書名 まなの本棚
著者 芦田愛菜
発行所 小学館
発行年月日 2019.07.23
価格(税別) 1,400円
子役の彼女をテレビの画面で何度も見ているが,その彼女に本について教えてもらうことになるとは思ってもいなかった。
● 大変に聡明な印象を受ける。如実にそれを感じるのが,辻村深月さんとの対談だ。稀代の作家とサシで話しているのに,ほとんど臆していないし,押されてもいない。土俵の中央に踏みとどまっている。
これだけの聡明さがあって,しかも育ちの良さも備えているとなると,芸能界では疎まれることもあるかもしれないねぇ。
● あるいは,芸能界も昔とはずいぶん変わっているんだろうか。土屋太鳳も大学を卒業できたし,二階堂ふみも慶応を卒業するかもしれない。
いや,卒業はしなくても,そういうところに出没する女優が増えたということが,芸能界も変わってきたのかなと思わせるのだが。
● 以下に転載。
読みたい本を見つけるのは宝物を発見するのと同じで,自分で探し出したりめぐり会ったりするからおもしろいんだと思うんです。(p14)
ちょっとした空き時間があれば,いつも「あぁ,その本の続きが読みたいなぁ~」と思ってしまいます。(p26)
本を読む時だけは別世界。誰かに話しかけられても,声が全然耳に入っていなくて,気がつかないみたいなんです。(p27)
「早く先を知りたい!」という気持ちが強いせいか,本を読むスピードは,けっこう速い方みたいです。それほど厚くない文庫本だったら,だいたい2~3時間で1冊読み終わってしまいます。(p28)
友達と一緒にいて楽しいのは,みんなで団結して何かすること! 学校の行事も,せっかくやるなら,どことん一生懸命に楽しみたいほうです。(p43)
私は小さい頃から「なりきり遊び」が大好きで,友達に「私はこの役をやるから,あなたはお母さん役をやってね」「あなたはお姉ちゃん役ね」なんて役を割り振って,みんなと一緒におままごとをしていました。(p45)
最近はドラマの語りのお仕事をさせていただくことがありましたが,その場合は,視聴者の方と共に登場人物たちを応援する気持ちになっていました。(p69)
声優やドラマ,映画のお仕事では,「素の芦田愛菜」をちらりとでも感じさせてしまうと,見ている方が違和感を抱いてしまうと思うので,極力,「素の芦田愛菜」が出ないように心がけています。(p69)
人見知りは小さい頃から全然しなかったほうなので,初めて会う人でもすぐに自分から話しかけて,誰とでも仲よくなってしまうタイプだったようです。(p75)
僕たちは自分たちが知っている範囲のことでしか,物事を判断できないじゃないですか。だから,自分の予想とうのは,あくまで自分の知識の範囲内にとどまってしまうんです。水面から氷山が顔を出している小さなところだけを学んでわかった気になって予想を立てるので,実験で違う結果が出てしまうのは,ある意味当然なんですね。でも,その失敗が,これまで知られていなかった新しい事実を発見するきっかけになるかもしれないんです。(山中伸弥 p114)
研究者は基本的に失敗をするもので,そもそも失敗を「よくないことだ」と考えると研究はうまくいきません。(山中伸弥 p115)
僕たちはこの世に生をいただいたわけで選択肢はないんです。生が尽きるまで生きるしかなくて,それだったら楽しく生きようということだと思うんです。でも,この楽しいというのが難しくて決して楽ではない。(山中伸弥 p116)
自分の人生が楽しいと感じるために大切なのは「どこかで誰かのためになっている」という気持ちが持てるものであること。この気持ちは,すごく大切だと思います。(山中伸弥 p117)
私はほとんど何も考えないで書き始めるタイプなんですよ。(中略)謎の答えはほんとうにまったく決めていないんですよ。でも,どの話でも途中で急に,「わかった!」って思う瞬間があるんです。「ひらめいた」とか「思いついたというよりも,「気づいた」という感覚が近い。(中略)書きながら,登場人物たちが教えてくれているような気がします。のちのち伏線になるようなエピソードも,登場人物たちが私のためにヒントを落としていってくれた,という感覚なんです。「今回はこれをテーマにしよう」って最初から決めている場合もほとんどないです。テーマもやっぱり,登場人物たちが私に教えてくれます。(辻村深月 p162)
主人公が悩むと,そこで初めて私も悩み出す。(中略)物語を書きながら,主人公と一緒に悩んで考えていったことが,その作品で書くべきテーマだったんだと後から気がつくことが多いです。(辻村深月 p164)
登場人物たちって,もちろんほんとうにはいない人たちですよね。でも,愛情を込めて書いていくと,私自身にとっても,きっと読み手にとっても,実際に周りにいる人以上の実在感が感じられるようになる。(辻村深月 p165)
おおもとになる原稿を書いたのは,高校3年生の時なんです。おもに授業中,教科書で隠しながらルーズリーフに手書きで書いていました。(中略)大学に入ってからはパソコンで小説を書くようになったんですが,このルーズリーフの分厚い束を見ると,ただただ自分は書くことが好きだったんだなぁって初心に帰れる気がします。プロになりたいかどうかは,二の次だったんですよね。だから作家志望の方に「何かアドバイスが欲しい」と言われた時は,「書くことがほんとうに楽しいのか?」を自分に問いかけてみてくださいと言うようにしています。頭の中にどれだけ壮大なストーリーがあっても,目の前の一文一文をちゃんと重ねることが好きでなければ続かない仕事だと思うので。(辻村深月 p170)
実は,私も恥ずかしながら,何回か小説を書こうとチャレンジしたことがあるんです。(中略)でも,主人公はなんとなく思い描けても,お話がどうしても「起承転結」の「転」がなくて,「起承承結」になってしまう。(中略)「おもしろい!」って思える瞬間をゼロから生み出すのはほんとうに難しいことなんだな,と自分で挑戦してみてよくわかりました。(p171)
綾辻さんのミステリーを読んでいて犯人がわかりそうになると,「どうか違いますように・・・・・・」と祈るような気持ちになったりして,だけど,私ごときの想像力が綾辻さんに及ぶはずがない。いつも引っくり返されます。そして,確かにそこが気持ちいんですよね。「自分の想像を超えたもの」を見せてもらえるから夢中になる。(辻村深月 p172)
役が入り込んでくる感じです。台本をいただいた時に,「この子だったらこの台詞をどんなふうに言うのかな?」とか「普段はどんなふうに歩くのかな?」と考えていくうちに,だんだんその子が自分の中に住み着いてくる。頭で考えなくても,自然とその子になれている感覚が出てくるんです。その時は,素の芦田愛菜がいなくなるような感じです。(p176)
この小説(武者小路実篤『友情』)では最後の結末が登場人物たちの手紙という形式で展開されます。手紙ってやっぱり気落ちがきちんと伝わると思うのです。(p194)
SNS(特にFacebook)が普及したけれども,最大の問題は文字だけで個対個のコミュニケーションは成立剃るかという点だ。ぼくは否定的なのだが,大昔は文通というのがあった。ペンパル募集なんて欄が雑誌にあった。見も知らない人と手紙だけでコミュニケーションを図る。これは可能か。やはり難しかったのではないか。したがって,文通というのも長く続くことは稀だったろう。
手紙で気持ちが伝わるのは,すでに気心が知れている関係,リアルで個対個のコミュニケーションをずっと積み重ねてきた関係にある者どおしの場合に限られる。文字によるコミュニケーションはリアルの補助にはなっても,それに取って代わることはない。
太宰の作品は色で例えると,青とか黒っぽい暗くてドロドロした世界観が浮かぶのですが,芥川の作品はすっきりとした白っぽい感じです。(p198)
私はよく笑う人が好きなんですが,玄之助さん(宮部みゆき『あかんべえ』)は幽霊でも人を恨んだりしていなくて,ほがらか。生きていた時は女の人たちにもかなりモテたようです。(p222)
本って「一人で黙々と読むもの」だと思われがちですが,実は,人と人をつないでくれるコミュニケーションツールだとも思うのです。(p237)

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