2021年2月28日日曜日

2021.02.28 阿部 佳 『お客様の “気持ち” を読み解く仕事 コンシェルジュ』

書名 お客様の “気持ち” を読み解く仕事 コンシェルジュ
著者 阿部 佳
発行所 秀和システム
発行年月日 2015.08.01
価格(税別) 1,400円

● 本書はそもそもどういう本か。ホテル業界に就職した(あるいは,しようとしている)若い人たちに向けた研修本か。だとすると,本書の白眉は最終章(第6章)にある。
 ホテルの利用者(及びその予備軍)に,どうぞ安心していらしてください,とアピールしているのか。

● 以下に転載。
 接客は,お客様に感謝する気持ちがあってはじめて,その上にさまざまなサービスが重ねられていくものだと思います。(中略)どういうご用でいらした方にも,感謝できる何かは見つけられます。(p37)
 大切なのは,どれだけ本当にそういう気持ちになれるか。心から歓迎する気持ち,感謝する気持ちが挨拶にこもっていなければ,お客様にもそれが伝わってしまうものです。(p38)
 ロビーで何かお探しの方には,「○○様のご宴席ですか?」と,できるだけ具体的にお声をかけたいと思っています。「そうなんだ! どうしてわかったの?」といった反応が返ってくると,こちらは内心,小さな達成感です。(p40)
 “お客様の名前を覚える” ことには “親しみを表す” ことなどよりもっと深い意味があります。そのお客様を “どれだけ大切に思っているか” を表す行為なのです。(p55)
 外国人のお客様は要求をはっきりと言葉にされ,それができないとなると「どうして?」と,納得するまで理由を知りたがります。そして要望をかなえてさしあげると,飛び上がって大喜びして「なんて素晴らしいんでしょう!」と感情豊かに感謝の気持ちを伝えてくださいます。(p62)
 ヨーロッパには,「コンシェルジュになるのではなく,コンシェルジュとして生まれてくるのだ」という言い方があります。コンシェルジュは,人が好きで,人に興味があって,人に喜んでいただくことが楽しい。そんな人に向いています。(p72)
 いや,本書をここまで読んでくると,そうなんだろうなと思いますよ。つまり,自分はとてもコンシェルジュは務まらないと思うから。必要な才能を持ったうえで生まれてこないと,とてもじゃないけどストレスに押しつぶされて,途中でリタイアすることになりそうだ。
 一般論に薄めて言ってしまえば,男性よりも女性に向いている職業だろう。相手のために自分を殺す必要がある。しかも,意識してそうするのではダメで,気がついたらそうしていたというくらいじゃないといけない。女性向きのような気がする。
 お客様を見ていないと,「良いサービス」を勝手に自分で創り上げて,それを提供するようなことになりがちです。まずは目の前のお客様に本気で関心を向けること。どれだけそのお客様に興味を持てるか,その方をどれだけ本気で喜ばせようと思うか。(p78)
 カウンターに見えたお客様とお話ししているとき,私はいつも,その内容をビジュアルに「絵」として想像するように心がけています。その絵が具体的な像として浮かばないときは,お客様に質問しながら,受け取った言葉を「絵」に嵌め込んでいくのです。お客様が心に思い描いている「絵」と,私の想像する「絵」がピタッと重なったとき,お客様は満足そうな笑顔になります。(p92)
 カウンターで接客していると,このように「お客様の言葉通りの店がないかな,ないかな」と,言われたことに真正面から向き合ってしまいがちです。(中略)お客様と向き合うのではなく,隣に寄り添って立つ感覚になって,目線を同じ方向に向けてみる。(p117)
 頼まれたことをただ忠実にやるだけなら,それは手配屋さん。(p129)
 たとえお客様が「あなたが好きなところを教えてほしい」と言われても,その言葉を真に受けて,自分の好みのレストランを紹介するようではプロとは言えません。「あなたが好きなところ」という言葉の意味は,「ボクが気に入るようなところ」なのです。(p155)
 お客様の質問ですぐにわからないことは,隣りにいるスタッフに聞いたり,そのスタッフが接客中ならバックオフィスの仲間に尋ねたほうが,ネットや資料を調べるよりも早く,確かなことがよくあるのです。(p204)
 どんな素晴らしいスタッフのサービスがあっても,たったひとつでもお望みにかなわない出来事があれば,評価されないのが接客業の厳しいところです。入った瞬間から出ていらっしゃるまですべてが良くて,それではじめて,お客様には今回の滞在が良い思い出になるのです。(p206)
 グランドハイアット東京の宿泊部門では,どんな部署のスタッフでも,他部署のミーティングやトレーニングで自由に参加できるようになっています。(p206)
 コンシェルジュは他のホテルのコンシェルジュと顔を合わせる機会も多く,横のつながりが強いのです。(p207)
 「コンシェルジュ・マジック」という言葉があります。(中略)でも,コンシェルジュが実際にやっていることは,マジックとは程遠い,地道な努力の積み重ねです。(中略)このマジックは努力して築いた「人脈」から生まれるものなのです。(p212)
 コンシェルジュの長い伝統があるヨーロッパでは,入手困難なチケットでもコンシェルジュが何とかしてくれると言われます。長年の間にそういう関係ができあがり,現在でも当然のこととして行われているからです。でも,日本ではチケットシステムが非常に発達していて,しかも,それがとてもフェアにできているため,直前での入手はかなり難しい。(p213)
 こうしたデータは,インターネットで調べられるようなものではあまり意味がありません。私たちにとって本当に利用価値のあるデータは,(中略)お客様の細かな要望に対応できるような情報です。そうした細かい情報は個人の足で調べて入手するしかありません。(p216)
 本気でコンシェルジュをやっていくと,仕事とプライベートの区別がなくなっていきます。休日には新しくできたアミューズメント施設を見に出かけたり,話題のレストランに行ったり,美術展や話題のお芝居を見に行ったり。休みの日でもまるで仕事をしているようになっていくのです。(p217)
 コンシェルジュは余暇に使うお金が結構かかります。でも,それは自己投資と考えて楽しめる。そう思える人が本物のコンシェルジュになっていきます。(p218)
 お客様がコンシェルジュのカウンターに立ち寄って,「今日はありがとう,楽しかったよ」とわざわざ報告してくださることは,実はそんなに多くありません。ですから,「今日はありがとう」と言いに来てくださる方は,よほど楽しく過ごされ,良い思い出ができたということなのです。(p219)
 「違和感を大事にする」というのは,仕事で強く意識していることのひとつです。何かが引っかかって,「あれ?」と思う感覚。「何かが違うな」と感じたら,やはり違っていることが多いのです。(p222)
 接客の仕事をするなら,お客様に対してとことん感謝と歓迎の気持ちを持てるまで自分を律することです。それができると,自分自身,喜びを得やすくなると思います。(p226)
 この「律する」というのが本書全体を覆っている通奏低音だ。テクニックやノウハウは仕事をしていれば身に付いてくるが,人間相手の接客業は結局,ここに行きつくのではないか。
 見方を変えれば,接客業に従事することは,永平寺にこもって修行僧になるより,よほど効率的に修行ができそうだ。しかも,著者のような指導者はひょっとすると永平寺にはいないかもしれない。
 勤務時間中は感情を引きずってはいけません。硬い表情をした心ここにあらずのコンシェルジュが,お客様に心地良いサービスなど提供できっこないからです。嫌なことがあっても引きずらない。これは意思の力,努力です。(p229)
 ロビーにいらっしゃるお客様は,私に会いにいらしたのではなく,グランドハイアット東京のコンシェルジュにご用があっていらしているのです。ですから,ロビーにいる間は「私個人」ではなく,「グランドハイアット東京のコンシェルジュ」になっていなければならない。(中略)わかりやすく言えば,「役をつくって,それを演じる」ということです。(p231)
 遊園地のキャラクターは着ぐるみがあって,それを着た途端に,設定されたキャラクターの動きになれます。それぞれのキャラクターが頭にインプットされているから,その中に入ったらすぐに,役柄になりきることができる。(中略)それと同じで,ホテルマンも理想とする像を心の中に持っておいたほうがいい。そのほうが楽に,いつでもモチベーション高く,理想とするホテルマンを演じることができます。(p233)
 「良かったですね」と思ったのなら,「良かったですね」という表情と言葉で表現する。本当は共感しているけれど,それが相手にわからない,伝わらないのでは仕事をしたことになりません。(p233)
 口角を上げて「ニッ」という顔をすればいいのではないのです。心から本気で笑顔になることです。しかも,その本気が相手に伝わらなければ意味がない。役になりきっていれば,きっと笑顔になれます。心からうれしくなるはずです。(p234)
 お客様を「どう楽しませようか」ではなく,そのプランを考えること自体が,「自分も心から楽しい」。自分の事として,お客様と同じ気持ちで考えられているかどうか。(p238)

2021年2月27日土曜日

2021.02.27 申橋弘之 『金谷カテッジイン物語』

書名 金谷カテッジイン物語
著者 申橋弘之
発行所 文藝春秋企画出版部
発行年月日 2017.04.18
価格(税別) 1,500円

● 素人の筆になる。たとえば,つぎのような文章。
 英語も不十分な善一郎が外国人相手の宿舎を経営するのは,尋常なことではなかっt.これあよほどの決意だったに相違に。明治という新しい時代の波が,青年善一郎の背中を押したのであろう。(p34)
 よほどの決意であったというよりも,ノリで始めたのではなかったか。だからこそ続いたのかもしれない。「よほどの決意」で始めてしまったことは,意外に折れやすかったりする。さらに言うと,「よほどの決意」はさほどに称賛すべきものでもない。
 建物の周囲は,東から西へかけての三方は木々に囲まれて,北側は真下に大谷川が流れ,その向こうに女峰山の山並みから二社一寺のある山内が借景となって広がる。リゾートホテルにふさわしい歴史と自然に恵まれた場所であり,金谷善一郎の感性の豊かさを垣間見ることができる。(p162)
 これもおかしな話だ。建設途中で放置されていた三角ホテルを見つけて買収したのだから,立地については善一郎の嗜好は与っていないはずだ。


● 著者は金谷家に繋がる人だ。金谷家や創業者を称揚する方向に傾きすぎているとの印象をぼくは持った。
 金谷家の出自は特筆すべきほどのものでもないし,創業についても “たまたま” の部分が大きかったはずだと思う。基本は成り行きに任せた結果ではあるまいか。今日までのホテル経営にしても,きれい事だけですんだはずもなかろう。
 もっと突き放した方が,読みものとしても面白くなったような気がする。しかし,この本はひょっとすると金谷で働く従業員のために書いたものかもしれず,だとすれば彼らの士気を鼓舞するためにも,この書き方でいいのかもしれない。


● 金谷ホテルの価値は継続にある。文化遺産のようなもので(登録有形文化財になっている),潰すわけにはいかない。潰すわけにはいかないが,もはや金谷家の持ちものではなくなっている(東武鉄道の連結子会社)。
 金谷も栄枯盛衰を味わってきているわけだ。創業家とすれば,所有にはこだわらず,これからも家内で人材を育て,あるいは養子縁組により,社長業を継いでいければというところか。

● 所有者がどう変わろうが,金谷ホテルの名は残る。唯一,親会社の東武鉄道が金谷をどうしようとしているのか,読みづらいところがある。
 あいにくの時期になってしまったが,中禅寺にリッツカールトンが開業した。東武が呼んだ。東武が日光に投資するのはわかるとして,金谷をどうするのか。

2021年2月21日日曜日

2021.02.21 山口由美 『ホテルと日本人』

書名 ホテルと日本人
著者 山口由美
発行所 千早書房
発行年月日 2008.08.10
価格(税別) 1,300円

● 本書の元になった連載は1996年4月から2000年4月までのもの。2000年7月に『ホテルクラシック』というタイトルで刊行された。本書はその加筆改題版。
 『ホテルクラシック』も刊行された当時に読んでいたが,そんなのは本書を読了した後も,しばらく気づかなかった。

● 本書に掲載されているホテルは次のとおり。
 1 富士屋ホテル
 2 仙台ホテル
 3 京都ホテル
 4 日光金谷ホテル
 5 都ホテル

 6 帝国ホテル
 7 軽井沢 万平ホテル
 8 奈良ホテル
 9 東京ステーションホテル
 10 東京丸の内ホテル

 11 ホテルニューグランド
 12 上高地帝国ホテル
 13 蒲郡プリンスホテル
 14 琵琶湖ホテル
 15 リーガロイヤルホテル

 16 雲仙観光ホテル
 17 川奈ホテル
 18 赤倉観光ホテル
 19 第一ホテル東京
 20 小田急 山のホテル

 21 志摩観光ホテル
 22 フェヤーモントホテル
 23 高輪&新高輪プリンスホテル
 24 山の上ホテル
 25 白馬東急ホテル

 26 ホテルオークラ
 27 キャピトルホテル東急
 28 ホテルニューオータニ
 29 苗場プリンスホテル
 30 西鉄グランドホテル

 31 京王プラザホテル
 32 浅草ビューホテル
 33 東京全日空ホテル
 34 ヒルトン東京ベイ
 35 ホテルヨーロッパ

 しかし,「二〇〇八年の今,本書に収録した三十五のホテルのうち,一軒が廃業し,二軒が建て替えのため休業中,そして五軒の名称が変更になり,多くのホテルの経営主体が変わった」(p21)。
 この35のホテルの中で,ぼくがともかくも泊まったことがあるのは,8・9・11・23・26・28・31・34の8つに留まる。

● 以下に転載。
 かつて香港の伝説的なホテルだったリージェントの冷蔵庫には,水と氷しか入っていなかった。これは,飲み物のサービスは人手を介して致します,という最高級ホテルとしてのメッセージだったのだが,一杯のナイトキャップのために,ルームサービスに注文するのが煩わしいと文句を言っていたビジネスマンを私は覚えている。(p8)
 そのビジネスマン氏の気持ちがよく理解できる。召使いを家畜のごとく使った経験を持たないほとんどの日本人にとって,「一杯のナイトキャップのために」人を使役するのは臆するところがあるだろう。
 グランドホテルを代表するホテルマンであるセザール・リッツは一八五〇年の生まれだが,実は日本のクラシックホテルを代表する富士屋ホテルの創業者である山口仙之助も,リッツと同じ年に生まれている。(p12)
 アマンリゾーツが,なぜ魅力的なのか。それは,行き届いたサービスもさることながら,バリ独特の文化が洗練された形でホテルの細部に採り入れられていることではないだろうか。しかもそれは,決してバリそのものではない。(中略)外国の旅行者が,バリ島に対して思い描く好ましいイメージであり,(中略)いわば再構成された “バリ文化” であり,“バリらしさ” なのである。(p13)
 (日本の)クラシックホテルは,ベッドに眠り,ドレスアップして集まったダイニングで洋食のディナーをとるという様式のライフスタイルには,徹底してこだわった。その上で,建物やデザインに和風を採り入れたのである。だから和洋折衷といっても,それはあくまでスタイルとしての洋とデザインとしての和の折衷である。バリ島のアマンと同じく,外国人を満足させる快適さのスタンダードは守った上で,そのものズバリではない,ゲストが夢に描くイメージにふさわしい,再構成された日本文化を展開したのだ。(p13)
 しかし,欧米人に最終的に選ばれるのは欧米のスタイルを模倣したホテルではなく,和を洗練させた旅館ではないかとも思う。たとえば,京都の俵屋旅館のごとき。
 ホテルというのは,外国人との接点の場である性格上,とかく国の運命に左右され翻弄される。歴史が大きくうねっていく時,いつもその矢面に立たされて,しかも国がどんな運命になっても地面に建っている以上,逃げ出すわけにはいかない。(p16)
 私は,何度か戦後の接収時代を知る老ホテルマンに話を聞いたことがあるが,不思議とこの時代のことを悪く言う人は少なかった。(中略)接収のおかげで戦後の混乱期にあっても曲りなりにホテルの運営ができた,ということらしい。(p17)
 ホテルの数や規模が拡大するということは,かつてのような限られた層の顧客だけではホテルの経営が回っていかないことを意味していた。日本のホテルが最も変化を強いられ,苦悩したのが,実はこの時期(高度経済成長期)だったのではないだろうか。そして,私は今,日本には本物のホテルがないと揶揄される原因が,この時期の模索にあるような気がしてならないのである。(p18)
 ヨーロッパの一流ホテルが,今なお,ある種のクラス(階級)というものを意識していて,良くも悪くもサービスがゲストによって差別的であるのに対して,北米系の高級チェーンは,とりあえず一泊分の宿泊料を払うゲストには,等しくシンデレラ気分を味わわせてくれる(中略)。これらのホテルに大衆化という言葉は一見似合わないが,彼らがなし得たのは,贅沢なホテル体験の均質化と大衆化であ(る)。(p18)
 日本には,欧米のホテルにはない,特有の不利な条件があった。それは,欧米では大衆といっても,基本的にはベッドで眠り,ナイフ・フォークで食事をするライフスタイルだったのに対し,日本ではそうした西洋式のライフスタイルを受け入れていたのは,戦前のホテルを支えた一部の階級の人たちだけだったことだ。そうしたなか,都市ホテルは,婚礼や企業宴会に目を向けるようになった。(p19)
 日本の大衆がホテルというスタイルを本当に受け入れたのは,バブル経済の頃だったと私は思っている。(p20)
 たしかにそうだ。というより,バブル以前の日本の大衆にとって,ホテルとはビジネスホテルのことであって,都市ホテルは高嶺の花でしかなかった。ぼくが本書に登場するホテルのうちの8つに泊まったのも,すべてバブル期以後のことだ。
 皇族が泊まる時には,宮内庁と打ち合わせながらメニューを決めていくのだが,ホテル側に裁量が一切任されるのがデザートなのだそうだ。(p61)
 丸の内ホテルのエントランスの雰囲気は,ニューヨークの小規模な一流ホテルを思わせる。(p71)
 一九三〇年代に流行したというアールデコでまとめられた(蒲郡プリンスホテルの)内部のインテリアは,きらびやかな豪華さというよりは,清楚で知的な美しさを感じさせる。(p86)
 一九二三年,二月に長崎丸,三月に姉妹船の上海丸が,相次いで長崎上海航路に就航した。長崎から上海まで,一泊二十六時間の船旅は当時,その所要時間において東京に行くよりも近かったという。(中略)(雲仙は)西日本を代表する避暑地である以上に,上海に暮らす外国人にとっての避暑地だったのかもしれない。(p98)
 赤い屋根のシャレースタイル,堂々として威厳ある建物は,十ヶ月の短い機関で作られたという逸話を感じさせない。むしろ丁寧に時間をかけて丹精込めて建てられた,そんな印象がある。(p99)
 これは雲仙観光ホテルについての記述だけれども,赤い屋根だのシャレースタイルだのは,万平ホテルや上高地帝国ホテル,白馬東急ホテルなどいくつかのホテルに共通するもののようだ。設計者が同じなのか,その形と色が流行した時期が続いたのか。イメージとしては避暑地や雪深いところに建てるなら,そのスタイルが最も抵抗がないように感じるけれど。
 アメリカの大富豪ローレンス・ロックフェラーは,川奈ホテルを訪れて,すっかりここに惚れ込んでしまったという。(中略)彼は後にハワイで,川奈ホテルをモデルにしたリゾートホテルを作っている。(中略)そうした幾多のゴルフリゾートの原点がマウナケア,いや,そのさらにモデルであった川奈ホテルだったのである。(p106)
 赤倉観光ホテルのスキー場には,にぎやかなBGMがない。ナイターがなく,ディスコやカラオケもないから,日が暮れて夜の帳が降りれば,後は静寂な夜が訪れる。その雰囲気は,以前に訪れたスイスのツェルマットにどこか似ていた。(中略)ヨーロッパのスキーリゾートに漂う,本物のゆとりと品格を感じさせるのは赤倉観光ホテルしかないおうな気がする。(p112)
 大衆ホテルという概念を説いたのは,当時,東京電燈(後の東京電力)の社長をしていた,阪急の創始者としても知られる小林一三だった。曰く,日本の一流ホテルは,どこも経営的に立ちゆかないホテルが多い。それは,一部の富豪や特権階級だけを相手にした商売をしているからである。(p113)
 かつて志摩観光ホテルを訪れたフランス人シェフは,その料理をこう表現したという。ブルゴーニュやプロバンスなどと同じように,フランスに「志摩」という地方がある,そう考えると一番しっくりくると。(p123)
 少年の日に人一倍外国に憧れながら,結局,外国へ修行に飛び出すことなく志摩にとどまり,地元ならではの料理を極めることになったその理由を高橋に尋ねると「計算し尽くせない賭けはしたくなかった」という答えが返ってきた。(p125)
 「料理の九十九パーセントは計算できるものですよ。フランス料理の技術なんていうものは三年もあれば習得できる。料理にとって作るという行為は十パーセントくらいの意味しかないんです」(p125)
 高輪プリンスホテルが開業したのは,戦後まもない一九五三年のことである。西武鉄道の創業者である堤康次郎が,手がけた初期のホテルだった。(中略)プリンスホテルの現存する中では最古のホテルになる。(p134)
 そうだったのか。客室の調度,風呂場や水回りの施設から,これでは現代では通用しないだろうなと思ったのだが,むしろ貴重だと考えるべきだったのか。
 山の上ホテルというのは,不思議なホテルである。客室数わずか七十五室の小さなホテルでありながら独特の存在感があり,他のどんなホテルとも比較することが憚られるような感じがある。(p139)
 “光のボウシ” は,まさに山の上ホテルを特徴づけるシンボルである。この建物なくしては,山の上ホテルは山の上ホテルたりえない気がする。(p140)
 山の上ホテルは,偉大なるホテル学校でもあった。戦後,海外研修へ従業員を送り出したのも山の上ホテルが最初だった。(中略)ホテル業界で活躍するそうそうたる顔ぶれには,山の上ホテルのOBが意外に多いのである。(p142)
 こうした新しいスキーリゾートの原点は,すべて苗場にあった。冬山登山の延長のようなスポーツとしてのスキーではなく,都会生活の延長としてのレジャーとしてのスキー,スキーヤーの快適さを第一に考えたスキー。そうしたスキーを提案したからこそ,トレンドとしてのスキーは一大ブームとなったのだろう。(p166)
 淀橋浄水場跡地だったこの地で,最初の超高層ビルとして京王プラザホテルが建設を勧めていた頃,「新宿に国際級のホテルなんて無謀だ)という意見が支配的だったという。その頃の新宿のイメージといえば,「全学連」「フーテン」「暴力バー」といった言葉が象徴する歌舞伎町の混沌がそのすべてだった。(中略)誰が現在のような新宿の発展を予想しただろうか。(p176)
 日本ビューホテルズ(当時の社名は那須観光)が那須ビューホテルの開業でスタートしてから二十五年目の一九八五年,念願だった東京進出の舞台に選んだのが浅草だった。(p179)
 那須ビューホテルは,あらゆるところに新しい試みが採り入れられていた。(中略)食事はレストランシアターでショーを見ながら楽しんでもらう。後に,熱海など各地の温泉地に広まっていくレストランシアターという発想は,那須ビューホテルが最初だったのである。(p179)
 すでに開拓された市場は選ばない。既存の市場がないところにこそ,新しい需要を作り出していく。ビューホテルのそうした姿勢は,その後のシティホテル展開や海外進出にも如実に表れている。(p181)
 栃木県にこういう企業があったのか,なかなかやるじゃん,大したものじゃん,と嬉しくなった。が,バブル崩壊後の2001年に民事再生手続を申請している。名前は残っているが,経営者は変わっている。それはそうだ。金谷ホテルも同じ。創業家の家業であり続けられるほど,やわな変化じゃなかったはずだ。
 ホテルに華やぎを与えたのが,生き甲斐をもって働き,貪欲に遊ぶ,元気溢れる女性たちであった。(中略)『Hanako』を片手にグルメにショッピング,海外旅行を楽しむ女性たちは,ハナコ族などと呼ばれた(p184)
 バブルの徒花だった。『Hanako』を片手にって,バカを絵に描いたようなものだ。過度期の現象として仕方がなかったのかもしれないが,消えてくれてよかった。
 戦前に生まれたクラシックホテルに独特の空気感があるように,ホテルというものは,誕生した時代を背景にした雰囲気をどこか身につけるものであり,それがホテルの個性を育んでいく。(p185)
 華やかさの中にもどこか大人の落ち着きが感じられる。そんな雰囲気を作るのは,たぶんそのホテルが好きでたまらないリピーターや,もしくはホテルに住んでいるようなゲストの存在なのだと思うが,その意味では,九八年に亡くなった映画評論家の淀川長治は,まさに東京全日空ホテルの歩みとともにあったゲストと言えるのではないだろうか。(p185)
 都市の郊外(アーバン)で,手軽にリゾート気分を味わう「アーバンリゾート」というコンセプトは,ヒルトン東京ベイを始めとする舞浜エリアのホテルによって,初めて市民権を得た言葉だった。(p190)
 いつだったか,私が箱根プリンスホテルにいた時,ホテルの中がにわかに騒然として,従業員の注意が,明らかにお客に向かわなくなった瞬間があった。(中略)直感的に,ヘリで義明が到着したのだと理解したことを覚えている。(p202)
 西武グループでは,堤康次郎の墓を「墓守り」と称して,社員が当番制で泊りがけの墓参を行ったというが,小佐野賢治が亡くなった時も,納骨するまでの間,「お骨守り」と称して,グループ各社の幹部たちが,回り持ちで小佐野の遺骨を囲んで食事を共にしたという。闘病中は,小佐野と同じ血液型の若い社員が集められ,輸血のためにバスが仕立てられた。(中略)そうした昭和の経営者たちの狂気じみた権力の集中を,そのまま次世代に継承することに最も執念を燃やしたのが堤康次郎であった。(p203)
 戦後の日本のホテルのキーワードであった大衆化は,プリンスホテルを抜きには語れない。多くの日本人が,人生で最初のホテルとしてプリンスホテルに出会った。そして,プリンスホテルが提供したレジャーのスタイルに,日本人は少なからず魅了されたのである。そうでなければ,王国はもっと早くに破綻していたに違いない。(p204)

2021年2月17日水曜日

2021.02.17 和田秀樹 『60歳からの勉強法』

書名 60歳からの勉強法
著者 和田秀樹
発行所 SB新書
発行年月日 2018.11.15
価格(税別) 820円

● 「勉強法」というタイトルになっているが,いわゆる勉強(本を読んでする座学的なもの)はもうそんなにやらなくてもいいんじゃね? という内容。
 書斎の人になってはいけないと説く。そうではなくて,どんどん外に出なさい,人に会いなさい,と勧める。
 外に出るのはともかく,人に会えと言われるのは,ぼく的には少々辛いな。人間恐怖,人間嫌い,の気があるのでね。

● 以下に転載。
 新しい知識を欲することは決して悪いことではありませんが,つねに「自分は知識の不足状態にある」という思いにばかりとらわれているということではないでしょうか。(p22)
 もともと勉強の目的が,何かの資格を取るとか,どこそこの大学に入るといった,コンクリートな目的の人が多いのがこの国の特徴です。そのため,初期の目的を達成してしまうと,自分がいかにも賢くなったような錯覚に陥って思考力を鈍らせ,そこから先のバージョンアップを怠るケースが多々見受けられます。(p31)
 たとえ80歳の老人であっても,「生きている限り昨日より今日,今日より明日のほうが賢く頭を使えるようになる」ことにこそ,意味があるとわたしは思うのです。(p31)
 芸人でクイズチャンピオンという人がいますが,たしかにものは知っているのでしょうが,肝心の本業の漫才がちっとも面白くない。つまり知識量はチャンピオンになるくらいあるのに,知識の加工能力がきわめて低いため,芸にいかすことができず伸びていかないわけです。知識の加工能力がないという時点で,わたしなどは「ものは知っていても,頭悪いな,この人」と失礼ながら感じてしまうのです。(p37)
 わたしたちに必要なのは,知識をふまえて,どのように「自分独自のものの見方,考え方を展開できるか」,つまり「知識を思考の材料としてどう活用できるか」,そのことに尽きるのです。(p38)
 知識の多さを賢さの証しとして称賛しがちなこの国では,同様に常識(定説),理論・学説などについても,何ひとつ疑うことなく,絶対的真理として信奉してしまう傾向がしばしば見られます。(p39)
 いわゆる知識と言われるものは,「とりあえずいまの時代のこの状況では,こう考えられていますよ」ということにすぎず,つねに新しいものに入れ替わっていく。(中略)どんな高名な権威が提唱する説であっても,それがその分野の最終回答ではないということです。(p41)
 (アメリカでは)ある説を聞いたとき,「ああ,そうだったのか!?」的な納得の仕方をするのは,初等中等教育レベルの人間とみなされ,知的な人物ではないと判断されます。(p42)
 知識は所有するためにあるのではなく,使用するためにある。(p65)
 中高年以降でも記銘,保持には大きな問題は生じませんが,低下が指摘されるのが想起です。(中略)想起力を維持するためには,アウトプットを繰り返しながら記憶を定着させるのが有効な方法です。(p69)
 ものごとについての判断基準が,その説の妥当性ではなく,「誰が言っているのか」という人的要素に置かれる考え方を「属人思考」と言います。これはじつに危険な態度です。当たり前のことですが,ある人が言うことがつねに正しいということはあり得ません。(p71)
 自分が好意的に捉えるある特定の人物,ある特定の説ばかりを深堀りして勉強したつもりになっても,多くの場合,その説をなぞっているだけで思考しませんから,決して賢くならないのです。(p72)
 自説の正当性を信じて疑わない人は,新しい視点からの意見を受け入れることができません。自説とそれを支えてきた過去の学説が,あたかも宗教のような性格を帯びてしまう。これはアカデミックな世界に非常に多い現象です。(p75)
 多くの日本人はこの世に「唯一の正しい答え」があると信じ,これを追い求めてきました。つねに誰かが「これが正しい答えですよ」と提示してくれなければ不安になってしまうという,認知的成熟度の低さとあいまって,唯一絶対と思えるものにからめとられてきました。(p78)
 勉強とは生きるための目的ではなく手段です。勉強したことを自分の強みとして,いかに人生を豊かにしていくか,楽しくて幸福なものにしていくか。そのために使ってこそ価値があるのです。(p79)
 勉強にしろ仕事にしろ,何かことにあたる際,多くの日本人は方法論の重要性に対する視点が欠落しています。ですから,方法論をすっ飛ばして,いきなり本題に取りかかってしまうのですが,これではうまくいかない確率が高まるのも無理はありません。(中略)なぜか方法論を軽視するだけでなく,テクニック的なことに対して批判的に捉える人が少なからず存在します(p87)
 いちばんの問題は,一向にうまくならないいまのやり方を疑うことなく,そのやり方を踏襲したまま,練習回数の増量という根性論で乗りきろうとした点です。(中略)まずい方法論をとっている以上,練習量を増やしたところで,疲労がたまって嫌気がさすというのが行きつく先です。(p88)
 望むように結果が出せないとき,「どうせ自分はバカだ」と決めつけるのは非常に短絡的ですし,誰も幸せにはなりません。少し手間でもここは面倒がらずに,方法論を探して試すことに時間と労力を向けるべきでしょう。(中略)ラクをしようと思うことで工夫が生まれるものですし,これがやり方の探求の端緒になるのです。(p89)
 あくまでも自分が楽しく続けられることを追求するなら,まず自己分析を怠らないことがルールです。(p96)
 人生を豊かなものにするには,自分の好きと得意を起点とするのがコツです。(p97)
 世の中には何ごとにつけ,人の真似をするのではなく,自己流の追求にこそ価値があると考える人がいます。(中略)偏狭な無手勝流にこだわることは,わたしにはかなり愚かなことと映ります。(中略)いくら自分の頭を振り絞ってみても,スイスイできてしまう人のやり方を独力で編み出すことは不可能です。(中略)方法論こそ他人から学べるものなのです。(中略)方法論を編み出すことが目的ではなく,方法論を用いて人生をより楽しめるようになることが本当の目的だという点を,心に留めておいてください。(p97)
 日本人は簡単にベストな方法や答えを得たいという気持ちが強いですから,方法論にしても,「これがいい」と太鼓判を押されると,それにいつまでも縛られて別の方法を試すという発想がもてません。しかし,どんなに偉い人が勧めている方法であっても,自分に合っていないのであれば,さっさと見切りをつければいいのです。(p106)
 私が彼(伊能忠敬)の生き方のなかで強い感銘を受けるのは,自分よりも20歳も年の離れた天文家を師匠としたところです。(p111)
 自分が志す道について,わかりやすくガイドしてくれる人がいると,格段に進歩します。(中略)ここで言う師匠は,直接会って教えを乞うという関係だけに限りません。直接会うことがかなわない場合でも,自分で「この人を師匠としよう」と決めてしまってもいいのです。(中略)いまの時代でしたらSNSでコンタクトを取ることも可能です。(p111)
 人生の充実度を上げ,楽しく生き抜くために必要なものなのに,ほとんどの人が見落としているものがあります。それが「ロールモデルの設定」です。(中略)ロールモデルとは,ある役割を担う見本や模範となる人を指します。わたしたちが人生を歩むにあたっては,こうした目標にできる人の存在効果は絶大です。(p113)
 わたしたちは「学ぶのは失敗から」と思いがちですが,それに劣らず大切なのは,「成功から学ぶ」という姿勢です。(中略)成功要因の分析は,自分の経験だけを対象とするものではありません。(中略)自分より先を行く人たちの成功要因をきちんと分析してみる。(p118)
 あらゆる学びの基礎となるのが読解力です。(中略)巧妙につくられたフェイク情報の審議を見極めるにも,まずは読解力が求められます。読解力の有無が,情報を理解して使える人と情報に騙される人を分けていくのです。(p122)
 「定年・書斎・独学」という3点セットは,いささか古すぎる考え方かもしれません。(中略)書斎にこもりきって自分だけの閉じた世界をつくり上げるのではなく,「もっと外に出よう」「もっと人と会って議論を重ねよう」「もっと多彩なアウトプットを楽しもう」という考え方が肝心です。(p126)
 さまざまな現象に遭遇したとき,既存の知識とのズレやぶつかり合いが起こって,それが思考の契機となるはずです。(p129)
 ドラえもんは言わば「あなたの夢,叶えます」を生業にしているわけですが,そもそも「あなたの夢」がなければ失職してしまう。(中略)ものごとを生み出す源泉となる「わたしの夢」を見出だせるかどうか,つまり問題発見できるかどうかは大きな問題です。(p138)
 無意識のうちに,「唯一不変の正しい答えがあるはずだ」という思い込みがあるからこそ,答えが与えられない状態や不確定な状態,いわば宙ぶらりんの状態に耐えられない。ですから,マスコミが垂れ流す説の真偽もたしかめず,安易に飛びついてしまう。(p144)
 「考え不精の正論好き」人間であふれています。(中略)残念ながら知的成熟度が低いと言わざるを得ません。そもそもつねに変化を続け混沌としている世の中が,たったひとつの答えですっきりと片づくはずはないのです。(中略)ですから,「これぞ正解」「これぞ正論」「ひとつの答えを得たからこの件はゴールに到達した」などと信じて疑わない人は,わたしには愚か者にしか見えません。(p144)
 消費が足りなくて,生産があまっている時代には,生産をしないで消費をしてくれる生活保護の受給者はありがち存在かもしれないのです。(p147)
 日本人の思考に関する得意不得意には,ある特徴があります。それは,数学的な発想ができないという点です。(p154)
 実世界はこのように二分割して単純化できるようなものではありません。むしろ,ほぼ黒と白の中間のグレーゾーンでできていると捉えるべきでしょう。(中略)認知的成熟度の低い人は,ブレーゾーンの曖昧さに耐えられません。しかし,多様性の理解と受容の態度は,このグレーゾーンでこそ育まれるのだということを,みなさんと共有したいと思います。(p166)
 日本人は,原稿をつくるところまでは非常に真面目に一生懸命取り組みます。しかし,リハーサルが決定的に足りないのです。(p175)
 大事なのは話の中身なのに,表面的な技巧を磨くことを優先しがちです。話し方の技巧や伝え方の技巧に関する書籍が結構売れてしまう背景には,「上手に話さなければ」の強迫観念があることは間違いないでしょう。中身に関しても検討は,たいてい置き去りにされてしまっています。(p177)
 頭のなかでの思考段階では,ユルユルと次から次へ考えが連鎖していきます。それは,書き言葉でもなければ話し言葉でもない。言わば流動的な状態です。この流動的な思考を,どう人に伝える形に整えるか。ここが非常に大事なポイントになってきます。もっとも重要なポイントは論点を明確にすること。これに尽きます。(中略)人に話す前にメモ書きにして,客観的に思考の産物を眺めてみるというのが,手軽でいい方法です。(p185)
 男性というものは,どうも年齢が上がるにしたがって,依怙地になったり,一方的に話したり,どこか人から嫌われやすい要素が目についてきます。(中略)「中高年男性のどのようなところが嫌いですか?」という質問をすると,どの年代の人も,「上から目線で蘊蓄ばかり垂れる」点を指摘してきます。(p193)
 それなりに人生を歩んできた方が,少しも見栄を張らずに素直に「これってそういうこと?」「自分はこういうこと,よくわからないんだけど,教えてくれる?」と尋ねてくれたとき,その相手は自分に尋ねてくれたことを嬉しく思うものです。(中略)なぜなら,何歳になっても素直にものを尋ねられるその姿勢に,人はある種の感動を覚えるからです。(p196)
 こうした脳の萎縮は,女性に比べ男性のほうが顕著です。(p206)
 前頭葉が十分に成熟するのは,20代前半頃です。しかし,(中略)老化現象である萎縮が目立ち始めるのが40代。ベストの状態をキープできるのは,意外にも短期間です。(p210)
 自分の外見にまったく関心がなく,いつもくたびれた格好をしている男性も相当数存在します。意欲減退からくる自己に対する無関心は,やがて容姿容貌までをも老け込ませていきます。(p212)
 古来からの老境の理想像のひとつに,「枯淡」という言葉に象徴されるような生き方があります。(中略)じつはこのような生き方は,脳科学や精神医学の見地からは,あまりお勧めできるものではありません。欲望と言うと,性欲や出世欲,金銭欲など,生々しいイメージを抱く人も多いかもしれません。しかし,それらも含め,欲望とは生きること全般にかかわるエネルギー源と捉えていただければと思います。(p219)
 前頭葉が思考・感情の切り替えスイッチをさかんにはたらかせるのは,どういう生き方でしょうか。(中略)まずひとつめには,複数の楽しみを同時並行的に展開する生き方を挙げましょう。(p224)
 体を動かさず座ったままラクをして,日々を充実させることはできません。(中略)前頭葉にいやがらせをするような生き方にほかなりません。(p226)
 前頭葉対策は,感情の老化・劣化が始まる前から取り組まないと効果が半減します。(p229)
 半減どころじゃないんじゃないか。感情の老化・劣化が進んでしまっては,対策に取り組もうという意欲も湧いて来ないだろう。
 本書も定年後の勉強や過ごし方について指南しているわけだが,この指南を定年時に知ったとて,できることはそんなにないと思う。定年時にすでに勝負はついているというのが,ぼくの考え方だ。
 だから,『60歳からの勉強法』は40代で読んでおかなくちゃいけない。つまり,本書の読者対象は60歳ではなくて40歳の壮年者ということになる。
 不安や悩みというものは,自力で解決しようとして抱え込んでいると,かえって心のなかでふくらんで,いっそう不安感を駆り立ててしまうという特徴があります。(p237)
 本を読んで,そこに書かれた知識をひたすら注入するより,生き方を変えるほうがはるかに頭がよくなる人が大勢います。とくにこれまで十分知識を注入してきたり,人生体験を積んできた人はそうです。(中略)頭をよくするだけが勉強の目的でなく,頭が悪くならないために勉強するなら,知識を詰め込むより,生き方を変えたほうがよほど結果がいいはずです。(p239)

2021年2月16日火曜日

2021.02.16 和田秀樹 『定年後の勉強法』

書名 定年後の勉強法
著者 和田秀樹
発行所 ちくま新書
発行年月日 2012.09.10
価格(税別) 740円

● 著者の「勉強法」の本を読むのは,これが何冊目になるだろう。高校生(受験生)のときも合格体験記を読むのが大好きだった。肝心の勉強それ自体に入り込めなかったので,勉強にも受験にも苦労はしたが,合格体験記を読むのは好きだった。
 大人になってからも基本的に同じ傾向は続くものだ。勉強法の本を読むと,それだけで賢くなったような気がするのだ。実際に賢くなるのは大変だが,賢くなれたと錯覚するのはお手軽にできる。

● 以下に転載。
 定年後の勉強は,重要な健康法でもあります。それは,作家や文化人が,歳の割に若々しく,長生きな人が多いことからもわかるでしょう。(中略)現実に歳を取ってからは知的機能が高いほど生存率も高いという調査結果もあります。(p8)
 ただ盆栽をいじっている,好きなだけ本を読んでいる,絵を描いて過ごす,旅行をする・・・・・・といっただけでは,この「余生」はあまりにも長すぎるのです。(p13)
 この感情の老化のスピードはある方法によって防ぐことができます。それは,「勉強」です。「勉強」が前頭葉を刺激して,感情の老化を防ぐことができるようになるのです。(p14)
 この社会(知識社会)では,知識が生産手段の主軸を担い,頭の中にどれだけ知識があるかで賢いか賢くないかが決まるのではなく,その知識を上手にアウトプットし,加工し,そこから利潤を得ることのできる人が賢いとみなされるようです。(p28)
 「尊敬される年寄り」とは,単に知識をたくさん持っているだけの「書斎の人」ではないということです。また,ニコニコしているだけの好々爺でもありません。これからはアグレッシブ(積極的)な「賢人」「哲学者」が求められる時代なのです。(中略)「尊敬される年寄り」に求められるものは,知識よりも考え方の面白さなのです。いかに人をひきつけるアウトプット(出力)ができるかが必要とされます。(p30)
 根性論型の勉強法は効率が悪いのです。効率の悪い勉強法をやっていると,地頭の良さでのみ勝負しなければならなくなります。(中略)効率的な勉強法は確実に存在します。これは,勉強に限ったことではなく,ゴルフであったり,仕事であったり,健康に関してであったり,それぞれに効率的な方法は存在します。(p39)
 ある一定量の勉強をするのに二,三時間かかったとしても,復習は三〇分程度で済みます。復習しなければ三〇点しかとれないところ,復習すれば七〇点とれることだってあります。三時間で三〇点しかとれないところを,復習をして三時間三〇分で七〇点とれる可能性があるのです。つまり,復習はとてもコストパフォーマンスがよいのです。(p47)
 うまくいかないときに,他にやり方があるはずだと思えるか思えないかで結果が変わってくるのです。(p50)
 定年後の人たちというのは,詰め込んだものは十分あるわけですから,むしろ,これ以上詰め込むというより,これまで詰め込んだ知識をどう使うか,創造性をどう導いていくかちうふうにシフトすべきです。(p51)
 動物の発生学上からみると,大脳は胎児の段階から,側頭葉,頭頂葉と発達して,最後に前頭葉が発達します。このために,初等,中等教育では,側頭葉と頭頂葉を鍛えるためにみっちりと言語や計算の訓練,図形やグラフの把握のトレーニングをするというのは理にかなっています。その訓練ができてから,前頭葉を鍛えるべきなのです。しかし,現在,日本の教育の根本的な欠陥のため,前頭葉が鍛えられることは残念ながらほとんどありません。(中略)日本の大学では,自分ほど偉い者はいないと平気で考えている大学享受が大人数に向かって一方的に話すような講義しかありません。なにかを引き出すとか,知識を疑わせるとか,いろいろな可能性を考えさせるという学生のクリエイティビティを伸ばす講義がほとんどないのです。(中略)私立大学の文系学部に進むというのは,悲劇的なことではないでしょうか。(p56)
 側頭葉型の勉強法から前頭葉型の勉強法に変えるということは,わかりやすくいえば,若いころの「正解は一つという発想」から,(中略)「正解はいくつもある」という発想に変えるということです。(中略)「ほかの可能性を考えてみる」「想定外のことに対応する」といった多様な答えを導き出すための勉強法に切り替える必要があるのです。(p58)
 受験勉強の延長線上で定年前後の勉強について考えてはいけないのです。(p61)
 たとえば「二次方程式を社会に出てから一度も使ったことがない。だからこうした勉強は意味がない」みたいなバカバカしいことをいう文化人もいますが,この二次方程式といのは単なるコンテンツの一部分に過ぎません。(中略)二次方程式を理解する思考の過程が社会に出てからは重要なのです。(p63)
 定年前後の勉強であれば,できるだけ,集中力を重視した勉強法は避けたほうがよいともいえます。(中略)普段の集中力を持っていればいいのです。気もそぞろになってその場をおろそかにすることがなければ大丈夫だと考えればよいのです。(p94)
 中高年以降でも本気で勉強したいのであれば,「一回では覚えられない」という当たり前のことを思い出して,本一冊読むときに,一回目はとりあえず大切そうなページに付箋を貼るために読む。そして二回目は,付箋を貼ったところだけでも復習する。こういったプロセスを踏むことで,本に書かれている重要なことが記憶としてインプットされて,保持(貯蔵)されるのです。(p98)
 昔は,中高年になると寡黙な人のほうが賢いと思われていました。(中略)ところが,寡黙な人は口を開いてみてもあまり面白い話ができないことが多いのです。(中略)頭の中にどれだけの知識が詰め込まれているかではなく,その多寡にかかわらず,どれだけのことを外に出せるか,つまり,入力された知識の量よりも想起できる量が大切になるのです。(p106)
 いまの日本では,単純な結果や安直な結論を求める風潮があります。物事をなんでもワンフレーズでまとめようとするのです。(p110)
 この部位(前頭葉)は他の脳の部位より早く萎縮が始まるのです。(中略)前頭葉の老化が始まると,何をしてもつまらないと感じるようになる(感情の平板化),何に対してもやる気が衰える(意欲の老化),ささいなことでイライラし始める(感情の老化)といった形で行動や言動に老化現象が現れ始めます。(中略)その一例が保続という症状です。保続とは,思考や想像などの切り替えがきかなくなって,同じことをくりかえしてしまうことです。(p111)
 こういった人は「そんな話は知っている」現象になっている可能性が高いのです。思考が頑なになっているだけなのに,物知りになった気になって,自分が何でもかんでも知っていると思い込んでしまっているのです。(中略)「そんな話は知っている」現象が起こると,記憶力にも影響を与えます。それは「知っている」と思った時点で記憶力に必要な「注意」のレベルがガタッと落ちてしまうからです。(p117)
 コレステロールが高い人のほうが長生きしているとか,やや太めの人のほうが長生きしているという内容の本を書いても,そこそこにしか売れません。ところが,みんなが受けいれやすいメタボ対策の内容になるともっと売れるようです。それくらい,異論を受けつけることのできるキャパシティがある人間が少ないのです。(中略)ですから,多様な説を受け入れることのできる人間は話が面白い人,クリエイティブな人として評価される可能性が大きいのです。(p118)
 「異論を受けいれることができない」現象は,「学んだことを疑えない」といったことにも表れます。(p119)
 主義主張を曲げないのは一見立派なことのようですが,時代が変化していく中で,その時代に合わせて,意見を変えていくほうがずっと大切で立派です。定年前後からの勉強にとって必要なのは,その時代に合わせて,変わっていく考え方や発想に関心を持つことです。その結果,若い頃とは意見が変わっていくこともあるかもしれませんが,それはまったく問題ではありません。(p120)
 自分は右翼だと思っている人こそ,「世界」を読むべきだし,自分は進歩派だと思っている人ほど,「正論」を読むべきなのです。自分と違う意見を取り入れることで,思考の柔軟性が保たれ,思考の老化が防げるからです。(p123)
 前頭葉は向上心や欲望をコントロールしているため,年齢を重ねて,前頭葉が老化してくれば,向上心は低下し,出世欲,支配欲なども衰えてしまい,物事に固執しなくなってしまう傾向にあります。(中略)欲望とは人間が本質的に生きるためのエネルギー源です。何かを一生懸命に考えたり,意欲をわきたたせたりする一番の動機です。この欲望が弱まってくると早枯れした人間になってしまう。定年後といえども,欲望を抑え込んではいけません。(中略)食欲であれ,物欲であれ,性欲であれ,欲望に正直に生きることが前頭葉へのいちばんの刺激になるのです。(p124)
 ぼくなんかもこの歳になって「足るを知る」境地に近づいたなと思うことがある。物欲がなくなってきたからだ。欲しいモノがない。今あるもので充分だ。
 実際,モノはある。洋服なんか,下着も含めて,流行なんてのを考えなければ一生着られるだけのものがあるのじゃないか。もう何も要らないよ,となって,「足るを知る」ようになったかと思ってたんだけども,前頭葉が老化した結果に過ぎなかったのか。
 世の中を達観したとされる鴨長明,西行,吉田兼好などは出家し,世の中から隠遁したように思えます。しかし,彼らは自分で日記や随筆を書いたり,和歌を詠むといった創作活動に打ち込んでいたのです。(中略)寿命が延びた現代,「早枯れ」をしてしまうと,長い後半生がつらくなります。(p127)
 前頭葉に強い刺激を与えることができるのは偶発性の高い,つまり先の読めない行為です。たとえば,株式投資や起業,ギャンブル,恋愛などがそれにあたります。基本的には,感情は予想と現実の差によって刺激されます。(p128)
 「試行」することを提案したいと思います。(中略)実際に動いてみなければわからないのに,頭の中であれこれ考えただけでやめてしまう人間が多すぎるからです。(中略)少なくとも若者よりお金や時間の余裕はあるのだから,試せることだって多いはずです。(p129)
 試行の際に大事なのは,わからないことは人に聞くといった姿勢です。とくに男性は,年齢を重ねれば重ねるほど,恥をかきたくないという気持ちが強くなります。(中略)感情が老化してくると,より保守的になり,それゆえに恥意識が強くなりがちです。その恥意識の強さが理解の妨げにもなってしまいます。(p134)
 知の賢人とは様々な知識を加工するための思考能力を持っている人物のことです。単純な知識や情報より,ある考え,ある本をどのように解釈するのか,どういう発想で読み解くのか(p142)
 本を読んで,情報を与えられた時に,考える習慣をつけなければなりません。安易に納得するためではなく,そこからどんなことが考えられるのかを知るために読書すべきなのです。これは「思考力」を刺激することにもなり,批判的な読書ともいえるでしょう。「批判的」とは,自分の経験をもとに,実際はこうではないかとツッコミを言えるようになることです。(p145)
 幸いなことに定年前後になると,「わかる」能力が増しています。学生のころニーチェを読んであまり理解できなかったとしても,年齢を重ねてみると,意外に言っていることが単純なのだと理解できる部分もあるでしょう。(p158)
 そういった通信制のコースは,教授の指導意欲が低下しているせいか,指定の教科書も古く,無味乾燥なテーマについてのレポートを決められた回数,提出するような課題ばかりで退屈します。その魅力のなさに途中で投げ出す人も多いでしょう。(p162)
 文章の場合,いきいきしているかどうかは,具体例をいくつ挙げられるかどうかにかかってきます。(p167)
 いちど試行してみて,まったく成果があがらなければ,その夢はあきらめたほうがいいでしょう。(中略)こうしたときには,あきらめの良さとか損切りが重要になってきます。あきらめた後,ほかのものへのチェレンジを繰り返すほうがよほど賢いのです。(p168)
 若い頃の勉強は苦手を克服するということが多かったかもしれませんが,定年後の勉強ではその逆となるのです。(p175)
 仕事をしなくてすむからといって無限に時間があると思ったら,大間違いです。(p178)
 道具のレベルを知ることです。しかし,ここで注意したいことがあります。道具のレベルが高いと,道具自体が目的化してしまうのです。(中略)英語ができるようになろうとしたときに,その英語を道具としてどのように使うかを明確に意識しておかないと,英語を習得するということ自体が目的になってしまいます。(p179)
 定年後の勉強にはきっぱりとあきらめたほうがよいこともたくさんあります。その代表的なものが英会話です。(中略)耳がよくなることがほとんどない定年後では英会話の能力があまりあがりません。(p181)
 読書をするときには一冊の本を全部読まなくても大丈夫です。(中略)ある目的,ある目標ができれば,それに必要なところだけ読めば十分なのです。(中略)その本ならではの独自な視点,ポイントだけを読むことで,その本の重要なポイント,特色を最短コースで掴むことができます。(p182)
 本は読むことに時間をかけるよりも,読んだあとに時間をかけるべきです。(中略)私の勧める読書法は,速読ではなく,一部熟読法です。一冊の中で,大事なところを繰り返し熟読する。あるいは,そこの部分についてはインターネットを使って枝葉情報まで調べる。(中略)異論,暴論が出てきた際には,必ず裏付ける資料があるのかどうかを調べるべきです。(p183)
 生物学的な意味での成熟とは,生殖に向けて機能が整っていくことですし,心理学の世界で言う「認知的成熟」とは,自分とは別の考え方やグレーゾーンを認められるようになることです。これが(中略)知の賢人のロールモデルです。(p196)
 知的であれば周囲から評価されるし,何よりもモテます。知的に見せると,まわりが素敵だと思ってくれるので,より知的であろうとし,好循環が生まれます。(p197)

2021年2月6日土曜日

2021.02.06 堀江貴文 『これからを稼ごう』

書名 これからを稼ごう
著者 堀江貴文
監修者 大石哲之
発行所 徳間書店
発行年月日 2018.06.30
価格(税別) 1,300円

● 副題は「仮想通貨と未来のお金の話」。大きく分けて,2つのことが語られる。
 1つはテクノロジーの優越。仮想通貨を作りだしたテクノロジーが国家の通貨発行権を崩していく。技術革新は国家による規制を超えて進化していく。いったん,この世に現れでたものはもう留めようがない。
 2つめは,個人の生き方としてお金換算主義からの脱却を説く。お金の価値は下がってきたし,これからも下がる。お金に囚われるのはなく,お金では測れない魅力を追求しなくてはいけない。

● 以下に転載。
 仮想通貨は,貯金や投資にとって代わる画期的な財テク術ではない。儲かる,儲からないの考え方で捉えていると,本質を見失う。仮想通貨は,僕たちの “これから” の未来を豊かな方向へデザインする,テクノロジーのひとつだ。(p4)
 僕は負の情緒よりも,テクノロジーを信じる。最初のハードルを超えた,どこかのタイミングでは,日本円や米ドルの代わりのように使われ始める。世界がフラット化していく中で,グローバルペイメントの需要は個人間でも広がっていく。(p22)
 現物の紙幣ではなく,銀行口座の数字のやり取りになっているところが,お金がバーチャルであることの何よりの証拠だ。(p32)
 ビットコインが流行るために必要だったのは「投機」だった。「儲かるだろう」という投機目的で,多くの人が入ってくることが必要だった。(p37)
 こういった先のことを見越さず「仮想通貨は投機だ」なんて言っている人は,金融の素人なのだろうと思う。日本円と米ドルの通貨取引だって,ほとんどは投機だ。売りと買いがあるから成立する。(p41)
 寄せては返す波のように,バブルとバブル崩壊は繰り返される。その周期は技術革新やノウハウやシステムの洗練,インターネットの影響もあり,明らかに短くなっている。(p47)
 銀行による運用をはじめ,これまでの投資の原則は,規模の部分での成長を見越していることが勝ちのパターンだった。最たる例が,右肩上がりの人口への投資だが,これは頭を使っていない投資,はっきり言えば,バカでも勝てる投資だ。(中略)日本の人口が増えなくなれば,「次は中国だ,その次は東南アジア,そしてアフリカだ」といった感じで,人口ボーナスがある国を目指して投資をしていた。僕はこれからの世界で,こんな牧歌的な投資手は通用しないと考えている。(p49)
 先進国では,子供を生み育てなくても生活していけるようになっている。(中略)先進国では子育てをするよりも楽しいエンターテインメントが多く存在している。労働するばかりで,今と比べて圧倒的に娯楽も少ない時代では,子育ては労働力の確保のためでもあり,エンタメでもあったのだ。(中略)先進国では,子供以外の投資対象も数多く存在する。子供に賭けるくらいなら,別のことに投資をした方が豊かに生活できてしまう現実がそこにはある。(p50)
 人口ボーナスで儲けられなくなった巨額のマネーが目指す先は,もちろん人口ボーナスとは無縁の業界だ。(中略)つまり,それが人口だろうが,エネルギーだろうがAIだろうが,なんでもいいのだ。その価値の源泉をどうやって生み出すのかというのが,最も重要なのだ。(p52)
 日本だろうとアメリカだろうと,国なんていうものは,案外信じられないものだ。(p82)
 「選択できる」ということが重要なのだ。(p93)
 誰しもが正解を求めたいと思っている。未来永劫続く正解がほしいのだろう。ただ,残念なことに,そんなものは存在しないのだ。(p97)
 銀行が仮想通貨を発行する理由とはなんだろう。おそらく「とりあえずやっておきますか・・・・・・」みたいな話だ。上司が納得する範囲で,無理なく,事故がないよう,やっているアリバイを作るサラリーマンが,自分の地位を脅かすようなリスクを取るわけがないのだ。現代社会の抱えている問題点は,まさにそこにある。(中略)どうしても既得権を守る方向に力が働いてしまう。(p144)
 日本でキャッシュレス化が遅れた理由は,飲食店の責任もあると思う。(中略)かたくなに現金払いにこだわる理由なんて,僕には経営者の脱税目的ぐらいしか思いつかない。(p158)
 2016年時点では,通貨の世界のビットコイン取引のほとんどは人民元建てだった。ビットコイン価格が高騰し始めたのも,自国通貨を信用しない中国人たちが,キャピタルフライトの手段として目をつけたことが,一番のきっかけだった。(p160)
 法律とは不思議なものだ。国や為政者が徹底して規制を行っても,必ずどこかに抜け道,バグのようなものが生じる。(中略)一方で,法律は結構いいかげんなものだったりもする。明らかに現行法では違法なのに「昔からやっているから」とお目こぼしを受けているようなものだ。例えば,ソープランドなんていうものは実質的には管理売春である。(p162)
 日本でも利用者の多い米国籍のとある有名なウェブサービスは,日本人の創業者が自分の通っていた大学のブロードバンドを使って無修正のアダルトビデオをアップロードしていたことからビジネスが始まっていたりする。おそらく日本に帰ってきたら逮捕なのだが,彼らはみな変に腹が据わっている。断言するが,これからもそういう者は続々と現れるし,アナザーウェブは絶対に終わらない。これは善悪やモラルを超えた話だ。(p163)
 中国政府にとって,最大の脅威とは何だろうか。彼らの恐れが表れている象徴的存在が,国をすっぽりと覆うグレートファイアウォールだろう。(中略)中国共産党の歴史は,本来規制できない性格のものを,無理矢理規制してきた歴史でもある。しかし,グレートファイアウォールも,衛星インターネットの出現でなきものになる。(p165)
 かつては情報の統制が国を形作っていた。(中略)国を統治するための共同幻想を作り上げるためには,情報の遮断が一番てっとり早い。だが,メデイアのパワーは強力だ。(p167)
 どの時代にも法の目をかいくぐって世の中を変えてやろうという勢力や,そもそも法を意識しないアウトローが現れる。(p167)
 規制はその性質上,先回りができない。何か統治側にとって都合の悪い問題が起き,世論が盛り上がり始めた時に,初めて対応に動き始める。それでは遅い。すでに一定の規模でグローバルに浸透していったイノベーションを一国の都合で潰すことは,絶対にできない。(p167)
 僕らは技術革新に抗えないということを理解しているはずだ。便利な携帯電話ができれば,最初は「こんなもの!」と,抵抗があっても,いずれみんな使い始める。テクノロジーは常に優越するのだ。テクノロジーの持つ力をもってすれば,国家の通貨発行権ぐらいは,当然将来的にはなきものになるだろう。(p168)
 規制は決して技術に対抗できない。守る側の方が,遅い。だから,僕は新しい方に張るのだ。(p168)
 メルカリが爆発的に流行った背景には,「インスタ映え」の影響が大きい。(中略)インスタに写真を上げれば,もっと手軽にもっと効率良く,承認欲求が満たされる。だから,お金がある人はZOZOTOWNで洋服を買って,インスタに写真を上げたあと,メルカリに流すという行動に出る。お金がない人は,メルカリに流れた洋服を買って,やっぱりインスタに上げて,再びメルカリに流す。それは,結果的にシェア経済ということだ。(p184)
 テクノロジーの進化により,C2Cで人々が充分暮らせるようになってきた。これからは徴税というものが,根本的に難しい時代が到来すると予測している。ここで,大きなエスタブリッシュメントの組織が既得権を守らんとして,無理筋な法整備や規制に乗り出してしまうのは問題だ。結局それが成長の歯止めや,本当に助けを求めている人たちを切り捨てるなど,社会問題を生じさせている。(p195)
 世に現れてしまったものは,もうどうにもならない。利用する人たちの成熟スピードに合わせて,法規制にとらわれることなく,態様を自在に変え,進化していく。(p201)
 我々が幸せになるために必要な資源は,かなり少ない。今ある資源の1%以下じゃないかと思うくらいだ。(ラリー・ペイジ p205)
 テクノロジーは人間から何かを奪ったりはしない。金も仕事も,奪うのは人間の思考だ。お金はもうすでに大量に有り余っていて,人が働く必要は急速に消えつつある。テクノロジーは,その真実を明らかにしているのだ。(p205)
 テクノロジーのお陰で,人間が汗水垂らして働かないといけない場面は,どんどん減っている。ということはお金の出番が減っている。以前ほどには,ありがたくなく,投じた手間や苦労を,ねぎらってくれるものでは,なくなっているのだ。(中略)お金の価値は下がっている。今後も下がっていくだろう。そんな社会で,豊かになれる人は,どんな人だろうか? 答えはひとつ。お金との交換ができない独自の価値基準を持っている人だ。(中略)ノウハウやプレミアムなスキルなど,他の人が簡単には入手できないものを,装備すること。すると,お金では代替できないモテ価値が生じるのだ。(p206)
 役に立たないことをしている人に価値が生まれ,仕事が集中する。ダイナミックな価値のパラダイムシフトが起きている。この変化を,受け入れてほしい。(中略)金儲けを考えている時代ではないのだ。(p210)
 設備投資せずに人間にやらせている無駄な仕事が,昔は本当に多かった。ニュースなどのアーカイブ映像で見ると,昭和のサラリーマンの仕事の大部分は,めちゃくちゃ無駄だったと思う。みんなよく耐えたものだ。(p212)
 21世紀以降はIT技術が発達した。(中略)「機械の代わりに人が働く」時代から「人の代わりに機械が働く」時代への移行だ。(中略)人間はロボットにはできず,人間だけができることをしないといけなくなった。それは何か? 遊びである。(p213)
 「食べていくために」安い仕事で我慢している人たちが,実は経済発展において,大きなネックだ。低い待遇で働こうという集団がいる以上,労働単価は上がらないのだ。(中略)すごく迷惑な存在だ。(中略)安い賃金で,いやいや仕事をしている人は極端な話,社会の発展を邪魔していると思ってくれた方がいい。(p214)
 大切なのは「他人の時間」に生かされるのではなく,「自分の時間」を活きる意識だ。(中略)誰もが,永遠の時間を持っているわけではない。まず「いまここ」の時間を使い方を大事に考えないとダメだ。(p216)
 自分の魅力での成功体験が少ないと,通貨主義というか,お金に拘泥してしまうのも,まあわかる。(中略)お金換算で物事を考えがちな人ほど,モテない属性に固定される。(p221)
 非モテは,評価経済社会で,ふるい落とされるといのは誤解だ。動き出しが,足りない。評価経済社会だろうと通貨主義社会だろうと,動かない者が負けるという真理は変わらないのだ。(中略)ヒゲはきちんと剃るとか,その程度の動き出しでいい。(中略)ちょっとの勇気で,ちょっとの行動を起こす。その一歩は,見た目の何倍もの距離へ歩み出すことになる。そうした小さな変化は,また次の変化を呼び,評価・信用に繋がる好循環になっていくと保証しよう。(p223)
 批判的な人は,同じようなコミュニティの中で閉じ,受け入れる人たちは,よりオープンな世界へ飛び出していく。その二極化は,進んでいくだろう。(p234)