読書で人生が変わるなどということは,まずもってないものでしょう。読書が人を賢くすることも,たぶん,ないと思います。 読書は安価でお手軽な娯楽であり,時間消費の手段です。それでいいというより,娯楽でない読書は可能な限り避けたいものです。 娯楽としての読書があれば,老後もなんとかしのげるのではないでしょうか。というか,しのげると思いたいわけですが。
2012年10月17日水曜日
2012.10.18 松浦弥太郎 『暮しの手帖日記』
書名 暮しの手帖日記
著者 松浦弥太郎
発行所 暮しの手帖社
発行年月日 2012.09.25
価格(税別) 1,400円
● 「暮しの手帖」には広告がない。雑誌の売上げだけで運営をまかなっている。とすれば,経営も楽ではないだろう。社主は大橋鎮子さん,90歳。初代編集長はかの花森安治さん。
● 著者は2006年10月に雑誌「暮しの手帖」の編集長に就いた。以後,同誌に載せた編集後記や連載エッセイを集めて1冊に編んだものが本書。
● 陳腐な言い方になるが,心が洗われるような文章の連続だ。自分はとても著者のようにはなれないとわかっているけれども,だからこそ何度も読み返して拳々服膺するよう努めたい。
● 暮しの細部を支えているのは,主には女性だ。大雑把に区分けすれば,暮しの生産者は女性で,男性はその生産物を消費している存在。
とすれば,この雑誌の編集長は女性的な感性と指向を持っていなければならないだろう。著者はその適正を充分に備えているように思われる。かつ,それは男性性と排斥しあうものではないはずだ。
● 「こんなものがあったらいいな,と思ったら買い物にでかけるのではなく,まずは自分で作ってみる」(p82)という骨惜しみをしない態度が,暮しの質と味わいを高め充実させるのに必要な第一番目の資質なのだろう。
今は誰もが小忙しく生活しているから,それがなかなかできないわけだが。小忙しさの中身を点検する作業が必要かもしれない。小忙しさの中に無駄なものがないかどうか。
● 文字を手書きすることも少なくなった。パソコンのキーボードを叩いてハードディスクに保存する。万年筆の書き味とか紙の手触りを気にする機会が激減した。こうした生活のデジタル化も,暮しの味わいを薄めているかもしれないなと思ったりもする。
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