2018年12月31日月曜日

2018.12.31 岩城宏之 『オーケストラの職人たち』

書名 オーケストラの職人たち
著者 岩城宏之
発行所 文藝春秋
発行年月日 2002.02.25
価格(税別) 1,524円

● 指揮者と演奏者がいるだけでは,コンサートを催行することはできない。裏方の人間がいなければ。
 その裏方の仕事を,というより傑出した裏方人のエピソードを,著書ならではの視点でご紹介。

● 以下にいくつか転載。
 世界一のステージマネージャーがいるオーケストラは,必ず世界一流である。逆もまた真だ。(p24)
 弦楽器の名器は,死蔵しておいたらダメになってしまうのである。ヨーロッパやアメリカの音楽好きな金持ちは,手に入れた名器を,これはと目をつけた優秀な若い奏者に,タダで貸し与えている。よい楽器は,上手い奏者が引き続けていると,ますますよくなるのだ。下手なのが弾くと,楽器もダメになる。でも金庫にしまっておくよりは,まだましかもしれない。日本中に,成金の名器コレクターたちが,何人もいる。企業として買いあさったところも多い。世界中の数少ないクレモナの名器の多くを,殺しているようなものだ。文化への犯罪だといいたい。(p72)
 準備万端整うのを待っていたら何事もできないから,まず決行するのが,ぼくの主義である。(p101)
 日本も含めて世界中,お医者さんには音楽好きが多い。ひと頃,NHK交響楽団の定期会員には,聖路加国際病院の医師や看護婦さんが,実にたくさんいた。ひとつの企業(?)の中の,オーケストラ定期会員率というデータがあれば,おそらくこの病院がナンバーワンだったろう。現在でも,多分そうだろうと思う。(p112)
 写譜のミスよりも,むしろアレンジャー--作曲家のスコアのまちがいの方が多いものである。(p122)
 勘がよく,能力のある楽員は,最初に目を通す,つまり初見で弾くときに,写譜の間違いの音を,直観で正しい音に直して,演奏するものである。(p145)
 聴衆の耳は常に保守的であり,聴き慣れた音楽を好む。(p152)
 元を正せばすべて親類関係なのだ。区別するために仕方なくクラシックとかジャズ,演歌などと言っていることから,差別や逆差別,得体の知れない優越感やコンプレックスが生まれたのではないか。(p159)
 彼らは当然,仕事の安全な利益を考える。ひと月に一度は音楽会に足を運ぶと予測するクラシック愛好者を,人口の二パーセントと計算しているそうである。(中略)毎月一度というのは,ちょっと希望的すぎると思う。(p160)
 本当のことをいうと,自分で外国のオーケストラを指揮するのは,仕事であるというより,ぼくの最高の嬉しい趣味なのだ。とんでもないことを書くが,ほかの日本人の音楽家の演奏を観るのは,どうも好きじゃない。(p165)
 ピアノ技術研究所に入ってまずショックだったのは,あれだけ親しんできたピアノの音がわからないことでした。(中略)ピアノの調律の音としての響きが聞こえなくて,ピアノの音楽しかきくことができないわけです。(瀬川宏 p200)
 あるレベルまでは機械調律でもっていくことはできます。でも,曲を弾くとなると,塩加減というのかな。スープは飲み始めにちょっと薄いと思うくらいのが,最後まで飲んだとき,本当においしいですよね。ぼくらの仕事にもそれがあるようなんです。断言はできませんが。でもそうじゃないかな,と思うんです。(瀬川 p206)
 本来オーケストラというガクタイ集団は,演奏が終わるやいなや,一刻も早くステージから出ていきたい本能の持ち主なのだ。(p212)
 驚いたことに,大勢の客が,他の人の邪魔にならないように,静かに立ち上がり,足音をしのばせて,そーっと会場を出て行ったのだ。『ドナウ』が終わるころは,お客は三分の一くらいになっていた。ぼくはこの聴衆のあり方に,すごく感動した。彼らはもちろんウィーン・フィルの『ドナウ』が好きなのだ。だが,ベートーヴェンの「運命」の白熱した演奏の興奮のあとに,この美しいワルツを聴きたくなかったのだ。ベートーヴェンの感動だけを胸にしまって,その日をおしまいにしたかったわけである。なんでもかんでも拍手して「タダのおみやげ」を,何曲も聴こうというレベルではないのだった。(p228)
 先の音楽会の宣伝も今日の音楽会が終わってからでなく,開始の前に配るのが重要だと思います。つまり,食べ物のことは,これから食べる食事とは関係なく,食事前に考えたほうがいいと思うんです。終わったばかりでは,次の食事のことは考えませんからね。(佐藤修悦 p247)

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