2020年10月26日月曜日

2020.10.26 勢古浩爾 『続 定年バカ』

書名 続 定年バカ
著者 勢古浩爾
発行所 SB新書
発行年月日 2019.11.15
価格(税別) 850円

● 『定年バカ』の続編。趣向は同じ。定年本を肴にして,それをこき下ろす形で自分の意見を開陳していく。もちろん,こき下ろさないで賛意を表しているものもある。橋本治,佐野洋子,楠木建がそれにあたる。
 著者は『定年バカ』で自分の退職金や年金の額を具体的に開示している。定年前に関連会社の役員になったものだから,退職金も早めに受け取ることになったようなのだけども,たしかに大企業や公務員を定年退職した人に比べるとだいぶ少ない。
 そのことが,著者の好きにすればいいのだという言い分に何がしかの説得力を付加しているかもしれない。

● が,在職中から評論や随筆を書き,著書も出している。退職したのは文筆業に専念したかったからではないかと思われる。そして,いよいよ快調に著作を重ねている。『定年バカ』もそうだが,出版不況の現状下でかなり売れた著書も多い。
 会社を辞めたという意味で定年者には違いないのだが,著者は仕事を辞めたわけではない。現役の作家だ。そこは押さえておかないとね。 

● 以下に転載。
 どうして「定年」は,個人的・私的であることを超えて,こんなに社会的な大問題になったのだろう。銀行,保険,証券,出版,旅行,葬儀などの企業が,「定年市場」を作ってしまったからである。つまり,定年は金になるとわかったのだ。(p5)
 定年退職者たちの不安をかきたてるような風潮がでてきた。市場として成立させ,拡大していくためには,不安を煽って不安産業化するのが手っ取り早い。健康・美容産業の手口である。(p20)
 現在の私の悩みは,老人になりきれないことである。客観的にいえば,わたしは見た目は完全な老人である。口を開けば,わたしも自分のことを多少の卑下や自虐を込めて「じじい」と自称したりする。しかしながら本心をいえば,私は自分をまだ「じじい」だとは思っていないのである。(中略)考え方も幼稚である。自分で年齢相応に成長しているとの自覚がない。(p50)
 「老い」を認めたくないから「まだ若い」と言い張るのではなくて,「若い」という基準しか自分を計るものがないから,ついつい「まだ若い」になってしまうのでしょう。(橋本治 p55)
 今より情報が少なかったときは,全部自分で決めたのに,今では自分の判断で損をすることになっては元も子もないと,なんでもかんでも「専門家」に頼ろうとして,「FP」だの「家計コンサルタント」という「専門家」に教えてもらいたがる。これが愚かである。(p85)
 日本人は全般的に差別意識の強い国民だと思う。長いものには無抵抗に巻かれるが,弱い者いじめは大得意である。その逆に「ヤンチャ」は持ち上げる。(p101)
 吉越氏は毎年,一年の半分を南仏のモンペリエで過ごすらしいのだが,(中略)わたしは毎年お盆の時期に四日間だけど,家族と一緒に安曇野の実家に帰りますよ,という人がいるなら,吉越氏のモンペリエとまったく互角である。(中略)おや,こりゃ羨ましいですな,とすぐ忘れることができるようなら互角だが,いつまでもうじうじ愚痴や嫌味をいったり,ケッと腐っている人間は負けなのである。(p134)
 定年後にいかに生きるか,いかに働くか,どんな趣味を持つか,老後をどうとらえるか,などについては,人はけっこう自分の意志や考えを強調しがちである。(中略)そして,その根拠の正しさを説く。(中略)もっともらしい理由を述べる。だが結局は,自分の経験と立場の自己肯定である。(中略)自身の好き嫌いなのだ。(p153)
 わたしは人の人生を見るのは好きである。しかし案外,人の生き方というものは参考にならんもんである。(p155)
 「不自由から解放されて,自由になるために教養がある。それは自分に固有の好き嫌いを自覚し,それを価値基準として思考し,判断し,行動することにほかならない。ごくあっさり言えば,教養の正体はその人の好き嫌いにある」(楠木建 p167)
 自分の価値観は好き嫌いとして表れる。(中略)大勢的な価値観とは,たとえば活動的な人間や友だちの多い人間ほど生き生きとしている,SNSは活用すべし,日本の先輩後輩関係は美的伝統だ,多趣味の人は人生や生活を楽しんでいる,というバカっぽい人間観や人生観のことでる。(p168)
 人間とは案外動かないものである。(p180)
 信じられないことにオヤジは,自信をもっているようなのだ。(中略)おれなら許されるだろう,と自分には甘いからいつまでもセクハラもパワハラも止まらないのだ。(p190)
 中年のおばさんたちが,番組でやってきた火野正平や笑福亭鶴瓶を見て,興奮しまくるという姿が,わたしには醜い姿としか映らない。一時,韓流ドラマに入れあげた佐野洋子は,おばさんたちは「華やぎ」たいのよ,といっていたが。(p192)
 ここ十年,二十年のわたしの気分でいえば,これ以外にない。「ろくでもないものだ」
(中略)若干の厭世感がある。人間の作り上げた「意味のシステム」(価値の体型)のほとんどを疎ましく感じるようになった。(p200)
 よくおばさんたちが「年を重ねた美しさ」というが,たいていそんなものはない。(p213)

0 件のコメント:

コメントを投稿