著者 鴨志田 穣
発行所 講談社文庫
発行年月日 2011.01.14(単行本:2005.03)
価格(税別) 581円
● 作品は作者が生みだすものだけれども,生みだされた作品は作者から切り離されて,作品として独立する。読者にとっては作品がすべてで,作者の性向や行状はどうでもよい。
ただし,本書において厄介なのは,自らのアルコール障害について作者自身が何度か言及していて,それが作品の重要な(と言っていいと思う)要素になっていることだ。
● 「小説現代」の連載をまとめたもの。連載されたのは2003年から2004年。鴨志田さんは2007年3月に腎臓癌で亡くなっている。
連載の時期は,アルコール依存症に苦しめられていた絶頂期にあたるのだろう。実際,『アジアパー伝』に比べると,文章が淡白になっていると思えば思えないこともない。
しかし。とはいっても。その最中にこれだけの文章を残すんだからね。
● 残された作品から受ける印象は,何ていうのかな,最後までカッコツケをやめられなかった人っていうものなんですよ。エエカッコシイが堂に入ったまま亡くなった,っていうか。
そのカッコツケが仮面ではなく皮膚にまでなっていた人じゃないかと,勝手に推測している。
● ただ,そこまで身についていれば,それはもうカッコツケではないとも言える。
安定を拒否するような壮絶な生き方は,自ら飛びこんでいったものだろうし,怯懦を憎むのも尋常ではない。激しい性格の人だ。
● 想像を逞しくしてみる。2005年9月に友人であるゲッツ板谷の『ワルボロ』が出た。鴨志田さんの『遺稿集』に若いときの焼き鳥屋での修行話を書いたものがあったと思うんだけど,これを書いたのは『ワルボロ』の後なのか前なのか。
『ワルボロ』を読めば,創作に関する才能の格差を自覚せざるをえなかったはずで(実際には,向いている分野が違うというだけのこと),そういうことも彼を苦しめたかもしれない。
って,そういう見方は,彼が最も蔑むものかもしれないけれど。
● ひとつだけ転載。
東南アジアの民と決定的に違う所,自由は自分自身で勝ち取るものだという考え。 タイヤフィリピンから出稼ぎにやって来た女性達も同じように赤貧生活だったはずなのに,毎日が,一瞬が楽しいとそこで止まってしまう。 この目の前にいるルーマニア娘二人は,ずっと先の自分達の未来を想いえがいていて生きている。 どちらが幸せかはわからない。 けれど,僕はタイ人のようにはなれない。(p251)
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