2018年5月11日金曜日

2018.05.11 出口治明 『グローバル時代の必須教養 「都市」の世界史』

書名 グローバル時代の必須教養 「都市」の世界史
著者 出口治明
発行所 PHP
発行年月日 2017.03.31
価格(税別) 1,800円

● 本書で取りあげられるのは次の10都市。イスタンブル,デリー,カイロ,サマルカンド,北京,ニューヨーク,ロンドン,パリ,ベルリン,ローマ。
 この中で,ともかくも自分が行ったことがあるのは,北京とパリにとどまる。

● 以下にいくつか転載。
 どこの国であれ,面白い人間だと一目置かれなければ,土台,交渉は上手くいきません。相手の住んでいる都市を知ることは,一つのキラーコンテンツになるのです。(p3)
 スキタイは少し戦火を交えると,草原を焼いて焦土化しつつ,奥地へと逃げていきます。この焦土作戦はロシア大平原に住む民族の伝統的な戦術です。(p22)
 民族的には人口がさほど多くないアラブ人は,戦いで兵力を失うことを極力避けていました。他国を占領すると,その土地の人びとに「税金を払って従うか否か」を問います。このとき,それまでの支配者よりも少しだけ税率を下げるのです。(p110)
 マムルーク朝の中心勢力であるバフリー・マムルークの人々は強い結束力を持っていましたが,お互いにすさまじい競争意識も持っていました。そのため,たとえスルタンになった一族でも,よほど優秀な後継者に恵まれない限り,血族による承継は不可能でした。(p129)
 イスラム帝国を支配するアラブ人は,知識欲が旺盛でした。要するに知りたがり屋だったのです。「楽しみは馬の背の上,本の中,そして女の腕の中」。女性にはやや失礼と思われることわざが残っているほど,知識欲にあふれていました。そういう彼らが製紙技術を習得したのですから,たまりません。(p155)
 大元ウルスが滅びた最大の原因はペストの大流行でした。(p203)
 明の建国者朱元璋は貧しい農家の生まれで,子どものことは読み書きができませんでした。そのせいもあってか,異常なほどに猜疑心が強く,自分に血がつながった人以外は,誰をも信頼できない性格でした。才能ある人や知識人を異常に憎み,ともに戦った建国の功臣や学者たちを大量に粛清しました。(p204)
 ちなみに,これほどの猜疑心に満ちた彼の統治方法を一番勉強したのは毛沢東であった,といわれています。(p207)
 テニスのウィンブルドン選手権は1877年にロンドン郊外のウィンブルドンで始まりました。やがてこの選手権が有名になってくると,連合王国の選手が勝てなくなり始めました。けれどもこの世界大会を見るために世界中から人が集まり始めたことで,多大の利益が生まれるようになります。「それでいいじゃないか」という発想に立つのが連合王国です。(p265)
 ジョンがフランス王と成算のない戦争を続けたために,ノルマン朝以来の貴族たちがフランス国内に持っていた土地をすべて失ってしまったことが,マグナ・カルタの遠因となりました。(p287)
 ヘンリー八世がイングランド国教会をつくった目的は離婚だけではありませんでした。真の狙いは修道院の財産を奪うことでした。(p288)
 人類は水が近くにある湿地帯に最初の都市を造ります。そして文明が発達すると,伝染病の恐れの少ない高地へと移っていくのです。(p358)
 ローマの上流階級には,美女に囲まれて美酒美食の日々を過ごすというイメージがあります。しかしほんとうのローマの上流階級は,ギリシャ以来のストア派の哲学を生活の規範とし,質素な衣食で心身を鍛え,人民を守ることが指導者の役割である,という理念を持っていました。禁欲的であり,特定な宗教に傾倒することも少なかったのです。(p414)
 五賢帝時代のローマが,平和な時代であったのは,当時のユーラシアが温暖な気候に恵まれていたことが主因でした。しかし二世期半ば頃から気候は寒冷化に向かい,そのために北方に居住する民族の南進が活発になり,それが玉突き現象となって,広大なローマ帝国の治安に影響を与え始めました。(p416)

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