著者 外山滋比古
発行所 集英社インターナショナル
発行年月日 2012.01.31
価格(税別) 1,000円
● 本書に述べられているのは,すでに著者が別の著書で語っていることではある。
知識と思考は排斥しあうところがある。教育は知識を詰めこむものだから,思考力を阻害する側面があることに注意せよ。憶えること以上に忘れることが重要だ。
要約すれば,そういうことが述べられている。
● 以下に転載。
知識がふえればふえるほど思考は弱体化し,知識の乏しいものは,思考力をつよく発揮できる。(中略)不用意に知識をふやしていけば,知識メタボリック症候群の病状を呈するおそれもあります。これまでの知識万能思想はそのことを故意に見落としていたのです。ふえすぎた知識は捨てなくてはならない。(p6)
よく忘れ,よく考えるのが,これからの頭です。余計なもののない,整理された頭を自由に働かせるのが,思考です。(p8)
知識は基本的に過去のものですから,情報としては半ば死んでいます。したがって,いくら多くの知識を集めてみても,そこから新しいものを生み出すのは難しい。(p37)
知識だけに頼って経験を軽んじているからでしょう。別のいい方をすると,生活をバカにしています。(p37)
一般企業で学校で学んだ知識が求められる仕事はそう多くありません。ほとんどの仕事は,経験や生活力が物をいいます。それを無視した学校教育の優等生に,いきなり仕事で結果を出すことを期待するほうが間違っているのです。(p41)
知識はうまく使えば大きな力になりますが,その使い方を身につける上でも生活による経験が必要です。生活から遠く離れたところでまとめた知識は,いくらたくさんあってもあまり価値がありません。(p42)
昔の社会は「経験人間」が大多数でした。「知識派」は少数派だったからこそエリートとしての価値があったのです。(p43)
創造的な思考とは,無から有を生み出すものではなく,新しいものを考え出すには,何らかのタネが必要です。もちろん知識もタネにはなりますが,これは多くに人々が共有しているので,それだけでは独創的なアイデアにはなりません。そこに自分ならではの経験というタネを加えることで,オリジナルな化合物としての思考が生まれます。(p55)
日本人は,良くいえば謙虚,悪くいえば自虐的なところがあって,身近なものをみなダメだと考えがちです。(中略)日本人自身が欠点だと思い込んでいる物事の中に,実は高い価値をもっているものがあります。(p84)
連句や俳句のような詩だけでなく,ふつうの散文の場合も,論理だけで構成すると平面的で退屈なものになりがちです。起伏のある表現で読者の興味を惹きつけるには,いくらか論理が飛躍したとしても,飛躍の空白を作ったほうがいいのです。(p97)
言語と論理は,きわめて深い関係にあります。言語が違えば論理が変わり,論理が違えば言語が変わる。これは切り離すことができません。同じ日本でも関東と関西せは言葉が違い,したがって論理も異なります。(p104)
富永仲基は合理主義の立場から儒教・仏教・神道を批判したことで知られていますが,その批判も加上の説に基づくものでした。簡単にいうと,加上の説とは,ある話が時間をかけて人づてに伝わっていくうちに雪だるまのように大きくなっていき,元の話は大きく変わってしまうというものです。あまり広くは知られていない学者ですが,この理論をひとりで考え出したのは実に天才的だといえるでしょう。(p109)
一般に文章の区切りがはっきりしないため,日本語の文章は長ければ長いほど論理構成が不明確になりがちです。(中略)しかもその理論は,ヨーロッパの言語のように線でつながるものではありません。日本人は点を並べるように論理を構成します。(p115)
最初から最後まで線でつなぐ論理では,書かれていることが表現のすべてです。しかし与えられた点を線に仕立てるだけの読解力を読み手が持っていれば,こうした奥深い論理が可能になる。日本人は,これが得意です。逆に,きっちりと引かれた線ですと,日本人は退屈な気分になってしまいます。(p116)
日本人は大事なことを先に言いません。「後方重点」の論理を持っています。これが,「前方重点」の欧米人とのコミュニケーション・ギャップを生む最大の要因といってもいいでしょう。(p121)
昔は火口がひとつだったから,仕上げの時間を合わせるのは,一般家庭などでは困難でしたが,いまはガステーブルに火口がいくつもある。(中略)それだけことは複雑になってきましたが,頭にものをいわせることが容易になりました。つまり,かつてより料理は面白くなっています。(p126)
食べるほうではグルメが現れて文化的にも向上しましたが,作る側の二次的創造に心を向ける人が少ないのは,食文化の未熟さを表すものでしょう。(p127)
文化的なモノを作る喜びを感じれば,衣服を作るのは単純労働にない創造的欲求を満たす点で,本などをワケもなく読んでいるのに較べて,ずっと手ごたえがあったでしょう。(p130)
話すのと書くのでは,鮮度が違います。生きが違うのです。話を軽んじるのは間違いです。近代文化は声を失っていて,そのために文化全体が大きく歪んでいるように思います。(p156)
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