2023年4月9日日曜日

2023.04.09 下川裕治・中田浩資 『沖縄の離島 路線バスの旅』

書名 沖縄の離島 路線バスの旅
著者 下川裕治
   中田浩資(写真)
発行所 双葉社
発行年月日 2022.09.18
価格(税別) 1,750円

● コロナ禍で打撃を受けた業界というと,飲食,宿泊,旅行業界というのが定番になるが,旅行作家も仕事ができなくなったはず。あるいは,仕事がなくなってしまったはず。
 半世紀前なら本を出して,その中から文庫本になるのが10冊あれば,どうにか印税で喰えると言われていたらしいのだが,今はそんなわけにいかない。文庫も絶版になるし,賞味期限が短くなった。それ以前に文庫が売れなくなった。

● だから,新刊を出し続けなければいけない。コロナで身動きが取れなければ,新刊の出しようもない。けっこう以上に辛い状況だったのではなかろうか。
 現在,日本を代表する旅行作家といえば,沢木耕太郎さんのような大御所もいるけれども,下川さんが代表格ということになるのではなかろうか。その下川さんにしても,お座敷はだいぶ減ったのではなかろうか。

● “お家時間” が増えた分,本を読む人が増えたとは思えない。読む人は状況のいかんに関わらず読むし,読まない人は読まないからだ。
 コロナ禍は事実上過ぎ去ったといえる状況になったが,従来の延長線上に仕事があるのかどうか。何を書けばいいのか,どう書けばいいのか,を模索しなければいけなくなっているのではないか。今までだって模索はあったに決まっているのだが,深刻さの度合いが深まっているだろう。
 と,勝手な想像を巡らせている。大きなお世話だろうな。

● 以下に転載。
 僕は長く沖縄とつきあってきた。その間に目にしてきたことは,猛烈な早さで進む本土化だった。沖縄らしさが次々に失われ,日本の一地方に変貌しつつある。(中略)しかし沖縄の離島の路線バスに乗って,なにかが吹っ切れた。沖縄の路線バスは,とことん沖縄だったのだ。(p3)

 沖縄の本土化を促進した最大要因はいわゆるIT革命でしょうね。常なるパンクチュアリティーを,ITが人間に要求する。これはもう地域の特性だの何だのお構いなしで,あらゆる地域,あらゆる業種を忙しくした。

 「このくらいなら歩けよ」という気分になる。沖縄の人たちは歩くことを嫌うが,ゆっくり歩いても二分なのだ。(p15)

 沖縄ではヨモギをよく食べる。本土でもヨモギは食べるが,(中略)火を通す。しかし沖縄では生でそばに載せてしまう。この食べ方を目にしたとき,日とナムのフォーとつながった。ベトナムでも麺に生のハーブを載せる。(中略)沖縄料理は生のハーブを通してアジアにつながっていた。(p20)
 沖縄生まれの若い女性の,「沖縄そばはおじさんの食べ物というイメージ」という声を聞いたときは,僕自身,少々うろたえた。(p34)
 沖縄の人は皆,泡盛ばかり飲んでいた。(中略)沖縄はそいういう土地だと思っていた。それがブームというものの怖さだと知ったのは後のことである。(中略)いま沖縄の人たちは,沖縄そばから離れ,ハイボールのグラスを手にする。それは無理などせず,好きなものを口にするようになっただけのことではないのだろうか。(p35)
 宮古島の路線バスは,始発と終点を単純往復するのではなく,途中からぐるりと一周する周回路線が多かった。(中略)つまり,終点という発想ではなく,目的地によっては,かなり遠回りをして到着するという乗車法になる。(p39)
 宮古島のバスの乗りつぶしを面倒にさせている理由のひとつが,バスターミナルがないことだった。ターミナルがあれば,そこを軸にして乗り尽くしていく順を組み立てていくことができる。しかしそんな拠りどころがないと,どんな組み合わせもできるようで,いざ実際のルートを考えるとすぐに行き詰まってしまう。(p40)
 端数もちゃんとあるから,「まあ,九百円ぐらいにしておくか」といった金額ではない。沖縄の人は,こういう面では本土以上に律儀な面がある。いい加減に映るのは,元の構造が杜撰ということが多い。(p70)
 どうしてそういうことを考えるわけ? 宮古の人は誰もそんなことは考えんよー。運転手が口にした運賃が運賃さ。(p72)
 カレー粉と合成酢。これは昔ながらの食堂であることを示すアイテムだと思う。(中略)料理人はこの味変を素直に受け入れられるのだろうか。(中略)料理人は完成品としてひとつの料理を出すはずだ。麺料理なら,麺とスープの微妙なバランスが味を左右する。それを客が勝手に変えてしまうというのは,料理人には失礼な行為に映ってしまう。(中略)ところが沖縄では,味変はあたりまえのように行われていた。(p74)
 これは本土でもあたりまえのように行われていたし,今も行われているのでは。高級レストランは別にして,B級グルメ的な食堂では最後の味はお客が作るのが普通だ。沖縄に限ったことではない。
 さすがに本土ではカレー粉と合成酢ではないだろうけど,味変を許さない食堂はないのでは。
 沖縄のウィルスへの怖がり方というか警戒の温度は,日本のほかの地方とは違っていた。沖縄本島と離島の間にも温度差があった。動きが遅い沖縄本島に比べ,離島の人たちは敏感だった。(p77)
 島の外から入ってくるものへの警戒心。それと同時に,外来文化を積極的にとり込んでいく顔。沖縄は常に,そのバランスの中で生きてきた。(p79)
 長崎に代表される出島という発想は,江戸時代の鎖国体制を下敷きにして語られることが多い。しかしウイルスや細菌が引き起こす感染という視点を当てると,ある種の水際対策という解釈もなりたってくる。(p80)
 深く考えないこと・・・・・・。これは沖縄ではよくあることだった。彼らには悪気はまったくない。むしろその逆で,利用者へのサービスとしてはじめたのだろうが,その先の詰めが甘いから,矛盾が生まれてしまう。いや,そう思うのは本土からやってきた人たちだけで,島では,そよそよと暖かい風が吹いているだけなのだが。(p93)
 こういう生き物(イリオモテヤマネコ)がいる島の人たちは愚痴っぽくなる。(中略)「この島じゃ,人間より,イリオモテヤマネコのほうが大事さ!」
 泡盛の酔いがまわると,そんな冗談をよく耳にする。(p114)
 本土では,アメリカ軍の基地や施設に忍び込み,食料や薬などの物資を盗みだしたという話はあまり聞かない。しかし,沖縄では,アメリカ軍基地から物資を盗むという状況が起きる。それは危険な行為だったが,彼らはそうやってアメリカと戦ったのである。(p136)
 大変なことを先にすませるか,簡単なものから攻めていって最後にあたふたするか・・・・・・。僕はやはり後者なのだろう。こういう性格だから旅をつづけてきた気もする。旅というものは計画通りにはいかない。しっかり計画を立て,それをこなしていくことに快感を得るようなタイプはストレスが溜まる。厄介なことは先送り・・・・・・その精神だと思う。(p144)
 石垣島は沖縄本島や宮古島などから移住した人が多い。沖縄のなかの合衆国のような島である。その気風は沖縄本島に通じるところがある。石垣市はミニ那覇の雰囲気すらある。(p145)
 沖縄の人たちにとっておでん屋は,完全に飲み屋である。(中略)が,最近,少し様子が違う。若い女性ふたりの観光客やカップルを,かなりの確率で目にするのだ。(中略)常連客は,「俺たちの世界にずけずけ入ってくるなよ」といいたい空気を背中で発信している。しかし若い女性やカップルは,そういう雰囲気に無頓着だから,ガイドブックに書かれていた「絶品おでん」といった見出しを頼りに,繁華街の路地に分け入ってくるわけだ。(中略)流れはもう止められないことも知っている。(p178)
 沖縄本島と離島の距離感を,本土にあてはめたら,隣の県への距離以上あるんです。(中略)それが離島の距離感なんです。新型コロナウイルスへの対応を考えたら,本土の各県が独自の宣言を出すのと同じなんです(p180)
 台風が去った沖縄の海は穏やかだった。沖縄の海はたまに,海の神様が休養をとっているのではと思うほど静かになることがある。(p183)
 沖縄でのんびりしたいといっても,日程をたてるのは自宅である。その時点では本土の空気や仕事といったものの時間間隔に支配されているから,伊平屋島まで,バスとフェリーで片道四時間半と耳にすると,どうしても敬遠してしまう。(p206)
 この離島度がコロナ禍では,渡航規制に影響する。渡航規制は主に観光客に向けて出されるものだから,離島度が高い島ほど,規制の解除が遅れることになる。観光客の渡航を止めても,島の経済にそれほど影響はない。それよりも島民の感染を防ぐことにシフトしていく。(p207)
 本土からやってきた人は,アジアの屋台文化が沖縄にもあるようなイメージをもつ傾向がある。そのなかで生まれたスペースが『国際通り屋台村』という気がする。そう,本土の発想で演出された沖縄・・・・・・。沖縄の人たちは,冷房のない野外での飲み会があまり好きではない。(p265)
 沖縄料理のひとつの特徴。それは揚げることだと思う。(中略)焼くという料理法が省略されてしまっている気がする。(p267)

2023年4月8日土曜日

2023.04.08 ひろゆき 『なまけもの時間術』

書名 なまけもの時間術
著者 ひろゆき
発行所 学研プラス
発行年月日 2020.04.21
価格(税別) 1,300円

● 副題は「管理社会を生き抜く無敵のセオリー23」。生き方のコツを説く。
 頭の中で捏ねくって作ったものではなく,実践の積み重ねがあるのだと思う。それゆえ,こちらに抵抗なく入ってくる。

● いや,著者はそういうふうにしか生きられない性格の人だったのだろうと思える。だから,著者の説くところを実行できるかどうかは,意思よりもその人の性格によるかもしれない。
 ぼくは,著者がそれではダメだという生き方をしてきてしまったと思う。それではダメだということがわからなかったわけではないが,わかっているように気持ちを動かすことができなかったのだ。

● 以下に多すぎる転載。
 以前,友人が「舌を肥やすな,飯がマズくなるぞ」なんて言っていて,そのとおりだなと思いました。たしかに,おいしいものを食べれば食べるほど,普通のものを食べたときに,特に「おいしい」と感じなくなります。(中略)僕は極限までお腹が空いてから食べるので,たいていのものはおいしく食べられます。小さなことですが,そういうところでも,僕は幸せを感じる時間が多いんじゃないかと思います。(p23)
 人間の脳は,頭を使わない単純作業をしているときのほうが,思考しやすいようにできています。だから,わざわざ考えるための時間を確保しなくても,歩いているときや電車に乗っているとき,(中略)いろいろ考えることはできるのです。(p28)
 「もう起きていられない」というギリギリまで起きていて,ガッと深く寝たほうが,あまり眠くならない状態で眠りに入るより,僕の性にあっているみたいです。(中略)1日の終わり,せっかく自分だけのために使える時間を,「値落ちするまで好きなことをして過ごす」っていうのも,案外いい方法なんじゃないかと思います。(p34)
 世の中で快適に生きていきたいなら,「自分だけの価値を生み出すこと」や「優先順位を意識して動くこと」をよく考えたほうがいいんじゃないかと思います。(中略)前もって決めた予定どおりに,ただ仕事をこなすだけというのは,むしろ,何も考えていない人がやることなんじゃないでしょうか。(p42)
 僕が思う「頭を使う」というのは,「どれくらい集中力を切らさないでやるか」ということです。(中略)そう考えると,ある意味仕事ってぬるいですよね。究極のことを言えば,仕事は頭を使わなくてもできるものだし,頭を使ってするべきものでもない,という気がするのです。(p44)
 僕自身の経験としては,過度な思い入れを持たず淡々と作業をこなすほうが,仕事としてのクオリティはかえって高くなる傾向にあるように思います。(p49)
 たとえば機械などでも,多機能で複雑なものと,ボタンひとつで最低限の操作ができるものがあれば,機械いじりに頭を使いたい人は多機能型を選ぶかもしれない。でも,しょせんそれは少数派で,多くの人は操作に頭なんて使いたくないから,ボタンひとつですむほうを選ぶはずです。ここで機械好きが,機械好きの頭のままモノを作ると,往々にして自分と同じ少数派にしか受け入れられない製品を作ってしまいがちです。機械に限らず,モノやサービス作りの失敗の多くは,そこが一大原因だったりします。(p51)
 もしも仕事に行き詰まったら,いっそ遊びに頭脳のほとんどを使って,その余力で仕事をするくらいに考えたほうが,じつは,ちょうどいいのではないでしょうか。(p52)
 収入が多い仕事のほうが面白みも大きいものです。(中略)収入が高い仕事ほど,じつはそれが嫌いでやっている人などはいなくて,それがすきでやっている人だらけなのです。(p54)
 こうして趣味が仕事につながっている理由を考えてみると,人よりかなり多くの時間を「好きなこと」に費やしているから,とは言えるかもしれません。世の中の大半の人が映画に時間を割かないのだとすれば,それは僕にとってのチャンスです。(中略)僕の場合,ゲームや映画,マンガに関しては,ちょっと他人には真似できないくらいの時間を費やしていて,それだけの情報を持っているという自負があります。(中略)とにかく僕の基本は,毎日,やりたいことをやっているだけなのです。そこで,特に付加価値をつけようとは意識していない。ただ,やりたいことをやっているがゆえに,他の人が費やせないくらい長時間やり続けることができて,それだけ情報も蓄積されるという点が,自然と価値につながっているみたいです。(p56)
 今あるものに乗っかるっていうのは,自分じゃなくてもできることです。そういう誰にでもできる仕事を続けて,人生の時間を切り売りしている限り,何も手に入らない。お金を稼げないことはもちろん,自分だけの技術とかセンスも磨かれません。(中略)人の手の平の上で動くのではなく,自分で一から作り上げるということです。同じ人生の時間を使うんだったら,そのほうがお金もたくさん稼げるし,何より自分自身が楽しいですよ。(p64)
 トルコのことわざに,「明日できることは,今日やるな」というものがあります。(中略)本当は1時間で終わるはずの仕事でも,締め切りのずっと前に始めると,ダラダラと3日くらいかけてしまったりします。(中略)1時間間に着手し最大馬力で完成させれば,そんなムダな時間が丸ごと浮くわけです。(p70)
 失敗の記憶は色濃く残るものです。だから,自分の能力値と予測の精度を上げるためには,「この手のことは1時間でできる」と見込んでいたところ3時間かかってしまって怒られた,といった失敗の経験も大事だと思います。(p74)
 人間心理として,やるべきことがあったときに,自分の好きなことをやっていると罪悪感が出てきます。だから,自分を甘やかすと「さすがに,そろそろ取り掛からないとな・・・・・・」という罪悪感が湧いてきて着手できるのです。さらに,「着手すること」にはストレスを感じがちですが,「いったん始めた行動を継続すること」は,比較的ストレスなくできるという心理作用も働きます。(中略)「継続したほうがトクだ」という心理が働くわけですね。(p77)
 意外に思われそうですが,僕は,メールなどの返信は早いほうなのです。なぜなら,即レスのほうがひと言ですむから。(p80)
 後回しにすると,いったん読んで理解したことでも,「もう一度思い返す」という二度手間が発生する。これも面倒だし,時間のムダですよね。(p82)
 現代の技術の効率性をもってすれば,昔と同じ仕事量をわずかな時間でこなせるはずです。それなのに,なぜか人類は,1世紀以上前と変わらず1日8時間働いているのです。(中略)多くの人が必要ないものを買ったり,お金がかかることに楽しみを見出したりするようになったため,「もっとお金を稼がなくてはいけない」というループにはまっているのだと思います。(p88)
 僕自身は,あまりタクシーには乗りません。むしろ電車移動のほうが自分に合っていると思います。電車の中には,不特定多数の人が発する情報が,絶えず飛び交っているからです。(中略)電車ほどバリエーション豊かに他人の雑談を聞ける場所は,他にないかもしれません。居酒屋だと酔った大人しかいないし,ファミレスだとママ友くらいでしょうか。(p91)
 しょせん時間には限りがあるわけだからその中で得られる成果には限界があります。本当は,できるだけ時間をかけずに,より多くの成果を上げたほうがいいわけで,時間と成果を比例関係で捉えていること自体が間違っているんじゃないか。(p94)
 人を雇うコストを補って余りある利益が見込めるのなら,人を雇ってでもやるし,その程度の利益も見込めないのなら,自分ひとりでもやらない。(p98)
 とにかくがむしゃらに頑張るとか,無理をどうにか遠そうというのは,そもそも「負け」が確定している中での努力なので,そこは早々に諦めて,さっさと別の勝利条件をそろえたほうがいいんじゃないでしょうか。僕はそう考えるほうなのですが,自分の能力に自信がある人ほど,とっくに詰んでいる盤面をひっくり返せると思いがちです。(p100)
 努力属性の人は,たぶん頑張ること自体を楽しめるのだと思います。(中略)スポーツ的な楽しみが,きっとあるのでしょう。僕からしたら,時間も体力も使うので「嫌だなあ」としか思いません。(p102)
 自分の能力に自信のある人ほど,自分の頭でなんとかしようとするものです。でも,じつは,自分の頭でなんとかしようとしないほうが,むしろ時間的にも内容的にも,うまくいくことが多い気がします。(中略)同様に,自分自身のセンスや経験値に頼りすぎるのも危険だと思います。(p103)
 物事って,努力よりも環境や条件の影響が大きいってことです。(中略)重要なのは個人が優秀かどうか,どれだけ努力できるかどうかではなくて,いかに勝てる波に乗れるかどうかだと思います。(中略)主人公キャラとしての自分の能力は見切ったらどうでしょうか。「自分の努力スキル」には頼らないようにしたほうが,だいぶラクに生きられるようになりますよ。(p105)
 「若いときの苦労は買ってでもしろ」という言葉がありますが,(中略)何の約にも立たなければ,苦しみ損ではないかと思います。(中略)自分が好きで「楽しい」と感じられることをやっていくのが正しいという場合が,本質的には多い気がします。(p118)
 「好きなこと」と「仕事として向いていること」「仕事として成り立つこと」は,両立しない場合も多い気がするのです。(p123)
 現場が自分たちで判断基準を持って決めたほうが,即座に最適解が出る場合が多いのです。(中略)もし僕だったら「断る」と判断するところを,現場の担当者が「長期的に見て利益があるから引き受ける」と判断したなら,そお判断に乗って任せてみたほうがいい。(p130)
 その理不尽なルールに縛られて,ウソひとつつけない人も,ヤバいとまでは言わないけれど,マジメすぎて生きづらいだろうなと思ったのです。(中略)でも,自分の当然の権利を講師するためのウソだったら,それは「手段」として完全にアリなんじゃないでしょうか。(p137)
 ゴルフは打ちっ放しに行って,これは向いてないなと思ったきり,コースに誘われても「いや,できないっす」と断り続けています。(中略)早い時点で見切りをつけて本当にトクしたなと思っています。(p145)
 ありもしない不安に駆られて,大して興味もない資格を取るくらいなら,自分の好きなことでどうにかする方向を探るほうが,楽しいんじゃないですかね。(p152)
 まずは「自分の自由な時間」を作らない限り,他にはない自分だけの価値なんてものをつくり出すことはできないだろうと思います。何より,好きなことがあるのなら,それをする時間が長いほうが生きていて楽しいですよね。(p152)
 日本では美徳とされがちな「自己鍛錬」とかも,僕は時間のムダなんじゃないかと思います。鍛錬を目標にして,やみくもに努力するのって,どんな意味があるんですかね。(中略)コツコツと鍛錬を積むよりも,最初に体験してみたほうがもの覚えはよくなるし,続きやすいというのが人間の習性です。(p166)
 「試行錯誤」もやっぱりムダだと思います。(中略)それよりも,できる人に頼んでしまうのが,一番ムダがなくていいんじゃないでしょうか。(p170)
 迷う必要がないところで迷わない(中略)だから,特にこだわりがなければ,僕は,ひとまず一番安いのを選びます。(中略)最適解を探す必要がないものや,最適解でなくても別に困らないものは,一番安いものでいいと思います。(中略)しかも世の中,意外とそれですんでしまうことが,ほとんどなんじゃないかと思うのです。(p173)
 映画を観るときなんかも,僕は迷いません。そもそも「観たい映画を選んで観る:ことがほとんどないから,迷いようがないのです。(中略)事前情報がないまま行き当たりばったりで観る映画のほうが,面白かったときに純粋に楽しめて,超トクした気分になれるのです。(p178)
 なるべく迷わないように,選ばないようにと考えてみると,最低限のこだわりだけが残るので,人それぞれのマイルールが出来上がって,おりストレスから解放されると思いますよ。(p181)
 他人を変えることなんて,そう簡単にはできませんよ。人には主観というものがあるのだから,感覚も常識も何もかも違って当たり前だし,そこに正解や不正解はありません。ということは,本質的に説得は不可能です。(p184)
 自分の力の及ばないところで決まることは,ハッキリ言って心配しても時間のムダとストレスになるだけで,意味がないと思います。(p185)
 一般の人は,SNSなんて見ないほうがいいと僕は思っているのです。(中略)アップされているのは,他人のキラキラした一瞬に過ぎません。(中略)そもそも誰がどこに行ったとか,何を食べたとか,どんな気持ちになったとかなんて,ぶっちぎりで「知らなくていいことナンバーワン」ですよ。(p185)
 SNSには情報収集という一面もあります。(中略)海外のニュースの日本語版とか,気になる識者や有名人だけをフォローして,情報収集のために使う,というのが賢いSNSとのつき合い方でしょうね。(p187)
 僕は,経験したことがないものは「とりあえずやってみる派」です。(中略)知らない人がいる場なんかにも,けっこう行ってみるほうです。(中略)もう少しオープンであったほうが,面白いことに出会える確率は高くなるんじゃないか。僕はそう考えているのです。(p190)
 僕たちは,こんなふうに「生き残るために考えてきた人たち」の子孫なのです。だから,生存の危機なんてそうそう感じない現代でも,放っておくと,思考が不安や脅威と結びつきがちです。(中略)だったら話は簡単ですよね。感じる必要のない不安や脅威から自由になるには,ヒマな時間を作らなければいいわけです。自分の自由な時間は必要だけど,何もせずムダに考えてばかりいる,ヒマな時間はないほうがいいんです。(p199)
 人は,何かに集中していると余計なことは考えません。(中略)何かに集中すれば,ストレスは一時的にでもゼロにできて,また一からの積み上げになります。(p205)
 生活コストが上がる理由の第1位は,おそらくストレスです。たとえばキャバクラで働いている女性は,赤の他人の酒臭い息を浴びたり体を触られたりと,基本的にストレスが多い仕事です。そのぶん,もらえるお金もおおいのですが,ストレス解消のために高い洋服を買ったりとか,ホストクラブに通ったりするから支出も多くなる。(p215)
 幸せにお金を介在させると,不幸になる確率は確実に高くなります。お金を使うことがそれほど好きでなければ,そんな不幸は最初から味わわずにすむんじゃないでしょうか。だとしたら,「お金があると,お金を使える。すると楽しくて幸せになれる」という魔の公式から,早めに抜け出したほうがいいと思います。(p220)
 特に日本では,「過去を振り返る=イヤなことを思い出してストレスを溜める」というループに陥っている人が多いんじゃないかと思います。寝るときに1日を振り返る人もいるようですが,僕には,ちょっとよくわからない習慣です。(p227)
 騙された経験を延々と悔やんでいるだけなのか,「あそこで騙されたおかげで,もっと大きな詐欺に引っかからずにすんでいる。だとすると,あのときの被害額も,今考えればカスリ傷だ」と思えるか。僕は,完全に後者のタイプというわけです。(p228)
 もし相手を怒らせてしまって,二度と連絡がこなくなったらどうするか。そういうときは,悩むだけムダ,考えるだけムダ。「あ,私を嫌いになるタイプの人だったのね」でおしまいにしたほうがいいのです。(中略)相手に気に入られようとして,いろいろと取り繕ったとしても,いつかボロが出ます。早めに切れてよかったと考えたほうがいいでしょうね。(p231)
 過去を見ている限り未来のことは見えないし,未来が見えなければ,そこでうまくいくことはないと思います。(p235)
 たとえ一文なしになったとしても,誰かが助けてくれるし,ご飯も食べられます。ネットにつながっているパソコンさえ貸してもらえれば,僕は割と楽しく過ごせる気がします。(中略)今感じている不安は虚構なんだと思い込んでみると,トクすることはあっても,損することはない気がしますよ。(p242)
 いくらお金持ちでも80歳過ぎで死にます。時間というのは,基本的に誰であれ公平に与えられています。せっかくの時間なので,自分が幸せになるために使うほうがいいと思うんですよね。ただ,世間の常識とか上司に言われたとか,あなたの人生にはなんの責任も持たない人の意見を重視しちゃってる人はけっこう多い気がします。(p246)

2023年4月7日金曜日

2023.04.07 落合陽一 『落合陽一34歳,「老い」と向き合う』

書名 落合陽一34歳,「老い」と向き合う
著者 落合陽一
発行所 中央法規
発行年月日 2021.12.14
価格(税別) 1,400円

● 著者は「介護業界へのテクノロジーによるアプローチ」(p164)も行っており,本書はその中間報告とでもいうべきもの。冒頭に養老孟司さんとの対談を収録している。

● 副題は「超高齢社会における新しい経済成長」。少子高齢化を踏み越えていく策はあるという確信,デジタルテクノロジーへの信頼が基盤にある。
 ぼくも世の中を変えるものは政治や外交や教育ではなく,テクノロジーだと思っている。テクノロジーを生むのは少数の天才であるから,天才が夜の中を変えるのだと考えている。

● 以下に転載。
 やっていることや周囲に切実な関心がないと,時間が無駄に過ぎていってしまいますよね。(養老孟司 p54)
 僕はジムでトレーニングしてダイエットするのが好きじゃないんです。(中略)身体運動は,自分のなすべき行為の中で行われるべきだと思っていまして。たとえば,日常の中でものを探し回ったり,電車ではなく自転車で移動したりすれば,それが運動になる。こうした手触り感覚を日常のコンビニエントな中でも探していくことで,世界から切り離されずにいられるのではないでしょうか。(p53)
 生死の問題,人生の問題には一般解がないことを,みんなが理解すべきです。具体的なその人,その都度,その場所の問題です。(養老 p74)
 老いや死がきちんと機能しないと,次の世代にバトンが渡されず,社会が硬直化しやすくなるとも思うのです。(p82)
 世界全体の中央年齢が30.9歳であるのに比べて,日本の中央年齢は48.7歳。つまり,「若者」の定義が,世界全体と20歳近くずれているのです。(中略)見方を変えれば,日本は40代前半でもまだまだ「若者」ととらえられる,珍しい国だともいえます。(p109)
 一般的に,介護職は高齢者と家族のような関係を築くことが望ましいといわれがちです。この要請こそが介護職の過重労働につながっているのではないでしょうか。(p134)
 人口減少はあくまで問題の要素の一つであり,わたしたちが「何を目指すのか」さえはっきりしていれば,対処は可能なはずです。イノベーションの多くは「負」を解消するために生み出されてきました。少子高齢化を乗り越える解決策は,必ず存在するはずです。(p166)
 中国が我々と同じような超高齢社会に突入するのは2035年以降だろうといわれています。超高齢社会であるいまの日本が,経済成長のできるビジネススキームやロボティクス,AI技術を先んじて開発しておく。すると,数十年後に大きなビジネスチャンスがやってくる。(p168)
 「法規制のせいで,できなかった」と泣き寝入りするクリエイターやエンジニア,そして研究者をこれ以上生み出せるほど,僕たちに残された時間は多くありません。(p173)
 良質な土壌があれば良質な森ができるように,土壌となるエコシステムが良質であれば,テクノロジーやサイエンス,コミュニティも良質なものになるのです。(p178)
 人の能力は高く,たいていの場合は人の自助努力で解決されてしまい,テクノロジーが不要になってしまうことが多いことも学びました。(p182)
 僕は導入時に余計なタスク(作業)を増やさないことが,使いやすさの条件を満たすために絶対必要だと思っています。(中略)余計な機能をつけてユーザーのタスクを増やすのではなく,従来の業務をよりスムーズにすることこそが,現場で受け入れられるテクノロジーの要諦です。(p185)
 介護職と利用者の間で忌憚のないコミュニケーションがとれればいいのに,わざわざ現場の最前線にいない経営者が介在してしまうことも多い。それにより,ケアのPDCAサイクルの効率が上がらず,介護職のやりがいも生まれにくい構造が生じているケースも散見されます。(p197)
 これからはローカルに,それぞれの場所で創意工夫されつつ作られる「民藝」的なものが,新たな価値提供の基盤になると思われます。(p212)
 介護における「スーパースター」が増えることも,僕は介護職の社会的地位を向上させるために重要だと思っています。(中略)たとえば歴再総理の看取りを行った介護職の人がいれば,それはスタープレーヤーといえます。(p228)
 コロナ禍において,社会から多くのものが失われましたが,その最たるものの一つが「祝祭」でしょう。(中略)リモートで飲み会を開いてみても,身体性がないから “祝祭性” や “共時性” が足りない。(中略)ライブをオンライン配信するアーティストも増えましたが,現場で起きていることをそのまま中継しているだけだと,尺が間延びしてしまい,観るのがしんどくなってしまうと感じます。祝祭がなくなると,社会に対する帰属意識やお互いにとっての共通基盤,コミュニティに属しているという感覚がなくなります。(p238)
 クリエイションとは「生きること」です。クリエイティブであるということは,常に何かを生み出そうと試行錯誤しながら,時間と空間に存在するということ。健全な精神と肉体を育むために,動物的な狩猟性は不可欠です。そして,それは(中略)クリエイションというかたちで発露されるべきだと考えています。(p247)
 多くの地域において,あらゆるモノがインターネットで買えて,Zoomを介して世界中のどことでもつながれる。これにより,遊牧民的な生き方を実現できるようになったのです。(p248)
 ポジティブに老いていく,もっといえばよりよく生きていくために大切なのは,「豊かさ」だと思うのです。(中略)好きなことや好きなものを持ち続けて,それに取り組んでいきながら老いていくのは,とても豊かなことだなと。(中略)そして,テクノロジーの発展は,より多様な「豊かさ」を可能にしてくれると思います。(中略)家にいながらにして手に入る「豊かさ」の選択肢が広がっていることは,明らかにデジタル化による恩恵だと思うのです。(p253)
 個々がスーパーマーケットを往復するよりも,配達員が一台のバイクで個々の家に届けたほうが,炭素消費も少なく済む場合も多いです。(p258)

2023年4月4日火曜日

2023.04.04 落合陽一 『働き方5.0 これからの世界をつくる仲間たちへ』

書名 働き方5.0 これからの世界をつくる仲間たちへ
著者 落合陽一
発行所 小学館新書
発行年月日 2020.06.08
価格(税別) 820円

● 30代で際立った存在感を示すコンピュータ科学の研究者が,若い人たちにこうあって欲しいと語る生き方論。あるいは,研究論序説。
 これを読んで感じたのは,これからの若い人たちは大変なんだなということ。どう大変なのかは,この後の多すぎる転載を読んでもらえばわかる。

● 著者の言うことがどれだけの若者に刺さるかといえば,0.1%もいるかどうか。何せ,若者の多くはネットの文章は読むだろうけれども,教科書以外の本はあまり読まないだろうし(昔の若者も同じ。大人になるともっと読まなくなる),著者の提言に従えるのは相当な知力を持った人に限られるからだ。
 著者のいうクリエイティブ・クラスになるためには,自分の頭で考え抜くことと専門性を持つことが必要となるのだが,そんなことができるのは少数派中の少数派のはずだ。

● 以下に転載。
 コンピュータやインターネットなどのデジタルな情報があふれ人工物と自然物が垣根なく存在する環境が,人間にとっての「新しい自然」だということです。(p8)
 技能の民主化や自動化によってゆるやかに人材の価値が変化していくことに自覚的であるかどうかが大切です。(中略)その価値の変遷に気づきながら動くか,動かないかが,将来の価値を大きく左右するでしょう。(p11)
 ビジネス書や自己啓発書の多くも,「好きなことをして生きる」という抽象論や近視眼的なノウハウや,相変わらず「優秀なホワイトカラー」になるためのノウハウを提供しています。私には,それがこれからの時代に沿った方向性とは思えません。「好きなことをして生きる」のではなく,適切な課題設定を社会に創造するのがクリエイティブ・クラスの役割だと考えているからです。(p13)
 コンピュータという大きなものの文化的価値を知らずに生きていくことは,人々が貧困の側に回り,それが再生産されていく温床になりかねません。(p17)
 インターネットのSNS上では,誰一人として「同じタイムライン」を追っていない時代です。(中略)皆と同じようなものを消費する「映像的価値観」は消失しました。(p24)
 いつまでも今ユータは「ただの道具」なのでしょうか?(中略)それはもっと根本的なレベルで,人間の生き方と考え方に変革を迫るはずです。つまり,コンピュータは電気製品ではなく,我々の第二の身体であり,脳であり,そして知的処理を行うもの,たんぱく質の遺伝子を持たない集合型の隣人です。(p27)
 プログラミングは,自分が論理的に考えたシステムを表現するための手段にすぎません。(中略)多くの分野にとってプログラミングは道具にすぎず,(中略)それ自体が目的化しては意味のないものになってしまいます。(中略)大事なのは,やはり自分の考えをロジカルに説明して,システムを作る能力でしょう。(p33)
 いわゆる「IT革命」は世界を大きく変えましたが,それに適応するだけでは,もう時代に追いつけません。IT革命と同等かそれ以上のインパクトを持つ世界の変革が,そう遠くない将来に何度もあるはずなのです。そこでは,いまの40~50代の常識が覆されるのはもちろん,小さい頃からデジタル・カルチャーの中で生きてきた私たちの世代の常識でさえ,おそらく通用しません。(p34)
 SNSの主体が「意識だけ高い系」いなってしまったような気がしています。(中略)無駄な自己アピールなどを除くと,その第一の特徴は,本人に何の専門性もないことが挙げられます。もうひとつは,専門性がないがゆえに自慢するものが「フォロワーの数」か「評価されない活動歴」「意味のない頑張り」程度しかないことです。(中略)そこから出てくる情報には,その人が自分で考えたものが何ひとつありません。いろいろな知識を広く浅く持っているだけで,専門性も独自性もない。これでは,ただの「歩く事例集」です。(中略)平均経験人間はウィキペディアの劣化コピーでしかありません。(p38)
 システムの効率化の中に取り込まれないために持つべきなのは何でしょうか。それは,システムになくて人間にだけある「モチベーション」です。(中略)それさえしっかり持ち実装する手法があれば,いまはシステムを「使う」側にいられるのです。(p41)
 均質的な価値が意味を持たない時代になったのです。(p44)
 人が努力しながら行っているような単純で辛い作業や,誰がやっても同じ作業はシステムにどんどん取って代わられていく(p50)
 著名クリエーターや数百万人のフォロワーを持つインスタグラマーのような人は,他の追随を許さない(要するに「代わりがいない」)ので,そのまま生き残っていくでしょう。しかし,「もどき」のクリエーターはそうはいきません。(中略)これからの時代は「ひとりのオリジナル」以外には大きな価値がない。(p54)
 これまでブルーカラーの労働者は,その仕事をマネジメントするホワイトカラーの搾取を受けてきたと言うことができます。実質的な価値を生み出しているのは現場のブルーカラーなのに,どういうわけかマネジメントをしている側のほうが高い価値を持っているように見えていました。(中略)そんな錯覚が生じていたのは,システムによる効率化という概念がなかったから。それだけのことです。(p66)
 IT化した世界では,そういった固定された物理的リソースで勝負するより,情報で勝負するほうが圧倒的に勝ちやすい。物理的リソースがない分,スピードが早いからです。(p71)
 誰にでも作り出せる情報の中には,価値のあるリソースはない。その人にしかわからない「暗黙知」や「専門知識」にこそリソースとしての値打ちがあります。(p72)
 IT化で資本主義のあり方は激変しましたが,このいちばん根底にある原理は変わっていません。それは,「誰も持っていないリソースを独占できる者が勝つ」という原理です。(中略)コンピュータが発達したいま,ホワイトカラー的な処理能力は「誰も持っていないリソース」にはなり得ません。(p75)
 スティーヴ・ジョブズは,間違いなくクリエイティブ・クラスです。しかし,それをロールモデルにして「スティーヴ・ジョブズのようになりたい」といった目標を持っても,あまり意味がないでしょう。唯一無二の存在だからクリエイティブ・クラスなのであって,目指したところで頑張ってもも「もどき」にしかなれないからです。(中略)その「誰か」にだけ価値があるのですから,別のオリジナリティを持った「何者か」を目指すしかありません。「誰か」を目指すのではなく,自分自身の価値を信じられること。自分で自分を肯定して己の価値基準を持つことが大切です。(p77)
 いくら勉強しても,それだけではクリエイティブ・クラスにはなれません。(中略)クリエイティブ・クラスの人間が解決する問題は,他人から与えられるものではありません。彼らの仕事は,まず誰も気づかなかった問題がそこにあることを発見することから始まります。(中略)新しい問題を発見して解決するのは,「勉強」ではなくて「研究」です。(中略)研究者は誰もやっていないことを探し続けるのが仕事です。(中略)教科書を読んで勉強するのが方ぃとカラーで,自分で教科書を書けるぐらいの専門性を持っているのがクリエイティブ・クラスだと言ってもいいでしょう(p78)
 抽象的な教養やアイディアだけあっても,何もできません。「実装」と「アイディア」が個人の中で接続されることに価値があるのです。(中略)一般教養と違って,テクニカルな専門性というのはインターネットをクリックするだけで学習できるようなものではありません。みんながアクセスできる知識に,専門性はないのです。(p84)
 単に「みんなと違う」だけでは,説得力がないのです。(中略)「みんなが甘いものなら辛いもの」「みんながデジタルならアナログ」というロジックは,それ自体が「誰でも思いつくもの」でしょう。ですから,結局は「オンリーワン」にはなれません。(中略)その価値を説明するロジックまで含めて,誰にも真似されないオリジナルなものでなければいけません。それは付け焼き刃の思いつきでは成しえません。(p97)
 テレビの企画がつまらなくなったという声が出てきたのも,彼らがウィキペディアや食べログやユーチューブを情報ソースにしてしまったからかもしれません。(中略)そこから生まれる企画は,すでにあるものの縮小再生産にしかならないでしょう。(中略)視聴者層と同じ情報体験をしながら番組を作っても,真新しく面白いものは作れないのです。(p99)
 ・それによって誰が幸せになるのか
 ・なぜいま,その問題なのか。なぜ先人たちはそれができなかったのか
 ・過去の何を受け継いでそのアイディアに到達したのか
 ・どこに行けばそれができるのか
 ・実現のためのスキルはほかの人が到達しにくいものか
 この5つにまともに答えられれば,そのテーマには価値があります。これを説明できるということは文脈で語れる=有用性を言語化できるということであり,他人にも共有可能な価値になる可能性があります。(p102)
 大きなマーケットで勝負する場合,高いオリジナリティを持つ商品やサービスがそれを独占することは稀で,たいがい競合相手がいます。逆に言うと,誰も競合相手がいないところで独走しようとすると,小さなマーケットしか得られないということにもなるでしょう。でも,それに意味がないということはまったくありません。(p105)
 このビジネス(ウナギトラベル:お客さんから預かったぬいぐるみをカバンに詰め込んで観光地などに行き,そこで記念写真を撮る)が面白いのは,利用者がコンテンツではなく,コミュニケーションを求めているところでしょう。自分の分身がどこどこに行ったということを使ってコミュニケーションする。その幸せを買っているとも言えます。(中略)ニッチの強さを感じています。(p108)
 「小さな問題を解決することがクリエイティブな事業を生む」ということです。(中略)だからこそ,まずは問題を発見することが大切になる。問題を見つけられない人は,当然ですが問題のオリジナルな解決法も考えられません。大人から「好きなことを見つけろ」「やりたいことを探せ」と言われると,「自分は何が好きなんだろう」と自分の内面に目を向ける人が多いでしょう。(中略)それは袋小路に行き当たってしまうことが少なくありません。しかし「自分が解決したいと思う小さな問題を探せ」と言われたら,どうでしょう。意識は外の世界に向かうはずです。そうやって探したときに,なぜか自分には気になって仕方がない問題があれば,それが「好きなこと」「やりたいこと」ではないでしょうか。(p110)
 生まれたときからパソコンもインターネットもスマートフォンもあると,「昔は何ができなかったのか」を直感的には理解しにくいものですが,それがわからないと,20年後,30年後にまた別の時代が訪れることも理解できないのです。(p115)
 とりあえず走り出すことも,ときに重要です。(中略)実際に動かないと出遅れてしまう。つまり,実際に手を動かすことで常に学び続けることができるのが,インターネット以後のクリエイティブ・クラスの仕事です。(p115)
 デジタル世界だけで簡潔していたのでは,問題が縮小再生産されてしまうのです。スマートフォンは道具の完成形じゃありませんし,生活の中でのインターネットはまだ進歩していくべできす。そうしたとき,いまある環境インフラを制約条件として捉えてしまうのはマイナスにしかなりません。(p116)
 では,人間とコンピュータはどちらがどちらを飲み込むのか。多くの人は,コンピュータを作った自分たち人間のほうが上位種だと思うでしょう。でも私の直観では,コンピュータのほうが後発で,より情報処理に最適化された種のように思うのです。(中略)いまのところは人間がスマートフォンを飲み込んで好き勝手に使っているように見えますが,その関係はいずれ逆転するでしょう。(中略)コンピュータがあらゆることを記述していく,人は精神や心を持つ特別な存在ではなく,身体を持つコンピュータとして受け入れられていくことによって,いままでの自然観(いわばデカルト的自然観)が崩れていく。(p117)
 クリエイティブ・クラスになるような人たちは常に自分の問題について考えています。一点を考え抜いて深めていくので,彼らの中には暗黙知がどんどん蓄積されます。そうしたクリエイティブな人たちが生み出す物やサービスが,ショッピングモール的世界で暮らす人々が享受する幸福感のタネになるのです。(p124)
 思考体力を身につけるには,他人と情報交換ばかりしていても意味がありません。(p126)
 何か疑問を持ってグーグルで検索したときに,ウィキペディアや「ヤフー!知恵袋」のようなページですぐ「答え」が出てきたら,その答えを知って満足する以前に,自分が抱いた疑問自体を反省しなければいけません。なぜか。ウィキペディアに答えが書いてある問いが浮かんだということは,その疑問の持ち方そのものにオリジナリティがない証拠だからです。(p126)
 思考体力の基本は「解釈力」です。知識を他の知識とひたすら結びつけておくことが重要です。したがって大事なのは,検索で知った答えを自分なりに解釈して,そこに書かれていない深いストーリーを語ることができるかどうか。(p127)
 抽象的なことをできるだけ具体的に言語化する習慣をつけるといいでしょう。(p129)
 思考体力のある人は常にマジです。そういった人は自分の人生の問いについて24時間,365日考え続けています。(p130)
 「自動翻訳は,ちゃんと翻訳してくれない」と文句をつける人の多くは,そもそも自分が日本語で明確な文や機会が翻訳しやすい文章を書けていないのではないでしょうか。(p138)
 自分が発見した世界の問題を解決するためにコミュニケーション能力が必要なのは,「世界は人間が回している」からです。(中略)多くの人々は,個々の人間ではなく,何か得体の知れない「システム」が世の中を動かしていると思い込んでいます。(中略)そしてひいいては自分も社会の主体であるにもかかわらず,「社会のせい」にしていってしまいます。(p139)
 時間を切り売りする仕事を選ぶと,人生は「お金を稼ぐ時間」と「休む時間」に分かれます。すると,いわゆる「ワーク・ライフ・バランス」を考えざるを得ません。(中略)ワーク・ライフ・バランスが問題になるのは,「好きなこと」「やりたいこと」を仕事にしていないからです。(中略)ワークとライフを区別せず,自分のやりたいことに時間を使う生き方には「消費」がほとんどありません。すべては自分の能力を高め,問題を解決するための「投資」なのです。「ワーク・アズ・ライフ」の醍醐味はここにあります。(p149)
 資本主義は「お金がお金を生むシステム」ですから,お金持ちは富を貯めておくだけでは意味がない。だから実は,それを「投資」という行為によって再配分したがっています。ところが現在の日本には,(中略)おの選択肢を取りに行く人間が多くありません。(p153)
 世界を変えようと思ったら,玄人にしかわからないものを作っていてはダメです。(p183)
 それより難しいのは,「楽しい」と思わせること。この感覚には文化差があることも多いので,ある場所でウケたものが別の場所でもウケるとはかぎりません。(中略)逆に言うと,ほぼ全世界の人々に「楽しい」と思わせているハリウッドやディズニーのセンスは,凄まじくレベルが高いということになるでしょう。(p184)
 猛烈に好きなことがある人間が集まると何か大きな化学変化が起きる。それを人はイノベーションと呼ぶのかもしれません。(p187)
 予定調和を繰り返し続けることでたどりつく視座からは決して価値を生み出せないでしょう。(p189)
 もはや国境をはじめとする境界線はインターネットによって融けたと言えるでしょう。(中略)いまは年齢の差も関係ありません。世界中のすべての人間が同じフィールドで競い合っているのがインターネット以後の社会です。したがって,どこかの誰かと同じことをしても意味がありません。過去にあったものを再現してもダメで,いまの時点で人類の最高到達点を踏んだ人だけが勝者となるのです。(p193)
 世界に変化を生み出すような執念を持った人に共通する性質を,私は「独善的な利他性」だと思っています。(中略)たくさんの知識を貪欲に吸収してオリジナリティを追求していってほしい。それはこれから先,いつの時代でも幸福な生き方だと思います。(p200)

2023年4月1日土曜日

2023.04.01 帯津良一 『不養生訓 ときめきのススメ』

書名 不養生訓 ときめきのススメ
著者 帯津良一
発行所 山と溪谷社
発行年月日 2017.10.30
価格(税別) 1,200円

● 健康診断の結果に一喜一憂するな。人間は一人ひとり違うのだから,平均値に意味はない。好きなものを食べてよし。楽しいことをしてればそれが一番。
 といった,こちらに都合のいいことを言ってくれるので,著者が書いたものはいくつも読んでいる。何もしなくていいような気がして楽なのでね。

● 退職する年の人間ドッグで糖尿病と肝硬変の疑いを指摘されたが,病院に行き始めたところでコロナになった。感染予防には三密を避けるよりも何よりも病院に行かないことだと思って,それを機に病院通いを止めた。
 まぁ,やめる時点で肝硬変の疑いは晴れていたのだけど,糖尿の方は後回しにされて,薬も何も処方されていなかったのはたぶん幸いだった。
 ほかに血圧もかなり高い。脂肪肝やら尿酸値やら,色々と悪い。が,退職後はもちろん健康診断など受けたことはない。糖尿病も何もしないで放ってある。

● まぁ,酒は飲まなくなった。努力して飲まなくしたのではなくて,自然に飲みたくなくなった。旅行に出た折りは旅先のホテルなどで飲んでいるが,酒量は退職前の1割以下になっているだろう。
 他には,特に節制はしていない。食べたいだけ食べている感じ。起床が遅いので1日2食。

●  本書にあることは,だいたい,すでに著者の別の著書で読んでいる。のだけれども,以下に転載。
 身体を労って病を未然に防ぎ天寿を全うするといった身体を対象とした養生は真の養生ではなく,日々生命のエネルギーを高め続けて,死ぬ日を最高に,その勢いを駆って死後の世界に突入するといった攻めの養生こそ真の養生なのである。(p2)
 まず自分の好きなことを楽しもう。酒も良し,美食も良し,女も良し,不養生も歓喜を伴えば,最大の養生となるのだ。(p3)
 貝原益軒の『養生訓』では,“飲食” について,それなりに十分な枚数を費やしているが,その要諦はたった一行。「好きなものを少しだけ食べる!」。その理由として,好きなものは命が要求しているのだから,“薬にあたるべし” といい,だからといってたくさん食べたのでは胃の “気” を損なうという。(p14)
 私は肉食反対論者ではない。肉食好みで長命な人をたくさん見てきているからである。(p18)
 私自身はタバコは一切吸わない。学生時代に,知人からライターをいただいたので,バーのママさんから一本もらって吸ってみたが,なんの魅力もないのでやめてしまった。それ以降,まったく縁がない。(p27)
 60歳を超えたら,世阿弥のいう「能に,体・用の事を知るべし。体は花,用は匂いのごとしで,きちんとした服装をして,できればそれなりの風情を醸し出していたいものである。(p39)
 その大好きな女性たちのなかに人妻がいてもいいではないか。要は付き合い方なのだ。作家の半村良さんも言っているではないか。男は謎めいていたほうがよいと。(p45)
 最前線の目的は言うまでもなく,戦いに勝利を収めることである。そのためには優れた戦術をたくさん持てばよいというものではない。最前線という “場” を制した者にのみ勝利は訪れる。場を制するものは(中略)複数の戦術を統合した戦略である。(p48)
 エビデンス・ベイスト・メディスンをいうことが高らかに語られ,エビデンス! エビデンス!と実に喧しい時期があった。エビデンスすなわち科学的根拠というものは(中略),あるとすれば医学についてであるのに,医療現場で声高に叫ばれるので,なんとなく馬鹿の一つ覚えのように思えてならなかった。(p54)
 ラクナ梗塞が認められなかったのは,(中略)ナットウキナーゼを成分とするサプリメントを数年来服用していたためであり,前立腺が小さいのは,50年来,春夏秋冬,晩酌の友としてきた湯豆腐のイソフラボンに起因することは明らかである。(p59)
 これも以前に読んだ著書で触れられていた。が,本書を読んだのを機に,ぼくもナットウキナーゼのサプリを飲み始めた。父親も何度か脳溢血で入院しているので,注意しておくにこしたことはない。
 サプリはヤフオクで買うのが吉。ドラッグストアで買うよりずっと安く買える。メーカーも販売店も相当美味しいマージンが取れる製品のはずだから,言い値で買うのはバカバカしい。
 メタボリックシンドロームは,大いに働き,大いに道を楽しんでいれば,ごく当然の帰結であって,殊更これをあげつらうのは余計なお世話というものだ。(p59)
 少しぐらい年齢より若く見えても,所詮は徒花(中略)人生の本当の味わいは後半にある。いたずらに若さを誇るよりは “老化” という偉大な流れに従って,年齢に応じた味わいを噛みしめていくことのほうがずっと大事なのではなかろうか。(p73)
 手術上手といわれる人は,(中略)多少手振りが派手なのと,メス捌きや糸結びが幾分速いというだけなのではないだろうか。外科医になりたての頃は器用な人とそうでない人の間で,技量の差が目につかなくはないが,誠実に仕事をしたとして,10年たてば10年の外科医,20年たてば20年に外科医と大体同じレベルになってくるものだ。(p74)
 世の中には,薬をできるだけ使用せずに生活環境を整えることによって慢性疾患をコントロールすることを是とする人が少なくはないが,これはまったくの誤解である。(p76)
 喫煙は内臓脂肪の蓄積を促進するといわれている。(p105)
 脳はその70%が脂肪からできている。(中略)脂肪の中には当然コレステロールが多く含まれているので,コレステロールの低下は,さまざまな脳機能の低下を引き起こす。(中略)次に大事なのは,多くのホルモンの原料がコレステロールだということである。(p108)
 色っぽい人を眺めているだけでも心が豊かになるものだ。(p159)
 ある臓器のある病期の余命を統計学的に示した数字はあるとしても,その後のライフスタイルやら物の考え方は皆違うのだから,余命告知なんて土台無理な話で,先のことなどわかるわけがないのだ。(p169)
 あくまでも一瞥であって,分析的に見てはいけないのだ。一瞥だからこそ閃くのである。(p175)
 色気の始まりは生命のあふれ出ること。いつも躍動する心を抱いて事に臨むことだ。(p183)