書名 いつでも死ねる
著者 帯津良一
発行所 徳間書店
発行年月日 2017.07.25
価格(税別) 1,000円
● 諦めてはいけないけれども,諦めないことにシャカリキになってもいけない。著者が言いたいことはそういうことのように思われる。
もうひとつは,ときめきを失うなということ。ときめくことができる対象を失うな。男性にとっては女性がそれにあたるんだけども,女性にとっては?
● 以下に転載。
粋に生きるというのは自分自身の生命エネルギーを高めることです。粋な人は,いつも生き生きとしています。(p5)
常識にとらわれていては粋には生きられません。(p5)
そういう医者の態度の根っ子にあるのは,エリート意識です。エリート意識というのは,人間を堕落させる大きな要因になっていると,私は感じています。(p32)
この方法で,「私も治った」という人が続出すればすごいことになります。まさしく,がんの特効治療です。そころが,そんなことにはなりませんでした。最初にやった女性のように劇的な回復を見せた人はひとりもいなかったのです。(p56)
五年生存率が三〇%だと言われて落ち込んでいる患者さんがいました。(中略)しかし,落ち込んだままだと,免疫力が低下して,間違いなく治らないほうの七〇%に入ってしまいます。ここは大きな分かれ道でもあります。(p62)
では,あきらめなければいまくいくのかというと,そうでもないところが人間のこころとからだの複雑さです。(中略)あきらめない気持ちは大切ですが,その気持だけではいい結果を引き寄せることはできません。(p65)
今日を最後の日と考えて生きようというのは,最初は患者さんのために始めたことです。しかし,長く続けてみると,これこそ,自らの生命エネルギーを高める最高の養生ではないかと,最近は思えてきました。(p96)
いざというときのために貯めたお金は,ほどんどの場合,使われないまま残ってしまうものだそうです。いざということが起こっても,まだ先にもっと大きな“いざ”がくるかもしれないと思うと,貯金をおろせなくなってしまうのです。(p98)
定年まで働き,退職金をもらって,経済的に問題のない中でのんびり暮らすというのは,私の性分には合っていません。不安定で浮いたり沈んだりがあるからこそ,その後の楽しみが二倍,三倍になって戻ってくるのです。(p103)
体力が低下したり,からだが老化することを嫌がって,アンチエイジングに夢中になっている人もいますが,私に言わせれば,せっかく実がおいしく熟しているのに,それを青い未完熟なものに戻そうとしているようなものです。(p106)
老化や病気や死を怖れ,おどおどしながら一〇年長生きするよりも,老化も病気もまるごと飲み込んで勢いよくあの世に飛び込んでいく。そんな覚悟をもって生きたほうが,充実した人生を送れるのではないでしょうか。(p108)
死は怖いということを受け入れ,その気持ちをごまかさずに,落ち込むときには落ち込み,本を読んだり,人の話を聞いて,何とかそこから這い上がろうとうする。そういう過程の中で,ぱっと何かが吹っ切れることがあります。(p114)
ときめきが多ければ多いほど,人は元気でいられます。(p119)
人の魅力というのは,男でも女でも,内に志を秘めているかどうかです。(中略)大事なのは,遠くに思いを馳せることです。特に,死後の世界というのは,ある年齢にならないと意識ができません。死後の世界があるかどうかはどうでもいいのです。私が言いたいのは,それくらいの遠い先を見ながら,今を精いっぱい生きるくらいのスケールが大事だということです。それが,志につながります。(p125)
どっちみち,人は必ず死にます。ですから,死ぬとか死なないということにとらわれないで,死ぬまでに何をするかに意識が移ったとき,そこにときめきが生じるのです。(p144)
彼の代名詞でもある『養生訓』を書き上げたのは,八〇歳を過ぎてからです。彼もきっと,書くことにときめきを覚えていたのだろうと思います。(p144)
都会という俗なる世界で,さまざまな欲望に振り回されそうになりながら,ぎりぎりのところでブレーキをかけ,これではいけないと,また聖なる志に向けてがんばるのは,最高の修行です。田舎で花鳥風月を愛でるのは死んだあとでいいと,私は思っています。(p153)
いい映画は,例外なくラストシーンがすばらしい。それが私の持論です。ラストシーンをいかに光り輝かせるか。順風満帆,平穏無事に生きる主人公では面白くも何ともありません。(p155)
法外な治療費がかかったり,危険が伴うようだったらやめたほうがいいし,「この治療法で絶対治る!」と断言するような治療家なら考えたほうがいいとアドバイスします。そして,それでも迷うようなら治療家の人相を見て判断しなさいと言っています。(p161)
私が見る限り,すてきに年を重ねている人は,食べたいだけ食べ,飲みたいだけ飲んでいます。(p167)
野垂れ死にを怖がらず,死ぬまで動き回りましょう。人間,何歳になっても,いくらでも可能性があります。やりたいことがあれば,年齢に関係なく行動すればいいのです。理想を追って,倒れるまで進み続ける。そんな中で,やっと自分がこの世に生を受けた意味がわかってくるのです。(p171)
私は死が終着点ではないと考えています。(中略)帯津良一という私は死んでも,私のいのちは永遠に生き続けます。いのちという視点で見れば,日々を一生懸命に生きることがいのちを育て,それは私自身の成長につながります。(p185)
相手を思い遣る気持ちが強ければ,セロトニンのような脳内物質の分泌が高まり,あるいは昆虫でいわれる,相手を魅きつけるフェロモンのような物質も出てくるのではないでしょうか。だから人は,恋うる気持ちはいつも大切なのです。(p191)
書名 0から学ぶ「日本史講義」古代篇
著者 出口治明
発行所 文藝春秋
発行年月日 2018.02.25
価格(税別) 1,400円
● 先に中世篇を読んでからの古代篇。著者は日本史では中世が最も面白いと言うけれども,ぼくは中世篇より古代篇の方が面白かった。
“日本”を整えたのは持統天皇と藤原不比等であること。整えさせた理由は唐との関係にあること。「腹落ち」した。大化の改新,壬申の乱,という言葉でぼくらは習ったけれども,それがなぜ起きたのか理解しかねるところがあった。その疑問も氷解した。
さらに白村江の戦。当時の日本列島に住む人は500万人。でもって3万とも4万とも言われる艦隊(?)を派遣して木っ端微塵にされる。何という愚策。なぜそんなことをする必要があったのか。それはまだ腹落ちまではしていないんだけども,なるほどそういうことだったのね,というところまでは了解した。
というわけで,面白かった。古代史,中世史より面白いんじゃないですか。
● 以下に転載。
人間が歴史を学ぶ意味は,人間はどうしようもない愚かな動物で,同じ失敗を繰り返しているからです。積み重ねられた歴史を学んで初めて,僕らは立派な時代をつくることができる。歴史に対するこのスタンスは,本書でも変わりません。(p8)
今の鳥類は実は恐竜の子孫です。恐竜は鳥類に進化して現代に生き残っているのです。(p18)
十億年後には太陽が膨張し始めて地表の温度が上がり,地球上の水がすべて蒸発することで,生命は死滅します。生みから始まった生命は,水がなくなれば消滅せざるをえません。(p19)
仏教には,様々なものが付随してきます。教えを目に見えるかたちにして,文字の読めないような人にも説明(見える化)するために,仏像やお寺,お経,法具,お香など一連の装置が必要なのです。(p60)
実のところ,解明的なポジションの方が,経済が成長します。廃仏では今のままですから,仕事も増えないし,成長のチャンスもありません。(p61)
中国でも日本でも有能な女帝と切れ者官僚がペアで政治を動かしていたのが,この時代だったのです。持統天皇は,史書に「深沈で大度」と人間としてのスケールの大きさや深謀遠慮振りを最大級の讃辞をもって語られています。まさに「日本」という国を生み落とした国母にふさわしい形容です。(p99)
日本はかなり背伸びをしましたので,『日本書』しかり,藤原京や平城京,平安京しかりで,大事業を始めたものの,いずれも完成しませんでした。最後までやり遂げる能力も財力もなかったのです。(p110)
『日本書紀』は天皇の歴史を神武天皇から始めているわけですが,はじめのほうは記述も簡単で,天皇名もかなりシンプルです。これは歴史書の常で,「古いものほど新しい」のです。(p110)
唐の長安をモデルにした平城京では,日本人より外国人の方が多かったという話もあります。当時の日本には,インド人,中国人,ペルシャ人,イラン系のソグド人,ベトナム人,崑崙人(東南アジアの黒人),それから朝鮮半島からの多勢の移民など,外国人がたくさん入ってきていました。(p131)
日本では,中国のような能力主義が十分には発達しませんでした。もともと古代の豪族たちの連合政権であったために,生まれがいいほど出世するシステムが組み込まれていたのです。(p149)
平安京の造営は,桓武天皇の出自が低く,自分の権威を欲したことが動機のひとつでもありました。(p152)
嵯峨天皇が平城太上天皇の変にビビったときに,タイミングよく空海が現れて「絶対に勝ちます。祈祷してあげまっせ」とすり寄ってきたことで,瞬く間に朝廷に取り入ります。(p160)
数千倍ともいわれるとんでもない倍率の試験をくぐり抜けて,皇帝に直接採用された優秀な人たちですから,皇帝とは強い紐帯で結ばれ,めちゃ仕事をするわけです。(p199)
科挙が全国規模で実施できたということは,活版印刷と製紙技術が全国に普及し,どこででも参考書が手に入ることが大前提になります。その頃の日本には紙を大量につくる技術も活版印刷の技術もありませんでした。(p200)
昔は,平安中期というと「唐と国交が途絶え,日本的な感覚に基づく国風文化が栄えた時代」だと教えられていました。現代の歴史研究によると,この理解にはかなり問題がありそうです。(中略)この時代には,遣唐使など国の施設を派遣しなくとも,情報を集められるだけの民間交流が盛んになっていたのです。それを担ったのは海をまたいで活躍する商人(海商)たちでした。(p210)
天皇のおキサキ方には,多くの女官が仕えていました。貴族が挨拶に伺えば,キサキのまわりには若い女官が並んでいるわけですから,貴族は女官たちに目配せをしたり,恋文を渡したりして,恋人関係になります。こういった関係から,貴族の情報が後宮に集まるのです。(中略)狭い内裏で女官群を抱えているキサキのちからが強くなるのも当然です。情報の力は,けっこう強いのです。(p217)
貴族たちの日記は,現代の私たちが記すようなプライベートな日々の感想を記すことが目的ではありません。当時の政府がつくって官人たちに配布していたカレンダー(具注暦)の余白に儀式や年中行事,そして政務の活動記録などを覚書のように記していました。(p226)
当時,大陸からは日本に多くの人々が流れてきていました。唐につくか,自立して戦うか。朝鮮半島の三国が,ほぼ同時に内部で争っているのを見て,日本の支配層も二つに割れました。その結果が,乙巳の変(大化の改新)だったと思うのです。(p235)
いかに持統,不比等のグランドデザインがしっかりしていたかということです。(中略)逆に,国をもう一度作り直すほどの外からのショックが日本にはこなかった,ともいえるのですね。これはめちゃハッピーなことでもありました。どうして外国に攻め込まれることがなかったのか。それは,日本が後世の銀のような世界商品を持たない遠い島国だったからなんですね。(中略)お米や肴がとれるので生活はできるけれど,外国からはこれといって欲しいものがないので,積極的にこの地と交易しようという意欲を持たれることがなかった。(p241)
「大国と小国では見えている世界が違う」ということです。周辺地域全体の歴史の中ではものすごく小さいポーションでも,小国にとっては大きいポーションになることがよくあるのです。(p242)
古代の日本は同じく当時の後進国であったヨーロッパなどに比べても,内乱も少なくその規模も小さかったのですが,これは内乱をするほどの国力がなかったからだ,ともいえます。(p244)
書名 決断 会社辞めるか辞めないか
著者 成毛 眞
発行所 中公新書ラクレ
発行年月日 2019.06.10
価格(税別) 800円
● 終章は必読のこと。
あくまで大事なのは,人間とは,いつまでも,どのような状況でも,成長できるという視座だ。それを持つことができるかどうかで,その人生が大きく変わってしまう。(p229)
この一文をこれまでの情けない来し方と照らし合わせて,心を入れ替えるよすがにするべきである。
● 以下に転載。
ここまで地銀が長らえてきたのは「巣ごもり」を続けてきたからだ。(中略)リスクをとらず,コストを抑えていたからに過ぎない。つまり「何もしない」という消極的なスタンスで生き残ってきたのだ。(p25)
おそらくこれからの日本は,移民問題に国の根幹を大きく揺るがされている欧州先進国が通った道を,そのまま辿る可能性が高い(p26)
先を考えて50歳前後で辞める決断をした人って,信用力が増すと思うんです。何も考えずに60歳を迎えて退社した人と比べると,間違いなくチャレンジ精神は健在だし,逆に仕事仲間としては信用できるんだよね。(p40)
でも一昔前,できる人ほど家に帰らない,という状況が実際にあった。今考えると異常だけど。(p59)
じつは,『月刊現代』が廃刊になった直接の原因は,雑誌ではなく,書籍が売れなくなったからなんです。雑誌自体は赤字でも,そのコンテンツを書籍化することで回収できた。それで成り立っていたビジネスモデルだったのに,書籍まで売れなくなってしまった。(瀬尾傑 p63)
聞いた情報はあくまで材料の一つ,という発想がないわけだ。与えられた材料が本当かどうかを確認するのが,編集者の役割で取材なのに。それを知らないから,付加価値も付けられない。(p71)
本業とは別に,ライフワークを持つことが重要だと,常々僕は言っています。これが意外にキャリアでの「決断」に影響しているし。瀬尾さんの場合,間違いなく酒だよね。(p72)
とりあえず手を出す,という姿勢はこれからのビジネスマンにとって必要ですよね。(p83)
新聞はスポンサーをとても大事にします。お前らの食い扶持はどこからでているか,と。決して読者ではない,スポンサー企業があっての日経新聞だと。(大西康之 p101)
企業側の広報の姿勢も近年,大きく変わっているんです。昔は内部から浄化するため,わざとネガティブ情報を出す,くらいに気概のある広報室長がいましたから。(大西康之 p103)
報道はエリートたちの目線なんだよね。たとえば彼らは,リアルな低所得者層の世界なんか,人生で一度も接したことがない。じつはそんなエリートは,首都東京でも一割ほどしか存在していないわけで,それこそ,千代田区と港区と中央区という中心3区だけに暮らしている。(中略)日経新聞のつらさでもあるよね。読者のアッパー層なら,書いている人もアッパー層。取材対象者も,広告主も全部アッパー層ですから。(p114)
あくまで会社のなかで,のし上がっていきたいだけの人にとってはSNSは不要なんですよね。逆に,外部と遮断されていることこそステータス,というか。(中略)SNSより,狭いたばこ部屋でボソボソと行う情報交換の方が大事。それが新聞社ですから。(大西康之 p116)
「無駄な贅沢しなければ食っていける」という真理に気付くことができるかどうか。これって人生において,かなり大きい。ほとんどのサラリーマンはそこに気付かない。だから「会社辞めたら,人生即終わり」だと感じて,追い詰められる。(p117)
メディア論の授業で教えているのは,「じつはメディアは結構,理系の仕事だぞ」ということですね。メディアって,記事とかコンテンツのことと思いがちだけど,じつはそもそもの部分が,ハードウェアとプラットフォームから成り立っている。(柳瀬博一 p125)
中でも過去30年を遡り,上場企業が赤字へ転落したタイミングと転落した会社の経営者の就任時期の相関グラフを作らされた作業は鮮烈に覚えています。(中略)それこそ一週間,朝から晩まで日経新聞本社の書庫にこもりっきり。ちなみにそれで得た結論として,(中略)相関関係がまったくないということがわかりました。つまり80年代より前の日本企業にはコーポレートガバナンスがなかったわけです。(中略)特集を担当した末村さんからは「大学の修論くらいだったらこれで取れるよ」と褒められましたが。(柳瀬博一 p133)
それまでの編集現場で,お金のことを考える習慣はありませんでした。「記者が自社の商売のことを考えると筆が鈍る。だから考えるな」という文化が,とりわけ新聞記者にはあったのだと思います。(柳瀬博一 p138)
高校を卒業するくらいまでは典型的な中二病。「俺は洋楽しか聴かないぜ」みたいな。でもそのノリでいたら,大学生になった頃,つまらない自分になっていることに気付いてしまった。洋楽を聴いても,評論家気取りだから自ら演奏はしない。でも邦楽好きな人たちはみんなで歌って演奏をしている。(柳瀬博一 p153)
見ず知らずの有名作家の著作を全部読んだあと,手紙を出すようなタイプの編集者ではなかった。そういうエネルギーがまったくなかったし。(柳瀬博一 p162)
自分自身のことを,決して「面白い人間」「すごい編集者」と思っていない,ということもあります。面白いことはいつも外から飛んでくる。そして僕は,飛んできた珠をとりあえず全部打つ。お声をかけてもらったら「やります」の一択。(中略)仕事を選ぶ権利を持つ人は,そのジャンルでの「天才」であることが前提。でもほとんどの人は僕も含めて「凡人」。だから「仕事を自由に選べる」というのは,そもそもどこかで勘違いした考えだと僕は思っています。(柳瀬博一 p163)
あらゆる仕事は面白いと思えば,大抵は面白いし,つまらないと考えたら,大抵つまらない。(柳瀬博一 p164)
10年の間,そのジャンルの人たちとしっかり付き合うことが,次の10年にも活きますしね。そのまま20年やってしまうと,付き合いも知見も広がらない。むやみに足元を深堀りしていくだけ,というか。今の時代,それは合わない。10年掘れば,十分に深い。(p171)
そもそものところ,金融とは完全に情報産業だからね。今でこそ,みんなそういった認識になってきたけれども。(p186)
(都民響の練習は)最高のストレス発散の場で,疲れも全部吹き飛びますから。リフレッシュ効果もあるし,オン・オフの切り替えにもなる。今ではどれほど忙しくとも,練習しない方が気持ち悪い。仕事で使っている頭の部分と,音楽で使っている頭の部分がまったく違うからでしょう。(山田俊浩 p194)
オーケストラの雰囲気には,会社組織と通じるものがあると思います。(中略)ある程度,やるべき形が決まっているのですが,そのなかでは存分に自由。まさに会社です。(山田俊浩 p194)
経験上,僕からいえるのは「感情的には動かない方がいい」ということだと思います。不本意な部署異動とか想定外のキャリアチェンジとか,いざそういったものを目の前にすると,その瞬間は,それが人生の「大事件」のように感じてしまう。でも後々振り返ると,まったくそんなことはない。しかも,周囲もそれほど大したことと考えていない,というのも事実なんですよね。(山田俊浩 p196)
とにかく深刻なのは,消費者との接触ポイントが激減していることです。駅売りはほぼなくなり,本屋も減った。(中略)本当におかしな話ですが,もし各社から「明日から必要なコストを真っ当に負担してください」と言われたら,途端に立ち行かなくなる,というのが多くの出版社の実態です。だから,紙から電子へ,という出版業界の流れは,読者以外の部分で,じつは多くの方が喜んでくれていることでもあると思います。何とも皮肉ですが。(山田俊浩 p202)
今までは大人がどんな雑誌を電車で読んでいても,それほど恥ずかしいものではなかったかもしれません。でもこれからは,「その人が何を読んでいるか」ということが,同時に「その人がどういう人か」という輪郭を掴むツールになりうる。だからこそ雑誌側も,そのブランディングを真剣に考えることが,より重要になってくるのではないかと。(山田俊浩 p204)
目の前のコンテンツを磨き上げられているか,今一度,見直さなければならない時期にきたのかもしれません。(中略)伝わればそれでいい,などとどこかで思った瞬間,それならばもう,インターネットでいいよね,ということになってしまいますから。(山田俊浩 p205)
市場の縮小により,新聞社も報道の論理より,経営の論理が上回るようになりつつある。つまり,読者の利益より,スポンサーにもなりうる取材先の企業の利益をあからさまに優先するような事態が生まれているのだ。(p212)
あなたが身を置く業界や立場によっては「逃げ切れる」のかもしれない。しかし,そもそも「逃げ切れる」という発想が旧態依然としたものであることに,ここで気付いてほしい。(p228)
雑誌やネットでは「AI時代に必要なスキルはこれだ」などと特集されている。ここで断言するが,そんな時代に通用するわかりやすいスキルなど,この世に存在しない。(p229)
書名 西原理恵子の太腕繁盛記
著者 西原理恵子
発行所 新潮社
発行年月日 2009.09.25
価格(税別) 1,100円
● 副題は「FXでガチンコ勝負!編」。宝くじを買うことを愚民税を払うというらしいが,FXは? テラ銭は宝くじとは比較にならない程に少ないのだが。
1千万円の損を出したところで連載は終了。損得だけでモノを考える人はやっちゃいけないってことだね。いや,俺はそんなつまらない人間じゃない,と言いたい人も,まぁ手を出さない方が平和建設の第一歩になるでしょうよ。
● 以下にいくつか転載。
FXも基本はバクチ。ユダヤ人やアラブ・マネー,中国人が暴れる,世界規模の賭場だから。投資とか資産運用とかいう言葉で,そのことをマイルドにしてごまかしたら危険だと思う。あくまで遊びのお金と割り切ってやらないと,本当に大変なことになるよね。(p20)
不思議なのは,十万円でも百万円でも,損すると同じように悔しいこと。金額に関係なく,ドキドキする。(p38)
基本的に青山社長って,どんなときでもポジティブ思考だよね。社長やっている人って,みんなそうかもしれない。良い意味でも悪い意味でも楽観主義。私を含めて物を書く人は,大体いつもいじけてるけど。(p39)
賭場で一番嫌われるのが,行儀が悪いことだから。負けを人のせいにするとか。私生活がいくら行儀が悪くても関係ないけど,賭場にいるときだけは,しっかりしてなきゃダメ。(p40)
やっぱりバクチは勝ち逃げしないと。パチンコでもどんな賭場でも,引き際が大事だから。結局,みんな勝ち逃げできない。まだいける,まだ勝てるって,気づいたら素寒貧。これがバクチの鉄則です。(p52)
目標のないまま長くやっていると,いつかは必ず負ける。(p52)
中国本土からバクチをしにきた人って,張り方がおかしいんですよ。一回で数十万円張るんだけど,身なりは貧相で,どう見てもそんな張り方できるような裕福な人には思えないの。たぶん,一年ぐらいあくせく働いたお金を躊躇なく張ってるんだよ。それが消えたら飛び降りちゃう。中国人は勢いだけで,確率を考えているようにも思えない。(p61)
私も盛大に一千万円で遊んだから,楽しかったですよ。高い金出してブランド物を買う方が,もったいないと思う。(p72)
取引の一秒後に損切りできる人が勝てる人です。「あ,ダメだ」と思ったらすぐ決済できないと。(中略)ドライで冷徹なハートの持ち主だけが勝てるんです。(森永卓郎 p76)
毎日どれだけ無駄遣いができるか--そこに人の教養が表れると思います。(中略)お金を遣う教養がないから,ワンパターンになる。金の亡者たちの話題は,節税とインサイダー取引と合コン,この三つしかない。(森永卓郎 p82)
書名 昭和の品格 クラシックホテルの秘密
著者 山口由美
発行所 新潮社
発行年月日 2019.03.30
価格(税別) 1,550円
● 先日泊まった東京ステーションホテルも紹介されている。自分はこのホテルのどこも見ていなかったかもしれない。今度はちゃんと味わってこよう。
前作の『クラシックホテルの歩き方』には日光の金谷が主役格で登場する。その金谷にまだ泊まっていない。悔いを残さぬよう一度は泊まってみないと。
● 以下に転載。
若いクラシックホテルファンは,ウェディングがきっかけであることが多い。(p7)
クラシックホテルだって,未来永劫存続する保証はどこにもない。だが,歴史を重ね,都市や地域を象徴する存在になったクラシックホテルは,何らかの事情で経営が終わっても,また別の会社が経営を継承することが多い。(p8)
クラシックホテルは,どの国であっても特別なものだけれど,日本の場合は,ホテルのスタイルを海外から学んだからこそ,ホテルが一般的ではなかった時代,プライドと誇りを持って,旅館ではなく,ホテルであることにこだわり続けた。その矜持が建築やデザインにあり,料理にあり,サービスにある。そして,時代を超えて,それらが継承されることにつながった。欧米のクラシックホテルと比べて,日本のクラシックホテルが,より保守的に昔ながらのスタイルを守っている理由でもある。(p8)
日本のクラシックホテルの特徴として,内観は西洋ふうなのに,外観が日本の寺社建築を思わせる点があげられる。だが,こうした建物が建てられたのは,ほどんどが昭和初期で,たとえば富士屋ホテルや日光金谷ホテルでも,明治期に建てられたものは,白い洋館ふうの建物が多い。(p44)
昔のままの味を忠実に伝承しているのは,実は少数派らしい。それでも日本のクラシックホテルは,海外のクラシックホテルほど大胆に料理を革新していない。(p41)
夏になると大挙して押し寄せたのが,上海に住む外国人だった。上海航路が賑わった当時,雲仙から一番近い大都会は,鉄道を乗り継ぐ東京ではなく上海だったのだ。(p54)
行き交う人々を見ていると,物語が立ち上がってくるような感じがあった。幾多の作家が,東京ステーションホテルに泊まり,作品を生み出した理由がわかった気がした。ここは物語が始まる場所なのだ。(p81)
クラシックホテルの朝食というと,テーブルサービスの洋食が定番で,ブッフェを毛嫌いする人もいるけれど,東京ステーションホテルの朝食を一度体験すれば,そんな偏見は吹き飛んでしまう。(中略)この朝食だけでも,東京ステーションホテルに泊まる価値は充分にあると思う。(p81)
東京ステーションホテルは,復元工事にあたり,六年半休業した。そのため今のスタッフは,ほとんどが再開業にあたり入社してきた人たちだ。(p81)
都市のランドマークとなるクラシックホテルは,最高のロケーションに建っていることが多い。そこにタワーが建つことで,最高の眺望が手に入る。(p83)
重要なのは,外国人の目線を意識したことだ。日本そのものというよりは,彼らから見た,彼らが期待する日本を表現したのである。日本だけでなく,東洋全般の意匠が見られる点も興味深い。(中略)日本のクラシックホテルは,東洋が西洋をお迎えする装置だったのである。(p113)
全体の雰囲気もさることながら,とにかくディテールが面白い。(中略)ディテールの面白さは,知識や見識があると,なおさら面白くなる。(中略)こうした魅力を「ラグジュアリーでありアカデミック」と称したのは,東京ステーションホテル総支配人の藤崎斉さん。(p114)
最近のラグジュアリーホテルは,客室面積の広さなど,とにかくスペックで価値がはかられる。歴史あるクラシックホテルは,その基準で判断すると,最新の外資系ホテルに負けてしまうところが多い。でも,ホテルをめぐるストーリーならば,決して負けない。(p117)
日本のクラシックホテルの取材時,ホテルスタッフにこんなことを言われたのだ。「客室の面積は,あまり広くないかもしれないけれど,天井は高いんです。平方メートルではなく,立方メートルで量ってもらったら負けませんよ」(p118)
広さが料金に反映する客室よりも,こうしたパブリックスペースが広いのは,経営の視点から見れば,効率的ではないかもしれない。でも,そうした一見「無駄」にみえるゆとりこそが,クラシックホテルならではの贅沢なのだ。(p119)
朝食のオムレツは,どこでも間違いなく美味しい。しかも見た目も完璧である。そして,オムレツの美味しさ,美しさは,海外と比べて日本のクラシックホテルに断然軍配があがる。(p121)
書名 超AI時代の生存戦略
著者 落合陽一
発行所 徳間書店
発行年月日 2017.03.25
価格(税別) 1,300円
● 一読して理解できたかと問われると,何とも心もとない。「時代の速度より遅い進捗は,いくらやってもゼロになる」とは目次(見出し)の一節。
本文を全部読むより,目次だけを見て,自身の想像と連想に任せてみるのも,本書の読み方としてはアリかもしれない。
● 以下に転載。
スマートフォンの普及による結果,人はインターネット上に第二の言論・視聴覚空間を作り,住所を持ち,SNSを生み,社会を形作った。言うなれば人はデジタル空間にもう一度生まれた。(p13)
「AIはAIとしての仕事を,人間は人間らしいクリエイティブな仕事をすればいい」という論調が僕は嫌いだ。この論調は思考停止に過ぎず,クリエイティブという言葉であやふやに誤魔化すことで,行動の指針をぼやかす。(p25)
ワークライフバランスは一生をいくつかのサブセットに分けて考えることが可能であるということを許容した言葉であり,常時接続性の高い現代には親和性が低い。(中略)好きなことで価値を生み出すスタイルに転換することのほうが重要だ。それは余暇をエンタメで潰すという意味でなく,ライフにおいても戦略を定め,差別化した人生価値を用いて利潤を集めていくということである。(p30)
全世界の他のすべての人と比べて「自分らしい」というのと,あるコミュニティの中で「自分らしい」というのを比べると,後者のほうはすぐに実現可能だから,人はコミュニティに逃げ込みやすい。(p39)
今,全世界70億人の中で自分らしくないといけない。技術は発展するし,個性は無数に存在する。そうなると,日のんではオリジナリティが高いと考えられている文化人や著名人ですら自分らしさを保つことは難しいだろう。(p40)
ローカルとグローバルというのは,人生をそこに置く上ではその優劣を比べるものではないものだ,と考えることが重要だ。そこに差はなく,「どちらもよい」が正解である。(p41)
これからやらないといけないことは,全員が全員,違う方向に向かってやっていくことを当たり前に思うということだ。つまり,誰も他人の道について気にかけていない,そして自分も気にしていないというマインドセットだ。今,この世界で他人と違うのは当たり前で,他人と違うことをしているから価値がある。(p45)
競争心を持ち,勝つことを繰り返すのがレッドオーシャンだったら,ブルーオーシャンは黙々と,淡々とやることだ。(p46)
すべての生活スタイルにおいて私たちの人間性を許容し,人間とはこうあるべきという「べき論」で語らないことが,超AI時代においては重要なことだと思う。(p51)
趣味性を持っておかないと,「他人と違って何かをしたい」という原動力は出てきにくい。(p57)
成果を完成物や可視化して見えるように意識したり工夫をしたりすると,仕事も生活全般もゲーム的にやりやすくなる。(p71)
遊びにおいては,「とりあえずやってみる」ということも大事だ。(中略)何かを行動を起こす前段階としての「自分らしさ」は必要ないということだ。つまり,「他人の猿マネでもいいからやってみる」ということ。(中略)とにかく何かアクションを起こして,そこからより詳しく問題を探すほうがとっかかりがつかみやすい。(p73)
今は難しいとされていることも,やがてすべての人々が意識せずに簡単にできるようになってしまうと予測できる。(p80)
ひと昔前は,会社の寿命は長かった。なぜなら,技術革新が遅いスピードで進化していたからだ。イノベーションはそう簡単には起こらないし,情報の伝達形式もマスメディアが担っていたから遅かった。(p88)
会議などで用意される「捨て資料」の文化が世の中からなくなれば,社会はずいぶんとよくなると思う。(p95)
非合理なことと合理性のあることを比べれば,合理性のあることは機械のほうが断然得意である。けれど,合理性はなぜ生まれてくるかというと,ある問題のフレーム,もしくはゴールを設定したときに,そこまでどうやってたどり着くか,という計算できる世界があるから合理性が生まれるわけだ。(p102)
日本は異常にクイズ番組が多いけれど,なぜクイズ番組をやってきたかというと,受験勉強がほとんど「パターン暗記」だからだ。思考力を問うと言っておきながら,思考ツールとして覚えた解法のパターンを何個まで繋げられるかというレベルの話である。(p126)
暗記するためにノートにひたすら書いたり,何回も唱え続けたりすることはないけれど,ざっくりとフックがかかっている状態,おぼろげにリンクが付いているような状態が,これからの時代に理想的な知識の持ち方だと思う。(p127)
スペシャリストであることは,これからの時代では大前提で,スペシャリストになるから受験勉強にも価値があるわけだ。(p132)
重要なのは,その業界でトップレベルかということだ。資格を取るようなレッドオーシャンの分野では,トップを目指さないと意味がなくなってくる。(p134)
そのニッチの1位を取るほうが,「一部上場企業に勤めている人」や,「弁護士資格を持っている人」と比べて生き残りやすいかもしれない。(p136)
「無為自然な感じに生きる」というのが最もストレスを感じない。それでは,「無為自然」とは何かといえば,それは「自分が主体的だと思わない」ということだろう。(p140)
もしあなたが仕事で溜まったストレスを違うことで発散していたとしたら,その生き方は間違っているということになる。理想的なのは,仕事で溜まったストレスが仕事の中で報われて,仕事の中でストレスから解放されるということだ。(p141)
「体が資本だ」とはよく言われることだが,体を動かさないと脳の働きは悪くなるし,これは人間とコンピュータを比べたときのかなり大きな特徴である。(p144)
油に絡まって,しょっぱくて,炭水化物が含まれていたら,それはうまいに決まっている。(p149)
世の中は,化粧品をはじめコンプレックスビジネスばかりである。そういうものに流されないためにも,「何が自分のコンプレックスなのかを知っておく」ということはキーワードになってくる。そして,「隠さない」ということだ。(p152)
20世紀は平均値社会だったので,平均値が高い個体であることがすごく重要だったのだが,私たちの平均的なことは(中略)すべてコンピュータがやるようになってくるので,むしろ,ピーク値が高い人のほうが重要になる。(p153)
好きなものだけを集めていけば,おのずとその人らしさは表れていく。(p156)
エリート階層の話をすると,たとえば医者だったら,東大医学部を出ている人たちの集まりだけでその業界の話が決まってしまうことがあるかもしれない。(中略)世の中,極めて少ない人数で決まっていることがすごく多(い)(p160)
たとえば今でも,大物芸能人は都内に住まずに,わざわざ館山や鎌倉のほうに住んでいたりする。(中略)テレビ局の車が迎えに来たり個人で運転手付きだったりするので,本人にとって移動の苦痛がほとんどないからだろう。そして,おそらくこの概念は,自動運転がはじまると,より一般的になっていくと思われる。(p161)
時代は過ぎるだけであり,長期的には適応のみが残る。(p187)