著者 立川談志
田島謹之助(写真)
発行所 大和書房
発行年月日 2007.09.30
価格(税別) 2,600円
● 登場するのは次の26人。
六代目三遊亭円生
三代目春風亭柳好
三代目桂三木助
八代目桂文楽
六代目春風亭柳橋
桂小文治
五代目古今亭今輔
八代目三遊亭可楽
四代目三遊亭円馬
四代目三遊亭円遊
二代目桂枝太郎
七代目春風亭小柳枝
昔々亭桃太郎
林家三平
十代目金原亭馬生
三代目柳家小せん
七代目橘家円蔵
九代目翁家さん馬
三遊亭百生
二代目桂右女助
八代目春風亭柳枝
八代目林家正蔵
二代目三遊亭円歌
八代目桂文治
五代目古今亭志ん生
五代目柳家小さん
● 「これが東京の噺家の全て」,つまり,昔は噺家は今よりずっと少なかった。
その中でも,家元(著者)の好き嫌いは当然あるようで,十代目金原亭馬生(五代目古今亭志ん生の長男)と三遊亭百生に,哀惜の念を強く持っていたようだ。
たぶん,最も心酔していたのは古今亭志ん生に対してかと思われる。
● 田島謹之助さんによる写真も貴重なものだろう。高座での写真,自宅でくつろいでいるときの写真。楽屋で火鉢にあたっているときの写真。
噺家の写真から受ける印象は,文士のそれと似ているなというものだ。同時代の作家,たとえば井上靖とか,そういった人たちと共通するものを感じた。
● 以下にいくつか転載。
その頃の落語界では,東京出身以外の噺家は認められなかった。今輔師匠は群馬県の出身であり,それがどれほど劣等感になっていたことか。(p85)
現代もそうだが,噺家には,そこにある噺を唯演っている奴がゴマンといる。いや,ほとんどがそうだ。(中略)と同様で,その昔もそういう噺家はいた。いや,ほとんどがそうか。(p117)
この種の,“新しいものを取り入れているつもりがアナクロニズム”というのは,何も枝太郎師匠ばかりに非ズで,下手ァすると,ありとあらゆる師匠に見られた。よほど古典一筋でない限り,当時はそうなってしまったのか。(p120)
ある批評家が文治を評して,「あるところまで行くと止まる芸」と書いたが,現実にそうなった。上手いが故に,できてしまったがために次の段階に進めなかったのだろう。(p226)
文治師匠には人望はなかったようだ。けど,“じゃあ人望があったのは誰だ”ということになると,志ん生師匠にもない,円生師匠にも,三木助師匠にも,ほとんどの噺家にないのではないか。(p234)
私もそうだが,志ん生は落語がなかったら家族も持てなかったろうし,社会からドロップアウトしてたろう。 楽屋の志ん生師匠はあまり喋らなかったし,受け噺もしない。“こんなことがあった”という,よくあるお喋りもなかった。人の話題にも参加しなかったように見えた。(p250)
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