著者 岩城宏之
発行所 文藝春秋
発行年月日 1981.05.01
価格(税別) 980円
● 40年前に出たものだけれども,古さは感じない。どの分野でも文才のある人はいるもので,音楽界では故岩城宏之さんがその代表だろう(探検家では角幡唯介さん)。こうした人たちの文章を読めることは,幸せのひとつに数えていいと思う。
これは交友録なのだが,つまりは書き手が自分を語ることになる。
● その交友の相手は次のとおり。
マルタ・アルゲリッチ
レナード・バーンスタイン
千葉馨(N響ホルン奏者)
ディーン・ディクソン
延命千之助(N響事務職員)
ジャン・フルネ
ジョージ・ゲイバー(NBC交響楽団のティンパニー奏者)
ヤシャ・ハイフェッツ
オイゲン・ヨッフム
ヘルベルト・フォン・カラヤン
ウィルヘルム・ロイブナー
黛敏郎
中村紘子
長田暁二(レコードディレクター)
ペンデレツキー(作曲家)
邱捷春(作曲家)
スヴァトスラフ・リヒテル
アイザック・スターン
武満徹
ハンス・ウルリッヒ(バンベルク交響楽団バイオリン奏者)
ニノ・ヴェルキ(オペラ指揮者)
渡辺暁雄
ヤニス・クセナキス(作曲家)
山本直純
ニカルノ・ザバレタ(ハーピスト)
ルービンシュタイン
● 以下に多すぎるかもしれない転載。
言葉では言えない音楽家同士の戦いがあって,特に指揮者と独奏者の場合,その最初の一発でコンチェルトの主導権が決まってしまう。(p9)
この日の彼(バーンスタイン)は朝十時からニューヨーク・フィルと新日本フィルの野球の試合で大騒ぎをし,午後は東京見物をし,その後は朝の五時までここに書いたとおりだったのだ。スーパースターの狂気のエネルギーとしか言いようがない。(p23)
アメリカのオーケストラは,市民達の援助で成り立っている。国や州には助けを求めず,したがって介入もさせず,自分達の文化は自分達の手で育てる,と流石はデモクラシイの本場の国だ。(中略)が,問題も大いにある。(中略)膨大な数のスポンサー達の大半が,おばあちゃんたちなのである。要するに金持ちの未亡人,有閑マダムのスノビズムが,その街の音楽を支配することになる。(p34)
芸事とは所詮,人に夢を売ることだろう。芸人自身に夢はなくとも,人さまが夢を感じれば,その芸事は成功といえるだろう。(p53)
ぼくは音楽ファンと音楽の話をするのが苦手で,こういう人達は大抵すごい物知りであり,嘗ての自分の姿を見てしまうのに苦痛があるのだろうか。専門になると深く狭くならざるを得ない必然が,広く浅い知識を持つことの出来る暇のないことへの嫉妬を感ずるのかもしれない。(p62)
目下,山口百恵さんがぼくの神様だから,世界中彼女のテープを持って歩いているが,たまに日本に帰った時にテレビでお顔を拝めれば,十分に満足で,というよりは,そうでなければならないのだ。好きだ,ファンだと称して週刊誌で対談している作家の方々は,ファンとしてはニセモノに違いない。(p68)
ヘルベルト・フォン・カラヤンという名前,つまりフォンという字が入っているから貴族のような名前なのだけれど,ぼくは一度彼のパスポートを覗いたことがあるのだが,ヘリベルト・カラジャンとあった。(中略)だから,大指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンという名は,もしかしたら芸名だと言うことができるかもしれない。(p87)
ヨーロッパの中央文化地帯は,長い歴史を,侵略,被侵略のくり返しで過ごしてきて,そもそもが何人だ,ヤレ何人でないなっていうことを神経質に考える必要がないのかもしれない。(p88)
突然,カラヤンが指揮を中断して,こっちを向いてどなった。「うるさい! こんなにうるさくて,練習ができるか。あの電車を止めてくれ。イワキ,電話をかけて止めさせろ」(中略)カラヤンは,電車の騒音に楽員たちがイライラし始めたのに,先手を打ったに違いない。(p94)
この人(カラヤン)は,世界中のありとあらゆる知り合いが何語で話すのが得意かを,コンピューターのように記憶していて,何年ぶりで会っても,ヤア,しばらくからして,その人用の言葉をしゃべるので有名だ。(p96)
もしかしたら世界の音楽ファンのうちの半分が,アンチカラヤンかもしれない。真の偉大なスターにはこういうことはつきものであって,アンチが強烈であればある程,実はやはりカラヤンファンなのだと思うのだ。(p100)
人気がありすぎることからくる,カラヤンへの世界中の誤解という,不幸も実に膨大ではないのか。彼の指揮者としての恐ろしいまでの才能と能力については,世界中のカラヤンファンの,いったい,何分の一が知っているだろうか。(p100)
カラヤンは有馬(大五郎)さんに,しみじみと言ったそうだ。「世界中の人間は,自分のことをこれだけの地位,人気を保っているのだから,さぞや自分が政治的にも,実務的にも,権謀術策的にも,あらゆる手を使っているだろうと思っているだろう。そういわれていることはよく承知している」といいながら,カラヤンは右の腕をさすって,「だがなあ,アリマ,本当はこの右手一本だけなんだぜ。この歳になっても音楽の勉強をし続けて,この右手で表すことだけをやっているだけなんだ」と少し寂し気に笑ったそうだ。(p101)
それにしても,日本のオーケストラは,どうしてその時の指揮者の国籍によって,こうも違ってしまうのだろう。その抵抗のなさ加減に,時には寂しさを思うことがある(p110)
ドシロウトの二人がやっても,日本人が日本の楽器を持つと,どちらかがかける「イヤーーアッ」のあとの「ポン」が絶妙にピッタリ合って,西洋風に三,四と指揮をされたって,こうは合わないね,とぼくが感心すると,だから「阿吽」というんだと,作曲者(黛敏郎)は威張るのだった。(p117)
どうもこの人は,何の音も分かっちゃいないらしい。もしかしたらオンチらしいのだ。だが,演奏が上手く行った時に,長田さんが出すOKは,実に,実に的確なのだった。(p136)
原爆のことなど,全然イメージになくて書いた「作品何番」は,ただの「作品何番」としてもすばらしい曲なのだ。だが,「広島の犠牲者のための哀歌」としてこの曲が世に出なかったとしたら,あんなに早く,世界の,いわばスーパー・ヒットになっただろうか。(p141)
所詮,ソリストたちは名人芸的に勝手に弾きまくり,指揮者たちはそれにヒョイヒョイとテンポを合わせてやり,合わせ方のうまいのがコンチェルトの上手な指揮者であって,しかも合わせてやったぞ,ザマアミロ,というのがコンチェルトだと思っていた。(p154)
昨日あなたはパリで音楽会をやったそうだが何をやったか。ムソグルスキー=ラヴェルの「展覧会の絵」でした。ああ,あれはすばらしい。だけど私はやっぱりラヴェルのオーケストレーションの方ではなく,ムソグルスキーのピアノ曲の原曲の方が好きだ,と言って彼(リヒテル)は弾きだした。もうそうなったら曲を愛するあまり止まらないのだ。(p155)
「今年は,音楽界を二百九十回やってしまった。いくらなんでも,これは多すぎる。来年からは数を減らして,もっとじっくり音楽にとりくもうと思うんだ」,と十年程前,アイザック・スターンに言われて,仰天したことがある。(p159)
ある一人の指揮者が,そのオーケストラの一年中のスケジュールをやったと仮定すると,これは体力と気力の問題で,全く不可能だ。なにしろこの商売,やはり神経と体力をベラボウに使うから,なんとか,人様よりはたくさんの休みを,つくらなければならない。それに,何日にいっぺんずつの休日も大切だけれど,夏の頃に,一ヶ月か二ヶ月の休暇をドカンととらなければ,次のシーズンがだめになってしまう。(p162)
スターンだけではない。世界中の超一流の演奏家の九〇パーセント以上が,ユダヤ人だと言える。彼らのほとんどがこんな調子なのを見ていると,ユダヤ人の体力,気力その他もろもろのすべてのエネルギーが,全世界の民族の中で飛び抜けていることに,改めて驚嘆するのだ。(p162)
日本の音楽ファンには,きびしい面というか,まあ,本当のことを言うと,後進的な面があって,例えば,カラヤン,ベルリン・フィルが演奏中にミスをやると,ああ,彼等もやはり人間なのだ,と感激するくせに,ちょっと名を知らない音楽家や団体がミスをすると,すぐに三流だと決めつけてしまうところがある。(p182)
世界中のほとんどのオーケストラでは,二人ずつ並んでいる絃楽器奏者の席順は,前から後に,収入の順を表すのだ。技術の順でもある。きびしいことである。(p183)
オーケストラというのは,ハッキリ言ってしまえば軍隊である。(中略)軍隊というのは,将校と兵隊とだけで成り立っているわけではない,と思うのだ。古参の下士官というのがいて,両方をつなぐわけだ。(p183)
今現在の文化活動的レベルがそう高くなくても,歴史の中のある時期に,一時世界を制覇した国の末裔がやっている芸術には,時々,途方もない個性や大きさが出てきて,非常におもしろい。(p205)
早くから社会保障がゆきとどき,国民全体の生活レベルが世界一高い国にも,魅力のある芸術は育たないようだ。(p206)
こういうパーティーでは,ひとしきりグラスで歓談のあと,メインゲストは別室に招き入れられ,当家の主人と少人数で正式なディナーが始まるものだ。(中略)このメインの部屋でわれわれといっしょにディナーを食べる人は,それこそ特権階級的な人というわけで,だから,相当なジイサン,バアサンばっかりである。(p226)
自分は練習が嫌いなたちなので,部屋で一人でさらっていると全然一生懸命やらないものだからなんにもならないから,お客の前でやる時が,その曲の次の時のための練習だと思っている。お客がいっぱいいると一生懸命に練習ができる,など恐ろしいことを言って笑うのだ。(p231)
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