著者 森 博嗣
発行所 ワニブックスPLUS新書
発行年月日 2019.09.25
価格(税別) 830円
● 哲学書だと思って読んだ。哲学とはいかに生きるかという問いに解答するものだと思っているので。
自分ひとりで作る,味わう,楽しむ面白さ,が究極の面白さであって,友人や仲間と一緒でなければ面白くないというのは寂しい人だ。しいて本書の結論めいたものを示せば,そういうこと。
● 以下に多すぎる転載。
自分が「面白い」と思うものを作れば良い,というほどシンプルではない。大勢の人たちが,商品を買ってくれるのだから,大勢が何を求めているのか,大勢に注目されるにはどうすれば良いのか,と考える必要がある。(p11)
作家になれないのは,技術的な問題ではない。理由は明らかで,作品が「面白くない」からである。「才能がない」というのは,「面白いものが作れない」とほぼ同義である。(p13)
そんなカリスマ編集者と話をしたことが何度もある。たしかに彼らは目利きができる。面白い作品が出てきたら,ぴんとくるものがあるそうだ。(中略)けれども,そうでない作品に対して,何がいけないのか,どう直せば良いのかは,的確に説明ができないという。(p14)
人間は,いろいろいるし,また個人の中にもさまざまな価値観が混在し,非常に複雑に絡み合った反応をする。それなのに,大勢が同じものを「面白い」という現象が観察されるのは,とても不思議なことだ。この「共感」も人間の凄さの一つかもしれない。(p35)
面白いかどうかは,読んだ人の感性に支配された判断なのだから,一般的なものとはなりえない。ただし,それが多数になって,どういう意見が多いのか,という傾向は,一つの事実として受け止める必要がある。個々の意見に左右されず,全体像を把握することが重要だ。このような観察において,最も重視すべきなのは反応の数,すなわち数字である。(p40)
Amazonの評価点と本が売れた部数の相関を調べたことがある。(中略)驚いたことに,「負の相関」が顕著だった。つまり,Amazonで評価が低いものほど,売れているのである。(中略)売れていない本ほど,熱心なファンが割合として多く買っているから,評価が高くなる。売れる本は,好意的でない人にまで広く知られる結果になるので,マイナスの評価をする人の割合が増える,ということだ。理屈がわかれば,当たり前のことだが,評判の良いものは売れている,つまり「面白い」ものだ,と勘違いする人が多数いるはずである。(p42)
子供のときからネット社会で育った世代は,「みんなで感じる」という意味で「共感」という言葉を使っている。穿った見方をすれば,自分で感じたいのではなく,感じることで他者とつながりたい欲求が優先されている。そうなると,みんなが笑うから可笑しい,みんなが泣くから感動できる,という価値観になる。その結果,ネットの評価に過敏になったり,「いいね」の数を気にして,日常生活にまでその影響が表れる。(p45)
人間は,そもそも「新しい」ものが好きだ。これは「好奇心」と呼ばれる性質でもある。(中略)多くの動物にも,好奇心はあるにはあるが,人間ほどではない。自然界の動物は,新しいものをむしろ避ける。危険なものかもしれない,と判断するためだ。(p51)
「意外性」というものが存在するのは,人間が未来を予測するからだ。(中略)この行為自体が,人間の特徴でもある。(中略)「意外性」とは,その人が思い描いていない未来が訪れることだ。これは,普通は「面白い」ことではない。(中略)ところが,その意外性が「面白さ」になる。(中略)「意外性」の「面白さ」を理解するには,ある程度の思考力や知性が要求される。(p54)
どちらかというと,自分の推理が当たっていた場合よりも,推理が外れて,意外な結末になった作品を「面白い」と評価する傾向にある。(中略)ここが不思議なところで,問題が解けたという快感よりも,解けなかった方が「面白い」と感じるのだ。(p57)
人間の脳は,頭に思い描いたことが現実になることを欲している。(中略)僕は,この状況を「自由」と定義している。自由とは,「思ったとおりになること」「希望したことが現実になること」なのだ。(中略)自由は,自分が計画したとおり,自分が予定したとおりに生きることであり,それが人間の満足の根源でもある。したがって,「面白い」というのは,この自由へ向かう方向性を感じている状況であり,いうなれば,いずれ自分は満足するぞ,という予感が,その人を笑顔にさせるのである。(p63)
人を笑わせることは,けっこう難しい。少なくとも泣かせたり,怒らせたりするよりは断然難しい,というのが小説を書いている僕の感覚である。人を笑わせることを仕事にしている人も沢山いる。簡単になれる職業ではない。特別な才能が必要だし,常に考えなければならない。かなり頭を使う,頭脳的な活動だと思われる。(p70)
お金を出して活字を読むというのは,非常にマイナな趣味になったので,その中でも読者を選ぶようでは,さらに消費者を少数に限定してしまう。一方で,エンタテインメントの中では,活字で出力されるものが一番生産性が高い。一人で制作でき,しかも短期間で作り上げることが可能なので,生産者側から見れば,非常にコストパフォーマンスに優れている。(p79)
珍しいもの,得体の知れないものには,まず注目し,緊張する。これは動物の本能だ。ところが,それが無意味なもの,無害なもの,自分に対して攻撃してこないものだとわかれば,そこで緊張感から解放されて,笑いが生じる。(p80)
動物は,動くものに注目する本能があるらしく,止まっているものではなく,動くものが目立つように視神経ができている。(中略)この本能的な性質が,「動き」が「面白い」と感じさせる一つの要因だ。(p89)
もともと,音楽もいわば「動き」の一種だった。人が演奏して音楽が作られるわけで,人も動き,音も変化している。音楽を,多くの人が聴きたがるのも,やはり「動き」に注目する本能によるものだと思われる。(p91)
人間はスピードというものを体感できない。(中略)体感できるのは,加速度であり,これ目を瞑っていても感じられる。加速度は,「力」として物体に作用するからだ。面白さが生まれるのは,つまりは「加速度」によるものだと考えても良い。ちなみに,音楽でも,スピードを変化させる。音の大きさにもメリハリをつける。こうした「変化」を人は「面白い」と感じるようだ。(p93)
この「面白い」ものが色褪せる現象は,非常に顕著で,面白さが大きかったほど,衰退のし方も際立つ。(中略)本当に一斉に消えてしまうように観察される。(p101)
知るために重要な条件は,それまで「知らない」状態であることだ。(中略)知ることによって,自分が「欠けた」存在だったとわかる。「知る」ことを体験するまで,知らないことを知らなかったのだ。(p103)
ただ知るだけではなく,知ることによって,なにかに「気づく」という体験があると,さらに劇的に「面白い」ものになるだろう。(中略)それを知ることで,自分の頭の中で,既存の知識とのつながりができる。(p106)
具体的かつ詳細になっていくほご,「面白さ」は強くなる。一方で,それを「面白い」と感じる人が減っていく。鋭く尖った「面白さ」は,それだけ人を選ぶ。(p108)
古来,多くのユーモアは,少なからず差別的であり,戦争や死を扱ったブラックなものだった。(中略)人が死ぬことをジョークにして,人間は笑えた。それで苦しんでいる人もいるじゃないか,という主張は正しいし,まちがいなく正義だ。でも,正義では笑えない。(p109)
それを得ることで,なんとなく自分が成長し,あるいは元気になれる。そして,結果的に自己の満足を導く。そういうものを摂取することが「面白い」と感じるように,人間の脳はできているようだ。(中略)結局,生きるとは,「面白さ」の追求でもある。「面白い」ことを見失ったら,生きていけないのではないか。(p111)
多くの人が,実行することが難しい,と考えているようですが,それはまったく正反対でしょう。実行することは,誰にだってできます。でも,思いつけない。何をしたら良いのかが,わからないのです。ですから,そこを考えることが第一です。(中略)「面白いことがない」という状況は,「面白いことが思いつけない」状況だ,ということです。そして,思いつかなくなってしまったのは,面白さを他者から与えられたり,売っている面白さを買ったりといった生活が続いたからでしょう。(p120)
人の上に立ちたい,人を蹴落としたい,それがお「面白い」と感じる人が多いうちは,世の中は豊かになりません。豊かになっても,豊かさに偏りが生じたままです。ただ,このような「さもしい」精神も,結局は余裕がないから生まれるのだと僕は考えています。(p125)
子供は,なにか面白そうなものを見れば,必ず自分でそれをやりたがります。何故なら,基本的に,享受するよりも作ること,インプットよりもアウトプットの方が何十倍も面白いからです。両方を経験すれば,この差がわかります。(p127)
世の中を変えたいと思ったことは一度もありません。自分の人生にしか興味がなくて,世の中をどうこうしたいとは,まったく発想しません。そういったことを考える暇があったら,今自分が楽しんでいることを考えます。(p130)
「つまらない」ときに「面白い」ことをすると,「つまらない」と「面白い」の両方が存在する状況になるだけのことです。「つまらない」を,早く処理することが,「つまらない」をなくす唯一の方法です。(p132)
少しの「面白さ」で生きられる人もいれば,沢山の「面白さ」がないと生きられない人もいます。前者は慎ましく生活ができるし,後者は,ばりばり働いて大儲けをしないと生きられません。どちらが良い悪いということもなく,そちらが得で損だということもありません。自分に合った生き方ができれば,けっこうなことだと思います。(p136)
「面白さ」は,発見するものというと,少し違っている気がします。発見できるのは,既に存在するものだからです。「面白さ」は,自分で作らないと生まれません。(中略)一番似合う言葉は「発明する」かな,と思います。「面白さ」とは,発明するものでしょう。(p137)
大勢で集まらないと楽しめない人たちというのは,「一人の面白さ」から落ちこぼれた集団だったのである。だから,抜け駆けして本当の「面白さ」に手を出そうとする仲間を牽制し合って,集団の結束を維持していたのだ。集団になるのは弱いからである。仲間外れにされた社会的弱者や,暴力団などの法律で禁止された弱者になる人たちは,グループを組まざるをえない。ブループを組むことでしか立場が保てないからだ。大勢で集まって酒を飲み,わいわいがやがやと騒ぐ人たちは,実のところは「面白さ」を知らない「寂しい」人たちである。(p152)
念頭におくべき大原則がある。人間は,死ぬときは一人だ,ということだ。一般に,若いときほど仲間が多い。若い人は,そもそも友好的であり,相手を毛嫌いせずに受け入れる性質がある。ほとんどの動物にこの傾向があるから,本能的なものといえるだろう。しかし,年齢を重ねるほど,自分は相手を受け入れなくなるし,相手も年寄りを避けるようになる。大雑把にいうと,死ぬまでに一人になれるようにできているといっても良いほど,少しずつ孤独へ向かうのである。(p155)
「孤独死」という言葉は,二つの間違いを含んでいる。一つは,孤独が悪いものであるという思い込み,もう一つは,一人で死んだら孤独だったという思い込みである。(p157)
ビジネスの多くは,「面白さ」を作って売るものになるだろう。そういう業種の割合がおkれからは増える。既に,衣食住も,生きるために必要なものを供給するレベルではなく,より快適なものへとシフトしている。(p158)
社会への貢献を漁で測るとしたら,それは納めた税金の額ではないだろうか。客観的に見て,これが一番直接的な指標である。つまり,仕事をして金を稼げば,それに応じて納税するわけで,それだけ社会貢献していることになる。(p163)
どうして,「自己満足」がいけないものになったのか。(中略)何故ここまで,自分を殺して社会に貢献することを重要視したのかといえば,集団の結束が「力」になった時代だったからだ。(中略)だが,今は明らかにそうではない。(中略)自己満足がいけない,という方向性は,今ではパワハラに近い意見と認識しなければならないだろう。(p164)
大勢が意見を交換できるような情報化社会になったことが,不正が行われにくい社会を作ったともいえる。(p167)
金額に比例して「面白さ」が増えるわけでもない。これは,どんな商品にもいえる法則だが,高くなるほど,価値の増分は小さくなる。(中略)高い商品に金を使うのは,その僅かな価値の差に満足できる精神の持ち主である。また,その僅かな差でも,他者と比較することで優位性に満足できる人だ。(p170)
コピィができるコンテンツ(音楽,映画,絵画,文学など)は,いずれは世の中に行き渡ることになる。今はまだ過度期だが,近い将来には必ずそうなる。しかも,地球上の人間はもう増えるわけにはいかない。これからは人口は減る方向である。(中略)ただし,無料でどこにでもある,いつでも手に入る,という環境になれば,おそらく大勢の人が,それらをそれほど「面白い」と感じなくなるのではないか(p172)
簡単に手が出せるものには,ありがたみが感じられない,という現象がある。苦労をして手に入れたものほど,自分にとって価値があると思える。(中略)これは,ペットでも観察される。(中略)飼い主から与えられたおもちゃにはすぐに厭きてしまうが,自分がイつけたものには相当愛着があるように観察される。(p177)
大勢に買わせよう,と考えるよりも,少数が絶対買ってくれるものを作った方が有効なビジネスになる,安定した商品になる可能性が高い,ということがわかってきた。(p183)
小説を読むことはインプットである。ただ文字を読むだけでは「面白く」はない。その物語の中に入る,いわゆる「感情移入」ができると,頭の中でイメージが作られる。これはアウトプットだ。感情が誘発されるのもアウトプットである。結局は,「面白さ」の本質はここにある。(p189)
ネットは,初期の頃にはインプットのためのメディアだった。世界中の情報が得られ,検索でき,非常に使いやすく,また有意義なツールだったのだ。しかし,ここ十年ほどは,ネットは個人がアウトプットするメディアになった。(中略)ネットが引き起こしたこの爆発的なアウトプット現象は,むしろインプット不足を招いている,ともいえる。みんなが発信し続けるあまり,明らかに受信者が不足だ。ただ,誰も聞いてなくても,発信するだけで「面白い」というのが,現在の状況ではないか,と分析できる。(p191)
今のところ,「いいね」などのサインを出し合って,お互いに「インプットしていますよ」という仮想を抱いているようだ。まるでお金のように「いいね」が世間を巡っているけれど,実際のところ,ほとんどの人は他者のことをしっかりと見ていない。インプットしている者はほとんどいない。(p195)
これまでは,たしかにネットでは誰だかわからなかった。それは監視していたのが人間だったからだ。(中略)これからは違う。監視をするのはAIだ。しかも,過去の膨大なデータも含めて関連したものを見つけ出すだろう。(中略)恐いのはこれからだ。(p196)
こうしてネット上で繰り広げられる「アウトプットの乱舞」は,今後どうなっていくだろうか? 僕が想像するのは,やはりいつまでも,この「面白さ」が維持できるはずはない,ということ。(中略)すべての流行はいずれ廃れる。どうして廃れるのかというと,それは「みんながやっているから面白い」というものが,「みんながやっているから面白くない」へシフトするためだ。(p197)
魅力的な伴侶や恋人もバーチャルで作り出せるし,家族も仕事も,それらしくネットで再現できるようになる。そういうアプリも登場することだろう。(中略)そうなると,ネット上での個人のアウトプットを誰も信じなくなるだろう。近い将来,必ずそうなる。(p198)
現代ほど個人主義の時代はかつてなかった。社会のあらゆるシステムが,一人暮らしをサポートするように機能している。ネット環境がそうだし,携帯電話がそうだし,ワンルームマンションも,コンビニも,すべて一人で生きていけるようにデザインされている。みんなが望んでいるから,こういう社会が実現したのだ。それなのに,何故かマスコミは,「反孤独」的なプロパガンダを続けている。(p206)
傍から見ると「寂しい」状況に見えても,外部に向けて「楽しさ」を発散しない方が,「面白さ」はむしろ大きく膨らむのである。(中略)外部に向けて発散しないと「面白い」ものではない,という価値観は,今のネットでは,よく見られる症状といえる。インスタ映えしないものは面白くない,という病んだ感覚がそれだ。(p210)
自分の楽しみは,各自の自由だが,一方的にアウトプットしてばかりでは,迷惑となる。他人の孫の写真など見せられても,面白くもなんともない。アウトプットするからには,他者にも価値があるものを選ぶ必要があり,客観的な評価ができることが条件である。それができないなら,しない方がよろしい。(p216)
こういった達人たちに共通するのは,家族の話をされないことだ。昔の話もされない。どんな仕事をしていたのかも聞いたことがない。奥様がいらっしゃるのかどうかもわからなかった。それくらい,自分が夢中になっている今の「面白い」話しかされなかったし,作られるものが,最高に素晴らしく「面白い」ものだった。(中略)僕も,そういう生き方がしたい。死に方などはどうだって良い,と思っている。(p218)
芸術作品は,少数の人の高い評価で価値が決定する。ところが,エンタテインメント作品は,大勢に向けた商品となることが前提だから,結果として,何人がそれを買うか,が作品の価値といえるだろう。(中略)芸術作品は,突出した長所が武器となり,エンタテインメント作品は,悪いところができるだけ少ない,つまりバランスが重視される傾向がある。(p223)
常に気をつけていることは,自分以外の人の「大白さ」を素直に受け取る感受性である。「面白いな」と思う積極的な気持ちが大切である。「面白くないな」と思うのは,はっきりいって損だ。隅々まで探して,「面白さ」を見つける姿勢を,いつも持っていること。それが,「面白い」生き方の基本だ,と思う。(p239)
不思議なもので,「面白さ」というのは,成し遂げるとそれで終わり,というものではなく,さらなる「面白そう」なことが目の前に現れる。本当にキリがない。(p249)
夢は夜に見るもの。現実ではない。「夢」も「希望」も,あっても良いが,べつになくても良いものだと思っている。必要なものは,ずばり「計画」であり,「作業」である。実物の,建築も都市も,ピラミッドも万里の長城も,すべて「夢」や「希望」でできているのではなく,人間の「計画」と「作業」で実現したものだ。(p252)

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