書名 自分でつくるセーフティネット
著者 佐々木俊尚
発行所 大和書房
発行年月日 2014.08.05
価格(税別) 1,200円
著者 佐々木俊尚
発行所 大和書房
発行年月日 2014.08.05
価格(税別) 1,200円
● ネットでゆるいつながりを作って,“善い人” になれ,それがセーフティネットになる,という主張。その前提になるのが「総透明社会」という概念。ネットでは自分を偽ることはできない,良くも悪くも丸裸になる。岡田斗司夫さんの「評価経済社会」とかなり親和性が高い考え方かと思う。
ネット(主にはSNS)がそういうスクリーニング的な作用を果たすかといえば,ぼくはかなり懐疑的。いずれ,一個人のネットでの発言など,誰も読まなくなるだろう。いわゆるインフルエンサーは残るだろうが。
なぜかといえば,第一につまらないからであり,第二に時間を喰うからであり,第三に等身大を伝えていないからだ。新聞,雑誌のあとは,SNSに冬の時代が来ると予想しておく。
ネット(主にはSNS)がそういうスクリーニング的な作用を果たすかといえば,ぼくはかなり懐疑的。いずれ,一個人のネットでの発言など,誰も読まなくなるだろう。いわゆるインフルエンサーは残るだろうが。
なぜかといえば,第一につまらないからであり,第二に時間を喰うからであり,第三に等身大を伝えていないからだ。新聞,雑誌のあとは,SNSに冬の時代が来ると予想しておく。
● 以下に多すぎる転載。
「理」だけが勝って「情」がない世界で,わたしたちは生きていけません。そんな冷酷な世界でも生きていけるのは,ほんのひとにぎりの「猛獣」「野獣」みたいな人たちだけでしょう。(p8)
ジャーナリストといえば「無頼派」みたいなイメージがあり,昔だったら新宿のゴールデン街あたりで飲んだくれて,深夜には殴りあいのケンカなどして,どっかのママとねんごろになって,みたいな生活をしていた人はけっこういたんじゃないかと思いますが,二〇一〇年代のいまはそんな雰囲気などかけらもなくなってしまいました。いまのわたしは生活をととのえて,毎日早朝に目覚め,五キロのランニングも毎日こなし,健康な生活を心がけ,夜はさっさと眠ってしまいます。そういう質素で健全な生活を日々の軸としていくことで,この有為転変の嵐のような世界でも自分を保てているんじゃないかと思います。(p23)
妻は社内結婚だし,住んでいるのは社宅か,会社の信用組合で借金して建てた一戸建てとかマンションだったし,遊びは週末の会社の野球部かゴルフ。だから自分とこの一家は完全に会社に取り囲まれてた。
もはや世界には会社と家庭のふたつしかないという,極端なライフスタイルです。(p33)
これは安定しているかわりに,息苦しくもあった。だからこの時代の日本では,脱出することにみんな憧れた。遠くに行けてしかも自分だけの個室を持てる自家用車にみんな憧れたし,流行家は『遠くへ行きたい』とか『心の旅路』とか『俺たちの旅』とか,どこか遠くに行きたいなあという憧れの歌がとても多かった。(p37)
当時は,「ふるさと」「故郷」ということばに,特別な意味があったと思うんですよね。(p39)
わたしがお勧めするのは,自分が読んで面白い,重要だと思ったネットの記事を,フェイスブックで紹介することです。自分のコメントもつけてね。(中略)つまり,フェイスブックで大切なのは,食べてるご飯のことでも週末の旅行記でも,ネットの記事でも何でもそうなんですが,「この人は価値のあることを描いてるなあ」と思ってもらうことなんですよ。(中略)SNSへの投稿でいちばん大切なのは,読んでくれた人が「これは有用な情報だ」と思ってくれるかどうか。(p56)
ひとつだけ気をつけたいのは,相手のことを見下したりしないこと。「自分の方がよく知っている」「自分の方が詳しい」と上から目線になって,指導したり助言したりしないこと。(p60)
ネットはごまかしのきかない丸裸メディアなんですよ。(中略)ネットでは印象の悪かった人だったけど,会うと良い人だったというのなら,むしろリアルの場を疑ったほうが良いでしょう。(p66)
フェイスブックでは,自分の人間性を保証させるために,自分の日常や人間関係や写真をさらけ出さないといけません。(中略)自分の人間性をさらけ出すと,自分は信頼を得られる。実はインターネットって,こういう「交換」が得意なシステムなんですよね。(中略)プライバシーを明け渡して自分の情報を提供するかわりに,自分にとって有用な情報を見返りにもらっているということなんです。つねにそれは「交換」なんですよね。一方的に奪われているわけじゃない。(中略)国家権力がこっそり監視しているんじゃありません。(p68)
アメリカで最近,[eスコア」っていう数字が使われているという話があるんです。これは何かと言うと,ひとりの消費者がどのぐらいものを買う力があるのかということを調べて,それを本人の知らないうちにこっそり数値にしちゃおうというもの。(中略)これって,eスコアの低い人,すなわちお金のあんまりない人にとっては,とんでもなく酷な世界ですよ。まわりの人には高級品や美味しそうなレストランがお勧めされてるのに,自分のところにはまったくお勧めされないか,せいぜいコンビニで売ってるお菓子ぐらいしか広告が入ってこない。(中略)監視社会だ,ビッグブラザーだ,と怒ってる人たちは「自分の個人情報が勝手に利用されて,要りもしない広告が送りつけられてくる」とか言いたがるんですが,いやいやいや,ヘタすると「あなたのことは興味ないですから,今後いっさい情報も送りませんよ」と企業に言われるだけかもしれない,ってことです。(p72)
誰も見てくれない黙殺社会の不安があるから,逆に自分がいまここにいることをネットの中でアピールして,「ぼくを見て」「わたしはここにいるよ!」って叫んでる。それが実のところ,いまのネット社会の本質なんじゃないかとわたしは思っています。(p79)
「ネット探偵」みたいなのはこれからもなくならないでしょうね。自分のいろんな情報をネットに提供しているんだから,何かあったら過去のことが洗いざらいわかっちゃう。かと言ってネットをやめて生きるわけにはいかない。(p83)
プライバシー,プライバシーってみなさん言うけれども,そんなのこの半世紀ぐらいのあいだにようやく認知されただけの権利じゃん,とわたしは思うのです。プライバシーのないちょっと昔にもどったって,たいして困ったことは起きないんじゃないかと思います。(p85)
悪意を吐き出すと,言われる人もたいへんだけど,言ったほうもそれなりの責任を負わなければならなくなるってことなんです。(中略)何かを言った瞬間に,その言った内容で人は評価されるようになるからです。言った瞬間に,自分も評価の対象にくみこまれてしまう。それが総透明社会の本当に恐ろしいところなんですよ。(p93)
この同調圧力は,見方を変えれば「きずな」でもあるんですよね。東日本大震災のあと,日本人は冷静で暴動も起こさず,食料も分けあいながらみなで助けあったことが,海外では「日本は驚異的だ!」と報じられましたよね。たしかに日本のあの時のきずはな素晴らしかったと思うのですが,それはすなわち同調圧力が強いから,みなと同じ行動をとり,団結できたということでもあったんです。(p102)
ブラック企業とか言われてるような会社にかぎって,社歌とかスローガンとかが大好きって傾向はあるように思えます。過酷な労働から社員が逃げ出さないように,「きずな」でつなぎとめようとしているってことなんでしょう。(p105)
首都高という難易度の高い道路では,道交法は最低限の守るべきルールにすぎないんです。法律を守るのはそりゃ重要なことですが,首都高をなめらかに走るためには,道交法じゃなくて,ドライバー同士のコミュニケーションが求められているってことです。(p110)
強いつながりだと,情報はその関係の中でぐるぐる回るだけで,新鮮な情報って意外と少ない。(中略)弱いつながりのほうが,ずっと新鮮な情報が流れやすい。そりゃそうです。だって弱いつながりってことは,相手と自分の共通点が少ないってことだから,自分の知らない情報を相手が持っている可能性はとても大きい。(p122)
見知らぬ人とか遠い関係の「弱いつながり」の人から情報が流れてくるってことは,そういう弱いつながりの人たちに,わたしたちも情報を与えてあげるってことが大切なんですよね。そうやって情報を知らない人とやりとりしあうことで,いろんな新しい仕事の話が入ってくる。
電車の指定席からもう締め出されそうになっているわたしたちとしては,そうやって弱いつながりを大事にしていくしかないし,それが生存戦略なんだってことなんだと思いますよ。(p125)
人間はそんなにピュアじゃない。誰だってきれいなところもあれば,汚いところもある。自分がピュアだと信じてしまうと,他人の汚いところを許容できなくなっちゃう。
そしてもうひとつ大切なこととして,自分がいつまでもピュアであろうとしていると,自分の汚さを引き受けられない。
(中略)自分は弱者で善人で,悪いのはどこかにいる強い悪人なんだ,というように考えて,ここにはいないどこかの悪を非難していれば,自分のピュアさが破られることはない。そういう心理的な構図をつくっちゃうことになるんですよ。(p182)
つねにわたしたちは入れ替え可能である,と。絶対的な悪とか絶対的な善とか,絶対的な安心とかもう絶対にダメとか,そういう白黒つけられる場所じゃなく,わたしたちはみんな入れ替え可能な中途半端なところにいるんだ,と。(p196)

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