著者 出口治明
発行所 幻冬舎新書
発行年月日 2015.09.30
価格(税別) 800円
● 本書は可処分時間を大きく残している若い人に読んでもらいたい本だろう。しかし,ロートルにも役に立つ。
特に,思うように仕事人生を生きられなかった,こんなはずじゃなかった,と鬱々としているロートルは本書を読むと慰められるだろう。「仕事はどうでもいいもの」と言ってくれているのだから。
● 同時に,自分はなぜダメだったのかも考えさせてくれる。というか,その答えらしきものが浮かびあがってくるような気分にさせてくれる。
そして,たとえやり直せたとしても,結果は同じだろうなと思わせてくれる。深い諦念を与えてくれるのだ。その諦念は決して不快なものではないのだ。
● そして,ここが大事なところなのだが,そんなものを埋め合わせてお釣りがくるほどの人生を送ることが,これからでも充分に可能なのだと教えてくれるのだ。
ロートルならば,人生にはまさかという坂があることを知っている。そのまさかがこれからもあるかもしれない。たとえば,配偶者が事故に遭って寝たきりになってしまうことは,明日にでも起こりうるのだ。しかし,それは考えすぎないことだ。禅宗が「莫妄想」と戒めているではないか。
● 以下に転載。
よりワクワクする人生,より面白い人生,より楽しい人生を送って,悔いなく生涯を終えるためのツール,それが教養の本質であり核心であると私は考えています。(p20)
日本人は,“心の幅”が不足しているように感じます。とくに戦後の日本人はそうではないでしょうか。(中略)関心事が経済やビジネスに偏りすぎているように思えてなりません。(p20)
勘違いしてはいけないのは,知識はあくまで道具であって手段にすぎないということです。決して知識を増やすこと自体が目的ではありません。知識が必要なのは,それによって人生の楽しみが増えるからです。(p21)
「知ること」には「嫌いなものを減らす」効果もあります。先入観による嫌悪を除去できれば,さまざまなものとの相互理解が進みます。(p22)
「知っている」というだけでは十分ではないのです。知識に加えて,それを素材にして「自分の頭で考える」ことが教養なのだと思います。(p24)
誰かの話をちょっと聞いただけで「分かった」と思うのは安易な解決法です。(中略)自分の頭で考えて,本当に「そうだ,その通りだ」と腹の底から思えるかどうか(腹落ちするかどうか)が大切なのです。(p25)
人間が意欲的,主体的に行動するためには,「腑に落ちている」ことが必須です。(p27)
厳しいことを言うようですが,「どちらとも言えない」を選んでしまうのは,ほとんどの場合「考え不足」が原因です。(p27)
反対のための反対をしている人は,ほとんどの場合,問題の全体像が見えていないのです。ごく部分的な矛盾をとらえて反対の声を上げているにすぎません。ところが,本人にはその自覚のないことが多く,「おかしい」「変だ」と思うことを精一杯指摘しているつもりなので,なおさら厄介です。やる気だけが満ちているので,周りは振り回されるばかりです。(P29)
そのときの経験(外国人相手の仕事)で痛感したのは,ほとんどがドクター,マスターである外国のトップリーダーに比べると,日本のビジネスリーダーはなんと教養が不足しているのか,ということでした。(p35)
グローバルビジネスにおける人間関係は,ビジネスの中身で決まると思われているかもしれません。(中略)しかし実際に,グローバルビジネスの現場で重視されているのは,「人間力」です。(中略)「この人と仕事をしたら面白そうだ」という属人的な要素です。(p36)
グローバルリーダーの場合,「広く,ある程度深い」素養が求められます。しかも,個別に「狭く,深い」専門分野を持ったうえでの,「広く,ある程度深い」素養なのです。(p38)
人間は,双方の関心領域がある程度重なっていないと,なかなか相手に共感を抱けないものです。(p39)
「自分の意見」を持っていることが決定的に重要です。(中略)日本にはもともと,「異論」を論じにくい風潮があります。(中略)しかし,異論が存在できない社会はきわめて不健全です。(p41)
若い世代は,周りの大人を見て,「社会人とは,こんなものなのだな」と学んでいくのです。若者にバイタリティがないのであれば,すなわち身近なロールモデルである大人たちに気概が欠けているからだと考えなくてはなりません。(p45)
戦後の日本には,放っておいても成長できる幸運(条件)が整っていたのです。(中略)冷戦がとうの昔に終結し,人口が減り始め成長が止まり,あらゆる指標が頭打ちになったいまの日本こそ,普通の国に戻ったと言うべきです。(p52)
戦後このかた,私たちは「みんな一緒に」を好んで得意としてきましたが,いまやかつてなく,「個の力」が問われているのです。(p57)
日本は小さい国だと思っている人は,じつはかなり不勉強なのではないでしょうか。日本の領海の面積は世界第六位になります。海洋資源も日本の大きな余力です。日本は小さい国ではなく,海を含めて考えればむしろ大きい国なのです。(p59)
私は日本が大好きですから,日本のポテンシャルを信じたいと思います。これまでは自分の頭で考える必要もなく教養もそれほどなかったけれど,それでもこれだけの戦いができました。もし日本人が世界標準の教養を身につけたら,まだまだこの国は大きく成長できる可能性を秘めているはずです。(p59)
たとえば「自分は大学時代にろくに本を読まないで過ごしてしまった。もう手遅れだ」と思うぐらいなら,今夜から読み始めればいいだけのことです。いまさらもう遅すぎると努力を放棄する人は,サボる理由を探しているだけです。(p62)
物事を考える際には理屈だけではなく,常に数字(データ)を参照して考えることが重要です。数字に基づかない理屈は説得力を欠いていると疑うべきです。(p66)
物事を考えるにあたっては,本質を把握することが何よりも大切です。要するに個々の木を見る前に森の姿,森の全体像をしっかりととらえることが肝要です。最初に物事の本質を的確につかんでおけば,間違える確率が大幅に減少します。(p69)
物事の本質は,たいていシンプルなロジックでとらえることができます。なぜなら,人間は本来シンプルな生き物だからです。逆に言えば,シンプルなロジックで理解できないものは,本質をとらえていない可能性があります。(p69)
適切に「常識を疑う」ことは常に必要です。常識を疑うことが広く許されなければ,市場は悪意ある人たちのやりたい放題になります。(p76)
モノを言うのは,機密情報のようなものではなく考える力なのです。考える力があれば,普通に入手できる情報でも,それらを分析するだけで,これまで見えていなかった世界が見えてきます。それが教養の力であり,知の力だと思います。(p80)
とにかく大量の情報に接すると,おのずとその分野に関して造詣が深くなるものです。好きな分野であれば四の五の言わずに情報収集に努めること,ひたすら量を積み重ねること,それも知の蓄積のコツの一つです。(p84)
仕事や勉強ができる人は,横から見ていると頭がいいとか才能に恵まれているのもさることながら,自分のやる気の引き出し方がうまいというのが,私の実感です。やる気をうまく引き出すためには,他者を巻き込んだ仕掛けが効果的です。(p90)
本を読むのは面白いから読む,人に会うのは面白いから会う,旅をするのは面白いから旅に出る。万事がその調子で,私の価値観では常に「面白いかどうか」が一番上にあるのです。(p96)
私の経験則ですが,最初の五ページが面白くない本は最後まで読んでも面白くありません。(中略)そういうときは,その本は自分とご縁がなかったのだと割り切って,読むのをやめます。(p102)
私は速読はおすすめしません。速読は百害あって一利なしとさえ考えています。本を読むのは人(著者)の話を聞くのと同じことです。人の話はていねいに聞かないと身につきません。(p104)
いまは,ライフネット生命の経営で手一杯なので,読書量はサラリーマン時代に比べて激減しました。読む冊数としては,一週間に平均三,四冊ぐらいがせいぜいでしょうか。(p105)
何か新しい分野を勉強しようとするときは,まず図書館で,その分野の厚い本を五,六冊借りてきて読み始めます。分厚い本から読み始め,だんだん薄い本へと読み進んでいく。これが新しい分野を勉強しようとするときの私の読み方のルールです。(中略)一般に,入門書は薄い本が多いのですが,初めに薄い本を読んでしまうと,なんとなく概略がつかめた気になって,分厚い本を読まなくなる恐れがあります。もう分かったと思ってしまって,手間のかかる本が面倒になるのです。(p106)
違和感を覚えることにこそ,異文化理解の鍵があるのです。(中略)ここは自分とは感覚が違うな,ちょっと変わっているなと感じたら,相手をたんに否定するのではなく,相手の感覚を自分も追体験してみるようにすると,それまで自分にはなかった感覚を理解することができます。(中略)もしそうなれば,その分だけ人間的に幅ができたことになるのです。(p128)
「企業の一員」という役割を全うすることに熱心すぎて,個人としての自分を表に出すことが十分にできていない可能性があります。役割に対する一種の過剰適応です。(p129)
日本の経営者が好きな作家に司馬遼太郎がいますが,司馬作品は一般的に「物語」性が強く,とても「歴史」とは言えないと思います。「司馬史観」という言葉があるように,司馬遼太郎の「物語」は初めに結論ありきのような気がしています。(p135)
歴史上の人物たちが語りかける言葉に,私たちは素直に耳を傾けるべきです。彼らが収めた成功だけではなく,彼らが犯した失敗をも学ぶことによって,彼らが陥った落とし穴に落ちないようにしなければなりません。それが歴史を学ぶということであり,先人たちのメッセージを受け取るということです。(中略)私たちは負の遺産をも先人たちから学ぶできなのです。それができなかったら,彼らの子孫として生きている意味がないではありませんか。(p136)
人間が老人になっても生きているのは,人生で学んださまざまなことを次の世代に語り伝えることによって,次の世代をより生きやすくするためです。人はそのために生かされているのです。(p138)
人間は動物ですから,子どもが産める若い女性に,男性は貢ぐという万国共通の法則があります。女性がきれいになるのは,男性たちに経済力がついて女性に貢ぐことができるようになるからです。(p153)
旅の最大の効用は「百聞は一見に如かず」にあります。ピラミッドの大きさは本を読んでも知ることができますが,ギザのピラミッドの前に立ち,その場の匂いを嗅ぎ,熱気を感じ,石に触ってみて初めて得られるものがたくさんあります。(p158)
平均寿命-健康寿命=介護ですから,超高齢化社会の基軸となる政策は,健康寿命を延ばすことにあるはずです。健康寿命を延ばすベストの方法は,どの医師に尋ねても働くことだという答えが返ってきます。(p187)
日本と中国,韓国との関係では,歴史認識の問題もあります。「歴史は一つではない」「歴史は民族の数だけある」と言う人がいますが,私は違うと考えています。あくまでも「歴史は一つ」だと思うのです。(中略)歴史とは文献や資料を総合的に勘案し,自然科学の力をも駆使して,そのとき何が起こったかを解明しようとする営みにほかなりません。科学が進歩すればするほど,少しずつ歴史のベールは剥ぎ取られていきます。(p203)
人間の歴史を振り返ると,文明の盛衰は主として気候変動によってもたらされてきたことがはっきりしています。地球温暖化は人類が直面している諸課題のなかでも「幹中の幹」の問題です。(p217)
あなたが世界に目を向けたいと思うなら,英語は不可欠です。事実上,英語が世界共通語になってしまっているので,好き嫌いの問題を超えて,もはや英語を避けては通れません。(p220)
できないという人は,ほとんどの場合,やる気がないのです。英語に限らずたいていの物事は三年ぐらい必死に頑張って勉強すれば何とか身につきます。あとは楽しく継続できる工夫をつくれるかどうかだけの話ではないでしょうか。(p224)
「英語ができるようになったら,外国人と話をしよう」と考えるのは間違いだと思います。「英語ができなくても,恥をかくつもりで外国人と話をしよう」が正解です。(p227)
私は,当然のことですが,ライフネット生命を起業して以来,過去の人生のどの時期よりも長時間必死に働いています。しかし,それにもかかわらず,人間にとって仕事とは何かと言えば,「どうでもいいもの」だとあえて言っておきたいと思います。(中略)二,三割の仕事の時間は,七,八割の時間を確保するための手段にすぎません。家族や友人は取り替えが利きませんが,仕事は取り替えることができます。(p234)
仕事は「どうでもいいもの」だという認識があれば,自分の信念に従い思い切って仕事をすることができます。仕事を人生の再優先事項ととらえ,職場を絶対視すると,これを言ったら上司に嫌われるのではないかとか,みんなの顰蹙を買うのではないかなどと余計なことが気になって気持ちが萎縮してしまいます。(p235)
職場に過剰適応してしまうと,出世や左遷といったことに一喜一憂しすぎてしまいます。ひどい場合には,職場内での序列が人間のランキングだと勘違いしてしまいます。じつに馬鹿馬鹿しい限りです。(p237)
どうしても仕事がうまくいかなければ,さっさと仕事を替えてしまうという選択肢もあります。みんながみんな置かれた場所で咲く必要などどこにもないのです。(p237)
人間には不思議な一面があって,世のため人のためとか,大義とかいう言葉に弱いところがあるのです。(p239)
なかには五カ国語も六カ国語も話すことができるのに,思考力がいま一つという人がいます。おそらく,マザータングがない人ではないでしょうか。日本語で考えたり,英語で考えたり,フランス語で考えたりしていると,思考が収斂しないのです。(p246)
人間の能力はみんなどっこいどっこい,チョボチョボだと思います。人類最速のウサイン・ボルトは一〇〇メートルを九秒五八で走ります。私は一二秒フラットで止まりましたが,人類最速の男と比べても一.五倍も違いません。(p247)
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