2020年1月12日日曜日

2020.01.12 出口治明 『仕事に効く教養としての「世界史」Ⅱ』

書名 仕事に効く教養としての「世界史」Ⅱ
著者 出口治明
発行所 祥伝社
発行年月日 2016.10.10
価格(税別) 1,800円

● ラテンアメリカの独立の契機がナポレオンにあったということ。先住民は(持ちこまれた病原菌によって)あらかた死に絶えたということ。その結果の労働力不足を補うための奴隷売買がアフリカを荒廃させたということ。いろんなことが繋がってくる。

● 以下に転載。
 ほとんどの人は次のことを直感的にわかっているのだと思います。「将来,何が起こるかは誰にもわからないけれど,悲しいかな,教材は過去にしかない」(p5)
 僕は,人間がつくったものは,総じて人間に似ていると思います。つまり王朝も企業も宗教も,それを創始した人間の人生をある程度までは反映していると思うのです。(p67)
 「イスラム教は砂漠で生まれた宗教だから,人を寄せ付けぬ峻厳さがある」ときおり日本では,そのような言葉を聞きます。しかし,おそらくそういう人たちはクルアーンを読み込まず,不毛の砂漠というイメージだけでクルアーンを解釈しているのではないでしょうか。(p71)
 イスラムの世界では言葉を声に出して詠うことをとても大切にしています。もっとも詩や歌というおのは,どこの世界でも声に出して詠唱することが本来の姿ですが。(p71)
 クルアーンは,ムハンマドの死が632年で,第三代カリフ,ウスマーンによる編集が650年ですから,その間,わずか18年です、(中略)したがってクルアーンには,異本は一冊もありません。揺るぎない正典がいち早くできたことが,イスラム教の求心力を著しく高めました。ムスリムは,異説に悩まされることがなかったのです。(p74)
 「降伏して納税せよ」という統治方針を貫徹するためには,イスラムの教えが他の宗教に対して寛容であることが前提となります。それはイデオロギーよりも現実的利益を優先する発想ですから,まさに商人の生み出した宗教らしい特徴です。(p77)
 多数派ではなかったモンゴルやアラブが広大な世界を支配するポイントは,いかに軍事活動による人的資源の損傷を避けながら広大な地域を統治するかにあったのです。(p78)
 イスラム教にはキリスト教や仏教のような専従者(司祭や僧)がいません。(p104)
 王安石の政策を宋がずっと継続していたら,この時代に中国は近代国家になっていたかもしれないという歴史学者もいます。しかし,あまりにも時代に先んじていたがゆえに挫折しました。(p217)
 悩んで決めないハムレット,夢ばかり追いかけるドン・キホーテ,異性が人生のすべてのドン・ファン。このような人物像は紙の意志によってではなく(信仰によって思考を止めるのではなく),人間の知力によって造形されました。この時点で初めて,人間は神の束縛から本当に自由になったのではないか。(p253)
 新大陸のインディオたちはスペイン人を始めとする旧大陸の人々の酷使と虐待,そしてなによりも病原菌によって,バタバタと死んでいきました。少なく見積もっても4分の3,中には90%が死滅したという説もあるぐらいです。広範囲に焼畑を行っていた先住民が死に絶えたため,新大陸では森林が再生して地球は寒冷化の方向に向かいました。アマゾンの熱帯雨林も原生林ではなくこの時代の再生林です。(p267)
 リマでは1614年に人口調査を行いましたが,20人の日本人が住んでいたのです。(中略)ポトシの銀をリマに運び,そこからアカプルコへ,そしてマニラへ,さらに中国や日本へ。太平洋交易というグローバリゼーションの大波が,日本人をも巻き込んで存在していたことを,記憶に留めておきたいと思います。(p269)
 白兵戦が勝ち負けを分ける当時の戦争では,敵軍の考えや行動がよくわかります。ナポレオンと戦うということは,国民国家(ネーション・ステイト)と民族独立の理念,そしてフランス革命の遺伝子「自由・平等・博愛」のスローガンがひしひしと伝わってくる,ということでもありました。(p276)
 南アメリカの解放に全身全霊と全財産を捧げた革命家ボリバルは,晩年に次のように語っていました。「アメリカ合衆国は自由の名において,アメリカ大陸を災難だらけにしようとしているように思える」と。(p290)
 アフリカ大陸の文明は他の大陸より遅れていると思われがちですが,それは近代に形づくられた印象論です。世界の四大文明が次々とピークを迎えている頃,たとえばヨーロッパにはほとんど何もありませんでしたが,アフリカにはすでに文明が存在していました。(p306)
 ここから,海洋国家ポルトガルとスペインの時代が始まるのですが,(中略)このきっかけのひとつはトンブクトゥの黄金伝説であったように思われます。人はお金のためなら,どこへでも出かけて行く。そんな気もします。(p312)
 ヴァスコ・ダ・ガマが150トン前後の小船でインド洋を渡り無事胃インドに到達できたのは,インド洋が安全な海だったからです。明の大船団,鄭和艦隊が海賊を根こそぎ退治していたのです。(中略)この鄭和艦隊が万里の長城に化けてインド洋から消え去ったのが,1433年のことでした。インド洋には権力の空白が突然に訪れたのです。ラッキーの一語に尽きます。見方を変えれば,中国(明)が鎖国政策に舵を切り替えたこのあたりからアジアの勢力がヨーロッパに押され始めたとも言えます。(p315)
 生産年齢人口を奴隷に取られ続けて300年,さらにそのあとはヨーロッパ列強に切り取り放題をされた結果,アフリカの精神風土は,眼前の大金を自分の欲望に使うことしか,考えられないものになったのではないか。その結果,振興独立国はテイクオフできなかったのではないか。(p332)
 ビスマルクはユンカー(大地主貴族)の出身で,保守派の政治家です。彼は誠にしたたかな人物でした。この人ほど国益を冷静に見据え,柔軟に思考し,前言を覆すことをためらわなかった政治家も少ないでしょう。ビスマルクにとっては,結果よければすべて良しで,そのためにはイデオロギーも方法論もすべて単なる手段に過ぎませんでした。(p357)
 第一次世界大戦後のドイツについて考えるときの大切なポイントは,ドイツ国内に敵兵が一兵も入っていなかったということです。(中略)ロシアには勝っている。英米仏軍もドイツ国内には入っていません。それゆえにドイツの市民は,第一次世界大戦で完全に敗北したとは考えていなかった。(p382)
 第二次世界大戦におけるフランスの死者は,第一次世界大戦ほどではありませんでした。両国にとって遺恨となるのは,何といっても第一次世界大戦のほうなのです。(p385)
 この4国は,世界の交易ルートに展開できる強い海軍力を持っていたのです。交易は人類史上,その大半が海の道を経由していたので,交易ルートを押さえることがすなわち世界の覇権を握ることに直結していたのです。現代における軍事力の考え方ですが,事実上使えない核兵器を除いて考えると,それは侵略を目的とする兵力よりも,むしろ警察力のイメージです。(中略)高速で紛争地へ移動できる兵力こそが肝要なのです。(p392)
 それほど簡単にアメリカは揺らぎません。なぜかといえあ,アメリカは人口が増えるからです。(中略)またアメリカの大学は国際競争力がとても強くて,常時80万人を超える留学生を抱えています。(中略)ベンチャーは主として大学から生まれますから,世界中から優秀で多様な人材が集まっていることは,将来への多くの可能性につながっていきます。(p394)
 中国の問題は何かといえば,ひとつには一人っ子政策の影響もありますが,人口が伸びずに早く高齢化社会に移行すると見られていることと,(中略)経済は自由だけれども政治は共産党の一党支配ですから,チャイニーズドリームがなかなかつくれない。これではやはり魅力的な社会にはなりません。(p395)
 ローマ帝国の時代から,市民が二極化すると社会が不安定になることを為政者はよく知っていました。ですから,社会の安定を維持するため,中間層すなわち普通の人々を増やして,頑張ったら上にのし上がれるという夢を,たとえ幻想であっても,特に若者に与えることが何よりも大切だったのです。それがないと社会の安定はあり得ません。(p399)
 このような地球有限説に立脚する理論(悲観論)は,これまではすべて誤っていたといえます。(中略)まだ人間には地球の大きさというものが十分理解できていなくて,資源がどれくらいあるのか,まだよくわかっていないのです。なにしろ大陸の大きさは寄せ鍋の灰汁のようなっものです。あの広大な海でさえ体積で測れば地球のわずか700分の1。人間には,地球の資源の総量などわかりようがないのです。(p401)
 将来を見据える最大の要素はやはり人口のような気がします。(p406)
 僕たちは歴史からさまざまな教訓を導き出すことはできるけれど,そっくりな時代というのは歴史上どこにも存在しない,そう断言してもいいと思います。(p408)
 歴史は決して一直線に進むものではありません。振り子のように左右に揺れながらジグザグで進むもの。短視眼的に世界を見て,一喜一憂することは避けたいものです。(p411)

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