2024年5月27日月曜日

2024.05.27 和田秀樹 『もうちょっと「雑」に生きてみないか』

書名 もうちょっと「雑」に生きてみないか
著者 和田秀樹
発行所 新講社
発行年月日 2017.07.24
価格(税別) 900円

● 著者が言う「雑になれない人」は日本人には多いのじゃないかと思う。ぼくもそうかもしれない。しかし,手抜かりやウッカリも相当やらかしてきたから,自分で思うほどには「雑になれない人」ではないかもしれない。
 と思ってしまうのも,「雑になれない人」の特徴か。

● 企業をはじめとする日本社会の同調圧力も,真面目さを作る要因になっているかもしれない。あるいは,見えない相互評価が隠然たる拘束要因になっていることも。
 そして,そうした評価というか,他者との関係性においてしか自分を認識できないこと。

● 本書で最も参考になるのは,「マシ」という考え方を持つことだと思った。只今現在において完全でなければ意味がないという考えを捨てること。
 それができるかどうかを決めるのは,性格ではなくて知性かもしれないとも思った。柔軟であるという意味での知性だ。

● 以下に転載。
 がんばりすぎて疲れを感じている人,あるいはその結果としてうつ病になったりする人には完全主義的な傾向があります。生き方が一直線なのです。(p3)
 完全主義な人は「くだらないこと」や「無駄なこと」を嫌う傾向があります。馬鹿話で盛り上がることもあまりないでしょう。上昇志向が強い傾向もあります。ひと言でいえば,息苦しい生き方ですね。(p4)
 わたしは長く受験生を指導してきましたが,はっきりと言えることがあります。雑な受験生のほうが結局は勝つのです。(中略)まじめな受験生は手を抜けません。試験問題と向き合ったとき,とにかく第1問から解こうとします。(中略)それがむずかしい問題や日が手な分野からの出題だとしても,あきらめることができません。(中略)でも,時間がどんどん過ぎていきます。(中略)雑な受験生は違います。解けそうもない問題や,苦手分野からの問題はさっさとあきらめてしまいます。(中略)結果はどうでしょうか?(p33)
 一つの仕事が続かないようでは,何をやっても中途半端になるだろうと考えてしまうのです。(中略)でも,そういった考え方をしてしまうと,一直線の人生しか思い描けなくなります。いまやっていることや,いまの自分の延長線上にしか将来を描けなくなります。それはそれで,堅実に見えても選択肢のない,危うい人生ということにならないでしょうか。(p46)
 たとえば強迫神経症の人です。手の汚れが気になって,一度洗い始めたら1時間でも洗い続けないと気が済まないような人は,家の中もさぞ清潔だろうなと思いますが,じつはばい菌だらけだったりします。本人は自分の手の汚れだけを気にして,それ以外の汚れには案外,無頓着なのです。これは,部分しか見えていないということです。(p47)
 雑になれるということは,たくましく生きていけるということです。いい加減なように見えても,ほんとうに大事なものを見失わないのが雑な人でもあるのです。(p48)
 「いまがすべて」という思い込みを捨てることさえできれば,どんな不幸や不運も人生の転機を教えてくれるものでしかないのです。(p77)
 人はあなたに期待していません。少なくとも,あなたが思うほどには期待していないことが多いのです。(p90)
 雑になれない人が思うほど,周囲の人間は無力ではありません。安心して任せていいし,頼っていいことがたくさんあります。(p92)
 行き過ぎた長所は短所になってしまうのです。(p100)
 じつは,大正時代というのは日本人がぜいたくに憧れた時代でもありました。「ぜいたくは敵」が登場するまでの日本は,ぜいたくに罪悪感を持つ人は少なかったのです。(p102)
 日本は明治時代から昭和の初めまで,学校での体罰は禁止されていたようです。それが守られたのも,当時の教師が師範学校を出たいわば知的エリートだったからだといいます。ところが昭和10年代になって,軍事教練が始まるようになると教育の現場に軍人が入ってきます。そこで体罰が当たり前のように繰り返されたのです。(p103)
 「いままでの苦労はなんだったのか」という完全主義のつまらなさを,AIが教えてくれる時代になるような気がします。(中略)そうなってくると,もはや人間の取り得は雑になれることしかありません。(中略)真面目な人間ほど,AIの時代に適応できなくなるような気がします。(p112)
 遊ぶために働いているのですから,せめて休日ぐらい,頭の中から仕事のことは消し去っていいのに,それができません。「働くために休む」という考え方から抜け出せないのです。これは,ほんとうに気が休まるときがないということです。(p117)
 「そんなことして何になる」と言い出せば,目的のないすべてのリラックスは無意味になります。温泉でゴロゴロしたって何にもなりません。時間とおカネのムダです。(中略)そういうまじめさの裏には,やはり刷り込まれた道徳観や価値観が潜んでいるような気がします。(中略)でも,ほんとうにAIの時代になったら,そういった刷り込まれた道徳観や価値観こそが重荷になるし,そこから抜け出さない限り,苦しい生き方しかできなくなります。(p118)
 雑になれない人に気づいてほしいことがあります。自分がまじめすぎるだけで,相手も周囲も口で言うほどまじめではないし,真剣でもないということです。(p123)
 かりに仕上がりに不満があったとしても「できないよりマシ」と喜んでいいのです。ところが完全にこだわってしまうと,欠点ばかりが目につきますから,「やらないほうがマシだ」となります。(p129)
 雑になれない人がマシでは満足できないのは,いまだけを見ているせいもあります。「いまがすべて」と考えると,いま50パーセントなら全然,ダメなのです。(p130)
 マシという考え方は,動く弾みをつけてくれます。(中略)これは,「とりあえずやってみよう」という積極さにもつながってきます。失敗したらそのときのことと考えて,ダメでもいいからまず動いてみようという考え方です。(p136)
 雑になれないひとほど一直線の人生を描いてしまうと書きましたが,その理由は決められたルールに乗ってしまうからでした。(p137)
 人生の目的は幸せになること,楽しく生きることというのはだれでも気がついているはずです。はたして完ぺきを期すことが,そういういちばん大切な目的をかなえてくれるのかどうか,雑になれない人にはゆっくりと考えていただきたいと思います。(p149)
 (雑になれない人は)とにかく,自分のモノサシを持ち出さないと気が済まないのです。相手の行動や考えがそのモノサシに合わないときには,どうしても冷たい言い方になってしまいます。そのことに,本人はなかなか気がつかないのです。(中略)まず最低限,人にはそれぞれのモノサシがあることを受け入れてください。あなたがまじめで頑張り屋さんなのは,みんなが認めています、つまり,周囲の人はあなたのモノサシをとっくに受け入れているのです。(p162)
 子どもには子どものモノサシがありますね。(中略)きちんとした子,まじめな子に育てば親は満足するかもしれませんが,逆にその子の長所や得意なことを伸ばせないままになってしまう可能性もあります。(p167)
 雑になれない人ほど,雑になれない人の餌食になってしまう可能性があります。そのことにも気がついてください。(p173)
 人と人は弱みを見せ合いながら生きていきます。うわべはどんなに強気を装っていても,長くつきあえる関係というのは弱さを見せ合う関係でもあるのです。(p178)
 ここで最後の,雑になれない人の特徴を書きますが,じつは臆病な人ということもできるのです。臆病だから手を抜けないし,負けちゃいけないと思ってしまうのが雑になれない人です。(p182)

2024年5月17日金曜日

2024.05.17 和田秀樹 『60歳からはやりたい放題』

書名 60歳からはやりたい放題
著者 和田秀樹
発行所 扶桑社新書
発行年月日 2022.09.01
価格(税別) 880円

● これまで著者が,「70歳・・・・・・」「80歳・・・・・・」と年齢を冠して刊行した多くの著作と内容は被っている。出す本,出す本がメスとセラーになるのを横目で見ているだけというわけにも行かず,多くの出版社が著者の本を出そうとした結果のことかと思う。

● とはいえ,以下に転載。
 日本人は予期不安と呼ばれる「起こっていないこと」への不安を抱きがちです。しかし,多くの日本人は,不安を抱いているのに何も対策を取らない。その結果,余計に不安が高まってしまうのです。では,この悪循環を断ち切るにはどうしたらいいのでしょうか。それは,「最悪の事態」を想定しておくことです。(p16)
 日本人は,「起こってほしくないこと」を,「起こらないこと」として片づけてしまう傾向があり,その結果,不安を放置しているがゆえに起こる最悪の事態が,頻繁に起こってしまっているのは事実です。(p17)
 浴風会に勤務していた際,相当な高齢なのに常にアクティブで若手に慕われている某現役政治家の脳のCT画像を見たことがあります。その方の前頭葉自体は「認知症なのでは」と思うレベルで萎縮していましたが,逆に考えると,脳が萎縮していても使い続ければ脳の機能は衰えないのだという大きな根拠を得たと感じました。(p27)
 医師の平均寿命は一般の人よりも低いといわれています。それは,医師の言うことをうのみにしていても,長生きはできないことの証明です。(p31)
 脂肪には脂肪を燃焼する作用があるので,脂肪を完全に絶ってしまうと,体内の脂肪を燃やせず,接種した脂肪を蓄積する一方です。(p41)
 人間がおいしいと感じるもの。それは,甘いものや脂肪分があるもの,うまみ成分(アミノ酸)が含まれているものなどです。なぜ人間がこのような食べ物をおいしく感じるのか。それは,生物進化の過程で「体に必要なものはおいしく感じるように進化しているから」です。(p47)
 農業中心で誰もが激しい労働をしていた時代よりも,現代のようにホワイトカラー人口が増えてからのほうが,外見も若返っている上に,寿命も延びています。体は使い続けるに越したことはないのですが,屋外で紫外線を浴びて激しいスポーツをするよりも,適度な散歩や自宅でできる簡単な筋トレ程度が望ましいと考えています。(p66)
 前例踏襲をする限りは,どんなに難しいことをしても前頭葉を使ったことにはなりません。(中略)では,どんな人が前頭葉を使っているのかというと,他人と違う意見を言う人です。(p71)
 片付いている部屋が好きな人もいれば,少し雑然としてるほうが落ち着く人もいます。それは本当に人それぞれです。今の環境が自分にフィットしていると思うのであれば,あえてそれを変える必要はありません。(p75)
 高齢者が感動できる景色や料理,芸は本物です。シニア世代が喜ばないものを「若者の感性がわかっていないから」と言ってしまうのは,非常に本末転倒なこと。(中略)だからこそ,せっかくの感性を雑多なコンテンツに費やすのはもったいない。ぜひ,様々な “本物” のグルメや芸に触れて,その感性を十分に楽しませてほしいと思います。(p80)
 「何が一番頭を使っていることになるのか」というと,最も効果が高いのは他人との会話です。(中略)声を出すこと自体にも,ボケ防止の効果があるように感じます。(p112)
 認知症予防として,何をすればいいのでしょうか。その一番の対策は「楽しいことをやる」ことだと思っています。楽しいことをやればやるほど,脳にはプラスの効果が伝わります。(p114)
 「人と交わる機会がなくてかわいそうだ」「独居は孤独でつらいのではないか」などというのは,世の中で多様性を認めない人々の思い込みだと私は思います。(p118)
 ガンは治療をすると非常に苦しい病気ですが,治療させしなければ,死ぬ数ヶ月くらい前までは元気に過ごす事ができます。(p130)
 60代で「ガンで余命はあと1年ほどです」と言われた場合,治療でどんなに頑張っても,おそらく余命は2年程度しか持ちません。1年を2年に延ばす治療となると,抗ガン剤は必ず使われるでしょう。(p131)
 結婚関係を続けるための一つの指標として,夫婦の間にどれだけ会話があるかという点が挙げられます。(中略)また,定年退職したあとも,子ども抜きでふたりが出かける関係を築けているでしょうか。(p136)
 60代以降は「性格の先鋭化」が顕著になります。「実はひとりのほうが気楽だった」という人は,もっとひとりを好むようになります。だからこそ,60代以降の人間関係は「したい人だけすればいい」と思います。(p149)
 言葉を選ばすにいうと,日本は,お金持ちであればあるほどに,子どもが「バカ息子」「バカ娘」になりやすいシステムが残っています。お金があるほど,子どもをエスカレーター式の大学の付属校に幼少期から入学させ,大学まで受験を知らずに育てるケースが非常に多いのです。(p167)
 「年を取ったら物欲がなくなる」という方もいますが,資本主義社会にいて消費に参加しないのは,発言力がなくなるのと同じこと。(p175)
 今は要介護認定されれば,介護支援を受けることができます。つまり周囲のサポートがなくてもなんとかなるので,「嫌われてもいい」と開き直ることができる時代です。(中略)自分を押し殺してまで,その共同体にしがみつくことが本当に大切でしょうか。(p186)
 物事を楽しめる体力や脳の機能が生きているうちに,様々なことを思いっきり楽しむ,これは終活よりも大切なことです。(中略)「年甲斐もなく」という言葉さえ忘れてしまえば,世間体を気にせずあらゆることをずっと楽しんでいていいのです。(中略)年甲斐もないことは,むしろ脳の老化予防にも役立つことが多いのです。(p191)
 他人と比べている限りは,いつまでも生きづらさや苦しさから逃れることができません。(中略)「他人よりも優れている人がえらい」という価値観は,もう60代になったら捨てる準備をしてください。できることはオンリーワンでよいのです。(p197)
 「できること」はできるだけ維持し続ける一方で,「できないこと」を無理に「しよう」とする必要はないのです。(中略)どんな人でも歳を取れば,当然「できないこと」は増えていきます。ですので,「できないのは当たり前」と割り切る姿勢が大切なのです。(p198)

2024年5月9日木曜日

2024.05.09 茂木健一郎 『70歳になってもボケない頭のつくり方』

書名 70歳になってもボケない頭のつくり方
著者 茂木健一郎
発行所 きずな出版
発行年月日 2022.09.10
価格(税別) 1,300円

● この本もタイトルどおり,年寄りに向けたもの。ので,活字が大きい。それがしみじみ有難いと感じる年齢にぼくもなった。
 内容は,次に転載するとおりのもの。和田秀樹さんの著作を読んでいる人なら,あえて読まなくてもいいんじゃないかと思う。

● 以下に転載。
 彼らに共通するのは,「いつまでもお若いこと」ではなく,「おつもエネルギッシュで」「自分らしく人生を楽しんでいること」です。(p5)
 ご本人も亡くなるまで,年齢のことなど口にされたことはなかったのではないでしょうか。それほど年齢ということから超越した存在でした。(p17)
 「継続」で大切なのは,文字通り「毎日」することではなく,「トータルで見て,継続できている」ことです。(中略)一番いけない脳の使い方は,「継続できない自分」に失望して,本当にやめてしまうことです。(p29)
 脳の体積は,加齢に伴い減少していきます。(中略)ただし,ここからが本著で強調したい大切なことです。それは,脳には可塑性があるということ。「代償機能」と言ってもいいでしょう。(p31)
 脳は使えば使うほど,筋肉と同じようにパンパンになる。それは若いころだけに限らないということです。(p33)
 かつては脳の神経細胞は,成長期を過ぎたらもはや新たにつくられないと考えられてきましたが,90年代以降,記憶を司る海馬の神経幹細胞が,年齢を経ても増殖・分化していることがわかったのです。(p33)
 まず皆さんに申し上げたいのは,「脳は適度な負荷をかけ,酷使するくらいがちょうどいい」ということです。しかし,但し書きとして,以下のことも強調しておきます。「自分が好きなことで」と。(中略)人は好きなことに没頭して頭を使っているとき,むしろ疲れ知らずです。(p34)
 創造の斜め上を行く事態に直面した時こそ,脳はフル回転します。これが本当の「脳に負荷をかける」ということ。教科書的な「正解」がない,周囲に助けを求めたくても自分一人,これまでの知識を総動員しながら,新しい事態に対処する。こうした時に,脳は一番生き生きと活動しているのです。(p41)
 彼女(若竹千佐子)に創作の秘密を問うたときの答えが,これまた見事でうなりました。「とにかくたくさんインプットして,アウトプットは思い切り絞り込むこと」(p56)
 自分がサマになっていない体験って,案外大事ではないかと思うのです。(中略)問題は,そのパターンが年を取るにつれ,減少することです。(p71)
 一番よろしくないのは,「いつも同じスタンスで人に接する」ことです。しかめ面をして,いつも他人に説教臭く接したりしていませんか?(中略)まったく違う世代の人間とは,話すのが億劫だ。こんな人は要注意です。「Aさん」は,Bさんと会うことで「Aダッシュ」になるのです。(p72)
 一番のアンチエイジングは,若者と接することです。(中略)異なる世代の交流が,なぜ「アンチエイジング」に効くのか。若者と話していて,頭が疑問符だらけになっている瞬間,脳の中では「文脈設定の回路に変化が起きている」からです。(p74)
 「相手に遠慮させないキャラ」。目指すべきはこのポジションです。(p77)
 覚えておいてください。不機嫌なおじいちゃん・おばあちゃんに近づきたい人はいない,ということを。(p83)
 僕の理想は,オノ・ヨーコさん。あるいは,作詞家の湯川れい子さんもそう。彼女たちを見ていると「若い」とか「老い」とか,もはや超越した絶対的な存在感なんですよね。美しいんです。美しいのですが,決してそれが「若いから」ではない。本人たちも,接するこちらも,もはや「年齢」などどうでもよくなってくるんです。(p88)
 僕が提案したのは,「思い切りしゃべる場を持つ」こと。(中略)昔ながらの方式で,日記を書くのももちろんいいのですが,そのほかネット空間での,ブログ,ユーチューブ,ツイッター,クラブハウスなど,いろいろな選択肢があります。フォロワー数なんて2,3人でいいんです。(p99)
 なぜ,旅がいいのか。必ず「トラブル」に見舞われるからです。(p117)
 「遊び」ほど,創造的でイマジネーション,知力が必要となるものはありません。主体的な働きかけや工夫がないと,「遊び」は面白くならないからです。(p124)
 理想なのは,「遊び」と「学び」の境界線がなく,遊ぶように学ぶこと。あるいは学ぶように遊ぶこと。(p135)
 彼にとって読書や学びは,「役に立つか立たないか」が重要であって,「立たない」なら読む必要がないと思っているわけです。彼等は若くして,すでに老化が始まっているのではないでしょうか。(p135)
 そもそも「日記」を書くという行為は,非常に脳を使う作業です。(中略)記憶・感情・言語・運動・・・・・・,あらゆる脳の機能を総動員して成立するのが「日記」です。(中略)日記のもう一つのメリットは,自らを「メタ認知」できること。(中略)文章を書くことで,自分の言動を一歩引いて眺められる,振り返る,内製する,そんな効果が「日記」にはあります。(p139)
 ツイッターの何がいいかというと,「エイジレス」なところです。(中略)ツイッターの場合は,そうした「自分像」から隔絶することができる。(中略)シンプルに発言内容が面白ければ,人は反応してくれる世界です。(中略)140字の文字数制限も絶好の脳トレになります。文章は長く書くより,短く書くほうが難しいからです。(p145)
 脳の神経細胞は「始めてのこと」に非常に強く活発化します。しかし,二度目,三度目となるとどんどん低下していってしまいます。(中略)どうぞ,自分にとっての「初めて」を探してみてください。(p168)
 「自分のどうしても苦手なケース」だけは避けるようにしておくと,反対にそれ以外の行動はだいぶストレスフリーに楽しめるようになります。(p187)
 「自分らしく生きる」スタイルの確立は,10代や20代ではできません。50年,60年生きてきて初めて,「これが自分だ」という自己像ができあがる。(p199)
 「スタイル」とは,「自分」と「好奇心」のバランスでしょう。いくら「自分らしい」服でも,そこに「好奇心」のスパイスがないと,ただの古ぼけた「習慣」になってしまうのではないでしょうか。(p204)

2024年5月1日水曜日

2024.05.01 和田秀樹 『70歳が老化の分かれ道』

書名 70歳が老化の分かれ道
著者 和田秀樹
発行所 詩想社新書
発行年月日 2021.06.25
価格(税別) 1,000円

● 著者の老人本のベストセラー群の嚆矢になったのが本書だと思う。その後に刊行された本をかなり読んでいるわけだが,本書に書かれていることは,すべてどこかで読んだことがあるものだ。
 逆に,本書を読んでいれば,著者の他の老人本を追いかける必要はないかもしれない。

● が,ぼくはこのあとも読んでいくと思う。なぜかというと,自分に都合がいい本だからだ。健診なんか受けるな,健診の結果なんか気にするな,血圧・血糖値・コレステロールは高くて上等,正常値まで下げるために薬を飲むのはアホやで。
 糖尿病で高血圧,コレステロールも中性脂肪も尿酸値もバッチリ高いぼくには,それでいいのさ,気にするなよ,と言われているようで,ホッとするというより元気が出るのだ。自分の現状にお墨付きをもらったような気分になる。

● 以下に転載。そのほぼ全ては,著者の別著で転載しているところと被るはずだけど。
 気持ちが若く,いろいろなことを続けている人は,長い間若くいられる。
 栄養状態のよしあしが,健康長寿でいられるかどうかを決める。(p4)
 旧来型の医療常識に縛られず,70代をどう生きるかで残りの人生が大きく違うというのが,私の30年以上の臨床経験からの実感です。(p5)
 80歳や90歳になっても,いまの70代の人たちのように元気に活躍できるようになって,人生のゴールがどんどん後ろにずれていくというのは幻想でしかありません。若返るのではなく,医学の進歩によって,「死なない」から超長寿になるというのが「人生100年時代」の実像です。(p20)
 「人生100年時代」が目前に迫った私たちは,今後は「老い」を2つの時期に分けて考えることが求められていると私は考えています。それは70代の「老いと闘う時期」と,80代以降の「老いを受け入れる時期」の2つです。どんなに抗おうと,老いを受け入れざるを得ない時期が,80代以降に必ずやってきます。(p29)
 高齢者のほうが,身体能力や脳機能において,個人差が格段に広がっているのです。その高齢者が大多数となっていくこれからの社会は,まさに多様性に満ちた社会となるはずです。このような「健康格差」が生じるというのが,これからの社会の特徴となります。(p33)
 高齢者にとっては,脳機能,運動機能を維持するために,「使い続ける」ということが重要なのです。個々の能力差が大きくなっていく超長寿社会においては,その維持するための努力をしたかどうかが,その後の大きな差となって現れてきます。(p34)
 実際に,「使い続ける」ことを実践できる人はそう多くありません。なぜなら,頭では理解していても,70代になってくると,意欲の低下が進み,活動のレベルが低下してくるからです。(中略)この「意欲の低下」こそが,老化でいちばん怖いことなのです。(中略)「意欲の低下」を防ぐには,日々の生活のなかで,前頭葉の機能と,男性ホルモンを活性化させることがとても重要になってきます。(p35)
 70代の人たちは,放っておけば何もせず,すぐに老け込んでいく危険性をもっています。だからこそ,機能維持のために意図的に振る舞うことが大切になってきます。このタイミングで,意識してよい習慣をつけることで,80代も元気さを保つことができるのです。(p43)
 70代一気に老け込む人の典型は,仕事をリアイアしたときから,一切の活動をいっぺんにやめてしまうというケースです。(p46)
 歳をとったので「引退する」という考え方自体が,老後生活のリスクになります。引退などと考えず,いつまでも現役の市民であろうとすることが,老化を遅らせて,長い晩年を元気に過ごす秘訣です。(p49)
 肉を食べることは,セロトニンと男性ホルモンの生成を促進し,人の「意欲」を高め,活動レベルを維持することにたいへん効果的なのです。(p70)
 一日中,部屋のなかにいることだけは避け,日中での明るい光を浴びる習慣をつけてください。これだけでも,高齢者が意欲の減退を防ぐには効果的です。(p72)
 前頭葉の老化を防ぐには,「変化のある生活」をすることが一番です。(中略)毎日,単調な生活を繰り返していると,前頭葉は活性化せず,衰えてしまいます。(中略)仕事やボランティア,趣味の集まりなど,外に出かける用事が生活のなかに組み込まれていることが,いちばん単調な生活を送らない解決策と言えるでしょう。(p75)
 一人で読書に勤しむような自学スタイルは,前頭葉の老化を防ぐという麺では役に立ちません。(p79)
 誰かと話す機会がなかなかつくれないという人でも,いまではブログやフェイスブックなどのSNSがありますから,そこに自分の意見を書き込むようにすれば,直接の会話ができなくても前頭葉は活性化します。(p82)
 何かを発信する機会には,「物知りな人」より,「話の面白い人」を目指すことが前頭葉の老化防止には効果的です。(p83)
 階段の上り下りにおいては,実は下りるときの筋肉のほうが先に弱るのです。ですから,いつまでも自分の足で歩くことを目指すなら,階段では下りの練習をしたほうがいいのです。(p86)
 メタボの提唱者の松澤祐次氏は,やせようとしているようにはまったく見えない太めの体型ですが,今年80歳になるにもかかわらず,とても元気です。(p94)
 70代の人にとっては,100歳まで生きたとしてもあと30年です。どう生きたいのか,ということも考える必要があるのではないでしょうか。(p97)
 人づき合いをしていると,男性ホルモンが少しずつ増えてくるちう側面もあります。それによって,さらに人と交流する意欲が増進するという好循環をつくることができます。(p101)
 70代になったら,もう,嫌なことはなるべくしないということが大切です。(中略)私がお勧めすることがどうしても嫌なら,もちろんやらないほうがいいのです。(p103)
 苦しければ苦しいほど,大きな成果が待っているという考え方からは,そろそろ解放されましょう。(p104)
 医学の知識がない患者さんだと,少々,薬の副作用があっても,医師が健康のために処方したのだから我慢しようと考えてしまいがちです。しかしそのような我慢は必要ありません。我慢したところで,それで長生きできるなどという確証はないのです。(p113)
 結局,医学とは,不完全な発展途上の学問だということです。だからこそ私は,現実をとらえた統計データこそ,もっとも嘘のない信頼に足るものだと考えています。(p125)
 日本人のおかしなところは,風邪くらいでも簡単に病院に行くのに,心の不調の場合は自殺するまで病院にいかないというところです。(p139)
 日本社会では,依存症の人間の意思が弱い,人間性がだらしないからだ,といった見方をされがちです。そして,依存する人間のほうを叩き,依存症を生み出している酒類メーカーやパチンコ屋,ゲーム会社はそれでお金儲けをしているにもかかわらず,何も批判されません。(p141)
 会社勤めをしているような人だと,どうしても仕事だけで時間が忙殺されてしまう傾向がありますので,意識して趣味をつくろうとしないと,定年まで無趣味できてしまうということがほとんどではないでしょうか。(p157)
 だから「50代や60代の勤めているうちに,趣味をつくっておくことが重要です」(p157)となるのだが,ぼくの経験では定年後の人生がどうなるかは,定年になった時点で勝負はついている。趣味だけの問題ではない。夫婦仲がいいか悪いかはそれ以上に重要だ。おそらくだけれども,定年後にそれを修正するのはほぼ不可能ではないかと思う。定年になってから慌てても手遅れだ。
 趣味したって,探して見つけるものではないような気がする。気がついたらやりたくてしょうがないものとしてそこにあった,というのが普通のあり方ではないか。やりたくてしょうがないものならば,仕事で忙しいという程度の理由で,やらずにいることなどできるわけがない。できる範囲でやっているはずだ。定年数年前になってそのやりたくてしょうがないものがないようだと,すでに逆転は難しいのじゃないか。
 私がこれまでみてきたケースでわかったのは,親の死がとてもこたえるという人は,親子関係に対する罪悪感をもっているということです。これまで不仲であったり,親不孝ばかりしてきた,親孝行もろくにできなかった,そんな思いが罪悪感となっていて,いざ親がいなくなってみると喪失感に耐えられなくなってしまうのです。(p169)
 70代ともなると,だんだん人づき合いがおっくうになり,夫婦ふたりで行動することが多くなります。(中略)しかし,その関係は永遠には続きません。必ずどちらかが先に亡くなり,どちらかが残されることになるのです。(中略)だからこそ70歳になったら,行動のすべてが「夫婦ふたりユニット」になってしまわないように気をつけるべきです。(p171)
 最近の研究では,男性ホルモンが多いと,「人にやさしくなる」といこともわかってきました。(p181)
 私は,70代になったら,自分のことだけで生きるのではなく,まわりの人のために尽くす生き方に少し変えていったほうがいいのではないかと考えています。(中略)肩書やお金持ちかどうかといったことが,その人の人生を決めているわけではないのです。最後はその人が,まわりに対して何をしてきたかが大きいと思います。(中略)自分も他者にやさしくできるようになってきたと感じることがありますが,そのようなときは,私自身も幸せだとしみじみと感じるものです。(p186)