2018年1月30日火曜日

2018.01.30 立川談志・山藤章二 『談志百選』

書名 談志百選
著者 立川談志
   画:山藤章二
発行所 講談社
発行年月日 2000.03.06
価格(税別) 2,500円

● 立川談志が芸人百人を選びだし,その芸人について書いたもの。というより,自身の芸談を披露したもの。
 芸人の中には,噺家や漫談師,浪曲師のほか,プロ野球選手やアナウンサーも含まれている。大衆相手に自分の姿を晒して,何ごとか(エンタテインメントになるわけだが)を伝える職業に従事している人は,広く芸人と考えているようだ。

● 古今亭志ん生
 つまり,勝手なのだ。手前ぇ勝手に生きていた。“周囲なんざァどうでもいい”というその了見は肉親にまで及び,家族を貧乏のドン底に叩き込み,はては娘まで売った。(p14)
● ビートたけし
 判りやすくいやぁ,たけしの人生,乞食から大名になったようなものだ。その乞食時代,彼の家族はたけしを一家の恥として敬遠したろう。それが,たけし売り出しの巻ともなると,一緒にTVに出てるなんざァ,恥も外聞もない家族である。(p18)
 たけしの人生,その姿,どこか,豊臣太閤と似る。そして,晩年もきっと・・・・・・。(p18)
● 林家三平

● 春野百合子
 その名人芸の一作を創るまでの血を絞る様な苦労,苦心はあるはづだ。で,そのプロセスのようなものを舞台の芸に感じる名人もいるし,幸枝若の様にそれをあまり感じない名人もいる。(p24)
 いっちゃあ悪いが,浪曲の客はワルい,レベルが低い。(中略)俗にいやあ,あまり演りたくない場所で,演じることのほうが多いのではなかろうか。一方,その方が真の大衆芸というのかも知れないし,私も散々そういう「客の修羅場」というべき場所で闘ってきたが,それは若い頃の修行でいい。(p26)
● ケーシー高峰
 あのネ,皆さん,教えとくが,「上手く演じる」なんざァ芸人の恥なのだよ。(p31)
● アダチ龍光

● マルセ太郎

● ザ・ドリフターズ
 ドリフターズのTVショウは,「素人共の悪ふざけ」ではない。修練に修練を重ねた技芸と稽古の積み重ね,加えてギャグの集大成なのだ。(p40)
 家元,ドリフは認めたが,コント55号は認めなかった。面白くも何ともなかった。(p42)
 加藤茶は日本中の子供に影響をあたえた。それが“よろしくない”と世間の母親と称するバカ共はTV局に文句の殺到ときた。“世にバカ親の種は尽きまじ”だが,「バカは隣の火事より怖い」。(p43)
● 中田ダイマル・ラケット
 現代のように二人が勝手に喋る漫才ならセンスさえありゃすぐ出来る。『パペポ』がいい例だが,上岡と鶴瓶がどうあがき,どうやってもダイマル・ラケットの足元にも及ばない。そのことは勿論二人共知っている。(p47)
● 玉置 宏
 彼の舞台は歌手のツマミ,ヨイショどころか,己れ自身が歌い手を巻き込んで,結果己れの舞台にしているのだ。判りやすくいうと歌手の私物化,歌い手を利用して自分のショウなのだから凄え,いや酷え。(p50)
 「でもサ,よくつき合ってるネ,仕事となりゃあ舞台を含めて一緒に飯ィ喰ったり,喋ったりするだろ,よく我慢してるネ」に玉さん,「一週間が限度ですよ」とサ。(p50)
 咄家それぞれ,伝説になっており,何か人間として深い経験と,人生観があるように思われているが,世の中に,これくらいの錯覚は他にあるまい。(p51)
● 泉 和助

● 桂 文治

● ジミー時田

● 横山ノック
 本質的に物事が理解っているのだろう。つまり,知事とは何ぢゃいな,大阪人とは何かいな,いえ,“人間ってなァあんなもの”と識っているのだ。少なくとも人間を常識という学習から眺めていない,不完全なものとして人間を見ている感がある。(p64)
● 春風亭柳好

● 景山民夫
 粋の裏腹に野暮の存在を含めないと粋でない(p74)
● 橘家円蔵

● 早野凡平
 けっしてギャグを強く入れない,そして追わない,優しい,上品な芸だ。(p83)
● 薗田憲一とディキシーキングス

● ショパン猪狩

● 柳屋三亀松

● 沢登 翠

● 鈴々舎馬風
 落語の一席と違って,漫談で客ぅハズしたらこんな始末のつかないものはない。噺なら落げぇいって降りてくりゃ済む,けど,漫談はダメ,一席全編受けてなきゃ駄目なのだ。(p100)
● 海老一染之助・染太郎

● 横山やすし・西川きよし
 芸人全盛で死ねりゃ一番だが,因果と生きる。芸の持続があればよしだがまづは無理だから,無残な姿ぁ晒す事になる。それも芸人の生き様だが見てて辛い。(p111)
● 柳屋小さん

● ナポレオンズ
 何故か,この二人が好きなのだ。何処かで信用しているのも不思議だ。きっと“何かある”“何か持ってるはづだ”と思ってるけどまだ一度も見た事はない。それが奴等の芸なのかネ,そう思わせるところがサ・・・・・・。(p118)
● 東 武蔵
 きっと若き頃,浪曲界には名人,上手が居並び,とてもぢゃないが,“正攻法ぢゃ敵わない”“若くして世には出られない”,との発想から創り上げた武蔵節。(中略)少なくとも“苦しまぎれ”と家元は見ているのだが,「変則芸が当たる」世にこれほど独創的なことはない。(p123)
● あした順子・ひろし
 したたかな芸歴の二人は,現代を喋ろうとして“若さを求める”ということをしたときにそのまま現代から遠ざかるのだということを,芸の何処かで知っているのだろう。(p124)
 これらのドロ臭い芸というのが,根強く寄席に残っているということは,むしろ大衆の本音はドロ臭いのが好きなのかも知れナイ・・・・・・。(p126)
● ディック・ミネ

● 高田文夫

● 松井錦声

● ミッキー・カーチス

● 桂 三木助

● トニー谷

● 立川志の輔
 家元別に年齢なんざァどうでもいい,そ奴の芸に対する執念だけが勝負であり,その執念さえありゃ志の輔ぐらいにゃなれる。(p154)
● 山野一郎
 世の中の人達は自分が生きていなかった時代は“オレ知らねえ”と云い,演者が昔話をするだけで,それを唯単に「古い話」「知らねえハナシ」と頭からきめ,己れの知ってるその時代のことのみ受けるので,“それに準じる芸人がほとんど”となるが,結果それが芸人の命とりになるのだ。(p159)
● 田中 朗
 つまり己れから売り込むようなことは一切やらない。いえ出来ない,シャイなのであろうが,裏ぁ返せば傲慢なのである。(p163)
● 三橋美智也
 三橋美智也の最大の欠点は「己れは大歌手なのだ」という自覚がなかった,の一言に尽きる。(p164)
● 中村勘九郎

● 三遊亭円楽

● 千葉 茂
 千葉が二塁を守備ってたから川上は守備は放っといて打撃に専念出来た。一,二塁間のゴロは全部千葉が捕っていた。(p178)
 我家に千葉さんと,中上(英雄)さんをゲストに喋った宝物の録音がある。川上なんざァ,ボロクソだよ・・・・・・つまり,了見が違うのだから仕方ない。(p179)
● 大地真央
 役者自身が好きな台本をやると失敗じる例のほうがむしろ多いのが今迄の芸界の歴史でもある。(p183)
● 三遊亭可楽
 (「今戸焼」の)内容は一口にいうと「愚痴」,唯愚痴である。その愚痴の基本は映画俳優や歌舞伎役者に対する咄家という己れの稼業の卑下だ。何が嫌だったって,己れの稼業を卑下する奴ァ最低だ,嫌なら廃業ゃいい。(p184)
● 松旭斎すみえ

● 曾我廼家十吾
 “役者当人が消えて,そこに役の人間のみが浮かんで来る,これが名人”などということをいっているのではない。そんなこたァ出来る訳がないのだ。しかし,そこかで観客はこの状態を希望むというのは一体なんなのだろう。(p195)
● 海原お浜・小浜

● デープ・スペクター

● 桂 米朝
 人間,出来そうもないものに本気でぶつかり,「努力で解決」なんて嘘である。才能もないのに,巨大なものに挑戦する奴あ唯のバカで,結果バカだから駄目に決っている。(p206)
● 色川武大

● 小林のり一
 粋なんてもんぢゃない。乗り越えてケツカル,理解る奴にゃ堪らない。けど,一般にゃ受けるはづがない。当人も承知だ・・・・・・。(p214)
● 小金井櫻州

● 爆笑問題

● 舞の海

● 柳屋小半治
 生活は浮浪者に近い世界で平気ていたっけ・・・・・・。それは文字通り「平気」であり,一つも卑下はない。(p231)
● 小野 巡

● 立川談春・立川志らく
 芸に完成はない。その芸人のプロセスが芸である。(p238)
● 毒蝮三太夫

● 金原亭馬生

● ボン・サイト
 よく世の中,「不器用でも,下手でも芸熱心ならいつか良くもなる」というけれど,それは違う。世の中に「不器用な芸熱心」ほど始末の悪いものはない。けど,ボン・サイト,不器用,熱心が暖かさという人柄を背景に花が咲き実ったのだ。(p250)
● 和田信賢

● 上岡龍太郎
 大阪人が知性なんぞ,なまじ持ったら東京にゃ受け入れられない,というこった。(p258)
● 柳屋権太楼

● 中村江里子
 女子アナファン,それぞれの贔屓はあるだろうが,“江里子さんダントツである”。それはくどいが,その容姿である。(p266)
 「人間本当に下劣になると他人の不幸しか喜ばなくなる」というが,その通りの世の中となった。(p267)
● リーガル千太・万吉

● 苅田久徳

● 林家木久蔵
 木久蔵の奴ぁ世の中ぁナメてかかっているのだろう。「どう気負ったって所詮世の中,たいした事もあるまいに,なら己れの才能のチョイ出しで充分,軽く世の中そこそこ渡っていける」と踏んでいるに違いない。だからけっして無理ィしない,家元の如くシャカリキに物事に対峙しない。そんなこたァ“野暮の骨頂”だ,と思ってケツカルのである。(p278)
 してみりゃ妙な奴どころか,したたかな奴なのだ。「人生なんてたいした事はない」という落語の本質を身体で,頭で,識っているのである。(p279)
● 藤村有弘
 いや,はや,どうも。こんなに上手い,「見事」の一言に尽きる「世界の語り」は他に類を見ない。(中略)タモリにゃ悪いが,ケタが違う。プロとアマチュアの差だ。(p282)
 芸は「意味」で楽しませるより「音」で楽しませるほうが楽なのだ。ただし,出来ればネ。(p282)
● 森繁久彌
 その森繁久彌,「屋根の上のヴァイオリン弾き」からおかしくなっちゃった。面白くも何ともない芝居で,見ていた家元思わず客席から怒鳴りたくなった。(p286)
● 神田松鯉

● 桂 文珍

● コロムビアトップ・ライト

● 笑福亭松鶴

● 式守勘太夫
 ズバリいやぁ勝負は行司に任せるべきだ。「物言い」は付けても,それがTVのモニターを結論とすると,相撲の権威が失われてしまう。(p307)
 それ故にその行司の品位というか,容姿が内容と共に大切なことになる。で,勘太夫の土俵姿に惚れ惚れするのだ。(p307)
● 三遊亭円生
 文楽師匠に至っては,この昭和の名人に対して“円生は無駄ばかり,私の咄は全部十八番・・・・・・”といったが,世の中に,これ程の誤解はない。咄家の芸評なんて,こんな程度だったのだ。(p311)
 円生師匠が,下手な奴ァ真打ちになる資格がない・・・・・・,といったとき,珍しく我が敬愛この上もなかった人生の兄貴色川武大がいった。“円生だって真打ちになった頃は下手もいいところだったのに・・・・・・”(p311)
● 山城新伍

● 松山恵子

● 十返舎亀造・菊次
 寄席の世界に入ったときに,誰だったかそこそこの真打ちがいった。「亀造みたいにあまり考えると早死にするんだ」。これを聞いて怒りがこみ上げてきた。(中略)これが寄席の世界では通行しているのだから,滅びるのも当然である。(p323)
● 船村 徹
 船村徹にとって一生の痛恨は高野公男の若き死であるはづだ。友は死して石の下に,“寒いだろう,辛いだろう”と墓石に書いた船村徹の詩は胸を打つ。(p326)
● 古舘伊知郎
 だが人間,芸を求めたときにこの平衡感覚という世の常識が邪魔になる。また邪魔にならない奴の芸なんて面白くも何ともない。
● 三遊亭百生

● 三木トリロー

● 権藤 博
 勝っても負けても驚かない,変わらない,人生勝ちもありゃ,敗けもある。“人生勝たにゃ駄目よ,勝って何値やからな・・・・・・”等とホザく貧乏者共とは訳が違う。(p340)
 “プロは教えるもんぢゃあないよ”,精々譲って「アドバイス」。また,教えられて何とかなる奴ぁいないよ。かのイチロー,誰かに教わったわけでもあんめえ・・・・・・。(p342)
● 笑福亭鶴瓶
 放っておいても騒動になる,巻き込まれる。持って生まれた才能だ・・・・・・(嫌な才能だが),これを称して「芸人の才能」という。「芸人の本質」なのである。この「才能」に競べりゃ「技芸」なんて屁みたいなものだ。(p346)
 メチャ鶴瓶を救っているのは,彼の意外や「平衡感覚」なのであり,逆にいうと,それが鶴瓶の本質から鋭さを失わせる。つまり規格品の刃物となり,どこの店でも売れるのである。(p346)
● ジャック武田

● 三遊亭金馬

● ダウンタウン
 松本のスタイル,行動の全てに照れが漲る。家元照れない奴ァ嫌だ。バカなんだ。バカぁ照れない。(p358)
● 夢路いとし・喜味こいし
 爽やかで,キレイであるからその逆の「強烈さ」とか,「これでもか」という姿勢をとらないのだ。(p362)
 このコンビあまり観客の「笑い」という反応に答えない。己れ達の作品を見事に演じることが主となっている。(p362)
● 中尾 彬

● 白山雅一

● 立川談四楼

● 古川緑波

● 澤田隆治
 とことんやらねば気が済まない,その行為はコメディ作りから始まって「大阪漫才」,「上方落語」,演芸一般,つまり全部ということ。現在は浪曲にも関わり合っているが,これまた資料を徹底的に集め分析し,“何とかそれが世に出ないものか”と行為を起こす。見ていてやるせなくなる。(p382)
● 桂 三枝

● 広沢瓢右衛門
 伊藤仁太郎こと痴遊の作品,『痴遊全集』は凄い。正・続三十巻はある。ちなみにいうと司馬遼太郎の維新物のネタの源はこの痴遊全集であろう。“あろう”でない,“だ”と断言出来る。(p390)
● 神田伯龍

● 森サカエ
 歌手のくせに歌手に何処か劣等感を持っている。といって,「芸術といってはいるがそれほど客は思っていない」,ということにも薄々バカなりに気がついている,ということだ。(p396)
● 柳家金語楼
 日本中に金語楼を知らない人はいなかった,ということは「誰にでも解る“笑い”」ということになり,それはイコール薄い笑い,もっというと「軽薄な笑い」と,その道のプロはいう。さァ,それだ,その問題だ。一と口にいやあ人間何で笑おうが,大きなお世話だ,他人がとやこういう筋合いはないはづ・・・・・・。けど,それをいう,いうからには理由がある。その理由はそれを認めることによる己れの不安なのである。(p402)
● 林家正楽

● 桂 文楽

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