2019年11月22日金曜日

2019.11.22 成毛 眞 『決断 会社辞めるか辞めないか』

書名 決断 会社辞めるか辞めないか
著者 成毛 眞
発行所 中公新書ラクレ
発行年月日 2019.06.10
価格(税別) 800円

● 終章は必読のこと。
 あくまで大事なのは,人間とは,いつまでも,どのような状況でも,成長できるという視座だ。それを持つことができるかどうかで,その人生が大きく変わってしまう。(p229)
 この一文をこれまでの情けない来し方と照らし合わせて,心を入れ替えるよすがにするべきである。

● 以下に転載。
 ここまで地銀が長らえてきたのは「巣ごもり」を続けてきたからだ。(中略)リスクをとらず,コストを抑えていたからに過ぎない。つまり「何もしない」という消極的なスタンスで生き残ってきたのだ。(p25)
 おそらくこれからの日本は,移民問題に国の根幹を大きく揺るがされている欧州先進国が通った道を,そのまま辿る可能性が高い(p26)
 先を考えて50歳前後で辞める決断をした人って,信用力が増すと思うんです。何も考えずに60歳を迎えて退社した人と比べると,間違いなくチャレンジ精神は健在だし,逆に仕事仲間としては信用できるんだよね。(p40)
 でも一昔前,できる人ほど家に帰らない,という状況が実際にあった。今考えると異常だけど。(p59)
 じつは,『月刊現代』が廃刊になった直接の原因は,雑誌ではなく,書籍が売れなくなったからなんです。雑誌自体は赤字でも,そのコンテンツを書籍化することで回収できた。それで成り立っていたビジネスモデルだったのに,書籍まで売れなくなってしまった。(瀬尾傑 p63)
 聞いた情報はあくまで材料の一つ,という発想がないわけだ。与えられた材料が本当かどうかを確認するのが,編集者の役割で取材なのに。それを知らないから,付加価値も付けられない。(p71)
 本業とは別に,ライフワークを持つことが重要だと,常々僕は言っています。これが意外にキャリアでの「決断」に影響しているし。瀬尾さんの場合,間違いなく酒だよね。(p72)
 とりあえず手を出す,という姿勢はこれからのビジネスマンにとって必要ですよね。(p83)
 新聞はスポンサーをとても大事にします。お前らの食い扶持はどこからでているか,と。決して読者ではない,スポンサー企業があっての日経新聞だと。(大西康之 p101)
 企業側の広報の姿勢も近年,大きく変わっているんです。昔は内部から浄化するため,わざとネガティブ情報を出す,くらいに気概のある広報室長がいましたから。(大西康之 p103)
 報道はエリートたちの目線なんだよね。たとえば彼らは,リアルな低所得者層の世界なんか,人生で一度も接したことがない。じつはそんなエリートは,首都東京でも一割ほどしか存在していないわけで,それこそ,千代田区と港区と中央区という中心3区だけに暮らしている。(中略)日経新聞のつらさでもあるよね。読者のアッパー層なら,書いている人もアッパー層。取材対象者も,広告主も全部アッパー層ですから。(p114)
 あくまで会社のなかで,のし上がっていきたいだけの人にとってはSNSは不要なんですよね。逆に,外部と遮断されていることこそステータス,というか。(中略)SNSより,狭いたばこ部屋でボソボソと行う情報交換の方が大事。それが新聞社ですから。(大西康之 p116)
 「無駄な贅沢しなければ食っていける」という真理に気付くことができるかどうか。これって人生において,かなり大きい。ほとんどのサラリーマンはそこに気付かない。だから「会社辞めたら,人生即終わり」だと感じて,追い詰められる。(p117)
 メディア論の授業で教えているのは,「じつはメディアは結構,理系の仕事だぞ」ということですね。メディアって,記事とかコンテンツのことと思いがちだけど,じつはそもそもの部分が,ハードウェアとプラットフォームから成り立っている。(柳瀬博一 p125)
 中でも過去30年を遡り,上場企業が赤字へ転落したタイミングと転落した会社の経営者の就任時期の相関グラフを作らされた作業は鮮烈に覚えています。(中略)それこそ一週間,朝から晩まで日経新聞本社の書庫にこもりっきり。ちなみにそれで得た結論として,(中略)相関関係がまったくないということがわかりました。つまり80年代より前の日本企業にはコーポレートガバナンスがなかったわけです。(中略)特集を担当した末村さんからは「大学の修論くらいだったらこれで取れるよ」と褒められましたが。(柳瀬博一 p133)
 それまでの編集現場で,お金のことを考える習慣はありませんでした。「記者が自社の商売のことを考えると筆が鈍る。だから考えるな」という文化が,とりわけ新聞記者にはあったのだと思います。(柳瀬博一 p138)
 高校を卒業するくらいまでは典型的な中二病。「俺は洋楽しか聴かないぜ」みたいな。でもそのノリでいたら,大学生になった頃,つまらない自分になっていることに気付いてしまった。洋楽を聴いても,評論家気取りだから自ら演奏はしない。でも邦楽好きな人たちはみんなで歌って演奏をしている。(柳瀬博一 p153)
 見ず知らずの有名作家の著作を全部読んだあと,手紙を出すようなタイプの編集者ではなかった。そういうエネルギーがまったくなかったし。(柳瀬博一 p162)
 自分自身のことを,決して「面白い人間」「すごい編集者」と思っていない,ということもあります。面白いことはいつも外から飛んでくる。そして僕は,飛んできた珠をとりあえず全部打つ。お声をかけてもらったら「やります」の一択。(中略)仕事を選ぶ権利を持つ人は,そのジャンルでの「天才」であることが前提。でもほとんどの人は僕も含めて「凡人」。だから「仕事を自由に選べる」というのは,そもそもどこかで勘違いした考えだと僕は思っています。(柳瀬博一 p163)
 あらゆる仕事は面白いと思えば,大抵は面白いし,つまらないと考えたら,大抵つまらない。(柳瀬博一 p164)
 10年の間,そのジャンルの人たちとしっかり付き合うことが,次の10年にも活きますしね。そのまま20年やってしまうと,付き合いも知見も広がらない。むやみに足元を深堀りしていくだけ,というか。今の時代,それは合わない。10年掘れば,十分に深い。(p171)
 そもそものところ,金融とは完全に情報産業だからね。今でこそ,みんなそういった認識になってきたけれども。(p186)
 (都民響の練習は)最高のストレス発散の場で,疲れも全部吹き飛びますから。リフレッシュ効果もあるし,オン・オフの切り替えにもなる。今ではどれほど忙しくとも,練習しない方が気持ち悪い。仕事で使っている頭の部分と,音楽で使っている頭の部分がまったく違うからでしょう。(山田俊浩 p194)
 オーケストラの雰囲気には,会社組織と通じるものがあると思います。(中略)ある程度,やるべき形が決まっているのですが,そのなかでは存分に自由。まさに会社です。(山田俊浩 p194)
 経験上,僕からいえるのは「感情的には動かない方がいい」ということだと思います。不本意な部署異動とか想定外のキャリアチェンジとか,いざそういったものを目の前にすると,その瞬間は,それが人生の「大事件」のように感じてしまう。でも後々振り返ると,まったくそんなことはない。しかも,周囲もそれほど大したことと考えていない,というのも事実なんですよね。(山田俊浩 p196)
 とにかく深刻なのは,消費者との接触ポイントが激減していることです。駅売りはほぼなくなり,本屋も減った。(中略)本当におかしな話ですが,もし各社から「明日から必要なコストを真っ当に負担してください」と言われたら,途端に立ち行かなくなる,というのが多くの出版社の実態です。だから,紙から電子へ,という出版業界の流れは,読者以外の部分で,じつは多くの方が喜んでくれていることでもあると思います。何とも皮肉ですが。(山田俊浩 p202)
 今までは大人がどんな雑誌を電車で読んでいても,それほど恥ずかしいものではなかったかもしれません。でもこれからは,「その人が何を読んでいるか」ということが,同時に「その人がどういう人か」という輪郭を掴むツールになりうる。だからこそ雑誌側も,そのブランディングを真剣に考えることが,より重要になってくるのではないかと。(山田俊浩 p204)
 目の前のコンテンツを磨き上げられているか,今一度,見直さなければならない時期にきたのかもしれません。(中略)伝わればそれでいい,などとどこかで思った瞬間,それならばもう,インターネットでいいよね,ということになってしまいますから。(山田俊浩 p205)
 市場の縮小により,新聞社も報道の論理より,経営の論理が上回るようになりつつある。つまり,読者の利益より,スポンサーにもなりうる取材先の企業の利益をあからさまに優先するような事態が生まれているのだ。(p212)
 あなたが身を置く業界や立場によっては「逃げ切れる」のかもしれない。しかし,そもそも「逃げ切れる」という発想が旧態依然としたものであることに,ここで気付いてほしい。(p228)
 雑誌やネットでは「AI時代に必要なスキルはこれだ」などと特集されている。ここで断言するが,そんな時代に通用するわかりやすいスキルなど,この世に存在しない。(p229)

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