2020年9月30日水曜日

2020.09.30 永江 朗 『私は本屋が好きでした』

書名 私は本屋が好きでした
著者 永江 朗
発行所 太郎次郎社エディタス
発行年月日 2019.12.01
価格(税別) 1,600円

● ヘイト本が主題。なぜ出版されてなぜ流通してなぜ売れるのか。その状況に対してどうすれば良いのか。そこを追求していくと,日本の出版・流通・小売が抱える問題にぶつかる。もちろん,一刀両断的な解決法などない。
 一方で,ヘイト本の定義も問題になる。本書に,『日本国紀』もヘイト本に含めるとすると,という表現が出てくる。『日本国紀』はぼくも読んだ。正直,薄っぺらいと思った。これをベストセラーにできる出版社がすごいのか,こういうものが売れるはずと風を読むことができた編集者がすごいのか。いろいろとすごいんだろうけれども,だからといってこれをもヘイト本に含めてしまっては,表現の自由のその自由がすこぶる狭いものになってしまうのではないか。
 この種の問題を論じるときの第一の問題点がここにある。定義自体に自分の信条や好みをもぐり込ませてしまう危険性。

● 以下に多すぎる転載。
 小さな本屋が好きだった理由はいろいろありますが,完結したひとつの世界が表現されているように感じることが大きいと思います。(p14)
 数年前から小さな本屋をのぞくのが苦痛になってきました。(中略)その原因がヘイト本です。店頭にヘイト本が並んでいるのを見ると,いやな気分になります。(p15)
 本屋という仕事は,ただそこにあるだけで,まわりの社会に影響を与えることができるものなのだ-本屋を取材するようになってまもなくのころ,ヴィレッジヴァンガード創業者の菊地敬一さんから聞いた言葉です。(p16)
 出版界には「仕入れて売る」という他の小売業ではあたりまえの概念が存在しません。多くの本屋,とりわけ小さな本屋の場合,店頭に並んでいるのは,自発的に仕入れたわけではない,取次から見計らいで配本される本です。発注しなくても商品が自動的に送られてくるのです。(p17)
 ひと昔まえまでは雑誌とコミックの売上が小さな本屋を支えていました。雑誌はだいたい毎日新発売の商品がでますし,同じものが一日に何冊も売れます。本屋にとってはあまり手間がかからず,確実は売上を見込める商品だったのです。ところが,その雑誌が,インターネットとスマホの普及とともに壊滅してしまいました。(中略)雑誌全体の売上は,ピークだった一九九〇年代なかばの三分の一になってしまいました。(p21)
 ここ数年,カフェや雑貨売り場を併設する本屋が増えました。(中略)あるカフェ併設の本屋のマネージャーが,こんなことを言っていました、「一〇〇〇円の本を売って得られるマージンは二〇〇円ちょっとです。一〇〇〇円のドリンクのマージンは八〇〇円です。ぼくらは,一〇〇〇円の本を売りつづけるために,一〇〇〇円のドリンクを売るんです」と。そこで,「いや,一〇〇〇円のドリンクを売るために,返品できる一〇〇〇円の本を,ドリンクを飲ませながら無料で見せているんじゃないですか?」と心のなかでツッコミましたが(p23)
 その人の意思では変えられない属性-性別・民族・国籍・身体的特徴・疾病・障害・性的指向など-を攻撃することばは,批判ではなく差別です。(p29)
 ビジネス書なんかでも,書名や内容がポジティブなもののほうが売れる。ネガティブな書名は売れません。『嫌われる勇気』もやっぱりポジティブじゃないですか,なんとなく。(今野英治 p49)
 店が小さくたって,間口は狭めちゃだめ。おしゃれな売り場をつくって瞬間的に売れたとしても,たぶんそれは続かない。(中略)一見,お客さんを選んじゃったほうが効率が上がるかとも思うんだけど,そこh溶媒として危険な気がしますね。(笈入建志 p69)
 圧倒的に普通のお客さんが多いわけだよね。その普通のお客さんっていうのは,安定性を求めてて,あんまりとんがっているところには行かない。(今野英治 p70)
 出版社の経営者や幹部は一国一城の主という意識が強いから,共同でなにかをするのが苦手だ。(p95)
 Nさんが取次に入社してからの一〇年間でも,書店の荒廃ぶりは明らかだという。売上が減り,利益が減ると,書店は人件費を削る。人が減れば,従業員ひとりあたりの仕事は増える。作業量は増えるが,給料は安いままだ。ほとんどの書店員は本が好きで書店に入社する。だが,荒廃していく現場で身も心もボロボロになっていく。(p100)
 本を読んでいない書店員,本を読まない取次の社員が多い,とNさんは言う。「本が好きでこの業界に入ってきた人が,仕事をするうちにだんだん本が嫌いになっていく」(p104)
 大手・中堅の総合出版社はどこも「売れるものならなんでも」というのが現実だ。各社の刊行物を眺めれば,それは明らかだ。(p108)
 出版社ではヒットした本の二番煎じ・三番煎じの企画が歓迎される。なぜなら,ヒットした本の七割・八割は売れることが多いからだ。(中略)言いかえると,それだけ二番煎じやパクリ本を求める読者がいるということでもある。(p114)
 ネット右翼というのは本を読まないので。タイトルしか読みませんから。(古谷経衡 p151)
 ネット右翼って,基本的な性質は,嫌韓ではなくて反メディアなんですね。(古谷経衡 p152)
 ネット右翼というのは思考力が低いから。彼らは自分の基礎的な歴史についての知識がないので,だれかに依存しないではいられなんです。(古谷経衡 p154)
 やっぱり,人間ってもっとも近いものを攻撃しますから。(中略)ファシストはもっとも近いファシストを攻撃しますから。(古谷経衡 p160)
 本当に強い人間は強さを言わないのと同じです。バブルの時代の風俗を見ていくと圧倒的に自虐ですよね。(中略)かつては日本が破滅していくパターンが多かった。それは自信があったからで,それが人間の心理でしょう。いまはどうみても衰退しているので,自国を賛美しないといけない。(古谷経衡 p162)
 アレントはユダヤ人虐殺に手を貸した者たちが,けっして悪魔のような存在ではなく,目のまえに与えられた仕事を淡々とこなすだけでその仕事の意味については深く考えようとしない,いたって凡庸な人ひとであることを発見した。それと同じく,編集者にとっても取次の従業員にとっても,そして書店員にとっても,ヘイト本は他人事でしかない。(p170)
 もちろんわたしだって,「世の中のすべての本は丹精こめてつくられたものであり,つくり手の熱い思いがこめられている」なんてナイーブな幻想を抱いてはいない。食っていくために「しかたなく」つくられている本も多いだろう。「しかたなく」でなくても,「ほんのちょっとした思いつき」だったり。書店の平台に並んでいる新刊の多くは,そうしたやっつけ仕事だ。(p171)
 ポルノに限らず,出版という行為,あるいは表現という行為には,なんらかの後ろめたさがあるものだ。だれかを傷つけていないか,だれかを不快にしていないか,と。(p171)
 人は騙されやすい。騙されやすいからこそ,差別は拡大されやすく,憎悪は扇動される。そこに火をつけ,燃料を供給するのがヘイト本だ。(p175)
 「ナチスがやったことは許せませんね」「KKKは狂っている」という人が,同じ口調で「在日特権は許せません」と語る世界にわたしたちは生きている。嫌韓反中本ブームを見ていて,「ああ,ナチのユダヤ人虐殺って,こんなふうに広がっていったんだな」と思う。(p176)
 本屋大賞は「もっともすぐれた作品」を選ぶ賞ではなく,「もっとも売りたい本」を選ぶ賞である。(中略)本屋大賞の選考システムでは,内容的にすぐれた本を選ぶのは不可能だ。なぜなら本屋大賞は人気投票方式だから。(p183)
 本屋大賞の第一次選考上位一〇作が発表されると,多くの書店では前作を陳列する。しかし,いちばん売れるのは一位の作品で,二位以下はあまり売れない。(中略)それは読者/消費者が一位以外に関心をもたないからである。(中略)ビジネスにおいては一位と二位では天と地ほどの違いがあり,二位ではだめなのである。(p185)
 ネットって貧者の核兵器みたいなところがあるでしょう?(中略)金もないし名前も出したくないし,でもなにかを言いたい人間には核兵器級の力がある。(p218)
 出版に道徳も倫理もないとわたしは考えている。露悪的に言うなら,人間の欲望をくすぐり,たくみにつけいり,雑誌や書籍を売りつけ,カネを巻き上げるのが出版という商売だ。(中略)世の中の書物がすべて清く正しく美しい内容だけだったら,それは悪夢だ。(p229)
 四〇年まえと比べて新刊発行点数は三~四倍に増えたけれども,販売部数は同じ,返品率は四割と高止まりしたままとうのでは,人もシステムも疲弊してしまうのが当然です。(p242)
 四〇年まえと比べて,新刊の年間発行点数は三~四倍に増えました。なにが増えたのでしょうか。たぶん,なによりもつまらない本が増えたのだと思います。もともと本は玉石混淆で,しかも玉より石のほうが多かったけれども,その混合比がいまは一対九ぐらいじゃないでしょうか。圧倒的につまらない本が多い。(p247)

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