書名 開高健の本棚
著者 開高 健
発行所 河出書房新社
発行年月日 2021.09.30
価格(税別) 2,200円
● 本書は何かといえば,エッセイのアンソロジーであり,開高健のお気に入り本の紹介でもある。杉並区に「開高健記念文庫」があり,茅ヶ崎市に「開高健記念館」がある。本書はその2つの協力を得てできあがっているものだが,記念文庫や記念館に行くよりはこの本をじっくり読む方が,より多くの実を得ることができるだろう。
比べるものではないのだろうが。
● 以下に転載。
書物は精神の糧である。(中略)精神の美食家になり,大食家になること。一念発起。そこからである。(p11)
言語についての研究は近年にわかにさかんになり,精緻になっているけれど,分析が緻密になるだけ初発の直感の鋭さや豊沃さが喪われていくという事情は他のどの分野ともおなじらしく見える。(p48)
よく写真を見ると学者や作家は万巻の書棚をうしろにおちょぼ口をしたり一点をカッと目貫めたりしてすわっているのを見るが,いかにもしらじらしいきがする(中略)やれやれ,これだけ本を背負わなければ歩けませんと,自分の頭のわるさを広告しているようなものではあるまいか。(p59)
大人の世界で流行したものが半年おくれて子供の世界で流行するのだそうだ。かならずそうなるという。(p68)
私はもともとマンガ無害論者である。子供は吸収力が速いのと同じ程度に排泄力も速い。(p69)
「ユーモア」の感覚は人間の本能の知恵なのである。この知恵を汲むことのできない人びとは,ほかのあらゆる美質にもかかわらず私を和ませない(中略)くそまじめな日本の陰湿な風土ではこれがひどく育ちにくいこと,文学界,学界,すべて同様である。(p73)
全集や文庫版など,一定規格のサイズとデザインにおしこめられた本からは “匂い” がたちにくい。(p78)
よく読後に重い感動がのこったと評されている “傑作” があるが,これは警戒したほうがいい。ほんとの傑作なら作品内部であらゆることが苦闘のうちに消化されていて読後には昇華しか残されていないはず(p82)
文学が政治を扱うと,どういうものか,成功はごく稀れで,ほとんどがのっけから失敗するものと覚悟しておかなければならないのに,これ(「動物物語」)はおそらく動物寓話にしたせいでしょうが,やすやすと至難を克服しています。(p88)
革命は成就後にいつともなく変質をはじめてやがてはかつての仇敵にそっくりのものに転化する(p88)
推理小説やスパイ小説はまぎれもなく,“近代” の分泌物である。(p92)
どの分野でもナンセンスとかパロディーというものはセンスがよほど成熟,爛熟して種切れになりかかるところまできてから発生するものである。(p93)
「種において完璧なるものは種を越える」と言ったのはゲーテだったか,ほんとにそのとおりであって,これ(「我が秘密の生涯」)はもうポルノなんてものじゃない。(p127)
ロマン・ピカレスクとは何ぞやということなんだけれども,これは一口で言うと,(中略)けたはずれの強力なヴァイタリティをもった人物が社会を横断もしくは縦断する,それにつれて,一社会の横断面,縦断面がくっきりと浮びあがってくるという形式の物語なわけね。(p127)
ナチュラリスト文学で気をつけなければいけないのは,人事を自然に反映させて,鳥獣虫魚の生態を人間社会にあてはめて解釈し,表現しようとする欲求をどう制御するかということやね。(中略)この擬人化の弊害はじつに大きい。(p131)
ファーブルの『昆虫記』は,そういう,人間社会にもまれて辛酸を重ねてまた自然にもどりたくなった大人が読んで,はじめてほんとうのおもしろさがわかる本ではあるまいかという気がするのよ。(p132)
御大アシモフがいいこと言ってるぜ。「大衆がSF映画を見に行くのはなぜか。九〇パーセントの破壊場面を見るためだ」。(p149)
ホワイは分からないが,ハウは分かる。だいたい釣りは全体にそういうことがいえるんで,もっと押し広めれば,人生すべてがそれや。(p151)
昔の動物学だと,人間は過ちを犯すがアリは過ちを犯さない,という定言があったわけだけど,自然はまた過ちに満ち満ちているんだよ。(p152)
笑いのない現実というものはあり得ない。いかに悲惨なものにも,見方を変えれば笑いがある。(p156)

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