書名 松浦弥太郎の仕事術
著者 松浦弥太郎
発行所 朝日新聞出版
発行年月日 2010.03.30
価格(税別) 1,300円
● 再読になる。
● 著者の仕事論の出発点はいたって単純。
社会の中で人の役に立たなければ,いくら一生懸命にしたところで,ひとりよがりな自己満足にすぎません。(p12)
「自分は何がしたいのか?」ではなく,「自分を社会でどう役立てるか」を考える。最終的には,その仕事を通じて人を幸せにしていくことを目標にする。これさえ忘れなければ,よき仕事選びができます。毎日の働き方が変わります。(p15)
● あとは具体的な方法論と心構えについて。まず,「ながら」はやめよ,ということ。
次に手書きでメモすることの重要性。
● 時間とのつきあい方。昔から,仕事に追われるな,仕事を追え,と言うけれども。
時間の制約の中で,時間に追われることなく,どうやって自分の納得いく仕事ができるかを考えていくと,答えは一つ。時間を追い越してしまえばいいのです。(p122)
● 情報の取扱いについて。やみくもに情報を漁るなと注意したうえで,次のようにいう。
ある程度遮断し,取捨選択しながらインプットした情報は,循環させることが大切です。せっかく自分の中に入れても,使わなかったらもったいない。情報のストックなど実は不可能であり,アウトプットを考えずに取り入れた情報は,結局,死蔵するだけになると思うのです。(p149)
● 最後に,再び,出発点に戻って,次のように述べる。
何も考えず無邪気にやって楽しいのは,単なる子どもの一人遊びです。大人になったらいつまでも一人で遊んではいられないし,仮にできたとしても,それだけでは楽しめなくなります。 大人が楽しむ方法は,人に喜んでもらうために創造することです。(p166)
書名 高く遠い夢ふたたび
著者 三浦雄一郎
発行所 双葉社
発行年月日 2013.07.24
価格(税別) 1,500円
● 三浦さんはノートとペンを持って登頂し,毎日記録をつけていた。この環境では紙とペンに限りますね。電気がないんだからね。あったって,同じことだ。少しでも荷物は減らしたいだろうし。
その記録が元になっているのだと思う。淡々とさりげなく日々を記録していたようで,本書を読む限りでは,さほどのことをやったのだとは思えない。そのあたりがダンディズムなのかなぁ。
● 80歳でのエベレスト登頂。しかも,骨盤骨折と不整脈の手術を受けての。
いうまでもなく快挙に違いないんだけど,それを聞いてぼくら野次馬が興奮するほど,当事者は舞いあがっていない。冷静だ。あたりまえだけど。
● 読んでて感じたのは,登山家よりシェルパの方が大変なんじゃないかってことなんですけど。能力もシェルパの方が優れているのでは? 登山家はシェルパの足手まといになっているんじゃない?
三浦隊が達成した栄誉の大半は,シェルパたちに与えられて然るべきではないのかと思った。
● ルートをはじめ,万般を決定するのは登山家で,シェルパはそれにしたがうだけ。実際の登攀よりも,そうした諸々の決定や手配の方が重要だってことなんだろうか。
初歩的な疑問で申しわけないんだけど。
書名 筒井版 悪魔の辞典〈完全補注〉
著者 アンブローズ・ビアス
訳者 筒井康隆
発行所 講談社
発行年月日 2002.10.08
価格(税別) 2,000円
● 「悪魔の辞典」は有名だから,名前だけはずっと昔から知っていたけれども,やっと実際に読むことができた。
死ぬまでに一度は読んでおきたいと思っているのは「聖書」なんだけど,これは読まずに終わりそうな気配。
● ビアスについては,ウィキペディアを読んだだけで,あまりよく知らない。のだが,この「悪魔の辞典」はかなりの粘着質を思わせる。ビアスに限らず,欧米人はこの種のしつこさを持っている人が多いのかもしれないけど。
日本人がこれを書くのはちょっと想定できない。ぼくが知らないだけで,実際にはあるのかもしれないけどさ。
● 「聖書」の文言をはじめ,当時多くの人が知っていた言葉遊びや地口を前提にしているようだ。作者自身の新語創作もあるから,現代の日本人が読んでわかるように訳すのも容易じゃないに違いない。
● 当然,面白い言い回しが頻出するわけだけれども,さほどの新味はないようにも思われた。すでに言い古されているものが多いような印象。
というか,本書がそれらの嚆矢なのかもしれないけれども。ひとつだけあげておく。
女性の美と,男性の名誉には共通点がある。ものごとをよく考えない人に信用されるという点である。(p112)
書名 クラシック再入門 名曲の履歴書
著者 三枝成彰
発行所 朝日新聞出版
発行年月日 2013.01.30
価格(税別) 1,900円
● ざっくり言えば,作曲家の評伝。バッハからドヴォルザークまで,誰でも知っている12人の作曲家を彼らが生きた年代順に並べて,時代背景や交友関係,エピソードを織り交ぜながら,「名曲の履歴」を紹介していく。
● 一番ありがたいのは,文章が平明で読みやすいこと。著者の見方も直截に披露されていて,潔い読みものになっている。
● 以下にいくつか転載。
その後,何度か慈善演奏会などで自作のピアノ協奏曲を演奏するが,その度に,ピアノの音量が小さ過ぎると批評されたショパンは,オーケストラとの共演や大ホールでの演奏は自分に向かないと悟り,サロンなどの小さな空間でのピアノ独奏に,演奏活動を絞っていく。
何でもないようだけれども,これができるのも天才の所以かもしれない。普通,批評に応えようとしてしまうものだろう。音量を大きくしようと試みてしまうものではあるまいか。
ベートーヴェンやワーグナー,ブラームスなどといった近代西洋作曲家の音楽には,どこかした「わけのわからない部分」がつきまとう。その「難解さ」が聴き手の思考や想像力を刺激し,結果として作品の深みや格調に結びついていった。あるいは,専門家は,その「難解さ」ゆえに,こぞって彼らの作品を分析し,解釈し,評論した。そんな玄人からすると,チャイコフスキーの音楽はあまりにも単純明快に過ぎて,知性に欠けるように思えたのであろう。それゆえ,大衆からの人気ほどには,音楽専門家からの評価は芳しくなかった。(p241)
これがチャイコフスキーの価値を貶めるものではまったくないと思うけれど。「専門家とは,いつも同じ間違いを繰り返す人たちのことである」という,ヴァルター・A・グロピウスの箴言を思いだしてしまう。
書名 パンプルムース!
著者 江國香織
いわさきちひろ(絵)
発行所 講談社
発行年月日 2005.02.23
価格(税別) 1,300円
● これも数年前に見ている。児童向けの江國さんの文章に,いわさきちひろの絵を配している。
● こういう文章,書いて見ろといわれても絶対に書けない。おそれ入谷の鬼子母神。と,お茶を濁すしかない感じ。
書名 江國香織詩集 すみれの花の砂糖づけ
著者 江國香織
発行所 理論社
発行年月日 1999.11
価格(税別) 1,500円
● 数年前に一度読んでいた。いたっていうのは,そのことをまったく憶えていなかったからで,このあたりが詩との相性がよろしくないことを表しているかもしれない。
とはいっても,読んだことを忘れて同じ本を買うってのは,何度もやっていて,詩集に限ったことじゃないんだけど。
● 生理に忠実というか,奔放というか。その背後の韜晦も含めて,女はかくの如き生きものだったのかと驚く。というには,こちらもだいぶ長く生きちゃってるんだけど。
でも,この人,普段の生活は,いたって穏健?なのかもな。
● 2つばかり転載。
あなたは私の子どもでもつくるべきだったのであって
子どものあたしに手を出すべきじゃなかった
(箴言 p40)
私をうしないたくない
と
あなたはいうけれど
私をうしなえるのは
あなただけだよ
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
びっくりしちゃうな
もしかしてあなた
私をうしないかけているの?
(うしなう p53)
書名 もうろくの春 鶴見俊輔詩集
著者 鶴見俊輔
発行所 編集グループ〈SURE〉工房
発行年月日 2003.03.01
価格(税別) 3,000円
● 「自己批評は,批評のむずかしい領域で,年をとるにつれ,作者本人のもうろくにあとおしされて,さらにむずかしくなる」(p79)と書いている。80歳を過ぎてからの文章か。
● ただ,この人は詩を書く人じゃないような印象も受けた。どうなんだろ。
書名 風にきいてごらん
著者 葉 祥明
発行所 大和書房
発行年月日 1999.12.25
価格(税別) 1,300円
● 子供向けの,何ていうんでしょう,書店の棚区分でいうと「精神世界」に属するもの。
● 長い人生の途中では,こういうものにまで何かを求めたくなることがあるものです。
書名 母親というものは
著者 葉 祥明
発行所 学習研究社
発行年月日 2006.05.05
価格(税別) 1,100円
● 本というか冊子ですな。ものの数分で読める。内容は,お母さんありがとうってもの。
● こういう本の需要って一定量は必ずあって,買う人も決まっていて,版元とすれば見込みが立てやすいんでしょうね。
書名 詩の樹の下で
著者 長田 弘
発行所 みすず書房
発行年月日 2011.12.02
価格(税別) 1,800円
● 「存在がそのまま叡智であるような閑かさがあるのだと思う」(p107)という表現が出てくる。
「存在がそのまま叡智であるような閑かさ」かぁ。
書名 奇跡 -ミラクル-
著者 長田 弘
発行所 みすず書房
発行年月日 2013.07.05
価格(税別) 1,800円
● ぼくが苦手とするもの。たくさんあるけれど,双璧は美術と詩だ。見ても読んでもピンと来たことがない。見方,読み方がわからないというより,感性の問題なんだと思う。
ぶっちゃけ,わからなくても困ることは何もないから,わからないままで全然かまわないんだけどね。
● 詩はゆっくり読むこと,音読すること。というようなことを聞いたことがあって,なるほどと思ったんだけど,そうしてみたってわからないものはわからない。
読み方のモードを掴めないってのが,そもそも感性の問題になりますよね。
● っていうか,わかるとかわからないとか,その発想がそもそもダメなのかもしれない。わかろうとしなくてもスッと入ってくるってのが,本当かも。
四の五の言わずに,そうなるまで我慢しろってことかもしれないし,我慢してるようじゃ向いてないんだね,ってことかもしれない。
● こういうものから転載するのは愚の最たるものかもしれないんだけど,いくつか次に。
人は,ことばを覚えて,幸福を失う。
そして,覚えたことばと
おなじだけの悲しみを知るものになる。
(幼い子は微笑む)
得たものでなく,
失ったものの総量が,
人の人生とよばれるものの
たぶん全部なのではないだろうか。
(空色の街を歩く)
日々に必要なものがあれば,
ほかに何もないほうがいいのだ。
なくてはならないものではなかった。
なくていい。そう思い切ることだった。
ある日,卒然と,そう思ったのだ。
(徒然草と白アスパラガス)
書名 いま日本人に読ませたい「戦前の教科書」
著者 日下公人
発行所 祥伝社
発行年月日 2013.06.10
価格(税別) 1,600円
● 戦前の日本は封建的だった,戦前の日本は好戦的だった,と言われる。いや,そんなことは決してなかったのだ。そうなったのは,たかだか開戦の数年前からの話なのであって,それを「戦前」とひと括りにするのは間違いだ。
ということを,事実において証明しようとする。その素材として用いたのが,戦前の尋常小学校の国語の教科書。
● 著者はこれまでの著書でも,高学歴者,知識人ほど,薄っぺらな知で頭をいっぱいにして,欧米崇拝,自国卑下を喧伝してきたが,大方の日本人はもっとしっかりしていて,大人の暗黙知で賢い舵取りをしてきたと強調している。
本書でも同じ。
書名 アップル帝国の正体
著者 後藤直義
森川 潤
発行所 文藝春秋
発行年月日 2013.07.15
価格(税別) 1,300円
● アップルによって脅威にさらされている日本企業の窮状というか惨状を紹介するもの。
が,アップルは別にあくどいことをしているわけではない。企業として当然の闘い方で闘っているだけだ。
そこから先は力関係で決まる。あるいは経営判断の良否が帰趨を決する。本書で紹介されているシャープやソニーの個々の経営者が愚であったかどうかは知らないけれども(そんなことはなかったのだろうと思うが),経営は結果責任を問われる。あたりまえのことだけど。
● 結果,淘汰されるべきものは淘汰される。そこを無理に(たとえば国が介入して)残すなどということをしてはいけないと思っている。
アベノミクスの円安効果で,ソニーもシャープもひと息つけたけれども,さて,この先どうなるか。
● 本書の最終章は,アップルの繁栄は永遠かというタイトルになっているけれども,これを文字通りに受けとめれば,永遠のはずがないという解答しかあり得ないものだろう。アップルはすでに峠を越えたとぼくは思っているが,著者たちも同様に考えているようだ。
ちなみにいえば,日本の家電メーカーが束になってかかっても歯が立たない,韓国のサムスンにしたって,その賞味期間はいいところあと5年だろう。何の根拠もないあて推量に過ぎないけれども。
● アップル社員の働きぶりの凄さを次のように言う。
看板商品の新製品ともなれば,アップルの幹部クラスの人間まで生産現場を視察する。その日の生産ノルマが終わらず「深夜1時をすぎても幹部が待っているときには,もう,気が気じゃなかった」と,別の取引先の担当者は振り返った。 生身のアップルを垣間見た日本人たちは,そのすさまじい仕事ぶりに圧倒されながらも,「アップルがここまで成長できたのは当たり前のことだ」と納得もする。(p65)
アップルは取引先だけではなく,自社の社員にも極めて厳しいということが挙げられる。 「付き合いはじめて7年くらいたつが,アップルの社員の名刺は数百枚も持っている」と,アップルとの交渉担当者が話すほど,人の入れ替わりが頻繁なのだ。一方で結果を残す人にとっては,それに報いる仕組みがある。(p65)
これが本当ならば(本当なんだろうけど),アップルもそんなに長くないことは明らかだ。ここまで厳しい働き方に耐えられるスーパーマンが無尽蔵にいるわけはないからだ。アップルという環境がそうした人を作るという側面を考慮しても,なお,人材供給は先細りだろう。
● ちなみに,ぼく一個はパソコンにもスマートフォンにも格別のこだわりは持っていないけれども,唯一,アップル製品は使わないことにしている。これまでアップル製品のユーザーになったことは一度もないし,これからもないだろう。
これといった理由があってそうしているわけではない。ただ何となく,なんだけどね。
書名 モレスキン 「伝説のノート」活用術
著者 堀 正岳
中牟田洋子
発行所 ダイヤモンド社
発行年月日 2010.09.09
価格(税別) 1,429円
● ヤフオクで370円(送料込み)で購入。
● 想像でいうんだけど,モレスキンって,まずその質感やデザインに惹かれてユーザーになる。ユーザーになってから,ユーザーであることの正当性をあれこれ考え始めるという順序だろう。
たとえば本書のようなガイドブックを読んで,モレスキンを選んで正解だったと思いたい,っていうような。質感やデザインに惹かれたっていうだけで,充分な正当性があると思うんだけどね。
● ともあれ。本書はモレスキンをこう使おうと説いたものだけど,前半の堀さんの執筆部分は,理が勝ちすぎていて読んでてあまり面白くない。
タグを付けろ,巻末に索引を作成しろ,っていうんだけど,普通の人はそこまでやれないだろうな。面倒だから。
それに,こういうのって別にモレスキンだからどうこうって話じゃないもんな。どんなノートを使ってても成立する。その一般論を書いているんですよ,ってことなんだろうけどさ。
● 後半の中牟田さんの筆になる部分は,面白いっちゃ面白いんだけど,新味がない。なぜかっていうと,「ほぼ日手帳公式ガイドブック」にすでに書かれていることが多かったりするからなんだよね。
手帳にしろノートにしろ,ユーザーが独自の使い方を工夫して展開していくと,共通するいくつかのパターンができてくるのかもしれないね。
書名 笑犬楼の知恵 筒井康隆トークエッセー
著者 筒井康隆
発行所 金の星社
発行年月日 2002.06.
価格(税別) 1,000円
● 生活指南書,仕事指南書,人生指南書として,つまるところ実用書として,ぼくは読んだ。かなり面白かった。
● たとえば,つぎのようなもの。
文体というのは作者の思考の過程と流れの速さを表現するから,そんなに変わらないし,すぐに自動化されてしまう。ストレートな思考で迷いなく書いている時ほど自動的になりますね。自動的な文章は読者にわかりやすいし,エンターテインメントならそれでもいいだろうけど,現代文学を一定の思考のリズムに乗って書いちゃいかんのでね。創作過程ではできるだけ夾雑物が入ってきた方がいい。電話とか来訪者とか,家の者の声や警笛や,テレビの爆笑とかね。そういうものがあっての現代なんだから。つまり,ぼくの考えでは,原稿にはできるだけ行き詰まった方がいいということです。(p7)
たとえば相手が何を考えているかわからない場合,その人の表情や喋りかたを真似してみる。すると不思議に相手の気持ちがわかったりする。まあ,高等技術ですがね。(p22)
たとえばサラリーマンで,趣味の世界で名をあげた人がいたって,職場ではそんな功績,無視されてしまう。それでいいんだと思います。違う世界があるんだってこと,そしてそのふたつはほとんど断絶しているんだってことを認識できることは,本人にとってはたいへんなプラスになる。視点が複数になるから世界を見る視野が拡がるんです。(p28)
孤独に負けたときから老醜や老臭が出てくるんだと思います。そうなると家族にまで嫌われる。死ぬときはひとりなんだから,死ぬときが近づけば孤独になるのは当然なんですけどね。やっかいな人間関係よりはましだと思って,孤独を楽しむべきでしょうねぇ。(p41)
不倫というのはいけません。配偶者がいるのに現実に不倫したりすると,その気苦労でたちまち老け込んじまうからね。作家や芸能人が,創作のためとか取材だとか芸の肥やしだとかいって堂堂と不倫したりするのは,本当にそうなるのならまだいいんだけど,たいていはそうはならないからね。(p99)
このあいだ作家の佐藤亜紀とも話したんだけど,われわれにとっては,岩波はもちろんだけど,特に大学の出版局から出る本など,着想の宝庫だったんですが,本屋さんで手に入らなくなるのが心配です。(p105)
段取りというのが大切なのは,先の見通しがつくからです。このときに一応,すべての仕事のことを考えておく。仕事によっては,いったんその仕事を全部おさらいして,頭の中でやってみる。そうすれば仕事の順番もわかってくる筈です。 それができたら,今度は最初にやるべきことだけを考えて仕事にとりかかる。これから先にやるべきこと全部を,ずっと考えながら仕事をするというのが,いちばんいけません。(p109)
書名 最新トピックで歴史を見直す 日本史
監修者 河合 敦
発行所 池田書店
発行年月日 2013.06.27
価格(税別) 1,300円
● 高校の日本史の教科書のような体裁。山川出版社の高校の社会科の教科書が,一般向けに手直しされて,「もういちど読む」シリーズとして市販されているけれども,それにあやかったのかもしれない。
● ぼくが高校生のときも,世界史と日本史については山川の教科書はよく知られていた。山川の「詳説世界史」にしか載っていないことが○○大学の入試問題に出題された,なんてことが言われたり。
ちなみに,ぼくが通っている高校の教科書は世界史も日本史も山川じゃなかった。なんで山川じゃないんだよ,って思ったもんだ。
今なら,そんなことはどうでもいいとわかるんだけど,標準以上にバカだったんでしょうね。
● 昔とは見解が変わっているところもある。一番興味があったのは聖徳太子問題なんだけど,本書でも聖徳太子の存在を前提にした叙述になっている。コラム欄でこの問題を取りあげていて,聖徳太子のモデルになった人物は少なくとも実在した,と。
● 昔から腑に落ちなかったのが白村江の戦いだ。百済復興のために,2万人とも3万人とも言われる兵団を朝鮮半島に送りだして,唐・新羅連合軍に惨敗を喫するっていうやつ。
当時の日本列島に住んでいた人は約500万人だと言われている。それで2万や3万人の兵を一回の戦闘に投入するってのは尋常じゃない。なぜそんなことをしたのかがわからない。百済にそこまでの義理があったのか,唐や新羅をそこまで恐れる理由があったのか。それについては本書にも特に解説はない。
好事家はいろいろ言ってるけどさ。中大兄皇子が百済の王位継承権を持っていたからだ,とか。
● 日本って四海が天然の要害なんでしょうね。守って負けたことはない。そのかわり,打って出て勝ったこともない。
日清戦争も攻めてでたとは言いがたいし,日露戦争ははっきり守った戦争だもんね。バルチック艦隊が出張ってきてくれたおかげで勝てた。
● あと不思議なのは,その当時に朝鮮半島にそれだけの兵を輸送することができたのに,後の遣唐使船がしばしば遭難沈没していることだ。
ルートが違うんだけど,いったん朝鮮半島の沿岸に行って,そこから南下するというルートをなぜ採らなかったのかね。そのあたりがよくわからん。
● 江戸時代の徳川綱吉に対する評価も昔とは違ってるんですね。「天和の治」と称する。この言葉は昔の日本史の教科書にはなかったと思う。あの「生類憐みの令」にもいいところはあったんだよ,ってことになっている。
書名 オーディオ入門
編者 青弓社編集部
発行所 青弓社
発行年月日 2001.02.10
価格(税別) 1,600円
● 自分がオーディオなるものに対していかに無知だったかをわからせてくれる。録音の奥深さと難しさ。それを再生することの厄介さ。これで「入門」かぁ。
ぼくはともかく音が鳴ればいいというレベルに甘んじていたのだなぁ。いや,それは知ってはいたけれども,そのことをあらためて思い知らされた感じ。
● 読者のほとんどは再生する側の人だろう。その再生も奥が深いというか,カオスを極めているというか。無数の順列組合せがあって,入口の前で呆然と佇んだのち,回れ右をして引き返す。そうじゃないと大けがをするかもしれない。
オーディオにのめりこむ人はそれなりの数いるはずだ(だからこそ,こういう本も出版される)。彼らはどうしてるんだろう。
って,あれだよね,大けがするほどに奥まで踏みこんでいる人はそんなにはいないはずだろうなぁ。数十万円の世界でとどまっているのだろう。
● 本書が刊行された時点ではまだiPodはでていない。したがって,デジタル携帯プレーヤー+イヤホンで聴くという聴き方については,何も言及されていない。
現在ではこの聴き方をする人が最も大きなボリュームゾーンになっているに違いないと思うんだけど(ぼくもそこに連なる人のひとり),これはオーディオ以前ってことになりますか。
ただし,この分野も今の水準でとどまるようなことはないんだろうけど。
書名 すごい人のすごい話
著者 荒俣 宏
発行所 イースト・プレス
発行年月日 2013.04.24
価格(税別) 1,600円
● 著者と15人のその道の専門家との対談。その15人は次のとおり。
竹村公太郎:土地からの発想
西成活裕:渋滞学
高田礼人:ウイルス
板見 智:毛髪
鈴木一義:幕末大名
林 公義:天皇陛下の自然学
船曳建夫:演歌
町山智浩:コミック王国アメリカ
鈴木 晃:オランウータン
小松正之:クジラ
福岡伸一:生命
浜辺祐一:人の死に方
迫慶一郎:中国での街づくり
四至本アイ:近代日本の大きな障害
早坂 暁:四国遍路
● どれも面白い。世の中には頭のいい人がいるもんだ。おかげでこっちまで賢くなったような気がするが,もちそんそれは錯覚だ。
読書は一夕の歓を尽くすためのものだとすれば,本書は絶好のアイテムといえるだろうね。
書名 TOKYO音カフェ紀行
発行所 玄光社MOOK
発行年月日 2013.07.07
価格(税別) 1,200円
● 大昔,「名曲喫茶」というのがあった。「なぜそれほど人気だったのかというと,答えは簡単。当時はレコードもオーディオ器機もとても高価だったから。自宅にオーディオ設備がある人はほとんどいなかったし,レコードだって月に1枚買うのがやっと。そこで,コーヒーを1杯頼めば,最新の輸入盤を高級オーディオの音質で聴くことができる名曲喫茶が大人気となったのです」(p38)ということだ。
レコードとオーディオの共同所有だね。だから,共同じゃなく個人で所有できるようになると,この業態は消えていく。
● 名曲喫茶は「私語厳禁」「会話禁止」で,いうならオタクが集う場所でもあったんだろうね。コンサートホールでオーケストラを聴くときのマナーを喫茶店で求められたようなものだろうから。
いまはどうかっていうと,アマチュア演奏家がホールでどんどん演奏するようになった。それらの生演奏の方が,かつての名曲喫茶より大衆化しているような気がする。
● それでも「音カフェ」は存在している。ぼくからすると,そうした「音カフェ」の方がコンサートホールよりも敷居が高い。なぜそう感じるかといえば,お客さんのレベルが高そうだからだ。「音カフェ」を訪れるお客さんって,自宅のオーディオで耳を鍛えた人たちばっかりのような気がしてしまう。
でも,そればかりだとすると,営業が成り立つほどのお客さんはいないことになりそうだ。行ってみれば,気安い場所なのかもしれないな。
● こうした「音カフェ」を経営する人って,なんだかいい人っぽい。人が好きでサービス精神が旺盛で細かい気配りができる人。
客商売なんだから,たんに音楽が好きっていうだけじゃできるはずがない。昔の名曲喫茶ならそれでも何とかなったのかもしれないけれど。
● 大昔はたとえラーメンやカツ丼であっても,外でご飯を食べること自体,ハレの出来事だった。そういう時代の食べ物屋って,不味くてもそこそこ商売になっていたような気がする。
今は,旨いだけじゃやっていけない。お客さんが普段,家で食べているものがそれなりの水準になっているわけだからね。
同じように,相当な水準の音源や機材を備えていないと,「音カフェ」商売もやっていけないんだろうな。普通の音楽マニア程度じゃ問題外だね。
書名 偽文士日碌
著者 筒井康隆
発行所 角川書店
発行年月日 2013.06.25
価格(税別) 1,600円
● 著者自身が書いているように,著者の年齢でこれだけ仕事をしている作家は,他にはいないだろうな。役者と作家の両方をやっているわけだから,テレビの仕事もある。とんでもない仕事量だ。
食事の描写がたくさん出てくる。美食家だし,煙草は喫うし,酒も呑んでいる。それでこれだけの仕事をする。働き盛りの企業戦士さながらだ。稀有な「後期高齢者」だ。
● 特に羨ましいのは,親族との国内旅行。贅沢だよね,これ。ファーストクラスに乗って,海外大名旅行をするより,ずっと高級な感じがする。
それも仕事をしていればこそで,いくらお金があっても,こればかりやっていたんじゃ,ここまで読ませる内容にならないんじゃないかと思う。
● ひょっとして偽悪を混ぜ込んでいるところもあるのかなぁ。あまりそれは感じなかったんだけど。
ひとつ困ったことが発生した。本書を読むまで禁煙中だったんだけど,本書を読んでる最中についに煙草を買いに走ってしまったんだよねぇ。
書名 意味がなければスイングはない
著者 村上春樹
発行所 文藝春秋
発行年月日 2005.11.25
価格(税別) 1,333円
● ジャズ,ロック,クラシックなど,著者が聴く音楽にジャンルは関係なし。この辺のところは,「あとがき」で著者自身が説明している。
この「あとがき」,著者の超ミニ自叙伝としてもファンにとっては興味惹かれる内容になっているのではあるまいか。
僕の両親は音楽をとくに好む人々ではなかったし,子供のころうちにはレコードの一枚もなかった。音楽を自然に耳にする環境ではなかったということだ。それでも僕は「独学」で音楽を好むようになり,ある時期からは真剣にのめり込んでいった。(p277)
十代の初めから終わりにかけて,僕はまわりの誰よりも,多くの小説を読みあさった。その時期,僕くらいたくさんの小説を読んだ人間は,それほどはいないだろうという自負みたいなものがある。図書館にあった主要な本はほとんど読破してしまった。読み方もずいぶん深かった。気に入った本があれば,三回も四回も読み返した。そのように書物を読み,音楽を聴くことが(そしてときどき女の子とデートすることが),十代の僕にとっての生活のほとんどすべてだった。学校? 勉強? そういえばそういうものもあったかもしれない。よく覚えていないけれど。(p278)
● その著者が自身の音楽観を語ったのが本書。具体的な演奏家,作曲家を取りあげて,自在闊達に説きまわっているように思えるんだけど,その仕事ぶりは次のようなものだったようで,簡単にスラスラと書いたわけではない。
うちにこもって,机の上にレコードやCDや資料を山と積み上げて,ずいぶん手間暇をかけて書いた。寝食を忘れ・・・・・・というほではないにせよ,さらさらと簡単に片づけられる仕事ではなかった。(p276)
語るための素材に選ばれた演奏家,作曲家は,次の11人。
シダー・ウォルトン
ブライアン・ウィルソン
シューベルト(ピアノ・ソナタ第17番ニ長調)
スタン・ゲッツ
ブルース・スプリングスティーン
ゼルキンとルービンシュタイン
ウィントン・マルサリス
スガシカオ
フランシス・プーランク
ウディー・ガスリー
● 著者の音楽観を共有できるのは,こちらとしても嬉しいこと。なんだけど,残念ながら共有はできない。ぼくの場合は,ですけど。
なぜなら,本書に取りあげられている楽曲のほとんどを聴いたことがないからだ。著者の蘊蓄についていけるバックグラウンドが見事にない。
ただ,麻雀のルールを知らなくても,阿佐田哲也の『麻雀放浪記』は面白いように,楽曲を聴いたことがなくても,本書は本書として独立しているので,文章を味わうことはできる。
ただ,理解できたかどうか(追随するにしても批判するにしても)は皆目不明っていうだけ。
書名 すてきなあなたに よりぬき集
著者 暮しの手帖社編集部
発行所 暮しの手帖社
発行年月日 2012.05.28
価格(税別) 1,200円
● 陳腐な言葉だけれども,一服の清涼剤という言い方がありますね。本書はその清涼剤のビン詰めのようなものか。いくら服用しても減らないっていう。
にしても。これだけのシーンをよくまぁ集めたものだ。しかも,本書は「よりぬき集」であって,この何倍もの分量の元版がある。
書いたのは社主の大橋鎮子さんらしい。
● ひとつだけ転載。197ページから。
着るものに,小さな手間を惜しむようになったら,それは年に負けたしるしです。毎日,着る服を取り替えること。その手間は怠らないで。
お客さんの,あるマダムが,「もう盛りをすぎたわ。死ぬまで着られるような服をつくって」と頼むと,シャネルは,「年をとった女の人こそ,流行の中にいなくてはだめ・・・・・・。女の人は,時代といっしょに年をとってゆくべきで,自分の年齢といっしょに年をとってはいけません」と言ったという話を,思い出しました。
書名 いつもの毎日。 衣食住と仕事
著者 松浦弥太郎
発行所 集英社文庫
発行年月日 文庫版:2013.02.25
元版(単行本):2010.07
価格(税別) 440円
● オーソドックスで上質なものを,手入れしながら長く使う。本書で説かれている生活の心得を,ひと言で要約するとこうなる。
これ,単純なんだけど,そうは簡単に真似できないと思う。なぜというに,このスタイルの前提を支える美学を,ぼくをはじめとして多くの人が持っていないだろうから。
単純だから細部にこだわらないというのではない。逆だ。著者のこだわりについて行ける人は,そんなにいないはずだ。
ガサツや妥協をどこまで遠ざけることができるか。日々使う何気ない品々にどこまで神経を配れるか。それがつまり,美学になるのだろう。
● ちなみにわが家の場合は,ぼくの服もネクタイも靴もベルトも,奥さんが選んでくれる。彼女のセンスを全面的に信用しているわけではないけれども,ぼくのセンスよりは信用できると思っている。
たぶん,努力すれば彼女から決定権を取り戻すことはできると踏んでいるんだけど,それはしなくてもよかろうなと妥協しちゃってる。
● ただし,鞄だけはダメだね。女性に選ばせちゃいけない。どうもブランドの小ぶりなもの,華奢なものを選ぶ傾向がある。彼女に限ったことで,女性一般がそうだというわけではないんだろうけど,鞄だけは自分で決めている。
といっても,けっこうモノを入れて通勤するんで(これ自体,あまり格好いいことじゃないんだけど),まず丈夫であること。次に,取り回しが楽であること。色は黒。このくらいしか考えていない。
それを満たすものは,たとえばユニクロにもある。ファストバッグ?でぜんぜんかまわないと思っている。生活作法を芸術の域に高めたいといった野望とは無縁だ。
書名 松浦弥太郎のハロー,ボンジュール,ニーハオ
著者 松浦弥太郎
発行所 朝日新聞出版
発行年月日 2013.03.30
価格(税別) 1,300円
● 外国人とのつきあい方の指南書といいますか,それを通じて,著者の人生観を展開するという内容。
タイトルのとおり,アメリカ人,フランス人,中国人をサンプルに取りあげる。驚いたことに,著者はこの3ヶ国語について,週1回,個人レッスンを受けている。NHKのテレビやラジオの講座も活用しているそうだ。うーん,恐れいるなぁ。