読書で人生が変わるなどということは,まずもってないものでしょう。読書が人を賢くすることも,たぶん,ないと思います。 読書は安価でお手軽な娯楽であり,時間消費の手段です。それでいいというより,娯楽でない読書は可能な限り避けたいものです。 娯楽としての読書があれば,老後もなんとかしのげるのではないでしょうか。というか,しのげると思いたいわけですが。
2013年2月1日金曜日
2013.02.01 フジ子・ヘミング 『耳の中の記憶』
著者 フジ子・ヘミング
書名 耳の中の記憶
発行所 小学館
発行年月日 2004.06.20
価格(税別) 1,600円
● これも自分の過去を語ったもの。なので,内容的には他の著書との重複がある。すでに読んだことのある事柄だらけだから,ではつまらないかといえば,そんなことはない。
2日前の夕食のメニューを思いだせないのと同様で,本の内容なんて読んだそばから忘れていくものだからね。
● カラヤンを偲んで「自分でつくった服を着て,自分で刺繍した手提げバッグを持ってカラヤンの演奏を聴きに行ったとき,彼はキラキラひかるスパンコールの刺繍をものすごく褒めてくれました。褒めてもらった刺繍入りのバッグはもう色褪せて,そしてバッグとしては使えなくなってしまったけれど,カラヤンに褒めてもらった思い出として,今でも額に入れて部屋の片隅に飾っているのです」(p77)と書いている。
カラヤンも良いことをしたものだ。っていうか,当時のカラヤンであれば,褒め効果も相当なものであったに違いない。
● 「日本人は景気が悪い悪いと言っている割りには無駄遣いが多いのではないか」(p101)と苦言を呈している。まったくもってその通りで,早い話が貧乏人ほどガラクタに囲まれている,持たなくてもいいモノを持っている,という印象がありますね(わが家のことなんですが)。モノ洪水に溺れそうになっている貧乏人。
最小限度のモノで生活しているのはホームレスの人たちだけで,彼らはいっそ潔い。
● ホームレス救済っていうと,ホームレスから抜けだせるように支援することだ。でもさ,ホームレスのままでやっていけるようにしてあげることってできないんだろうか。
地下道で寝ているホームレスを追いだすとか,公園を生活の場にするのを許さないとか,そこを何とか緩められないかと思ったりもするんですけどね。
自分と異なる存在や異形なるものに対して不寛容だ。存在を抹殺しようとする(いじめの根源は,ほぼここに集約されるのではあるまいか)。一方で,そうであればこその良さもあるんだろうけどさ。
● 日本では行政も変なところできめ細かいし,何だかんだいって相互に監視しあっているようなところがあるしね。他人に無関心でいるってことができないようだよね。他人に無関心でいることを通すって,けっこうエネルギーがいることだしさ。
少なくとも,日本では行方不明になる自由はないからね。すぐに探されてしまう。
って,まったく本書とは関係のない話になっちゃいましたけど。
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