧というものにとらわれて,何ひとつ身に付かないケースの方が多いのではなかろうか。それはゴルフのプレーで例えると,ナイスショット以外は,つまらぬショットと考えるのと同じで,面白味がないし,ゴルフの肝心をいつまで経っても理解できないことになるだろう。(p131)
 今年は日記をちゃんとつけて,いい一年にするぞ,と決心して書きはじめる。ところが,或るデータによると,日記は約九割の人が最後まで書かずに終るらしい。これも人間らしくていい。(p131)
 “人の喜び,幸福の表情には皆どこか共通しているものがあるが,悲しみ,不幸せのかたちはどれも違う表情をしている” という言葉がある。(中略)それが事実であるとしたら,悲しみの只中にいる人に,そう簡単に慰めの言葉や,軽口を叩いてはいけないことになる。基本は見守ることであろうが,それでも私は “悲しみにはいつか終りが訪れる” と敢えて言うようにしている。(p134)
 五十歳を越える前までは学生時代に懸命にプレーした野球のハードなトレーニングで培った体力があった。ところが少しずつ体力の貯金は目減りする。そこで何か運動をというので以前からやっていたゴルフを二週間に一度ラウンドすることにした。(p137)
 ゆっくり成長する木は大木になるそうだよ。(p153)
 ひとつのスポーツが大衆をとりこにさせる時は新しいスターの出現が不可欠だ。それまで大衆が見たこともない魅力あるヒーローがあらわれた時,人々はヒーローの存在とともに,そのスポーツの素晴らしさを知る。(p155)
 大衆が何よりも惹かれたのは長嶋さんの,あの明るい性格と屈託のない笑顔であろう。チャーミングであったのだ。いったい何人のファンが,あのプレー振りを見て仕事の,日々の疲れを癒されたことだろうか。(p156)
 何十人かの選手を育てましたが,松井選手はトレーニングすることを惜しまなかったという点では,一,二番目でしょう。夜中のどんな時刻に連絡しても彼はバットスイングをしていました。あの姿勢があったから育ったんです。(p157)
 長嶋さんは今も懸命にリハビリをなさっている。(中略)今,日本全国でリハビリに励んでいるたくさんの人と家族が長嶋さんからどれだけ勇気をあたえられているだろうか(p158)
 美術館の鑑賞のしかたを知ったのもプラド美術館である。それはエウヘーニオ・ドールスの美術館の鑑賞案内の本で『プラド美術館の三時間』。(中略)三時間以上,美術鑑賞をするものではないと書いてあった。(p172)
 その人生は決して恵まれたものではなかった。(中略)絵が売れるどころか暮らしにさえ困ることが多かった。借金をしながらモネはそれでも懸命に絵を描き続けた。モネの生涯を見ていて感銘を受けるのはいかなる時にでも彼は絵画から離れようとしなかったことだ。絵画をあきらめたり,見放すことが一度たりともなかった。これが並の画家と違っていた。(p176)
 近代絵画はいつもそうだが,画料,画材の進歩がひとつの才能と出逢い,新しい世界を生み出す。(p210)
 「この器を見て下さい。この島の陶工が作ったものです。千年以上こうして私たちの生活に役立っています。しかも素朴で美しい。作った人の名前はわかりません。私は本来創作とはこうした無名性の中にあるのではないかと思います。彼等こそが真の創作者なのです」
 私はミロの言葉に感激した。(p222)
 こころをときめかす出逢いがあったなら,あなたの旅はかなり上質なものだと言えるだろう。そしてそういった出逢いには少なからず運命のようなものがかかわっているケースが多い。私の短い半生は大半が旅の日々だった。その中で,あの時間は誰かの力で,そこに導かれたのかもしれないと思えるものがある。(p225)
 これがミロのかつてのアトリエと知らなかったら,誰の目にも子供の落書きにしか映らない。しかし,このちいさな作品から,ミロは彼でしかなし得なかった宇宙を創造した。(p228)
 『糸巻きの聖母』と題された作品で,私はこの作品を十年以上前に,スコットランドのエジンバラにあるナショナルギャラリーで見たことがあったが,その折は作品を鑑賞しても強い印象を受けなかった。その理由はたぶん,レオナルド・ダ・ヴィンチというルネッサンスを代表する画家についてよくわかっていなかったこともあったのだろう。(p238)
 世界中で一番カレンダーを大く制作しているのも日本と日本人である。それを知ると,日本人は希望や,明日への願いを他の国の人より抱いているのかもしれない。(p250)
 七十一歳のマティスは十二指腸癌の手術をしたが,手術の後遺症が残り,車椅子での生活を余儀なくされた。絵筆を握ることが不自由になった。それでも画家の制作意欲はおとろえることはなく,マティスは着色した紙をハサミで切り抜き,これを貼り合わせて “マティスの切り絵による世界” に挑んだ。(p251)