著者 為末 大
中原 淳
発行所 ちくま新書
発行年月日 2017.07.10
価格(税別) 820円
● 為末さんの頭の良さに驚く。いや,良さといっては正確ではない。頭の清廉さ,と言い直そうか。
脳ミソにも脂肪は全く付いていない。だから,小気味よく動く。
● 以下に転載。
リソースがこれくらいだとわかれば,それを最適化させるための議論が生まれます。それなのに,戦略に整合性がなくなったとき,リソースのほうを根性で変化させてしまおうとする。たとえば,「一日二六時間にしろ」って話にいきがちです。そうすると戦略を建てる時に全く緻密でなくなってしまう。(中略)僕らの世界では,最強の言葉は「気持ちの問題だ」というものです。(p44)
僕は,以前は自分のことを天才だと思い込んでいたのですが,本当の天才に出会った時に「あ,僕は天才じゃないんだ」というのをはじめて理解して,そして導いた答えが「天才と真っ向勝負しない」「天才が天才であることがうまく活かされないステージを選ぶ」ということでした。(p86)
世の中には誰もが速くなる「魔法の練習」があるんじゃないかと思ってた。僕は,「魔法の杖」を夢見ていた。でも,実際にはそんなものはないんだとわかった。そうか,魔法の杖は,外にはない。内にしかないんだな,だから,外に求めちゃいけないんだなと。その時,強烈に学習しましたね。(p101)
本当に緊張感がゼロになってしまうということは,もうあがっているひとです。「緊張するのは現役のサイン」です。(p110)
あとから振り返るとあの一瞬が人生を分けたなと思いますね。その一瞬のタイミングに,すぐに飛び込めるかどうかというのは,とても大事なことだと今にして思います。(p116)
アスリートの苦しみの多くが,実は“なりふり構わない自分に戻れない”ということから生まれると思うのです。(p128)
スポーツは,実力が一旦堕ちると,人気もつるべ落としです。そして,それがわかりやすい。(p144)
宗教心の比較的強いアメリカ人は,協議の最後の最後には神に祈る選手が多い。しかし,日本では祈る対象がない人が結構いる。選手が「コーチ,私は大丈夫でしょうか」と聞くと,コーチは「大丈夫だ。俺を信じて行ってこい」と言う。そこでつっと「憑き物」が落ちて,戦いに向かっていける。日本では,そういうパターンが多いですね。(p167)
僕にも「勝者バイアス」がかかっているんでしょうね。僕はうまくいったという前提で説明しているけど,本当はただ運が良かっただけなのかもしれない。(p204)
日本人は引き際が悪い。次に,引くからには,全部いっぺんに引いてしまうことがよしとされる傾向がある気がします。(p218)
人間の能力は,伸びている事業のなかで,圧倒的に伸びるからです。伸びている事業には,挑戦があり,新しいポストが生まれます。そうしたところに身をおいていくことのほうが重要ですね。(中原 p222)
世の中では,ゲームやルールが作り替えられるスピードがどんどんと早くなっているんです。(中原 p228)
スポーツ選手にはノルマが決まった営業マンが一番親和性が高いと思います。営業の場合,たくさんやることで成果が出るわけですが,彼らは仕事をやりつつ,そのゲームを支配している法則について考えることが苦手。(p230)
僕は個人競技でコーチがいなかったので,自由と裁量を与えることが最も良い環境を提供することだと信じていたのですが,それをいきなり提供しても,どうしていいかわからなくて苦しんでしまっている人や,そもそも自由が好ましくない人もいることを知りました。(p237)
マネジメントはマネジメントするなかでしか学べない。(p238)
メディアで拡散すれば他人の頭の中に理念が伝達できるという発想自体がおこがましいんです。具体的な事例でディスカッションを重ねていくしかないんだなと。(中略)焦点がしぼられた指導しか,効かないんだなとまなびました。(中略)僕はいまワンメッセージだけ伝えるようにしています。昔は,いろいろな情報を投げれば輪郭がうかびあがって同じものを共有できるかなと思っていました。いま九割は伝わらなくても,一割伝えることが大事だと考えています。(p240)
年をとっても素敵な人って,他の人を手助けしながら生きている人ですよね。そして,それは,年をとってからいきなりやるんじゃなくて,かなり前からなだれていることの方が多い。(p246)
0 件のコメント:
コメントを投稿