2017年12月27日水曜日

2017.12.27 髙村 薫 『空海』

書名 空海
著者 髙村 薫
発行所 新潮社
発行年月日 2015.09.30
価格(税別) 1,800円

● 空海については,先月,松岡正剛『空海の夢』を読んで,疲労困憊したというか,何を読んでももう仕方がないかもしれないな,と思ったというか。
 が,気を取り直して,今回は髙村薫さんのこの本を。

● 著者が女性だと,女性ならではの視点でという言い方をされがちなものだろうか。文章に柔らかさは感じたけれども,女性の視点というのは,たとえあったにしても,ぼくにはわからないだろう。
 が,文章を書くことを業とする人ならではの視点というのはあるかもしれない。空海の言語感覚への言及と,恵果の空海への賛辞の捉え方にそれを感じたのだが。

● 以下にいくつか転載。
 坂上田村麻呂の蝦夷征伐後,東北の土着の祈りを教化してきたはずの仏教は,神々や祖霊たちとともに生きる民衆の祈りに,いつの間にか逆に吸収されていたのである。(p13)
 三一歳の山内のある住職は,修行より人間関係の難しさに苦労したとさらりと語り,二〇一三年三月に専修学院を出たばかりの二十代の青年僧も,学院で一番きつかったのは寮生活の人間関係ということだった。どちらも実に好青年であり,密教の神秘体験は自分にはないと話す。(p19)
 自身の役割についてのこの平明な確信こそ彼らを明るくしている当のものだとすれば,彼らにこうした確信をもたらす真言宗もまた,平成のいま,とにかく明るく風通しのよい相貌をしているということになろう。(p22)
 千二百年という年月は,私たちがふつうに想像をめぐらせることのできる範囲をはるかに超えている(中略)千二百年前の日本人は,一言で言えば今日とはかけ離れた常識や価値観,世界観をもって暮らしていたのであり,私たちのものの見方では測れないと考えたほうがよい。(p26)
 歴代天皇たちの、仏教へのこの認識の高さはどうだろう。(p31)
 これ(空海と恵果の劇的な出会い)については,(中略)中国人らしい歓待の世辞であった可能性もないことはない。空海が記した恵果とのやり取りには,後者(世辞)ではないかと思われれる言辞が随所に見られる(p55)
 つながるはずのないものをつなげるためには,本来の意味を不断に読み替え,最後は論理を超えてゆかねばならない。(p70)
 それにしても空海は強運の持ち主である。そこに並外れた情熱と行動力,気配り,積極性,筆まめ,文才が加わればもはや無敵だろう。(p72)
 宗教的確信は,論理を超越する。信心に無縁の人間が宗教者の著作に触れるときに感じる違和感がそれである。空海の,言葉への並外れた執着と独創的な言語感覚は,同時代のほかの仏教者には見られないものである。いわば言葉で世界を言い表すというより,ことばで世界を強引に創造してしまうと言おうか。(p74)
 文字へのこの特別な傾倒は,空海を同時代に屹立させている最大のものだと私は思う。(p79)
 仏陀の死以来,人びとが追い求めてきたのは仏舎利や仏像といった目に見える信仰の対象であり,そうした具体的な対象があったからこそ仏教が営々と永らえてきたことを思うとき,目に見えるものとしての曼荼羅への空海の直観的な傾倒は,よく理解できるような気がする。(p94)
 唐から請来したすべての経巻や法具や仏画を,金剛峯寺ではなく東寺に納めたことを見ても,空海が東寺を日本の青龍寺とみなし,真言密教の根本道場にせんとしていたのは明らかである。(p107)
 近年の研究では,空海が没して以降,数百年にわたってその著作が宗派内でひもとかれた形跡がない,というのである。にわかには信じがたい話であるが,それが事実なら,祖師空海の眠る御廟はともかく,その生前の偉業はすっかり軽んじられ,あるいは忘れられていったことになる。(p111)
 日本仏教を底辺で支えた高野聖は,高野山と弘法大師を千二百年生き延びさせた最大の功労者であることに疑いはない。(p128)
 お遍路たちの気分を一言で言えば,高揚と多幸感であろう。そしてその高揚こそが,ときにお大師さんを出現させる当のものだと思う。(p139)
 この空気は地元の人びとにも伝染する。(中略)お遍路の姿を見ると自然にありがたい気持ちが湧き,お接待に走る。四国遍路に特有のお接待は,大師への喜捨という側面もさることながら,地元の人びともまたある種の高揚感に包まれていると考えるほうが分かりやすい。(p142)
 最澄は晩年,東国の法相宗の学僧徳一と法華経の解釈をめぐる論争に明け暮れたことが知られているが,教相判釈への徹底したこだわりは,すべての顕教を呑み込んで障りなしとした空海と大きな対照を為す。(中略)すべてを包含してみせた真言密教はそれゆえに大胆な進化を停止し,ぐずぐずと論争の続いた天台教学は,それゆえ進化もあったのだろう。(中略)論理を超越したものは論理によって批判されることもない代わりに,大きな変化や革新からは孤絶するのである。(p177)
 恵果をして「相待つこと久し」と言わしめた空海の名声とは,その博識や学習への情熱といった抽象的なものではなく,誰もが眼で見て分かるものから来ていたはずである。そう,空海はその全身から菩薩のようなオーラを発していたのではないだろうか。(中略)入滅後,急速にその名声が退いていったのも,眼に見えるオーラがなくなったためだと考えれば,一層分かりやすい。(p184)

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