書名 50歳すぎたら,「まあ,いいか」「それがどうした」「人それぞれ」でいこう
著者 弘兼憲史
発行所 幻冬舎
発行年月日 2018.08.25
価格(税別) 1,100円
はるかな昔,受験生だった頃は合格体験記をよく読んでいた。合格者の軌跡を辿っていると,自分も勉強して合格したような気分になれたからだ。
もちろん,合格体験記を読んで合格できれば極楽中の極楽なわけで,たいていは論語読みの論語知らずに堕ちるだけのことだ。参考書や問題集は何がいいかとか,そうした情報には詳しくなるが(ただし,それが自分に合うかどうかは考えもしない),参考書や問題集を開くことはないのだから,結果において合格することはない。
● 長じてからも同じようなことを繰り返している。高齢期になって “老後の生き方” 本を読むのは,典型的にそうだろう。
こういうのを読んだからといって,合格できるとは限らない。実際に自分が老後をどう生きられるかは,こういうものを読むかどうかとは別のところで決まるだろう。
● ので,“老後の生き方” 本を読むのがあまりいいことだとも思っていないのだが,17歳の魂は65歳になっても続いているということですなぁ。
まぁ,本はすべからく,ビジネス書や自己啓発本もそうだが,読み物として面白ければそれでいいのだ。数時間を面白く過ごせればそれでいいのであって,その上に読書を何かの役に立てようとするのは,欲が深すぎるようにも思う。
● 以下に転載。
面白く生きる。それが後半人生の基本だと僕は考えています。(中略)面白いことを見つけて,それをやることが,面白く生きることではないのです。どんなことも,何だって,面白がってやる。そこに面白く生きる人生があるのです。(p3)
面白そうに,楽しげに,人生を送っている人もいるし,しかつめらしい顔が定番で,「人生苦悩だ」みたいな風情の人もいます。しかし,抱えている状況はたいしてちがいがなかったりする。(p13)
自分で目標や課題をいっぱいつくって,それを達成するためにがんばる,というのも,案外,人生をつまらなくするのだ,と思います。(p14)
状況にのめり込むからつらさが増すばかりとなるのです。状況から距離を置いて,客観的に眺めてみると,いろいろな方策が思い浮かんできたりするものです。(p15)
どうせ楽しみなんかない,と塞ぎ込んでいたり,人生楽しくなくたっていい,と投げやりになっていたりしたら,ほんとうにその通りの人生になってしまうのだ,と思います。(p24)
躊躇したり,迷ったりなんかしていないで,やりたいことはやったほうがいい。失敗したっていいじゃないですか。人生は片道切符です。行った道を戻ってくることはないのです。戻ってくるのであれば,失敗の苦さを,飲んだ煮え湯を,折り返してきて,また味わわなければならなくなりますが,片道切符にその心配はありません。(p27)
美しさの源泉は,人への気遣い,そして何より感謝の思いでしょう。最後に感謝を思う人生,感謝しながら死んでいく人生は,美しいのです。感謝の思いと繋がっているのが納得感だという気がします。「あれもやった。これもできた。やり残したことはない」 そんな納得感があったら,感謝の思いが湧いてきます。(p39)
「笑顔」は人生を楽しむうえで,人生を面白くするうえで,重要な要素だと思います。笑顔がチャーミングな人のまわりには,たくさん人が集まってきますし,その場の雰囲気も和やかなものになります。(中略)あえて僕はいいたいのです。「つらいときこそ,無理して笑顔をつくろう」(中略)もちろん,無理やりのつくり笑顔です。しかし,それでその場は剣呑な空気になることから,かろうじて救われる。(p48)
何ごともこだわると面倒くさいし,しんどい。(中略)馴染みの店を一軒くらいもってこそ,大人といえる,なんて考えもあるようですが,僕には面倒くさいとしか思えません。(p53)
人生面白くない,いいことなんか何もないじゃないか・・・・・・。そんなふうに感じている人には,ある共通項があるように思います。人と自分を比べているというのがそれです。(p64)
本来人は孤独なのです。その本来の姿を愉しめばいい。独りぼっちは寂しいというのは,思い込みでしかありません。(p71)
ある分野で傑出した才能を発揮するのがオタクなのです。とくにものをつくり出すクリエーティブな分野では,それが顕著のように思います。(p82)
けっして絵がうまいわけじゃない。(中略)しかし,漫画としての “力” がある。その力の源泉は,おそらく,オタクとしての「熱」なのだ,と僕は思っています。(p83)
クヨクヨするのも,落ち込むのも,時間の無駄です。「まあ,いいか」と諦めて(現実を受け容れて),次なる一歩を踏み出したほうがいい。(中略)気持ちを切り替えて,明日に踏み出したら,そこには別の風が吹いています。(p89)
若い世代には,「何がやりたいか,わからない」という人が少なくありませんが,結局,頭で考えているだけで何もやっていないのじゃないかと思います。やりたいことがわかってからやる,という姿勢ではいつまでたっても動けない。(p94)
どの瞬間も,目の前にあることを全力でこなしていく。刹那主義とはそういうことなのだと思いますし,その意味ではぼくは刹那主義者です。人生が一〇〇年に延びようと,それが刹那の積み重ねである,という基本は変わりません。(中略)常に目の前のことに本気を出して取り組む。それ以外に本気の出しようなんかないのです。(中略)じつはそのことが,人生を楽しむことに,人生を面白く生きることに繋がっている。(p104)
肝心なのは笑顔です。もの怖じせず,はっきりものをいうのはいいですが,そのとき仏頂面だったら,ただの “小生意気な若造” になってしまいます。笑顔が加わってはじめて,「爺殺し」の三種の神器が出そろうことになる。(p142)
いわゆる,費用対効果ですが,たとえば,遊びでもこれを考えないと,中身が薄いものになるのです。(p164)
夢をもつのは美しいこと,もたないのはロマンに欠ける,といった風潮があるようですが,これにも僕は反対です。(中略)夢をもっていないということは,現実に立脚しているということでしょう。(p170)
遊ぶ子どもの声に感動を覚えるのは,子どもたちが無邪気に,心底,遊びに打ち込んでいるからでしょう。これが遊びの真髄。余計なことは考えず,とことん打ち込んでこその遊びです。(p197)
文豪たちが原稿を書いている写真を見ると,太い万年筆の真ん中あたりをおもっている人が多い。ペン先に近い根元をもつよりかっこいいのです。なんともサマになっているあの執筆姿は,やはり,万年筆ならではでしょう。(p207)
心配事や悩みのほとんどは,どうでもいいことか,どうしようもないことではありませんか。(中略)そのとき問題がなければ,健康の心配などどうでもいいことだ,と僕は思っています。(中略)どうでもいいこと,どうしようもないことは考えない。というより放っておくのです。そして,今日(いま)を楽しむことに全力を傾ける。くよくよするのは考えることで,それに縛られるからです。(p221)
僕がいっている楽しく生きるということの意味は,楽しいことをするということではありません。することを楽しむということなのです。(p223)

0 件のコメント:
コメントを投稿