著者 石原壮一郎
発行所 方丈社
発行年月日 2017.10.03
価格(税別) 1,200円
● まず,いくつか転載。
LINEは用件を伝えたりやり取りを楽しんだりするのは向いていますが,深く語り合うことには向いていません。つい長文を書いてしまう癖がある人は,あえて「そっけないメッセージ」を心がけるぐらいでちょうどいいでしょう。(p106)
世の中には,怒りをぶつけられないと,自分が悪いことをしたと気づけない人がたくさんいます。(p110)
SNSが広まったことで,世の中にはいかに「かまってちゃん」が多いかが浮き彫りになりました。自分の中の「かまってちゃん要素」にも気づかされます。(p146)
正論を堂々と書くだけでも恥ずかしいのに,さらに「自戒を込めて」の連発。そもそも「自戒を込めて」には,俺っていいこと言うなあと勝手にドヤ顔している傲慢さと,ちゃんと我が身も振り返っているので突っ込まないでと予防線を張っている姑息さと,そういう印象を与えることに気づかない愚鈍さが込められています。(p154)
エアリプのつもりじゃなくて,単なる独り言に対しても,「自分のこと?」と思う人が現れがち。それはTwitterの宿命と言っていいでしょう。(中略)この手の誤解に耐えられない人は,Twitterには向いていないと言えるでしょう。(中略)気をつけたいのが,自分が誰かのtweetにギクッとして,「それ,私のことですか?」と聞いたり思ったりすること。勘違いだったとしても実際に自分のことだったとしても,聞いたとたんに「すごくめんどくさい人」になってしまいます。(p159)
予想外のクソリプ攻撃を受けると,「自分の書き方が悪かったのかな・・・・・・」などと反省したくなります。あえて煽ろうとしたならともかく,反省する必要はまったくありません。何を書こうが,どういう書き方をしようが,クソリプは湧くときは湧きます。(p165)
カチンと来る事態が起きたときに,いちいち気にせずスルーする勇気を持つことは,Twitterに振り回されないための必須条件です。(p166)
クソリプ気味のtweetに抱く感情は,ある種のリトマス試験紙です。「あなたがクソリプに舌打ちするとき,クソリプもまたあなたをせせら笑っている」という一面があることも,頭の片隅に置いておきましょう。● こんなに面倒なら,LINEもFBもやめてしまった方がいいんじゃないか。FBやLINEなど,ネットで文字のみのやりとりが簡単にできるようになったのは,いいようで悪い。ハードルが低いから,みんな飛びつく。飛びついて疲れてしまっているのではないか。
いつでも“友だち”が侵入してくるということでもある。外界を遮断して一人の世界を作ることができない。内と外の区別がない。いつでも外になってしまう。
● スルーできればいいのだが,それもしづらいだろう。FBはそれでも友だちの数だけの広がりを持つが(実際には友だちの数分の1程度の広がりか),LINEだと結構な閉塞感を味わうことになりそうだ。
遠慮なく既読スルーができる人しか使ってはいけないものかもしれない。が,そういう人からは逆に友だちが離れていくだろうから,彼(彼女)はLINEには残れないだろう。要するに,LINE耐性のある人はLINEからはじかれる。何だかなぁ。
● FBやLINEは告知や指示や依頼には向いているが,雑談的なコミュニケーションには向かない。というより,雑談的コミュニケーションをネットで文字だけでやろうとするのが間違っている。ネットでリアルのコミュニケーションを代替,補充できるとは思わない方がよい。
ネット上のつながりをつながりと思ってはいけないというのは,ネットリテラシーのイロハのイだろう。
● 君子の交わりは水のごとし,ではないけれど,雑談的コミュニケーションにも適正濃度があると思う。LINEはその濃度を上げすぎてしまう結果をもたらすことが多いのでは。
とはいっても,ママ友だと,LINEでつながっているいないで,仲間はずれ的な位置におかれてしまうことがあるんだろうか。厄介ではあるけれども,基本的に友だちにすり寄る必要はないと思う。
● ぼくはネットでの個人対個人のコミュニケーションは煩わしいだけだと思っているので,FBはやめたし,LINEも相方としかやっていない。ネットで個対個のコミュニケーションはやらない。向いていない場でそういうことをするのは愚というものだ。
ネットは基本,告知の場だ。Twitterやブログで自分が何をしているのかといえば,自分はこんなことを考えてますよ,こんなことを思いつきましたよ,という告知なのだ。
● だからネットは告知で溢れることになる。告知する(書く)人ばかりになる。その告知を受ける(読む)人がいない。
が,それでもネットは告知に向いているのであって,個対個の関係を新たに築いたり,それを維持するための手段としては向いていない。
● 場に相応しい使い方をしていくのがよい。あとは告知の内容(コンテンツ)の勝負になる。面白いコンテンツ,読むに耐える文章を書くことだ(と言い聞かせねば)。
PVのために書くのではないが,告知した以上は反応があった方がよい。自分は反応しないくせにそう思う。
だから,告知のあとは競争なのかもしれない。限られた市場の中で自社製品を売りこんでいくのと同じ。それなりの工夫が必要なのだろうが,その工夫の前に,自社製品の品質を高めていくベーシックな努力が必要だ。勉強しなくちゃ。
● リアルでも文字は個対個のやりとりには向いていない。文字ってのは記録のために使うもので,雑談やコミュニケーションのためにあるものではない。
ネットは告知に向いていると言ったけれど,ぼくはリアルでも個対個のコミュニケーションをあまりしたくない人間だ。リアルでも告知だけしていたいのだ。リアルよりネット向きの人間なのだと思っている。
それゆえ,文字でのやりとりの方がいいというのは,リアルの世界で生きていくのがヘタなタイプに属すると考えていいと思う。
● これからはネットの比重が高くなるから,文字でのコミュニケーションが重要になると言われることがあるが,逆にいうと,それは人間本来のあり方からすればイビツな形なのかもしれない。
音声から文字に比重が移っていくのは,たぶん間違いないのだろう。ネットが文字を光の速さで遠くまで届くようにしたから。
ぼく一個にとってはそれは福音なのだけども,いったん発したら消えることのない文字がやりとりに使われることになると,世の中にある“曖昧”や“逃げ場”が脅かされることになるかも。
● やりとりに使われる文字は,いつまでも残しておいてはいけないような気がする。保存期間をかなり短めに設定する必要があるのではないか。
すでに発言が最長24時間で消えるSNSがあるようだけれど,アーカイブにして残すものと短期間で自動的に消えるものの両方が必要になる。
● ぼくにとってはネットは味方だ。ネットを味方につけて生きていけるのはありがたい。そこに安住してしまえる気安さがある。苦手なリアルからはますます遠ざかることになるかもしれないけれども,ネットのおかげで老後は安泰だと思っている。
他者に向けての表現行為を行える場があるっていうのは,とてもありがたい。
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