書名 もうちょっと「雑」に生きてみないか
著者 和田秀樹
発行所 新講社
発行年月日 2017.07.24
価格(税別) 900円
● 著者が言う「雑になれない人」は日本人には多いのじゃないかと思う。ぼくもそうかもしれない。しかし,手抜かりやウッカリも相当やらかしてきたから,自分で思うほどには「雑になれない人」ではないかもしれない。
と思ってしまうのも,「雑になれない人」の特徴か。
● 企業をはじめとする日本社会の同調圧力も,真面目さを作る要因になっているかもしれない。あるいは,見えない相互評価が隠然たる拘束要因になっていることも。
そして,そうした評価というか,他者との関係性においてしか自分を認識できないこと。
● 本書で最も参考になるのは,「マシ」という考え方を持つことだと思った。只今現在において完全でなければ意味がないという考えを捨てること。
それができるかどうかを決めるのは,性格ではなくて知性かもしれないとも思った。柔軟であるという意味での知性だ。
● 以下に転載。
がんばりすぎて疲れを感じている人,あるいはその結果としてうつ病になったりする人には完全主義的な傾向があります。生き方が一直線なのです。(p3)
完全主義な人は「くだらないこと」や「無駄なこと」を嫌う傾向があります。馬鹿話で盛り上がることもあまりないでしょう。上昇志向が強い傾向もあります。ひと言でいえば,息苦しい生き方ですね。(p4)
わたしは長く受験生を指導してきましたが,はっきりと言えることがあります。雑な受験生のほうが結局は勝つのです。(中略)まじめな受験生は手を抜けません。試験問題と向き合ったとき,とにかく第1問から解こうとします。(中略)それがむずかしい問題や日が手な分野からの出題だとしても,あきらめることができません。(中略)でも,時間がどんどん過ぎていきます。(中略)雑な受験生は違います。解けそうもない問題や,苦手分野からの問題はさっさとあきらめてしまいます。(中略)結果はどうでしょうか?(p33)
一つの仕事が続かないようでは,何をやっても中途半端になるだろうと考えてしまうのです。(中略)でも,そういった考え方をしてしまうと,一直線の人生しか思い描けなくなります。いまやっていることや,いまの自分の延長線上にしか将来を描けなくなります。それはそれで,堅実に見えても選択肢のない,危うい人生ということにならないでしょうか。(p46)
たとえば強迫神経症の人です。手の汚れが気になって,一度洗い始めたら1時間でも洗い続けないと気が済まないような人は,家の中もさぞ清潔だろうなと思いますが,じつはばい菌だらけだったりします。本人は自分の手の汚れだけを気にして,それ以外の汚れには案外,無頓着なのです。これは,部分しか見えていないということです。(p47)
雑になれるということは,たくましく生きていけるということです。いい加減なように見えても,ほんとうに大事なものを見失わないのが雑な人でもあるのです。(p48)
「いまがすべて」という思い込みを捨てることさえできれば,どんな不幸や不運も人生の転機を教えてくれるものでしかないのです。(p77)
人はあなたに期待していません。少なくとも,あなたが思うほどには期待していないことが多いのです。(p90)
雑になれない人が思うほど,周囲の人間は無力ではありません。安心して任せていいし,頼っていいことがたくさんあります。(p92)
行き過ぎた長所は短所になってしまうのです。(p100)
じつは,大正時代というのは日本人がぜいたくに憧れた時代でもありました。「ぜいたくは敵」が登場するまでの日本は,ぜいたくに罪悪感を持つ人は少なかったのです。(p102)
日本は明治時代から昭和の初めまで,学校での体罰は禁止されていたようです。それが守られたのも,当時の教師が師範学校を出たいわば知的エリートだったからだといいます。ところが昭和10年代になって,軍事教練が始まるようになると教育の現場に軍人が入ってきます。そこで体罰が当たり前のように繰り返されたのです。(p103)
「いままでの苦労はなんだったのか」という完全主義のつまらなさを,AIが教えてくれる時代になるような気がします。(中略)そうなってくると,もはや人間の取り得は雑になれることしかありません。(中略)真面目な人間ほど,AIの時代に適応できなくなるような気がします。(p112)
遊ぶために働いているのですから,せめて休日ぐらい,頭の中から仕事のことは消し去っていいのに,それができません。「働くために休む」という考え方から抜け出せないのです。これは,ほんとうに気が休まるときがないということです。(p117)
「そんなことして何になる」と言い出せば,目的のないすべてのリラックスは無意味になります。温泉でゴロゴロしたって何にもなりません。時間とおカネのムダです。(中略)そういうまじめさの裏には,やはり刷り込まれた道徳観や価値観が潜んでいるような気がします。(中略)でも,ほんとうにAIの時代になったら,そういった刷り込まれた道徳観や価値観こそが重荷になるし,そこから抜け出さない限り,苦しい生き方しかできなくなります。(p118)
雑になれない人に気づいてほしいことがあります。自分がまじめすぎるだけで,相手も周囲も口で言うほどまじめではないし,真剣でもないということです。(p123)
かりに仕上がりに不満があったとしても「できないよりマシ」と喜んでいいのです。ところが完全にこだわってしまうと,欠点ばかりが目につきますから,「やらないほうがマシだ」となります。(p129)
雑になれない人がマシでは満足できないのは,いまだけを見ているせいもあります。「いまがすべて」と考えると,いま50パーセントなら全然,ダメなのです。(p130)
マシという考え方は,動く弾みをつけてくれます。(中略)これは,「とりあえずやってみよう」という積極さにもつながってきます。失敗したらそのときのことと考えて,ダメでもいいからまず動いてみようという考え方です。(p136)
雑になれないひとほど一直線の人生を描いてしまうと書きましたが,その理由は決められたルールに乗ってしまうからでした。(p137)
人生の目的は幸せになること,楽しく生きることというのはだれでも気がついているはずです。はたして完ぺきを期すことが,そういういちばん大切な目的をかなえてくれるのかどうか,雑になれない人にはゆっくりと考えていただきたいと思います。(p149)
(雑になれない人は)とにかく,自分のモノサシを持ち出さないと気が済まないのです。相手の行動や考えがそのモノサシに合わないときには,どうしても冷たい言い方になってしまいます。そのことに,本人はなかなか気がつかないのです。(中略)まず最低限,人にはそれぞれのモノサシがあることを受け入れてください。あなたがまじめで頑張り屋さんなのは,みんなが認めています、つまり,周囲の人はあなたのモノサシをとっくに受け入れているのです。(p162)
子どもには子どものモノサシがありますね。(中略)きちんとした子,まじめな子に育てば親は満足するかもしれませんが,逆にその子の長所や得意なことを伸ばせないままになってしまう可能性もあります。(p167)
雑になれない人ほど,雑になれない人の餌食になってしまう可能性があります。そのことにも気がついてください。(p173)
人と人は弱みを見せ合いながら生きていきます。うわべはどんなに強気を装っていても,長くつきあえる関係というのは弱さを見せ合う関係でもあるのです。(p178)
ここで最後の,雑になれない人の特徴を書きますが,じつは臆病な人ということもできるのです。臆病だから手を抜けないし,負けちゃいけないと思ってしまうのが雑になれない人です。(p182)



