読書で人生が変わるなどということは,まずもってないものでしょう。読書が人を賢くすることも,たぶん,ないと思います。 読書は安価でお手軽な娯楽であり,時間消費の手段です。それでいいというより,娯楽でない読書は可能な限り避けたいものです。 娯楽としての読書があれば,老後もなんとかしのげるのではないでしょうか。というか,しのげると思いたいわけですが。
2012年10月29日月曜日
2012.10.29 秋元 康 『世の中にこんな旨いものがあったのか?』
書名 世の中にこんな旨いものがあったのか?
著者 秋元 康
発行所 扶桑社
発行年月日 2002.03.30
価格(税別) 1,238円
● ぼくの食に対する訴求点は相当に低い。ご飯が炊きたてであれば,おかずなんて何でもいい。しかも一品でいい。二つも三つもは要らない。一汁一菜というけれど,一汁は要らない。一菜でいい。
たとえば,納豆だけでいい。丸美屋の「のりたま」があればいい。真空パックのカツ節に醤油をかけて混ぜ合わせたものを乗せるだけでもいい。ネギ味噌でいい。魚肉ソーセージをフライパンでから煎りしたのに醤油をかければそれでいい。卵かけご飯なら文句はない。目下は,桃屋の「唐がらしのり」を食卓の友としている。
多分に育ちの悪さが影響していると思っている。自分の味覚に自信がない。ぼくに旨いものを喰わせることは,すなわち,豚に真珠を与えるのに等しい。
● けれどもというか,だからこそというか,いわゆる食味エッセイというのはけっこう読んでいる。旨いものは自分の舌で味わうより,他人の文章で味わった方が間違いがない。
● かつて,丸谷才一氏が邱永漢『食は広州に在り』の文庫本解説で, 吉田健一『舌鼓ところどころ』『私の食物誌』,邱永漢『食は広州に在り』,檀一雄『檀流クッキング』を,「傑作として推奨に足るものである」と紹介したことがあった。
そうかぁと思って,この4冊を読んだ。はるか昔のことだ。
ほかにも池波正太郎,阿川弘之,山口瞳,開高健などが,それぞれの味わいのエッセイを残している。いずれ読み返したいと思っている。
● 本書は秋元康さんによる旨いもの紹介。お店紹介でもある。ほとんどが都内にある店なのは仕方がない。ことの性質上,後世に残るというわけにはいかないものだろうが,サラッと短時間で読めるので,手持ちぶさたを埋めるのにはちょうどいい。
それで旨いものを喰った気になれればさらにいい。
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