2021年6月22日火曜日

2021.06.22 小川かりん 『もっと! 夜行バスで出かけましょう』

書名 もっと! 夜行バスで出かけましょう
著者 小川かりん
発行所 イースト・プレス
発行年月日 2020.04.24
価格(税別) 1,000円

● たぶん,『夜行バスで出かけましょう』が好評だったのだろう。続編が出た。
 サービスを提供するバス会社を取材して,供給側からの夜行バス事情とでもいうべき内容になっている。これはこれで面白いし,興味深いしってことなんだけどね。

● 夜行バスに乗りたくなってきた。が,そうもいかない事情があってね。イビキなんですよねぇ。若い頃は無縁ですんでいたイビキを中年になってからかくようになって,老年になってもそれは変わらず。
 この状態で夜行バスに乗ってしまったのでは,他の乗客の皆さんに多大なご迷惑をおかけしてしまう。

● イビキを緩和するテープも試してみるんだけど,どうも完全に消えるというわけではないっぽいんだよね。やっぱり,夜行バスには乗れないねぇ。
 っていうか,コロナが収束すれば,飛行機にも乗ることがあるかもしれないんだけど,たとえばホノルル便には乗れないよねぇ。同じ理由で。
 イビキで行動の自由が大きく制限されますなぁ。

2021.06.22 小川かりん 『夜行バスで出かけましょう』

書名 夜行バスで出かけましょう
著者 小川かりん
発行所 イースト・プレス
発行年月日 2018.12.13
価格(税別) 1,000円

● イースト・プレスの「コミックエッセイの森」の1冊。

● 自分が夜行バスに乗ったのは記憶する限り3回。初めての夜行バスは東京から京都まで(京都から東京までだったかもしれない。このあたり,記憶が曖昧)のドリーム号。20代の頃だったろうか。鉄道好きだったので,バスで京都に行くなんて乗る数日前まで頭に浮かばなかった。
 が,安いのと宿泊費を浮かせられるというので。お金がなかったから。しかし,これは若い身空にも苦行だった。

● これで懲りて,しばらくは乗らなかったのだが,次に乗ったのは,東京から青森までんだ。何をしに青森まで行ったのかは憶えていない。
 が,間違いなく乗った。宇都宮から東京まで電車で行って,東京から青森行きのバスに乗ったのだ。ドリーム号とは段違いに快適になっていて驚いた。

● 三度目は京都から宇都宮まで夜行バスで帰ってきた。
 宇都宮駅前のチサンホテルの前で降りて,チサンホテルの朝食を食べたんだった。旨くてびっくりした。旅行中,ロクなのを食べなかったから。

● 思いだした,もう1回乗っている。これも東京から京都までだ。朝,京都に着いて,京都駅から西日本のJR線の乗りつぶしを始めたのだった。ので,「青春18」を使える時期に行っていることは間違いない。
 しかし,著者が持っている思い入れの1%も自分は持っていない。電車で動きたかったんだけど,お金がなかったのでバスにしたという,それだけのことだったからだ。

● 本書で一番ジンと来るシーンは,深夜,サービスエリアでの休憩時に,自販機でココアを買ってそれを飲みながら,広い駐車場を眺めるところ。「楽しいような,さみしいような」「なんとも言えない不思議な気持ちが沸き立ちます」という。
 しみじみとわかるなぁ,と。そういうときって,人生を感じるんだよね。あるいは,宇宙を感じるっていうか。悠久がそこにあるっていう思いにとらわれる。
 この風景は自分が死んだあとも,何も変わらず,毎日このように,同じように展開されるんだろうな,って思って。そのことが不思議に思えてくるんですよ。

2021年6月19日土曜日

2021.06.19 松井孝典 『138億年の人生論』

書名 138億年の人生論
著者 松井孝典
発行所 飛鳥新社
発行年月日 2018.11.09
価格(税別) 1,000円

● 宇宙物理学者の人生論とはどんなものか,これまでになかった論に接することができるんじゃないか。と思って,手に取ってみた。
 最初に「斉一説」という言葉が出てくる。均一に斉一に物事は進んでいくという考え方。しかし,それは間違っていると言う。地球はこれまでも特異な変化をしてきたし,これからもする。したがって,過去に学ぶという態度ではダメだ,と。

● 以下に転載。
 本書で私が伝えたいことはいくつかあるのですが,1つだけ先取りして申し上げると,「斉一説から逃れましょう」ということです。「斉一説」とはもともと地質学の言葉で,平たく言えば「過去は現在の鏡。過去と現在と未来はゆるやかな地続きになっている。したがって,過去に何が起きていたのかは,現在目の前に起きていることから類推できる」という考え方です。(中略)でも,ほんとうにそうでしょうか?(p3)
 この世界は斉一説ではなく,予期せぬ出来事によって成り立っている--。そうとなれば,「わからない未来」に思い悩むことほどムダなことはなく,いまのこの一刻一刻を精一杯生きることこそが人生において大事だとわかるわけです。(ついでに申しあげれば,年配の方がしばしばおっしゃる「歴史に学べ」という斉一説的なお説教が,全くナンセンスだということもわかるわけです)。(p4)
 この理論(相対性理論)が明らかにした,もっとも衝撃的な原理は,「この世界の時間と空間は運動や重力で伸び縮みする」ということでした。(中略)しかし我々がその原理を肉眼で確認することは不可能です。法則とか原理とか呼ばれるこうした概念が姿を現すとすれば,それは言葉や数式において以外にないのです。(p19)
 科学的に「わかる」といった場合,それは,科学のルールに基づいて外界を脳のなかに投影し,その結果構築されたモデル,すなわち「内部モデル」に基づいて解釈することを意味します。とは言え,科学と科学技術が圧倒的に発達してしまった昨今,「わかる」ことが問題となる世界は,より細分化され,専門化されすぎてしまいました。よほどそのことに精通した専門家でないかぎり,本当の意味で「わかる」ことはもはや不可能なのかもしれません。(p21)
 人間の脳は,その瞬間ごとにさまざまなことを認知しています。言い換えれば,脳が認知した瞬間だけ,その現実というものが存在しているということ。つまりそれが現在です。(p25)
 明日突然,地球環境が大きく変わるような出来事が起こるとしたら,斉一説的に未来のことなど考えていても意味がありません。大切なのは,瞬間瞬間の決断であり,人生は,瞬間ごとの決断の積み重ねです。(p29)
 私たち自然科学者にとっては,「問題をいかにしてつくるか」がもっとも重要です。問いを立てられるかどうかが,何を考えるにしても,最初のステップというわけです。(p33)
 考えるというのは,きちんと答えの見出せる問いを立てることです。(p37)
 人生とは,脳のなかの内部モデルの蓄積そのものです。脳の働きが止まってしまったら,それがホモ・サピエンスとしての人生の終わりを意味するということです。(p45)
 うまくいっているときの方がかえって不安です。スラスラとうまくいくということは,そこにこれまでとはちがう斬新なアイデアがないと考えるべきでしょう。(p49)
 もし,いま,自分の人生が思うようにいかないと考えている人がいるとしたら,それは最初から何かをきわめようとすることを諦めているからでしょう。そして私にとってそれは,考えることをやめるという,ホモ・サピエンスという種にとってもっとも致命的な過ちを犯すことと,ほとんど同義なのです。(p51)
 それは,宇宙誕生から10のマイナス43乗秒という,普通の人にとっては意味がないような時間で瞬時に起こる出来事ですが,ゼロではないという点が物理学にとっては重要です。(p53)
 全部が見えるというのは,そお基本過程の因果関係から結果まで,1本の流れでスッキリととらえることができるということです。その光景はとても「美しい」(合理的と言うか,その背景をつらぬく法則性の表現の美しさ)ものです。(中略)「わかる」快感とはこういうことです。もし,何かの物事に対し,「美しい」と言えるほど気持ちの良いイメージで捉えることができないのであれば,それはその物事の本質を,まだよくわかっていないからかもしれません。(p54)
 もともと人間には,どうにもならないことも多くて,そのつらさを乗り越えるために思考停止状態をつくりだす必要がありました。その方法の1つが,宗教です。宗教は,見える世界以外を神という概念に置き換えて,考えないですむようにする,と考えることができます。(p57)
 現在の世界のかたちにしても,それがどうしてそうなのかも悩む必要はありません。この宇宙の進化から個々の人の歴史にいたるまで,「実現の可能性が高かったことが実現した」としか言いようがありませんから,これも悩むには及びません。(p58)
 仕事でよいアイデアを思いつくにはどうしたらよいか。学生時代からずっと考え続けてきた私の結論は,とにかく考え続けること。単純なようですが,これに尽きます。(p63)
 メモを取ることはほとんどありません。考えるべきことは,頭のなかに全部あります。頭のなかの知識は断片的で混沌とした霧のなかのようなものですが,解くべき問題自体はきちんと整理されているのです。問題が整理されていれば,メモなどなくても,それを忘れることはありません。(p67)
 一度波をつかんでその先端に立つと,その後はたいした努力をしなくともずっと先頭を維持できる。よく,時代の先頭を走るのはきついという人がいますが,それは実際に先頭を走ったことのない人がイメージで言っているだけか,本当は先頭を走ってなどいなかったのに,走っていたと勘ちがいしているだけなのではないでしょうか。(p76)
 日本の学者,とくに人文系の学者の多くが世界的に一流になれないのは,知識としてはものすごい量を持っているにもかかわらず,人類の知の最先端を突き抜けるという意識に欠けているためではないかと思います。(p78)
 宇宙が1つしかないのであれば,「この宇宙に私や生命が存在しているのは必然か」という問いに,ほんとうの意味で答えることはできません。たとえ答えたとしても,あくまで思弁的な領域に留まるものです。しかし,宇宙がどのような姿を取るのかという可能性が,10の500乗個あるとすれば,この宇宙がなぜこの宇宙なのかという問いが物理的にも意味をもつわけです。20世紀には,誰もこんなことは考えもしなかったのです。(p85)
 二元論と要素還元主義に基づいて外界を内部モデルに投影するのが科学であり,研究者を目指すならそれをきわめないと先へ進めなくなると諭します。(p95)
 大抵の自由は,家族によって阻害されるものではないと思います。自分の意欲が中途半端だったり,考える努力を怠ったりしたことを,家族のせいにするべきではないでしょう。(p100)
 早く老いるかどうかの境目は,現役を続けているかどうかにあると確信しました。(p104)
 若い頃と比べると,問題を解くためのアイデアが瞬時にひらめくことは少なくなりました。(p108)
 そういう新しいチャレンジを自分よりはるかに若い人たちと一緒になってやるには,それだけの力を自分がもっていなくてはなりません。体力が必要なのももちろんですが,それ以上に必要なのは,執着心と集中力です。結局,仕事であれ勉強であれ,必要なのはこの3つにつきます。(p110)
 エネルギーまで含めて考えれば,地球は開放系というシステムです。しかし物質的な観点としてみると,基本的に地球は「閉じて」います。そして,安定な閉じたシステムの特徴は停滞にあります。セロザムということです。(p115)
 ある常識と言われている解釈が,別のものに変わることによって世の中も変わっていくわけで,それを我々人類は「進歩」と呼んできたのです。(p115)
 科学の基礎が生まれたという意味でのルネッサンス運動が起こったのは,私見ですが,「新大陸」の発見が大きかったように思います。(中略)そのことを通じて,「古典に書かれていない知識」の存在が自明となったのです。(p116)
 問題は,基本をマスターする段階で起きがちな思考の硬直化(科学の常識を100パーセント受け入れてしまい,懐疑の精神を失うこと)です。(中略)その壁を乗り越えられるかどうかが,学者として,一流と二流を分ける分岐点でしょう。(p118)
 進歩をはばむ斉一説から逃れるにはどうしたらよいか? 私は,我々の世界を論理(数学)的に分析することが重要だと考えます。(中略)経験=見える世界だけに縛られ,進歩をこばむ生き方から我々人類が脱却するには,好むと好まざるとにかかわらず,論理・推論・演繹(数学)的思考を身につけることが絶対条件と言ってもいいでしょう。(p125)
 世界で仕事をするためには,話す内容を持たなければならないことを痛感しました。(中略)ところが,日本人のほとんどは,あるいは日本の英語教育のほとんどが,伝える内容よりも,外国語を上手く操る単純なスキルにしか関心がありません。それでは誰も,耳を傾けてはくれないのにです。(p137)
 文明の誕生には共同幻想が形成されることが条件で,それには言語という共通のルールが必要です。その言語が危うくなったら,日本人のアイデンティティとしての共同幻想は壊れてしまう。(p140)
 宇宙,地球,生命の歴史を解読してわかったのは,それらの歴史に共通している点として,「分化」する方向に進んでいるということです。しかし,そのような長い歴史のなかで,いま文明においては,その流れに逆光する動きがあります。それが,ITを基盤とする情報ネットワークの発展です。(p142)

2021.06.19 和田秀樹 『「すぐ動く人」は悩まない!』

書名 「すぐ動く人」は悩まない!
著者 和田秀樹
発行所 海竜社
発行年月日 2016.03.18
価格(税別) 1,000円

● 著者の専門は老人精神医学ということなのだが,それに限定されず,多くの人が悩んでいそうなテーマを的確に捕まえて,精神医学的あるいは心理学的に落とし所を導くという著書がたくさんある。本書もその1つに数えていいのだろう。
 タイトルは「すぐ動く人は悩まない!」だが,どんなふうに悩めば,動きを停めないでいられるかという話を展開している。上手な悩み方の解説。

● 以下に転載。
 大事に悩んで,些事に悩まず。これは,悩みがなさそうに見える人に共通するものですし,上手な悩み方のポイントでもあると思います。(p30)
 いちばんまずいのは解決できないことを悩むパターンです。その典型が「過去」を悩むこと。これは,悩めば悩むほど深みにはまりますし,同じことを何度も繰り返して悩むことになります。(p38)
 解決できる悩みに目を転じることです。会社が嫌なら,入ったことを悩むのではなく,どうしたらその嫌な状況から脱することができるか,そのことについて悩めばいいのです。(p39)
 なぜ,失敗したか,どこで,失敗したか,ということをきちんと分析する。また,同じ失敗は二度と繰り返さない,と強く自分を戒める。その二つの条件が揃ってはじめて,失敗は成功のもとにも,母にもなるのです。(中略)失敗した結果をただ悩むのか,改善点を見いだそうとして悩むのか。どちらの悩み方をするかで,次の結果は大きく変わってくるのです。(p44)
 森田正馬はこんなことをいっています。「人は同時にたくさんのことを悩めない」。つまり,ひとつの悩みの渦中にると,そのことばかりに心が占領されて,ほかに悩むべきことがあっても,それが見えない(p47)
 “得意を伸ばし,苦手には目をつぶる” という考え方は,悩まないための処方箋でもあるのです。(p53)
 変えられるか,変えられないか。動けるか,動けないか。この二つは悩みを選別する重要なポイントです。悩みが心に入り込んできたとき,まず,この二点でふるいにかける。そうすることで,余計な悩みにつかまらないですみます。(p57)
 悩んでいることがすっかりクリアになる。それが解決だと思っていないでしょうか。もちろん,そうなることがベストです。しかし,そこにこだわっていると悩みは尽きないことになるのです。(中略)そこで必要になるのが,「ベターでよし」とする感覚です。(p58)
 人間関係のなかには大きな錯覚があります。人の気持ちは変えられるという思い込みがそれです。はっきりいいましょう。自分の対応次第で相手の気持ちを変えたり,相手を説得できると考えるのは,思い上がりです。(中略)その試みはほとんど徒労といってもいい。(p63)
 学歴では負けていても,実力をつければ十分 “逆転” は可能なのです。そのために心しておかなければいけないのは,大学入学という時点での負けは,負けとして素直に認めるということです。(中略)それをいつまでも,「東大なんて,ガリ勉していただけだから,性格的に問題があるやつばっかりじゃないか」なんてやっているから,エネルギーがしぼむのです。(p72)
 男女を問わず,生理的に受けつけないという感じを持たれていたら,それを変えるのは,まず,不可能だというのがそれです。(中略)永遠に振り向いてくれない相手に執着して悩むのは愚の骨頂。(p77)
 何ごとにおいても成功確率を高めるいちばん有効な手段は,この諺(下手な鉄砲も数打ちゃ当たる)のごとく,打数を増やすということなのです。(中略)「蓼食う虫も好き好き」 かりに容姿,性格,境遇に “難” があったとしても,自分を好きになってくれる人がいないはずはないのです。(p80)
 経済力のなさはそれほど結婚の障害にならない,という気がするのです。思い込みがそれを障害にさせている。(p88)
 拒否する気持ちを覆すのは非常に難しいのです。結局,悩ましさが増すだけです。(中略)自分から誰かが離れていくとなると,「彼(彼女)しかいないのに・・・・・・」という気持ちが高まるものなのです。しかし,それは完全に思い込みです。(p94)
 相手をどうにかしようと悩んでも,問題は解決されない。そうではなく,自分がどうするかを悩むことによって問題は解決する。(p107)
 人生も先のことはわかりません。だから,試してみることが必要です。生きていれば何でも試してみることができます。わたしは,生きる意味は,案外,そんなところにあるのではないか,と思っています。(p122)
 人生に打率は関係ないのです。120打数1安打。120回試してみて,一人素敵な彼女がゲットできたら,それで幸せではないですか。(p124)
 フラれたら少しはへこむでしょう。しかし,拒絶されたとしても,多くの場合,相手はこちらに悪感情を持っていないのです。自分が誰か異性に好意を打ち明けられたときのことを考えてみてください。(p124)
 人生は,思ったとおりにならないこと,思いもよらないこと,思いがけないことの連続なのです。しかし,だからこそおもしろいといえるのではないでしょうか。(中略)思いどおりにならないことは,けっして挫折などではなく,飛躍のためのステップ,チャンスを拓いてくれるきっかけともなるのです。(p134)
 意味があるなしは他人が決めることなのです。(中略)そうであったら,自分に「意味があるのか? あったのか?」と問うてもしかたがないということになりませんか?(p135)
 自分の才能はどこにあるのか,才能なんかないのではないか,と悩むのは時間の浪費です。ふとしたきっかけで目覚めるのが才能です。(p140)
 老いと戦うことはけっして悪いことではないと思います。(中略)ただし,ある時期がきたら老いを受け容れることも大切です。(中略)誰にでも,「そろそろ爺さん(婆さん)としての自分を生きるとするか」という時期はくるのです。その感覚には抗わないほうがいいですね。老いを受け容れる清々しさというものもあることを知ってください。(p144)
 みなさんの周囲にも男女を問わず,“素敵な老人” がいるはずです。人生のいいお手本ではないでしょうか。(p146)
 餓死にはきわめて悲惨な死というイメージがありますが,実際のところは,案外,ラクな死に方のようです。(中略)死に向かう苦しさや痛みについては,イメージが先行しすぎている。そのことにちょっと警鐘を鳴らしたい。(p155)
 悩みというものは,期限を区切らずに悩み続ければ,いつか,必ず,解決されるというものではありません。(中略)ちなみに,勉強でも,たとえば,数学の問題は解けるまで考えろ,という人がいたりします。まったくナンセンスといわざるを得ません。30分考えて答えが出ない問題は,おそらく,一年考え続けても結果は同じなのです。(中略)悩みの軽重によって長短はあっても,期限付きで悩むという基本スタイルは守るべきです。悩みに決着をつける方法は,それ以外にはありません。(p159)
 頭で考えていると,悩みは深くなっていくものです。それを防ぐために有効なのが,紙に書くということです。(中略)その際のポイントになるのが,悩みそのものではなく,その悩みに対して,自分がどう対応したかと書くということです。(p164)
 人には何でもない事実を思い込みによって深刻な悩みにしてしまうところがあるのです。その落とし穴にはまらないためにも,「事実」と「思い」を分けて,紙に書くことをおすすめします。(p168)
 もし,事故を恐れて飛行機に乗らないというのなら,それよりもっと頻発している交通事故を恐れて,外に出ないということでなければ,論理的にはおかしいわけでしょう。しかし,飛行機嫌いも平気で街中を闊歩している。確率論でものを考えないわけです。わたしは常々,不思議なことだと思っています。不安,恐れ,悩みには,確率論で考えないことが原因になっているものが少なくありません。(中略)確率論で考えるクセをつけませんか? 状況はまったく同じでも,そうすることで,悩みは格段に軽くなります。(p170)
 現実に成功した人は,考えているだけでも,悩んでいるだけでもなく,さっさと動いた人,行動に移した人なのです。(中略)そもそも完璧な計画などないのです。悩むこと,いや,悩みすぎることの愚かしさは明白です。(p188)
 人事を尽くさなければ,成功はおぼつかないのです。しかし,最終的には天命にまかせるしかないわけですから,人事を尽くすことも適当なところで切り上げる。ここは大事なポイントです。(p192)
 短く悩んで動き,じっくり悩んで改良,再チャレンジをする,というのが,成功へのルートです。(p195)

2021年6月18日金曜日

2021.06.18 『ウォルト・ディズニーの言葉』

書名 ウォルト・ディズニーの言葉
発行所 ぴあ
発行年月日 2012.03.14
価格(税別) 1,200円

● コロナが収まっても,中国人の爆買はもう二度と現れないと見るべきだろう。したがって,中国人を始めとするインバウンドで息をしていたようなところは,沈みっぱなしになるしかあるまい。
 観光客よ,来るな,と騒いでいた京都などはどうするつもりか。静かになったと喜んでいるのなら,京都人の首尾一貫ぶりに敬意を評する。あれだけ観光公害を言い募っていたのだから,まさかコロナ禍への恨み節などは聞こえて来まい。もちろん,皮肉で言っているのだが。

● コロナ禍の舞浜には二度行った。TDRも辛い戦いを強いられているが,収束後には速やかに復活するだろう。コロナ禍の舞浜駅前の様子を見て,確信した。
 君たちはどうしてそんなにTDRが好きなのかねと言いたくなる,その「君たち」が雲霞のごとくわいてくるに違いないと思えた。
 中国からの来園者は消えるが,日本国内の来園者だけでかつての賑わいが戻ってくるのではないか。TDRは別格と見たい。

●  1年前に読んだ。今回は再読。以下にいくつか転載。けっこう,その場その場で都合のいいことを喋り散らしていたのかもしれないねぇ。
 人はいつから子どもでなくなるのか。大人になると童心は消えてしまうと,言い切れるのか?(p15)
 物事をスタートさせる方法は,口ではなく手を動かすことだ。(p18)
 私は自分の映画の続編を作るのが好きではない。私は新しいものを見つけて,新しいコンセプトを開発するのが好きだ。(p29)
 僕らは自分たちのやっていることを秘密にしたことなんかない。(p64)
 僕らが持っている設備がなくても,鉛筆描きのスケッチからだってアイデアは生み出せる。(p72)
 どんなに悪い大人でも,無邪気さを捨ててしまってはいないのだ。たとえ心の奥深くに埋めてしまっているとしてもね。(p75)
 あいまいな言葉で自分のクリエイティビティを主張することより,人を楽しませること,喜ばせること,特に笑わせることのほうに興味がある。(p110)
 子どもっぽさ,それはユーモアのセンスを絶対に失わないことと同意語だと思う。(p112)

2021年6月15日火曜日

2021.06.15 弘兼憲史 『弘兼流50歳からの定年準備』

書名 弘兼流50歳からの定年準備
著者 弘兼憲史
発行所 東洋経済新報社
発行年月日 2018.08.23
価格(税別) 1,000円

● 50歳からどうすべきかを書けるのは,60歳とか70歳になってからになる。ぼくもその歳になっているわけだが,50歳の人に対して何か語るべきことがあるかといえば,あまりないような気がする。
 というか,60歳で定年退職をしたばかりの頃はあったような記憶があるのだが,すでに往事茫々として,詳しいことは憶えていない。

● ただ,言えるとすれば,本書のタイトルのことだ。定年後のことを定年になってから考えたのでは遅すぎる。定年後の人生がどうなるかは,定年になった時点では決着がついてしまっている。すでに勝負は決している。
 だから,50歳から考えていないといけない。考えただけではダメで,具体的に準備を始めていなければいけない。具体的にどうすればいいかといえば,定年になって時間ができたらやってみたいと思っていることを,50歳から始めてみることだ。できる範囲でやっておくこと。やり続けること。
 そうして,それが本当にやりたかったことなのかどうかを確認しておくこと。これじゃないというのであれば,また考えて試してみること。要するに,定年後の予行演習をやっておけということだ。

● 以下に転載。
 会社で自分が将来どんな処遇になるのか,なんとなく見えてくるのも50代です。(中略)一発逆転は,よほどのことがないかぎり難しいでしょう。それでもいいじゃないかというのが,本書の一番のメッセージです。(p4)
 アランの『幸福論』の中に,「悲観主義は気分によるもの,楽観主義は意志によるものである」という有名な言葉があります。日常は気分に流されがちだからこそ,しっかり意志を持つことが大事なのだと思います。(p6)
 ピンチが多いということは,むしろ従来にないチャンスに出会える可能性が高いということでもあります。(p8)
 隣の芝生が青く見えるのは人間の性ですが,人は人,自分は自分と割り切る。50歳といえば,もうそういう分別がつく年代のはずです。(p23)
 世間の常識や世間体に縛られることは,決して幸福ではありません。結果はどうであれ,自分で考えて道を選ぶことこそ,真の幸福につながるのではないでしょうか。(中略)その際に基準にすべきは,「どうすればもっと自分が楽しめる人生になるか」ということです。(p32)
 人間社会においてもっとも気をつけるべきは,孤立することです。(中略)「逆らわず,いつもニコニコ,従わず」(p49)
 効率一辺倒ではなく,あえて非効率なことに身を置いてみると,新たな価値観に気づけるはずです。単純に言えば,何かバカバカしいことをやってみればいいのです。(p58)
 僕は,ひとりの時間を大事にしたい。(中略)傍から見れば「孤独」かもしれませんが,ひとりだからこそできることはたくさんあるし,それこそが人生を豊かにしてくれると信じています。その結果としての「孤独死」なら,文句なし。(p65)
 概して日本の高齢者はお金持ちなのです。そのお金持ちの高齢者を,お金持ちではない現役世代が支えて汲々としている。(p93)
 70~80歳にもなって,豪邸に住む必要はありません。高齢になってもっとも気楽な空間というと,せいぜい六畳一間か二間といったところでしょう。(p96)
 幸せとは「幸せと感じる心」のことです。(中略)身体が動くうちに,どんどんお金を使ってどんどん楽しんだほうが,幸せの度合いは大きくなるはずです。(p98)
 家の中にいて役に立たないから嫌われるのです。(p102)
 私見によれば,家族サービスに熱心な父親は,会社であまり出世しません。家族を優先するということは,必然的に仕事は後回しになるわけです。逆に出世する人は,だいたい家庭が壊れている。(中略)つまり仕事と家庭というのは,なかなか両立できないというのが現実ではないでしょうか。両方ともうまくいっている人は稀です。(p109)
 アメリカでは,イェール大学やハーバード大学のようなエリートの学生ほど大企業は志向せず,自らでベンチャー企業を起こそうとする傾向があると言われています。それが軌道に乗ってきたら,その事業ごと大企業に売却して,またゼロから会社を起ち上げたりする。(中略)このバイタリティが,アメリカ経済の強さの根源でしょう。(p123)
 もともと成績が良かったり好きだったりする科目をもっと集中的に勉強させたほうが,ひょっとしたら将来突出した人物になるのではないでしょうか。平均的に全体を力を上げるより,よほど効果的な気がします。(p127)
 フランス料理の第一線で活躍している人は,大学まで行っていない人が多いと思います。ところが料理の腕はもちろん,フランス語も流暢に話せたりする。修行の過程で,どうしても必要になって学んだのでしょう。これは言葉ばかりでなく,すべての技術や知恵にも当てはまることだと思います。(p128)
 多くの子どもは,緩めれば緩めるほど,楽なほうへと流れるだけです。多様化・個性化とは,人と違う道を行くということです。それを本格的に目指すなら,今までよりももっと厳しい世界が待っている。(p131)
 子どものうちは,知識が圧倒的に足りないわけです。それを一度は網羅的に知っておかないと,自分は何が好きか嫌いかもわからない。(p133)
 漫画家にとって重要なのは,絵の上手下手より,物語を作る能力があるかどうかです。物語が面白ければ,たとえ絵が下手でも,それがかえって味になったりするのです。(p138)
 今は雑誌ごとにいろいろな新人賞があり,入賞するのは毎年10~20人にものぼります。しかし,その中で数年後にも漫画を描いてメシを食えている人は,ほとんどいません。(中略)一方で,『ビッグコミック』などの連載陣は何年も変わならなったりします。これは既得権が新人を排除しているわけではありません。ベテランを押しのけるほどの人材が,登場していないのです。こうした現状から考えられることは1つ。漫画家志望の若い人には,圧倒的に努力や根性が足りないということです。(中略)まず当然ながら,毎日必死に描く覚悟を決めること。質はともかく,量で上回るくらいでなければ,勝負になりません。(p139)
 認知症の高齢者に思い出話を聞くと,つらかったことはすべて忘れ,楽しかったことやおいしかったことはびっくりするくらいよく覚えているそうです。これは,人間の防衛本能なのかもしれません。(p150)
 僕の漫画に登場する男女は,ステキに出会って恋愛に発展することがよくあります。しかし現実では,なかなかそううまくはいきません。ストーリーは取材や実体験をもとに練ることも多いのですが,ステキな部分はほとんどフィクションです。(p156)
 かつて名優ジョン・ウェインがガンで亡くなったときも,最後まで「痛い」とはひと言も言わなかったそうです。どれほど痛くても,それだけは言うまい。カッコいいイメージのままで死にたいと心に決めていたのでしょう。(p183)
 日常で腹の立つことはいろいろあります。しかし次の瞬間,「怒るのはエネルギーと時間のムダ」と自分に言い聞かせる。そのリソースを楽しいこと,面白いことに振り向けようと考えるわけです。(p188)

2021年6月11日金曜日

2021.06.11 堀江貴文・西野亮廣 『バカとつき合うな』

書名 バカとつき合うな
著者 堀江貴文
   西野亮廣
発行所 徳間書店
発行年月日 2018.10.31
価格(税別) 1,300円

● 読後,爽快な気分になれる。ほとんどの人は,その爽快さを味わって,本書を読む前の状態に戻る。それはそういうもの。
 そうではなくて,何かがインスパイアされて,さっきまでの自分と変わるということが,読書という体験で起こり得るのだろうか。

● 以下に多すぎる転載。
 あなたは自由であるべきだ。なのにもし,あなたがいま自由でないとしたら,その理由は簡単です。バカと付き合っているからです。(堀江 p2)
 あなたがいま何歳であろうとも,バカがいない年代などなかったでしょう。歴史的にも,空間的にもそうなのだと思います。つまり,バカは遍在する。(中略)そんなバカの存在が,人類文化の足を引っ張りつづけてきたんだと思います。(堀江 p2)
 時代はつねに変化しているのだから,これまでに,変わり目でなかった時代などありません。(中略)少なくとも近代以降,テクノロジーの進歩がまったくなかった時代はありません。だからこそ,考えるべきは,ぼくたちを支えるテクノロジーが,文字通り日進月歩しているにもかかわらず,なぜ人間のあり方はそう変わらないかという問題です。(堀江 p5)
 成功している人って,運がいい人ではなく,運任せにせずに勝つための情報を集めにいった人なんです。(堀江 p20)
 環境に従うしかないと思っている人の多くは,いまの環境以外にいる自分を想像できていない。想像力が足りないんじゃないかなと思います。(中略)想像できないというのは,単に情報をもっていないことにすぎない。情報がないから,想像力もないんです。(堀江 p20)
 ぼくは人と違うことをやって得をしたことしかないので,いまの自分にとっては孤独もクソもないです。(西野 p26)
 小学校の勉強ができないバカとは違って,中学校で待っていたのは・・・・・・勉強ができるバカでした。(中略)そこ(東京大学)で待ってたのは・・・・・・とびっきり勉強ができるバカでした。(堀江 p29)
 いわゆる受験までの学校教育は,従順であることが成績につながります。(中略)学歴エリートの得意科目は,数学や英語ではない。彼らの本質的な得意科目は,従うことと我慢です。(中略)そこにしか秀でたものがない人材は,AIに最初に取って代わられていく人材です。(堀江 p30)
 視聴率はとった。若手ではほとんど一番と言っていいくらいよかったんじゃないかと思います。でもどこまで行っても,テレビの世界では,先輩方を追い抜けなかった。どうしてかと言えば簡単で,結局ぼくは,先輩方の敷いてくださったレールの上を走っていたんです。(中略)レールの上を走っているかぎり,そこで成績を出したら,それはレールを作った人の成果になるんです。(中略)一番を獲りたいのなら,自分がレールを作るべきだった。(西野 p35)
 耐えて我慢すること自体がいいことだと誤解しはじめる人がいます。(中略)「良薬口に苦し」っていうことわざのせいもあるでしょう。論理がスライドして,「口に苦いものは良薬なんだ」と誤解しはじめる。そもそもこの時点で論理を理解できていないから,バカ。(堀江 p41)
 いまの時代に必要なのは,我慢できないほど,「これをやりたい!」と欲望する力です。我慢とは真逆の力。(堀江 p45)
 ぼくの物事の進め方は,群れるよりもひとりの道,孤独な道を選べ,そのほうが得だということ。それに尽きます。(西野 p49)
 彼らは皆,ぼくにとって重要なある一点で共通しています。それは,無根拠な勘でブレーキを踏まないこと。だから,彼らといっしょになにかをやるときも,サロンでなにかをやるときも,とにかく早いんです。(中略)(無根拠な勘でブレーキを踏む人の)なにが問題かというと,経験が溜まっていかないんです。(中略)経験の積み重ねだけが,勘の鋭さを磨きます。(中略)経験値の低い人の勘ほど意味のないものはないんです。(西野 p50)
 座学というスタイルの中に,「行動するな」というメッセージが含まれてしまっているんです。(中略)そんな環境の中にいるうちに,「やりたいことを我慢する」ではなく,「やりたいことがない」に変わっていく。「欲望する能力」を失っていく。(堀江 p55)
 本当に必要な知識が何かなんて,実際に行動しないと見えてこないものです。(堀江 p56)
 けど彼らは「怒って」いました。感情で反応していました。なぜ感情的にならざるを得なかったか。ようは,怒っていた人たちは,その常識がどんなロジックで成り立っているか,本当はわかっていなかったんじゃないかと思います。(西野 p65)
 ぼくから見れば,テクノロジーに抵抗を示す人たちは,機械になりたい人たち。それが経営者なら,人間を機械扱いしたい人たち。(堀江 p71)
 「付き合え」って言ってくるやつに,優秀なやつはいません。だって,優秀な人のまわりには,言わなくても人が集まってくるものなので。(西野 p75)
 上の世代の人は「他流試合に挑んできたものこそ一流だ」みたいなことを言うんですけど,(中略)それはその人たちのポジショントークです。その人たちだけに圧倒的に有利な屁理屈です。(中略)こちらにメリットのない理屈に付き合ってアウェイ戦をやる必要はありません。(西野 p78)
 ひとつの仕事で一生を生き抜くなんて,天才にしかできない生き方です。野球のイチロー選手を想像してください。非凡というのはああいうことです。(堀江 p81)
 たまたま,数十年前の高度成長期に,終身雇用が実現する「例外的な時代」がたしかにあった。厄介なのは,その時代を経験した上せだいがそれが「例外的な時代」だったことに無自覚だということです。(堀江 p85)
 天才というのは,生まれ持った天性のなにかがあるということではないと思います。環境によって,天才にならざるをえなかった人たちなんです。(西野 p89)
 なにか新しい才能がほしかったら,そういう環境に自分を追い込めばいいんです。設計図を書きすぎるというのは,これと真逆です。設計図を書いた時点で極端な環境はやって来ない。つまり,設計図を書くという作業は,自分が成長するチャンスを手放すことに等しい。(西野 p92)
 人生とはなにか。人生とは単純に,時間のことです。まどろっこしい哲学なんて関係ない。(堀江 p106)
 自分の時間を差し出すことで,服従を表現する文化も大嫌いです。社会学者の古市憲寿くんは,「手書きの手紙をよこしてくる編集者とは仕事をしたくない」と言っています。まったく同感。(堀江 p119)
 三国志の故事に,「三顧の礼」ってあるじゃないですか。(中略)現代では反面教師にすべき故事成語です。(中略)俺が欲しければ同じことを言いに三度訪ねて来いなんてやつ,名軍師じゃない。バカです。(堀江 p120)
 善意のバカは本当に嫌いです。本当にタチが悪い。(中略)自分がいいことをしていると信じて疑ってないから,なにを言っても耳を貸さない。(中略)最近だと,被災地に千羽鶴を送るというやつもまさに同じです。それ被災しえいる人にさらに迷惑を押しつけることにしかならないから・・・・・・と説明しても,それでも頑なに「これは善意。口出しされる筋合いはない」と開き直る人がいる。(西野 p123)
 善意って,すごい強大な力を持っているんだと思います。(中略)なにが強大かというと,人を思考停止させる力が強大なんだと思います。(西野 p124)
 独善的,つまり独りよがりの善っていう形容詞がありますけど,逆に,世の中に独善じゃない善ってどれくらいあるんですかね?(西野 p126)
 常識やマナーに従うのもバカ。風紀委員みたいに,「マナーに従え!」と他人に口出ししてくるやつはもっとバカ。最上級のバカは,マナーを作るバカです。(中略)マナーなんてどこかのバカが作ったものです。(堀江 p132)
 将来あれをやるために,いまこれをする。つまり未来から逆算して現在を生きているとき,それは「真の現在」ではない。未来に縛られた現在なんて,偽の現在だと。(中略)最後に死ぬときから逆算して現在を生きるなんて,ぼくはぜったいにやりたくない。ぼくに言わせれば,そんなのは,死に縛られた生き方です。(堀江 p154)
 出版のオファーをもらえるのはありがたいことだから,書籍を通して,自分なりの考え方を,これまでも何度も伝えてきています。ただ毎回ジレンマを感じるのが,ぼくが言っていることは,実際の行動が伴わなければ意味がないということ。だから本なんてよんでないで,いますぐいっしょに動こうぜ!という言葉がいつも喉元まで出てくる。(堀江 p165)
 行動が伴わない人の思考は浅いんです。(中略)バカ以下というか,無です。存在以前。(堀江 p167)
 行動することは,いま現在を生きていることの存在証明です。過去も未来も見ずに,行動してください。そうやって,存在してください。(堀江 p168)
 頭がいいということは,速いということなんです。(中略)人間の頭のスペックなんて,東大卒だろうが中学卒だろうがそんなに差はないんです。地頭力なんて幻想。人間な時点で人間に可能な程度の振れ幅しかない。(中略)だからこそ,余計な思考を捨てることが即,頭のよさにつながるんです。(堀江 p179)
 大学1年のころ,同級生といっしょにヒッチハイクに挑戦したことが,重要な経験をもたらしてくれました。(中略)実際断られる。ほとんどはそうだった。けれども,10回やるとひとりは「乗れよ」と言ってくれた。「断られるかもしれない」と何度考えてもその時間は無駄で,大事なのはその1回の「乗れよ」に早く出会うこと。そのために必要なのが,バカになることだった。(中略)小利口だったぼくは,バカになった。(堀江 p212)
 「ほかの人がやったことのないことをして自分の個性を確立したい」とか言い出す。その発想自体がもう,没個性。発想力がないから,みんな揃いも揃って,インド行っちゃったりする。(堀江 p215)
 個性とは,あなたがなにかをやりたいと思う気持ちです。そして,あなたのやりたいという気持ちに,理由なんて必要ありません。あなたが存在することに理由なんて必要ないのと同じです。(堀江 p216)
 未来を考えず現在だけを生きろといのは,「死」の存在を無視しろということでもあります。お前なんか関係ねーよって,死を突き放しているんです。(堀江 p222)
 真似することは,個性を育てるんです。いいと思ったことは,好きに自由に,真似る。パクる。人と違うことをしなければと考える「自分探し」とは逆の道ですね。(堀江 p225)
 情報は,自分自身が行動することによってしか集まってきません。だから行動するし,そのことでよりたくさんの情報を集めようとしている。情報があればもっと行動できるから。(西野 p232)

2021年6月2日水曜日

2021.06.02 『図書館さんぽ』

書名 図書館さんぽ
発行所 駒草出版
発行年月日 2018.12.03
価格(税別) 1,400円

● 全国各地の図書館を紹介。併せて,その図書館近辺の書店やカフェも紹介して,図書館を中心にしたインテレクチュアルな散歩はいかがですか,という内容。

● 今の図書館は子育て支援施設かと思うほどに,母と子に照準を合わせて来館を誘っている。そうした女性が使いやすいように授乳室まで設置してあるところが多いようだ。
 となると,図書館ではとにかく静謐にすべしという要請は遠のくことになる。

● 栃木県では宇都宮市立南図書館が紹介されている。チョビっとだけど。
 その他,この本で紹介されている図書館でぼくが中に入ったことがあるのは,千代田区立日比谷図書文化館(都立だった頃に入ったことがある)と東京都立中央図書館の2つ。入ったというだけだけど。
 で,千代田区立日比谷図書文化館では「日本国内在住者であれば,誰でも貸出サービスを利用できる」のであるらしい。国立じゃなくて区立なのに。恩納村文化情報センターでも同様らしい。
 旅行者でも帰途につくまでは,現地の図書館で本を借りて読書リゾートを満喫できるわけだ。そういうことをする旅行者がいるかどうかは別にして。

● 「Book Tea Bed GINZA」という宿泊施設があるらしい。「泊まりながら,心ゆくまで読書ができます」というのだけれども,つまりは簡易宿泊所=ホステルということ。
 ググってみたところ,新橋の銀座寄りの場所にある。宿泊料はもちろん安めの設定なのだろうが,コロナ禍の今は普通のビジネスホテルでも5千円を切る料金で泊まれるから,料金面でのアドバンテージはないかもしれない。
 本に囲まれて寝るという体験,寝落ちする直前まで本を読んでいられるという体験にどのくらいの値段を付けるかでしょうなぁ。

● 2つほど転載。
 そこで武蔵野プレイスは,多少のおしゃべりは許容するこちに。そのかわり,吹き抜けをつくって音を拡散させ,心地よく響くように設計したそう。(p28)
 図書館の最大の魅力はアーカイブ性です。書店は今現在の出版物のなかで展示・販売をしているわけですが,図書館は過去に遡れますから。(伊藤清彦 p93)