著者 ゲッツ板谷
発行所 幻冬舎文庫
発行年月日 2015.03.20(単行本:2012.10)
価格(税別) 800円
● 3月に文庫になった。それを知らずにいて,買ったのは5月。にもかかわらず,今日まで読まずにいた。
が,読み始めると途中でやめることなんてできなかった。一気通貫で読了。
● 『ワルボロ』では「ヤッコ」,『メタボロ』では「鬼」というスーパーヒーローが登場したが,この『ズタボロ』では「竹脇のおっさん」が登場する。
彼の存在がストーリーに彩と安定感,安心感を与えている。重要な役回りだ。
● この作品は青春小説というレッテルでいいのだろう。純正の青春小説。
クライマックスでは復活した「ヤッコ」が主人公の応援に駆けつけ,主人公を奮い立たせる。読者もここで奮い立つという仕組みだ。
戦いすんで日が暮れて。主人公はパーキンソン病で植物化したかに思われる山田規久子が入院している病院を訪ね,彼女に静かに語りかける。
「山田,お前も錦組だからな・・・・・・。錦組は一生解散しねえんだからな」
このクライマックスの部分は何度も読んだ。
● 中学→高校→大学→社会人,という段差を通過していくときに,高校に入ると中学時代の友人をリセットし,社会人になると大学時代の友人をリセットする。
就職してからもサラリーマンなら異動がある。その都度,前職のつきあいをリセットして,今のセクションに適応しようとする。
たいていの人はそうなんじゃなかろうか。ぼくなんか典型的にそうしてきた。去る者は日々に疎し,というわけだ。リセットの連続だった。
● それをしないのが主人公を初めとするこの作品の登場人物たちで,それがあるから青春小説になる。
リセットと言ったけれども,リセットなんてするまでもない交友関係しか作れていなかったのだろうな。それを後悔しているわけではないけれども。
● 「竹脇のおっさん」と「鬼」に名言を吐かせる。
この世の中で自分に邪魔が入ったり,裏切りを受けたりするのは,言ってみれば当たり前のことすらよ。世の中っつーのは,ソレの連続ずら。だから,ソレにいつまでも悩むなんてことはバカらしいことで,逆にソレを楽しむぐらいじゃないと,男としてのブッ太い充実感はいつまで経ってもやってこないんでねえの。(p94)
人を殺しちゃうっていうのは,それだけの度胸や覚悟があるからっていうより,むしろバランスの悪い奴らが何かの拍子でウッカリ犯しちゃうことの方が圧倒的に多いんだよ。(p282)
命賭けてるか・・・・・・。でも,ケンカとか戦争っていうのは,そんなものを賭ける前に終わっちゃうことが殆どなんだぎゃな。(p329)
ケンカなんてもんは,そういう細かい計算なんかより,大切なのは出たとこ勝負の気合いなんだよ。相手より気合いが入ってればコッチのチョーパンやパンチも当たるし,鉄火場に流れる独特な運だってコッチに転がり込んでくるんだ。大体,ケンカをする前にいかに相手にやられない方法はないのか,なんて考えてる時点で,もうそのケンカは負けだ(p452)● 前作の『メタボロ』の執筆中に,作者は脳出血で2ヶ月間の意識不明。そこから復活したというわけなのだが,以後,それがどう執筆に影響しているか。作中で,三度にわたって述べている。
オレは文章をリズムで書く方なので,ポンポンと色々なフレーズが飛び出してきて,それを文章に組み立てているうちにドンドン筆が止まらなくなり,また,自分でも笑ってしまうようなギャグが所々でボコン,ボコン!っと出てくる。が,こうも色々な名前が思い出せないと,そのターボが全然かからないのだ。(中略) そう,オレの脳は85%ぐらいは回復しているのだが,文章を書く作業というのは,その残りの15%を主に使うのである。(p6)
ここまで必死に書いてきたが,まだダメだ。特に比喩表現が全然ダメだ゙・・・・・・。 10代の頃の,まだ何の駆け引きも知らないオレを囲んでいた超アクの強い面々たち。奴らの感じが,こんな幼稚な比喩じゃ殆ど表現されていない。(中略) まいった・・・・・・。この比喩表現こそが,オレが書く文章の命なのに。 あと,もう1つ言わせてもらえば,匂いとか,色とか,味とか,雰囲気とか,季節感とか,とにかくそういったモノを伝える言葉が全然欠けていない。よって,文章に深みが全くでていないのだ。(p170)
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