2020年10月30日金曜日

2020.10.30 帯津良一 『はつらつと老いる力』

書名 はつらつと老いる力
著者 帯津良一
発行所 ベスト新書
発行年月日 2019.01.25
価格(税別) 860円

● あんまりストイックにならなくてもいいよ,ゆっくりかまえて自分の欲望を大事に考えなよ,というメッセージ。しかも,そのメッセージを発するのがお医者さん。
 となると,こんなに勇気づけられることはない。何だか,自分に都合がいいように思える。それを知っているから,帯津さんの書いたものは読んでみようと思う。ぼくはそんなサイクルで読んでいるんですけどね。

● 以下に転載。
 私の場合,血液検査で毎回いくつかの異常値が見つかるのですが,なかでも,γ-GTPは,二十年以上ずっと異常値です。ちていの人には負けません。(p4)
 人間ドッグの数値がすべて正常でも,心身の不調を訴えている人はたくさんいます。それでも,検査で異常が見つからない限り,その人は「健康」と診断され,本人の不調は無視されてしまいます。(中略)人にはそれぞれ,その人に適した「正常値」があります。つまり,健康の「正常値」は,人によって違うのです。(p5)
 健康法にしても,「からだ」だけをみていると,病気を怖れて,「これは危ない」「あれはやめよう」といって,生活をあれこれと制限してしまうことになりがちです。これでは,、毎日がただ苦しいだけで,生きる喜びが失われてしまいます。(p6)
 彼らを見ていると,人のために生きるというのは,どうも免疫力を上げるのではないかと思えてきました。世話人の中には,闘病中の人もいますが,途中で亡くなった人は一人もいないのです。(p41)
 一般的には「食べないほうがいい」といわれている食品であっても,大いなる喜びにときめいて食べれば,食材の不利を補ってあまりある,というのが私の食養生の極意です。(p45)
 ゲルソン療法のような極端な食事療法は,がんが進行して背水の陣になったようなとき,日常性を変えるうえでは悪くはないと思うのです。ただし,肩の力を抜いて,懐を少し深くして行うのがコツです。まなじりを決して,厳しい決まり事を守り抜くとなると,どうしても途中で疲れてしまいます。(p52)
 食べたくなくて食べないなら,それは構わないのです。ただ,肉を食べるのは,からだによくないと聞いたので,食べたいけど我慢している,という場合は,あまり賛成できません。(p63)
 サプリメントは,「旨い」という喜びはありませんが,利用していることで得られる安心感は,まちがいなく養生となります。(p79)
 目元がきりっとしていて,全知の佇まいが凛としている。凛としていることと色気は,案外,裏表になっているのではないかと思います。(p89)
 貝原益軒は,朝の行事をとても大切にしていました。(中略)朝の時間を大切にしているところは,私も共通しています。病院で仕事をする日は,朝二時半に起きます。そして,三時半に病院に到着して,そこから仕事を始めます。患者さんの診療が始まる前に,机の上でできる事務的なことをすべて済ませてしまうのです。(p93)
 貝原益軒は,寝る時間は短いほうがいいと強調しています。(中略)眠りが少ないほうが,気の巡りがいいし,体調もよくなるということです。私も,実感としてそう思います。(中略)なるべく早く起きて,そして睡眠時間は短くする。こういう生活が,年をとるにつれて,より大事になってくると思います。(p96)
 楽しく誰かと酒を飲んでいれば,認知症にならないような気がしています。(p108)
 気功は,ある程度の遊び心をもって,大いなる喜びを感じながら行います。毎日やることよりも,長く続けることが大事です。(中略)しゃかりきになってやったから,高いレベルに早く達するというものでもありません。(p126)
 気功の場合は,気功をやる道場の「場」というのも大切です。一人でこつこつやる時間も必要ですが,いい指導者のもとで,いい仲間を得て,一緒にやる時間を作る。(p131)
 医療をやっていると,祈りというのが非常に大事だと思うようになります。(p149)
 私の患者さんの中には,今日亡くなる方もいらっしゃいます。とすれば,こちらも今日が最後だと思って活きていないと,患者さんより一歩でも二歩でも死に近いところに立つことはできないからです。今日が最後だと思って生きていると,今日一日しっかり生きようという気になります。朝の気功も,日中の診療も,患者さんや職員との何気ない語らいも,すべて今まで以上に愛おしく思えてきて,より大事に時間を過ごすようになります。中途半端なことはしなくなる。(p196)

2020年10月28日水曜日

2020.10.28 今枝由郎訳 『サキャ格言集』

書名 サキャ格言集
訳者 今枝由郎
発行所 岩波文庫
発行年月日 2002.08.20
価格(税別) 560円

● 本書の著者,サキャ・パンディタは13世紀のチベットの人。学者であり政治家であったそうだ。
 訳者は「フランスのラ・ロシュフーコーの『箴言集』と比肩して遜色ないであろう」(p206)というが,ロシュフーコーの小気味良い辛辣さはサキャにはない。ロシュフーコーは人間の狡猾さや間抜けさを個別に取り出して,これでもかというほどに晒してみせるのだが,サキャは処世術をあれこれと語っているような印象を受けた。

● 格言集から転載するのもなんだけども,いくつか引いておく。
 人は医大な人の欠点を探すが 劣った人の欠点は探さない。(p30)
 心にねたみを持つ愚者は 害を及ぼす前に態度に表す。(p38)
 愚者がためになると思ってすることは とんでもない害になる。(p73)
 悪人はどんなに矯正したところで 本性は善くならない。(p81)
 一般に人は自分と同じものに邪魔される。(p95)
 慈しみが過ぎると 憎しみのもとになる。
 世間の争い事の多くは 親密さから生じる。(p100)
 人は長寿を願いつつ 老いを恐れる。(p119)
 悪い池に水がたまると どこかで決壊する。
 金持ちになって 続く家系は稀である。(p129)
 未来のことは考えないで 起きた時に努めて対処する。
 川に出くわせば靴を脱ぐが 出くわす前からどうして脱ぐか。(p131)
 敵に害を与えたいなら 自分が功徳を積むことだ。
 敵は嫉妬で心を焦がし 自分は福徳が増える。(p148)
 慈しみに満ちた言葉を言うことはたやすくて 人を集め喜ばせる最上の方法だ。
 財産で誰を満足させられようか。身命を捨てても半分の人も満足しない。(p172)
 貯めた財産は蜂蜜のようで いつかは人が取って行く。(p176)
 敵は害をなすから征服すると言うのなら 自分の怒りこそ征服せよ。
 怒りは無始の昔以来 自分に対して無限の害をなしている。(p184)

2020年10月26日月曜日

2020.10.26 勢古浩爾 『続 定年バカ』

書名 続 定年バカ
著者 勢古浩爾
発行所 SB新書
発行年月日 2019.11.15
価格(税別) 850円

● 『定年バカ』の続編。趣向は同じ。定年本を肴にして,それをこき下ろす形で自分の意見を開陳していく。もちろん,こき下ろさないで賛意を表しているものもある。橋本治,佐野洋子,楠木建がそれにあたる。
 著者は『定年バカ』で自分の退職金や年金の額を具体的に開示している。定年前に関連会社の役員になったものだから,退職金も早めに受け取ることになったようなのだけども,たしかに大企業や公務員を定年退職した人に比べるとだいぶ少ない。
 そのことが,著者の好きにすればいいのだという言い分に何がしかの説得力を付加しているかもしれない。

● が,在職中から評論や随筆を書き,著書も出している。退職したのは文筆業に専念したかったからではないかと思われる。そして,いよいよ快調に著作を重ねている。『定年バカ』もそうだが,出版不況の現状下でかなり売れた著書も多い。
 会社を辞めたという意味で定年者には違いないのだが,著者は仕事を辞めたわけではない。現役の作家だ。そこは押さえておかないとね。 

● 以下に転載。
 どうして「定年」は,個人的・私的であることを超えて,こんなに社会的な大問題になったのだろう。銀行,保険,証券,出版,旅行,葬儀などの企業が,「定年市場」を作ってしまったからである。つまり,定年は金になるとわかったのだ。(p5)
 定年退職者たちの不安をかきたてるような風潮がでてきた。市場として成立させ,拡大していくためには,不安を煽って不安産業化するのが手っ取り早い。健康・美容産業の手口である。(p20)
 現在の私の悩みは,老人になりきれないことである。客観的にいえば,わたしは見た目は完全な老人である。口を開けば,わたしも自分のことを多少の卑下や自虐を込めて「じじい」と自称したりする。しかしながら本心をいえば,私は自分をまだ「じじい」だとは思っていないのである。(中略)考え方も幼稚である。自分で年齢相応に成長しているとの自覚がない。(p50)
 「老い」を認めたくないから「まだ若い」と言い張るのではなくて,「若い」という基準しか自分を計るものがないから,ついつい「まだ若い」になってしまうのでしょう。(橋本治 p55)
 今より情報が少なかったときは,全部自分で決めたのに,今では自分の判断で損をすることになっては元も子もないと,なんでもかんでも「専門家」に頼ろうとして,「FP」だの「家計コンサルタント」という「専門家」に教えてもらいたがる。これが愚かである。(p85)
 日本人は全般的に差別意識の強い国民だと思う。長いものには無抵抗に巻かれるが,弱い者いじめは大得意である。その逆に「ヤンチャ」は持ち上げる。(p101)
 吉越氏は毎年,一年の半分を南仏のモンペリエで過ごすらしいのだが,(中略)わたしは毎年お盆の時期に四日間だけど,家族と一緒に安曇野の実家に帰りますよ,という人がいるなら,吉越氏のモンペリエとまったく互角である。(中略)おや,こりゃ羨ましいですな,とすぐ忘れることができるようなら互角だが,いつまでもうじうじ愚痴や嫌味をいったり,ケッと腐っている人間は負けなのである。(p134)
 定年後にいかに生きるか,いかに働くか,どんな趣味を持つか,老後をどうとらえるか,などについては,人はけっこう自分の意志や考えを強調しがちである。(中略)そして,その根拠の正しさを説く。(中略)もっともらしい理由を述べる。だが結局は,自分の経験と立場の自己肯定である。(中略)自身の好き嫌いなのだ。(p153)
 わたしは人の人生を見るのは好きである。しかし案外,人の生き方というものは参考にならんもんである。(p155)
 「不自由から解放されて,自由になるために教養がある。それは自分に固有の好き嫌いを自覚し,それを価値基準として思考し,判断し,行動することにほかならない。ごくあっさり言えば,教養の正体はその人の好き嫌いにある」(楠木建 p167)
 自分の価値観は好き嫌いとして表れる。(中略)大勢的な価値観とは,たとえば活動的な人間や友だちの多い人間ほど生き生きとしている,SNSは活用すべし,日本の先輩後輩関係は美的伝統だ,多趣味の人は人生や生活を楽しんでいる,というバカっぽい人間観や人生観のことでる。(p168)
 人間とは案外動かないものである。(p180)
 信じられないことにオヤジは,自信をもっているようなのだ。(中略)おれなら許されるだろう,と自分には甘いからいつまでもセクハラもパワハラも止まらないのだ。(p190)
 中年のおばさんたちが,番組でやってきた火野正平や笑福亭鶴瓶を見て,興奮しまくるという姿が,わたしには醜い姿としか映らない。一時,韓流ドラマに入れあげた佐野洋子は,おばさんたちは「華やぎ」たいのよ,といっていたが。(p192)
 ここ十年,二十年のわたしの気分でいえば,これ以外にない。「ろくでもないものだ」
(中略)若干の厭世感がある。人間の作り上げた「意味のシステム」(価値の体型)のほとんどを疎ましく感じるようになった。(p200)
 よくおばさんたちが「年を重ねた美しさ」というが,たいていそんなものはない。(p213)

2020年10月25日日曜日

2020.10.25 勢古浩爾 『定年バカ』

書名 定年バカ
著者 勢古浩爾
発行所 SB新書
発行年月日 2017.11.15
価格(税別) 800円

● たいていの本と同じように,本書も「はじめに」と「あとがき」を読めばそれで良し,という気がしなくもない。要は,あんたの好きにすればいいんだよ,いい歳して人に訊いてんじゃねーよ,と説いている。清々しいばかりの正論だ。
 教えを垂れるふうのいくつかの定年本を取りあげて,それをあげつらう(?)形で,その正論を何度も説く。空海がやった優劣比較の手法もこういうものなのかね。

● 以下に転載。
 定年後どう生きたらいいかについては,一言で足りる,と私は思っている。「自分の好きにすればよい」である。(p4)
 いちいちごもっともな提言を参考にするのはよい。(中略)しかし,「そうなのか。こりゃ大変だ,なにもしてないぞ」と過剰にプレッシャーを受けすぎて狼狽え,人にばかり教えてもらおうとする者はよくない。(p6)
 好きでする,何もしない生活は,自由の生殺しではない。自由そのものである。(p7)
 いったん不安に襲われたら,それを取り除くことはけっこう難しい。最初から無駄な不安にとりつかれないこと,それが一番である。これはけっしておざなりではない。(p41)
 「おまえはなにもしなくていいというが,二十年間なにもしないのかね」といわれたりもしようが,錯覚しないでいただきたい。二十年間が一度にどっとやって来るわけではない。来るのは一日一日である。人になんといわれようと,その一日一日を好きに暮らせるならそれで十分である。(中略)まだ見ぬ二十年間を先取りしてずっと「充実」させようと思ったり,二十年間持続する「生きがい」を考えるのは無意味である。(p59)
 わたしには「活き活きと輝いている人」というのがどうにもウソくさくて,うっとおしいことこの上ない。(p61)
 健診・検診そのものにも問題がないわけではないが,そこに医者が関わってくる「医療介入」が行われると,検査をしなければわからなかった「検査病」が見つかる。その結果,今朝までピンピンしていたわれわれはいきなり病人予備軍にされ,再検査,薬処方,精密検査,はては即入院,手術ということになってしまう。(p89)
 切れたのは会社との「つながり」だけである。社会といっても,たかだか「会社という社会」にいたにすぎない。(p117)
 ほんとうはみんなわかっているのではないか。はやめの準備など,ほぼ無理なことだと。それに,準備をしさえすれば,何年か先の自分の状況をある程度コントロールできるのではないか,という考えが,虫が良すぎる気がする。(p135)
 どうなるのだろうという不安があっても,実際にその時空の「中」に入ってみれば,なんとかなるものである。(p135)
 いったい読者は,ハウツー本になにを期待して読むのだろうか。希望,だと思われる。「なりたい自分になる」ことであり,「成功」であろう。書き手はそのことを察するがゆえに,読者にほんとうのことがいえない。無理にでも希望を示したいと思う。(p136)
 思い出として残っているものには不朽の価値がある。そんなものと戦って,勝てるはずがない。現前の人物や風景のほとんどは思い出になりきれず,ただ消えていくだけのものである。(p148)
 わたしは,リタイアしていようが,現役であろうが,みんな「ただの人」だと思っている。(p151)
 道徳教育批判はいいのだが,では本を読み,映画を観て,人を見て,話を聴いて,考えて,自分で自分の身を修めるように自己教育をするのか,といえば,そんなことはほったらかしである。そこにこの社会には,不まじめなオレは大物,まじめなやつはバカにしていい,というわけのわからん伝統的な価値観があるものだから,自我のコリ押しをしては自己陶酔する。そういう人間から人が離れ,嫌われた挙句に「ひとり」となっても,自業自得である。(p165)
 六十年も生きてくれば,多少は自分の身を修める術くらいは心得ていてもいいのではないか。-と思うが,この社会では,人間が成長できるようにはなっていない。むしろ,成長しなくていいというメッセージがマスコミ上で溢れている。無知であることがなんの恥でもなくなったのである。(p166)
 ふつう(自然,伝統)が一番,そこに自分らしさなどでごてごてと飾りたてるな(「演出」するな)(p180)
 わたしの定年後の生活は,わたしだけに固有な定年後の生活である。(中略)形だけもっともらしい正しさや,口先だけの無責任な一般論は,一人ひとりの生活に届かない。そんな柔な一撃は到底一撃たりえず,自我から一枚のウロコも剥がれ落ちない。(p193)
 元々,世界は無意味なものである。そこに人間は無数の「意味」をつくりだし,それをみんなで承認しあうことで,世界は成り立っている。(p200)
 自分が好きなら,世間などかまうことはないのである。(p209)

2020年10月23日金曜日

2020.10.23 西原理恵子 『最後の講義 完全版 西原理恵子』

書名 最後の講義 完全版 西原理恵子
著者 西原理恵子
発行所 主婦の友社
発行年月日 2020.03.31
価格(税別) 1,100円

● 「女の子の人生で覚えていてほしいこと」が副題。頭の中で拵えたわけじゃない,人に数倍する実体験からの処方箋が示されている。
 元手のかけ方が違う。それが1,100円で読めるんだから,若い女性は読んでおいた方がいいでしょう。男も,女ってこうなのかと目からウロコが落ちるだろうから,やはり読んでおくのがお得。


● 以下に転載。
 そんなふうにみなさんが真面目に大学に通っている間に,希少種の白馬の王子さまは腕利きのハンターみたいな女に持っていかれて,みんなが卒業する頃にはもうカスしか残っていません。(p5)
 だいたいクリエイターというのはこのタイプが多いです。要はウソつきがプロになっているだけですから。弁護士とか医者にそういうタイプはいないです。あの人たちは真面目に物事を考えるタイプなので。(p14)
 人の命なんて平等じゃないし,早く死んじゃったほうがいい人もいるに決まってるんだから。(p23)
 ダメな男って本気でウソをつくから。本気でウソをつく人にはかないません。(p34)
 ここにいる女性の皆さんは今,お金で換算すると2億円くらいの価値があると思うんです。おっぱいもお尻もきれいで,肌もツルツルだし。でも,40年後には0円になります。(中略)その間に何もしなかったら,死ぬほど怖いことになります。(p38)
 私の知り合いで看護師さんがいるんですけど,夜勤明けの昼間の居酒屋で知り合った男と付き合っちゃうんですよ。そこにどんな男がいるか,わかりますよね。(中略)漁場をまず変えること。同じ漁場で釣りをしている女性が非常に多いです。(p42)
 真面目な女ほど逃げ遅れますね。女の一途ってすごくいけないことだと思うんですよ。相手の悪いところが見えなくなります。(p43)
 男の人って髪切った日に「髪伸びた?」とか平気で言うぐらいだから,バレやしない。女のウソはかなりレベル高いですから,二股,三股ぐらいは全然大丈夫です。(p45)
 私の知ってる範囲では,9割方が慰謝料,養育費もらってません。そもそも慰謝料や養育費が払えるような男だったら離婚になりません。(p46)
 日本では出産も体育会系の根性論みたいになってて,どんなに痛くても母体はそれに耐えうる力がある,それに耐えてこそ母親になれるとか言うけど,真っ赤なウソですからね。絶対に無痛分娩にしてください。(p49)
 山内一豊の妻は本当に間違っていると思います。馬ひとつ買えない夫にへそくりのカネ渡すとか絶対ダメです。それは子供の養育費に突っ込むべきだと思います。(p50)
 人っていい加減ですし,弱い生き物なんですよ。すごい立派な人が急に変な人に変わっちゃうのね。何だろうなって思うんですけど,耐用年数が過ぎたんだねっていう話になって。(p51)
 本当に毎日毎日,夫の病気との戦いだったんですけれど,やっぱり知識がなかった。病気に対する知識がないので,道徳とか人間性を病人に求めてしまう。でも相手はアルコール依存症という頭のおかしくなる病気なので,そこでどんなに倫理を説いてもダメなんですね。だから,病人は医者しか診ちゃいけない。家族は診ちゃいけないんです。家族の愛情では病気は治らないんです(p61)
 私も「夫は明らかに病気だから今捨てちゃいけない」と思ったんですね。大間違いでした。病気のときこそ捨てなきゃいけなかった。家族は後方支援しかしちゃいけないということを知らなかった。(p62)
 ヒマだと人のことを憎んだり腹立ったりしてくるんですね。動いて働いて稼いでいると自分の中のエンジンがどんどん回転して,エネルギーが湧いて明るくなっていくんですよ。(p70)
 働いていれば自炊なんかしなくても済みますからね。アジア人みんな外食ですよ。(中略)手作りとか全然しなくていいんです。日本の女の人だけが手作り信仰に囚われている。(p72)
 家族が仲良くすることを考えたら,自分は外で働いて,家事は絶対にプロに任せたほうがいい。月に1回でいいからプロに任せると,もう格段に家の様子がよくなりますので。(p73)
 人生はやっぱり女のほうが絶対楽しいと思うんです。(中略)家族も作れるし,ウソも上手だし,働くことも楽しいし。たとえば商店街のコロッケ屋のおばちゃんって,毎日笑いながらコロッケ揚げてるじゃないですか。それで必ず温かいほうからくれますよね。あんなふうな人になれたらいいなと思っています。(p75)
 私は不倫もわりとありで,自分の中で「洗って返せば大丈夫」っていう標語があるくらいで。(中略)ウチら漁師文化なので,そういうの気にしない。漁師ってものすごく危険なところで命がけで働いているので,よそで何しても帰ってきたら何も言わないみたいな,そういう文化なんです。(p98)
 何でもいいんでどんどん試して,いっぱい失敗してください。失敗すると覚えるの早いです。(p109)
 女性は若くてかわいいときから子供を産んで母親になって,そこからずうずうしいおばさんになっておばあさんになるまで,生きるステージがいや応なしに変わっていくから,そのステージごとに必ず面白いところがあるんですよ。その面白いところを早く見つけるのがコツですね。(p109)
 夢って「絶対これだけ!」って決めないで,その周りをふわっと薄目で見ていくと,きっと自分の居場所とお金が転がっているんじゃないかと思います。(p111)
 口だけ出してカネ出さない親戚とかに何か言われてもガン無視。(p114)
 「日本人は人のお金は盗まないけど,人の時間は平気で盗む」っていう言葉を聞いたことがあるんですけど,無益な愚痴や悪口で人の時間を盗む人は絶対仕事ができない人です。(p117)
 だいたい私は「家族は仲良くなくてよし」という人間なんで。(p123)
 自分で一生懸命考えて正しい答えが出たことって一度もないんですよ。人生とか男選びとか,必ず間違えてるのね。だから,自分で考えない癖を身につけて,とにかく外に出ていってみようと。(p125)
 大学の先生って,要するに世間で通用しなかったから学校の中にいるんですよ。ひきこもりみたいに。だから,そんなの気にしなくて大丈夫です。(p127)
 私なんか芸術もクソもなくて偽札刷ってるような感覚で絵を描いてますから。(中略)「この雑誌にはこういう感じがよろしゅうございましょう」という空気はすごく読みます。そんなときに自分の京術にこだわってたって誰も喜んでくれませんから。やっぱり商売人としてお客さまのニーズに応えるっていう。ただし,お金はちゃんと取る。優先順位はお金が上,芸術は下です。(p129)
 もうどうしようもない女の子の二面性。女の子って好きな人には天使のような顔するけど,嫌いなやつにはキツい。私もどうしていいかわからないです。(p132)
 「今ここから逃げる」と決めることがエネルギーになりました。(中略)頑張って働けばここから逃げ出せる。二度とここに帰らない。(p137)
 皆さんも小さいことは忘れてください。くだらない悩みはそのうち脂肪が全部飲み込んでくれるようになります。どんどん厚かましくなって,毎日大きく笑って太ってください。ウエストのない世界はとっても楽しいです。(p141)

2020年10月22日木曜日

2020.10.22 弘兼憲史 『俺たちの老いじたく 50代で始めて70代でわかったこと』

書名 俺たちの老いじたく 50代で始めて70代でわかったこと
著者 弘兼憲史
発行所 祥伝社
発行年月日 2019.12.10
価格(税別) 1,300円

● 20年前に刊行したもののリメイク版。まえがきと序章を読めば本書を読んだことになりそうだ。
 が,一切の外的条件から自由になれだとか,主観を強めることで客観(現実の事象)を抑え込むとか,悟りを啓いた高僧でもできないだろうと思えることが説かれる。
 間違ってはいないのだろうが,そこに至るための具体的方法論(もしあれば)も併せて提唱しないと,何も言っていないに等しいのではないか。

● あるいは,生きがいを持てば,免疫系が強まり,病気をも克服しやすくなるとかね。生きがい万能論。
 これも正しいのだと思う。今日できることは明日に延ばすな,というのと同じ程度には。つまり,誰でも知っているのだ。
 が,生きがいを持てている人はさほどに多くはない。知らないから持てないのではなくて,知っていても持てないのだ。正論を述べて終わりでは,やはり何も言っていないに等しい。要するに,何の情報も付け加えていないわけだから。

● 以下に多すぎる転載。
 自立とはなにものにも頼らず,自分の居場所を楽しめる精神の快活さのことだ。(p7)
 運命が過酷になるのは,希望を持たなくなったときあkらだろう。希望さえ抱き続ければ,人生で起こる大多数の出来事はちょっとだけ憂鬱な事柄にすぎない。(中略)現実がどうあろうとそれに左右されにですっきり立ち続けることができるかどうかだ。言い換えれば,一切の外的条件から自由になることだろう。(p7)
 二〇歳が人生に感じる豊かな可能性への予感は,五〇代にも当然あっていい。ないというなら,五〇年分の垢をため込んで身も心もズッシリ重くなっているんじゃないかと心配する。(p16)
 幸せとは何だろう。金銭も地位も客観的現実にすぎない。それを幸せと感じるのは主観だから,幸せの正体は「幸せだと感じる心」があることだろう。(p23)
 値段とか地位とか,比較され得るものから得られる幸福感は,つねに不幸感と隣合わせだ。自分より上が現れれば,途端に幸福ではなくなる。
 比較しないというのはどういうことか。他人があらゆる意味できにならないということだ。自分だけのくつろげる空気に浸っていられることだ。(p26)
 生きていくのに大切なのは,世間が押しつけてくるモノサシを蹴っ飛ばして,生きたいように生きようと思う,そんな主観の強さだろう。言い換えれば,自分の内部に自分だけのモノサシを持つ。(中略)誤解されやすい言葉だけど,「地球は自分中心に回っている」と思ってもいい。(中略)自分があるから,周りの世界があるんだということだ。世界は自分の脳内に生まれた幻影だと思っても差し支えない。(p34)
 世の中のモノサシは全部川に流してしまうのだから,慚愧にたえない過去はもう忘れていい。モノサシがなくなればそこにいるのは別の人間だ。一度死に,そして生き返ることと同じなのだ。新しい人間としてこれからを生きる。少なくともその覚悟だけは旺盛に持つ。(p35)
 気力も主観だから,主観を強めることで客観を抑え込む。(中略)楽しいことを探す姿勢,生きがいを持とうとする姿勢が,「気」の高まりとなる。(p44)
 ぼくは典型的なB型のマイペース人間だ。ゴルフのアプローチのときでも,絶対に成功するいいイメージだけを考える。(中略)ぼくのようなタイプは,失敗したときのことを不必要に考えて悩まない。たぶん重病にかかっても,「なんとかなるさ」と,見舞いに来てくれた友人と,バカ話をする口だ。こういう気持ちが最大の治療法なのだそうだ。(p50)
 生きがいを持てない人の多くは,生きがいを探す以前に,自分に自信を持てない人が多い。自分を好きになれる人なら,生きがいを探すのにそう苦労しない。(中略)自分を好きになったり,自信を持つとはどういうことか、「我を忘れる自分」を知っていることだ。(p56)
 自分が肯定できれば,他人も肯定できるようになる。(中略)他人のアラばかり探すような生き方は,自己治癒力の低下にもつながる。損じゃないか。(p58)
 髪の毛が薄くなったり少なくなるのはやむを得ない。でも腹がせり出してくるのは,それと同列に語れない。それは(中略)「自己をコントロールする能力の欠如」なのだ。(中略)気にならないというのは単なる試合放棄,自分をコントロールする気持ちの張りすらなくなってしまっているということじゃないか。(p62)
 上昇志向はポキンと折れやすい。それは生きることの本質ではないからだ。(p78)
 気後れは,「人生の土俵は二〇代から定年までの四〇年間にある」と思うからだ。その時間を無為に過ごしたという思いから来る。そして,この歳でうまくやっていけるだろうかと臆してしまう。
 でもこれは間違っている。人生の勝負は常に「今」しかない。(p85)
 今やっていることが必ずその人らしさを作っていく。「あの人は昔,銀行の支店長だったんだよ」といくら近所の子どもに言っても,フーンで終わりだ。今が漁師ならその人は漁師なのだ。(p87)
 定年までの舞台が会社なら,定年後の舞台は家庭だろう。家庭でどれだけダンディでいられるか。(中略)舞台が変わってもダンディであろうとすれば,自分のことは自分でやれる男にならなければならない。(p95)
 妻にかっこいいと思わせるしかない。(中略)むずかしいことではない。身の回りのことは自分でやればいい。それだけだろう。(p97)
 素人料理のコツは手を抜くことだ。(中略)料理は手を抜けば抜くほどオリジナルになる。(p106)
 性の不一致というが,男と女の関係は性だけではない。一緒にいることが自然で,ホッとする空気がある。それが情緒だ。情緒の不一致は性の不一致以上にたがいを引き裂く。(中略)セックスレスでもうまくいっている夫婦は,情緒が合っている、(p118)
 定年をすぎると男は気弱で小さくなる。仕事とか会社とか地位とか,二回りも三回りも自分を大きく見せていた装置がなくなって,元の姿に戻ったということだろう。(p121)
 ならば今,何をすべきか。はしゃぎたい気持ちを抑えないことだ。(中略)いい歳してバカなことをやっていると思うなら,あなたの中の「少年」はすでに窒息してしまっている。(p123)
 買うのなら,可能な範囲で一番気に入ったモノを一個だけ買い,わが子のように大切にしたい。(p130)
 モノを修理して使う感覚を忘れてしまっていないか。(中略)何回も修理しているうちに,気のきいた趣味のひとつになるはずだ。(p132)
 贅を語れる人は,粗も語れなければならない。(中略)粗とはシンプルであるがゆに,その本質を堂々と表してしまっているものだ。(p134)
 若さの力は凄いもので,見ばえで言えば,特にオシャレをしなくても,溌剌さ,初々しさは伝わってくる。後半生になるとそうはいかない。だからこそ後半生でのオシャレが必要になる。(p137)
 外面が決まっていれば,きっといい人生を送ってきたんだと無条件に納得する。(p138)
 背広を着ている男を周囲の人が見て,「この人はサラリーマンだな」と思うなら,それは仕事着にすぎない。そうではなく,何をやっているか分からないが背広が似合うと思われたい。そういう男でありたいのだ。(p139)
 ひとり遊びができることが,自立している証拠だ。(p156)
 意外なものに出会って面白いと思えるのは,そろばんが得意とか字がきれいに書けるのと同じレベルの能力だと思う。(p166)
 たとえバス停で五〇分待たされても焦ることはない。(中略)五〇分間,停留所の周辺をウロウロできるほど自由なのだと思いたい。(p168)
 なぜ彼女たち(四〇代,五〇代の女性たち)は元気がいいのか。まず,周囲との年齢差を気にしない。一〇代向けの店にもどんどん入って,彼らと同じものを頼んで嬉々としている。(中略)もうひとつ彼女たちの元気の元には,人の気持ちをあまり忖度しないというのもあるだろう。(中略)自らの行動範囲を限定しない女性たちのなりふり構わなさは,十分に男たちのテキストになる。(p169)
 どんな趣味も,テーマを絞り込んだほうが面白い。(p180)
 一生懸命時間を作って,ヨシこれで明日はゴルフだ,そうおもうからわくわくする。(中略)いつでもできるなら何も今日やらなくてもと思うはずだ。(p183)
 プロを目指すのでないかぎり,早く始めたかどうかは関係ないはずだ。(p184)
 土に触るのは気持ちがいい。「気持ち悪い」という女性もいるが,生命力が弱くなっているんじゃないか。(p186)
 人生は死ぬまで未完なのだ。明日,何が起こるかすら分からない。(中略)人生を完成させることができるのは死だけだ。死をどう考え,どう対応するか。もともと,「生き様」なんて言葉はなかった。あったのは「死に様」という言葉だけだ。それほど死に方,人生のピリオドの打ち方は重要なのだ。(中略)散らかしっぱなし,迷惑のかけっぱなしでも,腹の据わった死に様ならば,周囲は納得してくれる。タレ流しのような人生でも,去るときの清々しさが,すべてを帳消しにしてくれる。(p202)
 最終的には「死んでみせる」ことを自らの存在理由にする。(p210)
 心を支配するものが欲望やモノだけだったら,心は何の仕事もしていないことになる。心の仕事とは,心自体を楽しませることだ。(p211)

2020年10月18日日曜日

2020.10.18 松浦弥太郎 『着るもののきほん100』

書名 着るもののきほん100
著者 松浦弥太郎
発行所 小学館
発行年月日 2020.02.01
価格(税別) 1,500円

● ユニクロのサイトに連載した短文をまとめたもの。短文といっても,読みきりのエッセイのようなものだ。
 いろんな理由でユニクロが嫌いな人でも,おそらく,読み進めていくことができるだろう。

● 以下に多すぎる転載。
 何をしたらよいか,何がしたいかではなく,今日,今,この瞬間,何を学ぶのか,何を学びたいのか,それだけでいいのだ。そのひたむきさが純粋な心なのだ。(p56)
 いつか読んだ,ソール・ベロウの『この日をつかめ』という一冊があった。その本の中に,現在と生きる,という一文がある。何事も今,今を見る,今を感じる,今と向き合い,今から逃げない,すなわち,今を大切にするという生き方だ。(中略)今から目をそむけない。明日や未来も,今この時,ここにあるのだから。(p78)
 仕事の見つけ方を僕は知っている。せっかくだから教えてあげよう。とても簡単だよ。それはね,自分がやったほうが,きっとうまくいく。もっとよくなる。要するに,きっと誰かの役に立つ。もっと誰かの役に立つということをすればいいのさ。(中略)もっと,困っている人を見つけよう。その人たちが何に困っているのかを知ろう。(p90)
 目に見えない場所こそが,実は汚れていて,そういうところをしっかりきれいにすると,掃除後のきれいさが違う。目に見えない場所だからこそ,きれいにすれば,なぜかその場の空気が変わる(p94)
 とにかく熟知。熟知に勝るものはないんだ(中略)とにかく一番詳しい人になればいい。そうすれば,みんな君を頼りにする。(中略)あとは,一番詳しくなったら,矛盾しているようだけど,自分よりも,さらに詳しい人を探すのさ。(p120)
 やりたいこと,やるべきことというのは,たくさんあるけれど,そのリストアップをして,正しい優先順位をつけられるのかどうか。これはすべての基本ではないのかと私は思う。(中略)大事なのは,その順番は常に変わるってことなんだ。いや,その順番を常に疑わなくてはいけないってこと。当然ながら,状況は常に変化するからね。(p129)
 そのビジョンを紙に書いて,じっと見つめてほしい。小さいんだ,きっと。そのビジョンが。(中略)自分一人のためになりがちなんだ。そんな自分一人のためだけのビジョンは何の役にも立たないので捨てたほうがいい(中略)ビジョンは,毎日,ほんとうにそれでいいのかと問い続けるのが大事。一度考えたからそれでいいと思ったらダメ。(p143)
 印刷技術や製本,紙,デザイン,その内容の表現など,すべてにおいて,その時代の才能とクリエーティブが,ぎゅっと凝縮された書籍という印刷物の美しさ。そして,情報ではなく感動を伝えるという本来あるべきメディアの姿から,今を生きる僕らが学ぶべき大切なことがある。(p189)
 相手が誰であろうと,仕事の話をする際は,その相手への敬意を払った服装をしていくのがマナーである。(p190)
 身だしなみとは,まず清潔であることだよ。髪型や肌,指の先,たとえば,匂いもそうだ。清潔であるということは,自分は人間関係を稚拙にしているという姿勢の表れだよね。(p191)
 僕らが一所懸命であることが,身だしなみからわかるからこそ,みんなは力を貸してくれるんだ。(p191)
 地図は持たない。そう,地図は自分で作るんだ。それが旅。(p203)
 何を着るかよりも,どう着るかのほうが大切で,その人が何を着ていたかという印象よりも,どんな着こなしをしていたかという印象のほうが記憶に残るのよう。(p215)
 そうなのよ。人生は自由。自由だけど,飾れないものでは駄目。飾った時に人に喜ばれるような人生を歩まないとね。(p274)
 自分がラッキーだと感じているのなら,それを当然と思っているか,もしくは感謝をしているかのどっちかだと思うけれど,(中略)感謝という態度があなたから消えなければ,あなたはずっとラッキーでいられるわ。(p278)
 むつかしいのは,ほんの小さなラッキーに気づくかどうかだと思うわ。ほとんどの人は,小さいラッキーのことを見逃してしまうわ。(p278)
 仕事って,自分が日々の暮らしの中で,与えられたラッキーを,自分のできることで返していくってことだと思う。(中略)そうすれば,またラッキーは与えてもらえるような気がするの。(p280)
 「嫌い」というのは,他人に対して自分を知ってもらいたいという自己顕示欲でしかなく,そう思うと,「嫌い」という意識を持つくらいばかばかしいことはにと思うんだ。(中略)もっと「好き」を大切にしたらいい。「好き」を増やせば,「嫌い」は自然と消えていく。(中略)「好き」でないことは,「苦手」ということくらいにとどめておくといい。誰にとっても「苦手」はある。まあ,言葉遊びのようだけど,「嫌い」という言葉には希望がないと思うんだ。(中略)希望を感じない言葉や考え方は,必ず誰かを悲しませてしまうよ。(p323)
 手首が見えていると,つないだ手と手がきれいなの。私は最近それに気づいたの。(p328)
 みんなあなたの笑顔に救われているのよ。なぜなら,あなたはいつも笑っている。いつも楽しそうなの。それはとってもすてきなメッセージになっているのよ。(p336)
 多くの人がしあわせになりたい,もっとしあわせになることを求めるけれど,それよりももっと大切なことがあるわ。それは喜ぶこと。私はね,心からの喜びって,しあわせよりもはるかに大きいと思っているの。(p337)
 フランス語が話せなければ話せるように学べばいいの。できないことを理由にしてはだめ。それよりも,あなたがパリに行きたいか。行きたくないか。それだけよ。(p346)
 とにかくたくさん着ていれば,自然と自分に合ってくる。(中略)服は飾るものではなく着るものだから。(p398)
 準備? そんなもの必要ないわ。迷いがないなら今,出発よ。(p427)
 悲しくなくても,ときどき泣かないと身体にわるいんじゃないかと思うのよ。私。(p432)
 父は散髪についても一家言あった。「伸びてからでは遅い。延びる前に切れ」(中略)下着の入れ替えも,この言葉に通じていて,古くなってからでは遅い。古くなる前に新しいのに替えるという考えだった。(p454)
 旅を楽しむなら,その街の朝と夜を味わいなさい。ただの朝と夜ではなく,早朝と深夜ね。(p458)
 否定したり,拒否したりするのは簡単。でも私は,できるだけ受け入れたいの。目の前で起きていることを・・・・・・・(p463)
 私は,とにかく自分が一番得意なことを,思い切りこの世界にぶつけたい。自分が大切な人を思い切り愛したい。照れずに,恥ずかしがらずに思い切りそうする。ただそれだけを精一杯やる。(p470)
 チャンスやラッキーというのは,いつだって試練や困難の先にあるもの。(p474)
 僕はこんなふうに自分の好みや習慣を変えるのは嫌いではない。それが自由ってものだし,その小さな変化が,新しい世の中を見せてくれることだってある。(p497)
 将来のしあわせよりも,今日,今のこの瞬間が子どもにとってしあわせであるように精一杯,接しよう。(p503)
 男らしさとは,清潔の中の無造作である。(p510)
 大切なのはなりたい自分をイメージすることさ。できるだけ具体的に。イメージさえできれば,それは必ず実現できる。とにかくイメージをすること。学びとはすべてそのためのもの・・・・・・(p514)

2020年10月10日土曜日

2020.10.10 成毛 眞 『この自伝・評伝がすごい!』

書名 この自伝・評伝がすごい!
著者 成毛 眞
発行所 KADOKAWA
発行年月日 2017.04.20
価格(税別) 1,400円

● 次の20冊の自伝・評伝の書評。
 アシュリー・バンス『イーロン・マスク』(講談社)
 小倉昌男『小倉昌男 経営学』(日経BP社)
 安藤百福発明記念館『転んでもたたでは起きるな!』(中公文庫)
 出町 譲『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(文春文庫)
 梶谷通稔『成功者の地頭力パズル』(日経BP社)

 藤原正彦『転載の栄光と挫折』(文春文庫)
 山中伸弥『山中伸弥先生に,人生とiPS細胞について聞いてみた』(講談社+α文庫)
 中村修二『負けてたまるか!』(朝日新聞出版)

 岡崎慎司『鈍足バンザイ!』(幻冬舎文庫)
 桂 米朝『桂 米朝 w他シオン履歴書』(日経ビジネス人文庫)
 小松茂美『勘三郎,荒ぶる』(幻冬舎文庫)
 樋口毅宏『タモリ論』(新潮新書)

 石原慎太郎『天才』(幻冬舎文庫)
 常井健一『小泉純一郎独白』(文藝春秋)
 山口敬之『総理』(幻冬舎)
 冨田浩司『危機の指導者チャーチル』(新潮選書)
 明石和康『大統領でたどるアメリカの歴史』(岩波ジュニア新書)

 中村彰彦『名君の碑』(文春文庫)
 福田千鶴『徳川綱吉』(山川出版社)
 徳永 洋『横井小楠』(新潮新書)

● 以下に多すぎる転載。
 ポイントはここである。マスクは大金持ちではないのだ。それはなぜかといえば,そこを目指していないからである。(p13)
 クリーンエネルギー技術の改良や人類の活動領域を拡大するための宇宙船開発を,幼い頃から自分の責任にように
とらえていたのだ。40代になった彼はこの2つを実現している。こんなことを実現してしまった源泉は,やはり空想うと現実の区別がついていなかった,というところにあるのではないか。(p14)
 マスクの少年時代の特徴としては,白昼夢と異常な読書欲と書いてある。(中略)学校の図書館で読む本がなくなると百科事典を読破したという。(p15)
 あり得もしないことを実現するのには当然,困難がつきまとう。この困難というのは「それは無理だ」という人間の存在だ。これがいちばんの障壁になるが,マスクはこういった声を押さえ込んできた。つまり関係者の「できない」を許さないのだ。(p18)
 商品やサービスをひとつに絞るのは大きな危険を伴う。まず,そのひとつがダメだったらどうなるのか,リスクの分散ができないということがある。また,既存の商品やサービスを捨てるというのは,そこに関わっていた取引先や顧客との関係を絶つことにもなる。(p23)
 「私はラーメンを売っているのではない,お客さまに時間を提供しているのだ」
 これがインスタントラーメンの成功の理由である。安藤は闇市でラーメンの魅力を感じたが,決してラーメン屋はやらなかった。安藤は高度成長期,生活が便利になるにつれて更新されていく需要を的確に把握していた。(p36)
 自分が上手くいかない現状を社会や環境や人のせいにする風潮があるが,うまくいかないのは自分が悪いのだ。不遇の理由を自分以外にあると考えた段階で,その人間に未来はない。(p36)
 私はいわゆる名言本はお薦めしない。偉人の至言・名言を読んでも「だからどうした」と感じる他ない。(中略)何故なら,気づきを与えてくれるような言葉には,必ず前後の文脈があって,そこが重要になるからだ。(p39)
 政治家たるもの我欲を挟むものではない,というようなことを本気で信じている。土光はあくまでそのあたりが純粋なのだ。政治家に倫理を求めるときも,本気だ。政治家は倫理に反することをすると騒ぎ立てられるから,気をつけろ,なのではない。(p43)
 土光はイメージを良くしようということで,メザシを食べていたわけではない。食べたかったから食べていたのだ。これが証拠に土光は質素に暮らしていたが,他者に質素であれ,と押し付けていない。(p44)
 もちろん休んで生産性が上がる人間はいる。それは一流の人たちのことだ。(中略)一流でない人間は休んでいる場合ではないのだ。(p45)
 私が何よりもすぐに思いつくビルの特異な能力は「一挙に3万人ぐらいの名前を軽く覚えられる」ということである。(中略)ようするに桁外れの記憶力があるということなのだ。(p49)
 まず,念頭においてほしいのは,数学者がこの世に存在する,いわゆる「頭の良い人たち」の中で最高レベルである,ということである。(p60)
 私たちはとかく理解不能な人や事を低く見る性質がある。(p65)
 科学者を怒らせる質問として「これが何の役に立つんですか」というのがある。なぜ怒るのか,その理由は何の役にも立たないから,である。(p69)
 科学者が好きな言葉には「分からない」というのがある。(中略)常に何か分かろうとする姿勢でいたら,科学者は5分と持たないのだ。当然,日々,成果を迫られている市井の人間は,こういった事情を理解しえない。よって「何の役にたつんですか」という質問をしてしまうのだ。(p69)
 山中の理念を分析すれば「研究をするためには金が必要で,金を集めるためには誰もが納得する目的が必要」という順番になる。(中略)表面的には「人の命を救うため」としながら,山中の動力はあくまで表面的な目的ではないのだ。(中略)つまり義憤が動機ではない。(p72)
 よく戦場カメラマンが正義の味方のように報じられるが,彼らの中には「戦争が好き」という動機で専従しているケースが少なくない。つまりその多くは「戦争がなくなったら困る」と思っている連中だ。(p73)
 「負けてたまるか!」。これが中村の原動力であり,(中略)中村の才能だ。(中略)「青色LED」を発明したことが,中村の特別さではない,ということを認識していただきたい。中村の特別なところは「『研究のためには喧嘩も辞さず』ではなく『喧嘩のためには緊急も辞さず』」という基本姿勢にある。あくまで「喧嘩」が先なのだ。(p77)
 中村は「つぶれそうな会社を救うため,全く勉強してこなかった研究分野に挑み,それを発明してしまった」のだ。(p80)
 この笑いは自己顕示欲(=自分はかっこいい)がある人間には絶対できない。(p87)
 「僕はいつもネガティブなイメージを持っている。メンタルトレーニングのほとんどが,成功する自分をイメージして,というポジティブなものなので,いつもお断りしている」とある。(中略)ガッツポーズで喜ぶ完全無敵のヒーローよりも,悩み多き達成者のほうがたくさんの発想とたくさんの言葉を持つはずだ(p91)
 イチローに代表されるように,アスリートはr-ティンを守るものだという先入観があるが,岡崎はゲン担ぎもしないし,こだわりも全くないという。積極的にルーティンを壊すと,新しいことに出合える確率が増えるというのである。(p94)
 少し,持ち上げられると専門家ヅラになる面々はどこの分野にでもいるが,芸人がここに参入しつつあるように感じるのだ。米朝は自伝で私の意見に少し,賛成してくれている。「落語は,笑われてなんぼ」と書いているのだ。「笑わせる」ではなく「笑われる」。(p102)
 米朝はパイオニアなのだ。瀕死の落語を復活させたのではない,違うステージで生まれ変わらせたのである。(p103)
 私はビジネスマンの研鑽を考えたときに,普段使わない英語を習うぐらいなら,歌舞伎を観たほうがいいと思っているのだ。(p105)
 勘三郎の他者に対する評価の仕方が心地いい。勘三郎は人を評価する際に同じ言葉を使っていない。そこには,人はそれぞれに優秀さが違う,替えがきかない才能を持っているのだ,という敬意があふれており,むやみやたらな褒め方になっていないのである。(p111)
 私は近年の「テレビを観ていない」という主張が散見される状況に疑問を感じ,やたらとテレビを観るようになった。驚かれるかもしれないが,週に視聴する番組は30本をくだらない。その中には,ドラマも4,5本入っている。(p113)
 タモリはあれだけテレビで身をさらしながら,ほとんど身の切り売りはしてこなかった。つまり,視聴者はタモリがどんな人だか,分からないのだ。テレビというメディアは,画面に映る人間のパーソナルを赤裸々に暴く特徴があるが,タモリはその特性の範疇に入ってこないのである。(p115)
 悲しみは笑いを邪魔する要素になりうるが,タモリは悲しみをまとった珍しいコメディアンなのである。(中略)近年は自虐が笑いのひとつのトレンドになっている。(中略)これは悲しみを逆転の発想で,笑いに変えるといった構造になっている。(中略)タモリは悲しみを道具にしていないし,逆転させてもいない。悲しみを笑うのではなく,悲しみを悲しみとしてまとっているのだ。(p117)
 笑いというものは,そもそも悲しみを宿した人間でないと提供できないのではないか。果たして,毎日が楽しくて楽しくて仕方がない人間が笑いを届けることができるだろうか。(p118)
 タモリは決して専門家にならないということだ。えてして,彼ほどのキャリアを持つ有名人であれば,コメンテーターといった役割を求められることが多い。事実,北野武や松本人志など,こういった求めに喜んで応じている有名人は少なくない。だが,タモリはコメンテーターなどやらないし,そんなコメントを求められても,(中略)「もう忘れました」と答えるだろう。(p119)
 「俺は無類の人間好き。人間の生き様にしきりに興味がある」。(p125)
 エリートというのは何とかして相手を見下そうとする癖があるが,田中が来てその構造がなくなった。(中略)人間というのは得てして微差に反応するものだ。つまり,官僚にとって田中は見下す対象ではなかった。結果,ここでも田中は自分の出自を最大限利用したことになったのである。(p126)
 田中に驚愕するのは選挙を人と出会う場と考えているところだ。(中略)つまり選挙を勝ち負けで考えていない。勝っても負けても本気で「ありがとう」と握手をする。(中略)この感覚は日本人の情に訴えるにはかなりのインパクトがあるだろう。(p127)
 「大事な頼みごとに金を持参するのは当たり前」という部分が出てくるが,田中が金だけ持っていって,お茶を濁していたわけではないことは明白だ。田中には土方の経験が深く刻まれていたが,田中が肝に銘じていたのは体を動かすことではなかったのか。(p129)
 往時は田中に反旗を翻していた,この本の著者である石原慎太郎が「長い後書き」と称して,田中にゴルフ場で声をかけられたことを何とも嬉しそうに書いている。(p130)
 田中は決して反知性主義ではない。田中はエリートの向こうをはって,対立していたのではないのである。あくまで誰に対してもリベラルなのが田中の特徴だ。出身大学や肌の色で人を判別しないというところも田中の人脈力の源泉と言えよう。(p131)
 「角福戦争など実際にはなかった。圧倒的に出自が違った。だが,あれは水泳の試合みたいなもので,あの試合で俺は役人天下にひと泡吹かせてやったと思う」。(中略)ここで我々が注目しなければならないのは「ひと泡吹かせてやった」の部分ではない。水泳の試合なのだから,負けたってどうということはない,というところに田中の重要な感覚がある。(p131)
 小泉は既存の権力に抵抗し続けた政治家なのだ。(中略)小泉は人づきあいよりも公憤を取った。決して調整型ではなかったのが小泉なのである。(p135)
 あのときは郵政民営化の中身を国民が理解していたわけではないが,国民は政治家に抵抗する政治家がまぶしく見えたのだ。調整型でなくても人がついてきた。これも小泉の特別なところだ。(p136)
 小泉の特徴である「ネチネチしていない」がここにも表れている。とにかく終始一貫明るいのだ。そして発言の全てにおいて,何かに対して抗っている構造がある。(p137)
 小泉の言葉には真剣さを感じたが,これは選んでいる言葉ではなく,発言している姿や決して長ったらしくないという要素からもたらされている。加えて小泉の言葉はひとつも難しくない。内容よりインパクト重視なのだ。プロンプターや図表を使うのは最悪,という言及も出てくるが,これらに傾注すると伝えたいことが伝わらないことを小泉はよく知っている。(p138)
 抵抗する力と言っても,ただただ反抗するというのでは,話にならない。常識人が抵抗するから話になるのだ。(p139)
 元々こうなっているから,こういう決まりだから,ということについて小泉は寄り添おうとせず,おかしいと思ったら一直線に抵抗し続ける。その愚直な姿に国民は胸を打たれたのではないだろうか。(p140)
 安倍の幸運力でいえば,1回目の辞任の理由が病気だったことだ。これが病気でなかったら2回目はなかったろう。(p143)
 100万部のベストセラーを読んで,100万人と感覚が同じであれば,それは読んで得た知見の価値が100万分の1になっていることになる。これからは知見の差別化が物を言う時代だ。(p145)
 推薦本(山口敬之『総理』)には組閣案など緊張感のあるやりとりの現場に著者がいたことが明かされているが,政治家は国家の大事を左右するような話をするときに記者など呼ぶはずもない。著者が聞いたのは「政治家が記者に聞かれても困らない話」ということだ。私がここで読者に注意喚起したいのは,推薦本に書いてあるようなことを鵜呑みにして「安倍さんはこんな人なんだ」と思ってはいけない,ということである。(p147)
 とかく,評伝の類は「この人物はすごいことをした」といった美化をしていることが多い。悪いところには目をつぶり,何とかして良いイメージにしようという強制力が働くのだ。ここには注意が必要である。(p151)
 私がチャーチルにおいて特別だと感じる能力は「貴族力」である。まず出生地が広大な宮殿,しかも世界遺産だというのだから尋常ではない。(p152)
 チャーチルは戦時において名声を得たが,この原動力になった才能が庶民の気持ちがわからない貴族力である。例えばチャーチルは,ドイツに暗号解読が成功したことを勘づかれないために,その作戦内容を知りながらロンドンの空襲を眺めていた。逃げ惑う国民を見殺しにしたのである。つまりチャーチルは,国民を勝たせるために戦争をしたのではなく,国を勝たせるためにその才能を発揮したのだ。(中略)チャーチルは何か決断するときに,いろいろ人間の顔が浮かぶタイプではない。国が勝つためなら,国民が死ぬのはかまわないのである。(p153)
 チャーチルは政治感なんかではなく,根っからの文筆家であったことである。何せ,チャーチルの従軍は,義憤や軍に所属していたからといった理由ではなく,戦記を書くためだったというのだ。(中略)チャーチルは記者として,自らを新聞社に売り込み,従軍したインド,スーダン,南アフリカ,どこででも戦記を書き,それを発表して稼いでいたという。こうしてチャーチルは,20代で既にベストセラー作家になっていたそうだ。(p154)
 私が本書で強調したいことのひとつに「古典を読む必要はない」ということがある。とかく,教養の分野では「古典にあたれ」ということが喧伝され,読者に配慮のない専門書のような本が薦められることが多い。しかし,こういった風潮には「古典をすすめると見識が高くみられる」という強制力が働いている。(中略)せめて夏目漱石や森鴎外ぐらいを読んでいなくては,という強迫観念があるが,全く読む必要はない。(p171)
 問題解決にあたっては,あくまで現代に起点をおいて学び,考えるべきなのだ。現代を学びつくしてから,歴史にあたるのはいいが,現代を学びきっていないのに,歴史を学ぶのは見当違いという他ない。(p172)
 AIの時代である。よって,さらに古典には意味がなくなる。人工知能はこれまでの情報の蓄積であるから,古典などすべてお見通しだ。(中略)古典を知っているという素養で特化される分野は,これから全てAIに置き換わる。よって,私たちに求められるのは,蓄積がない今を起点として考えることだ。(p172)
 よく今はリーダー不在と言われれが,リーダーよりも重要なのが社会のビジョンを時代に合わせて描ける人間だ。(p173)
 バブルが崩壊し,低成長時代に入った日本をみると,日本はつくづく個人主義が合わない,と思うのだ。(中略)私は若い人と話しているとつくづく「江戸だな」と思うのだ。シェアハウスなどはその典型かもしれないが,議論するより,ぐっとこらえて仲良くする。こういった姿勢は欧米にはない。(p178)
 なんといっても大化の改新の頃から武士の時代を経て,日本は「人を殺すこと」が問題解決の方法だった。(中略)当然であるが,1000年続いた社会通念を変えるのは一筋縄ではいかない。よほどインパクトのある方法をとらなければ,「命を大切に」という意識改革はできない。(p181)
 「殺してしまえ」ができなくなると,人と理解し合うためにはどうすればいいか,ということを必然的に考えなければならなくなる。ここで助けとなるのが学問である。どんな学問でも効用としてあるのが,視野を広げてくれることだ。(p183)
 変革というのは,変えた後が大変である。(中略)既存勢力を倒すことよりも,その後の社会構築のほうが何杯も労力を要する。(p188)
 小楠は,勝(海舟)にアメリカの事情を必死に聞いたというのだが,一を聞くと一〇を知るといったふうに,勝が話し終える頃には,すっかり米国通になったそうなのだ。体験せずともそれを理解する力,これが小楠の特徴的な才能といえよう。とかく日本は「現場主義」などといって,体験至上主義のようなところがある。「行ってみなければ分からない」「やってみた人が偉い」というような感覚だ。(中略)特にアメリカでは,「現場主義」というような考えはない。体験しないと理解できない,といったことでは話にならない,と考えられている。(p190)
 ここまで開明的だった小楠がなぜ歴史的に扱いが軽いのか。その理由は,小楠が革命家ではなかったからである。(中略)人にはどん欲に会ったが,行動派というには程遠かった。(中略)日本人は「隗より始めよ」といった姿勢が大好きである。言うことと行動が伴わないことを嫌うのだ。(p194)
 事ここに至るまでには多くの人命が失われているがゆえ,変革には細心の注意が必要なのである。ここで小楠のような存在が必要になる。災厄を最小限に抑えながら,変革を起こす。そしてその後,どうしたいのかというビジョンを明確にする。ただ,行動すればいいというものではない。(p195)
 私はこの脈絡のなさが大事だと思っている。何の脈絡もないのが人生ではないだろうか。(中略)我々は想定外に対しての免疫をつけておかなければならないのである。(p197)
 それはとかく人が,ひいては世の中が美談を急ぐからだ。美談を急げば本質を見失う。今回,私はその本質をついただけなのである。(p198)

2020年10月3日土曜日

2020.10.03 堀江貴文 『好きなことだけで生きていく。』

書名 好きなことだけで生きていく。
著者 堀江貴文
発行所 ポプラ新書
発行年月日 2017.05.08
価格(税別) 800円

● スッスと読んでいける。これまで刊行された本との重複がだいぶあるからだ。ふん,これはもう知ってるぞ,というところがだいぶあるからだ。
 が,知ってるだけではダメだ,行動しなければ,というわけだ。そこのところが本書では強調されている。

● ぼくもそうなんだけど,本が好きな人って,行動が嫌いな人だよね。もちろん,例外はあると思うんだけど,行動するために読んでいるんじゃなくて,知りたいから読んでいる。あるいは,読むこと自体が好きだから読んでいる。
 だから,本で行動を説いても,まずもって伝わらない。行動する人は本などあまり読まないだろうからだ。

● 以下に転載。
 あなた以外の人間なんて,所詮あなた以外の人間だ。無責任なものだ。あなたの悪口を言ったって,陰でバカにしたって,そんなことは次の日にはケロッと忘れている。(中略)そんな人間の目を気にして,あなた自身が自分の人生を無駄にしていいわけがない。(p6)
 人間は,言い続けられなければテンションを保てない生き物(p27)
 僕は,「実践を超える勉学は存在しない」と思っている。実践,行動してみて初めてわかることがる。初めて見える問題点がある。(p35)
 「協調性」というのは,周りと同じことをするということ。周りとまったく同じことをしていたら,それはだめでしょう。周りと違うことを常に考えないと。こんなシンプルなこと,なぜわからないのか。(p47)
 バンジージャンプなんて本来は「誰でもできる」。理由はいたってシンプルで「ただ飛び降りるだけだから」だ(中略)それだけのことなのに,「できない!」「怖い!」などという感情にとらわれ,流されるままになっているから話がややこしくなる。バンジージャンプをする前にためらう時間なんて,タイムロスでしかない。(p61)
 この人工知能を否定的に見るか,肯定的に見るかで,その人の知性がバレる。僕はそうとらえている。(中略)なぜ人工知能を「使いこなす」という視点に立てないのか?(p63)
 多くの企業では不況時に無理矢理仕事をつくって雇用を維持して,赤字になっている。つまり社員たちに給料を払うために社会全体で無駄な仕事をつくっているだけ。その中で,皆が労働信仰に支配されてイヤイヤ働いている。(p69)
 僕たちがなすべきこと。それは,社会の慣習や常識にとらわれて打算に走りすぎることではなく,自分の「好き」という感情に,ピュアに向き合うことなのだ。(p72)
 「人生,うまくいくと思い込んだもの勝ち」
 僕はまだ学生の頃から,こう信じて行動してきた。(中略)堀江流のマインドセットを明かしておこう。それは「いま,ここ」に集中することだ。(p79)
 アカデミックなテーマを扱うイベントの場合,その周辺にはエンターテインメント的な受け皿も用意されていることが絶対に必要だ。真面目な話ばかりじゃ,人はなかなか集まらないし,盛り上がらないからだ。(p85)
 どんなに生まれつきの能力が高い人だって「自信をコツコツ積み上げる」ことを怠ったら,その時点から伸びなくなってしまう。(p88)
 「放送時間にテレビの前にいるよう強いるなんて,どれだけ殿様商売なんだ!」
 あなたはそう感じないか?(p104)
 フランチャイズ経営で名の通ったチェーン店ではなく,個人経営の飲食店にもっと行くべきだ。そこには「労働条件ガー!」と労働基準法を振りかざすだけの労働者はいない。自分の名前,店の看板だけで夜の中に打って出ようとする「勝負し」のような店長やシェフ,そして志あるスタッフたちに出会えるはずだ。彼らの背中から,学ぶべきことは無数にある。(中略)彼らは「好きなことだけして生きている」良いお手本だからだ。(p106)
 本屋は「アート」「文化」といった高尚なイメージが強い。他の小売業と比べても,強烈なアドバンテージがある。(中略)書店は「本」というモノを売るだけではなくメディア,さらには文化のハブとんる可能性を秘めている。極端なことを言うと,「書店」という場がメディア的にうまく機能してくれて,高い宣伝効果をもたらしてくれたら,書籍販売からの収益なんて,非常に小さい話になる。(p108)
 多くの社員を雇うということは正直リスクでしかないと思っている。それにストレスも多い。(p114)
 よく「インタビューは直接会わなければ熱量が伝わらない」「直接,目を見て話さないと真意がわからない」などと言うインタビュアーもいるが,(中略)やろうと思えばどこにいても,どんな手段でも,熱量のあるインタビューはとれる。それこそインタビュアーに熱量があれば。(p127)
 家や車などの高額商品への執着から身軽になることには,多くのメリットがある。(p134)
 「スマホさえあれば,手に入らない情報なんてない」
 そう断言してもよい。(中略)自分の情報感度を正しく保つためには,信頼できる識者を何人かフォローして,「最低限の常識」「現時点での定説」を身につけておくことが重要だ。(p136)
 中には「有料メルマガをわざわざ購読するのか?」という声もあるだろう。しかし,それは「情報=無料」と思い込んでいる人のほうがおかしい。有料メルマガの発行者たちは皆,心血を注ぐだけでなく資金も投入して原稿を書いている。(p138)
 そういったセレブ客の自尊心は,一般人の賑やかしがあってこそ満たされるものだ(p139)
 人は必ず先のこと,つまり未来を考えるようにできているという。「今の私のことを知ってください」「私ってこんな人間なんです」
 そんな「現在形だけのコミュニケーション」ほど無駄で,虚しいものはない。(p144)
 まずは走りだしてしまい,それから修正を加えていくほうが,物事は早く進んでいく。いつまでもグチグチと悩んでいる人は,「行動しなくていいための言い訳」を考えているだけの人だ。また,そんなことで悩み続けて行動に移せないことは,その人が本当にやりたいことではない,とも言える。本当にやりたいことは,人はほうっておいてもやる。(p146)
 利益の源であり,世間に大きな影響力を持つインフルエンサーでもあるセレブを大事にすることは,ビジネスにおいて本当に大切だ。(中略)チケットが高いことで文句を言うようなお客さんは,そもそも来てもらわなくてもいいと考えるべきだ。(p148)
 今や検索エンジンは持ち歩ける時代になっているし,わからないことなんて即座に検索できる。ほんのひと手間だが,検索をするかしないかでは,人生の明暗がわかれる。(中略)現代に必要なスキルは,もはや「記憶力」ではなく「検索力」だ。(中略)これからは検索が「劇的に速い人」と「絶望的に遅い人」とに二極化するだろう。(p157)
 まともな企業は,もうキュレーションメディアの運営に手を出すことはないだろう。それでも残っているキュレーションメディアは,互いにネタをパクり合うことで成立している。(中略)そんな状況だからこそ,最近は自ら一時情報を取ってくることができる人が注目を浴びやすくなった。(p176)
 没頭しないまま何かを好きになることなど基本的にありえないし,没頭さえしてしまえば知らぬ間に好きになっていく。(p181)
 やりたいことや,ハマれるものが見つかったら,毎日自発的に思いを発信し続けることが大切だ。(中略)稚拙でもいいから,読み手に「熱さ」が伝わるものでなければいけない。(p181)
 それは「好きなことだけで食べていくために,売れたり名前を広めたりするには,地道な努力だけでは足りない」ということだ。どこかでトリッキーな行動を起こしたり,極端なアイデアを発信したり,人とは違うことをしないといけないと,現実的にわかってほしい。(p183)
 自分の好きなことがニッチであればあるほどチャンスがある。競争相手も少ないし何かをきっかけにすレークできれば,その分野のパイオニアとして活躍できる。(p185)