2020年8月30日日曜日

2020.08.30 浅生 鴨 『だから僕は,ググらない。』

書名 だから僕は,ググらない。
著者 浅生 鴨
発行所 大和出版
発行年月日 2020.01.31
価格(税別) 1,400円

● 企画術,発想術ということになるんだろうけれども,一芸を突き詰めて突き抜けると,広いところに出るんだなという,そういうことを思わせてくれる本。
 四方八方に話が飛ばないエッセイだ,と思えばいいような。面白い。一夕の歓を尽くすことができる。

● 以下に転載。
 検索で手に入る情報よりも,もっと広がりや奥行きのある情報を簡単に手に入れる方法があるのだ。それが妄想だ。妄想で手に入るイメージは,検索では見つけられない。だから僕は検索の前にさんざん妄想する。それが癖になっている。(p6)
 数学の問題では,たった一本の補助線を引くことで,急に解き方が見えてくることがある。僕にとってのアイデアとは,ちょうどそんなイメージのものだ。(p17)
 アウトプットをしない限り,それはまだ何ものでもない。デタラメでもいいから,ラフでもいいから,まずは文字や音や絵にすることで,ようやく足りないものがわかってくるのだと思う。 だからまずは書いてみる。何も思いつかない,何も浮かばないのなら,「何も思いつかない」と書いてみる。(中略)なぜ思いつかないのかを書いてみる。(p20)
 これまでこの世になかった完全に新しいものは僕たちには作ることができないし,もし作れたとしても,それは誰にも理解できないから,たぶん相手にしてもらえない。(p22)
 同じ時代に生きて,同じ課題を前にしたときに,本気で考え抜けば,似たようなアイデアが出てくるのは当たり前のことで,あまり愚痴ってもしかたがない。それよりも,そのアイデアをよりよくする方法を考えて提案するほうがいい。課題が解決できればそれでいいのだ。(中略)僕たちは,自分のアイデアにオリジナリティがあることを重要だと思いがちだ。でも,本当は課題の解決だけが重要で,そのアイデアを誰が考えたかなどたいしたことじゃない。(中略)オリジナルであるべきは,アイデアではなく「自分で考える」という行為だけだ。それだけが自分一人のものであればいい。(p23)
 妄想は妄想であり続けるから面白いのであって,どこまで妄想を続けられるか,大きく膨らませていけるかがポイントなのだ。(中略)だから,常識は無視してかまわない。常識は一つの考え方にすぎないのだから。ただし知識は必要だ。(中略)本気で妄想したいのなら,時にはその分野の専門家と向かい合って,きちんと会話ができるぐらいのレベルになることだって求められるだろう。(p30)
 僕たちはともすれば何かの役に立つものを探そうとしてしまう。でも,本当は目的を持って探すよりも,自然と頭の中に溜まったもののほうが,あとあとの妄想を広げてくれるのだ。(p44)
 もしも何かを面白いと感じたら,もう少し知りたいと感じたら,それが役に立つかどうかは気にせず,その場でどんどん近づいて見聞きするといい。(中略)ネットの中をさまよっているときも同じで,ブックマークをしておいて,あとから読もうなんて思っていても,ほとんどの場合,たぶん読まないだろう。その場で読む。読んで感じたことをメモにする。少なくとも僕はそうしている。(p45)
 妄想の材料を頭にたくさん溜めるために一番いいのは,なんでも好奇心を持つことだ。ぼんやりとした好奇心を押さえ込まないことだ。(中略9それには,調べるのがいい。好奇心は,ものごとを知れば知るほど,より強くなるものなのだ(p46)
 どんどん妄想を広げていくには,自分だけの世界に夢中になることが大切なのだ。だから他人の評価を求めてはいけない。(中略)みんなが万遍なく受け入れるようなものは,みんなからも出てくる。(p54)
 何か問題を与えられたときに,僕は本当にそれが問題なのだろうかと考えることがある。解決すべき問題は他にあって,その結果として目の前の問題が起こっていると考えてみるのだ。(中略)問題に対して,ただ回答をを持って行くなんてつまらない。どうせなら自分で問題を見つけ出すほうが楽しいと思う。「こっちのほうが本当の問題ではありませんか?」(p58)
 問題に対して新しい質問を持って行くのと同じように,正解もまた探すものではなく,きっと自分で作るものなのだ。(p60)
 この九マス連想は三分なら三分,五分なら五分と,時間を決めてやるほうがいい。時間に追われて無理やりひねり出した言葉には,自分でも驚くくらいバカバカしいものが紛れ込んでいるし,きっとそれが面白い妄想を生み出してくれる。(p75)
 僕たちはものごとには因果関係があるという考えに縛られているから,良いことが起きたときにも,悪いことが起きたときにも何か原因があると考えて,その原因を探そうとする。でも,ほとんどの場合は偶然で,そこに因果関係などない。無関係なものを結びつけてしまうのは,人間の思考の癖なのだ。この癖をうまく使うとアイデアの種を探すことができる。(p77)
 アイデアの種を集めるのにも擬人化はけっこう便利なのだ。擬人化するときには,一人だけにしないことが大事なポイントだ。なんでもいいから最低でも二つのものを擬人化してみるといいだろう。おうやて登場した二人に会話をさせるといろいろなことが浮かんでくるのだ。(p94)
 言葉の連想は頭に浮かんだイメージを次々につなぐものだから,頭に浮かばないものは連想することができない。逆に考えると,何かがない状態,何かが欠けている状態を連想することは難しい。そこで,僕がアイデアの種を探すときに意識してやっていることの一つが「もしそれがなかったら」だ。あえて,何かが「ない」状態を考えるのだ。(p114)
 かつて広告プランナーの大先輩が「炎と水滴は形が似ている。でも性質はまるで反対だろう?」と言ったことが頭にずっと残っていて,いつも僕はそういうものを探している気がする。(p127)
 映像はただあるものを写しているだけなのに,音が加わるだけで,そこに感情が生まれるのだ。音は強い。(中略)曲によって,公園のベンチに座っている子供が楽しそうに見えたり,寂しそうに見えたりするし,季節まで違って見えることもある。(p134)
 音は記憶や感情に直結しているから,イメージを膨らませるのにはうってつけの道具だ。(p134)
 面白かった,すごかったと好意的なことを言いながら,必ずそのあとにちょっぴり否定的な言葉が付け加わる。こういう感想よく聞きますよね。映画の感想に限らず,僕たちはこうしたものの言い方をしがちだ。なぜか僕たちは,目の前にあるものを手放しで褒めず,どこか粗探しをしてしまう。(p140)
 アイデアの種を探すのであれば,悪い面だけを見ていてはもったいない。悪いところと同じように,いいところも積極的に見ようとするだけで,なかなかおもしろい妄想が生まれるのだ。(p141)
 人間には不思議な性質があるようで,僕たちは点が三つ存在しているだけで,そこに顔を思い描くことができるらしい。これは妄想するのにとても便利だ。(中略)顔が見えてきたら,今度はその顔に何か言葉を喋らせてみよう。(中略)もちろん実際にはその顔が話しているわけじゃない。話しているのは自分自身だ。(中略)自分一人では,なかなか気づくことのできない無意識の言葉を引っ張り出す道具として,点が三つの顔はなかなか面白い存在だ。(p145)
 そもそも,言葉は音なのである。だから言葉の音で遊ぶことは,言葉そのものを自由自在に楽しむことなのだと思う。ダジャレとは音による言葉の連想,音の妄想なのだ。(p149)
 僕たちは日々いろんなところで少しずつ別人になっている。それをもっと拡大して,今の自分とはまったく違う存在になったと妄想すると,不思議なことに,ものの考え方が今までとはどこか変わってくる。(p157)
 人の性格は一つだけではない。一人の中にたくさんの性格があって,そのときどきでバランスが変わっているだけなのだ。(中略)ときどき僕は自分の中から,そうした性格を引っ張り出してきて,別人のように振る舞ってみることがある。(中略)自分がけっして知ることのできない他人の感覚に,ほんの少し近づけるような気がしている。(p158)
 僕の手帳には記号やら言葉の断片がたくさん残されているけれども,そのほとんどは意味のわからないことばかりだ。読み返しても何が書いてあるのか,さっぱりわからない。でも,それで構わない。(中略)自分の書いたものを自分の目で見ることで,さらに妄想が広がっていくような気がするのだ。(p172)
 落書きをするときに一番いいのは,何かを考えながら,手はまるで違うことをやっているという状態で,これは電話をしながらへんてこなメモを残しているあの感じに近い。ちょうど半分夢を見ているような状態で,僕は「手に任せる」と呼んでいる。(p173)
 発想癖をつけるのには,まず落書き癖をつけることだ。何を書くかは決めないまま,とりあえず紙を広げてペンを持ち,何も思いつかなくてもまずは1本線を引いてみる。(中略)ぐちゃぐちゃのまま,手に任せてみる。そこから始めるといい。(p174)
 僕は自分の考えを声に出して,自分に向かって説明することをよくやっている。(中略)ちゃんと声に出すことが重要だ。声に出して説明することで,それまであやふやだった考えがはっきりしたり,いい例えが浮かんだり,まるで予想もしていなかった言い方を思いついたりする。自分の声を聞くことで自分自身が刺激されて,さらに連想が広がっていくのだ。(p175)
 人間,自分一人で考えられることなんて,たかが知れているのだから,できるだけ早く人に伝えたり,雑談をしたりして,他の人の意見を取り入れていくほうがいい。(p177)
 たいていの場合,複雑なものより,シンプルなアイデアのほうが,問題をストレートに解決してくれるように思う。ただ,そのアイデアがあまりにも鮮やかな場合には,僕は少しだけ疑ってかかることにしている。(中略)あまりにもキレのいいアイデアは,作り手が自分に酔っていて,思ったほどには相手に伝わらない(中略)鮮やかすぎるアイデアには,どこかに「褒められたい」という気持ちが紛れ込んでいることが多いし,ひねった表現には嘘が入りやすい。(p182)
 制約条件があるほうが発想は簡単になる(中略)制約条件が多ければ多いほど,妄想は苦し紛れになっていくのだから,おかしなものごとを考えつきやすくなる。(p191)
 僕はパソコンに向かってものを考えることをあまりやらない。(中略)パソコンの画面上に映し出されたものは,なんとなく完成したものに見えるから,うっかりそこでひと息つきそうになってしまう,ということもある。(p198)
 それがどんなに面白くても,次から次へと新しいことを考えていたら,(脳の奥に)しまわれたものを探し出すのに時間がかかるから,メモしておいたほうがいいのだ。(p199)
 僕の持ち歩くメモには一枚ずつバラバラにできるメモ用紙と,ノートのように綴じられているものがある。(中略)厳密に決めているわけじゃないものの,次々に妄想を広げていくときにはバラバラのメモ用紙に,今すぐ何かに結びつきそうではないものの,「これは忘れずにいよう」と思ったものはノート型のメモに記録することが多い。(p199)
 小説の取材で人に会うときには一切メモを取らない。(中略)執筆するときに,その人の言葉に引っ張られたくないからだ。(p202)
 僕は,余計なものや無駄こそが,新しい妄想を生むための材料だと考えているから,入力したものと出力されるものの間に少しでいいからずれがあってほしいし,そこに存在したはずのノイズが失われることを寂しく感じてしまう。(p206)
 僕が考えようとしているのは,問題を解決するための新しい方法や新しい組み合わせだ。正解のないものだ。正解がないのだから,検察で見つかることはない。正解は自分で作るのだ。妄想の中からひねり出すのだ。(p207)
 楽器の練習や語学の勉強は,時間よりも回数が重要だ。同じ量を練習するにしても,月に三回,朝から夜まで十時間の練習をするよりも,毎日一時間の練習をひと月続けるほうが,あきらかに演奏は上手くなるのだ。考えることもたぶん同じで,ずっと同じことを集中して長く考え続けるよりも,ある程度の間隔をあけて,何度も何度も繰り返し考えるほうがいいと僕は思っている。(p208)
 ライブで大音量の音楽を浴びていると,だんだんぼうっとしてくることがあって,気がつくと目の前のライブとはまるで関係のないことを考えている。だからといって,ライブを聴いていないわけではなく,ちゃんと演奏は聴きながら,別のことを考えている。白昼夢を見ているような感覚なのだ。僕にはその状態がけっこう重要で,そうなったときに,それまで考えていたことから,次のステップに進めるようなものを考えつくことが多い。(p212)
 映画で言えば,昔の「007シリーズ」はまったくなんの説明もないまま,とんでもない展開がいくらでも起きていた。あれが僕の理想だ。辻褄が合いすぎていると,それはもう飽きへの第一歩だ。(p215)
 たとえ,目や耳から信号が入って来なくても,入っているのと同じ状態を作ってやれば,きっとものは見え,音は聞こえる。僕たちは頭の中だけで,実際にものを見聞きしているのと同じ状態を生み出すことができる。現実と同じような経験はできる。それが妄想なのだ。(p221)
 目の前に課題が用意される前から妄想を繰り返し,思いついた断片を頭の中に溜めておく。溜まったあとも,さらにしつこく妄想を繰り返す。きっと,それが考えるということなのだ。(p222)

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