2018年6月30日土曜日

2018.06.30 山藤章二 『はじめての八十歳』

書名 はじめての八十歳
著者 山藤章二
発行所 岩波書店
発行年月日 2017.12.21
価格(税別) 1,400円

● 本書を統べるのは,諧謔だろうか。視点を少し脇にずらして,社会や人生や自分を眺める。斜に構えるというのとは違うんだけども,ともかくその構えに無理がない。身についている。
 常識を自分の規範としているバカ,つまり人間の大多数,の断片をいくら集めても,読める本にならない。

● 以下にいくつか転載。
 書くことが好きなんだね。漫画や似顔絵を描くことより好きなんだ,どうやら。ネタはあるのか? と当初は心配だったけど,これがあるんです,無尽蔵に。頭に浮かんだことを手早く書けばいい。(p4)
 老人にとっての障害物は「時代」である。とても「今まで人間」の感覚で追いつけるものではない。(p6)
 なぜ大きな災害をエンタメなどというか。読者の想像力が頼みの話になる。庶民の暮しの中には何もなかったのである。祭りも寄り合いもない,ひっそりと貧しいだけの日常。そこに台風来襲の知らせ。(p17)
 長寿の秘訣は「知らぬが仏」(p20)
 理由とか理論じゃないんだな,頑固爺さんの「嫌い」は。(中略)ね,流行にのって付和雷同している大衆の主体性のない減少にいらついているだけで,論理的に説明しているわけじゃない。(p68)
 貧は貧のシアワセ,富は富の不幸がある。かくして貧富の間に横たわるバリアは永遠になくならない。それでいいのだ。そういうものだ世間は。(p92)
 並じゃ使い道がないけれど,並外れてダメな人間なら逆にダメが武器になる。(p94)
 私の気持も物の見方も確かに変わった。もともとがクールな性格なのに,それに輪をかけるように冷めた目の持ち主になった。はっきり言って,世の中のアレヤコレヤなんかどうでもいい。すべてに興味なしと相なった。(p101)
 何を,どういう角度から書くんだとの強い意志もなしに,フェルトペンを持って原稿用紙に立ち向かう。とにかく文字を書きはじめれば後は何とかなる。これが身についた方法で,どんな場合でもそうしている。(p104)
 笑いを創ったり表現したりすることは,低いところに位置することが宿命である。低いところから発する言動だから,毒があり,自虐があり,溜飲を下げさせる効果がある。(p105)
 たけし,タモリ,さんまの三羽烏は凄い。二十年にわたって笑いの世界の頂上に居続けていることも凄いが,更には,徐々にシフトチェンジしながら,それぞれに「次なる準備」を考えていたことである。(p106)
 秋刀魚は,パラリと塩をふって七輪の消し炭で焼くのが一番うまいのに,うま味醤油やらマヨネーズやらでショーアップしてしまう。現代人の浅知恵である。(p118)
 アメリカが文化の面で世界中から尊敬されないのは,効率的に金儲けを企んだ超大作をたびたび発表するからだと,私は勝手に思っています。(p136)
 こうして日常の風景が,鮮明に克明に描かれた絵を見ると,それまでの作家が苦労して文字に表した世界に,どれほどの意味があるのだろうか,という,ひどく根源的な問題点に思考が至った。(中略)これじゃ文字の本がなくなっても誰も困りはしない。“伝達のスピード”が桁ちがいに速くなる。(p146)

2018年6月29日金曜日

2018.06.29 出口治明 『「全世界史」講義Ⅰ 古代・中世編』

書名 「全世界史」講義Ⅰ 古代・中世編
著者 出口治明
発行所 新潮社
発行年月日 2016.01.15
価格(税別) 1,400円

● 全2巻。先に「Ⅱ」を読んでから「Ⅰ」を読んだ。そうした理由は別にないが。
 著者は経済人(現在は立命館アジア太平洋大学の学長)であって,歴史の研究者ではない。が,驚くべき博覧強記。こんな細かいことをどうやって知ったのだ,と嘆息すること多数。
 量は質に転化するという,これは見事な好例。

● 以下に転載。
 歴史に現れる出来事は,眼の前の現象だけを分析しても理解できません。全体がわからなければ,部分がもつ意味もわからないからです。つまり人間の歴史のなかに,日本史や中国史といったものが孤立して存在しているわけではありません。人間にはたったひとつの歴史があって,その大きい枠組みのなかに,それぞれの地域の歴史があるのだと考えます。(p2)
 ここで大事なことは,未知の土地へ旅するときには,海沿いに進むほうが容易だということです。(中略)人間の歴史のなかには,古くから海や河川のルートがありました。「山は隔て,海は結ぶ」のです。(p22)
 狩猟採集生活から農耕牧畜社会に変わると,食料が過剰に生産されるようになり,その食料は貯蔵されて富を生み,交易にも用いられるようになります。そこから貧富の差が生じます。生産力の拡大は人間社会に,食料生産に直接携わらない人々を誕生させました。寄生階級です。王や神官などの支配層や商人たちです。寄生階級は生産をしないので,田園や牧場に住む必要がありません。彼らが生活する場として都市が生まれます。都市とは基本的に寄生階級の住む所です。(p24)
 すべての人間を支配すると,次はすべての生き物を支配しようと思い立ち,動物園をつくる。さらに進むと過去もすべて支配したいと思い,文物の収集へと至ります。(p32)
 食料や生活に必要なものが蓄積されると,人間は交易を始めるようになります。なぜかと言えば,それは自分の生きている生態系だけではこれ以上発展しない(生態系が貧しい)ことを本能的に理解していたからです。(p33)
 現代のヨーロッパが直面している難民にも似た問題ですが,歴史を動かしてきた大きな原動力は人々の移動なのです。(p47)
 地理的条件も気候条件も違う広大な地域を統一しようとすれば,統治技術が相当進化していないと不可能です。マウリヤ朝のあと,一六世紀のムガール朝までインドに統一国家は生まれませんでした。(p72)
 始皇帝は,古代ではおそらくダレイオスと並ぶ極めて有能な名君でした。仕事が大好きで卓越した才能の持ち主でしたから,あらゆる改革を行いました。(p73)
 最近では,秦と漢を併せて「秦漢帝国」と呼ぶ学者が増えました。なぜそう呼ぶかといえば,劉邦は何もしていないからです。始皇帝の作った枠組みをそのままもらってしまう。(p75)
 人間が考える時間には二つの観念があって,直線の時間と回る時間なのですが,直線の時間には始まりがあって終わりがあります。でも回る時間には終わりがありません。すると,人間も次々と生まれ変わるわけです。この輪廻転生と因果応報が結びついたら,どうなるか。(中略)ここから仏教の思想までは,もう一歩です。(p81)
 中華思想とは,結局,漢字の魔力だったのです。漢字が広まって初めて周の歴史を読んだ人が,中華は立派であると勝手に思ってしまった。漢字に書かれていたことがひとつの権威になっていったのです。(p84)
 イオニアの自然哲学者たちの興味は,外界にありました。ところがソクラテスは,初めて人間の内面に考察を向けました。「汝自身を知れ」 ソクラテスによって哲学が転回したのです。(p86)
 プラトンは,すべての事物にはイデアという原型があると考えましたが,彼の二元論は,輪廻転生からヒントを得ているのです。東西の文化交流の一例です。(p87)
 こうして中国の思想界は,本音は法家,建前は儒家,知識人は道家,という棲み分けが完成しました。これが結果的に中国を安定させます。国は有能な官僚が治め,庶民は儒教で親を敬い子供を大切にして,一所懸命働き,みんなで仲良く国を守る。知識人は自由に生きてくださいというガス抜きもあるので,うまく収まるわけです。(p95)
 旧約聖書の中でいちばん古い物語は『モーゼ五書』ですが,実はこの部分がいちばん新しいのです。(中略)家系図を書くときに,父母から祖父母へと遡るのと同じで,古い祖先の話は最後に(新しく)書かれるのです。(p97)
 唐と新羅の連合軍に白村江で敗れた倭国の持統天皇と藤原不比等が,『古事記』や『日本書紀』を創作して,大唐世界帝国に対抗して倭国のアイデンティティを守ろうとしたのです。例えば初代天皇神武という存在が,ここで新しく創作されました。聖書の創世記と同様に,いちばん古い物語が,実はいちばん新しいのです。(p98)
 「生きる不安」などというものは,生きることそのものに苦労しながら,毎日必死に働いている庶民には無縁です。仏教はブルジョアジー向けの宗教なのです。(p101)
 もともと人類のコミュニケーションでは,話す人の表情であったり,歌や踊りであったり,また絵であったりと,感情に訴えることが大切にされていました。しかし文字が生まれると,その情報量が圧倒的に多いので,言語や文字がコミュニケーションの主力となり,歌や舞踊は,演劇,音楽や舞踊の形で伝統芸能になっていったという歴史があるのです。(p116)
 イスラム教の創始者ムハンマドは商人でした。商人がつくった宗教ですから,合理性を重んじたのです。無駄なことはしなかった。この寛容さがスペイン,北アフリカからインドに至るまで,イスラム教が広く受け入れられた理由です。(中略)この寛容さは,キリスト教とは異質なものです。(p147)
 太宗を始めとして唐の皇帝たちは,遊牧民の鮮卑の出身です。ですから,万里の長城はつくりませんでした。同じ遊牧民同士,共存関係を求めていたのです。(p154)
 仏教が都市のインテリの信者に寄りすぎて,農民や貧しい人々がヒンドゥー教に流れてしまい,それを防ぐために大乗仏教が生まれたのでした。ところが今度は,それに対する不満がお金持ちやインテリ層から出始めました。平たく言えば,「観音さま,ありがとう」とか,「南無妙法蓮華経」だけでは物足りない。「俺たちは,もうちょっと賢いで。もっと高尚な教えはないのか」とインテリたちは考えるわけです。これも無理からぬことです。そこで考えらたのが密教です。(p156)
 天皇がいろいろな豪族の娘と結婚してしまうと,次から次へと外祖父が出てきて,外戚の専横につながりかねません。それを防ぐために,天皇家は皇族と結婚するか,特定の豪族としか婚姻関係を結ばないようにしたのです。蘇我氏はおそらく,そのために選ばれた一族であったと思われます。(p163)
 平城京には,白村江で滅びた百済の王族を始めとして,唐からの来訪者,唐を経由してきたペルシャ人,海からは南アジアに人々などがやってきて住みつき,人口の七割が外国人であったという説さえあります。東大寺の大仏開眼供養の導師はインド人でした。主催者は孝謙女帝です。この時代の日本は,グローバルに開かれた国だったのです。(p164)
 キリスト教もイスラム教も信じている神様は,同じアッラーであり,YHWHです。セム的一神教に共通する,独占欲が強くて嫉妬深い神様です。(p171)
 イコノクラスムスがなぜローマ帝国では可能だったかといえば,東方は文化の高い地域だったからです。かなりの数の民衆は字が読めたので,イコンがなくても布教は可能でした。しかし西方,ローマ教会の担当地域は貧しく,ほとんどの民衆は文字が読めません。ローマ教会の宣教師たちは歌や紙芝居がないと,イエスの物語や教えを伝えることが難しかった。(p172)
 ところが密教はチベットに行きました。わざわざヒマラヤ山脈を越えて行ったのです。なぜかというと,インダス川のあたりはすでにイスラム圏になっていたからです。異教徒よりは山越えの方がまだ楽なのです。(p185)
 日本にも密教は入ってきました。しかし,日本に伝わったのは密教の一部分だけでした。密教がチベットを経由して中国に入ってくるまで,時間がかかったのです。だから,最澄と空海が持ち帰れない経典がたくさんありました。(p186)
 唐は本来,世界帝国としてその他の宗教にも寛大でした。しかし,中唐から晩唐へと国勢が衰えるにつれて,閉鎖的になっていきます。(p194)
 また(開封の)劇場では,包拯という裁判官がいろいろな事件を解決するお芝居が人気を博していましたが,実は江戸時代の大岡越前の話は,ほとんどこの芝居がネタ本になっていたのです。(p218)
 インドでは廃れていた上座部仏教がセイロン島に残っていて,この最も古い仏教の教えが,海沿いにビルマに入ってきたのです。こうしてパガン朝に入ってきた上座部仏教は,タイのスコータイ朝に伝わり,カンボジアからラオスへと広がります。東南アジアには上座部仏教という,いわばいちばん古い仏教が,いちばん新しく伝わって現在に至っているのです。(p226)
 古来,政権を強化しようとする改革は,貧富の差を嫌い,中間層を育てようとします。大商人や大地主が市場や土地を独占していたら,経済はうまく回りません。(p228)
 王安石の合理主義が最終的に姿を消すのは,南宋の時代になって,孔子廟から王安石が取り除かれ,代わりに朱熹が入ったときです。(中略)進歩の時計の針が逆回転してしまったのです。(p231)
 イングランドはアングロサクソンの国,と考えてしまいがちですが,すでに一一世紀には,支配層のほとんどはノルマン人になっていたのです。この国はこれからもどんどん変わっていくのですが,いずれにせよ,アングロサクソンの国というのは半ば伝説の領域なのです。(p244)
 嫉妬深い神を奉じるセム的一神教にとって,異教は絶対悪となりやすく,それに対していくら残虐な行為を行っても,すべては赦されるという錯覚が生まれやすいのです。十字軍はそのひとつの典型であったと思います。(p255)
 この戦い(イスラエル北部ヒッティーンの戦い)でサラディンは,十字軍に対して虐殺を行わなかったばかりか,キリスト教の聖地にも一切手をつけませんでした。この知性的な態度に,十字軍国家側のテンプル騎士団やヨハネ騎士団も,脱帽せざるを得なかったと伝えられています。(p268)
 そして「耳聴告白制」という制度を確立したのです(一二一五)。教会内部に特別のスペースが設けられ,信者たちは,司教や司祭を顔を合わせることなく,自分の悩みや罪について相談できるようになりました。(中略)この制度は,信者たちに歓迎されました。秘密を一人で心に秘めておくのは誰でもつらいものですから。 ところで,一人ひとりの信者は,自分ひとりのこととして告白するわけですが,みんなの告白を統計的に分析すると,その村や都市や国全体で,何が起こっているかがよくわかってきます。(中略)つまり,耳聴告白を集大成すれば,高度なスパイ網として機能するのです。ローマ教会は,この制度を活用します。(中略)豊富な情報を手に入れることで,ローマ教会の政治力は飛躍的に向上しました。(p288)
 モンゴルの戦争は,常に周到な準備を行ってから進めたようです。理想は戦わずして相手を屈服させることでした。そのためには現地の情報,なかでも精緻な世界地図が必要です。(中略)驚くべきことには,どうやらモンゴルはポルトガルの希望岬到達の二〇〇年以上も前に,アフリカ大陸の姿をほぼ正確に把握していたようです。(p317)
 ロシア人は,タタールの支配下で車を引かされている牛や馬のように,重税と過酷な支配に苦しめられたと言い伝えられてきたのですが,それは一九世紀ロシアのナショナリズムがつくりあげた神話です。モンゴルの支配はイスラム帝国と同様に,帰順した人々には極めて寛容でした。誰がロシアの農民たちを苦しめたかといえば,バトゥの支配下に入り,直接に農民を管理していたロシアの貴族たちでした。(p323)
 クビライは海外の事情に通じており,日本と交易をするつもりで使者を送りました。ところが鎌倉幕府は,国際情勢も外交上の儀礼も知らずに使者を斬ってしまった。それが文永の役の発端でした。(p330)
 クビライは徹底的に能力を重視して,思想,心情とは関係なく,有能な人をひたすら登用しました。彼はダイバーシティの権化のような人でした。(p331)
 クビライが七二歳のとき,東方三王家の乱が起こりました。(中略)首謀者である三王家の筆頭家の当主ナヤンは二九歳の若者でした。彼にしてみれば,クビライを皇帝にしたのは,自分たちだ。そろそろ若い世代に譲ってもいいんじゃないかと考えて反乱を起こしたのです。(中略)しかし,ナヤンは,なんの苦労も知らないお坊ちゃんです。まず前祝に大宴会をやって寝てしまいます。(中略)クビライは反乱の一報を聞くと激怒して,すぐに戦象に乗ると駆け出しました。驚いた親衛隊は一斉にクビライの後を追います。(中略)勝負は瞬時につきました。(p336)
 一四世紀は,寒冷化とペストの世紀でした。(中略)ヨーロッパでは人口の三割以上が死に,その人口は一八世紀まで戻ることはありませんでした。しかしペストによって死と直面した人間が,宗教的観念に打ち勝って,積極的な人生観や人間讃歌を生み出します。これこそがルネサンスを生み出す導火線となったのです。(p339)
 一三一二年,サブサハラのイスラム国家マリ帝国ではマンサ・ムーサが即位しました。(中略)一三二四年にはマッカ巡礼を思い立ち,その途中にカイロを訪れました。ラクダに大量の黄金を積んできたムーサは贅沢三昧を行ない,大量の金塊がマーケットに放出されました。その結果,エジプトの金相場は大暴落しました。(中略)のちにエンリケ航海王子がアフリカの西海岸を南へ航海したのも,このマンサ・ムーサのカイロでの大散財が大きな動機になってしました。(p353)
 後醍醐天皇が足利尊氏と別れて樹立した南朝は吉野の山奥にほそぼそと永らえていた弱小政権で,統一という言葉が適切かどうかは極めて疑わしいものがあります。おそらく朱子学の影響を受けて,南朝が正統政権とされてしまったことにすべての原因がありそうです。(p379)

2018年6月20日水曜日

2018.06.20 伊集院 静 『女と男の品格。』

書名 女と男の品格。
著者 伊集院 静
発行所 文藝春秋
発行年月日 2017.05.20
価格(税別) 926円

● 身の上相談あるいは人生相談。ろくな相談がない,もう辞めたいよ,と著者は本音(?)をもらす。実際,そうだろうと思う。
 相談するという時点で,なんかもう人間失格という感じもする

● 一方で,かなりシリアスな告白もある。身近な人の死や深刻な病気など。そうしたものに対する回答は著者の独壇場。
 相談者には申しわけないが,読んでいてスカッとする。

● 以下にいくつか転載。
 それで,あなたの心配は,三代続いた女たちの苦労が,この先も続くのでは? ということですか。私の勘ですが,そりゃおそらく続くでしょうな。どうしてかって? それはあなたが男たちの面倒をみるからですよ。(p5)
 他人の哀しみを理解しようとしてはいけません。しかしその哀しみに手を差しのべたり話に耳を傾けるなど,ともに生きる姿勢を持っている人がいれば,必ず笑う日がやってきます。(p10)
 職人の仕事で気ばっかり利いていたら,そりゃ二流で終わる。すぐに理解できるんじゃ,たいした仕事はできない。これまで私が立派な職人さんたちと話してみると,名人(別に名人じゃなくていいが)までなった人は,皆共通して,若い時は不器用そのもので,と語る人が多いもの。(p11)
 次から次に出版される新しい本をできる限り読もうなんてしてはダメだ。読書が辿り着くところは,君が,運命の一冊に出逢うところにあるんだ。(p13)
 すぐにわかる本は底が浅い。本というものはわからない所が必ずある。それがやがて人生の経験とともに理解できる日が来る。そう考えると,読書はそれだけでは意味がないということだ。本をよむかたわらで,きちんと日々を生きてる人にこそ良書との遭遇があるということだ。(p14)
 相談の大半は,自分はこうしたいんだが,それを賛成してくれて,背中を押してくれる人を見つけたいんだよ。(p24)
 人が人を救ったり,忠告,助言で,何かが変わるってことは,実はほとんどないんだ。相談ごとの会話ってのは聞き流すのが最良の方法なんだよ。(p24)
 あれに(セックスのことだが)特別の技術を持っとる男なんてのは,実にくだらん奴ばかりだよ。(p52)
 人を疑うことは,つまらない結果にしかならんのは,これ昔からの常識。(p67)
 他人に何かをしてやったという感覚を持つ人間を,わしゃ卑しいとしか思わんしな。本来,人は人を救ったりできる生きもんじゃないんだよ。言ってもわからんだろうが。(p70)
 家族というものは,世間の大半の人間があなたの家族を咎めても,社会のしかるべき人々(警察官や裁判官)があなたの家族を罪人と認めても,当人がそんなことはしてないと言うなら,世の中で唯一信じてあげるべき存在なんだから。(中略)家族というものは,或る時には,社会より大きな存在であってかまわんのだよ。世間で振りかざす“正義”なんてものは,怪しいものがほとんどだから。(p73)
 傲慢というのは人間が本来持ち合わせているもんだから,簡単には消えんぜ。生かされとるとあなたは言うが,誰が生かしてくれとるのかね。わしら自分のバカ力で生きとるんじゃないのかね。最後に感謝だが,感謝なんて口にだしてするもんかね。(p75)
 芸能人の半分以上は,普通の人間とは違う人種ですから。どういう人種ですかって? そうですね。やさしそうに見える人は,まずやさしさはありません。クイズ番組で難しい問題をすらすら答える人は,まずバカです。正義の味方が似合う人は,ほとんど悪人です。(p77)
 大人の男が,父親が,赤ん坊の笑顔を見て,丈夫に育てよ,きちんと育ててやるぞ,と一度思ったんだから,それを貫くのが,大人の男でしょう。(中略)相手は,女と子供だよ。女と子供が辛い思いをすることを,大人の男が口にして,どうするんだ。(p79)
 世の中には,それをわざわざ引っ張り出してきても“解決がつかない問題”というのが,昔からいくつもあったし,今もあるの。それが世間というもので,人間が生きるってことなの。“解決のつかない問題”はそっとしておいてやるのが大人のツトメなの。(p80)
 よくある,高層ビルの最上階で,デザイナーブランドの高級家具にかこまれ,休日はシャンパンとワインでなんてのは,どう見てもバカがやることでしかないのは少し考えればわかります。(中略)金を得ることが悪いとは言いませんが,それをどう使うかはセンスの問題です。(p93)
 世の中はいつもひと握りの人間に富が流れるようになっていて,その連中に品性,人格を求めても無駄。その連中はいずれあわれな末期を迎えます。金満家の子供がバカにしかならないのも,そのあわれな末期が時期遅れで来ているのです。(p94)
 (出された料理をスマホで撮影することについて)顔も見たことがない相手に,何か自分のことを主張したいという,その根性が卑しいし,くだらんよ。(p95)
 子供が欲しいと望んだものを,すぐに与えたら,将来とんでもない人間になるに決まっているでしょう。(p98)
 自分が何者かを見つめる時間を,旅は与えてくれるということなんだ。その時間と出逢うためには,実は旅の中に,何もしない時間がなくてはダメなんだ。訪ねた土地をただ目的もなく歩くとかね・・・・・・。(p100)
 人間の心配事や悩みの大半は,当人が勝手にいろんなことを思い過ぎることが原因なんだ。悩みの対象に,それを真っ直ぐぶつけてみると解決するものが,これも大半だ。(p102)
 仕事をしたり,何かを一緒にする人を選ぶ基準のひとつとして,運の悪い人,ツキのない人はなるたけ遠慮してもらうのは,これは世間の常識だから。(p112)
 一度結婚に失敗して,そして次から次に彼女が変わったということは,はっきり言わせてもらうと,まともなつき合いが一度もできていないということだから。(p114)
 ベストセラーの中の美談というものは,スキャンダル・醜聞と表裏一体なのは昔からの常識だからね。(p116)
 昔から,人は老いてからもうひと踏ん張りというのが,当たり前で,皆そうして来たんです。次に,奥さんの家計のやりくりですが,これはあなただけが被害者ではなく,大半の家庭がそういうものです。(p117)
 高齢というだけで,希望や,まぶしくてキラキラしたものと無縁になるはずはないという,信念が私にはあるんだよ。(p119)
 人間が一人でできることには限界があるし,きちんとしたことはすべて他人とともに築いたものなのです。(p124)
 女性という生きものは,私たち男より何倍もパワーを持っている上に,こういう出来事を決して忘れないという,おそろしい執着力を備えているんだよ。女を舐めとると,命取られるよ,ホントに!(p127)
 若い時の,青二才の,傲慢ほど醜いものはないからね。自分が他の連中と違って何かを持っていると思い込むことの愚かさがわかっとらんのだよ。(p139)
 自分にとって都合のイイ生き方をどこかに用意している輩は,この先,何をやっても,まともなことはできないから。(p139)
 大切なのは,目の前にあるものをどう受け止めるかだよ。どう受け止めるかというのは,あなたも娘さんも明るく笑って生きる道が必ずあるってことだ。(中略)嘆くより,笑わなきゃ。(p156)
 女性たちの領域でなされることは,彼女たちに預けた方が,結果として良い方向へいくケースがほとんどです。(p159)
 まず確率論をやめること。こまかい情報に左右されない。流れに逆らわない。荒れる日は荒れる目を追う。もうそろそろ固いのが来るという発想が一番愚かなことだ。ギャンブルは生きものだから,その日に出た流れは易々とはかわらない。(p168)
 遅れないで行くのは礼儀だ。誰だって寝坊したいし,楽をしたい。(中略)大事なのは誰も皆楽をしたいが,そうしてないことをわかることだ。(p177)
 “遊びは卒業”なんて言ってちゃダメですよ。くたばるまで遊び続けて,前傾姿勢で倒れて,それでオサラバがやはりまとまりがいいですナ。(p193)

2018年6月17日日曜日

2018.06.17 伊集院 静 『さよならの力 大人の流儀7』

書名 さよならの力 大人の流儀7
著者 伊集院 静
発行所 講談社
発行年月日 2017.02.27
価格(税別) 926円

● タイトルの「さよらなの力」とは,次のようなもの。
 苦しみ,哀しみを体験した人たちの身体の中には,別離した人々が,いつまでも生きていて,その人の生の力になってします。だからこそ懸命に生きねばならないのです。(p187)
● 以下にいくつか転載。
 生きることが哀しみにあふれているだけなら,人類は地球上からとっくにいなくなっているはずだ。では別離は私たちに何を与えてくれるのか。(p3)
 文章は才能で書くものではない。文章は腕力で書くものである。腕力とは文字そのまま腕の力である。つまり体力が文章を書かせるのである。体力の素は,気持ち,気力である。(p45)
 私に言わせると,金で買えるようなものは碌なものではあるまい,となるが,そう言っても理解できまい。(p47)
 少しとぼけて生きることは大切である。(p56)
 職業というのは,要は覚悟である。(p56)
 私は自分の過去を振り返り,あれこれ思ったことは一度もない。これは性格なのだろう。亡くなった父親にも,そういうところがあって,昔話をしている父親を見たことがない。(p66)
 芥川龍之介も川端も,なぜいまひとつ作品を認め切れないかと言うと,自死には彼等が自分を特別な存在と信じ込んでいる傲慢さがうかがえるからだ。(p72)
 私は修羅場を目の当たりにすると,ひどく冷静になる。それはたぶんに私が少年の頃,何百回と相手に殴られて来たからだと思う。(p73)
 私については,その野球の時以外は日記を書いたことはない。だいたいが,私は過去でも,朝から起きたことでも,それを覚えないどころか,ほとんど興味がない。自分が書いた小説を読み返したことは一度もない。アラが目立って,情ないやら,腹が立つからである。(p93)
 種田山頭火は,或る冬,自分の日記を焼き捨てたらしい。 焼き捨てて 日記の灰の これだけか 私はこういう俳句を詠む男が好きでない。わざわざ焼き捨てたことを書くか。そこの私の嫌悪するナルシズムを感じるのだ。(p94)
 見渡す限りの人が,どうしようもない人と決めつけたものが,どうにかなるはずがない。法を犯してない,ということよりも,どうしようもない奴だ,許せない,と言う感情が,法を越えた。(p109)
 武器というものは,昔から机上の空論が大半で,実にバカバカしいものに人件費が使われ,原題も同様で,まずミサイルを撃ち落とすことはできない。少し考えれば,それが常識なのはわかる。(p118)
 人は,他人が自分と同じ哀しみを抱いていると思った時,初めて自分が抱いた同じ哀しみを静かに打ち明ける。(p154)
 弟,前妻以外にも多くの友を半生の中で亡くし,年齢の割にはそれが多すぎて,私のほうに問題があるのではないかと考えたこともあります。考え続けた結果,「いつまでも俺が不運だ,不幸だと思っていたら,死んでいった人の人生まで否定することになってしまう。短くはあったが,輝いた人生だったと考えないといけない」と思い至ったのです。というより,そうするしか生きる術がなかった。(p182)
 たとえ三つで亡くなった子どもだって,その目で素晴らしい世界を見たはずです。だから「たった三つで死んでしまって可哀想だ」という発想ではなくて,「精一杯生きてくれたんだ」という発想をしたい。そうしてあげないと,その子の生きた尊厳もないし,死の尊厳も失われてしまうのです。(p186)