2025年12月19日金曜日

2025.12.19 一志治夫 『「ななつ星」物語』

書名 「ななつ星」物語

著者 一志治夫

発行所 小学館

発行年月日 2014.04.26

価格(税別) 1,400円


● 副題は「めぐり逢う旅と「豪華列車」誕生の秘話」。

 ずいぶんいろんな人に取材をしている。「ななつ星」ができあがってから関係者に話を聞いたというのではなく,開発中から張り付いていたようだ。

 いや,事後的な取材だったか。そのあたりは測りかねるのだが,ルポルタージュとして力作の部類に入るのではなかろうか。


● もちろん,関係者を美化しすぎ,「ななつ星」のPRも関係者から頼まれたのではないか,と邪推したくなることもあったのだが,おそらくそうではない。

 関係者の多くが魅力的な人物だったのだろう。取材を重ねるうちに,関係者に惹かれるところもあったのだろうし,自分も開発チームの一員になったような気分になることもあったのかもしれない。


● 著者が伝えたかったのは,「ななつ星」がいかに普通からかけ離れているか,普通じゃないというのがいかに大変なことなのか,その大変なことがなぜ成就したのか,ということだ。

 ヒューマンストーリーにもなっている。結果,面白いノンフィクションに仕上がっている。


● 「ななつ星」に触発されてか,JR東日本が「TRAIN SUITE 四季島」を,JR西日本が「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」を,それぞれ運行させているが,「ななつ星」には及ばないんだろうかな。あるいは,「ななつ星」の経験を学んでもっと楽に開発できたんだろうか。

 当然,乗ってみたくなるが,財布に相談しないといけない。相談したとしても,財布はムリと言うに決まっている。


● 以下に転載。

 唐池としては,お客さまが乗車して最初に目にし,口にする食べ物は極めて重要だという思いがあった。そこに驚きと感動がなければ,この旅は失敗してしまう。驚きと感動を生むのは「手間」にほかならず,目の前で鮨を握るという行為には,文句なしの手間があった。(p30)

 山中は,朝から食事もせず,水も飲まない。本店でも,自らが空腹でなければ美味しいものは出せないと,営業終了後に食べるようにしている。(p34)

 水戸岡さん,この近未来型はやめましょう。やっぱり,贅沢さとか豪華さというのは,経験じゃないでしょうか。近未来型には贅沢さと豪華さがないです。(p44)

 こののちも旅のスタイルは,なかなか具体化していかない。結局のところ,誰もが豪華で贅沢な旅など知らなかったからだ。(p45)

 二十万円では安いんだ。もっと上げたほうがいい。お客さまというのは,価格で価値を判断するんだから,ここが中途半端だと中途半端な列車だとしか思われない。(中略)ちゃんと価格で価値を見せたほうがいい(p46)

 仲は日本の富裕層とはいったいどれぐらいいるのかと調べてみた。基準は金融資産一億円以上,年収三千万円以上。すると,人口の一パーセント,つまり約百三十万人いることがわかった。それはJR九州がかつて対したことのない層であり,顧客として囲い込んだことのない人々だった。(p46)

 この基準は現在では上方シフトしているだろう。年収が3,000万円で金融資産が1億円というのもバランスが悪い。年収が3,000万円もあるんだったら,金融資産は10億円くらいはあるものじゃないか。

 スピートという側面では世界に冠たる列車を持つ日本だが,余暇を楽しむ本格的な列車はなく,この計画は,「美しい日本をどう見せていくかというひとつの起爆剤になる」と確信していたのだ。(p47)

 四日間もお客さまとずっと一緒にいるわけで,ごまかしがきかない。これまでのように二時間ならば,悪い言い方をすればお芝居だけでなんとか乗り切れたのが,今度は全人格をぶつけないとならない。人間そのものを出して,本当に家族のように,友だちのような関係になっていかないとこの旅は成功しない。(p57)

 田島は,リゾートに資本が投下され,一元化していくことに危機感を感じている。「泊食分離」を是とする風潮に危惧を覚えている。「旅館は文化産業,ホテルは文明産業」と考える田島は,横行する浅薄な風潮に「一泊二食こそが文化である」と楔を打ち込み続ける。一泊二食によってこそ,京都の文化も,金沢の文化も,鹿児島の文化もまた守られる。(p64)

 敵対していても,仲が悪くても,ずっとこの男を憎んで,嫌って,対立してやろうというエネルギーを維持するには相当の力がいる。挨拶をされて,挨拶を返さない自分を嫌悪する気持ちだって生まれてくる。人間はやはり仲良くしたいという気持ちを本来持っているのだ。だから,時間をかければ自然に打ち解けるのである。(p79)

 社員を元気にするには,儲かる会社にする。その一点をめざして突き進んでいけば,自ずと社員の志気も上がる(p84)

 唐池は,こうした事業で市場調査などはほとんど行わない。「自分が食べたい」「自分が行きたい」と思えるか否かが唯一の指針だった。(p86)

 自分がフラフラして,出口がわからないなどと言っていると,相手はもっとわからなくなる。(p90)

 現実に使う道具として,どこまで完成度が高くできているかがベースにあり,その上に美しさのようなセンスが加わってくる。(p92)

 量産で利益を出している会社に一品ものを頼むのはまずあり得ないことだった。だが,そうやって動いてみてわかったこともあった。大手メーカーの技術者は,最後にhあやはりいいものをつくりたい,世に出したいという思いがあり,水戸岡の情熱に応じてきたのである。(p115)

 専門家が,根掘り葉掘り,重箱の隅をつついてきても,ああ,ここまでやっているのね,と思わせないとダメなんだ。最初は気づかなくても,徐々に気がつくようなソフトが蓄積されていて,デザインの手間が見れば見るほどわかるようになっている。物語が次から次に車両のほうぼうから出てくる。ここまでやるのか,バカじゃないか。こんなことをやっていたら採算とれないよね,というレベル。そこまで手間暇かけて,気持ちでなんとか倒れそうなところを超えていく。その情熱,ロマンが人を感動させるのだ。そして,そのロマンを参加する全員に共有してもらわないといけない。(p126)

 水戸岡は,柿右衛門に余白の美を感じていた。燭手と絵付けのバランスがいいのだ。(中略)それは絵の良し悪しではなく,デザイン力だ,と水戸岡は感じていた。(p131)

 まずは気持ち。やつという気持ちがなかったら,何もできない。誰もやったことがないんだもん。もちろんいろんな問題は出てくるよ。出たら,出たときに考えていけばいいじゃないですか。そんなもの最初に考えたら,新しいことなんか何もできないよ(p144)

 あまりに手仕事の匂いのするものは使いたくない。工芸的になるよりは,工業的に(p150)

 セスティナビリティとか,モダンとか言って,線の細い,透明なデザインばかりの中で,これだけのものを出されたら,誰だってくらくらする。もし,これと同じものを代理店感覚で,既製品でつくったら,完全に下品な代物になるだろう。それがないのは,やはり渾身だからだ。(p154)

 人は,形が見えないものに対して,見えるまで好き勝手なことを言う。見えない人には見えないから,とにかく否定する。見えないものをつくるのは,本当に大変なことなのだ。(p185)

 健康なまま,楽しく仕事なんか終わるわけがない。自分の身体をめいっぱい使って,もしかしたら,自分の持っている経済力も全部使って,あらゆるものを使って初めてできるものもある。犠牲をともなわないものに感動なんてなく,誰かがとんでもない犠牲を払っているからこそ感動するのだ,と水戸岡は思う。(p203)

 水戸岡は,繰り返される大組織の伝言ゲームにうんざりしていた。何かを言っても,その言葉は,大きく迂回していくつかの部署をまわり,いつの間にか責任の所在が消えていくという感じだった。(中略)組織の一員という立場が厄介だった。(p205)

 鉄道に囲い込もうとする意識が浅はかだ。もっと人が動く仕組みをつくればいいんだ。(中略)人が動けば地域は活性化する。地域が盛り上がり,お金も落ちる。派生するものをどう生むか。(p221)

2025年11月16日日曜日

2025.11.16 ホテルとディオール

● PR誌2冊を斜め読み。ひとつはこれ。何年か前にどこかの地下鉄駅に置いてあったのをもらってきたんだと思う。
 写真がキレイで,いつか泊まってみたいなぁと妄想に浸れるかなと思ってね。

● 読むところは星野佳路氏のインタビュー(p6~p7)のみ。と言っても,「星のや」には泊まったことはないし,これからもないような気がする。
 お値段もそれなりにするしね。無理して泊まることもない。

● そのインタビュー記事からいくつか転載。
 単に多くの人に来てもらうのではなく,観光地側が制限を変えるなどして,お客さんを選ぶ傾向にあります。しかし,日本は相変わらず2019年に戻ろうとしているようで,世界との差が開いてしまうのではないかと懸念しているんです。
 新しい観光の形として私が考えているのがステイクホルダーツーリズムというもの。(中略)実現させるためには,連泊滞在を強烈に提唱する必要がある。現状,国内旅行の宿泊数は,大半が1泊2日。それだとホテルや交通機関にお金が落ちますが,地元には還元されません。連泊することで中日ができ,アクティビティや飲食を楽しむことにより,経済の循環が生まれます。
 今までは観光地がお客さんに合わせていましたが,これからは地域の特徴を現地から発信し,興味を持った人が訪れる時代。
 星野リゾートではマイクロツーリズム(自宅から1~2時間で行ける場所を旅する)を引き続き推奨しています。観光産業が排出しているCO²の半分が交通で,移動距離が短くなればCO²は劇的に減ります。
● 今どき,CO²の話をしているのかと思ったんだけども,これは本気でそう考えているのか,宿泊候補者へのアピールなのか。この分野の意識高い系が集うホテルには,正直,行きたくないけどな。
 観光地が客を選ぶというのも,おそらく上手くいかないだろう。選ばれる人は多くはないからで,そうなると観光が業として成立しなくなる。これも,それをわかった上でのアピールなのかもしれないけれど。

● もうひとつは,「DIOR MAGAZINE No.45」。ディオールの広報誌。
 こちらは見ても全然ピンと来ない。

● モデルのディーヴァ・カッセルのインタビュー記事からいくつか転載。
 好みやビジョン,フォルムは流行によって変化するものですが,私は,カラーやテクスチャーを組み合わせることで,どんな風に今の時代に融合させ,新たなピースを創造するのかを見るのが好きです。
 私が表現したいと思うのは,ウェアの着こなし方だけでなく,ウェアが体現するものは自分自身で決めることができる,ウェアは私たちを支えてくれるものである,という点です。
 ファッションは自己肯定である
 すでに所有するピースを使って違うスタイルを作り,新しいフォルムを与えることが好きです。
 服飾とは,私たちの振る舞いや歩き方,呼吸の仕方をもデザインします。歴史的な服飾を纏うと,私たちはあっという間にその時代への旅路に招待されます。
● 何だかよくわからない。自分の顔をキャンバスにして絵を描く芸術家(女性)にはピンと来るんだろうか。
 若者であっても,身なりに無頓着な男性は多いだろう。むしろ,無頓着であることに矜持を持っている人もいるのではないか。

● それゆえ,男性にとってはつけ入る隙はいくらでもあるということになる。わずかな努力で報われる分野であるかもしれない。

2025年10月31日金曜日

2025.10.31 和田秀樹 『60歳からはやりたい放題[実践編]』

書名 60歳からはやりたい放題[実践編]
著者 和田秀樹
発行所 扶桑社新書
発行年月日 2023.09.01
価格(税別) 880円

● 怒涛の勢いで高齢者本を出している著者の本をまた読んだ。同じ内容が何度も出てくるから,新味はそんなにない。
 が,読めば元気になれる内容だ。読んでいて気が満ちて来るような気分になる。

● まぁ,錯覚かもしれない。間違いなく一過性のものではある。
 が,錯覚だろうと一過性だろうと,副作用があるわけではないから,片っ端から読むことにしている。

● 以下に転載。
 60歳以降は,とにかく「脳を喜ばせること」が大切なので,おいしいものを食べて楽しむほうが理に適っています。いま,「食べたい」とあなたの頭に浮かんだものを食べることは,脳への良い刺激になります。(p24)
 甘いものを食べる際,最も気を付けてほしいのは虫歯です。60代以降は歯の健康が,その後の人生の質を大きく左右します。(p30)
 仮に栄養学的には何も意味がなさそうな食材であっても,その食べ物に含まれている「微量物質」と呼ばれる物質が含まれています。(p47)
 心の健康を優先して,過度な節制を求めないほうが良いと私は思います。(p58)
 「できないこと」については,すっぱり諦めてしまうに限るのです。(p85)
 幸せな60代の大切な特徴は「完璧主義に陥らず,できることは続けること」です。老いに逆らわず,老いを受け入れ,細かなことは気にしない。(p87)
 現代の認知科学の世界では,人の心は内面よりも外面によって形作られるものだという考え方が強まっています。外見や行動によって人の心は変化し,それを受けて体の状態も変わる。(p95)
 「趣味」や「遊び」は脳に刺激を与えるのになくてはならない存在です。(p116)
 記憶の低下よりも意欲の低下のほうが老化を促進することを忘れないでください。(p119)
 「歩くのはおっくうだ」という人は,必ずしも歩く必要はありません。(中略)とにかく「用事をつくって,外に出ること」が肝心なのです。(p121)
 私自身も50代後半から朝30分ほど散歩する習慣をつけるようになりましたが,血糖値などの数値の改善の他,夜もぐっすり眠れるようになりました。(p124)
 週に一日,二日の休館日を設けても,さほど効果はないように思います。肝臓を休めたいと思うのならば,一週間くらい続けてお酒を飲まない日を作らないと意味がないとされています。(p128)

2025年8月22日金曜日

き2025.08.22 酒井順子・関川夏央・原武史 『鉄道旅へ行ってきます』

書名 鉄道旅へ行ってきます
著者 酒井順子
   関川夏央
   原 武史
発行所 角川文庫
発行年月日 2024.03.25(単行本:2010.12.20)
価格(税別) 800円

● 単行本でも読んでいることを,読み終えてから知った。もちろん,だから損したとかいう話ではない。

● 「人工的なものは何一つない。聞こえてくるのは,川のせせらぎと野鳥の鳴き声だけだ。何の夾雑物もなく,大自然と裸の自分が相対しているうちに,心が研ぎ澄まされてくる。(p181)とは共著者の原武史の文章なのだが,こういう文章を書く(こういう文章しか書けない)人を,ぼくは信用しない。心が研ぎ澄まされる? 何だ,それ。
 おまえはどんな文章を書けるのだ? と言われると,そういう文章すら書けないわけだが。

● 以下にいくつか転載。
 マニアって,あえて自分に徒労的義務を課すんだけ。(関川 p127)
 (五能線は)演歌の代替物なんだろう。冬,日本海,荒波,「都落ちする私」。自己憐憫は不滅だから。ここで疑似体験するんだろうね。(中略)もともと,演歌と汽車と「都落ち」は相性がいい。それからフォークソングも。演歌の変奏だったから。(関川 p137)
 戦跡は観光には適さない。遺構がなく,つかみどころがないからだ。(関川 p168)
 汽車趣味もお城・戦国趣味も,やっぱり「児戯」には違いない。ただ,雑学自慢にならない言語化ができれば救われるのだが,それはラクなことではない。(関川 p170)
 「旅情」を感じつつ孤独にひたる,などというのもやや見当違いではないかと思う。「旅情」や「感傷」など,実人生に掃いて捨てたいほどある。あえてよそに探しに行くことはなかろう。(関川 p217)
 ガツガツしてる奴は年をとってもガツガツしてる。あんまり年齢は関係ないですね。(原 p244)

2025年8月8日金曜日

2025.08.08 『秩父三十四ヵ所を歩く 改訂版』

書名 秩父三十四ヵ所を歩く 改訂版
発行所 山と渓谷社
発行年月日 2006.03.
価格(税別) 1,400円

● 先月,初めて秩父に行った。面白そうなところだ。面白いと言ってはいけないのかもしれない。ただ者ではない感に満ちているということだ。
 他所から移り住む人も多いかもしれない。一度来たら虜になる人がいそうな気がする。沖縄のように気候風土が日本離れしているわけではない。空気感が独特という感じを受けた。

● 酒や食も奥深さを湛えているような気がするが,何より神社仏閣が多い。人口に比して明らかに過剰だ。
 それを支えているものは何なのか。それを追求したいとは思わないが,秩父三十四ヵ所は巡ってみたいと思っている。本当にやるかどうかはわからないが,その気はある。

● 若い頃(中年の頃)は,退職したら四国八十八ヵ所を歩いて回りたいと思っていた。体験記をいくつも読んだ。この前に弘法大師の本も読もうと思って,ちくま学芸文庫の4冊を買った。
 が,手を付けていない。四国八十八ヵ所を巡るのは半ば以上諦めている。

● が,秩父ならばできるかもしれない。
 と思って本書に目を通してみたわけだが,果たして実行するやいなや。

● 巻頭に秩父札所連合会会長の羽金文雄さんの挨拶文(?)が載っているのだが,これがまことにつまらない。こうした挨拶文はこういうふうに書くものという不文律があって,それにしたがっているのだろうな。
 というより,本人が書いたものではないかもしれないが。

2025年2月22日土曜日

2025.02.22 角田陽一郎 『人生が変わるすごい「地理」』

書名 人生が変わるすごい「地理」
著者 角田陽一郎
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2019.08.02
価格(税別) 1,500円

● 地理とあるけれども,若い人への人生論のようなもの。

● 昭和50年代まで「中国の子供たちは目がキラキラしている(日本の子供にはなくなったものだ)」という爺様がいたが,どうもそれに近い印象を持ってしまうところもあった。
 後半では中国の経済力を称賛する記述がけっこうあるのだけれども,現在の中国は破綻の危機に瀕しているわけで,経済に限らず,目先の情勢トレンドをどう扱えばいいかはなかなか難しい。

● 以下に転載。
 縄文時代は,約1万5000年前から約2300年前(紀元前3世紀頃)までの結構長い時代を指します。僕ら日本人がこの時代を「縄文時代」と意識しはじめたのは,モースが大森貝塚から縄文式土器を発掘してからのことで,150年も経っていません。日本史の中で一番長い時代であるにもかかわらず,織田信長も徳川家康も坂本龍馬も,縄文時代を知らなかったということです。このささいな事実に気づくことが,「地理思考」をするうえで重要な要素となります。(p26)
 現代に生きる僕たちが,僕たちの目線や常識でかつての時代を判断すると,歴史を曲解してしまう危険をはらむような気がします。(p27)
 「地理思考」で大事なことは,だいたいの標準的な数値を肌感覚で知っていることだと思います。(p33)
 コメと小麦には特筆すべき違いがあるのです。それはなにかというと,米がおもに自給を目的として作られる一方で,小麦は商品的な性格を持つということです。(p38)
 産業革命によって効率化を優先するようになった人類は,働き方も効率優先で考えるようになりました。そこで生まれたのが会社という組織です。(中略)この会社の誕生によって,人間の生活は「食べるために働く」から「働くために食べる」へと転換してしまいました。(p43)
 僕は,世界とは「子どもの集まり」だと思っています。(中略)世界とは「組織化されていない人間社会である」とまずは理解し,1つひとつの国は一個人と同じなのだと考える。それも,上から統制されない,原始的で野蛮な人間関係が如実に現れるものなのだと認識することが,地理試行的な考え方といえます。(p58)
 平和を維持するために,“なあなあで済ましておく” というのは,実は平和の本質なのではないかと僕は感じています。(p67)
 地名は,「人間が環境という外部から影響を受けると,どうリアクションする(してきた)かの集合体」と言い換えることもできます。(p92)
 淀んだ場所だから,街ができる。すごく淀んだ場所だから,街が大都市になる。(p95)
 知の本質は,物事の「縁起」を丁寧に深堀りすることで見えてきます。(p100)
 報道のあり方というのは,テレビ局の内部の視点でいうと,そんな大仰なことではないのです。(中略)それは,スタッフが日々の仕事に忙殺されていることです。それが,結果として雑な仕事になって現れているのだと思います。(p143)
 一時期,築地市場の移転問題と,相撲問題ばかりが取り上げられていたことがありました。それはなぜだと思いますか?(中略)それは,「築地と両国国技館の距離が都心のテレビ局に近かったから」。(p143)
 雑多な人と接触し,情報を寄せ合い,そして情報の混交が進む。それが果たせないのなら,もはや都市に集まっている意味がないのではないでしょうか?(中略)渋谷の高層インテリジェントビルに隔離されたIT企業。そこで働く人は日中ほとんど外部の人と合うことはなく,ほとんどの情報交換をネットですませます。外部の人と接触するのは通勤の満員電車のなかだけという,なんとも皮肉な現実です。(p144)
 ひとすじ縄ではいかない世の中で,僕たちは僕たちはどう生きていけばよいのか? 私も途方にくれることが多くあります。しかしながら,「途方にくれそうになるのが世界なのだ」あるいは,「それが,人間が生きている社会の常なのだ」と理解してしまうことも,意外と有効な考え方ではないかと思っています。(p170)
 結局のところ,地図は「嘘つき」だと僕は思っています。なぜなら,「地図には制作者のイデオロギーが入り込んでいる」からです。(中略)そして,やっかいで,肝要なのは,そのイデオロギーはときとして「人の目には気づかれないように(巧妙に)隠されている」ということです。(p176)
 何かを学ぶ際,いや,人生を送る際にもっとも大切なことは,「適度に信じて,適度に疑う」ことだと僕は思います。そして,その具体的な方法とは,1つの観点から物事を見るのではなく,上から,横から,斜めから,まさにバラエティに富んだ観点を持つことが大切なのです。(p181)
 鎌倉幕府の定義がぼやけるのは,その呼称そのものが後世に名付けられたためです。(中略)学校で習う “勉強” の多くは,つまり若い頃に大人たちから教わる情報は,その定義が曖昧か厳格かなんて要素はまったく考慮されずに,ただ “決まったこと(=定義)” として降ってくるのです。(中略)でも,本当の勉強とは,過膜幕府の成立年を覚えることではなく “鎌倉幕府という定義は,曖昧なのだ!” と理解することなのです。(p211)
 物事の始まりは曖昧です。(中略)事実を追求することも大切ですが,僕は,この歴史で起こった減少もつねに「始まりは曖昧だ」ということを理解することの方が,人生にとって重要なことだと思うのです。(中略)“決まり” とは,誰かが “決めた” から “決まり” なのではありません。(中略)みんなが(意識する・しないにかかわらず)そう思うから “決まり” になるのです。(p217)

2024年6月5日水曜日

2024.06.05 下川裕治 『旅する桃源郷』

書名 旅する桃源郷
著者 下川裕治
発行所 産業編集センター
発行年月日 2023.07.18
価格(税別) 1,250円

● 本書で取りあげられる「桃源郷」はラオスのルアンパバーンをはじめ19の街にのぼる。19の街がそれぞれどのような理由で著者にとっての桃源郷になったのか。そこが本書の要なのだが,それを説明するよりは,本書を読んでもらった方が話が早い。
 旅行作家にとってはコロナ禍は相当以上のダメージをもたらしたらしい。が,それ以上のダメージを,日本の経済力の衰えと円安がもたらしているのではないかと思っていた。大方の日本人にとっては海外旅行など高嶺の花になりつつあると思えるからだ。

● 日本人は内向きになったと言われるが,正確には,内向きにならざるを得ない状況に置かれているということだろう。日本でならひと月はもつ現金が1週間ももたずに消えていくようなところへ,どうして行くことができよう。
 行けるわけがないのだから,そんなところに興味を持っても仕方がない。

● 子息を欧米へ留学に出せる世帯がどれほどあるか。授業料だけで年1千万円もかかるというではないか。無理,無理。そんなことに興味を持つな,となる。
 シンガポールや香港で暮らすのは,大企業の部長クラスの給料ではとても無理だろう。そういう時代になった。
 日本で半年働けば,2,3年は東南アジアを放浪できるという前提が消滅した。これではバックパッカーも激減するしかない。

● 以上の事がらは,著者のような旅行作家の読者が減ることにつながるだろう。多難な状況になったものだと思っていたのだが,ぼくはこうして著者の作品は出るたびに読んでいる。
 ぼくがそうだということは,他の読者も同じである可能性が高い。旅には出なくなっても,著者の文章は読まれ続けているのかもしれない。

● 文章じたいに香気があること。本書でも触れられているのだが,単なる紀行文ではなくて,その国の歴史や民族構成などを視野に入れて,多面的な情報を伝えてくれること。
 著者の作品を読んでいると,文化人類学の本を読んでいるのか,それにしては(学者が書くものとしては)文章が巧すぎないかと錯覚するようなこともあった。

● ともあれ,以下に転載する。
 みごとな眺めや味は,それぞれの人生にシンクロしてはじめて桃源郷という天上界にも似た世界に昇格するということなのだ。だから旅の桃源郷は人によって違う。しかしそこに至るプロセスは酷似している。(p6)
 旅に出ない日々のなかで出合う世界は生々しい。人生と一体化している。しかし旅で出合う桃源郷は,旅という日常を離れた世界の先に見えてくるものだ。(p6)
 七十歳近い年齢になったが,僕はこれからも旅に出る。つらくなったら,これまでつくってきた僕の桃源郷に逃げ込む。それが僕の財産のようにも思う。(p7)
 ルアンパバーンは音のない世界だった。はじめてその川岸に立ったとき,街の音をメコン川が吸いとっているような気になったものだった。(p18)
 以前,ネパールのアンナプルナのトレッキングルートを歩いたことがあった。登山道が整備され,登山隊や多くの観光客が訪れるようになった。山で暮らしていた人々は宿をつくり,生活は豊かになった。しかしいとつの村の村長さんがこういった。「富は貧困を連れてくる」
村に金を狙った窃盗団がやってくるようになったのだ。(p52)
 「遊ぶのは 楽しすぎて たまらない」
 沖縄の多良間島。島の中央を走る道沿いでひとつの看板が目を引いた。(p58)
 かつて未成年の喫煙を防ぐために,煙草の自動販売機の販売時間を制限していた時代があった。(中略)しかし沖縄では買うことができた。違法の自動販売機があったのだ。その自販機は電気が消えていて,一見,買うことができないように映ったが,硬貨を入れてボタンを押すと,コトッという音を残して煙草が受けとり口に落ちてきた。(中略)「沖縄は夜が遅いから,十一時以降は販売禁止になると不便だからさー」
沖縄生まれの知人は,そう説明してくれたものだった。(中略)本土のルールを軽くいなしてしまうような沖縄が好きだった。(p69)
 そこには本土への反骨精神などなにもなかった。(中略)島に流れる風に従っているだけのようにも映る。(p72)
 人はひとりの小市民として生きていくために,さまざまなルールを守っていかなくてはならない。それは社会人としての規範でもある。ときにそのルールは大きなストレスにもなる。そこから解き放たれたとき,ここは桃源郷ではないかと思えてくる。人が暮らす社会だから,沖縄にも独自のルールはある。しかしそこには本土の決まりごとが入り込まないエリアがある。旅人はその世界に触れたとき,圧倒的な開放感に包まれる。それが旅の醍醐味だと思っている。(p73)
 僕もどちらかというと話をしなくてすめばそうしたいタイプだ。(p76)
 ここ(沖縄)には,国家というものを鼻で嗤ってしまうような風土があった。日本と中国の狭間で生きてきた人々の遺伝子に刷り込まれた自由さ。それは憧れだった。ときにアナーキーなものに映る発想が僕には心地よかった。(p77)
 僕は学生の頃から,足繁くタイに通った。ときにこの国は桃源郷のように映ってもいた。その流れでバンコクに暮らしたのだが,その日々のなかでは見たくないものが見えてしまう。聞きたくもない言葉が耳に届く。(中略)タイの暮らしで学んだことは,その社会に深入りしないことだった。(p77)
 タイという国は,ときおり,その発散するエネルギーに辟易とすることがある。アメリカの西海岸をはじめて訪ねたときは,あまりに明るい日射しと,無駄に明るい人たちに気圧されてしまった。そこへいくとギリシャの街を歩いていると,心が落ち着いてくるのがわかる。ひとりでぽつねんと旅をするならギリシャだった。(p83)
 なぜ,ここまでの原色を選ぶのだろうか。それが民族の主張であることに気づくまで少し時間がかかった。彼ら(ラカイン人)は,コックスバザールという街では少数派だった。街を埋めているのは圧倒的にベンガル人が多い。そのなかでは民族を主張しなければ押しつぶされてしまう。原色での服装は精一杯の自己主張だった。(p106)
 路線バスの車掌は女性が多い。彼女らは傘もささずに外に出ていく。(中略)制服はぐっしょりと濡れ,パーマをかけた髪はちりちりになり,ぽたぽたと水が落ちるような状態で戻ってきた若い女性の車掌の顔が,うれしくなるぐらいに輝いているのだ。雨に打たれたことが,まるで楽しいことだったようにしゃきっとしてくる。(p134)
 (タイ料理と中国料理が融合したタイ中華の)特徴はあまり辛くないこと。そして(中略),味が混ざりあっていることだ。この味の融合はどういう効果を生むかといえば,早く一気に食べることができる。働く人々の昼食向けということになる。もうひとつのカテゴリーは純血タイ料理である。(中略)大きなポイントは,それぞれの味が交わっていないことだ。(中略)味が交わることなく,それぞれがおいしい・・・・・・。それが純血タイ料理の王道ということなのだ。(中略)そして純血タイ料理はかなり辛い。(中略)急いで食べることができないのだ。(中略)純血タイ料理は,ある意味,現代の時間感覚と合っていない。ゆっくりと時間が流れていた時代の料理といってもいいかもしれない。(p171)
 「私たち(チベット人)はものではないものを守って生きていますから」
 ガイドはなにを思ったのか,突然,日本語で僕に伝えた。(p195)
 チベットは貧しい(漢民族の)物乞いも惹きつけているが,心の空白を抱えてしまった豊かな中国人も呼び入れている。(p197)
 飛行機や列車,バスなどで移動し,新しい街に着く。そんなとき,必ずといっていいほど,それまで滞在していた街に戻りたくなる。当然の話だ。前にいた街は,多少なりとも様子がわかっている。(中略)新しい街では,旅の日々をゼロからつくっていかなくてはならない。(中略)新しい街に向かうということは,新たなストレスに晒されることだ。それを乗り越えていかないと旅は続かない。(p200)
 移動することが旅だとすれば,沈没とは旅へのテンションがさがっているということにもなる。旅というものは,それなりのエネルギーがいるものだ。(p201)
 シンガポールはストレスのない街だ。空港や繁華街の出口で客を待つ客引きもいない。タクシーに乗ると,運転手は黙って料金メーターのスイッチを入れる。騙されるという不安の中で,つい表情が硬くなってしまうようなことがない。(中略)しかしそれは一日しかもたない。翌日から,この快適さを維持する装置のようなものが目につきはじめる。(中略)二日目から眺めるシンガポールは,薄気味悪さが浮き立ってくる。(p204)
 僕は旅行作家という肩書きを持っている。旅はその国の経済状況や歴史,文化と無縁ではない。単純な旅を描いても,読者は納得してくれない。ひとつの国に入ると,アンテナを何本も立て,現行のテーマを探してしまう。猥雑なエネルギーが弾ける国を,その経済環境から読み解こうとする。旅をしているようなふりをしながら,テーマを探しているようなところがある。僕の頭は旅先で休まることがない。(中略)しかし僕も年をとった。若い頃から続けてきた旅のスタイルが,ときに重く肩にのしかかってくる。(p206)
 暑い空気のなかで,ほとばしるアジアのエネルギーに身を沈めなければ旅ではないといった頑なな思いあがりもあった。(p219)
 世界のなかでも最貧国に数えられていたバングラデシュは,逆に見れば援助受け入れ大国でもあった。(中略)自立を促すことの難しさは,現地の人々と直接話す立場では,いかに難しいことか・・・・・・。僕は痛感していくことになる。(p227)