2019年12月15日日曜日

2019.12.15 阿川弘之 『食味風々録』

書名 食味風々録
著者 阿川弘之
発行所 新潮社
発行年月日 2001.01.20
価格(税別) 1,700円

● 格調高い日本語を読みたければ,まずはこれを読んでみろ,と。旧仮名遣いだからではない。話材が格調高いのでもない。なぜだかわからぬが,ともかく格調高い日本語を読みたいなら,本書は格好のもの。
 とはいっても,貧乏育ちではこの文章をものすることはできなかったかもしれない。

● 以下にいくつか転載。
 あの気どつたお作法の少なくとも半分は,私の場合,嘘である。齢とつて臭覚が怪しくなつてゐるのに,葡萄酒の香気の佳し悪しをきちんと言へるわけが無い。(p9)
 稀代の食ひしん坊の邱永漢さんが,ふつくら炊き上げた日本の米の白いめし,あれはあれだけで立派な料理,他にちよつと類例の無い美味だと,昔何かにかいてゐた。(p11)
 美味に関心の深い作家と,比較的無関心な作家とは,文章を見れば分る。(p23)
 ビール会社の中堅社員が,ある時,その人の立場として言ひにくい話を聞かせてくれた。「私たちでも,ブラインドで飲まされたら,アサヒだかサッポロだか,当てられやしないんです。(中略)気をつけるべき点は,銘柄や工場名ではなくて,どのくらゐ新鮮か,出荷した日附の方ですよ」(p39)
 梅原さんのフランス行は九十歳になつても続いてゐたが,鰻好きの画伯,向ふではどうしてをられたのだらう。(p58)
 いつか辻静雄さんと,大西洋航路の船で出す料理の話になって,「旨いわkがない」と言はれたことがある。「ル・アーヴルなりサザンプトンなりで一旦乗船してしまへば,あとはニューヨークへ着くまで四日間か五日間,何百人もの客が一日三度ずつ,必ずその食堂へ食ひに来てくれるんですから,レストラン稼業としたら実に楽な商売で,ほんたうに手の込んだ旨いものなんか出すはずないんですよ」(p61)
 アメリカ人が快適と感ずることの一つに,「ヨーロッパ人にかしづかれて日常の用を足す」といふのがあって,これは加州大学の社会深層心理学の講義で実証済みだそうだ。(p65)
 京都の古い料亭の女将が,中華料理店の若いマネージャーを戒めた言葉がある。「鈴木さん,よう覚えときなはれや。屏風と食べ物屋は拡げたら倒れるえ」(p87)
 控へた方がいいワイン講釈の一つに,古酒礼讃がある。(p105)
 日本の陸軍は,武士道重視,痩我慢讃美の精神主義で,兵食士官食とも粗食をよしとする傾向があつた。(p111)
 泥水が兵士の飲料水で草がレイションだといふのは,補給が駄目になっている証拠だろ。補給が一切とまつているのに,日本人は未だ戦ふのか。そんなひどい状況を,批判しないで何故感謝するのか。(p112)
 魯山人はトゥール・ダルジャン名物鴨の丸焼きを,味つけせずに持つて来いと命じ,持参のわさび醤油で食つてみせて,支配人とシェフに大変興味を示されたといふ。(p133)
 鯛でも蛸でも,ほんたうに佳いものなら,色はむしろ白っぽいはずである。(p150)
 作家の作品のどこかに備はってゐなくてはならぬ美しいものは,「忙しい世の常とはちがふ,放心とか,遊びとか,いくらかのムダのやうに考へられる所」から生れて来るといふ趣旨の述懐も(瀧井孝作に)ある。(p160)
 急潮渦巻く瀬戸内の鯛も同じだが,激流できたへられた天然の鮎は,確かに面つきがきつい。(p162)
 追憶の中の美しい人たちが,真実若く美しかったのはほんの束の間,その後約六十年の歳月は,実に驚くべき早さで流れ去つた。(p257)
 「美味にありつく最も確実な方法は,そのために万金を惜しまないことである」単刀直入,世間への遠慮一切抜き,人に反感を持たれさうな発言だが,反感を持つても持たなくても,これは真実である。(p271)
 食べたくない時に食べたくない物を供されたら,言を左右にして食べないこと。これは頑固に守らないと,あとの食事が不味くなり,食事に費やす金が無駄金になる。(p272)

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