2020年8月23日日曜日

2020.08.23 宇野常寛・吉田尚記 『新しい地図の見つけ方』

書名 新しい地図の見つけ方
著者 宇野常寛
   吉田尚記
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2016.09.13
価格(税別) 1,200円

● 4章構成。分量的には前半の2章で3分の2を占める。その3分の2だけ読めばいいんじゃないか。
 ライフスタイルについて語る第3章は既視感に溢れる内容。第4章はない方がよかったのじゃないか。急にイデオロギーの話になる。それを非とするのだが,非とするほど御大層なものでもあるまいと思う。

● と言いながら,以下に多すぎる転載。
 90年代のインターネットというのは,要するに新聞とテレビが作り上げた画一的な社会に対してのアンチテーゼだったと思うんです。(中略)それは人間関係についても同じことが言えて,現実社会には身内で固まってだらだらと酒を飲みながら仕事の愚痴をこぼすような人間関係しかないけど,インターネットでは世界中の一面識もない人とも一瞬で出会える,というのが魅力だった。だけどソーシャルメディアの台頭によって,いつの間にかインターネットは現実社会の人間関係を反映するだけのものになってしまったと思うんです。(宇野 p11)
 だとすれば,それは必然だったのではないか。90年代のインターネットが黎明期特有の例外で。もうひとつ,インターネットがそうなってしまったのは,ユーザーが(特に,ブログとSNSによって)爆発的に増えて大衆化してしまったからだ。大衆化すればレベルが落ちるのは仕方のないことだ。それが嫌だというなら,ネット内ネットを作るしかない。が,その方策は今のところ,見あたらない。
 本来中央と地方の情報格差がなくなるのがインターネットの理想だったはずなのに,食べログも『Pokémon GO』もアーリーアダプターの多い都心じゃないと便利さや面白さが発揮されない。インターネットの使い方を僕らは根本的に間違えているんだと思います。(宇野 p14)
 なんで食べログや『Pokémon GO』を引き合いに出すかねぇ。食べログに頼るって訳がわからない。そういう手合がネットをつまらなくしているんじゃないか。Amazonは中央と地方の情報格差を縮めるのに貢献していないか。ためにする議論をしているような気がするよ。
 せっかくインターネットっていう最強の武器を手にして,50年前の人たちが想像もできなかったような世界が広がっているんだから,他人の揚げ足をとっている暇があるなら自分の人生を楽しくするほうに舵を切ればいいのに。(吉田 p17)
 インターネットが使えるパソコンが町に1台しかないような環境にある学校の子に「遺伝子について調べなさい」と言うと,ものすごく高い確率で正解が返ってくるんですって。(吉田 p17)
 基本的に僕はインターネットで話題の何かに反応すること自体をもう,やめたほうがいいと思う。すでに発生している文脈に乗っかってパフォーマンスを始めた瞬間,人はインターネットの正しい使い方を見失う。(宇野 p19)
 インターネットの登場はテキスト,音声,映像とあらゆる情報を供給過剰にしたのは間違いないですね。そして,その結果として供給過剰な「情報」の価値は暴落してしまった。人間は希少なものにしか価値を感じないですから。(宇野 p23)
 「現場」でできること,たとえば「世間」的な「社交」とかをね,わざわざ「在宅」でやって喜んでいるのが今の日本の「残念な」インターネットだとも言えると思う。(p27)
 民主主義というのは,どんな意見や批判があってもいいけど,「批判をするなという批判だけはタブー」というのが最低限守られるべき基本ルールなのに,そのたがが外れてしまっている。(宇野 p30)
 この5~6年の間に何が変わったのかというと,じつは質じゃなくて量だと思う。つまりTwitterやFacebookの普及で,インターネットのユーザーの数が増えたせいで,インターネットの文化自体が変わってしまった。(中略)考えないために情報に接する人たちがどかっとインターネットに参加してきた。(宇野 p31)
 引きこもりの人がニコ生をやることで外に出られるようになることがあるんですって。それはどうしてかと考えたんですけど,ニコ生って発信する側が“開き直れる”んですよ。(中略)いちばん傷つくのは過疎ってしまうことで,批判されるのはそれほど恐くない。(中略)どこかの段階で「多少批判されてもいいから言いたいこと言っちゃえ」って開き直るフェーズがくるんです。(吉田 p33)
 必死にリツイートを繰り返している人というのは,まさに「考えないために情報に接している人」だよね。(中略)あとは何かに駄目出しするようなツイートをしている人とも関わりたくないですね。(宇野 p36)
 僕が総じて言いたいのは「共感するな」ということ。共感するということは,すでに自分が考えていることをよりクリアに言語化してくれているとか,もしくは甘やかしてくれる言説ということなので,じつはなんの役にも立っていないと思う。(宇野 p40)
 年間200冊も300冊も読んで丁寧に書評を書いている人がいるけど,はっきり言ってこれは現代においてものすごく効率の悪い知の吸収方法だと思う。(宇野 p45)
 知識を自分のものにするためには読んだ後に話すか書くかしないと駄目なんですよね。(中略)アウトプットとつながっていないインプットにはあまり意味がない。(吉田 p56)
 自分自身,今ほどソーシャル化してなかった時期にネットを活用して活動していたからこそ世に出られたんだと思っているから。今は仮に当時の僕と同じだけの能力や意志を持っていても,同じやり方では出てこられないんじゃないかと思います。(宇野 p68)
 会社をセーフティネットとして使うというのが,サラリーマンののいちばん正しい在り方なんだと思います。(吉田 p71)
 事務の遅延というのはだいたい連絡がおっくうだというところから起こっている。とくに日本人の場合は,ただ連絡するというだけのことに異様な精神力,ゲーム的に言うとMPを使用する。(宇野 p76)
 コネクションがなければ仕事を受けてくれないというのは,じつは業界が作った嘘のひとつ。大げさかもしれませんが,誰かが既得権益で食っていくために,まことしやかに流している言葉だという気がするんですよ。(中略)意外と人間というのは個人的なマインドで動いてくれるものなんじゃないかなと。(吉田 p77)
 建前を建前とわかった上できっちり演じられる人間が大人なんですよというメッセージを出すのをやめたほうがいいと思う。(宇野 p80)
 現場がすごく変わっているのに,メディアや批評の側の人間が90年代までに培われた文脈でものを考えすぎていて,新しく広がっている世界を吸収できていないんですよね。(宇野 p83)
 会社員って意外と働いていないってことなんですよね。(中略)ほとんどの人間は,打ち合わせという名の愚痴の言い合いとか,調べものという名のネットサーフィンとか,あとは雑談みたいなことをしながら勤務時間の大半を過ごしているという限りなく給料泥棒に近い何かである。これが世界の身も蓋もない真実なのだと思う。それで世の中は回っていて,この法則はどこの会社でも絶対に崩れていないと思う。(宇野 p87)
 欲望が薄くて真面目でかつ意識は高いという人が,てんぱりやすい気がする。(中略)今の社会は「人生でやりたいことや目標を持っていないのは駄目なやつだ」という風潮が強すぎる。(宇野 p89)
 消去法でものを選ぶというのは,自分を狭いところへと追い込んでいることに等しいと思うんです。(中略)やりたいことがないのなら,人の足を引っ張らない範囲でどんどん楽な方向に流れればいいんじゃないかっていうこと。(宇野 p90)
 ホワイトカラーがやっていることの大半は,物事の最適化や再配分ですよね。実は価値そのものは生んでいないのだけど,さも,それ自体に価値があるかのような錯覚をここ100年くらいの社会は共有していて,(中略)何かを最適化しているだけでやりがいを感じること自体が根本的な間違いだと思うんだよね。(宇野 p93)
 やりたいことと仕事が結びつくというのは,勝手にやっていた人間が,そうとしか生きられない状態にまで追い込まれた結果にたどりつく状態であって,自分探しの結果に行き着く場所ではない(宇野 p95)
 新入社員とかアルバイトにも共通して,何ができないかって第一撃目の連絡ができない。(宇野 p99)
 ちょっとマニアックな出版社とか学校の先生に事務処理が駄目な人が多いのは,普段,特殊な世間の中にある内輪のコードでコミュニケーションしているからだと思う。(宇野 p100)
 働くことを取材だと思うようにするというのはどうでしょう? たとえば僕が何かの職業について詳しくなろうと思ったら,そこで働いてみるのがいちばん早いし,詳しくなれると思うんですよよね。(吉田 p100)
 僕は断固として,世界を「物語」(イデオロギー)として見るのではなく,「情報」の集まりとして見る態度を貫くのが正解だと思っている。(宇野 p141)
 正義を考えるということは,究極的には「自分と相手が入れ替わっても耐えられるか」を問われるということ。(宇野 p143)
 多分,知識の本質って「人は間違うものだ」という事実を知ることなんですよ。(吉田 p153)
 少なくとも僕が40歳まで生きてきて,一番役に立っているなと思うのはやはり雑食性です。(中略)雑食性というのもやはりイデオロギーの逆なんですよね。偏った理想に当てはまるものだけを追うのではなく,なんでも好き,なんでも面白がるっていう。(吉田 p161)
 未来が明るくなるか暗くなるかなんて,我々の知性なんかでは決まらない。頭の良さ,知性という資源があるならば,自ら明るく機嫌よくいるためだけ,つまりは臆面もなく未来は明るい!と信じ込むためだけにつぎ込むべきだと思うのです。(吉田 p167)

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