書名 働く君に伝えたい「お金」の教養
著者 出口治明
発行所 ポプラ社
発行年月日 2016.01.13
価格(税別) 1,300円
● 若者に向けて書かれたもの。が,ロートルが読んではいけないことはないので,読んでみましたよ,と。
● 老後はこれだけないと経済的にやっていけないというタイトルの本が,わりと次から次へと出版される印象。その“これだけ”というのは億を超える金額だったりする。
その理由は,世の中が年寄りだらけになって,読者の大宗が年寄りになっていることがひとつある(と思う)。もうひとつは,大衆は不安が好きということだろうね。漠然とした不安がじつは好きなんじゃないかと思うんだよね。
だから,著者や出版社は大衆の不安を煽ってけしからんというのは間違いで,著者や出版社は大衆(読者予備軍)におもねっているだけなんでしょう。
● なので,本書はひょっとするとドンキホーテかもしれないんだよね。だって,そうじゃないんだよ,いたずらに不安になる必要はないよ,と理路整然と説いているわけだから。
でも,本書が想定している読者は若者だからね。年寄りじゃないから。
● これは古今の真実なんだろうけど,情報というのは,それを必要とする人のところには行かないもの。
本書を手に取るような人には,たぶん,本書の情報は不要だろうな。本書を必要としている人が本書を手に取ることはないような。
でもまぁ,そういう人が5人でも10人でもいれば,もって瞑すべしと考えないとなぁ。
● 以下に転載。
眼の前のことで不安になったら歴史を振り返ってみるというのは,近視眼的になることを防ぐ一番の方法です。(p23)
「そもそも,なぜメディアは不安ばかり煽るのか?」を考えてみましょう。答えは簡単。不安を煽るほうが商売がしやすくて,「儲かる人」がいるから。それだけのことです。(中略)不安になれば,まじめな人ほどなんとかしようと行動する。そのまじめな人の行動の先には,必ず「儲かる人」がいる。(p23)
国の危機とは国債の危機であり,国債の危機とは金融機関の危機です。金融機関がつぶれても国はつぶれませんが,国がつぶれたら金融機関もつぶれます。近代国家では,その国以上に安全な金融機関など存在し得ないのですね。(p32)
大切なのは,「いまの高齢者たちのせいで自分たちは割を食っている」といじけることではありません。「どうしたら自分たちは少しでもいい人生が送れるか」を考えることです。人生は短いもの。むだなことに思考を割くのはもったいない。損をしているという不安を持つこと自体が,むしろ損なのですよ。(p47)
手当や助成金って給付される人が偏っていませんか? たとえば,シングルペアレントや,生活が立ちゆかなくなった人とか。つまり,これは不公平なのではなく,「誰でもそちら側になりうるから」ということですか? 誰が「給付される側」になるかわからないからみんなで負担しましょうよ,と。(p59)
いくらリッチでも,退職した高齢者には所得税や社会保険料はかかりません。所得税は,稼いだお金にかかるものですから。(中略)ですから,基礎年金に使うお金の出どころとして,所得税のウェイトを減らし,消費税のウェイトを増やせばフェアだとは思いませんか? リッチな層ほど高額商品を購入する傾向にありますから,消費税の負担額も自ずと大きくなる。(p62)
アメリカには消費税(付加価値税)という概念はありません。なぜ必要ないか? 人口が増え続けているからです。(中略)労働人口が増えているなら,所得税に頼るほうが理にかなっている,というわけです。(p64)
ツイッターやフェイスブックなどのSNSやメディアを盲信してはダメです。自分で一次データを見て,数字やファクトをきちんと把握して,自分のアタマで考えるしかありません。いままで情報を受動的に受け取ってきた人にとっては一苦労でしょう。でも,これが「お金リテラシーのある大人」への第一歩でもあります。(p65)
僕は「貯める」や「殖やす」よりも「使う」ことのほうがずっと大切だと思っているのです。なぜなら,お金を使うってすごく楽しいことだから。そして,使うことこそがお金の本質だから。(p81)
お金を使うときのルールはひとつだけ。「楽しいかどうか」です。楽しく,かつマイナスにならなければ,それでいいのです。(p81)
みなさんの周りにも,大人の美学のように「小銭の計算はするな」とか「タクシーでおつりは受け取らない」といった話をするバブルおじさんがいるかもしれません。けれど,そんなものは美学でもなんでもありません。爆発的な成長を遂げた戦後日本のなかで,お金と真剣に向きあい,考える必要がなかっただけのこと。その場,そのときの社会の状況によって,人の「当たり前」は変わるのです。(p84)
どうすればツールとして賢く楽しく使えるか。これに関して,僕が定めているルールがあります。それが,「オール・オア・ナッシング」の原則。100か0か。すべてか無か。いいものにはドンと大きく使い,そうでないものにはできるだけ使わない,というルールです。(p86)
どこまで好奇心を持って庭の奥まで歩いていけるかというと,やっぱり体力に比例する。(中略)体力と気力があるときに使う3万円と,衰えてきたときに使う3万円とでは,前者のほうがずっと濃密な体験ができるのです。(p94)
いくら物理的な時間があっても,本人に「この時間をめいっぱい使おう」という意欲がなければ,ほんとうの意味での「使える時間」にはならないのですね。いわば,時間という大きな箱を持っているけれど,入っている体力や気力がすかすかなのがお年寄り。小さな箱しかないけれどぎゅうぎゅうに詰まっているのが,君たち20代の若者,ということです。(p95)
「ケチ」と「倹約」を混同しないことです。(中略)スーパーの値段を調べずに,また,調べたとしてもめんどうくさがっていつもコンビニで買い物をし続けるのは,「浪費」です。「同一商品や同等のサービスは,比較して,安いほうを選ぶ」これは消費の大前提で,全世界共通のルールです。(p95)
「若者の○○離れ」は,何かを売りつけたいおじさんとおばさんが,自分が若いときのように消費しない若者に向けて発した捨て台詞のようなものでしょう。(p101)
どこの国でも「伝統」をたどっていくと,意外とおじいちゃん,おばあちゃんくらいから始まっていることが多いのですよ。自分が小さいころから体験している文化や習慣は,まるで平安時代くらいから続いているように勘違いしてしまうものです。(p121)
本来,人の人生はワンパターンではありません。(中略)原理原則や数少ないルールさえ押さえておけば,あとは自分で決めていけばいいのですよ。(中略)みんなマニュアルに頼りすぎです。(p125)
みなさんの人生もこれからどう変化していくかわからないし,社会にも何が起こるかわからない。だから,流れる川に身をゆだねて,ゆったりと流されていけばいいのです。あなたが無理して泳がなくても,川は自然と流れてあなたを運んでくれます。(中略)行き当たりばったりのほうが人生楽しいでしょう。(p126)
ある調査によると,東京で亡くなった高齢者が遺したお金の平均は,なんと3000万円だそうです。その3000万円があれば,若くて元気なときにもっと楽しいことがいろいろできたろうに・・・・・・と思わざるを得ません。(p136)
親がすでに貧困にあえいでいるなど特別な場合を除いて,親のために貯蓄するという考えは持たなくていいと思います。お金を援助するよりも,みなさんが親にすべきことがあります。それは,親にいつまでも健康でいられるよう,自立を促すこと。シンプルに言えば,放っておくことです。(p180)
内側から鍵をかけるような生活をしていると,あっという間に足腰もアタマも「弱った老人」になってしまいます。(p181)
20代のみなさんが親の介護を心配して費用を貯めようというのは,優しさではあるかもしれませんが,むだな責任感であるとも言えます。そういう一見真面目な考えが,人生を窮屈にしてしまうのです。(p184)
残念ながら,どれだけアタマをひねって将来を予測しようとしても,10年先はもちろん,5年先に何が起こるかは誰にもわからない。それほど人間のアタマはよくできていません。人類の歴史で何かを成し遂げた人は,むしろ偶然の出会いや運によってそれを達成していることが多いのですね。(p202)
実感を持って「ここに賭けよう」と思える企業を選ばなければ,自分でやる意味がないと思いませんか? だって,評判やマーケットの動きだけをアテにしていたら,本質的には「人に任せる投資」と変わらないでしょう?(p236)
知らないものに,投資はできない。個別の株式投資は「よく知っている日本の企業に投資する」のがセオリーです。(p238)
20代では・・・・・・いや,60代になったとしても,「自分の仕事が天職かどうか」なんて誰にもわからないのです。(p249)
やりがいや自己実現の幻想に縛られ,せっかくご縁があった仕事をないがしろにする。これでは,本末転倒です。(p250)
「衣食住が満たされるまでは,お金がすべて」。そう言いきってもいいでしょう。そこさえ満たせたら,人間はそれほど不満を抱かない生き物です。むしろ,お金以外のことでものごとを判断するようになります。(p250)
独裁者という連中は改心したためしがありません。(中略)入った企業がブラック企業だったら,みんなで大脱走するのがいちばんです。(中略)ブラック企業で真っ当なスキルが身につくはずがありません。まずは飛び出して,スキルが身につく場所に飛び込んでみましょう。(p259)
スキルは,新しい環境に積極的に身を置いて,大変だ,大変だ,と言いながら身につけることのほうがむしろ多いのです。(p261)
「ひとりで海外旅行ができない人と海外に行くことほどつまらないことはない」という言葉があります。(p267)
貧困層と言わないまでも,「どうもぱっとしない」「生活が苦しい」「ドツボにはまってしまった」と感じている人もいるでしょう。「このままではどん詰まりだ」,と。その人たちに足りないのは,「ほんとうのことを教えてもらった経験」。つまり,リテラシーを養うための教育なのですね。貧しい生活に陥るいちばんの原因は,受けるべき教育を受けてこなかったことにあります。(p270)
やる気が高まっているときに気をつけてほしいのは,高額なセミナービジネスや講習ビジネスのカモにならないこと。貧しい人からむさぼり取るビジネスは,そこら中に潜んでいます。「人生を変えたい」という願いは切実ですからね。(p273)
「教えてもらえない→知らない→不安になる→行動しない」という負のスパイラルをつくってはいけません。(p279)
書名 人生を面白くする本物の教養
著者 出口治明
発行所 幻冬舎新書
発行年月日 2015.09.30
価格(税別) 800円
● 本書は可処分時間を大きく残している若い人に読んでもらいたい本だろう。しかし,ロートルにも役に立つ。
特に,思うように仕事人生を生きられなかった,こんなはずじゃなかった,と鬱々としているロートルは本書を読むと慰められるだろう。「仕事はどうでもいいもの」と言ってくれているのだから。
● 同時に,自分はなぜダメだったのかも考えさせてくれる。というか,その答えらしきものが浮かびあがってくるような気分にさせてくれる。
そして,たとえやり直せたとしても,結果は同じだろうなと思わせてくれる。深い諦念を与えてくれるのだ。その諦念は決して不快なものではないのだ。
● そして,ここが大事なところなのだが,そんなものを埋め合わせてお釣りがくるほどの人生を送ることが,これからでも充分に可能なのだと教えてくれるのだ。
ロートルならば,人生にはまさかという坂があることを知っている。そのまさかがこれからもあるかもしれない。たとえば,配偶者が事故に遭って寝たきりになってしまうことは,明日にでも起こりうるのだ。しかし,それは考えすぎないことだ。禅宗が「莫妄想」と戒めているではないか。
● 以下に転載。
よりワクワクする人生,より面白い人生,より楽しい人生を送って,悔いなく生涯を終えるためのツール,それが教養の本質であり核心であると私は考えています。(p20)
日本人は,“心の幅”が不足しているように感じます。とくに戦後の日本人はそうではないでしょうか。(中略)関心事が経済やビジネスに偏りすぎているように思えてなりません。(p20)
勘違いしてはいけないのは,知識はあくまで道具であって手段にすぎないということです。決して知識を増やすこと自体が目的ではありません。知識が必要なのは,それによって人生の楽しみが増えるからです。(p21)
「知ること」には「嫌いなものを減らす」効果もあります。先入観による嫌悪を除去できれば,さまざまなものとの相互理解が進みます。(p22)
「知っている」というだけでは十分ではないのです。知識に加えて,それを素材にして「自分の頭で考える」ことが教養なのだと思います。(p24)
誰かの話をちょっと聞いただけで「分かった」と思うのは安易な解決法です。(中略)自分の頭で考えて,本当に「そうだ,その通りだ」と腹の底から思えるかどうか(腹落ちするかどうか)が大切なのです。(p25)
人間が意欲的,主体的に行動するためには,「腑に落ちている」ことが必須です。(p27)
厳しいことを言うようですが,「どちらとも言えない」を選んでしまうのは,ほとんどの場合「考え不足」が原因です。(p27)
反対のための反対をしている人は,ほとんどの場合,問題の全体像が見えていないのです。ごく部分的な矛盾をとらえて反対の声を上げているにすぎません。ところが,本人にはその自覚のないことが多く,「おかしい」「変だ」と思うことを精一杯指摘しているつもりなので,なおさら厄介です。やる気だけが満ちているので,周りは振り回されるばかりです。(P29)
そのときの経験(外国人相手の仕事)で痛感したのは,ほとんどがドクター,マスターである外国のトップリーダーに比べると,日本のビジネスリーダーはなんと教養が不足しているのか,ということでした。(p35)
グローバルビジネスにおける人間関係は,ビジネスの中身で決まると思われているかもしれません。(中略)しかし実際に,グローバルビジネスの現場で重視されているのは,「人間力」です。(中略)「この人と仕事をしたら面白そうだ」という属人的な要素です。(p36)
グローバルリーダーの場合,「広く,ある程度深い」素養が求められます。しかも,個別に「狭く,深い」専門分野を持ったうえでの,「広く,ある程度深い」素養なのです。(p38)
人間は,双方の関心領域がある程度重なっていないと,なかなか相手に共感を抱けないものです。(p39)
「自分の意見」を持っていることが決定的に重要です。(中略)日本にはもともと,「異論」を論じにくい風潮があります。(中略)しかし,異論が存在できない社会はきわめて不健全です。(p41)
若い世代は,周りの大人を見て,「社会人とは,こんなものなのだな」と学んでいくのです。若者にバイタリティがないのであれば,すなわち身近なロールモデルである大人たちに気概が欠けているからだと考えなくてはなりません。(p45)
戦後の日本には,放っておいても成長できる幸運(条件)が整っていたのです。(中略)冷戦がとうの昔に終結し,人口が減り始め成長が止まり,あらゆる指標が頭打ちになったいまの日本こそ,普通の国に戻ったと言うべきです。(p52)
戦後このかた,私たちは「みんな一緒に」を好んで得意としてきましたが,いまやかつてなく,「個の力」が問われているのです。(p57)
日本は小さい国だと思っている人は,じつはかなり不勉強なのではないでしょうか。日本の領海の面積は世界第六位になります。海洋資源も日本の大きな余力です。日本は小さい国ではなく,海を含めて考えればむしろ大きい国なのです。(p59)
私は日本が大好きですから,日本のポテンシャルを信じたいと思います。これまでは自分の頭で考える必要もなく教養もそれほどなかったけれど,それでもこれだけの戦いができました。もし日本人が世界標準の教養を身につけたら,まだまだこの国は大きく成長できる可能性を秘めているはずです。(p59)
たとえば「自分は大学時代にろくに本を読まないで過ごしてしまった。もう手遅れだ」と思うぐらいなら,今夜から読み始めればいいだけのことです。いまさらもう遅すぎると努力を放棄する人は,サボる理由を探しているだけです。(p62)
物事を考える際には理屈だけではなく,常に数字(データ)を参照して考えることが重要です。数字に基づかない理屈は説得力を欠いていると疑うべきです。(p66)
物事を考えるにあたっては,本質を把握することが何よりも大切です。要するに個々の木を見る前に森の姿,森の全体像をしっかりととらえることが肝要です。最初に物事の本質を的確につかんでおけば,間違える確率が大幅に減少します。(p69)
物事の本質は,たいていシンプルなロジックでとらえることができます。なぜなら,人間は本来シンプルな生き物だからです。逆に言えば,シンプルなロジックで理解できないものは,本質をとらえていない可能性があります。(p69)
適切に「常識を疑う」ことは常に必要です。常識を疑うことが広く許されなければ,市場は悪意ある人たちのやりたい放題になります。(p76)
モノを言うのは,機密情報のようなものではなく考える力なのです。考える力があれば,普通に入手できる情報でも,それらを分析するだけで,これまで見えていなかった世界が見えてきます。それが教養の力であり,知の力だと思います。(p80)
とにかく大量の情報に接すると,おのずとその分野に関して造詣が深くなるものです。好きな分野であれば四の五の言わずに情報収集に努めること,ひたすら量を積み重ねること,それも知の蓄積のコツの一つです。(p84)
仕事や勉強ができる人は,横から見ていると頭がいいとか才能に恵まれているのもさることながら,自分のやる気の引き出し方がうまいというのが,私の実感です。やる気をうまく引き出すためには,他者を巻き込んだ仕掛けが効果的です。(p90)
本を読むのは面白いから読む,人に会うのは面白いから会う,旅をするのは面白いから旅に出る。万事がその調子で,私の価値観では常に「面白いかどうか」が一番上にあるのです。(p96)
私の経験則ですが,最初の五ページが面白くない本は最後まで読んでも面白くありません。(中略)そういうときは,その本は自分とご縁がなかったのだと割り切って,読むのをやめます。(p102)
私は速読はおすすめしません。速読は百害あって一利なしとさえ考えています。本を読むのは人(著者)の話を聞くのと同じことです。人の話はていねいに聞かないと身につきません。(p104)
いまは,ライフネット生命の経営で手一杯なので,読書量はサラリーマン時代に比べて激減しました。読む冊数としては,一週間に平均三,四冊ぐらいがせいぜいでしょうか。(p105)
何か新しい分野を勉強しようとするときは,まず図書館で,その分野の厚い本を五,六冊借りてきて読み始めます。分厚い本から読み始め,だんだん薄い本へと読み進んでいく。これが新しい分野を勉強しようとするときの私の読み方のルールです。(中略)一般に,入門書は薄い本が多いのですが,初めに薄い本を読んでしまうと,なんとなく概略がつかめた気になって,分厚い本を読まなくなる恐れがあります。もう分かったと思ってしまって,手間のかかる本が面倒になるのです。(p106)
違和感を覚えることにこそ,異文化理解の鍵があるのです。(中略)ここは自分とは感覚が違うな,ちょっと変わっているなと感じたら,相手をたんに否定するのではなく,相手の感覚を自分も追体験してみるようにすると,それまで自分にはなかった感覚を理解することができます。(中略)もしそうなれば,その分だけ人間的に幅ができたことになるのです。(p128)
「企業の一員」という役割を全うすることに熱心すぎて,個人としての自分を表に出すことが十分にできていない可能性があります。役割に対する一種の過剰適応です。(p129)
日本の経営者が好きな作家に司馬遼太郎がいますが,司馬作品は一般的に「物語」性が強く,とても「歴史」とは言えないと思います。「司馬史観」という言葉があるように,司馬遼太郎の「物語」は初めに結論ありきのような気がしています。(p135)
歴史上の人物たちが語りかける言葉に,私たちは素直に耳を傾けるべきです。彼らが収めた成功だけではなく,彼らが犯した失敗をも学ぶことによって,彼らが陥った落とし穴に落ちないようにしなければなりません。それが歴史を学ぶということであり,先人たちのメッセージを受け取るということです。(中略)私たちは負の遺産をも先人たちから学ぶできなのです。それができなかったら,彼らの子孫として生きている意味がないではありませんか。(p136)
人間が老人になっても生きているのは,人生で学んださまざまなことを次の世代に語り伝えることによって,次の世代をより生きやすくするためです。人はそのために生かされているのです。(p138)
人間は動物ですから,子どもが産める若い女性に,男性は貢ぐという万国共通の法則があります。女性がきれいになるのは,男性たちに経済力がついて女性に貢ぐことができるようになるからです。(p153)
旅の最大の効用は「百聞は一見に如かず」にあります。ピラミッドの大きさは本を読んでも知ることができますが,ギザのピラミッドの前に立ち,その場の匂いを嗅ぎ,熱気を感じ,石に触ってみて初めて得られるものがたくさんあります。(p158)
平均寿命-健康寿命=介護ですから,超高齢化社会の基軸となる政策は,健康寿命を延ばすことにあるはずです。健康寿命を延ばすベストの方法は,どの医師に尋ねても働くことだという答えが返ってきます。(p187)
日本と中国,韓国との関係では,歴史認識の問題もあります。「歴史は一つではない」「歴史は民族の数だけある」と言う人がいますが,私は違うと考えています。あくまでも「歴史は一つ」だと思うのです。(中略)歴史とは文献や資料を総合的に勘案し,自然科学の力をも駆使して,そのとき何が起こったかを解明しようとする営みにほかなりません。科学が進歩すればするほど,少しずつ歴史のベールは剥ぎ取られていきます。(p203)
人間の歴史を振り返ると,文明の盛衰は主として気候変動によってもたらされてきたことがはっきりしています。地球温暖化は人類が直面している諸課題のなかでも「幹中の幹」の問題です。(p217)
あなたが世界に目を向けたいと思うなら,英語は不可欠です。事実上,英語が世界共通語になってしまっているので,好き嫌いの問題を超えて,もはや英語を避けては通れません。(p220)
できないという人は,ほとんどの場合,やる気がないのです。英語に限らずたいていの物事は三年ぐらい必死に頑張って勉強すれば何とか身につきます。あとは楽しく継続できる工夫をつくれるかどうかだけの話ではないでしょうか。(p224)
「英語ができるようになったら,外国人と話をしよう」と考えるのは間違いだと思います。「英語ができなくても,恥をかくつもりで外国人と話をしよう」が正解です。(p227)
私は,当然のことですが,ライフネット生命を起業して以来,過去の人生のどの時期よりも長時間必死に働いています。しかし,それにもかかわらず,人間にとって仕事とは何かと言えば,「どうでもいいもの」だとあえて言っておきたいと思います。(中略)二,三割の仕事の時間は,七,八割の時間を確保するための手段にすぎません。家族や友人は取り替えが利きませんが,仕事は取り替えることができます。(p234)
仕事は「どうでもいいもの」だという認識があれば,自分の信念に従い思い切って仕事をすることができます。仕事を人生の再優先事項ととらえ,職場を絶対視すると,これを言ったら上司に嫌われるのではないかとか,みんなの顰蹙を買うのではないかなどと余計なことが気になって気持ちが萎縮してしまいます。(p235)
職場に過剰適応してしまうと,出世や左遷といったことに一喜一憂しすぎてしまいます。ひどい場合には,職場内での序列が人間のランキングだと勘違いしてしまいます。じつに馬鹿馬鹿しい限りです。(p237)
どうしても仕事がうまくいかなければ,さっさと仕事を替えてしまうという選択肢もあります。みんながみんな置かれた場所で咲く必要などどこにもないのです。(p237)
人間には不思議な一面があって,世のため人のためとか,大義とかいう言葉に弱いところがあるのです。(p239)
なかには五カ国語も六カ国語も話すことができるのに,思考力がいま一つという人がいます。おそらく,マザータングがない人ではないでしょうか。日本語で考えたり,英語で考えたり,フランス語で考えたりしていると,思考が収斂しないのです。(p246)
人間の能力はみんなどっこいどっこい,チョボチョボだと思います。人類最速のウサイン・ボルトは一〇〇メートルを九秒五八で走ります。私は一二秒フラットで止まりましたが,人類最速の男と比べても一.五倍も違いません。(p247)
書名 「全世界史」講義Ⅱ 近世・近現代編
著者 出口治明
発行所 新潮社
発行年月日 2016.01.15
価格(税別) 1,400円
● 副題は「教養に効く! 人類5000年史」。全2冊で『Ⅰ』が「古代・中世編」。『Ⅱ』から読むことにした。特に理由はない。
● “知の巨人”という言葉が昔からあって,かつては丸山真男がそう呼ばれていた。最近は内田樹にその名を冠することが多いようだ。
が,出口さんこそ,その名に相応しいような。オレがオレがというところはまったくなく,ごく控えめに歴史を語っているのだが,その蘊蓄はとんでもない。
● ぼくの乏しい読書歴の中では,宮崎市定『アジア史概説』(中公文庫)が圧倒的な存在感を持って,自分の記憶を占拠しているのだが(松岡正剛さんの解説も一緒に読んでおくのが吉),視野の広さという点からすれば,本書はそれに迫る。
控えめに事実を連ねているので,そこから出口史観というものを抽出することは難しい。そうしたヒケラカシを著者は抑えている。
● そうではあっても,語りおろしということもあってか,著者の好みや,歴史上の個々の登場人物への評価が語られる。そこが本書の魅力のひとつでもあるだろう。
本書は歴史書であるとともに,著者のエッセイでもあって,すこぶる読みやすいのが特徴。
● 以下に転載。
オスマン朝の強さの秘密はなんであったのか。(中略)この王朝の柔軟さと寛大さに,本当の理由を求めるべきです。(中略)オスマン朝は,能力のある人をひたすら大歓迎しました。そのあたりはモンゴル世界帝国とよく似ています。(p63)
ヨーロッパではドイツを中心に宗教戦争が猖獗を極めました。宗教上の争いは本当に根深いものがあります。特にローマ教会とプロテスタントの争いです。典型的なパターンは,ローマ教会の頑迷な君主が弾圧を始め,それにプロテスタントが反発するという形です。(p105)
ハプスブルグ家は,賢主が出ない不思議な家系です。(P109)
一六三六年にはハーバード大学が開校しています。ピルグリム・ファーザーズの上陸から,わずか一六年後です。このことは,新大陸に渡った人々が,いかに進取の気性に富んでいたかを物語っていると思います。(p117)
「人は美しいものに惹かれるのだ。プロテスタントの主張に媚びてはいけない。ローマ教会の信者たちにローマは素晴らしいこの世の天国だと思わせることが大切なのだ」 それがウルバヌス八世の考えでした。(中略)ウルバヌス八世のおかげで,ローマは美しく蘇りました。レオ一〇世の時代を第一のローマ・ルネサンスとすれば,ほぼ一二〇年後,第二のローマ・ルネサンスの時代がやってきたのです。この二人の教皇は,巨額の負債を残したことも共通しています。学問・芸術の保護はお金がかかるのです。(p118)
このnation state(国民国家)という想像の共同体を,初めて現出させたのがフランス革命だったのです。ネーションステートという求心力の強い新しい国家形態を生み出したこと,そして手工業から機械工業へと生産構造を変えた産業革命を実現したことが,ヨーロッパの世紀を導きました。(p155)
ジョージ一世は,ドイツの政治のほうに興味があり,英語もほとんど話せませんでした。しかし議会はまったく気にしませんでした。(p161)
古来,中央ユーラシアからは軍事の天才が登場します。チンギス・カーンやティムールもそうでした。(p169)
産業革命がなぜグレートブリテンで起きたのか。それは産業革命が,インドのまねをすることから始まったからです。(中略)あらためてインドを見つめなおしてみると,この国のGDPがとても大きいことに気がつきました。それは綿織物を生産しているからでした。(p180)
グレートブリテンのインド経営は,本国の負担を限りなくゼロにして,すべてインド亜大陸から搾取する方法を採りました。本国の手は汚さず,憎まれ役はすべて東インド会社が演じたのです。(p184)
こういう贅沢な,しかし素晴らしい料理(満漢全席)は,贅沢好きな君主がいて初めてできあがるのです。優れた文化の誕生には,そういう面がしばしばあります。(p186)
イエズス会のいちばん大きな業績は,科挙の制度をヨーロッパに持ち込んだことだと言われています。イエズス会は,これだけ広大な国がきちんと統治されていることに驚き,その理由が官僚による文書行政であることに気づきました。(p188)
東インド会社の侵略戦争がいずれも数次にわたるのは,決して無理押しをしないからです。戦っては休み,相手の分裂などに乗じてまた先端を開く。この繰り返しです。(p189)
ナポレオンはグレートブリテンの強さの理由を理解していました。インドという金のなる木があって,そこから利益を吸い上げているからです。だから,インドとの連携を断ち切ろうと考えたのです。(p201)
一五世紀のルネサンスの頃からヨーロッパが世界の先頭に立ってきたと考える人もいますが,数字から見ると,実はヨーロッパが世界の覇権を握ったのは,一九世紀のアヘン戦争が契機なのです。(p203)
一九世紀を代表する人物としてはナポレオン一世が挙げられます。彼について考えると,やはり世界を変える天才とは,強い風が吹き始めたときに,うまく風に乗る能力がある人物のことだと思います。(p204)
ナポレオンの傀儡国家は,基本的には軍事独裁政権です。しかしそのエネルギーの源泉はフランス革命にあり,理念はあくまで自由・平等・博愛です。(p209)
一八一〇年,スウェーデン議会はカール一三世に世継ぎが生まれなかったので,王位継承者としてナポレオン軍の元帥ベルナドットを指名しました。ナポレオンは承諾し,ここに誕生したスウェーデン王家が今日まで続いています。ですからスウェーデン王家の祖先はフランス人です。(p210)
ウィーン会議で主導的理念を唱えた人は,敗戦国フランスの外相タレーランでした。(中略)タレーランがこのウィーン会議で唱えた理念が,正統主義でした。(中略)「悪いのはフランスではない。革命という麻疹だな」 こうして敗戦国フランスは旧来の領土をほとんど失うことなく,ヨーロッパの国境はナポレオン以前に戻ってしまうのです。(p215)
ペリーの強硬な交渉を,若き老中,三〇代半ばの阿部正弘が受けて立ちました。世界の情勢を熟知していた彼は一八五四年に日米和親条約を結びます。(中略)この阿部正弘の決断は二〇〇年以上も続いていた鎖国を断ち切ったわけですから,たいへんな英断であったと思います。(p233)
信長の時代の日本のGDPシェアは世界の四-五%前後あったのに,鎖国の間にほぼ半減してしまいました。したがって明治維新とは,鎖国の二〇〇年の間に大きく落ち込んだ日本を,もう一度取り戻そうとする運動であったのではないか。(p237)
明治維新のとき,なぜあんなにもろくも幕府軍は負けてしまったのでしょうか。ひとつの理由として為替政策の失敗がありました。日本は鎖国をしていたので,世界の情勢に暗かった。それで,銀と金の交換比率を間違えて設定してしまったのです。(中略)食うや食わずでは薩長軍に勝てるわけがありません。こうして幕府は戦わずして敗れました。(p237)
クリミア戦争は近代戦の幕開けともいわれており,ジャーナリズムに煽られた世論が戦争を引き起こし,また勝敗を決したのは戦場鉄道でした(物量戦)。(p239)
ビスマルクの外構の戦略目標はフランスの封じ込め・孤立化と,大英帝国に敵対しないこと,そして同時にロシアを封じ込めつつ味方につけておくことでした。(中略)この複雑で高度な外交は,「ビスマルクの下で皇帝であることは困難である」と漏らしたヴィルヘルム一世の万全の新任を得て,初めて可能であったともいえます。(p251)
民衆を動かしたアジテーションは尊王攘夷という旗印でした。(中略)この思想は,長い鎖国で外国を知らなかった日本人にはなじみやすいものでした。しかし維新の原動力であった薩長両藩の首脳部は,尊王攘夷の非現実性をよく知っていたので,内心では,幕府の開国・富国強兵路線を評価していました。ところが同じ倒幕派の中でも本気で尊王攘夷を信じている人もいました。彼らが中心となって一八六八年に神仏分離令が出されました。(中略)このお達しが出たものですから,尊王攘夷で盛り上がった民衆は,寺院の打ち壊しを始めました。(中略)中国の文化大革命あるいはターリバーンやISILの歴史遺産の破壊と同じです。(p255)
西郷隆盛は明治維新のシンボルで,詩人の魂を持った人でした。落日の士族を見捨てるに忍びなかったのでしょう。一方の大久保利通は冷静な実務家肌の人で,近代化・富国強兵を実行しない限り日本の未来はない,と考えていました。この二人が征韓論で対峙し,西郷が破れた。どこか夢想的なところがある西郷が下野し,現実を直視する大久保が残った。このことが明治維新を推進させた大きな要因であったと思います。(o257)
この二つの世界大戦が何であったかといえば,原点にあったのは,全盛期のアヘン戦争以降,世界をリードしてきたヨーロッパにおいて,猛烈な勢いで国力を伸長してきたドイツをどのように位置づけていくかという問題だったと思います。(p263)
司馬遼太郎の『坂の上の雲』では,ロシアが執拗に南下しようとし,健気な日本がじっと我慢して耐え,ロシアの横暴に対してついに立ち上がったような筆法になっていますが,大陸での利権を求めて開戦の機会を狙っていたのは日本であった,というのが史実に近いようです。(p269)
世論を煽ることがいかに危険であるかを世界はクリミア戦争で学んだはずだったのですが,賠償金が取れなかったことに怒った群衆は,ポーツマス条約に反対して日比谷焼き討ち事件を起こし,怒りの矛先はアメリカにも向かいました。親日派であったルーズベルトの贔屓感情は薄れ,やがてアメリカは日本脅威論に傾いていくのです。(p270)
(一九八一年)五月には,おそらくアメリカからもたらされたスペイン風邪が世界中で猛威をふるいだしました。その死者の数は,第一次世界大戦の死者より多いとされています。両軍の兵士たちの厭戦気分は,さらに高くなっていきました。(p282)
一九二二年二月には,イタリアを含めたワシントン海軍軍縮条約が結ばれました。それは各国の主力艦,戦艦や航空母艦の保有比率を,米英:日:仏伊で,それぞれ五:三:一.七五と定めたものでした。この数字に対して日本では,英米の日本軽視であって国辱である,との声が上がります。しかし冷静に考えてみれば,当時のアメリカの国力は,日本の一〇倍以上はありました。したがって五:三という比率は,結果的にはアメリカの軍備増強に歯止めをかけるものでした。しかし日本は,戦勝国の一員であるということで五:五を肩を並べようとした。問題を実質で見ないで観念で見てしまう風潮が日本に出始めます。(p289)
第一次世界大戦の集結時を振り返ってみると,キール軍港での水兵の蜂起があって,ドイツは休戦を受諾しました。しかしこのとき,連合軍の軍隊は一兵もドイツに入っていませんでした。つまり普通の市民は,実感としてあまり負けた気がしなかったのではないか。(中略)このあたりの市民感情に,ナチスはうまく乗ったのではないか。(p291)
満州は元々中国の領土です。そこへ侵入したのは日本です。それにもかかわらず,リットン報告書は,中国の主権は譲らないが日本の既得権を尊重して自治政府を作ったら,と提案しています。暴走する日本を平和裏に止めようとして,中国の主権だけは守るという前提で,日本に「名を捨て実を取る」ことを要請したものでした。(p298)
軍部大臣「現役」武官制となれば,陸軍や海軍はいつでも内閣を倒せるのです。この制度ができたのは,一九〇〇年,陸軍閥の山縣有朋が内閣総理大臣のときでした。それに対して一九一三年に内閣総理大臣になった海軍大将の山本権兵衛が,「現役」の二文字を削ってしまいました。議院内閣制度を守るためです。(中略)山本がこの二文字削除を断行したとき,当時の陸軍大臣は山縣と陸軍の怒りを買い,一生冷や飯を食わされたそうです。しかし,この広田弘毅の愚挙によって,また軍部が内閣の命運を握るようになりました。(p304)
国共合作を成立させた蒋介石は,一一月に南京から重慶へ遷都し,日本に対する徹底抗戦の姿勢を内外に示しました。日本はただちに重慶に対する無差別爆撃を開始しました。これが世界で初めての,大都市に対する無差別爆撃となります。(p307)
一九三八年一月,日本の近衛文麿内閣は声明を出します。「爾後,国民政府を相手にせず」というのです。これは不思議な声明で,交戦国の責任者を相手にしないということは,どのような出口戦略を考えていたのか理解に苦しみます。日露戦争時の伊藤博文とのあまりの落差の大きさに慄然とします。(p307)
勝てそうな戦争には後から参加する,負けそうになったら早めに降りる。イタリアは伝統的にこのあたりのセンスが抜群です。(p315)
(一九五五年)一〇月にはオーストリアが永世中立国を宣言しました。これによりウィーンは,東西の諜報機関の活動の中心になっていきます。戦後のスパイ小説やスパイ映画に,ウィーンを舞台にしたものが多いのはこのためです。(p332)
ド・ゴールは,インドシナ半島で,ホー・チ・ミン相手にフランスが泥沼状態に陥ってしまったことをよく理解していました。そこで一九五九年に,アルジェリアの民族自決を認めます。(中略)軍人でありながら私情にとらわれず,国家と民族の行く末を冷静に見据えたド・ゴールの政治家としての決断は,賞賛に値すると思います。(p335)
始めはエジプトのナーセルもカストロも決して反米のスタンスではありませんでした。むしろアメリカの助けを求めていたのです。それをアメリカが高飛車に脅かしたところ,窮鼠猫を噛むのたとえどおり,反米になってしまったのです。冷戦が激化するに伴い,アメリカの寛大さが失われていく感じがします。(p336)
毛沢東は根本的には詩人で夢想家でした。(p344)
アメリカが核の拡散防止に熱心なのは,新しく誰かが入ってくるたびにゲームが複雑化するからです。(p346)
自由経済システムと計画経済システムの戦いでもあった冷戦が,その優劣を如実に示してしまった一つのきっかけがオイルショックでした。(中略)東側の諸国は,石油が潤沢に使えたので,例えば燃費の悪い機械があっても改良する必要がありません。それで十分やっていけたのです。しかし,気がつくと東西の技術力格差は決定的なものになっていました。市場は人間のアタマより賢いことが実証されたのです。(p365)
巨大な人口を擁する中国は,有史以来一九世紀半ばまで,常に世界のGDPシェアの二割-三割以上を占めてきた大国です。むしろ,この一五〇年間の落ち込みが異例であったと考えるべきでしょう。(p376)
二〇一三年には,テロにより一万六〇〇〇人を超える市民が犠牲になりましたが,その八〇%は上位五カ国に集中しています。イラク,アフガニスタン,パキスタン,ナイジェリア,シリアです。ナイジェリアを除く四カ国は,アメリカがアフガニスタンやイラクの政権を力づくで倒したことが原因で政情が不安定となったものです。このことは,善悪や好悪を超えてそれなりに安定していたものを壊してしまうことの恐ろしさを示唆していると思います。(p380)
原因があって結果があるという,直接の因果関係で歴史は説かれがちなのですが(地球が寒くなって遊牧民の移動が始まったなど),必ずしもそれらばかりではなく,直接の因果関係はなくても大きい事件は起こりうると最近は考えられています。カオス理論がその典型です。(p381)
二〇一〇年から二〇一二年にかけてアラブの春と呼ばれた一連の民主化運動が,中東・エジプト・北アフリカで連続して起きました。(中略)これらの政変は,長期独裁政権に対する反対運動だったといえば簡単です。しかし引き金となったのは,先進国の金融緩和による過剰流動性によって,発展途上国のインフレが激化し,パンを始めとする多くの日常品が値上がりしたからです。(p381)
僕はよく「接線思考」と呼んでいるのですが,円に接している直線は,ほんの少し円が回転するだけで大きくその傾き(方向)を変えます。そうすると直線の動きに目を奪われて,円の動きという本質を見逃します。これと同じで,人間はどうしても目先のことを過大視しがちです。(p383)
問題点を指摘することは,比較的たやすいことです。どの世界にも,歪なかけらが山ほどあるからです。しかし大事なことは,全体としてのシステムの安定性です。人間社会とはいつの世にあっても,歪なかけらが集まって,一つの安定状態を形成するものなのです。(p384)
二〇世紀に戦われた二次にわたる世界大戦をみると,人間の愚かさにほとほと愛想が尽きそうになります。五〇〇〇年史を振り返っても,人の世というものが,ずいぶんいい加減で愚かなものだということがよくわかります。しかしこれだけ愚かな人間が,これだけの愚行を繰り返してきたにもかかわらず,人類は今日現在,この地球で生きているのです。それはいつの時代にも人類のたった一つの歴史,つまり五〇〇〇年史から少しは学んだ人がいたからではないでしょうか。今,人類が生きているというこの絶対的な事実からして,僕は人間の社会は信頼に足ると確信しています。(p385)
書名 グローバル時代の必須教養 「都市」の世界史
著者 出口治明
発行所 PHP
発行年月日 2017.03.31
価格(税別) 1,800円
● 本書で取りあげられるのは次の10都市。イスタンブル,デリー,カイロ,サマルカンド,北京,ニューヨーク,ロンドン,パリ,ベルリン,ローマ。
この中で,ともかくも自分が行ったことがあるのは,北京とパリにとどまる。
● 以下にいくつか転載。
どこの国であれ,面白い人間だと一目置かれなければ,土台,交渉は上手くいきません。相手の住んでいる都市を知ることは,一つのキラーコンテンツになるのです。(p3)
スキタイは少し戦火を交えると,草原を焼いて焦土化しつつ,奥地へと逃げていきます。この焦土作戦はロシア大平原に住む民族の伝統的な戦術です。(p22)
民族的には人口がさほど多くないアラブ人は,戦いで兵力を失うことを極力避けていました。他国を占領すると,その土地の人びとに「税金を払って従うか否か」を問います。このとき,それまでの支配者よりも少しだけ税率を下げるのです。(p110)
マムルーク朝の中心勢力であるバフリー・マムルークの人々は強い結束力を持っていましたが,お互いにすさまじい競争意識も持っていました。そのため,たとえスルタンになった一族でも,よほど優秀な後継者に恵まれない限り,血族による承継は不可能でした。(p129)
イスラム帝国を支配するアラブ人は,知識欲が旺盛でした。要するに知りたがり屋だったのです。「楽しみは馬の背の上,本の中,そして女の腕の中」。女性にはやや失礼と思われることわざが残っているほど,知識欲にあふれていました。そういう彼らが製紙技術を習得したのですから,たまりません。(p155)
大元ウルスが滅びた最大の原因はペストの大流行でした。(p203)
明の建国者朱元璋は貧しい農家の生まれで,子どものことは読み書きができませんでした。そのせいもあってか,異常なほどに猜疑心が強く,自分に血がつながった人以外は,誰をも信頼できない性格でした。才能ある人や知識人を異常に憎み,ともに戦った建国の功臣や学者たちを大量に粛清しました。(p204)
ちなみに,これほどの猜疑心に満ちた彼の統治方法を一番勉強したのは毛沢東であった,といわれています。(p207)
テニスのウィンブルドン選手権は1877年にロンドン郊外のウィンブルドンで始まりました。やがてこの選手権が有名になってくると,連合王国の選手が勝てなくなり始めました。けれどもこの世界大会を見るために世界中から人が集まり始めたことで,多大の利益が生まれるようになります。「それでいいじゃないか」という発想に立つのが連合王国です。(p265)
ジョンがフランス王と成算のない戦争を続けたために,ノルマン朝以来の貴族たちがフランス国内に持っていた土地をすべて失ってしまったことが,マグナ・カルタの遠因となりました。(p287)
ヘンリー八世がイングランド国教会をつくった目的は離婚だけではありませんでした。真の狙いは修道院の財産を奪うことでした。(p288)
人類は水が近くにある湿地帯に最初の都市を造ります。そして文明が発達すると,伝染病の恐れの少ない高地へと移っていくのです。(p358)
ローマの上流階級には,美女に囲まれて美酒美食の日々を過ごすというイメージがあります。しかしほんとうのローマの上流階級は,ギリシャ以来のストア派の哲学を生活の規範とし,質素な衣食で心身を鍛え,人民を守ることが指導者の役割である,という理念を持っていました。禁欲的であり,特定な宗教に傾倒することも少なかったのです。(p414)
五賢帝時代のローマが,平和な時代であったのは,当時のユーラシアが温暖な気候に恵まれていたことが主因でした。しかし二世期半ば頃から気候は寒冷化に向かい,そのために北方に居住する民族の南進が活発になり,それが玉突き現象となって,広大なローマ帝国の治安に影響を与え始めました。(p416)
書名 官僚たちのアベノミクス
著者 軽部謙介
発行所 岩波新書
発行年月日 2018.02.20
価格(税別) 860円
● アベノミクスは誰が発案し(安倍首相をその気にさせ),誰が政策に落とし込んだのか。そこを精緻に追いかけている。これは傑出したノンフィクションといっていいだろう。
● 以下にいくつか転載。
国民の支持も高く,選挙に圧勝したばかりの安倍の意向は,よほどのことがない限り,政策として検討・立案されていった。(p140)
国際交渉に携わる者としては当然だったが,英語の一語,一表現をめぐる戦いは,なかなかに厳しいものがある。わずかな表現の違いに,交渉者たちは国益をかける。(p200)
「権力の監視」というメディアの役割を軽視する風潮が一部新聞人の間にまで生まれている。ジャーナリズムの劣化は民主主義の危機に直結する。(p249)
「権力の監視」がメディアの仕事だというのは,メディアの思いあがりだという意見もあるけどね。メディアの仕事は事実を報道すること。評価は要らない。それは国民が行う。事実を評価できる国民は数からいえば少数派だろうけれども,だからといってメディアがやっていいわけじゃない。
メディアを第4の権力にしちゃってるのは,国民が愚鈍だからだ。が,年寄りはしょうがないとして,若者には期待が持てる。