著者 岩城宏之
発行所 文藝春秋
発行年月日 1999.05.30
価格(税別) 1,524円
● 達意の文章。達意というか,しなやかな文章。音楽家の多くは本を読まないらしい。何となく納得する。活字がかったるくなるのではないか。一流の音楽は一流の文学を超えるし。
最も面白かったのは,暗譜で振って失敗した話。なるほど,こういうことが起こり得るのかと。
● 以下に転載。
テンポの違いとか解釈の相違も重大だが,音色に関しては曲の最初から最後まで,無限の組み合わせが連続するのだ。つまり指揮者は,オーケストラにピタリと合奏させるために存在するのだけれど,物理的にピタリとは絶対にいかないからこそ,存在理由があるわけだ。(p9)
ほとんどの楽譜は演奏したあとで捨てる。なまじっか持っていると,継ぐに指揮するときに,自分の書き込みとかメモに頼って,勉強しないでやってしまう。だからいちいち新しいのを買う。(p14)
奏者たちは指揮棒の先など見ていない。指揮者の目を見ているのだ。(p19)
指揮者なしだと,オーケストラはいわば安全運転をするので,テンポの動きや表情の幅が希薄になる。このことのために,指揮者の存在理由があるのだ。(p26)
大抵の「ガクタイ」は長いリハーサルが嫌いだ。(p52)
指揮者はリハーサルでしゃべりすぎてはいけないのだ。楽員たちは,解説やおしゃべりの多い指揮者を,最も嫌う。つべこべ言わずに,自分のやりたい解釈を指揮棒で表現しろ,というのだ。(中略)不自由な外国語だと,余計なことを言う余裕がない。(中略)ところが母国語だと(中略)延々としゃべってしまう。(p56)
ヨーロッパ語には音楽上のニュアンスを一言で表す単語が豊富だ。(中略)ぼくの英独仏語はイイカゲンなものだ。本当はデタラメをやっているに違いない。だが,このデタラメでイイカゲンで嬉々として仕事をする,ということが,肝心なところなのである。どの国の指揮者にとっても,自分の国のオーケストラとの仕事が一番難しい,と書いた。お互いわかり過ぎている関係には,チンプンカンプンが起こり難いからである。「アバタもエクボ」は,とても大切なのである。(p63)
新聞の音楽会広告を眺めていると,みんなダラダラと絶え間なく仕事をしているように見える。余計なお世話かもしれないが,心配してしまう。(p69)
指揮者に限らず,一,二パーセントの例外を除いて,音楽家は活字というものを読まない種族である。(p69)
指揮という仕事は,オーケストラの真ん中でカッコよく両手を振っている商売と思われているが,あの動作は,水面に出ている氷山の一角なのである。(中略)水面下の圧倒的な大部分は,スコアの分析である。(中略)その上で,自分が再現したい理想の演奏を,ひたすら「思う」のである。指揮とは,この「思い」だけだと言っていいのだろう。(p88)
巨匠たちは「枯れた美」そのものだった。九十歳の女性指揮者の「枯れた美」はいかがなものか。(p97)
その場の雰囲気のための潤滑油としての罪のないウソを,女はつけないのである。だから指揮者には向かない。(p98)
事故に直面したとき,ガチャーンの前に,キャッと叫んでハンドルから手を離してしまう女性ドライバーが,かなり多いそうだ。(中略)指揮者は,練習と本番のどの瞬間でも,絶え間なく事故の防止に神経を遣わなければならない。(p99)
そして最初のミスっぽいのは,指揮がどこかでヘンだったことからくる。事故のほとんどの原因,遠因は指揮者からと思っていれば間違いない。(p99)
『春の祭典』の演奏の難しさは,身も心も疲れ果てているときに,最大の難所がくることにある。(p122)
大事故の原因は,頭の中にフォトコピーした架空のスコアをめくっていたとき,いつものくせで,うっかり二ページ一緒にめくってしまったからだった。というより,そのうっかりの映像が,目の前に出てしまったのだ。(p126)
「巨匠」となるのは,冥王星に旅行するより難しい。「巨匠」は多くの「名指揮者」の中で,特別に巨大なエネルギーを持ったバケモノなのである。(p133)
大物指揮者になるための一番の近道は,ユダヤ人になることだ。指揮者に限らず,世界的な演奏家の九〇パーセント以上は,ユダヤ人である。(p137)
もう一つ,世界的な大物の音楽家であるための,強力な資格があるのだ。ホモセクシュアルである。この割合も,過半数をはるかに越える。(p138)
指揮者はオーケストラにどんな瞬間も採点されている。(p139)
目を瞑りっぱなしなら,自宅でCDを聴いているのと,同じではありませんか。(中略)せっかくナマの現場にいるのなら,素晴らしい演奏をしている音楽家の動作の美しさを,時々は目を開けて見てほしい。(p145)
問題は,やたらに大仰な身振りの,何もかもダメな指揮者がいることである。しかも(中略)聴きわける力のない,多くの聴衆は,カッコいいと思われてしまうヤカラがたくさんいるから,困るのだ。(p146)
ウィーン・フィルの定期演奏会は,日曜日の朝十一時である。定期会員は座席を親子代々受け継いでいるから,旅行者がこの定期演奏会を聴くのは,まず不可能だ。(p162)
最近聞いた話だが,東京近辺だけでも「指揮で食っている」人間が,少なくとも千五百人はいるのだそうだ。(p186)
どんな楽器と比較しても,指揮棒は恥ずかしいほど安いのだ。せいぜい二,三千円のものを,絶対に折れないから得だと思って買っていくような根性で,相手がアマチュアのオーケストラでもコーラスでも,指揮をしようというのが間違っている。(p193)
指揮は,頭の中で自分の理想の演奏状態を架空に作り上げ,それを両腕と顔を使って,オーケストラに伝える。(p199)
あらゆるスポーツにとって最も大切なことは,「力を抜く」である。スポーツに限らない。人間の動作や行動のすべてにあてはまる。だが,「力を抜く」とはどういうことなのだろうか。(中略)力を抜くためには,まず,あり余る力が必要なのだ。(中略)あれは要するに,合理的な力の出し方を言っているのだと思う。(p210)

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