書名 定年後の作法
著者 林 望
発行所 ちくま新書
発行年月日 2020.12.10
価格(税別) 840円
どの年代の人にもその年代に合わせた雑誌が発行されていて,自分の年齢に合う雑誌を読んでいるような人は,所詮はその他大勢の中に埋没しているだろう。自分の属性とは全く違うものを読んでるような人に,魅力のある人が多いだろう。
● 自分もまた,自分の属性に合った雑誌を読んでいた「その他大勢」の1人なのだが,馬齢を重ねてもそこは変わらないものだなと,ひとり自嘲もしている。
しかし,背伸びをしても仕方がない。気になった本は読んでみればいいのだ。
● 以下に多すぎる転載。
どこにも所属していないということになると,そこに「孤立」した自分を想定しなくてはならない,それはたしかに未知の恐怖を感じることがどこか避けられない,ということだったかもしれません。しかし,定年後,何より大事なことは,この「孤立」を恐れない心です。(中略)「孤としての生き方」とは誰ともつるまず,誰にも寄りかからず,一人ですっくりと立っている生き方にほかなりません。(p8)
無所属の恐怖かぁ。これしばしば言われることなんだけど,そんなことを感じる人が本当にいるんだろうか。ぼくに関していうと,それは1mmもなかったけどねぇ。大半の人はそうじゃないのかねぇ。
人間には「感じの良い人」と「感じが悪い人」の二種類しかいない,その中間はない,というのが私のかねてからの持論であります>(中略)まず,最も嫌われるのが,上から目線で偉そうにものを言う人です。(中略)そこで,感じのいい人になるためには,まずなによりも,いばったり,上から目線でものを言ったり,要らざる薀蓄を傾けたり,というようなことを,自らよほど抑制しなくてはいけません。(p12)
「自己評価は必ず他人の評価を裏切る」という心理学上の法則があります。つまり,自分を「親切な人間だ」と思っている人が実際に親切だったためしはなく,逆に「自分は意地悪だ」と思っている人は実は意地悪ではないということです。(中略)自分を意地悪だと思う自我は,すぐれて自省的であるはずだからです。したがって,そういう自省心がある人間は意地悪にはなりません。(p14)
人間は不思議な動物で,群居する性質を持ちながら,しかし,一定の距離感がないと不愉快を感じる,そういうものです。(中略)だからお互いに干渉しあわないように,自分独りの時間と空間を持つ。そうやって「間」を取ることによって,一緒にいる時にはより仲良くなれるというものなのです。(p33)
偉そうにすることなく,どちらかといえば,いつもぼんやりとしてるくらいがちょうどよい(p53)
出世栄達なんてことをよそに,のんびりと非競争的な人生を送っているという人には,どこか不思議に人間的な魅力があるものです。そういう人こそ,定年後の生き方として目指したい一つのイメージではなかろうかと思うのです。(p61)
定年後は,つまり,社会がその人に求めるものから自由になった,組織の桎梏から解放された分,どんな無用のことにも力を注ぐことができます。それが世の中の役に立つか立たぬか,そんなことは度外視してよいのです。(p67)
一番良くないのが,定年になって暇ができた,さあ,どうやって暇をつぶそうかという考えです。(中略)つまりは「暇つぶし」とはすなわち「時間の無駄遣い」です。(中略)それは穀潰しなる愚考というものです。(p73)
練習していてもそれが嫌にならない,どこかにもっとやりたい,もっと先に進みたいと思う「気持ち」のなかに才能というものが宿っているということなんです。(中略)あきらめるってのが,いちばん良くない態度で,あきらめずに続けるということによってしか,才能という鉱脈に辿り着くことはできません。(p75)
音楽教室か個人レッスンかと比べてみると,レッスン料はたしかに,個人レッスンは多少高い。しかしながら,その成果の上がり方は,まったく違うものなのです。(中略)定年後です,お金は有効に使わなくてはなりません。(p79)
つまらない文章に共通の属性は,「音楽がない」ということです。文章にリズムがなく,だらだらとしている,そういうのはやはり読む気がおこらないのです。(p81)
人前に出て恥をかきながら学んでいく,そういう心がけが何より大切だと思うのです。(p89)
生きがいを,もし趣味の世界に求めるとしたら,(中略)下手の横好き,御隠居の義太夫,みたいなところで満足するのではなくて,いわば本職になるほどやったほうがいい,と私は思っています。(p95)
俳句は,お茶やお花のように「型」のある芸道ではありません。俳句は「文学」なのです。(中略)そうなるとさて,文学がお師匠さんの言いつけを守って,一つの型を金科玉条と心得るようでは,どんなものでしょうか。(中略)もっと自由に,言い換えれば自分勝手に,試行錯誤することが,いわば上達の王道だと私は信じています。(p99)
常住坐臥いつも俳句を作ろうと思っていることが大切で,私は四六時中M値のポケットにメモ用紙とペンを入れています。なにしろアイディアはいつ湧き出てくるか予想ができないからです。思いついたら即座にメモする。これが俳句作りの大秘訣です。(p102)
楽器などを習うときは,メソッドを守り,つねに師匠に修正指摘してもらう必要がありますが,文学は先生に教わってどうにかなるものではない。私も文章を書くのを仕事としていますが,今まで文章の書き方など誰にも教わったことはありません。(p103)
アイディアなんてものは,三十秒くらいしか生命がありません。一分でも他のことをやってしまったら,もう忘れて思い出せなくなります。だから,ともかく即座に書き留めることが必要です。(p105)
井戸を掘らなければ水は出てこないのです。最初から自分にはそんな才能はないからとあきらめるには及びません。(p123)
勉強は,結果ではなくて,過程にこそ最大の愉悦があるのです。そこが受験勉強や,会社のプロジェクトなどと根本的に違っているところなのですから。ここでも,孤独は作業ではありますが,楽しい孤独,すなわち名誉ある孤立でもあるんです。(p126)
『徒然草』のおもしろいところは,なにやら人生の深奥を探るようなことがあれこれと書いてありながら,その底流として,常に「エロス」があることです。生きていることとエロスというものは切り離せないものだということが,これを読むとよくわかります。(p128)
私も,ほかには何も運動はしませんが,ひたすら歩くことだけは励行しています。それも犬の散歩だの,週末にゴルフ場を歩くなんてのはだめで,ただただ「歩く」ことを自己目的として脇目も振らずに歩くことが肝心です。(p158)
私は家にいても絶対に電話には出ません。ああ,電話が鳴ってるな,と思いながら,ベルが切れるまでじっと静観しているだけです。(p164)
私はSNSに類することも一切やりません。ツイッターのような,ほんのひと言,思いつきだけの短文を垂れ流すというのが,どうも不毛なことのように思います。(中略)SNSは一種の《電子的つるみ状態》で,つまりは,程の良いディスタンスが保たれていないんですね。(中略)人と人のコミュニケーションにおいても,心のソーシャル・ディスタンスが必要だと思うのです。(中略)ここでも,やhり「個(孤)」を保ちあうということが,良い人付き合いの,要諦のなかの要諦だと,そう言っておきたいと思います。(p166)
人間の健康も縮小していくように,生活そのものもだんだんと縮小していくべきがほんとうなのだろうと感じています。(中略)この「縮小していく生活」を,自分で考えて,粛々と受け入れていくことこそ,これからの最大のテーマだと,私自身は考えています。(p198)
還暦を過ぎた頃から,私は極力ものを買わない,必要なもの以外は買わずに,身辺の物を増やさないようにしようと考えました。(p201)
その要諦は,「大事なもの,価値のあるものから手放す」ということです。とかく未練で,良いものは手許に置いておきたいと思っていると,ついに何も手放すことができません(p204)
なんとかして,私は「じじむさく」ならずに死にたいものだと思います。それには,何と言っても清潔が第一。むさ苦しく不潔で,ひとい加齢臭がするようでは,人を不快にさせるばかりで嫌がられます。(p206)
ぐっとお安い定食屋で食べるのも,なんだか面白くないことで,それなら家に居て自分で料理すれば安くあがるし,自分の好きな味に作ることもできる,それがいわば食費節約の大原則です。つまりは外食は極力やめたほうがいいと,お勧めする次第です。買い物も,あれこれと予め献立を決めてから買いにいくのではなく,どんなことにも使える普遍的な食材を一通り買っておいて,それが無くなるまで,工夫して使い切る,それが,いわば食費節約の王道です。工夫万端,無駄なく使い切る,そこに要諦があります。(p210)
死ぬなんてことは,考えたくないことですが,だからこそ,心を励まして考えておき,常住坐臥,このことを思わぬ時はない,というくらいにしてちょうど良いのだと思います。(p222)
心を通わせて話したいときは,横並びで話すことです。(p227)
五年後,十年後までにこれをやろうと,あれこれ目標や計画を立てたところで,それまで無事に元気で生きている保証はどこにもないのです。だから,「今日,何をやるか」が大事です。今日一日を有意義に生きることに,まずは集中しましょう。そして,全力を尽くしておけば,明日急に死んだとしても,悔いは無いではありませんか。(p232)
人生の扉を開けるのは簡単です。(中略)しかし,広げるのは簡単でも縮めるのは容易ではありません。(中略)発展は誰にとっても嬉しく望ましく,苦労があってもそれを苦労だとは思わない。しかし,縮小するのは楽しくも望ましくもないことですから,そのための努力は本当に辛い努力です。けれども,定年後はどうしたってその縮小していく局面に向かい合わなくてはなりません。(p243)

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