書名 時間革命
著者 堀江貴文
発行所 朝日新聞出版
発行年月日 2019.09.30
価格(税別) 1,300円
● 副題は「1秒もムダに生きるな」。この本で一貫して説かれているのは,他人の時間を生きるなということだ。何よりも大切なのは時間だ。アルバイトはどんなに時給がよくても,他人の時間を生きることになるので割に合わない。 ベーシックインカムを導入して,働きたくない人は働かなくてもすむようにするのがいい。働きたくない人を無理やり働かせても,かえって働きたくて働いている人の足を引っぱるだけだ。
● というようなわけで,もし声がかかればまた働いてもいいかなと思っていたんだけども,そんなことにならなくてよかったと思う方に傾いている。この年齢になってさらに他人の時間を生きてしまうところだった。
幸い,食べていけるだけの年金はもらえているので,小さく生きればもう働く必要はない。誰にも縛られないで好きなことをやっているのがいいか。やりたくないことをやらないですむのは最高か。
つまり,現状は今までの人生の中で最も望んでいた状態が実現しているということかもしれないな。
● 以下に多すぎる転載。
いまの時代,お金がなくてもそれほど困ることはない。(中略)しかし,時間はそういうわけにはいかない。一度ムダになった時間,流れ去ってしまった時間は,もう戻ってこないからだ。(中略)時間がなくなるのは,お金がなくなるのとはわけが違うのである。(p3)
ぼくたちの時間は,ぼくたちの人生そのものだ。時間の質を高めれば,人生の質も高くなる。(p4)
仕事や会社,上司,家族など,「他人の時間」に振り回されている場合ではない。すべては「自分の時間」と起点にすべきなのだ。(p7)
刑務所というのは,「他人時間の極致」のような場所だ。「時間を取り上げることが刑罰になる」という発想の背後には,すぐれた人間的洞察があると思う。(p20)
「他人時間を生きる」というのは,監獄に入っている状態によく似ている。とはいえ不思議でならないのは,世の中の大半の人が,自分からその “監獄” に入ったくせに,そこから出てこようとしないことだ。扉に鍵などかかっていない。(p22)
つらい状況はそれほど長く続かなかった。服役中にもぼくは,文章を手紙でやり取りしてメルマガ更新も休むことなく続け,少しずつ「自分時間」を増やす行動を起こしていったからだ。自分の興味がおもむくままに,1000冊以上の本を読破し,それまでの人生とは比べものにならないくらい多くの映画も観た。結局,時間を自分のために使えるかどうかは,あなたしだいだ。刑務所にいたぼくが言うのだから間違いない。(p22)
暇を感じているとき,あなたは時間資産をドブに捨て続けているのに等しい。また,退屈な時間には,頭のなかに「ロクでもない考え」が湧いてくる。それがストレスを生み出したり,人をバカな行動へと駆り立てたりする。(p25)
たくさんのオモチャが並べられた部屋に子どもを投げ込むと,彼らは次から次へと目まぐるしく遊びを変えながら,どれだけでも遊んでいようとする。しかし彼らは「忙しい」などとは感じない。ぼくもこういう子どもと大して変わらない。(p27)
「多忙」な人というのは,ものすごく忙しいにもかかわらず,心のどこかでは「退屈」しきっている。膨大な仕事を次から次へと処理しながらも,どこかでそれを冷めきった目で見ていて,本当はそれに飽き飽きしている。(p28)
余計なことを考える暇がないくらいに,自分の心が踊る予定だけで,時間をしっかりと埋め尽くし,無我夢中で動き回るのだ。(p28)
なぜ多くの人は,「他人の期待を満たす生き方」をやめられないのか? 以前はこの理由がぼくにはずっとつかめなかった。しかし最近,ようやくわかってきたことがある。端的に言えば,人から嫌われるのが怖いのである。(中略)あなたを罵倒したり,見下したりして気分がよくなるなら,勝手にそうさせておけばいい。他人から嫌われようと,どう思われようと,それはあなたの人生には関係のないことなのだ。(p30)
すべては「自分時間をどう増やすか」である。「相手が自分をどう思うか」なんてことを思い煩って,自分の人生をおざなりにするなど,本当にもったいない。(中略)なぜなら,人のことを恨んだり妬んだりするのも,やはり「他人のために時間を使っている」という点では変わりないからだ。過ぎたことや他人のことを考えて,負の感情を再燃させる--ぼくに言わせれば,こんな無益なことはないのだ。(p31)
人生における最大のムダ,それは「悩み」の時間である。(中略)本当は「こうしたい」という自分なりの答えがあるのに,ロクでもない「プライド」や「自意識」が足を引っ張っている状態なのだ。(p37)
自意識が描き出す「世間」は,心のなかの幻である。あなたが勝手に気に病んで,勝手につくり出しただけの妄想。そんなものは全部取っ払ってしまえばいい。(p39)
ほとんどの人は,自分の本音すら見えなくなっている(p40)
物事なんて複雑に考えるほうがラクなのだ。世の中はいくらでも複雑に考えられる。(中略)シンプルに考えるほうが,一定の「勇気」や「エネルギー」が必要になる。(p42)
企業の経営者を見ていても,シンプルに考える能力がある人とない人がいる。(中略)ビジネスの最前線では,いつもスピードが命である。シンプルに本質をおさえた思考ができない人は,いつも「時間の勝負」で敗北することになる。(p43)
世の中はトレードオフが原則だ。例外はない。これらの希望をすべて叶えることなどまずできないし,そんな虫のいい話があるとすれば,眉唾だと思ったほうがいい。「シンプルに考えて,自分時間に満たされた人生を生きる」とは,全部を思いどおりにして,「あれも,これも」をバランスよく手に入れるということではない。むしろ,本当に大切にしたいこと “以外” はすべて手放し,自分の根本的な欲求に向き合うことなのだ。(p44)
すきま時間をうまく使うコツは,あらかじめ「そこでやる作業」を明確に決めてしまうことだ。(p48)
すきま時間のいいところは「締め切り」があることだ。その後ろにはすぐに「別の予定」が控えているからこそ,「時間内に終わらせねば・・・・・・」というプレッシャーを生むことができる。(p48)
ぼくが発行するメルマガでも,それぞれのコンテンツは「すきま時間にサクッと読める」ということを何よりも大切にしている。人々には「すきま時間を埋めたい」という思いがある。現代において「爆発的に売れるもの」には,多かれ少なかれ,すきま時間が絡んでいるのである。これは裏を返せば,ありとあらゆるビジネスが,あなたのすきま時間をお金に変えようとして,手ぐすねを引いているということ。(p49)
現代のビジネスは,とくにモバイルデバイスを通じて「顧客の時間」をいかに獲得するかを競い合っている。よって,ちょっと油断していると,スマホに大量の時間を奪われることになる。そういう側面は間違いなくある。しかし他方で,すきま時間の有効活用を考える場合,やはりスマホを避けて通るわけにはいかない。スマホは,ちょっとした短い時間から,無限の価値を生み出すことにかけては,ほかのどんなツールにも負けない。(p52)
ぼくはいま,すべての仕事をスマホでこなしている。以前ならいちいちPCを立ち上げてブラウザで見ていたようなニュースも,スマホのアプリがあれば十分だ。メールもほとんど使うことがなく,たいていのコミュニケーションはLINEで済ませている。フリック入力がタイピングの速度を上回ってからは,原稿だってスマホで書くようになった。すべてがスマホで完結するようになると,ムダなすきま時間がなくなる。(p52)
スマホが使える時代に「空間」に縛られた働き方をしている人は,必ず「時間」をムダにしている。スマホを使えば簡単に手に入るすきま時間をみすみすドブに捨てているのだ。(中略)本当にすきま時間を有効活用したいなら,「いかにパソコンに触らないで済ませるか」「いかにデスクに近づかずに仕事を終わらせるか」「いかにスマホだけで作業を完結させるか」を真剣に考えたほうがいい。(p53)
「現代人はスマホに依存している」などという批判もあるが,まったくバカげた話である。あなたが残りの一生のうち,すきま時間を有効活用できれば,どれくらい「寿命」が延びるか,考えてみてほしい。(p55)
人生において何を優先するかについては「1つずつ,どっぷり集中」を心がけたほうがいい。逆にどうでもいいことについては,できるだけマルチタスキングでさっさと片づけるべきだ。一個一個を丁寧にやる意味がない。(p58)
人に任せることをしないかぎり,実感として時間が増えることはまずない。「全部を自分でやろうとしない」というのは,時間術の核心である。(中略)ぼく以外でもできることは専門知識や適性がある人に任せて,ぼくは自分が得意なことに集中する。そもそも会社に赤の他人同士が寄り集まる意味は,そこにしかない。(p62)
より多くの時間を手に入れられるのは,いつも「できません。代わりにやってください」と言える人だ。「はい,自分でかんばってみます」しか言えないプライドの高い人間は,どんどん時間貧乏になっていく。世の中はそうなっているのだ。(p65)
くだらない悩みにとらわれたり,物事の優先順位を絞り込めなかったり,なんでも自分でやろうとしてしまう人には,1つの共通点がある。それは,物事を「全か無か」「ありかなしか」「勝つか負けるか」のように,両極端でしか見られないということだ。(中略)しかし,世の中のたいていのことはグラデーションになっている。(p67)
世界は「AかBか」のように割りきれるものではない。それなのに「ゼロイチ」の発想に縛られている人は,「一度Aを選んだら,Aを継続しなければならない」と考えている。だからこそ,Aを選ぶことを重大に捉えてしまい,結果として動けなくなる。(中略)「継続は力なり」などという言葉を真に受けてはいけない。「続けられるかどうか」なんて考えずに,まずはじめればいい。ダメならほかに乗り換えるだけだ。(p69)
短期目標こそが,人生をたのしむための秘訣だ。いつだって短期集中型でいい。(p70)
既存の仕組みや制度を「あたりまえのもの」と受け止めた瞬間に,あなたの自分時間はものすごいスピードで手元からこぼれ落ちていくようになる。(中略)むしろ,一度学んでしまった常識をどれだけ “忘れる” ことができるかが大事なのだ。(p79)
常識なんて,その時代や文化しだいでいくらでも変わる。よくよく振り返れば,「変わること」こそが自然の摂理なのだ。それなのに,変化の一部だけを切り取って,「不変の真理」であるかのように扱ってしまう--どうやら人間にはそういう勘違いのクセがあるらしい。(p80)
行動力などという得体の知れないものが,フットワークの良し悪しを決めているわけではない。その人がどれだけの情報を持っているか,何をどれくらい知っているかによって,人間の行動量は規定されているのだ。だから,「動き続けられる人」になりたければ,情報量を増やしさえすればいい。(中略)「現代は情報過多の時代。情報が多すぎて逆に動けなくなる」などというのも,都市伝説の類だと思ったほうがいい。そういうことを言っている人にかぎって,大した情報を持っていない。(p85)
ふつうの人と比べると,ぼくが浴びている情報シャワーの量は,桁が1つか2つ分くらいは違うと思う。これを続けていれば,この世には「変わらないもの」など存在せず,すべてが「無常」だと思わざるを得なくなる。(p86)
NewsPicksのようなキュレーションメディアならば,いつも有益なニュースを取り上げてくれる人をフォローすることで,より効率的に情報を取ることができる。(p89)
こうやって情報をかき集める習慣を身につけると,自分のなかにも一定のリズムが刻まれてくる。すると,自分のアウトプットにもリズムが生まれてきて,仕事をこなすのがグッとラクになる。(p90)
1つの仕事をまとめてやろうとするのもNGだ。大きな仕事ほど,できるかぎり細切れにして,すきま時間を使いながら少しずつ進めていくべきである。(p92)
現代では,食べるために働いている人など,ほとんどいないのだ。では何のために働いているか? 単純に言えば,「暇つぶし」である。本当はみんなわかっているはずだ。現代社会では,ほとんどの人は,もはや「趣味的な仕事」しかしていない。「次の仕事」をつくるために仕事をしているようなものであり,やらなくても誰も困らないようなものが大半を占めている。(p94)
ぼくはこれからもずっと,「たのしい仕事」しかするつもりがない。なぜなら,すべての仕事は本来,「やらなくてもいいもの」だから。ごくあたりまえの話ではないだろうか。(p101)
必要なのは,結果の差そのものを無くして,「悪しき平等」をつくることではない。現代の問題の本質はむしろ,「イヤな仕事をして,負けている人」がいることなのだ。誰もが「たのしい仕事」をするようになれば,たとえ結果がいまひとつであっても,そこには確固たる満足感が残るはずだ。(p102)
だいたいみんな,幸せというものを,何か高尚なものだと思いすぎなのだ。(中略)グーッと我慢を重ねて,あるときポンッといきなり幸せに「なる」のではない。ぼくたちはいつでも幸せで「ある」ことができる。(p104)
人間は幸福を最大化しようと躍起になるほど,じつは不幸になるようにできているのだ。では,「より多く」幸せになるために,何が必要なのだろうか? それは「食欲・性欲・睡眠欲を満たすこと」--これに尽きる。地球上に生きている人間は,1日サイクルで欲望がリセットされるようにできている。(中略)ぼくたちには,毎日つねに幸福を感じられるように,「食欲・性欲・睡眠欲」という最高のツールが用意されているわけである。幸せというのは本来,こういう手近なものだ。(p105)
年齢なんて,脳が感じた幻想にすぎない。本人が「自分はもう年寄りだ」と思えば,その人は実際に老いていくだろうし,年齢に無自覚なまま,たのしいことに夢中になっていれば,老いなんてものを感じないですむ。(p109)
いっさいが無常で,現れては消える「泡」のようなものであるにしても,「何をしてもムダ」とか「すべてを諦めたほうがいい」と思っているわけではない。忘れてはならないのは,ぼくたちは本質的に,そういう1個1個のくだらない「泡」に,幸せを感じられてしまう存在だということだ。所詮は「泡」なのだから,割れないように大事にしすぎても仕方がないし,たとえ消えてしまっても打ちひしがれる必要もない。ただ,次から次へと現れる「泡」をたのしめばいい。(p111)
「この世には常なるものなど存在しない」と心から信じているからこそ,目の前の「たのしいこと」に集中できる。(p112)
ぼくは「個人の努力」を信じていない。ぼくの頭のなかにあるのは,一本の大きな「川」だ。そこにプカプカと浮かびながら,流されているのがぼくたち人間である。(中略)だからぼくは,ムダな努力はしない。流されるがままだ。(中略)そうやってリラックスしていると,ときどき川のどこからか「果物」がこちらに流れてくる。手を伸ばしてかじってみると,とてつもなくうまい。(p121)
この「川下り=人生」をたのしむうえで,大事なことは2つある。まず,自分から「果物」を探し求めたりはしないこと。(中略)そしてもう1つは,少しでもうまそうだと思ったら,選り好みせずに手を伸ばしてみることだ。(p122)
人間に最も必要な能力をあえて1つあげるとすれば,それは「ハマる力」ではないかと思う。「これに何の意味があるのか」とか,そんなことはどうでもいい。目の前に現れたものに,徹底的にのめり込む--これが重要なのだ。(中略)どうせ人間の好き嫌いの感情なんて,慣れとか習慣の産物にすぎないのだ。だから,ハマりきってしまえば,たいていのものは「好き」になれる。(p128)
とくにみっともないのは,ストレスを感じているのに,不平を垂れ流しながら,現状に甘んじている人だ。(中略)あなたは川に浮かびながら,誰かが食い荒らした「残飯」を手にして,「こんなマズい食べ物はない! なんだこれは!」と文句を言っている。だったら,そんなものは捨ててしまえばいいのに,それでもその「残飯」を後生大事に持っているのだ。(p132)
長く感じる時間は,あなたにとってストレスの原因になると思ったほうがいいだろう。体感時間の長いものを人生から排除し,あっという間にすぎてしまうことばかりで,あなたのスケジュールを埋めよう。(p133)
不快な人間がいたら,その人とは関係を絶ったほうがいい。(中略)わざわざ軌道修正してやる義理はないから,あとはスッパリ “切る” のがいちばんだ。(p134)
「動こうにも不安で動けません」という人は少なくない。あたりまえだ。ある程度の見通しなんてものは,動くことでしか得られない。(中略)動かないでいる人には,それを得るための機会がやってこない。(p136)
バーディーのチャンスにパーを狙ってしまうような人は,絶対にバーディーを取れない。バーディーを取るためには,手前で止まるような弱気のパットを打っていてはいけない。思いきりよくいかないとダメだ。当然,そうやって打ったボールが,カップを越えてしまうことはある。しかし,その「失敗」には大きな価値がある。その失敗によって,次にカップに戻るまでのラインが可視化されるからだ。リスクを取らない人間は,この軌道修正のチャンスを手に入れることができない。(p142)
いちばんダメなのは,中途半端に経験から学んでいるやつだ。「小利口」はいちばん救いようがない。(中略)浅知恵が働く人間ほど,経験から学んでしまう。だから,本当に懸命であろうとするなら,そんな経験を忘れるべきだ。何度でもカップオーバーすればいい。(p143)
お金というのは単なるツールにすぎない。それなのに,お金そのものに価値があるかのように思い込んでいるから,貴重な時間をお金に換えてしまう。(p146)
世界的に見ても,日本人はお金に目がない。(中略)その裏では,揃いも揃って1億人が,二束三文で「時間」を売り払っている。だから社会全体に時間がない,忙しい--これが日本の現実だ。(p147)
お金は価値交換のための単なるツールだ。(中略)お金とは,「信用」というあやふやな存在を,わかりやすく可視化するための道具にすぎない。大切なのは信用だ。会社で1カ月,杓子定規に仕事して得られる信用など,たかが知れているから,それによって得られる月給もたいした金額にはならない。(p148)
頭のなかに架空の他人をつくりあげて,「ひょっとすると,あの人はこう思っているのではないか・・・・・・」とか「きっとこいつは,陰であんなことをしているに違いない!」などと,くだらない妄想を膨らませてしまう--よくあるパターンだ。この状態が続くと,心はどんどん消耗し,さらに貧しくなっていく。みんな他人のことを気にしすぎだ。この原因は「暇すぎる」ということに尽きると思う。(p152)
他人のプライベートを詮索して喜ぶなんて,こんなにみっともないことはない。もっとたのしいことが世の中にはたくさんある。心のエネルギーを他人事に振り向けて浪費するのは,本当にバカげている。しかも,他人のことばかりに首を突っ込むクセは,巡り巡って自分の首を絞めることになる。(中略)他人の目が気になって,身動きが取れなくなっていく。(p153)
「いま処理できることは,いま処理する」--これを基本にすれば,あなたの信用も上がっていく。(p157)
日本人は他人のつくったルールに乗っかるのは得意だが,合理的に考えて自分なりのルールをつくるのは苦手だ。(中略)自分でルールを考えてみることは,たのしむうえでも重要だ。自分の頭でルールや仕組みを考えたものに対して,人間はのめり込みやすいからだ。(中略)逆に,他人がつくったゲームのうえで動いているかぎり,心底からハマるのはけっこう難しいのではないかと思う。(p157)
「自分時間」を生きたいのならば,極力,ウソをつかないほうがいい。ウソをつくということは,相手の信じる現実にこちらが迎合する行為だから,ウソをつけばつくほど,その人は「他人時間」を生きなければならなくなる。(p184)
少なくとも「自分に対するウソ」だけはつかないほうがいい。ストレスを溜め込みながら,本心に逆らって生きることに慣れていはいけない。(p186)
ストレスの99%は「過去」か「未来」に由来したものである。(中略)「現在」のなかには,大したストレスは存在していないのである。(中略)では,過去や未来について考えないようにするには,どうすればいいのか? これも答えは簡単だ。極限まで予定を詰め込んで,忙しくするのである。あなたの意識が過去・未来のほうに彷徨い出てしまうのは,あなたの現在がスカスカで中身がないからだ。脳が「暇」をしているから,記憶や不安で意識を満たそうとしてしまうのである。暇はやはり悪だ。(p188)
誰にでも「自分の時間」を生きる権利はあるが,「他人の時間」を奪う権利はない。そのラインを踏み越えてくる人間とは,徹底的に戦うか,完全に無視するかのどちらかしかない。(p193)
「宇宙旅行なんて無理だ」なんて言う人はいまだにいるが,長いスパンで見れば,ぼくらの頭で発想できることは,たいていが実現すると思っておいたほうがいい。(p198)
正直なところ,慈善の心とか思いやりといった言葉や価値観は,ぼくには理解できないし,好きにもなれない。(p210)
意味があるのは,「短期的な目標」だけである。それを立てた1秒後には行動を起こさざるをえなくなるような目標でなければ,そもそも意味がない。(p213)
いまだに「計画→実行→評価→改善」からなるPDCAの本がベストセラーになったりしているところを見ると,「将来の計画からはじめる」というのが,人々の思考のクセになり,行動を妨げてしまっているように思う。(p215)
現実の世界,とくにビジネスの世界では,将棋の棋士のように何手も先を読んで行動するのはナンセンスだ。経営計画とか経営戦略なんてものも,コンサル屋たちが稼ぐためにつくった「絵に描いた餅」だと思ったほうがいい。(p216)
何を学ぶべきかなんて,そのときになってみないとわからない。何かに “備える” ための勉強なんて,苦痛でしかないはずだ。(p217)
ぼくは「どこに次なるビジネスチャンスがあるか」とか「どんな戦略で市場を支配していくか」というようなことは考えない。未来のことはわからないからだ。現時点で,「やりたい!」「ほしい!」と思えるか。それだけが基準だ。(p225)
経営戦略の世界では,資本投下の「選択と集中」が語られたりするが,少なくとも個人に関しては,これを当てはめないほうがいい。(中略)おもしろいと思ったものには,全部首を突っ込んでいくべきだ。(p225)
どうしてもノリのよさを身につけられない人,なかなかバカになって動けない人は,究極的には「自信」が足りていない。自信がないから,将来を心配するというムダをやめられない。そうやって時間をムダにしてしまうのだ。(中略)自信を持つのに「天賦のもの」はいらないのである。(中略)本当の自信とは,「自分の心に寄せる強固な信用」である。(中略)ぼくに自信があるように見えるとすれば,それはぼくが「自分の心だけはコントロールできる」と確信しているからだ。(中略)「過去」や「未来」に心を奪われず,いつでも目の前の「現在」に夢中になっていられるという手応え。それが「本物の自信」をつくる。(p229)
ぼくはこれまでたくさんの経営者を見てきたが,経営者の多くは,仕事の能力的にはかなり低いというのが実情だ。会社の社長なんて,大したレベルの人間はいない。新入社員みたいな実務能力の人,ほとんどヤンキーみたいな人もゴロゴロしている。それでも彼らはやけに自信を持っていて,実際,ものすごい結果を出していたりする。(p230)