2023年3月26日日曜日

2023.03.26 糸井重里・小堀鷗一郎 『いつか来る死』

書名 いつか来る死
著者 糸井重里
   小堀鷗一郎
発行所 マガジンハウス
発行年月日 2020.11.12
価格(税別) 1,400円

● 小堀鷗一郎さんは父が画家で,母方の祖父が森鷗外という人。東大医学部を出て外科医になり,外科医としてもかなり鳴らしたらしい。
 どういう転機があってかわからないが,訪問医療に転じて在宅看取りに関わるようになり,その分野での発言が糸井重里さんの目に留まり,「ほぼ日」で対談するに至った。それを書籍化したのが本書。

● 以下に転載。
 人生って,みつ豆のさくらんぼを最後のお楽しみに取っておいたら誰かに食べられちゃった,みたいなことだらけです。後で,後で,と考えていると,せっかくいただいた命を,存分に使えないままにしてしまう。「やりたいこと」って,意外とできていないものですよ。(p3)
 死を意識すれば,やりたいことが見えています。そして,ただやりたい放題やるんじゃなくて,ぼくが思いっきり動くことが,みんなも喜ぶことになるよう,一致させる意欲が湧いてくる。(中略)「上からの命令」や「社会の仕組み」といった,やりたいことを邪魔する要因から解き放たれるためには,「死」というカードを持っておくと強い。(p3)
 子どもたちは最初の頃はお見舞いに来ていたのですが,だんだん来なくなって。その女性は10ヶ月あまり,寝たきりのまま,暗い集中治療室の中で生き続けました。(中略)入院によって,命は永らえたけれど,実際は,病院における孤独死といっていい状態だった。それが,果たして,本人と家族の希望だったのか。(中略)患者本人や家族の意向は,思い込みや誤解を含んでいることもあります。だからこそ,彼らの意向に全面的に従うことが,必ずしも患者本人の最期の希望を代弁することにならないんです。(小堀 p20)
 「もうダメです」と言われてどうするか。(中略)大部分の人は,それでも病院で何とか生かしてほしいと願うものです。それに,骨と皮のような状態になって病院から出された人でも,多くの場合は「訪問診療にするのはもう少し待ってください」「病院い通いたい」と言う。死を受け入れたくないんでしょうね。(小堀 p34)
 自己犠牲の精神で仕事ができるのは立派だと思いますが,それは極めて稀な存在ですよ。そういう人たちをスタンダードとして,みんなに強いるのはとんでもない話です。そういう意味で,ぼくは「寄り添う」という言葉が嫌いです。(小堀 p40)
 医師にとって,死は敗北なんです。救命,根治,延命,その三つが医師の使命。そうなると,「死なせない」ことにはものすごく興味がありますが,死をどう迎えるか,どう受け入れるかといったことはなるべく避けようとしますね。(小堀 p46)
 最後は医師が心臓マッサージをして,さらに心臓に直接アドレナリンを注射することもありました。そうするとちょっと脈拍が出るんですよ。(中略)一般の人が考える「最期まで手を尽くしてくださった」というのは,そういう行動なんですおね。してほしい,と思っていることはご家族は多い。その現実を忘れてはいけないと思っています。(小堀 p48)
 ちゃんと生きてない人は,ちゃんと死ねないんですよ。死ぬときになって急に自分が生きてきた軌跡を立派にはできないから。(小堀 p51)
 この仕事をしていると,人それぞれにカルミネーション(最高点,頂点,極致)というものがあるのだなと実感します。(中略)すごく貧乏だったんだけど,「風呂場から海の見えるような家に住みたい」という夢を持って,夫婦二人で実現した患者さんもいた。もう負たりとも90歳超えてから,別荘を作ったんです。そのときに奥さんが「努力すればなんでもできるんです」と言っていました。よくある言葉といえばそうだけど,実際に夢を実現した人が言うと重みが違う。(小堀 p52)
 赤ちゃんや子犬って,「生きていくつもり」の塊なんですよね。その感じが,死ぬ間際の犬にもまだあって,何をしていいかわからなかった。そばにいることしかできませんでした。(p57)
 ぼくはその人が望む最期を実現できるように手助けしたいけれど,本人に死ぬつもりがないとどうしようもない。(中略)本人が死期を悟ってくれるのを待つことになります。(小堀 p57)
 年をとると,要請されること,望まれることが減っていくんですよ。そんななかで,恋愛関係になると「あなたを待っています」というメッセージが毎日来るものだから,そっちに転んでしまうんでしょうね。それがお金目当てだったとしても。誰からも要請されていないと思ったときから,心の死が始まるんです。(p63)
 二十歳で大失敗しても,何日か経てば忘れられる。生命そのものがあるから。でも生命力が落ちて,人から望まれなくなっていくと,大きなダメージを受けてそのまま引きこもってしまう。(p64)
 64歳と65歳の境目は明確にある。65歳からは死ぬ旅をしているんだ,という自覚が芽生えます。きれいに言えば「諦観」ですね。山登りをしているのではなく,下っているのだとわかる。で,下っているなら,その途中のどこでいなくなっても同じだな,と思うんです。そうなると,やっぱり死がこわくなくなる。(p65)
 仕事にしても,人間関係にしても,やりすぎると「おもしろくない」ところまでいってしまうんです。生きることも,「それ以上は面白い?」という質問に対して「そうでもないな」と答えるポイントがあると思います。「このへんでいいんじゃないかな」というところ。(p66)
 吉本(隆明)さんは,あるとき「死は自分のものじゃないんですよ」と言ってくれました。死は自分に属さない。命を所有物のようにして,死は決められないんです。(p67)
 逆らわずに自然に老いていくのが良い,とはあんまり思えないですね。自然,なんてないですよ。意識と肉体,両方自分でつくっていくものですから。でも,自分ではどのへんで一生懸命になるのをやめるか,についてはよく考えます。(p68)
 現在に夢中なのはいいことなんです。ぼくが犬や赤ん坊が大好きなのは,とにかく現在を生きているから。そっと歩かないと転ぶ,なんてまったく思っていないじゃないですか。それはもう,たまらないですよね。(p69)
 真に自由なのは赤ん坊ですね。思ったように生きるってすばらしい,感じたように動くってすばらしい,と赤ん坊は教えてくれます。それって,芸術の役目と同じなんですよね。だから,赤ん坊は動く芸術なんですよ。(p70)
 先がそんなにないと思うと,ピリッとするんですよ。「なんでもはできないんだから,好きなようにやろう」と度胸が出る。(中略)若い人のほうが,慎重ですよね。先があることを考えると,おいそれとは踏み込めない。(p73)
 お墓の前で泣かないでっていう歌があるでしょう。私はそこにいませんって。それは,墓参りしてる人もわかってるんです。わかってるんだけど,墓の前に行きたいんです。(p79)
 楽しく生きてこれた理由の一つは,自分自身なんだと思います。みんなに感謝できる人生にするために,ぼくもそれなりの努力をしてきました。(p83)
 ぼくはプライバシーをかなり大事なものだと考えています。近年取材などが増えたんですけど,妻や子どもについては,極力話さないようにしている。(小堀 p86)
 要素が増えてくるとみんな論理が追いつかなくなって,感情が強くなり,余計なところに迷い込んでしまうんじゃないかなあ。(p88)
 ぼくは,カッコいいなと思う人を,真似して生きてきたんです。(p89)
 自分というのは,周囲120メートルくらいのところまで自分なんだなと感じます。その自己認識が守られていることが,心の安定につながるし。生活圏が維持されるって,大事ですよね。(p91)
 身を粉にして,私生活を犠牲にしてやるからこそ,伝わるものがある。そんなふうに人は思い込んでしまいがちです。(p91)
 ぼくは自分のやっている仕事を,使命だとか,人のためにやるべきだとか,思ってないんですよ。今でも新しい発見があって,おもしろいからやってるんです。(小堀 p92)
 ぼくはやっぱり,最後の最後まで仕事を続けたいですね。(小堀 p101)
 なぜかぼくたちは,死を暗いところに追いやってしまった。そのおかげで生きることが楽しくなったかというと,決してそんなことはない。(p110)
 親と子にしかわからない事情とか理屈が,どんな家族にもあるんですよね。(中略)死は「普遍的」という言葉が介入する余地がないのだと思い知らされますね。(小堀 p115)
 「親の死に目に会えないかもしれない」と心配している人がたまにいますが,親の気持ちも確認しないでナンセンスなことだ,と思います。(小堀 p137)
 妻はうちで看取りました。妻もそれを望んだし。(中略)でも,満足する看取りができたかというと,それはまた別の話です。(中略)本人の希望を叶えても,叶えられなくても,残された家族は何かしら後悔するんです。(小堀 p140)

2023.03.26 出口治明 『戦争と外交の世界史』

書名 戦争と外交の世界史
著者 出口治明
発行所 日経ビジネス人文庫(単行本:2018.09)
発行年月日 2022.08.01
価格(税別) 1,000円

● 2018年9月に刊行された『知略を養う 戦争と外交の世界史』(かんき出版)を文庫化したもの。

● 内容はタイトルのとおりなのだけれども,歴史の本でもあると同時に,生き方論になってもいる。たとえば,交渉ごとは理念を持った者が勝つという話がそうで,自分の人生史においても理念が必要だと言いたいようだ。
 それは目先の損得だけを考えていたのでは持ち得ないものだし,感情に流されてもダメだ。ひっきょう自分は何をしたいのか,どうなることを望んでいるのか。そこに至るにはどうすればいいのか。戦略を冷静に考えよ。著者が最も言いたいのはそういうことのようにも思えた。

● しかしながら,世界史に登場するあまたの事例を知って,ではそれを現在に照射すれば過たず行くべき道を選択できるかというと,どうも事はそう簡単なことではないように思う。
 正しく照射するのは相当に難しいだろう。だからこそ,人間は同じ過ちを延々と繰り返してきたのでもあるだろう。

● 以下に転載。
 ごく大雑把に言ってしまえば,物質的に生活が豊かになっている状態,それに対して精神的に豊かな状態を文化,そのように考えてもいいでしょう。(p3)
 人間は生態系にないものを,ほかの生態系から持ってくる。そのことで自分の生態系を豊かにして生きてきました。(中略)それは多くの場合,交易の形を採りました。相手を殺して物を奪うよりも,話し合ってお互いに必要なものを交換し合うほうが,はるかに労力が少なくてすむのです。(p3)
 私たちが働いて生きていく日々の中で繰り返される,喧嘩や仲直り,妥協と打算,取引きと駆引き,握手と裏切り,それらの多くも,自分や自分の所属する集団や組織の利益を優先することに端を発している場合がほとんどです。世界史の中で結ばれた条約や勃発してしまった戦争を振り返って検証してみることは,現代を生き抜くことの知恵につながるのではないか。(p5)
 交易をめぐる争いが発展して戦争になる,ということが多かったのですが,その起点は定住にありました。人間はいまから一万二千年ほど前に,脳に突然変異かとも思える変化が起きました。それは定住して他社を支配したいという欲望を持ったことです。(中略)最初は植物,次いで動物,そして金属。それから自然界のルール(中略)さえも自分で支配したいと思うようになります。そこから神=GODという概念も誕生したのです。(p8)
 イタリア半島で,分裂と抗争の時代が長く続いたのは,この半島の真ん中にローマ教皇が領主である国,ローマ教皇領が存在したことに,その理由が求められます。(p43)
 侵略者は大衆の支持を得ている宗教施設を襲うことを,なるべく避けようとします。民衆の反感を浴びることが恐いし,神様の祟りがそれ以上に恐いからです。(p50)
 土地を耕して収穫を得る農耕民と,自然の草で家畜を養う遊牧民とでは,土地に対する価値観に違いがあります。農耕民は土地を財産として守ろうとし,遊牧民は草を求めて大草原を自由に移動します。(p75)
 現代の中国の社会や文化の原型は,ほとんど宋の時代に形成されています。(p88)
 キタイは宋から得た絹や銀を元手とし,宋から生活物資や文明の利器を購入して,国を豊かにします。結果として宋も潤う。(中略)仕掛人の寇準は臆病どころではなく,冷製でしたたかな政治家だった,という評価が一般的になりつつあります。(p89)
 一一世紀の半ばを過ぎる頃には地球の温暖化が進んだこともあって,西ヨーロッパも豊かになり始めました。その過程で貧富の差も大きくなり,寄生階級が強くなっていきます。(p97)
 信仰の問題に世俗的な利害関係が結びつけば両者ともに譲れません。(p116)
 交渉のセオリーとして,あいまいな妥協点を残したまま決着をつければ,後に必ず混乱が起きてしまう。(アウグスブルクの宗教和議は)その典型的な事例であったともいえます。(p132)
 昔の世界史の教科書では,三〇年も続いた戦争によってドイツの大地は荒れ果て,人口も激減したと書かれていました。しかし最近の文献では,「そうでもなかった」と書かれています。大戦争といっても,結局は傭兵同士の争いです。(中略)日本の応仁の乱で京都中が焼け野原になった,というのは嘘で,応仁の乱が続いた約十年の間も賀茂祭などは行われていた,という話とよく似ています。(p135)
 トルコ人(トゥルクマーン)の帝国であるオスマン朝や,モンゴル人の国であるモンゴル帝国は,自分たちの民族の人口が少ないので,その支配については寛容を常とし,武力行使は決定的な場面にのみ限り,人材登用を大切にしました。(p166)
 百済から仏教を始めとして,漢字や暦や医療など最新の文化や文明が伝わっています。ではそれらの最新情報,最新の技術に対して,日本からの見返りは何であったのか。それは傭兵でした。(中略)倭は傭兵の需要に応えるために,半島の南端の加羅に小さな出先機関のようなものを設けていたと推測されます。それが俗に言う任那の実態でした。(p198)
 中国という大国は東の朝鮮半島と南のベトナムについて,あそこは自国の一部だという認識を持っています。ですから強大な統一国家が生まれると,すぐに朝鮮半島の制圧に向かいます。(p200)
 高句麗は強力でした。この国は中国北東部の遊牧民,女真族がつくった国です。後に渤海や金や清を建国する民族です。(p200)
 新羅について付言すると,唐との関係が悪化すれば,日本へ使者を送り友好関係を訴えます。しかし唐との関係が修復されると,知らん顔をします。巧みに孤立を避ける賢さとしたたかさがありました。(p208)
 南北戦争といえば子どもの頃から僕たちが教えられている「奴隷解放宣言」や「人民の人民による人民のための政治」というリンカーンのゲティスバーグの演説などは,戦争の主因を語るものではありませんでした。それらの宣言や発言は,「北軍側の我々は人道的な戦争をやっているのです」という,全世界に向けて自分たちの正当性を訴えたマニューバ(作戦行動)の一部と考えるのが妥当だと思います。(p221)
 南軍が四分の一に満たない人口で,四年間も戦えたのは何故か。南部にはリー将軍を始めとして,優秀な将校が多かったからです。南部の裕福な農家の男子は,士官学校に進むことが多かったのです。(p222)
 南北戦争は一国の将来を決める政策論争を,あいまいな妥協で決着させず,血を流して決定した厳しい市民戦争でした。この市民戦争の記憶はアメリカの市民意識の中に,強烈に刻まれていると思います。(p223)
 中国の伝統的な外交の考え方は朝貢でした。中国は天朝であるから,対等の国は世界中どこにもない。(中略)中国は長い間,世界で最も進歩した文化と文明を持つ強国でした。わざわざ外国と交易をして入手したい物品がそもそもなかったのです。(p226)
 大英帝国と初めから自由貿易を行っていたら,輸入品もきとんとチェックできたし,アヘンも追放できたはずです。「蛮族との交易などカッコ悪くて出来るか」とばかり,広東十三行という民間に丸投げしてしまった。そこにアヘンが入ってきたのであり,建前ばかりを大事にする尊大な態度が,国益をストレートに追求する大英帝国に巧妙に利用されたのです。(p288)
 ヴァレンヌ事件(ルイ十六世が国外脱出を図った事件)は,それまでまだ国王を信頼していた素朴な市民感情を裏切る結果となりました。国王に少し贅沢を辛抱してもらって一緒に生きていこうと,多くの市民は考えていたのです。進歩的な人々も立憲君主制を構想していました。しかし王家がそれを拒否するのであれば,話は変わってきます。(p306)
 タレーランの正統主義は,みごとに国益を守りました。フランスの皇帝ナピレオンがヨーロッパ中を荒し回り戦争を仕掛けたのに,フランスのペナルティはほとんどゼロ,領土も失わず,賠償金も払いませんでした。(中略)交渉ごとでは,きちんとした理念や理論を持つ側が有利です。個人や国家の利害を露骨に主張せずに,自国の言い分や国益を理念に盛り込めるからです。(p331)
 ベルギーが永世中立国となった背景には連合王国の利害が絡んでいました。ドーヴァー海峡に面して,いちばん連合王国と近い国はクランスと,そのお隣のベルギーです。連合王国はドーヴァー海峡の対岸に,永世中立国をつくることで自国の防衛ラインを強化したのです。(p348)
 外交という武器なき戦争では,理論的整合性など二の次であり,国益,即ち自国が予期しない武力衝突に巻き込まれないことが全てに優先します。ビスマルクは(中略)なによりもフランスの孤立を考えて外交を展開していたのです。しかしヴィルヘルム二世にはそれを洞察できる頭脳はありませんでした。(p365)
 考えの浅いリーダーたちが,目先の利益だけを考えて行動をエスカレートさせた結果,誰に責任があるのか判然としない形で,バルカン半島の事件が世界大戦を引き起こしたのですが,このような確たる信念を持たないリーダーたちによってカタストロフに至る事例は,最近のわが国の大企業などにもよくあるように思います。企業の未来のことはど考えず,粉飾決算によって,目先の整合性だけを守ろうとする事例を想起させます。(p380)
 フランスの地で休戦協定が結ばれたとき,ドイツの普通の人々に「敗戦」の意識がどれほどあったでしょうか。B29の絨毯爆撃で焦土と化した大都市や,米軍上陸によって島全体を蹂躙された沖縄など,日本のような体験があれば「敗れたり」の意識は心に擦り込まれます。しかし第一次世界大戦において,ドイツの地に侵入した敵兵は一兵もいませんでした。まだ未発達であった飛行機による空爆もありませんでした。(p385)
 ミュンヘン会談で一杯食わされるまで,英仏は幾度かヒトラーのヴェルサイユ条約を無視した行動を黙認してきました。どうしてどんなにヒトラーに対して遠慮したのか。やはり第一次世界大戦後のパリ講話会議で,あまりにもドイツを痛めつけてしまったことを後悔していたからです。(中略)当時の英仏が取った外交政策は,政策と呼ぶにはあまりにも心情に流された行動であったと思います。(p400)
 ドイツの空爆に対して応戦した大英帝国側で,いちばん頑張ったのは,ポーランド空軍でした。ナチスに祖国を追われてロンドンに亡命していたのです。(中略)もともと利用できるものは何でも利用するイングランド気質というか,ロンドンの人たちは自分の空の守りを,一部ポーランドに任せていた面もあったようです。(p408)
 いかに立派な条約が結ばれても,ひと握りの愚かな支配者や凶暴な権力者の思いつきや憎悪から生じた行動が戦火を招き,平和を破壊してしまう。世界の歴史は,その繰り返しでした。けれどもそれでもなお,大多数の人々は平和に向かって再び歩みだすことを止めませんでした。(p427)
 「終わらせる」とはどういうことか。戦争に関係したすべての人に,情報の共有化を徹底することが大切だと考えるべきでしょう。(p432)
 そのときの僕を救ってくれたのは,世界史の知識でした。実に多くの優秀な政治家や軍人が,理不尽な理由で左遷されたり殺されたりした事実を知っていたからです。それに比較すれば自分のケースなど,ささいなことだと思ったからでした。(中略)理不尽な状況に置かれても自分を失わないタフネスは,豊富な知的財産から生まれると思います。(p433)
 ヨーロッパの各国は昔から,さほど広くない大陸にひしめきあいながら競い合い,外交戦術や交渉技術を高めてきました。その知恵をアジアやアフリカを侵略するのに,役立ててきました。(p437)
 何を言うべきかは大切ですが,それと同時に何を言わないでおくかも重要なことです。そして言うべきことの順序も考える必要があると思います。(p437)

2023年3月18日土曜日

2023.03.18 下川裕治 『アジアのある場所』

書名 アジアのある場所
著者 下川裕治
発行所 光文社
発行年月日 2021.08.30
価格(税別) 1,300円

● 日本のバブル崩壊後の “失われた30年” で,アジアに対する日本の経済的優位性は相対的に大幅に低下した。一人当たりの国民所得で日本を追い越した国は,シンガポールをはじめアジアにもいくつか誕生した。抜かれないまでも,日本と他のアジア諸国の差は少なくなった。
 バックパックを背負ってアジアを貧乏旅行できたのは,個人の嗜好云々よりも先に,日本の経済的優位性があったからだ。日本で3ヶ月肉体労働をすれば,1年間はアジアを旅できた。

● その優位性が日本から消えた以上,バックパッカーは存在し得ない。一人もいないわけではあるまいが,細い流れながらもひとつの潮流とはなり得ない。
 そもそも,アジアの諸国よりも日本の方が物価が安かったりする。当然,お金のない若者は日本に留まる。海外を放浪するより,国内の方が生活コストが安いとなれば,当然そうなる。

● 下川裕治といえば,アジアを貧乏旅行して,それを文章にして生計を立てている人というイメージだ。が,下川さんがそれをやっていた頃と今とでは状況が違ってしまった。彼の文章世界は過去形で語られるものになった。
 唯一の救いは,彼の紀行文に社会派の成分が濃厚だったことだ。これは経済状況が様変わりしても命脈を保てることがある。
 本書においても社会派の部分が読み応えがある。著者ならではという感じがする。文献を読み込んでいるのだろう。

● 以下に転載。
 込み入った会話ができないことが居心地のよさにつながる気もする。アジアから日本に帰るとき,いまでも緊張する。(中略)言葉が通じない世界を歩いてくると,日本語の嵐がストレスになる。(中略)インドに一年近く滞在した日本人バックパッカーが帰国し,羽田空港から電車に乗った。しかし日本人が怖くなってインドに戻ったという話を聞いたことがある。その心境がよくわかる。(p4)
 バンコクという街で,彼らは冷遇されていた。バンコクに生まれ育ったタイ人は,こちらが心配になってしまうほど彼らをバカにしていた。田舎者--それがイサーンの人々の代名詞だった。彼らが口にするイサーン方言を真似,皆で嗤う。(p52)
 ここ十年,いや二十年でタイはずいぶん豊かになった。賃金も上がった。(中略)もう,日本で働いても割に合わないのだ。(p70)
 大家は外国人に貸したくはないということだけだった。(中略)外国人が店を出すエリアが偏っていく理由がわかった。ミャンマー料理店が高田馬場に多いのは,簡単に物件を借りることができるためだった。(p102)
 「浅草ってね,東京のたとえば,新宿や渋谷って考えないほうがいい。村です。私たちだって,ふたりとも浅草寺幼稚園の出身。横でしっかりつながっているんです」(p120)
 日本人なら昼寝を起こされ,不機嫌そうな顔をつくる人もいるのかもしれないが,彼ら(タイ人やミャンマー人)はとりあえず笑顔をつくる。あれは天性だといつも思っていた。(p122)
 日本での仕事は気遣いが多かった。フリーランスといっても,編集部の人間関係に振りまわされ,そのなかを泳いでいかなくてはならなかった。体はいつも重く,どこか地面の下から得体の知れないものに引っぱられているような気がした。(p127)
 軍事政権の時代だった。人々は軍人の奴隷のようになって生きなければならなかった。希望は国を出ることだった。(中略)皆が裏金で生きなくてはならなかった。軍事政権とはそういう時代だった。パスポートをつくるときの裏金は,日本円で百万円を超えていたと思う。当時のミャンマーではとんでもない額の金だった(p135)
 日本のなかに星の数ほどあるエスニック料理店には申し訳ないが,現地のなにげない食堂に勝る店に出合ったことがない。(中略)香辛料だと思う。香辛料の鮮度が違うのだと思う。(p152)
 自由貿易型の植民地が利益を生むには時間がかかる。(中略)本国のイギリスはそれを待ちきれなかった。(中略)日本の台湾統治にしても,はじめこそインフラを整え,農業の技術者を派遣し・・・・・・といった長い目でみた統治を進める。しかし気長には待てなかった。背後には軍事力をもっているわけだから,手っとり早い台湾利用に走る。それが植民地政策の本質なのだから,すぐにその安易な手法に傾いていってしまうのだ。(p159)
 中国に長く暮らす日本人から,まとまることができない中国人の話をよく聞く。
「中国人って,砂のおにぎりみないなものだと思うんです。いくらひとつに固めようと思っても決してひとつにならない。ぱらぱらと崩れちゃうんです」(p188)
 史明の行動を見ていると,育ちのいいロマンチストという言葉が浮かんでくる。どこかオノ・ヨーコに似ていないくもない。理想を胸に革命運動に身を投ずる姿に酔っているようなところもある。(p190)
 史明は身分を隠し,青島から台湾に脱出する。日本人の妻も一緒だった。妻は中国共産党での日々を後にこう話していたという。
「あれは人間が住む世界ではなかった」(p192)
 李登輝という人物への評価は,台湾より日本のほうが高いように思う。台湾の人々はより冷静に彼を見つめていた。というのも,李登輝は人々を苦しめ続けた国民党の人間だったからだ。(p205)
 いまのリトルオキナワ(中野区昭和新道)には,ボリビアやブラジル料理店が何軒かある。そのメニューを見ると,牛肉料理の横に沖縄そばの写真が載っていたりする。この店を経営しているのは,南米に移住した沖縄の人たちの二世,三世だった。(p219)

2023年3月4日土曜日

2023.03.04 出口治明 『カベを壊す思考法』

書名 カベを壊す思考法
著者 出口治明
発行所 扶桑社新書
発行年月日 2021.03.05
価格(税別) 800円

● 2010年6月に出た『「思考軸」をつくれ』(英知出版)の改訂版。著者は歴史本の他に,仕事や生き方について論じた本を多く出版しているが,本書はその仕事論・人生論の集大成というのではないけれども,それが1冊といえば,本書を読んでおけばいいような気がする。
 短時間で読めるのもいい。こういうものは短時間で読める方がいいのだ。

● 以下に転載。
 僕が「数字・ファクト・ロジック」が重要だと思う理由は,人は自分を中心にして世界が同心円を描くように広がっていると思いがちだからです。しかし,それは「天動説」と同じで大きな間違いです。自分を「中心」から外して世界を見直したとき,世の中を構成している「常識」やシステムの外側には新しい別の世界が広がっていることに気がつきます。(p5)
 大自然を原因とする大きな社会的変化は,歴史上なんども繰り返し起こっていることです。そのなかで,人類は進化に適応して今の社会を築き上げてきたのです。(p6)
 別の世界に踏み込んでいくのに年齢は関係ありません。人生100年の時代です。性別フリー,年齢フリーでこれからの世界は設計していくべきです。(p7)
 人間はそれほど賢くはありません。それは長い歴史を見ればよくわかります。同じ失敗は二度としないどころか,何度繰り返しても懲りずにまた繰り返す。(中略)賢い人も愚かな人も,人間全体で見ればその差はたいしたものではない。(中略)自分はもちろん,人間全体で見てもその能力なんてたかが知れている。(p31)
 昨日の自分だったら「イエス」を選んでいただろうに,今日は何となくそんな気分になれず「ノー」といってしまった。たったそれだけのことでたどりつくゴールはまったく違ったものになります。(p33)
 何かを選べば,結果として何かをあきらめなければならない。何かを選べば,何かを失う。仕事であっても人生であってもそれが真理です。(p34)
 「一部の人」を「長い間」だますことや,「おおぜいの人」を「一時的」にだますことはできても,「おおぜいの人」を「長い間」だまし続けることはできないのです。「エビデンス,サイエンス,専門家の知見」の三つで説得していけば,多くの人はいずれ気がつくのです。(p37)
 僕の判断はかなり速いほうだと想います。(中略)深謀遠慮や沈思黙考には世間の人が思うほど効果がないことを,経験を通して知っているからです。(中略)「よく考えたほうが間違えない」とう理屈があてはまるのは,最初から出題範囲や答えが決まっている学校のテストのような場合だけです。社会やビジネスの問題を解くときには(中略)結果に影響を与える変数が無限にあるので,時間をかけて詳細に検討しても,判断の精度はそれほど上がらないのです。逆に時間をかけることで,そこの欲や希望的観測という余計な要素が入り込んで精度が落ちる場合すらあるのです。(p38)
 直感の精度はその人のインプットの集積で決まります。(中略)常に「人,本,旅」で勉強しなければいけないのです。(p40)
 特に直感の精度が求められるのはリーダーになったときでしょう。極論すれば,リーダーというのは,「わからないことを決められる人」のことです。(p40)
 「時間をかけてもミスのない完璧なものをつくることが重要だ」という考え方は,時間も経営資源も無限だという錯覚の代物です。(p42)
 判断に迷っている場合は「仮決め」でいいから,とにかく一旦結論を出す。決めてしまうことが重要なのです。(p43)
 自分で決めてやりはじめたことは,新鮮なうちに一気にやりきってしまうというのもスピードを上げるコツでしょう。課題にも「鮮度」があって,もっとも集中できるのは取り組み始めた新鮮なときです。(中略)受け取ったメールには瞬時に返信する,そうしたことがよい訓練になります。(p44)
 同じ量の仕事(≒能力)ならばスピードが速ければ速いほど,相手に与えるインパクトは強まります。(p46)
 上司や先輩がやってきたとおりにやればうまくいくなどと部下や後輩が考えているようなら,その会社はすぐに倒産してしまうでしょう。(p49)
 自分の考えをもたないままに適応すると,今度はそこで行われていることを相対化することができなくなります。(p51)
 現時点の花形産業に就職すれば高値づかみになる可能性がきわめて高い。それなのに,毎年学生が殺到するのはその時点でピークを迎えているような企業ばかり。要するに,最高学府で勉強しても,10年後,20年後を見通して行動することができない人がほとんどなのです。(中略)失敗が顕在化して自分が痛い目をみるまで気がつかない。人間というのはしょせんその程度の賢さしかない生きものです。(p53)
 人間というのは賢くありませんが,それでも約20万年前に東アフリカの大地で誕生してから今日まで淘汰されずに生きながらえているのは,出来が悪いなかにも難局を乗り切る知恵をもった人が少なからず存在していたからです。(中略)だから,手ごわい問題に遭遇したら,古今東西の歴史のなかから同じようなケースを探し出して,先達がどのように対処し,その結果どういうことが起こったかを調べてみるのです。(p56)
 日本は四方を海に囲まれた島国であり,言語のほかの言語との互換性が低いために,どうしても市民が内向きになりやすい特徴があると思います。(中略)閉じた世界の内側だけを見ていると思考が硬直化・画一化して,斬新な発想が出にくくなります。そこで,僕はいつも何か考えるときには,解を「日本の外の世界」に求めてみるようにしています。(p57)
 人間は動物ですから,全盛期を過ぎたらいろいろな能力が落ちるのは自然なことなのです。僕は年齢に抗うようなことにはあまり関心がありません。(p68)
 よい例が2008年に起きたリーマン・ショックでしょう。1929年の大恐慌時と比較すると世界はずいぶん短期間で秩序を取り戻したように見えますが,それはインターネットの発達や各国の中央銀行の連携などで各国の距離が80年前とはケタ違いに縮まっていたからです。(p69)
 歴史の進化を単純な上昇曲線でとらえようとしたら,間違えてしまいます。「三歩進んで二歩後退」を繰り返しながら,結果として少しずつ進化していく。(p69)
 少子化は女性の識字率と反比例するといわれています(p75)
 文化というのは突き詰めていけば「言語そのもの」です。(p76)
 僕が見るかぎり,日本のビジネス・パーソンはインプットが質・量ともに少な過ぎます。何故かというと,長時間の労働プラス飲みニケーションで勉強する時間がとれないからです。仕事が思うようにいかないのはたいていの場合,インプット不足に原因があるといっていいと思います。つまり,技術やノウハウ以前の問題なのです。(p84)
 僕のインプット方法は「最初から自分で選ばず,とにかく大量に取り込む」というものです。(p87)
 「量」と同時にインプットの「幅」も大切です。よく「自分の仕事や趣味の話ならいくらでもできるが,それ以外の分野のことにはまるで関心がない」という人がいますが,こういう姿勢だと,ものの見方や考え方が硬直してしまい,肝心の自分の専門分野でも柔軟な発想ができなくなってしまいます。(p88)
 僕が得に意識していたのは,部下にアウトプットの機会を与えることでした。なかでも得に「書く機会」をもたせることを大切にしていました。僕自身,書くことで自分の頭が整理され,次の仕事の室が高まることを実感していたためです。(中略)締め切りのあるまとまった量の課題に対し,ある程度の質のアウトプットを続けると人の能力は格段に上がる。(p90)
 読書というのは食事と似ています。何を食べたかは忘れてしまっても,栄養分は確実に身体に吸収されてその人の骨や筋肉やエネルギー源になっている。(p95)
 「歴史に残る偉業を成し遂げた人」に共通する特徴は何だとおもいますか? それは,フランス革命におけるナポレオンのように「風邪が吹いてきたときにそれを逃さず瞬時に凧を上げることのできる体力と知力と勇気,それとセンスをもっていること」です。単に才能に秀でているだけではダメなのです。(p95)
 ある分野の知識を早急に身につけなければならない場合は,関係のありそうな本を10冊ほど手元に用意し,「いちばん分厚くて難解そうな本から」読んでいくこと。僕の経験上,これがもっとも効率のよい方法です。(中略)入門書というものは,すでにある程度下地ができている人が,知識や情報を整理するために利用するときにはじめて本当の威力を発揮するものなのです。(p97)
 中学を卒業してすぐにこの世界(パン作り)に入った風間さんは現場一筋で修行を続けますが,あるとき,「一流になるためには,もう一段上の勉強が必要だ」と気づきます。(中略)そして,考えた末に出した結論は「それなら毎晩銀座で飲もう」。(p99)
 僕の街歩きのモットーは「迷ったら細い道を選ぶ」。「明るくて安全そうな大通り」よりも,「細くて少し危うそうなにおいのする裏通り」を選びます。(中略)裏通りにこそ「真の人生」があると思うのです。(p104)
 知らない土地で旅人が多少危うい目にあうのは古今東西当たり前のことだし,自分の身を守るために四方八方に気を配って感覚を鋭敏にしておくというのもまた当然のことだと思っています。実際,そうした経験から得た情報や対処法は深く自分の血肉となっています。(p105)
 本でも人でも旅でも安住する場所を一度は捨て,新しいものに飛び込んでいくことが,深く多様なインプットを得るためのコツだと思っています。(中略)いわば自分のなかに「辺境」をつくる,という感覚です。(p106)
 人は楽しんでのびのびと働いているときがいちばんよいものを生み出せるし,効率も上がります。ノルマでしめつけたり馬にニンジンのようなインセンティブでやる気を引き出したりする方法は一時的には効果を発揮しても長続きはしません。(p132)
 すべての情報が公開され,同じ商品をつくろうと思えばつくれる時代になってきます。世の中に本当にユニークなものなどどこにもない,となったときに,最後の勝負を決めるのは人と組織風土です。(p133)
 「効率」という言葉を重視する人は,オーソドックスなやり方だと何だかムダが多いような気がするのか,正攻法に背を向け,ともすればわざと奇をてらったような手段を選びがちです。でも,多くの場合それは「策士策に溺れる」結果に終わることになります。堂々と正攻法でことにあたる。僕の経験からいって,結局はこれに勝る解決法はないのです。(p137)
 僕は「ビジネスに美学は不要」だと思っています。「何を美しいと感じるか」という主観的な要素をビジネスに持ち込んでしまえば,その時点で合理性が失われてしまいます。個人的にhも美学や品格などという言葉はあまり好きではありませんし・「品格という言葉を使う人こそ,品格のない人」だとも感じています。(p141)
 生まれる時代も生まれる国も選ぶことができないように,人生はその多くが偶然によって決められ,人間はそれにしたがって生きていかざるを得ないのです。(中略)僕は,就職もこれと似たりよったりのところがあると思っています。(中略)それはどんなに優秀な人であっても変わりません。やりたいことや適性や企業規模などを選び続けていたら,範囲がどんどん狭くなってしまいます。(中略)大きい川の流れにゆったりと流されていく人生がいちばん自然で素晴らしいと思うのです。(p147)
 残業を頼まれるのも上司の麻雀につきあわされるのも,そうしたことを全部含めてサラリーマン生活なのだろうし,まずはその文化にどっぷり浸かって,この未知なる生活をとことん味わってみようと思っていたのです。(p152)
 僕は新入社員の時期を過ごすうちに「仕事というものはそれがどんなものでもやり方しだいで面白くなる」ということに気づきました。(中略)仕事には必ず目的があることを理解し,まずはその目的を考え,次にその目的を達成するためにいちばんいい方法は何かを考えるようにすれば,仕事はおのずと楽しくなると思います。(p153)
 人がもっていないところこそが,その人の個性であり,大切にすべきところなのです。(p160)
 多くの人は周りに気を遣い過ぎて自らを常識の枠に押し込めてしまっているように見えます。(中略)好きなことをやりたいが,周囲に心配をかけたくない。安定した仕事は捨てたくないが,やりがいも求めたい。そうしたすべての要望を同時に満たす方法は,残念ながらこの世にはありません。(p164)
 僕は日本人のやり方が飛び抜けて優れている,もしくは日本人がとりわけ優秀だとは思いません。(中略)どこの国にも賢い人もいればそうでない人もいるでしょうし,その賢い人とそうでない人の差だってそうたいしたものではないと思っています。(p167)
 (日本人は)「最終的に勝利するために何をするか」といった本質的,戦略的な問題を徹底的に考え抜くという訓練をあまり受けていないのではないか,と感じることがあります。(p172)
 僕は,日本が本当に豊かだったのは,現在を別にすれば,室町時代から安土桃山時代にかけてだったと思っています。(中略)海外との交易が盛んに行われ,周囲には異国の文物がどんどん入ってくる。(中略)外部との交流が盛んになると,野心に満ち溢れ,進取の気性に富んだ人間がこぞって国境を超えて外へ出ていきます。(中略)鎖国のような政策が続くのはいっときのこと,僕たちは国を開き,どんどん外へ出ていくのが歴史的に見ても正しい,これからのわが国のあり方だと思うのです。(p180)
 階層化し,固定化した社会に活力が生まれるはずはありません。僕はやる気のある人,才能のある人がどんどん上に上がってこられるような下剋上の社会をつくるべきだし,日本がそうあってほしいと心底思っています。(p184)