2021年4月7日水曜日

2021.04.07 渡邉哲也 『メデイアの敗北』

書名 メデイアの敗北
著者 渡邉哲也
発行所 WAC
発行年月日 2017.04.27
価格(税別) 900円

● マスメディアが凋落しつつあるのは,すでに誰の目にも明らかだ。自分自身が新聞を読まなくなっているし,テレビを見なくなっているし,雑誌を買わなくなっているからだ。
 古紙回収の日にゴミステーションに行くと,かつては山と積まれていた新聞紙とチラシがない。ダンボールだらけになっている。この光景を見ると,新聞社が発表している新聞の販売部数はウソだなと実感できる。だって,新聞紙がほとんどないんだから。

● そうなった理由と背景を詳細に本書が説いている。インターネットを抜きにしては現在の状況はないわけだが,Windows95が登場したときに,今の状況を描けた人はほとんどいないに違いない。
 本書の白眉は第4章ではないかNHKがどれだけわがままを許された特権組織であるかを,詳しく説いている。そして,とはいっても,そろそろ終わりが見えていることも。

● 以下に転載。
 今は既存のメディアが急速に力を失いつつある。焦ったメディアは裏付けに乏しい憶測を記事にし,真実とは違う「フェイクニュース」(虚偽の情報でつくられたニュース)を垂れ流す。これまでは,そうやって大衆を騙すことができたが,インターネットやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が発達した現代では,真実を知りたい人々が怒りの声を上げ始めている。(p6)
 その間,トランプ氏はどうやって情報発信をしていたのか。周知のとおり,ツイッターをフル活用していた。(中略)メディアはそれを引用する形で記事にしていたわけだ。(中略)人々とすれば,メディアの情報を見るよりもトランプ氏のフォロワーになった方が早いわけだ。(中略)つまり,新聞やテレビと一般大衆との間で,情報におけるタイムラグがなくなってしまったのだ。(p18)
 メディア業界は基本的に新規参入が難しく,そのため既得権化が当たり前となっている。(p21)
 既存メディアとしては「ネットで見た」という行動を肯定することは自らの影響力の低下を認めることになるため,肯定するわけにはいかない。現存の空撮写真などの古い手法にこだわらざるを得ないわけだ。(p25)
 アメリカをつくったのは確かに移民だが,当時の移民と現代の移民を同列に論じることはできない。当時の開拓民は,身一つで干拓を行うなど国土を整備して,命がけで国家の土台をつくった人たちである。(中略)一方,現代の移民は,でき上がった枠組みの中に入って大国の恩恵を受けようとする人たちだ。国家をつくってきた人たちと,後から入ってきて “上前をはねる” 人たちというのは,本質的にまったく違う性質のものである。(p31)
 トランプ氏のさまざまな発言が意外なほど支持を集めたのは,ポリティカル・コレクトネスに対する反発がある。(中略)この流れは実質的に言葉狩りや言論弾圧と同じ状況をつくり出している。そのため,アメリカ人は「言いたいことを言えない」社会に苛立ち,そこに登場したのがトランプ氏というわけだ。(p33)
 先の選挙は「メディア対メディアを信じない大衆」という構図であったともいえるが,トランプ氏の勝利によってメディアの機能不全が露呈したと同時に,候補者が「広告費」としてメディアに大金を支払う価値を失わせたともいえる。(p39)
 既存メディアは,フェイスブックやツイッターなどを「偽情報が蔓延している」と叩くが,そもそも新聞やテレビも偽情報だらけであり,批判する立場にないのである。(p44)
 何をやっても,どこかで反対する人は存在するし,そもそも都合が悪いからデモを行うわけである。そのため,「誰にとって都合が悪いか」「なぜ都合が悪いか」ということを考える必要がある。(p46)
 民主主義とは「大きな声に従うこと」ではなく「大多数の決定に従うこと」である。(p46)
 本来,政治家の発言をメディアは素直に報じるべきで,いたずらに批判すればいいというものではない。(p58)
 メディア側は「事実」と「評論」を完全に分けて論じればいいのだが,事実でないものを評論したり,単なる評論を事実であるように報じたりしている現実がある。その根底には,これまで情報を独占できたという特権意識と情報を流すことで世論を誘導できるというおごりがあるように思われる。政治家も企業経営者もメディアに嫌われることを望んでいない。このため,単なる私企業の一社員でしかない記者を優遇してきた事実があるのだ。これが間違ったエリート意識を生み出しているように思うのである。(p63)
 これまで「権力の監視役」として大手を振って国や社会を批判する側に立っていたマスメディアが,今は大衆によって評価される側になってしまった。そのため,そうした事実を認識することができなければ,今後,メディアは生き残っていけないだろう。(p65)
 巨大化した広告代理店は,子会社などを通じてクライアント企業の広報業務はもちろん,不祥事やトラブル対応まで請け負っているのが実態だ。クライアント企業の方も,不祥事対応などをさせている手前,広告代理店に及び腰で言いなり同然になってしまっているという事情もある。(p68)
 新聞というのは偏ってしかるべき存在である。なぜなら,言論機関だからだ。言論機関というのは,自らの主義主張を展開するのが役割である。(中略)だから,新聞はそもそも不偏不党を謳っていること自体が間違いであり,お互いに批判し合うのが健全な構造といえるのだ。しかし,これまでは論調の異なる新聞社が護送船団方式で相互に守り合う構造になっていたことが問題である。(p85)
 『日経新聞』の報道には注意が必要なことも多い。(中略)日本随一の経済紙であるがゆえに大手スポンサーのためのちょうちん記事が多いのも事実なのである。(p87)
 このような新聞の飛ばし記事の背景には構造的な問題がある。基本的に,他紙を出し抜く形で特ダネをつかむということは,リークされた情報を元に記事にするということだ。本来であれば,当然ながら,その情報が信用に値するかどうかの裏づけを入念に取る必要がある。しかし,今の新聞にはその裏取りをしている余裕がない。(中略)当然ながら,新聞記者にネタを漏らす取材対象は,基本的に自分に都合のいい情報しか与えない。(中略)そんなリーク情報を裏取りせずに報じるということは,特定の人物にとって都合のいい話をそのまま書くということだ。結果的に,取材対象の思うツボであり,今の新聞はそうやって利用されてしまっている感が否めない。(p88)
 今は誰でも一次ソースに当たれる時代になっており,いわば誰でも新聞記者的な動きができるようになった。そういう時代においては,新聞によほどの価値がなければ,わざわざ読もうという人はいなくなってしまう。(p95)
 必要な人にとって価値がある情報が買われるという構図は,これからも変わらないと同時に,反対に「必要がない」と思われれば見向きもされないことになるわけだ。ひと言でいえば,マス向けではなく特定の人たちに向けた特定の情報を提供し,その価値を競うという時代に変わっていくものと思われる。(p97)
 明治時代には新聞記者は「羽織ゴロ」「羽織ヤクザ」などと呼ばれていた。これは,良い身なりをしながら人や企業を恫喝するなどして,金を取っている者が多かったからだ。そのおこぼれを狙って「口利きで飯を食う広告代理店」と「規制で飯を食う政治家と官僚」が一体となった姿こそが,今のメディアの構図である。(p101)
 これまで,メディアが大きな力を持っていた最大の理由は,「報じることができる」からではなく,実は「報じないことができる」からであった。(中略)しかし,ネットによって隠蔽されていた情報が拡散するようになり,「報じない」というマスメディアの特権も失われることとなった。(p102)
 ネットの世界では「権威」というものがまったく役に立たない。既存メディアの常連ともいえる,頭に「御用」がつく学者や評論家ではなく,ネット上には各分野のプロフェッショナルや専門家が存在しており,即時に情報発信が可能だ。それゆえ,状況によっては,テレビで御用学者が話している内容より,ネット発の専門家のつぶやきのほうが信頼できる構図になっている。(p105)
 マスメデイアはその場その場で情報を提供するだけで,その分析や評価がなされたことは皆無だった。マスメディア側も,そうした構造にあぐらをかいてきたといえる。しかし,ネット上では,ある論説や言説が正しいのかどうか,またその人物が過去にどんな言動を見せてきたのか,などの事実関係を考察することができる。その結果,間違った情報を提供すれば批判の対象となり,大きく信頼性を損ねることにもつながるわけだ。(p109)
 今は娯楽をはじめさまざまなものが細分化されており,全国民の共通認識としての流行など存在しない。そんな時代においても,毎年「流行語」を発表するという体制自体が,もはや「レガシー」となりつつあるのではないだろうか。(p113)
 メディアには,オーナー企業でないにもかかわらず,社主や社長が長々と経営の座に居座っている会社が多い。(中略)その結果として,組織に新陳代謝が起きないという弊害が出てくる。権力や人脈の委譲が正常に行われず,属人化してしまうために,仮に渡邉氏や日枝氏がいなくなれば,それまで保たれていた各方面へのパイプが切れることになりかねない。(p122)
 さまざまなものが細分化するという流れは,メディア自身にも起きている。(中略)その結果,全体的に希薄化するために一つひとつの局や番組の力は小さくなる。それは,情報操作がきかなくなると同時に広告媒体としての価値が落ちることを意味するわけで,経営的にも大きなダメージだ。(p126)
 動画配信サービスが普及したことで,日本のコンテンツの貧弱さが目立つようになってきた。「日本のドラマは面白くないから,動画配信サービスで海外のドラマを見る」という人が増えているのだ。(p129)
 第二次大戦後に日本を占領したGHQは,日本人の怒りが再びアメリカに向かわないように新聞やラジオなどのメディアをコントロールすることで,徹底した情報操作を行った。(中略)そして,その洗脳工作は見事に成功した。世の中に「日本は悪い」という自虐史観を持つ人たちが増えることになったのだ。(p138)
 今,メディアの中核にいる人たちの多くは,こうした反安保闘争などの学生運動の生き残りの世代やその影響下にある人々であり,換言すれば,当時「政府が悪い」「アメリカが悪い」と常に批判だけを続けていた人たちだ。(中略)学生運動の参加者は大卒などの高学歴であっても就職することは難しかった。そして,就職できない高学歴学生の受け皿になったのが,「反政府」や「権力の監視」と唱えていたメディアやお役所(公務員)だったわけだ。(p144)
 テレビ局の利用料は携帯電話会社と比べて安すぎることが問題視されているのが実態だ。(中略)NHKの負担額はドコモの十三分の一である。(p150)
 ネットで購入する人が増えただけであれば,単純に考えて全体の販売数は変わらないが,ネットとリアル書店の消費行動には大きな違いがある。それは “目移り” の有無だ。(中略)ネットの場合はタイトルを検索して買うケースが多く,基本的には自由に立ち読みもできないため,目移りすることなく,本来の目当ての本を買った段階で消費行動が完結してしまう。(p194)
 これは絶対にレガシーメディアには勝てない戦いなのだ。なぜなら,日本にはネットユーザーがすでに一億人近く生まれてしまった。そして,一部メディアが特別なものとして扱いたがるインターネットユーザーこそが大衆であり,メディアにとっての顧客であるからなのだ。(p201)

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