2024年5月27日月曜日

2024.05.27 和田秀樹 『もうちょっと「雑」に生きてみないか』

書名 もうちょっと「雑」に生きてみないか
著者 和田秀樹
発行所 新講社
発行年月日 2017.07.24
価格(税別) 900円

● 著者が言う「雑になれない人」は日本人には多いのじゃないかと思う。ぼくもそうかもしれない。しかし,手抜かりやウッカリも相当やらかしてきたから,自分で思うほどには「雑になれない人」ではないかもしれない。
 と思ってしまうのも,「雑になれない人」の特徴か。

● 企業をはじめとする日本社会の同調圧力も,真面目さを作る要因になっているかもしれない。あるいは,見えない相互評価が隠然たる拘束要因になっていることも。
 そして,そうした評価というか,他者との関係性においてしか自分を認識できないこと。

● 本書で最も参考になるのは,「マシ」という考え方を持つことだと思った。只今現在において完全でなければ意味がないという考えを捨てること。
 それができるかどうかを決めるのは,性格ではなくて知性かもしれないとも思った。柔軟であるという意味での知性だ。

● 以下に転載。
 がんばりすぎて疲れを感じている人,あるいはその結果としてうつ病になったりする人には完全主義的な傾向があります。生き方が一直線なのです。(p3)
 完全主義な人は「くだらないこと」や「無駄なこと」を嫌う傾向があります。馬鹿話で盛り上がることもあまりないでしょう。上昇志向が強い傾向もあります。ひと言でいえば,息苦しい生き方ですね。(p4)
 わたしは長く受験生を指導してきましたが,はっきりと言えることがあります。雑な受験生のほうが結局は勝つのです。(中略)まじめな受験生は手を抜けません。試験問題と向き合ったとき,とにかく第1問から解こうとします。(中略)それがむずかしい問題や日が手な分野からの出題だとしても,あきらめることができません。(中略)でも,時間がどんどん過ぎていきます。(中略)雑な受験生は違います。解けそうもない問題や,苦手分野からの問題はさっさとあきらめてしまいます。(中略)結果はどうでしょうか?(p33)
 一つの仕事が続かないようでは,何をやっても中途半端になるだろうと考えてしまうのです。(中略)でも,そういった考え方をしてしまうと,一直線の人生しか思い描けなくなります。いまやっていることや,いまの自分の延長線上にしか将来を描けなくなります。それはそれで,堅実に見えても選択肢のない,危うい人生ということにならないでしょうか。(p46)
 たとえば強迫神経症の人です。手の汚れが気になって,一度洗い始めたら1時間でも洗い続けないと気が済まないような人は,家の中もさぞ清潔だろうなと思いますが,じつはばい菌だらけだったりします。本人は自分の手の汚れだけを気にして,それ以外の汚れには案外,無頓着なのです。これは,部分しか見えていないということです。(p47)
 雑になれるということは,たくましく生きていけるということです。いい加減なように見えても,ほんとうに大事なものを見失わないのが雑な人でもあるのです。(p48)
 「いまがすべて」という思い込みを捨てることさえできれば,どんな不幸や不運も人生の転機を教えてくれるものでしかないのです。(p77)
 人はあなたに期待していません。少なくとも,あなたが思うほどには期待していないことが多いのです。(p90)
 雑になれない人が思うほど,周囲の人間は無力ではありません。安心して任せていいし,頼っていいことがたくさんあります。(p92)
 行き過ぎた長所は短所になってしまうのです。(p100)
 じつは,大正時代というのは日本人がぜいたくに憧れた時代でもありました。「ぜいたくは敵」が登場するまでの日本は,ぜいたくに罪悪感を持つ人は少なかったのです。(p102)
 日本は明治時代から昭和の初めまで,学校での体罰は禁止されていたようです。それが守られたのも,当時の教師が師範学校を出たいわば知的エリートだったからだといいます。ところが昭和10年代になって,軍事教練が始まるようになると教育の現場に軍人が入ってきます。そこで体罰が当たり前のように繰り返されたのです。(p103)
 「いままでの苦労はなんだったのか」という完全主義のつまらなさを,AIが教えてくれる時代になるような気がします。(中略)そうなってくると,もはや人間の取り得は雑になれることしかありません。(中略)真面目な人間ほど,AIの時代に適応できなくなるような気がします。(p112)
 遊ぶために働いているのですから,せめて休日ぐらい,頭の中から仕事のことは消し去っていいのに,それができません。「働くために休む」という考え方から抜け出せないのです。これは,ほんとうに気が休まるときがないということです。(p117)
 「そんなことして何になる」と言い出せば,目的のないすべてのリラックスは無意味になります。温泉でゴロゴロしたって何にもなりません。時間とおカネのムダです。(中略)そういうまじめさの裏には,やはり刷り込まれた道徳観や価値観が潜んでいるような気がします。(中略)でも,ほんとうにAIの時代になったら,そういった刷り込まれた道徳観や価値観こそが重荷になるし,そこから抜け出さない限り,苦しい生き方しかできなくなります。(p118)
 雑になれない人に気づいてほしいことがあります。自分がまじめすぎるだけで,相手も周囲も口で言うほどまじめではないし,真剣でもないということです。(p123)
 かりに仕上がりに不満があったとしても「できないよりマシ」と喜んでいいのです。ところが完全にこだわってしまうと,欠点ばかりが目につきますから,「やらないほうがマシだ」となります。(p129)
 雑になれない人がマシでは満足できないのは,いまだけを見ているせいもあります。「いまがすべて」と考えると,いま50パーセントなら全然,ダメなのです。(p130)
 マシという考え方は,動く弾みをつけてくれます。(中略)これは,「とりあえずやってみよう」という積極さにもつながってきます。失敗したらそのときのことと考えて,ダメでもいいからまず動いてみようという考え方です。(p136)
 雑になれないひとほど一直線の人生を描いてしまうと書きましたが,その理由は決められたルールに乗ってしまうからでした。(p137)
 人生の目的は幸せになること,楽しく生きることというのはだれでも気がついているはずです。はたして完ぺきを期すことが,そういういちばん大切な目的をかなえてくれるのかどうか,雑になれない人にはゆっくりと考えていただきたいと思います。(p149)
 (雑になれない人は)とにかく,自分のモノサシを持ち出さないと気が済まないのです。相手の行動や考えがそのモノサシに合わないときには,どうしても冷たい言い方になってしまいます。そのことに,本人はなかなか気がつかないのです。(中略)まず最低限,人にはそれぞれのモノサシがあることを受け入れてください。あなたがまじめで頑張り屋さんなのは,みんなが認めています、つまり,周囲の人はあなたのモノサシをとっくに受け入れているのです。(p162)
 子どもには子どものモノサシがありますね。(中略)きちんとした子,まじめな子に育てば親は満足するかもしれませんが,逆にその子の長所や得意なことを伸ばせないままになってしまう可能性もあります。(p167)
 雑になれない人ほど,雑になれない人の餌食になってしまう可能性があります。そのことにも気がついてください。(p173)
 人と人は弱みを見せ合いながら生きていきます。うわべはどんなに強気を装っていても,長くつきあえる関係というのは弱さを見せ合う関係でもあるのです。(p178)
 ここで最後の,雑になれない人の特徴を書きますが,じつは臆病な人ということもできるのです。臆病だから手を抜けないし,負けちゃいけないと思ってしまうのが雑になれない人です。(p182)

2024年5月17日金曜日

2024.05.17 和田秀樹 『60歳からはやりたい放題』

書名 60歳からはやりたい放題
著者 和田秀樹
発行所 扶桑社新書
発行年月日 2022.09.01
価格(税別) 880円

● これまで著者が,「70歳・・・・・・」「80歳・・・・・・」と年齢を冠して刊行した多くの著作と内容は被っている。出す本,出す本がメスとセラーになるのを横目で見ているだけというわけにも行かず,多くの出版社が著者の本を出そうとした結果のことかと思う。

● とはいえ,以下に転載。
 日本人は予期不安と呼ばれる「起こっていないこと」への不安を抱きがちです。しかし,多くの日本人は,不安を抱いているのに何も対策を取らない。その結果,余計に不安が高まってしまうのです。では,この悪循環を断ち切るにはどうしたらいいのでしょうか。それは,「最悪の事態」を想定しておくことです。(p16)
 日本人は,「起こってほしくないこと」を,「起こらないこと」として片づけてしまう傾向があり,その結果,不安を放置しているがゆえに起こる最悪の事態が,頻繁に起こってしまっているのは事実です。(p17)
 浴風会に勤務していた際,相当な高齢なのに常にアクティブで若手に慕われている某現役政治家の脳のCT画像を見たことがあります。その方の前頭葉自体は「認知症なのでは」と思うレベルで萎縮していましたが,逆に考えると,脳が萎縮していても使い続ければ脳の機能は衰えないのだという大きな根拠を得たと感じました。(p27)
 医師の平均寿命は一般の人よりも低いといわれています。それは,医師の言うことをうのみにしていても,長生きはできないことの証明です。(p31)
 脂肪には脂肪を燃焼する作用があるので,脂肪を完全に絶ってしまうと,体内の脂肪を燃やせず,接種した脂肪を蓄積する一方です。(p41)
 人間がおいしいと感じるもの。それは,甘いものや脂肪分があるもの,うまみ成分(アミノ酸)が含まれているものなどです。なぜ人間がこのような食べ物をおいしく感じるのか。それは,生物進化の過程で「体に必要なものはおいしく感じるように進化しているから」です。(p47)
 農業中心で誰もが激しい労働をしていた時代よりも,現代のようにホワイトカラー人口が増えてからのほうが,外見も若返っている上に,寿命も延びています。体は使い続けるに越したことはないのですが,屋外で紫外線を浴びて激しいスポーツをするよりも,適度な散歩や自宅でできる簡単な筋トレ程度が望ましいと考えています。(p66)
 前例踏襲をする限りは,どんなに難しいことをしても前頭葉を使ったことにはなりません。(中略)では,どんな人が前頭葉を使っているのかというと,他人と違う意見を言う人です。(p71)
 片付いている部屋が好きな人もいれば,少し雑然としてるほうが落ち着く人もいます。それは本当に人それぞれです。今の環境が自分にフィットしていると思うのであれば,あえてそれを変える必要はありません。(p75)
 高齢者が感動できる景色や料理,芸は本物です。シニア世代が喜ばないものを「若者の感性がわかっていないから」と言ってしまうのは,非常に本末転倒なこと。(中略)だからこそ,せっかくの感性を雑多なコンテンツに費やすのはもったいない。ぜひ,様々な “本物” のグルメや芸に触れて,その感性を十分に楽しませてほしいと思います。(p80)
 「何が一番頭を使っていることになるのか」というと,最も効果が高いのは他人との会話です。(中略)声を出すこと自体にも,ボケ防止の効果があるように感じます。(p112)
 認知症予防として,何をすればいいのでしょうか。その一番の対策は「楽しいことをやる」ことだと思っています。楽しいことをやればやるほど,脳にはプラスの効果が伝わります。(p114)
 「人と交わる機会がなくてかわいそうだ」「独居は孤独でつらいのではないか」などというのは,世の中で多様性を認めない人々の思い込みだと私は思います。(p118)
 ガンは治療をすると非常に苦しい病気ですが,治療させしなければ,死ぬ数ヶ月くらい前までは元気に過ごす事ができます。(p130)
 60代で「ガンで余命はあと1年ほどです」と言われた場合,治療でどんなに頑張っても,おそらく余命は2年程度しか持ちません。1年を2年に延ばす治療となると,抗ガン剤は必ず使われるでしょう。(p131)
 結婚関係を続けるための一つの指標として,夫婦の間にどれだけ会話があるかという点が挙げられます。(中略)また,定年退職したあとも,子ども抜きでふたりが出かける関係を築けているでしょうか。(p136)
 60代以降は「性格の先鋭化」が顕著になります。「実はひとりのほうが気楽だった」という人は,もっとひとりを好むようになります。だからこそ,60代以降の人間関係は「したい人だけすればいい」と思います。(p149)
 言葉を選ばすにいうと,日本は,お金持ちであればあるほどに,子どもが「バカ息子」「バカ娘」になりやすいシステムが残っています。お金があるほど,子どもをエスカレーター式の大学の付属校に幼少期から入学させ,大学まで受験を知らずに育てるケースが非常に多いのです。(p167)
 「年を取ったら物欲がなくなる」という方もいますが,資本主義社会にいて消費に参加しないのは,発言力がなくなるのと同じこと。(p175)
 今は要介護認定されれば,介護支援を受けることができます。つまり周囲のサポートがなくてもなんとかなるので,「嫌われてもいい」と開き直ることができる時代です。(中略)自分を押し殺してまで,その共同体にしがみつくことが本当に大切でしょうか。(p186)
 物事を楽しめる体力や脳の機能が生きているうちに,様々なことを思いっきり楽しむ,これは終活よりも大切なことです。(中略)「年甲斐もなく」という言葉さえ忘れてしまえば,世間体を気にせずあらゆることをずっと楽しんでいていいのです。(中略)年甲斐もないことは,むしろ脳の老化予防にも役立つことが多いのです。(p191)
 他人と比べている限りは,いつまでも生きづらさや苦しさから逃れることができません。(中略)「他人よりも優れている人がえらい」という価値観は,もう60代になったら捨てる準備をしてください。できることはオンリーワンでよいのです。(p197)
 「できること」はできるだけ維持し続ける一方で,「できないこと」を無理に「しよう」とする必要はないのです。(中略)どんな人でも歳を取れば,当然「できないこと」は増えていきます。ですので,「できないのは当たり前」と割り切る姿勢が大切なのです。(p198)

2024年5月9日木曜日

2024.05.09 茂木健一郎 『70歳になってもボケない頭のつくり方』

書名 70歳になってもボケない頭のつくり方
著者 茂木健一郎
発行所 きずな出版
発行年月日 2022.09.10
価格(税別) 1,300円

● この本もタイトルどおり,年寄りに向けたもの。ので,活字が大きい。それがしみじみ有難いと感じる年齢にぼくもなった。
 内容は,次に転載するとおりのもの。和田秀樹さんの著作を読んでいる人なら,あえて読まなくてもいいんじゃないかと思う。

● 以下に転載。
 彼らに共通するのは,「いつまでもお若いこと」ではなく,「おつもエネルギッシュで」「自分らしく人生を楽しんでいること」です。(p5)
 ご本人も亡くなるまで,年齢のことなど口にされたことはなかったのではないでしょうか。それほど年齢ということから超越した存在でした。(p17)
 「継続」で大切なのは,文字通り「毎日」することではなく,「トータルで見て,継続できている」ことです。(中略)一番いけない脳の使い方は,「継続できない自分」に失望して,本当にやめてしまうことです。(p29)
 脳の体積は,加齢に伴い減少していきます。(中略)ただし,ここからが本著で強調したい大切なことです。それは,脳には可塑性があるということ。「代償機能」と言ってもいいでしょう。(p31)
 脳は使えば使うほど,筋肉と同じようにパンパンになる。それは若いころだけに限らないということです。(p33)
 かつては脳の神経細胞は,成長期を過ぎたらもはや新たにつくられないと考えられてきましたが,90年代以降,記憶を司る海馬の神経幹細胞が,年齢を経ても増殖・分化していることがわかったのです。(p33)
 まず皆さんに申し上げたいのは,「脳は適度な負荷をかけ,酷使するくらいがちょうどいい」ということです。しかし,但し書きとして,以下のことも強調しておきます。「自分が好きなことで」と。(中略)人は好きなことに没頭して頭を使っているとき,むしろ疲れ知らずです。(p34)
 創造の斜め上を行く事態に直面した時こそ,脳はフル回転します。これが本当の「脳に負荷をかける」ということ。教科書的な「正解」がない,周囲に助けを求めたくても自分一人,これまでの知識を総動員しながら,新しい事態に対処する。こうした時に,脳は一番生き生きと活動しているのです。(p41)
 彼女(若竹千佐子)に創作の秘密を問うたときの答えが,これまた見事でうなりました。「とにかくたくさんインプットして,アウトプットは思い切り絞り込むこと」(p56)
 自分がサマになっていない体験って,案外大事ではないかと思うのです。(中略)問題は,そのパターンが年を取るにつれ,減少することです。(p71)
 一番よろしくないのは,「いつも同じスタンスで人に接する」ことです。しかめ面をして,いつも他人に説教臭く接したりしていませんか?(中略)まったく違う世代の人間とは,話すのが億劫だ。こんな人は要注意です。「Aさん」は,Bさんと会うことで「Aダッシュ」になるのです。(p72)
 一番のアンチエイジングは,若者と接することです。(中略)異なる世代の交流が,なぜ「アンチエイジング」に効くのか。若者と話していて,頭が疑問符だらけになっている瞬間,脳の中では「文脈設定の回路に変化が起きている」からです。(p74)
 「相手に遠慮させないキャラ」。目指すべきはこのポジションです。(p77)
 覚えておいてください。不機嫌なおじいちゃん・おばあちゃんに近づきたい人はいない,ということを。(p83)
 僕の理想は,オノ・ヨーコさん。あるいは,作詞家の湯川れい子さんもそう。彼女たちを見ていると「若い」とか「老い」とか,もはや超越した絶対的な存在感なんですよね。美しいんです。美しいのですが,決してそれが「若いから」ではない。本人たちも,接するこちらも,もはや「年齢」などどうでもよくなってくるんです。(p88)
 僕が提案したのは,「思い切りしゃべる場を持つ」こと。(中略)昔ながらの方式で,日記を書くのももちろんいいのですが,そのほかネット空間での,ブログ,ユーチューブ,ツイッター,クラブハウスなど,いろいろな選択肢があります。フォロワー数なんて2,3人でいいんです。(p99)
 なぜ,旅がいいのか。必ず「トラブル」に見舞われるからです。(p117)
 「遊び」ほど,創造的でイマジネーション,知力が必要となるものはありません。主体的な働きかけや工夫がないと,「遊び」は面白くならないからです。(p124)
 理想なのは,「遊び」と「学び」の境界線がなく,遊ぶように学ぶこと。あるいは学ぶように遊ぶこと。(p135)
 彼にとって読書や学びは,「役に立つか立たないか」が重要であって,「立たない」なら読む必要がないと思っているわけです。彼等は若くして,すでに老化が始まっているのではないでしょうか。(p135)
 そもそも「日記」を書くという行為は,非常に脳を使う作業です。(中略)記憶・感情・言語・運動・・・・・・,あらゆる脳の機能を総動員して成立するのが「日記」です。(中略)日記のもう一つのメリットは,自らを「メタ認知」できること。(中略)文章を書くことで,自分の言動を一歩引いて眺められる,振り返る,内製する,そんな効果が「日記」にはあります。(p139)
 ツイッターの何がいいかというと,「エイジレス」なところです。(中略)ツイッターの場合は,そうした「自分像」から隔絶することができる。(中略)シンプルに発言内容が面白ければ,人は反応してくれる世界です。(中略)140字の文字数制限も絶好の脳トレになります。文章は長く書くより,短く書くほうが難しいからです。(p145)
 脳の神経細胞は「始めてのこと」に非常に強く活発化します。しかし,二度目,三度目となるとどんどん低下していってしまいます。(中略)どうぞ,自分にとっての「初めて」を探してみてください。(p168)
 「自分のどうしても苦手なケース」だけは避けるようにしておくと,反対にそれ以外の行動はだいぶストレスフリーに楽しめるようになります。(p187)
 「自分らしく生きる」スタイルの確立は,10代や20代ではできません。50年,60年生きてきて初めて,「これが自分だ」という自己像ができあがる。(p199)
 「スタイル」とは,「自分」と「好奇心」のバランスでしょう。いくら「自分らしい」服でも,そこに「好奇心」のスパイスがないと,ただの古ぼけた「習慣」になってしまうのではないでしょうか。(p204)

2024年5月1日水曜日

2024.05.01 和田秀樹 『70歳が老化の分かれ道』

書名 70歳が老化の分かれ道
著者 和田秀樹
発行所 詩想社新書
発行年月日 2021.06.25
価格(税別) 1,000円

● 著者の老人本のベストセラー群の嚆矢になったのが本書だと思う。その後に刊行された本をかなり読んでいるわけだが,本書に書かれていることは,すべてどこかで読んだことがあるものだ。
 逆に,本書を読んでいれば,著者の他の老人本を追いかける必要はないかもしれない。

● が,ぼくはこのあとも読んでいくと思う。なぜかというと,自分に都合がいい本だからだ。健診なんか受けるな,健診の結果なんか気にするな,血圧・血糖値・コレステロールは高くて上等,正常値まで下げるために薬を飲むのはアホやで。
 糖尿病で高血圧,コレステロールも中性脂肪も尿酸値もバッチリ高いぼくには,それでいいのさ,気にするなよ,と言われているようで,ホッとするというより元気が出るのだ。自分の現状にお墨付きをもらったような気分になる。

● 以下に転載。そのほぼ全ては,著者の別著で転載しているところと被るはずだけど。
 気持ちが若く,いろいろなことを続けている人は,長い間若くいられる。
 栄養状態のよしあしが,健康長寿でいられるかどうかを決める。(p4)
 旧来型の医療常識に縛られず,70代をどう生きるかで残りの人生が大きく違うというのが,私の30年以上の臨床経験からの実感です。(p5)
 80歳や90歳になっても,いまの70代の人たちのように元気に活躍できるようになって,人生のゴールがどんどん後ろにずれていくというのは幻想でしかありません。若返るのではなく,医学の進歩によって,「死なない」から超長寿になるというのが「人生100年時代」の実像です。(p20)
 「人生100年時代」が目前に迫った私たちは,今後は「老い」を2つの時期に分けて考えることが求められていると私は考えています。それは70代の「老いと闘う時期」と,80代以降の「老いを受け入れる時期」の2つです。どんなに抗おうと,老いを受け入れざるを得ない時期が,80代以降に必ずやってきます。(p29)
 高齢者のほうが,身体能力や脳機能において,個人差が格段に広がっているのです。その高齢者が大多数となっていくこれからの社会は,まさに多様性に満ちた社会となるはずです。このような「健康格差」が生じるというのが,これからの社会の特徴となります。(p33)
 高齢者にとっては,脳機能,運動機能を維持するために,「使い続ける」ということが重要なのです。個々の能力差が大きくなっていく超長寿社会においては,その維持するための努力をしたかどうかが,その後の大きな差となって現れてきます。(p34)
 実際に,「使い続ける」ことを実践できる人はそう多くありません。なぜなら,頭では理解していても,70代になってくると,意欲の低下が進み,活動のレベルが低下してくるからです。(中略)この「意欲の低下」こそが,老化でいちばん怖いことなのです。(中略)「意欲の低下」を防ぐには,日々の生活のなかで,前頭葉の機能と,男性ホルモンを活性化させることがとても重要になってきます。(p35)
 70代の人たちは,放っておけば何もせず,すぐに老け込んでいく危険性をもっています。だからこそ,機能維持のために意図的に振る舞うことが大切になってきます。このタイミングで,意識してよい習慣をつけることで,80代も元気さを保つことができるのです。(p43)
 70代一気に老け込む人の典型は,仕事をリアイアしたときから,一切の活動をいっぺんにやめてしまうというケースです。(p46)
 歳をとったので「引退する」という考え方自体が,老後生活のリスクになります。引退などと考えず,いつまでも現役の市民であろうとすることが,老化を遅らせて,長い晩年を元気に過ごす秘訣です。(p49)
 肉を食べることは,セロトニンと男性ホルモンの生成を促進し,人の「意欲」を高め,活動レベルを維持することにたいへん効果的なのです。(p70)
 一日中,部屋のなかにいることだけは避け,日中での明るい光を浴びる習慣をつけてください。これだけでも,高齢者が意欲の減退を防ぐには効果的です。(p72)
 前頭葉の老化を防ぐには,「変化のある生活」をすることが一番です。(中略)毎日,単調な生活を繰り返していると,前頭葉は活性化せず,衰えてしまいます。(中略)仕事やボランティア,趣味の集まりなど,外に出かける用事が生活のなかに組み込まれていることが,いちばん単調な生活を送らない解決策と言えるでしょう。(p75)
 一人で読書に勤しむような自学スタイルは,前頭葉の老化を防ぐという麺では役に立ちません。(p79)
 誰かと話す機会がなかなかつくれないという人でも,いまではブログやフェイスブックなどのSNSがありますから,そこに自分の意見を書き込むようにすれば,直接の会話ができなくても前頭葉は活性化します。(p82)
 何かを発信する機会には,「物知りな人」より,「話の面白い人」を目指すことが前頭葉の老化防止には効果的です。(p83)
 階段の上り下りにおいては,実は下りるときの筋肉のほうが先に弱るのです。ですから,いつまでも自分の足で歩くことを目指すなら,階段では下りの練習をしたほうがいいのです。(p86)
 メタボの提唱者の松澤祐次氏は,やせようとしているようにはまったく見えない太めの体型ですが,今年80歳になるにもかかわらず,とても元気です。(p94)
 70代の人にとっては,100歳まで生きたとしてもあと30年です。どう生きたいのか,ということも考える必要があるのではないでしょうか。(p97)
 人づき合いをしていると,男性ホルモンが少しずつ増えてくるちう側面もあります。それによって,さらに人と交流する意欲が増進するという好循環をつくることができます。(p101)
 70代になったら,もう,嫌なことはなるべくしないということが大切です。(中略)私がお勧めすることがどうしても嫌なら,もちろんやらないほうがいいのです。(p103)
 苦しければ苦しいほど,大きな成果が待っているという考え方からは,そろそろ解放されましょう。(p104)
 医学の知識がない患者さんだと,少々,薬の副作用があっても,医師が健康のために処方したのだから我慢しようと考えてしまいがちです。しかしそのような我慢は必要ありません。我慢したところで,それで長生きできるなどという確証はないのです。(p113)
 結局,医学とは,不完全な発展途上の学問だということです。だからこそ私は,現実をとらえた統計データこそ,もっとも嘘のない信頼に足るものだと考えています。(p125)
 日本人のおかしなところは,風邪くらいでも簡単に病院に行くのに,心の不調の場合は自殺するまで病院にいかないというところです。(p139)
 日本社会では,依存症の人間の意思が弱い,人間性がだらしないからだ,といった見方をされがちです。そして,依存する人間のほうを叩き,依存症を生み出している酒類メーカーやパチンコ屋,ゲーム会社はそれでお金儲けをしているにもかかわらず,何も批判されません。(p141)
 会社勤めをしているような人だと,どうしても仕事だけで時間が忙殺されてしまう傾向がありますので,意識して趣味をつくろうとしないと,定年まで無趣味できてしまうということがほとんどではないでしょうか。(p157)
 だから「50代や60代の勤めているうちに,趣味をつくっておくことが重要です」(p157)となるのだが,ぼくの経験では定年後の人生がどうなるかは,定年になった時点で勝負はついている。趣味だけの問題ではない。夫婦仲がいいか悪いかはそれ以上に重要だ。おそらくだけれども,定年後にそれを修正するのはほぼ不可能ではないかと思う。定年になってから慌てても手遅れだ。
 趣味したって,探して見つけるものではないような気がする。気がついたらやりたくてしょうがないものとしてそこにあった,というのが普通のあり方ではないか。やりたくてしょうがないものならば,仕事で忙しいという程度の理由で,やらずにいることなどできるわけがない。できる範囲でやっているはずだ。定年数年前になってそのやりたくてしょうがないものがないようだと,すでに逆転は難しいのじゃないか。
 私がこれまでみてきたケースでわかったのは,親の死がとてもこたえるという人は,親子関係に対する罪悪感をもっているということです。これまで不仲であったり,親不孝ばかりしてきた,親孝行もろくにできなかった,そんな思いが罪悪感となっていて,いざ親がいなくなってみると喪失感に耐えられなくなってしまうのです。(p169)
 70代ともなると,だんだん人づき合いがおっくうになり,夫婦ふたりで行動することが多くなります。(中略)しかし,その関係は永遠には続きません。必ずどちらかが先に亡くなり,どちらかが残されることになるのです。(中略)だからこそ70歳になったら,行動のすべてが「夫婦ふたりユニット」になってしまわないように気をつけるべきです。(p171)
 最近の研究では,男性ホルモンが多いと,「人にやさしくなる」といこともわかってきました。(p181)
 私は,70代になったら,自分のことだけで生きるのではなく,まわりの人のために尽くす生き方に少し変えていったほうがいいのではないかと考えています。(中略)肩書やお金持ちかどうかといったことが,その人の人生を決めているわけではないのです。最後はその人が,まわりに対して何をしてきたかが大きいと思います。(中略)自分も他者にやさしくできるようになってきたと感じることがありますが,そのようなときは,私自身も幸せだとしみじみと感じるものです。(p186)

2023年12月17日日曜日

2023.12.17 田辺聖子 『老いてこそ上機嫌』

書名 老いてこそ上機嫌
著者 田辺聖子
発行所 文春文庫
発行年月日 2017.05.10(単行本:2010.01)
価格(税別) 680円

● 大きい活字でゆったりと組んである。年寄りにはありがたい。
 世にあまたある老人本を読んでいる暇があったら,本書を繰り返し読み返す方がよほどいいなと思った。

● 名言集というか箴言集なので,そういうものから転載するのも何だかなぁと思うが,以下にいくつか転載。
 私は,人間の最上の徳は,人に対して上機嫌で接することと思っている。しかしこれは中々にむつかしい。(p3)
 幼なごころにも,殊に好きだったのは,幼な子の初節句などの寄合いで,赤子をかこむ家族たちの,輝くような笑顔だった。いま,年を重ねた私は,歳月を経て,人生を重ねた人々の面輪に,深い共感と,愛を感じずにはいられない。(p4)
 時間を自由に使えるというのは,これは,無為に生きている人間には拷問であるが,人生が充実している人には,すばらしいおくりものである。(p27)
 私がはかない物あつめをするのは,「驚かされたい」という気分があるからだ。(p30)
 女の幸福は,男のひとに対して,好奇心むらむら,という状態でいられるときであるように思われる。(p32)
 「熟年は和して同ぜず,若輩は同じて和せず」である。老婦人は貴婦人でもあらねばならぬ。群れること無用(p34)
 若さ・美貌・才気などというものも,一生持ちつづけて終点へ到着できると,いちばんいいのだが,こういうのは,わりに早く乗り換えの駅がくる。(p42)
 何よりも気概がないから人を招べないのではあるまいか。「自分の領土に,客を迎える領主」の気概である。(p49)
 〈コンマ以下は切り捨て〉というのである。コンマ以下とはなんぞ。人の世の,もろもろの下らぬことである。(p54)
 士はおのれを知るもののために死に,女はおのれを喜ぶもののために化粧をするそうだが,こういう人がいなくちゃ,私も長生きしている甲斐がない。(p57)
 シンプル対ゴテゴテ,これは各人の好みであろうけれど,人間の世の面白み,という点からいえば,「コトバのゴテゴテ」がなるべくあるほうがいい。(p78)
 仕事を一生けんめいして,丈夫で「よく笑う」女の子は,抛っておいても美人になってくることを発見した。そうしてその美人性は伝染する。(p92)
 私は,自我定期券説である。定期券を改札口で出してみせるように,出すべき処だけ,自我を出せばいいのであって,いつもいつも出して見せびらかすものではない。(p99)
 元気の光源になれるような人は,どんなに年をとっていても,少女であり,少年である。(p112)
 思いこみがあっては,べつな考え方なんてできないのだ。(中略)思いこみがあると,センスも技術も退歩してゆく。(p155)
 私は,若い女性は絶対に正直であってほしいと思う。(中略)若い女性らしい感性的な正直さで,「なんや,気色わるいやないの」という,肌になじまないものはいやだ,というふうな正直さを身につけてほしいと思う。(p179)
 司会の釣瓶サンが,「女の子は僕からみると,みんなかわいらしいのに。ブスなんか一人もおらへんよ」といっていた。私も全く同感である。(p195)
 誰や,女はかよわいもの,なんていう奴。たくましいでェ。すばやいでェ。しかもたのもしいでェ。(p200)
 失われたものを取り返そうと思うと,これは「しんどい」ことである。(中略)それよりも,あとへ残されたもので勝負する,日々少なくなるカードを切り直し切り直し,手持ちのカードだけでなんとかやりくりするほうがよい。(p206)
 老成というが,あれはウソである。(中略)あるときから鍍金は剥げはじめるのではないかと私は疑っている。蓄積した知識は錆びつき,共用はストンとずり落ち,洞察力は偏見と独断で曇るのではないか。(p210)
 自分では若さを失いつつあることを,よく知っている。しかし「若さ」から「いさぎよく引退」したくはない,また,人にもそう思われなくない,その矛盾に不安をおぼえつつ,去勢を張らずにいられない,そのへんのマゴマゴぶりに私は何ともいえぬ人間の旨味を見出す。男も女も,そのへんに色気があるといってもよい。(p211)
 お心にまかせて,先のとりこし苦労をせず,昔のことは忘れて,今を元気にたのしく,というのが私の方針である。(p216)
 年をとれば,自分で自分を敬わなければいけない。自分がへりくだってつつしむのはほんとに好きな人,尊敬できる人の前だけである。(p220)
 人生の最後まで,たのしめて,「おもしろかったネー」「じゃまた。バイバイ」と,たがいにそれぞれの棺へ入り,フタをしめることのできる,そんなうれしい相棒は,男なのだ。子供ではないのだ。(p222)

2023年10月11日水曜日

2023.10.11 鹿島 茂・井上章一 『京都,パリ この美しくもイケズな街』

書名 京都,パリ この美しくもイケズな街
著者 鹿島 茂
   井上章一
発行所 プレジデント社
発行年月日 2018.09.28
価格(税別) 1,200円

● 面白い。ティプスというのか,細かい知識がずいぶん増えた。欧州の聖職者たちの生々しい部分や,娼館が情報活動の拠点になっていたとか,地方の武士が京に赴くのを嫌がらなかったのは京女と遊べる楽しみがあったからだとか,そういう話。
 京都の洛中に住む人の品性の下劣さも。洛中人に限らず,人はこうなるものだけどね。差別やいじめを産む元になる心ばえというのは,人の本性の部分に鎮座ましましているんでしょうね。爬虫類脳にあるんじゃなかろうかね。

● 以下に転載。
 パリ生まれ自慢という人はあまりいない。(中略)フランスのパリ盆地では,親子が別居で,兄弟が平等の「平等主義核家族」が普通です。これだと,家族や家計よりも個人が最優先され,家族や家系というものはあまり意識に入ってこない。(鹿島 p18)
 たかが茶の,しかも飲み方の作法だけを伝える家が千家何代当主とか,器を扱う家の由緒がどうとかね。(中略)一般市民に毛が生えたようなのが,何百年続いているということを誇らしげに語るというのは,やっぱり,なんかどうなんでしょうね。(井上 p21)
 フランスには「売官制度」というのがあって,(中略)金ができるとブルジョワは,息子に高等法院の官職を買ってやり,法服貴族にする。息子が貴族になったら,親は出自を隠すために廃業する。これの繰り返しだったから,創業何年というのを誇りにする伝統というのは,生まれなかったのですね。(鹿島 p23)
 創業数百年の名家になるとね,しきたり,親戚の陰口,もう大変なんですって。(井上 p26)
 鹿島 城ってね,船を持ってるのと同じで,買う値段より維持費のほうが高い。だから1億円でシャトーを買ったら,年間の維持費も1億円かかると思わなきゃならない。(中略)
 井上 じゃあ,シャトーの持ち主はある意味で,文化庁に代わってフランス文化の保存係をボランティアで担っているということに。(p29)
 フランスのブルジョワというのは,元はといえば基本的にどケチで,かなり節約タイプの人が多い。(鹿島 p37)
 鹿島 大手町の首塚ね。(中略)あの将門の首塚は一等地にありますが,祟りを恐れて絶対動かしませんよね。
 井上 僕はね,不思議やと思うんですよ。周辺の企業,三井物産かな。机と椅子が全部,将門公へお尻が向かないように設置されている。それは,要するに皇居へ尻を向けるのは構わないということですよね。
 鹿島 不敬よりも,怨霊のほうが怖い。(p44)
 キリスト教というのは,基本的に「この世は地獄で,あの世は天国だ」という考え方ですからね。キリスト教圏で幼児死亡率がなかなか抑制されないで,人工が増えなかったのは,「子どもが死んでも,天国にすぐ行けるからいいんだ」という考え方で,幼児ケアが改善されなかったからなんです。(鹿島 p46)
 井上 フィレンツェにも,世界最古の赤ちゃんポストみたいなのがあると聞いたことがあります。(中略)結局,それは修道士がしでかした不始末の処理場やったんじゃないかなという気がするんですよ。
 鹿島 不始末の処理場ということだったら,女子修道院がそうですね。(中略)女子修道院というのは,18世紀ころまでは,不慮の形で妊娠してしまった女性が子どもを産む場所ではあったんですよ。(中略)秘密の産院の機能を果たしていたことは確かですね。(p46)
 井上 ジャン・ジャック・ルソーなんて,みんな里子に出して。
 鹿島 はい。子どもの大切さを説きながら,自分の子どもは片っ端から棄児院に入れていた。(p47)
 アメリカにおける,ただし東海岸におけるフランス・コンプレックスは,かなりものがあります。(鹿島 p52)
 中世,たとえば百年戦争以前の段階においては,禁欲主義というものは,地に落ちていたんですね。(中略)ヨーロッパ中に女子修道院は,売春宿にほとんど等しかったようです。坊さんのスケベさ,悪辣さというものが,極まっていたことは確かなんですね。(鹿島 p56)
 滋賀の三井寺の坊さんに聞いた話ですけど,ご当人が銀座のクラブで僧服のままで入って行った。すると,周りの目が凍っていたと。(中略)「ああ,しもた。ここは京都とちごたんや(中略)」と。そう,堂々とおっしゃっておられました。(井上 p58)
 井上 京都の守護警備に,関東武士たちが唯々諾々と仕えました。何年か働くと,「何とかの守」にしてもらえる。(中略)だけど,私はそれだけじゃないだろうと思う。やっぱり,簾の向こうに垣間見えるお姉さんの姿も,彼らをつき動かしたんじゃあないか。(中略)京都の無力ならぬ美人力が政治的にも大きく働いたのではないかと思うんです。(中略)
 鹿島 フランス史でも,明らかにありますね。それは,なぜドイツ軍はパリを目指すかという話で。(中略)パリの女に対する,ドイツ人の幻想は大きいんです。しかも,ヒトラーのパリ占領でも繰り返されたんです。(p73)
 平安文学を読んでいると,朝廷の貴族たちは,一日中色恋に明け暮れているように思えてしまいますが,彼らは結構働いているんですよ。(中略)ただ,平安文学は主に女の人が書いているので,女の人は彼らの働いている姿を見てないんですよね。(井上 p103)
 井上 紫式部自身が,ということではないですけれども,彼女のいた世界はやっぱり,男にとっての「銀座」だったんだと思います。
 鹿島 そういうことですね。男はいろいろなことを自慢したいがために,そこにやってくるわけだからね。(p103)
 私はラ・ロシュフコーを初めて読んだとき,(中略)京都のおばはんが口にすることと,よう似てるなあとも思いました。(井上 p106)
 痴漢の出現率が,他国より高いのも,普段接触を禁じている日本文化のせいなんですよね。(中略)痴漢は,ハグができない日本文化のひどい副産物なんですよ。(井上 p113)
 脚が隠されていたのに対して長い間,上半身の露出には,ヨーロッパは非常に寛容でした。(中略)胸元の乳首のところだけを辛うじて隠して,肩は完全に露出する。つまりデコルテが夜会・舞踏会文化における公式の礼服となった。(中略)何人といえどもこれには逆らえない。日本の皇妃様だって,デコルテにせざるを得ない。(鹿島 p115)
 江戸時代の日本では,京都でも江戸でも,ファッションリーダーになったのは,歌舞伎の女形なんですよね。(中略)女装の男がファッションリーダーになったわけですよ。だから,胸がふくらんでいるなんていうのは下品。寸胴ぐらいのほうが美しいとされた。(井上 p118)
 鹿島 そのパリジェンヌ幻想の頂点であるパリのムーラン・ルージュやリド,あるいはクレイジー・ホースで踊っているフランス人は減っている。背が高く,スタイルが良く,美人で,肉付きもいいという,全部の条件を備えた女性となると,ロシアやバルト三国,あるいはウクライナなどの出身になる。(中略)
 井上 京都の祇園の芸妓さんも,京都出身の女の子はほとんどいないですから。(p125)
 それこそ世界中の外交使節が,パリで恥ずかしいことをしはるわけじゃないですか。そして,彼らの女遊びは,しばしば外交機密を娼館側にもたらします。だから,フランス政府も国益を考えれば,彼らに女遊びをさせたい。そのため,取り締まりはほどほどにしてしまう。(鹿島 p128)
 文化の魅力って,多くのおっさんにとっては,女道楽のテイストを請け合ってくれることだったと思います。(井上 p129)
 上海でね,そういう娼館を通した秘密情報が一番飛び交ったのは,フランス租界なんですよ。ドイツは第二次世界大戦でフランスを占領したので,フランス租界の管理人にもなりました。でも,娼館には手をつけなかった。そこで入手できる情報は,やはり大事だと思ったんでしょうね。(井上 p129)
 パリジャンにとって,処刑というのは最大の娯楽,見世物だから,中心を離れるわけにはいかない。(鹿島 p142)
 上流階級は邸宅から馬車で出て,チュイルリー公園などに直接散歩に行く。つまり,街中は歩かなかったんですね。(中略)だから,街中がいくら汚くても,そこを歩かない上流階級には関係ない。(鹿島 p144)
 墓地って,だいたい中心部から見て,西の外れにあるでしょ。日の沈むほうに。これは洋の東西を問わない。(鹿島 p145)
 パリを歩くと,日本人にとってはどこも古い街並みのように見えるけれど,実は大半が1867年ごろ,日本でいえば明治維新のころに建てられたにすぎないんです。(鹿島 p160)
 京都ではね,応仁の乱が終わった後,上京と下京の中間地帯は焼け野原になって,何もなくなるんですよ。(中略)秀吉の時代になって,(中略)近江とか伊勢から入ってくるんですよ。この新参者を「中京衆」と呼んでいたんですね。(中略)中京衆は,島原の遊郭では遊ばなかったんです。いや,遊べなかったのかもしれない。(中略)そんな新参者に見出された遊興地が祇園なんですよ。(井上 p160)
 ルーマニア人って,ラテン気質なんです。(中略)男は飲んだくれの道楽者で,稼ぐのは女というタイプの国だそうです。日本でいったら,土佐みないなもんです。(鹿島 p170)
 商人たちが付き合う権力の館は,御所じゃあなく,二条城やったと思うんですよ。幕府の出先である所司代,京都所司代だと。(中略)この近辺の,とりわけ政商たちは,天皇が東京へ移ったこと以上に,幕府がついえ去ったことを残念がったような気がするんですよ。(井上 p172)
 京都は,もう江戸時代から,江戸=東京をパトロンに持つ街として生き延びる方向を選んでいたんではないでしょうか。「江戸=東京何するものぞ」とは,あまり思わなかったんじゃないかな。(井上 p174)
 幕府の統制から離れて,日本の建築は,「表現の自由」を獲得したんですよ。ヨーロッパの都市では,いまだにあり得ない「自由」を。(井上 p178)
 京都観光のガイドブックが充実してくるのは,江戸時代の中ごろからなんですよ。そのころから,京都の経済力は落ちていて,京都の商人たちは,本店機能を大阪に移し始めるんですね。(井上 p194)
 伊勢は応仁の乱以降,収入が途絶えるので,遷宮を一切しなくなるんですよ。100年ぐらい経って,もう昔の伊勢神宮がどんな形をしているのかわからなくなって。今のは,その後で新しく造り出したものなんですよ。(井上 p199)
 文化立国というのは,要するに文化で人をたぶらかして来させるということですからね。(鹿島 p200)
 鹿島 パリがコンプレックスを抱いたことのある都市って,ローマだけなんですよ。
 (中略)
 井上 それは,西洋世界全部そうじゃないでしょうか。ワシントンなんて,ローマ帝国に憧れているとしか思えないような作りですから。(p231)
 鹿島 パリでおいしいレストランを探すのは意外に大変です。フランス料理って,基本的に時間をかける料理なんです。ソースが重要だから。時間をかけないで素材を活かした料理となると,イタリアンに絶対負けるんです。
 (中略)
 井上 安い食い物に関しては,京都より大阪のほうが絶対おいしいです。(中略)値のはる店だと,京都も水準は高そうですけれども。(p236)
 もともと農村から締め出された余剰人員が,暴力化したのが騎士だから,都市民のブルジョワジーとは相いれない。(鹿島 p240)
 商人には痩せ我慢の精神がない。商人は,おいしいものを愛でる。グルメの先駆けでした。そして,大阪は商人の街だったんです。(井上 p243)
 「考えるとは比較することだ」というものです。言い換えると,観察すべき対象が二つ以上なければ比較することは不可能なので,考えることもまた不可能だということになります。(鹿島 p266)

2023年10月9日月曜日

2023.10.09 和田秀樹 『六十代と七十代 心と体の整え方』

書名 六十代と七十代 心と体の整え方
著者 和田秀樹
発行所 バジリコ
発行年月日 2020.06.25
価格(税別) 1,200円

● 著者の既刊本と内容は重複するところがある。大事なことだから何度も書く,一度では通じないから繰り返し訴える,ということもあろうし,読者側も読むと元気が出る(ような気がする)から何度も読みたい,ということかもしれない。
 同じ本を何度も読むよりは,多少とも違ってる方が読んだ気がするからと,新著を求める。同じ人たちが読んでいるのだと考えないと,ベストセラー現象の説明がつかないからね。

● とはいえ,著者のベストセラー群の中で本書が最も読み応えがあるというか,お堅いというか。ですます調の軟らかい文章にはなっているんだけれども,内容は盛りだくさん。

● 以下に転載。
 大方のサラリーマンにとって,定年は本人が自覚する以上に心身に大きな影響を与えます。とりわけメンタル面における打撃が大きく,(中略)鬱症状を引き起こすことも珍しくありません。(p12)
 よく言われることだ。ぼくも退職するときに,先輩から言われたことでもある。しかし,ぼくにはこうしたことは1ミリも起きなかった。仕事や職場に体重をかけたことがなく,半分退職してるような気分のまま務めていたからだ。退職によって失ったものがない。やっと自由になれた歓びでいっぱいだった。
 あと,辞めたのが2020年の3月だったこと。コロナで世界が一変するその始まりに辞めたので,退職して云々はコロナに吸収された感があった。
 特に所属願望の強い日本人にとって,会社という「場」の喪失によりアイデンティティの揺らぎを引き起こすことが多々あります。(p14)
 これもぼくにはなかった。所属願望なんてなかったから。自分の勤務先が自分にフィットしているとはとても思えなかった。もちろん,適応しようとはしたし,それなりに適応できていたと思うんだけど,それとここに所属していたいと思うかどうかは別の話でね。退職時にはサイズが合わない服を脱ぎ捨てられたような爽快感があったけどねぇ。
 コロナだったから送別会だのがすべて中止になり,妙な儀式につきあわされずにすんだのも有り難かった。コロナ様々。
 以上に関しては,ぼくが少数派ということでもないような気がする。つまり,退職によるアンデンティティの揺らぎなんてものは,すでにだいぶ少なくなっているんじゃなかろうか。
 「老害」なんてものはありません。確かに高年世代の中に周りに迷惑をかける,つまり「害」をなす人間はいるでしょう。けれども(中略)害をなす人間はどの世代にもいます。(p22)
 本当にディメリットを与えるような人間であれば,高年だろうと若年だろうと友情は組織から排除されるはずです。その人物が居座っているのは,その組織にとって何らかの意味があるからに他なりません。一方で,判断力のない若い政治家や経営者は世の中にいくらでもいます。(p22)
 すべての人間は自分が世界の中心だと潜在的に意識しています。自分が在って世界が在る,人間の自意識とはそういうものであり,人間が人間であるための実存的真理です。(p24)
 高年者をはじめとする社会的弱者を差別し攻撃する連中に共通しているのが,表現は異なっても,まさにこの「生産性」の高低を論拠にしている点だからです。彼らに決定的に欠落しているのは,一言で申せば「明日は我が身」という想像力です。一寸先は闇,明日何が起きるかなんて誰にもわかるはずがありません。(中略)彼らは,そんなことさえ想像できない。要するに馬鹿なのです。(p28)
 私は,彼らが尊厳死などと言えるのは本人がまだ元気だからだと思っています。(p35)
 そもそも,生きたいという医師は人間に備わった本能です。したがって,たとえ家族といえども本人の意志とは無関係に,かわいそうだと勝手に決めつけて治療を中止するのは,やはり高年患者に対するある種の差別ではないでしょうか。(p36)
 私は「競争」を有益だと考えるものです。競争には,個々の人間を鍛え,結果的に全体のレベルを向上させるという原理が在るからです。(中略)競争のない環境下では人間に備わった諸々の潜在能力は向上しない(p39)
 個人が努力と創意工夫によって富を得ることは,何ら悪いことではないと私は考えています。ただ,その富は市場という名の「一般大衆」という存在があってこそ獲得できるわけです。したがって,成功者が自ら得た富の一部を,税金というかたちで大衆に還元するのは当然のことではないでしょうか。(p45)
 細胞にとって活性酸素はガンと並ぶ天敵とも言うべき存在です。(p59)
 大部分の人は高年になると病気になり,また介護など支援を必要とするのが現実です。(中略)迷惑をかけられたり,かけたりするのが人の人生であり,まったく気に悩むことはないのです。(p81)
 生きているからこそ病気になる。そして病気になるということも私たちの人生の一部であり,そこには何らかの意味が介在するはずです。(p82)
 すぐに動くということは大切です。動けば何らかの変化が生じます。行動するということは,不安を緩和する効果があるのです。(p88)
 雨風をしのぎ安心して眠れるという「家」に求められる本質的機能は,立派な家でも質素な家でも変わりありません。(中略)実のところ,我々の生活の中で本当に必要な人や物はとても少ないはずです。(p89)
 裕福だからできることもあるでしょうが,裕福だからこそ手に入らない幸せもあるのです。目を凝らして周りを見渡せば,「幸せ」はそこかしこに点在しています。そして,意識的に行動すれば金をかけなくても幸福感は得られるのです。(p90)
 老いるのも,病気になるのも,死ぬのも,この根本原因は生きているからです。そして,なぜ生きているのかと言うと生まれたからです。こんなに思い通りにならない人生であるのなら,いっそこの世に生まれてこなければよかったと考えても,もちろん思い通りにはなりません。(p102)
 常識のない人間や無神経な言動をとる人間というのは,どこにでもいるものです。そんな連中に腹を立てるのは正当な感情であり,否定する必要はまったくありません。けれども,そうした感情をひきずるのはよくありません。そんな感情はほっておけばいいのです。つまり,気にしなければいいのです。(p106)
 私たちはそれぞれ唯一無二,オンリーワンの存在として生まれてきました。考えてみれば不思議な縁であり,奇跡のようなことではりませんか。だからこそ,人生は誰にとっても貴重であり,高年になっても生きている間は生きることに懸命になるべきなのではないでしょうか。(p110)
 一つの食品に執着し他の食品の接種がおろそかになることは,とても悪いことだとも思っています。(中略)理想的な食生活とは,肉も魚も野菜も,要するに何でもバランスよく食べるということに尽きます。(p118)
 加齢に伴う食の嗜好の変化,すなわち少食になり脂肪を含む食品を忌避するようになることを放置したままでいると,自然の摂理に従ってそのまま徐々に老け込んでいきます。(中略)それでいいのだ,と達観されているのであれば,私から申し上げることはありません。(p122)
 臓器の活動時間ではない時間に食事をすると臓器に大きな負担をかけるので,不規則な食事は避けるようにしてください。(中略)臓器の活動時間からすると,朝食は七時~九時,昼食は十二~十四時,夕食は十九~二十一時が食事をとるのに望ましい時間です。(p125)
 ただでさえ,食事がおろそかになりやすい高年者にとって,食事を抜くなど自殺行為に等しいのです。(p125)
 一般に夕食には肉類など重い食事をとりがちですが間違っています。(中略)軽めの食事にしてください。(中略)夜は体に蓄積された老廃物を処理する腎臓の機能が高まっているので,なるべく水分をとるようにしてください。(p127)
 「散歩は旅だ」と誰かが言っていましたが,確かに「小さな旅」と言えなくもありません。(p144)
 煙草の成分には血管を収縮させる物質が必ず入っています。血管が収縮すると体内に酸素が行き渡らなくなるため様々な悪影響が生じます。体内の酸素は少な過ぎても多過ぎても老化を促進する原因となります。(p149)
 六十五歳以上の方にとって,禁煙するかしないかは微妙なところではあります。というのも,二十代から六十歳を過ぎるまで吸い続けてきた場合,禁煙による体の改善効果はあまり期待できないからです。有体に言えば,手遅れだということです。(p149)
 喫煙は恒常的に毒を飲んでいるようなものだし,今後確実に値上がりが続くであろう煙草にかけるコスト,そして禁煙によって間違いなく食べ物がおいしく感じられ食欲が増進することなどを考え合わせると,やはり止めるにこしたことはないでしょう。(中略)本書を読まれたことを機に禁煙にチャレンジされてはいかがでしょうか。(p149)
 著者がここまで明確に煙草を否定しているのは,本書が最初で最後かもしれない。
 心と体の大敵はストレスです。そして,往々にしてストレスは「がまんする」ことから生じます。(中略)「がまん」はすべてよろしくありません。(p152)
 基本的には「自分は自分,人は人」というスタンスで生きていくのが高年世代の心得としては正解です。(中略)「大きなお世話だ」と胸を張って我が道を行けばいいのです。何せ,一回こっきりの人生なんですから。(p153)
 人間はメンタルにおいてもフィジカルにおいても複雑系の存在です。今度は「ストレスのない生活」自体がストレスに転化するのです。(p154)
 高年世代の理想的生活の在り方は「心はノンビリと,脳と体は活発に」ということになりましょうか。(p154)
 活動的なのはいいことですが,毎日の時間割を作成するといった細かいスケジュールは立てない方がいいでしょう。なぜなら,スケジュールに押しつぶされるからです。(中略)せっかく自由な時間があるのだから,予定は大雑把でいいのです。(中略)出たとこ勝負,その日の気分の赴くままに活動すればいいのです。(p155)
 使わないまま死んでしまえば儲蓄も意味はありません。(中略)使える金は自分や妻(夫)のためにどんどん使うべきです。(中略)それも,できれば「モノ」よりも「コト」,すなわち体験に使うべきでしょう。というのも,「モノ」はアンチエイジングに影響を与えませんが,「コト」は確実に心身を活性化します。(p158)
 歳をとったからといって枯れる必要は全然ないと私は思っています。生きている間は懸命に生きようとする在り方,すなわち生命力自体に真の「美しさ」が宿ると考えているからです。そして,生命力の源は「欲望」です。したがって,人間の欲望を抑圧することは,生命に対する冒涜ではないかと私は考えています。(p159)
 要するに,太守は誰かを罰したいのです。他者の不正義を糾弾してスカッとしたいわけです。そして,マスコミはそうした大衆の暗い情念をすくい取り,迎合した記事を流します。(中略)こうしたマスコミと大衆の関係,その他罰感情は卑しく不健康であると言う他ありません。(p160)
 性欲を抱くことが不道徳だと言うのであれば,私は躊躇なく不道徳であることをおすすめします。(p162)
 バイアグラの効能はED治療にとどまらず,血管内皮機能を高め動脈硬化によって血流が悪くなった血管を改善することが最近になってわかってきました。要するに,血管を若返らせる機能です。血管が若返ると,体の様々な機能も改善します。(p162)
 「不良上等,余計なお世話だほっときな,私は私で生きていく」と開き直ってみてはどうでしょうか。(p163)
 人間,恰好をつけなくなったら終わりです。(p170)
 高年世代の方々に私がおすすめしたいのは,自ら情報を発信することです。(中略)脳のアンチエイジングにとても効果的だからです。(中略)文章を書くという行為は脳を刺激し活性化します。私的なメモや定型的な企業文書などと異なり,公開を前提とした文章を書くためには頭をフルに使うことになります。(p173)
 あらゆる事象は立体的であり,正面から見るだけでなく斜めから見たり,裏側にまわって見たりしなければ,その輪郭の総体を正確に捉えることはできません。(p176)
 私が臨床の現場で学んだ最も大きなことは,とてもシンプルなことでした。それは,人間はすべてオリジナルな存在であり,それぞれの人生に優劣などないという当然過ぎる真理でした。(中略)よく「平凡な人生」という言い方をしますが,実のところ平凡な人生などありません。人それぞれ固有の喜怒哀楽を経てきて,固有のドラマを有しています。だからこそ,個々の「生」には意味があるのです。(p201)
 そもそも八十歳以上になれば認知症を発症している人と,これから発症する人という二種類の人しかいないと言ってもいいでしょう。(p204)
 人間が生物である以上死も平等にやってきます。要するに必然であるわけです。必然的にやってくることをあれこれ悩むのは無意味であり,精神の無駄使いです。なるようになる,それが人生だと思い定めれば,心はずいぶんと軽くなるのではないでしょうか。(p205)
 医者の不養生という言葉がありますが,一般に医者は自分の体に無頓着であり,薬や定期健診を好みません。おそらく,数多の治療にたずさわる中で寿命なるものが運命であること,そして健康という概念の本質を直感的に感じ取っているからでしょう。(p205)