2019年12月28日土曜日

2019.12.28 林 望 『家めしの王道 家庭料理はシンプルが美味しい』

書名 家めしの王道 家庭料理はシンプルが美味しい
著者 林 望
発行所 角川SSC新書
発行年月日 2014.05.24
価格(税別) 920円

● リンボウ先生のレパートリー(料理)のレシピ集なのだが,もちろんそれにとどまっているはずがない。上質な読み物。
 ちなみに,“煎り付ける”という言葉が頻出する。

● 以下にいくつか転載。
 女たちは,家事をオンナに押し付けるのはけしからぬ,などと口には言いながら,その実,男たちが厨房に入るのを,あたかも特権侵害でもあるかのように忌避してきた,というのが一面の現実ではなかったか。(p16)
 料理はあくまでも日常です。なにも特別なことをしようというのではない。私はエプロンなんかつけないし,もちろんバンダナなど頭に巻いたこともない。(中略)なんの気負いも特別の身ごしらえもなく,淡々とやるのでなくてはいけない。そのっころがけこそが,すなわち「家めしの王道」にほかならぬ。(p19)
 特殊の高級包丁を買うのでなくて,ただしい包丁の研ぎ方をマスターして,普通の包丁を大事に遣い続ける,その心がけが肝心だ。それには研究と練習,そして実践と手順を踏んでいかなくてはならぬ。(p22)
 考えずに作った料理は,どうも薄っぺらい味になる。なんだって,そうではないか。生活百般,すべて考え考え遂行する,それでなくて,どんなわざだって上達はおぼつかないのだ。(p22)
 私の料理の骨法の一つに,「味をつけすぎない」ということがある。(p28)
 料理というものは,手をかけたからとて必ずしも美味しくできるというものではなく,むしろ,いかにしてその素材自体の旨味を引き出してやるか,というところに極意があるように思う。(p35)
 なにごともアイディア,固定観念に囚われずに発明する心,それが美味しい一皿を作る。(p42)
 野菜というものは,とかく干すと味がよくなるものなのだ。(中略)なにしろ,野菜というものは大半が水である。(p43)
 味があるようでない,ないようである,そういう素材の取り扱いこそ,わが日本民族得意中の得意なるものだ,というふうに思われる。(p117)
 この冷めるときに味が染み込んでいくので,すぐに食べたいのは山々ながら,それは我慢せよ。(p121)
 人参の葉は,クセが強くて,そのまま食べるとばかに繊維がこわいし,また匂いもかなり強いので,サラダなどで食べても美味しいとは思えない。(中略)ただ一つの例外が天ぷらで,人参の葉の天ぷらは,すべての野菜天ぷらのなかでも白眉と言って良いくらいの美味しさである。(p155)
 その美味しさのなかには,最初に前歯で噛んだときの,サクッとした「音」も含まれる。衣のなかに塩を加えて味をつけてしまうのは,ひとえにこの「サクッ,パリッ」を楽しみたいがためで,これを天つゆにつけてしまっては,楽しみの九〇%が失われてしまうというものだ。(p156)
 鍋の中身は,好き好きでなんでもいい。ただ色々な色味のものをバランスよく配合するということが肝心である。(中略)カラフルに作るということが,結局栄養のバランスもよくする所以であることに留意したい。(p174)
 味覚というのは不思議なもので,「慣れ」という要素が,非常に大きい。(中略)かくして甘味も塩気も,ごく控えめな生活に慣れていると,塩や砂糖など打ちつけな味の背後にとかく隠れてしまいがちな「そのものの自然な風味」にとても敏感になる。(p190)
 美味しいものをじっくりと味わいつつ,食べ過ぎぬように自己抑制を働かせるというふうに行きたいものである。(p193)
 料理屋の飯は,煎じ詰めれば「非日常の食事」であって,毎日食べ続けるというものではない。(p220)
 食べる,ということは,生きるということと等価だと言ってもいいかもしれない。食べる,ということは胃袋で食べるのでなくて,脳みそで食べるのだ。(p222)

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