著者 鷲田小彌太
発行所 海竜社
発行年月日 2017.11.15
価格(税別) 1,200円
● 勉強法というタイトルながら,具体的な方法論がどうのこうのではなく,勉強することそれ自体を熱烈推奨している。
方法論とすれば,できれば大学に入った方がいいとか,パソコンを使えとか,その程度のことしか書かれていない。あとは,勉強はいいぞ(特に,年を取ってからは)とアジっている。
● 以下に転載。
「安ければいい」より「センスがいい」が,消費だけでなく,人間の生きる価値の中心になる。(p16)
暇がないから,仕事に忙しいから,勉強をする必要があるのだ。大学生が勉強しないのは,暇がある,ありすぎるからなのだ。この逆ではない。(p17)
先生をまずは「本屋」で見つけよう。これが第一に勧める最良の勉強法だ。(p25)
受験勉強をきちんとした人でさえ,その過半は大学在学中に勉強する習慣を失う。(p44)
勉強なしにできる仕事,勉強なしにやってきた仕事は,トレーニングなぢに誰にでもできる,別な人と簡単に取り替え可能な証拠だ。(p46)
締め切りのない勉強などは,勉強の名に値しない。こう思って欲しい。(p53)
人生は「もし」の連続で成り立っている。「もし」とは不連続=偶然だ。偶然の連鎖から必然が結果する。日常の些事から人生の大事が生まれる。ひとつひとつの,それ自体は重大でもなんでもない「締め切り」の連鎖から,大きな仕事が生まれる。(p59)
成功(success)は継続(succession)だ。なだらかにいえば,小さな努力の継続が大きな成果=成功を生む。これが平凡だが重要な事実だ。(p59)
小さな努力なら誰でもができる。一日一時間の勉強なら,ほとんどの人に可能だろう。だが,それを三六五日続けると尋常ではない。一〇年続けるのはむしろ異常の部類にはいる。(p61)
注目して欲しいのは,勉強には細切れな時間が重要だということだ。まとまった時間がないから,まとまった勉強=仕事ができない。こう思ったら,すでに勉強をなかば放棄しているとみなしていい。逆に時間がありあまっていたら,勉強する必要も少しも感じなくなる。時間がないから,寸暇を惜しんで,勉強をせざるをえないのだ。(p64)
面白いもので,会社の仕事になれてくると,会社がよそよそしくなる。家庭サービスが可能になると,家庭がよそよそしい存在になる。これは矛盾だが,どこにでもある矛盾なのだ。(p70)
人は仕事(勉強)で充実感を得ることなしに,人生を楽しく送ることは難しい。仕事(勉強)の外で,充実感を満たしても,長続きしない。(p75)
起きたら,鈍いと感じようが,靄がかかった状態であろうが,ゆっくりと晴れるまで待つと,鈍さや靄が吹き飛ぶだろうか? 晴れない。人間の頭は,わずかの例外を除けば,とても頑強な器官,正確には,柔構造だ。かなり乱暴に扱っても壊れない。むしろガンガン使わないと強靭にならない。(p81)
筋肉は強化しすぎると,柔軟性を失う。切断しやすくなる。ところが脳はどんなに強化しようと限度がない。(p82)
基礎練習・反復に終始しては,面白くないだけでなく,上達しない。(p92)
近代学校教育は,かつて職場で徒弟制度でおこなわれていた教育・トレーニングの大部分を学校に委ねた。その費用も国と個人の負担にした。この点だけを特出すれば,企業は学校教育に尽力せず,費用も出さず,成果だけをただ取りしているのだ。(中略)たしかに企業研修はある。しかしそれは初・中・高等教育の成果の上に,ニスを塗る程度さえもない。(p121)
日本特有のアベレージ教育の基本は,国民全体に同じ質の教育サービスを提供することだ。アメリカもアベレージ教育をめざしたが,成功しなかった。(中略)国民のもっとも厚い層に,均質な教育を提供できなかったのだ。(中略)アメリカはエリート教育といわれるが,一割しか初・中・高等教育でまともな教育サービスを受けていないということだ。(p123)
一九七〇年代までは,ノートを取ることばかりに気を取られていないで,講義内容をよく聞け,と教師が中止した。八〇年以降は,ノートを取らない学生のほうが断然多くなった。たまには手も動かせ,手と頭は連動しているのだ,といわなければならなくなった。(p125)
四〇歳から勉強を必要と感じるようになった人に,最も簡便で効率のいい勉強法は,大学に行くことだ。勉強でいちばん重要なのは,勉強習慣をつけることだ。大学で勉強の強制に従うと,勉強習慣の基本スタイルが身につく。(p130)
勉強は面白い面白くなるためにはハードな勉強が必要だ。ハードさを要求しない,ただ面白いだけの勉強など,ない。(p159)
すべてのものは変化の中にある。すべてのものは,肯定的・保守的な側面と,否定的・変革敵な側面からできあがっている。(p163)
どんな理由があるにしろ,入ったところを早期に辞めると,仕事力がまったくつかなく終わる。否,かえって仕事に対する熱意,仕事にとって最も大切な持続力が減退し,仕事力が低下する。しかも,就職した職場をすぐ辞める人間に対する社会の評価が,下がる。(p169)
偏差値の高い有力大学の子は,総じて体力もある。運動神経も機敏だ。こういって間違いない。(p172)
重要なのは,仕事・勉強中,集中力を絶やさない必要とともに,集中力を使い切らない工夫だ。(p180)
パソコンで勉強・仕事をしていると,集中力の地蔵が無意識に可能になる。(p180)
私にとって,「締め切りがない」というこてゃ,どんなに早くてもいい,ということを意味する。(p200)
私は「朝飯前」にこだわる。起きてすぐに勉強だ。第一気分がいい。しかも短い時間だ。(中略)せいぜい一時間が限度で,疲労も感じない。(p218)
面白さはそこにごろんとした形で存在するのではない。発見されるものなのだ。(p220)
定年退職で仕事を離れると,否も応もなく,勉強は勉強のために存在する,そしてこれが,勉強の人生上の最大意味だ,とわかるようになる。どういうことか?(中略)人間は「あらゆるもの」に夢中になることができる。勉強は「あらゆるもの」を対象にできる。勉強するということは,夢中になる対象が無限大になり,夢中度が無際限になるということなのだ。ただし,夢中で勉強すればのことだが。(p227)

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