2018年7月3日火曜日

2018.07.03 井沢元彦 『「常識」の日本史』

書名 「常識」の日本史
著者 井沢元彦
発行所 PHP
発行年月日 2009.07.22
価格(税別) 1,500円

● 歴史学者の史料実証主義は,著者にとっては親の敵。怨霊信仰の重視も著者の特徴。
 邪馬台国を当時の中国語で読むと,ヤマドゥと聞こえる。大和のこと。卑弥呼は“日の巫女”で天照大神のモデルになった。となると,邪馬台国論争は無意味となる。なるほど。

● 以下にいくつか転載。
 専門家の描く歴史には,大きな問題点があるのです。というのは専門家ゆえに,ということになりますが,あまりにも細部,あるいは専門的な知識にとらわれすぎていて,“人間の常識”という観点から歴史を見ていない傾向があるのです。(p9)
 「知識」というのは学校の授業でも,図書館でも学べます。ところが「知恵」というのは,机上の知識に過ぎなかったものを,人間社会の中で上手く使われるように発酵し,熟成させたものであるというのが,私の考え方です。 ですから,その「知恵」というものは,人間社会に積極的に関与していく-具体的には市井で人に交わるとか,あるいはいろいろなサークル活動に参加するとか,そういうことをしないと身につかないものなのです。(p10)
 問題はその史料の内容ですが,史料というのは基本的に「正史」-官によってつくられた史料を優先し,個人が書いた,たとえば野史・外史は信頼に値するものではないとします。私に言わせれば,そこには差別や権威主義が根本にあると思います。(p16)
 私は以前,テレビ番組の企画で,台湾にいた中国の古音を研究している音韻学者に会いに行き,実際に「邪馬台国」という文字を発音してもらいました。(中略)私には「ヤマド」あるいは「やマドゥ」に近い音に聞こえたのです。これは,論より証拠ではありませんが,ヤマト朝廷のヤマト,大和国のヤマトとみて間違いないでしょう。(p30)
 太陽神が女神という民族は,実は世界でも珍しく,ギリシアでもローマでも,太陽神は普通,男です。(中略)卑弥呼が女王として邪馬台国=ヤマトに君臨していたという事実を反映したからこそ,大和朝廷は天照大神という女神を祖先神とするようになったと解釈するのが自然だと思います。(中略)この卑弥呼という女性,私は「ひのみこ(日の巫女)」を意味する名前で,つまり卑弥呼は太陽を祀る女性だったと思っています。(p31)
 特に近年,聖徳太子非実在説はマスコミで取り上げられたりして注目を集めています。しかし,実はこした非実在説はずいぶん昔からあるもので,それほど珍しいものではありません。それこそ波のようにある一定の周期で,忘れた頃にまた誰かが唱え始めるという説なのです。(p47)
 私は仏教以前に怨霊信仰というものが確固たるものとして日本人と日本社会の基礎にあり,音量をいかにして封じ込めるかという方法論の一つとして,仏教が取り入れられたと考えています。(p64)
 ただ平和を口にしさえすれば,本当に平和が訪れると思い込んでいる人が少なくありません。現代においては,あまりにも幼稚で無責任な態度と言わざるを得ませんが,実はこうした言霊信仰は,日本人が伝統的に持っていたものであり,その本質を歴史のなかで見通すという作業をしなければ,そう簡単には克服できない国民性でもあるのです。(p87)
 あまりに言葉に対する信用が強すぎて,その結果何が起こるかというと,実際の物事の処理をしなくなってしまうのです。(p88)
 当時(鎌倉時代)の言葉で「主上御謀反」という言い方が現実にありました。(中略)和でできた体制が何よりも大切であって,天皇の意思よりも優先されるという考え方と通じるものです。(p95)
 楽市楽座というのは要するに,物の製造販売に対する許認可の完全廃止ということです。(中略)庶民は大喝采ですが,怒るのはこれまで寡占企業としてさんざん儲けてきた連中で,特に寺社勢力です。(p167)
 当時の武士たちはみな,朝鮮出兵にやる気満々だったはずです。平和になりかかり,出世したり所領を増やしたりするチャンスがだんだんなくなってきた状況のなかで,千載一遇のチャンス到来と考えていたと思うのです。(p214)
 朝鮮出兵に関して,よく知られていることですが,徳川家康は参加していません。(中略)実は家康が賢明であったわけではありません。真相を言えば,家康は参加させてもらえなかったのだと,私は思っています。(p219)
 人を殺すのが当たり前の世の中というのは,人命軽視がはなはだしい世界であって,(中略)光圀が若い頃,実はホームレスの人斬りゲームをやっていたという,まことに殺伐とした話があります。(p231)
 綱吉は,自ら理想とする政治を実現するために,独自のシステムを開発します。そのシステムが「側用人」なのです。家綱の時代までの政治システムを振り返ると,だいたい老中は五人いて,その五人が合議で決めたことを将軍に上奏し,将軍はそれに対してイエスとしか言えません。(p240)

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