2021年2月17日水曜日

2021.02.17 和田秀樹 『60歳からの勉強法』

書名 60歳からの勉強法
著者 和田秀樹
発行所 SB新書
発行年月日 2018.11.15
価格(税別) 820円

● 「勉強法」というタイトルになっているが,いわゆる勉強(本を読んでする座学的なもの)はもうそんなにやらなくてもいいんじゃね? という内容。
 書斎の人になってはいけないと説く。そうではなくて,どんどん外に出なさい,人に会いなさい,と勧める。
 外に出るのはともかく,人に会えと言われるのは,ぼく的には少々辛いな。人間恐怖,人間嫌い,の気があるのでね。

● 以下に転載。
 新しい知識を欲することは決して悪いことではありませんが,つねに「自分は知識の不足状態にある」という思いにばかりとらわれているということではないでしょうか。(p22)
 もともと勉強の目的が,何かの資格を取るとか,どこそこの大学に入るといった,コンクリートな目的の人が多いのがこの国の特徴です。そのため,初期の目的を達成してしまうと,自分がいかにも賢くなったような錯覚に陥って思考力を鈍らせ,そこから先のバージョンアップを怠るケースが多々見受けられます。(p31)
 たとえ80歳の老人であっても,「生きている限り昨日より今日,今日より明日のほうが賢く頭を使えるようになる」ことにこそ,意味があるとわたしは思うのです。(p31)
 芸人でクイズチャンピオンという人がいますが,たしかにものは知っているのでしょうが,肝心の本業の漫才がちっとも面白くない。つまり知識量はチャンピオンになるくらいあるのに,知識の加工能力がきわめて低いため,芸にいかすことができず伸びていかないわけです。知識の加工能力がないという時点で,わたしなどは「ものは知っていても,頭悪いな,この人」と失礼ながら感じてしまうのです。(p37)
 わたしたちに必要なのは,知識をふまえて,どのように「自分独自のものの見方,考え方を展開できるか」,つまり「知識を思考の材料としてどう活用できるか」,そのことに尽きるのです。(p38)
 知識の多さを賢さの証しとして称賛しがちなこの国では,同様に常識(定説),理論・学説などについても,何ひとつ疑うことなく,絶対的真理として信奉してしまう傾向がしばしば見られます。(p39)
 いわゆる知識と言われるものは,「とりあえずいまの時代のこの状況では,こう考えられていますよ」ということにすぎず,つねに新しいものに入れ替わっていく。(中略)どんな高名な権威が提唱する説であっても,それがその分野の最終回答ではないということです。(p41)
 (アメリカでは)ある説を聞いたとき,「ああ,そうだったのか!?」的な納得の仕方をするのは,初等中等教育レベルの人間とみなされ,知的な人物ではないと判断されます。(p42)
 知識は所有するためにあるのではなく,使用するためにある。(p65)
 中高年以降でも記銘,保持には大きな問題は生じませんが,低下が指摘されるのが想起です。(中略)想起力を維持するためには,アウトプットを繰り返しながら記憶を定着させるのが有効な方法です。(p69)
 ものごとについての判断基準が,その説の妥当性ではなく,「誰が言っているのか」という人的要素に置かれる考え方を「属人思考」と言います。これはじつに危険な態度です。当たり前のことですが,ある人が言うことがつねに正しいということはあり得ません。(p71)
 自分が好意的に捉えるある特定の人物,ある特定の説ばかりを深堀りして勉強したつもりになっても,多くの場合,その説をなぞっているだけで思考しませんから,決して賢くならないのです。(p72)
 自説の正当性を信じて疑わない人は,新しい視点からの意見を受け入れることができません。自説とそれを支えてきた過去の学説が,あたかも宗教のような性格を帯びてしまう。これはアカデミックな世界に非常に多い現象です。(p75)
 多くの日本人はこの世に「唯一の正しい答え」があると信じ,これを追い求めてきました。つねに誰かが「これが正しい答えですよ」と提示してくれなければ不安になってしまうという,認知的成熟度の低さとあいまって,唯一絶対と思えるものにからめとられてきました。(p78)
 勉強とは生きるための目的ではなく手段です。勉強したことを自分の強みとして,いかに人生を豊かにしていくか,楽しくて幸福なものにしていくか。そのために使ってこそ価値があるのです。(p79)
 勉強にしろ仕事にしろ,何かことにあたる際,多くの日本人は方法論の重要性に対する視点が欠落しています。ですから,方法論をすっ飛ばして,いきなり本題に取りかかってしまうのですが,これではうまくいかない確率が高まるのも無理はありません。(中略)なぜか方法論を軽視するだけでなく,テクニック的なことに対して批判的に捉える人が少なからず存在します(p87)
 いちばんの問題は,一向にうまくならないいまのやり方を疑うことなく,そのやり方を踏襲したまま,練習回数の増量という根性論で乗りきろうとした点です。(中略)まずい方法論をとっている以上,練習量を増やしたところで,疲労がたまって嫌気がさすというのが行きつく先です。(p88)
 望むように結果が出せないとき,「どうせ自分はバカだ」と決めつけるのは非常に短絡的ですし,誰も幸せにはなりません。少し手間でもここは面倒がらずに,方法論を探して試すことに時間と労力を向けるべきでしょう。(中略)ラクをしようと思うことで工夫が生まれるものですし,これがやり方の探求の端緒になるのです。(p89)
 あくまでも自分が楽しく続けられることを追求するなら,まず自己分析を怠らないことがルールです。(p96)
 人生を豊かなものにするには,自分の好きと得意を起点とするのがコツです。(p97)
 世の中には何ごとにつけ,人の真似をするのではなく,自己流の追求にこそ価値があると考える人がいます。(中略)偏狭な無手勝流にこだわることは,わたしにはかなり愚かなことと映ります。(中略)いくら自分の頭を振り絞ってみても,スイスイできてしまう人のやり方を独力で編み出すことは不可能です。(中略)方法論こそ他人から学べるものなのです。(中略)方法論を編み出すことが目的ではなく,方法論を用いて人生をより楽しめるようになることが本当の目的だという点を,心に留めておいてください。(p97)
 日本人は簡単にベストな方法や答えを得たいという気持ちが強いですから,方法論にしても,「これがいい」と太鼓判を押されると,それにいつまでも縛られて別の方法を試すという発想がもてません。しかし,どんなに偉い人が勧めている方法であっても,自分に合っていないのであれば,さっさと見切りをつければいいのです。(p106)
 私が彼(伊能忠敬)の生き方のなかで強い感銘を受けるのは,自分よりも20歳も年の離れた天文家を師匠としたところです。(p111)
 自分が志す道について,わかりやすくガイドしてくれる人がいると,格段に進歩します。(中略)ここで言う師匠は,直接会って教えを乞うという関係だけに限りません。直接会うことがかなわない場合でも,自分で「この人を師匠としよう」と決めてしまってもいいのです。(中略)いまの時代でしたらSNSでコンタクトを取ることも可能です。(p111)
 人生の充実度を上げ,楽しく生き抜くために必要なものなのに,ほとんどの人が見落としているものがあります。それが「ロールモデルの設定」です。(中略)ロールモデルとは,ある役割を担う見本や模範となる人を指します。わたしたちが人生を歩むにあたっては,こうした目標にできる人の存在効果は絶大です。(p113)
 わたしたちは「学ぶのは失敗から」と思いがちですが,それに劣らず大切なのは,「成功から学ぶ」という姿勢です。(中略)成功要因の分析は,自分の経験だけを対象とするものではありません。(中略)自分より先を行く人たちの成功要因をきちんと分析してみる。(p118)
 あらゆる学びの基礎となるのが読解力です。(中略)巧妙につくられたフェイク情報の審議を見極めるにも,まずは読解力が求められます。読解力の有無が,情報を理解して使える人と情報に騙される人を分けていくのです。(p122)
 「定年・書斎・独学」という3点セットは,いささか古すぎる考え方かもしれません。(中略)書斎にこもりきって自分だけの閉じた世界をつくり上げるのではなく,「もっと外に出よう」「もっと人と会って議論を重ねよう」「もっと多彩なアウトプットを楽しもう」という考え方が肝心です。(p126)
 さまざまな現象に遭遇したとき,既存の知識とのズレやぶつかり合いが起こって,それが思考の契機となるはずです。(p129)
 ドラえもんは言わば「あなたの夢,叶えます」を生業にしているわけですが,そもそも「あなたの夢」がなければ失職してしまう。(中略)ものごとを生み出す源泉となる「わたしの夢」を見出だせるかどうか,つまり問題発見できるかどうかは大きな問題です。(p138)
 無意識のうちに,「唯一不変の正しい答えがあるはずだ」という思い込みがあるからこそ,答えが与えられない状態や不確定な状態,いわば宙ぶらりんの状態に耐えられない。ですから,マスコミが垂れ流す説の真偽もたしかめず,安易に飛びついてしまう。(p144)
 「考え不精の正論好き」人間であふれています。(中略)残念ながら知的成熟度が低いと言わざるを得ません。そもそもつねに変化を続け混沌としている世の中が,たったひとつの答えですっきりと片づくはずはないのです。(中略)ですから,「これぞ正解」「これぞ正論」「ひとつの答えを得たからこの件はゴールに到達した」などと信じて疑わない人は,わたしには愚か者にしか見えません。(p144)
 消費が足りなくて,生産があまっている時代には,生産をしないで消費をしてくれる生活保護の受給者はありがち存在かもしれないのです。(p147)
 日本人の思考に関する得意不得意には,ある特徴があります。それは,数学的な発想ができないという点です。(p154)
 実世界はこのように二分割して単純化できるようなものではありません。むしろ,ほぼ黒と白の中間のグレーゾーンでできていると捉えるべきでしょう。(中略)認知的成熟度の低い人は,ブレーゾーンの曖昧さに耐えられません。しかし,多様性の理解と受容の態度は,このグレーゾーンでこそ育まれるのだということを,みなさんと共有したいと思います。(p166)
 日本人は,原稿をつくるところまでは非常に真面目に一生懸命取り組みます。しかし,リハーサルが決定的に足りないのです。(p175)
 大事なのは話の中身なのに,表面的な技巧を磨くことを優先しがちです。話し方の技巧や伝え方の技巧に関する書籍が結構売れてしまう背景には,「上手に話さなければ」の強迫観念があることは間違いないでしょう。中身に関しても検討は,たいてい置き去りにされてしまっています。(p177)
 頭のなかでの思考段階では,ユルユルと次から次へ考えが連鎖していきます。それは,書き言葉でもなければ話し言葉でもない。言わば流動的な状態です。この流動的な思考を,どう人に伝える形に整えるか。ここが非常に大事なポイントになってきます。もっとも重要なポイントは論点を明確にすること。これに尽きます。(中略)人に話す前にメモ書きにして,客観的に思考の産物を眺めてみるというのが,手軽でいい方法です。(p185)
 男性というものは,どうも年齢が上がるにしたがって,依怙地になったり,一方的に話したり,どこか人から嫌われやすい要素が目についてきます。(中略)「中高年男性のどのようなところが嫌いですか?」という質問をすると,どの年代の人も,「上から目線で蘊蓄ばかり垂れる」点を指摘してきます。(p193)
 それなりに人生を歩んできた方が,少しも見栄を張らずに素直に「これってそういうこと?」「自分はこういうこと,よくわからないんだけど,教えてくれる?」と尋ねてくれたとき,その相手は自分に尋ねてくれたことを嬉しく思うものです。(中略)なぜなら,何歳になっても素直にものを尋ねられるその姿勢に,人はある種の感動を覚えるからです。(p196)
 こうした脳の萎縮は,女性に比べ男性のほうが顕著です。(p206)
 前頭葉が十分に成熟するのは,20代前半頃です。しかし,(中略)老化現象である萎縮が目立ち始めるのが40代。ベストの状態をキープできるのは,意外にも短期間です。(p210)
 自分の外見にまったく関心がなく,いつもくたびれた格好をしている男性も相当数存在します。意欲減退からくる自己に対する無関心は,やがて容姿容貌までをも老け込ませていきます。(p212)
 古来からの老境の理想像のひとつに,「枯淡」という言葉に象徴されるような生き方があります。(中略)じつはこのような生き方は,脳科学や精神医学の見地からは,あまりお勧めできるものではありません。欲望と言うと,性欲や出世欲,金銭欲など,生々しいイメージを抱く人も多いかもしれません。しかし,それらも含め,欲望とは生きること全般にかかわるエネルギー源と捉えていただければと思います。(p219)
 前頭葉が思考・感情の切り替えスイッチをさかんにはたらかせるのは,どういう生き方でしょうか。(中略)まずひとつめには,複数の楽しみを同時並行的に展開する生き方を挙げましょう。(p224)
 体を動かさず座ったままラクをして,日々を充実させることはできません。(中略)前頭葉にいやがらせをするような生き方にほかなりません。(p226)
 前頭葉対策は,感情の老化・劣化が始まる前から取り組まないと効果が半減します。(p229)
 半減どころじゃないんじゃないか。感情の老化・劣化が進んでしまっては,対策に取り組もうという意欲も湧いて来ないだろう。
 本書も定年後の勉強や過ごし方について指南しているわけだが,この指南を定年時に知ったとて,できることはそんなにないと思う。定年時にすでに勝負はついているというのが,ぼくの考え方だ。
 だから,『60歳からの勉強法』は40代で読んでおかなくちゃいけない。つまり,本書の読者対象は60歳ではなくて40歳の壮年者ということになる。
 不安や悩みというものは,自力で解決しようとして抱え込んでいると,かえって心のなかでふくらんで,いっそう不安感を駆り立ててしまうという特徴があります。(p237)
 本を読んで,そこに書かれた知識をひたすら注入するより,生き方を変えるほうがはるかに頭がよくなる人が大勢います。とくにこれまで十分知識を注入してきたり,人生体験を積んできた人はそうです。(中略)頭をよくするだけが勉強の目的でなく,頭が悪くならないために勉強するなら,知識を詰め込むより,生き方を変えたほうがよほど結果がいいはずです。(p239)

0 件のコメント:

コメントを投稿